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1: 日本@名無史さん 2006/11/06(月) 03:56:09
君が爺さん、婆さんから聞いた、リアルな実体験話を
皆に聞かせるためのスレッド。

歴史上の有名人との接触
歴史上重要な出来事に関わった話
先祖が英雄で、身内しか聞けない話
その他、どうでもいいがおもしろい話

こんなところかな
個人的には黒船から日露戦争までの時代の話を聞きたい










601: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/10/12(金) 19:25:47 ID:bQAVW3nM0
名古屋城北の練兵場に、飛行機というものが来るというので、
みんなで観に行って、始めてみる飛ぶ姿と音の大きさに驚いたと。
22年前に86歳で亡くなったばあちゃんの若い頃の話。

602: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/10/12(金) 23:55:28 ID:WhSJ1J870
「ツェッペリンが我が家の上空を飛んでいった」
伯母の口癖でした。
しかし、調べてみると、ツェッペリンが日本に来たのは伯母が生まれる前。それに我が家がある地域には来ていません。
別の伯母の証言によると、子供の頃、家の壁にツェッペリンが日本に来た時の新聞の切り抜きが20年ぐらい貼りっぱなしになっていたそうだ。

603: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/10/14(日) 00:06:24 ID:qYBS5rRXO
人の記憶ってアテにならないね


608: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/10/26(金) 20:03:10 ID:MontIRJ1O
南方では豚がうまかった。
じいさんの太平洋戦争の思い出(存命中)

611: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/10/27(土) 02:01:12 ID:CFiJ6Mgx0
>>608
うちの大正生まれのじいさんも、先の大戦で南方に行ってた(もうすぐ三回忌)
食事は結構恵まれていたらしいね。
日本にはない美味しいフルーツたくさん食べたとか
ばら寿司やおはぎが食事に出されたこともあったと話していた。

戦後はしばらく敵(フランス?)の警護をやらされたらしい。
でもベトナム人は「日本人はトモダチ」と言って、
じいさんたちが警備についてるところでは
ベトコンは手を出したりしなかったと言っていた。
(このあたりの歴史は自分疎いので、何があったか知らん。聞いたママ)


610: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/10/26(金) 23:08:39 ID:TTcXqGex0
実家の近所で幕末に銃撃戦があって何人か死んだらしい。長州軍に志願したがいざこざを起こして脱走し、故郷に帰って勝手に暴発・挙兵して幕府の役人と戦った連中がいた。

612: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/10/27(土) 05:58:34 ID:CzcWLxv70
南方に行ってたうちのこの間死んだ祖父さんの話で面白かったのは、
非戦闘時、前線を物資交換の船が行き来してたって話だった。
こっちは日本酒、向こうは洋酒なんかを交換してたって。だから前線では美味い洋酒が飲めたって。
諜報合戦でもあったんだろうけど、のどかな話だ。

613: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/10/28(日) 04:54:48 ID:oFMKausv0
>>612
なんか19世紀までの戦争を髣髴とさせる良い話だね。
日露戦争くらいまでは休戦中に敵味方が交流したりしてたんだろ。

614: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/10/28(日) 14:33:31 ID:JsDPwwYe0
>>613
第一次大戦の時、ドイツ兵とイギリス兵が一緒にクリスマスを祝ったという話がある。
それを見たドイツ軍の伍長は激怒して、同僚を「売国奴」と罵ったそうだ。

617: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/11/02(金) 17:46:12 ID:VHKNwhqn0
>>614
戦メリみたいなことって本当にあったんだな

618: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/11/02(金) 19:22:40 ID:DyOe2IFX0
>>617
もっと暢気だよ。
一次大戦自体は最悪の肉弾戦でちょっと例の無い無残な戦争だけど。


615: 人誅 2007/10/30(火) 23:53:08 ID:gZ5GG7qg0
俺の曾爺は日露戦争に行って、203高地の戦いに赴いたにもかかわらず、
生きて内地に帰ってきた。
また、曾爺の息子(爺さん)は大東亜戦争で南方に送られそうになったが、
親類にお偉いさんがいたため、そのとりなしで内地の軍需工場で働いた。

616: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/11/02(金) 05:49:52 ID:4GzHL4LwO
爺さんが子供の頃 海の沖から黒煙が上がり大砲の音がドンドンなり 海岸にロシア兵、日本兵の遺体が流れ着いたと聞いた。


621: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/11/03(土) 23:25:48 ID:Nbx8B3D60
母方祖父の祖母はその父が明治新政府のけっこう偉い軍人で、
部隊を率いて西南戦争に行っていた時にこの曾曾祖母が
生まれたので、「熊本征伐の記念に名前は『熊』とせよ」と
手紙をよこし、ずっとひそかに父を恨んでたらしい、と
曾祖母に聞いたことがある。戊辰戦争の話は伝わってないんだ。
まあ、官軍だから、大した身分じゃないだろうけど。
母方祖母の先祖は姫路の酒井家のご祐筆で武家としても教養高い家系
だったのに、そっちの逸話もナシ。母方の曾祖母にもっと聞いとけばよかった。

622: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/11/04(日) 02:02:03 ID:s7xsby/sO
うちのじいさんは農家の息子だったけど、太平洋戦争がまだ始まる前に、「海外の日本の統治領に行って農業を教えてくれたら東京帝国大学(現東京大学)を卒業したことにしてあげるよ」みたいなこと言われてスマトラ島に行ってきたらしい

624: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/11/06(火) 21:21:55 ID:w4GL3LU30
ヒイヒイジイサマのお仕えしていた人物は藩内でも少数の尊皇派だった。
同志と共に独断で京都へ行って、朝廷の人達に「我が藩をよろしく」と
挨拶してきたのは良かったんだが、それが殿様のお気に召さなかったらしく、
藩に戻る事も許されず、切腹するハメになってしまった。
同行していたヒイヒイジイサマはご主人様から殿様に宛てた手紙をあずかって
殿様に届けたとか届けられなかったとか・・・。
なんか謡曲の題材にもなってるらしい・・・詳しくは判らないが。




629: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/11/15(木) 06:16:05 ID:YHnlUfAR0
死んだ俺の婆ちゃんは1905年生まれだ
って事は、幼い頃は幕末生まれの人とたくさん接してきた訳なんだよな
もっと話を聞いておけばよかったぜ
関東大震災と戦争で疎開した話しか覚えてないや…

630: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/11/15(木) 10:11:56 ID:N3rnG5rWO
うちのじいさんは昔、戦争中のいかがわしい武勇伝を語っていたよ。
足首が180°回転した話とかあったな~。

631: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/11/15(木) 12:36:46 ID:vRQ5maDsO
俺には子孫に伝える昭和はあるかな・・ 「あの辺は竹藪だらけで、昆虫を捕まえて遊んでたよ」こんな物語り継がれるか・・orz

635: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/11/17(土) 23:35:00 ID:9ErEIgoB0
>>631
逆バージョンなら可能性大。
「昔は金持ちもビンボー人もガソリン自動車に乗っていたんだぞ」とか、
「夜中でも都会は明るかったんだぞ」とかね。
今世紀中期から本格的なエネルギー不足時代になると思う。
俺たちの祖父とは逆の展開。世の中回り持ち、上手く出来ている。


632: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/11/15(木) 13:07:35 ID:sVNOdzwuO
俺のご先祖は近江の大庄屋だったんだが(名字帯刀を許されたらしい)、幕末の混乱の中で運送業をやって成功し、議員になったらしい。
その選挙の応援演説で板垣を呼んだが、反対勢力に邪魔されて・・・とか、いろいろあったらしい

633: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/11/15(木) 14:02:39 ID:q11uMGgm0
死んだ母ちゃんのはなしだけど
どっかの奥さんが農作業してたら進駐軍の兵隊が話しかけてきて、
よく分からないから知ってる単語のYES YESって言ってたら
やられちゃったらしい。

634: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/11/15(木) 14:43:30 ID:t+RzU9H30
祖父の叔父は、大連を拠点に、関東軍に食料や物資を供給する軍属で、
大連郊外に建てた屋敷には牧場や農園もあって、召使いが20人いたそうだけど、
戦争で何もかも失って、カバン2個で内地に帰ってきて、半年後にはポックリ
亡くなったとのこと。まだ46才だったけど、気力が無くなったんだろうね。
昭和60年にその叔父の息子達(祖父の従兄弟)が、かつての大連の屋敷に行ったら
屋敷は小学校になって当時のまま残っていて、父親を偲んで泣いたそうだ。

637: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/12/07(金) 12:43:35 ID:gXZRtO5T0
明治生まれで京都人の俺の死んだ祖母が小さい頃、じいちゃんばあちゃんから
三条大橋で晒し首見たって話を聞かされたって言ってたな。
もしかしたら近藤勇とか有名な人の首だったかもと思うと感慨深い・・・

あーあ、もっと色々な話聞いとけばよかったな(´・ω・`)

638: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/12/08(土) 00:44:53 ID:eLmleKlT0
母方の曾婆ちゃん明治生まれで
昔俺もいろんな話聞かして貰ったが今もう全然覚えてないやw
すげー優しかったけど家が貧しかったらしくて字が書けなかったのは印象深かったな…

父方の方の曾爺ちゃんは凄い人だったらしい
 あんまり詳しくは知らないけど…
 でも父親の実家に宮本武蔵が描いた掛け軸とか凄い名刀があってビビったww

よく考えたら俺らの先祖も白刃の舞う幕末とかを生きてたわけだよな~
 感慨深いな… 

643: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/12/16(日) 18:47:57 ID:kjXMeyIc0
>>638
もっとよく考えると俺らの先祖は赤穂浪士が吉良邸討ち入ったときも、
関が原で家康が勝ったときも、義経が壇ノ浦で平家滅亡させたときも
蘇我入鹿が暗殺されたときも、卑弥呼が邪馬台国の女王になったときも
日本のどこかで存在してたんだよなあ・・・
いや、もしかしたら半島や大陸にいた時代もあるかもしれんなw

639: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/12/08(土) 01:16:56 ID:eLmleKlT0
あともしかしたら曾爺さん婆さんの親や祖父たちは新選組(甲陽鎮武隊)をみているかもしれない
勝沼に住んでいたらしいから。
そんだけ

642: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/12/15(土) 08:11:00 ID:7fZjtKdT0
>>639
それはスゴイね、当時は付近の村は大騒ぎだったからきっと見ているね
女性の方なんて一張羅に着飾って「勇見物(局長見物)」に通ったという話が残ってる程だし


653: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/12/18(火) 16:11:15 ID:SfTQlveV0
亡くなった爺様は 中等野球(今で云う高校野球)に出場したのが自慢やった
まだ その当時のグローブが家に残っているけど ものすごく小さくて凧糸でぬったグローブ



677: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/12/24(月) 07:25:40 ID:GtjDlds5O
ウチの爺ちゃん大正生まれの87才
骨太のごつい体つきなので徴兵検査で甲種合格したのが自慢
大陸で撃たれた鉄砲玉が未だに体内に二発入ってるとか(レントゲンで見える)
その治療後、鹿児島から南方へ向かう途中、乗ってた軍艦が沈没して泳いで帰ってきたとかいろいろ逸話がある
爺ちゃんが帰ってこなかったら戦後生まれの母親はいなかったわけで、なんだか生きて帰ってきてくれて本当に感謝だわ

沈没した軍艦から一緒に鹿児島まで泳いだ戦友さんと最近まで年賀状のやり取りしてたが、向こうさんが亡くなられたらしく凄い気落ちしてた…

681: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/12/25(火) 09:14:37 ID:wVgiUp6GO
>>677の補足
出航して最初の夜に沈没したみたいだよ
夜中の海が真っ暗で死ぬしかないと覚悟を決めたらしい
生き残った人が何人か海上で集まれて必死に泳いだらしい
この辺の下りは直接聞いたわけじゃなくて母親からの又聞きだからニュアンス違うところあるかもしれないけど

本人は最近あまり戦争の話をしたがらないので聞くのが躊躇われます

678: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/12/24(月) 22:33:14 ID:49Utim3P0
戦友って言葉が凄いリアルだな…

679: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/12/24(月) 22:43:00 ID:hbx+mD5t0
泳いで帰ったくだりはリアルじゃないけどな

680: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/12/25(火) 08:33:12 ID:xSVofw9w0
沈没地域がそんな離れてなかったら泳いで帰れるよ

682: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/12/25(火) 18:03:52 ID:GNk18+Nk0
うちの祖母の家は明治になって士族屯田で北海道に入植したクチ。
北海道に来てからは農家をやりつつ地主としてわりと裕福な暮らしをしてたらしいんだけど、
祖母曰く、勉強が嫌いだったので女学校には行きたくなかったとの事。
(でも親には行けと言われて・・・)
で、女学校の時は学校さぼって映画を観に行ってばっかだったらしい。
そんな祖母には3歳年下の妹がいて、その妹が祖母の言う‘尋常小学校’に行く頃になったら
‘尋常小学校’では無くて‘国民学校’になっていた、てのがなんかすごくショックだった。
うまく言えないんだけど、なんかすごくショックだった。
昭和の話でゴメンナサイ。


690: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/12/27(木) 11:54:35 ID:kqFCXePC0
オレの死んだ爺ちゃんは明治生まれ。
太平洋戦争に行って怪我して帰ってきて天寿を全うした。
小さい頃から戦時中のいろんな話を聞かされたけど、若い時分はちょっと左で
「なんで天皇のために戦争に行って人殺すんだよ」って食ってかかった。

そのたびに寂しそうな顔してたことを今頃思い出す。
ごめんよ、じいちゃん。今さらだけどいろんな事が分かったよ。
今なら「俺達のためにありがとう」って言えるよ。

691: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/12/29(土) 02:45:19 ID:eXmEqGdy0
明治44年生まれでもう亡くなった母方の祖母から聞いた話。
関東大震災の頃に横浜に住んでいた。震災当日は物凄く暑くて、
前日の夕日が凄く真っ赤だったと。

母方の高祖父は江戸末期に山梨に自分の名前の付いた田んぼをもっていたが、
幕末頃流行ったコレラに罹って、畑を焼いてその土地から
出る事になった。

俺が生まれた時にすでに無くなっていた祖父は、浅野中学に通っていて
マントを纏い、人力車で送り迎え。

692: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/12/29(土) 03:11:25 ID:+uMKhW0aO
ばあちゃんが生まれた明治時代は自然が多く残ってて綺麗だったんだろうなぁ

693: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/12/29(土) 09:35:58 ID:9SQwjdDb0
明治といわず1950年代でも山村行けば江戸時代と大差ない風景がまだまだ残っていただろうに。


696: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/12/29(土) 23:58:44 ID:XOeOtboK0
山削ったりしてなければ田舎の山村風景は江戸時代とそう変わらないと思う
明治頃の写真を見たら、海辺はさすがに埋め立てたり防風林の様子が変わってたけどね

697: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/12/30(日) 03:42:37 ID:3W0/WkQmO
ニホンオオカミ、トキ、ニホンカワウソ、コウノトリ、ニホンアシカ、クニマスは、まだ明治時代には絶滅してなかった
見たかった

698: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/12/30(日) 08:34:46 ID:C1UZz4Ed0
明治時代でも、それら全部を普通に見られたのは前半だろうね
剥製でしか見た事がない動物だから動いているところを見たかったな


引用元: ・爺さん婆さんから聞いた幕末明治大正の話 その1







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