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1: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/11/17(金) 21:26:18 ID:sh1Vf8rY0
孫家大集合









5: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/11/22(水) 23:33:17 ID:FjYpMJc/O
何故に孫乾が入ってるのかと

7: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/11/23(木) 00:00:24 ID:XKEALVkJ0
>>1
孫乾乙(^ω^;)

13: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/11/23(木) 23:46:17 ID:hVCkxMKuO
孫乾はなぁ~孫乾はなぁ~…………







孫乾って孫家なの?

16: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/11/24(金) 11:04:25 ID:Vy6E5V1C0
孫乾は旧斉の北海郡出身で孫武の末裔。

孫堅は江南の商人の孫鍾の子。

全くの赤の他人。よって孫乾は削除。

18: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/11/24(金) 17:59:02 ID:aFoe9IfI0
>>16
なにそれ、初耳だ
kwsk

19: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/11/24(金) 18:03:14 ID:Vy6E5V1C0
>>18
正史によると同郷の鄭玄を師事し、孔融と交流があったと聞く。
劉備に仕えたのも孔融と陶謙の推挙があったからこそだと聞く。

20: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/11/24(金) 18:21:27 ID:aFoe9IfI0
>>19
すまん、即レス感謝なんだがそれと孫乾が孫武の末裔ってことと関係が読めない
当時一流の名士だったってことかな?

21: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/11/24(金) 18:57:10 ID:Vy6E5V1C0
>>20
こちらこそ言葉が足りなかった。

>当時一流の名士だったってことかな?

そういうことになる。

孫乾は鄭玄の下で学問を学んだから、多分家柄はいいはず。
孔融も孫乾を評価したと言うから・・・

22: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/11/24(金) 19:52:41 ID:aFoe9IfI0
>>21
サンクス
でも孫武の後裔が孫乾ていう確たる証拠があるわけじゃないんだね

24: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/11/24(金) 22:26:02 ID:Vy6E5V1C0
でもまあ、孫臏の例もあるし・・・

28: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/11/30(木) 10:01:09 ID:NYIq79nX0
孫堅は父親すら定かじゃないんだね

29: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/11/30(木) 15:06:56 ID:VwWwwi0F0
南宋の文献によると江南の商人の孫鍾・・・

30: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/11/30(木) 15:20:43 ID:NYIq79nX0
呉書にも裴松之の註にも記述ないんでしょ>父の名

宋書か
信憑性はどうなんだろう?

31: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/11/30(木) 16:00:13 ID:VwWwwi0F0
「異苑」(南宋末頃の文献書)と「瓜売りの商人の孫鍾」をクグればいいかと・・・

32: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/11/30(木) 16:03:52 ID:NYIq79nX0
つまり信憑性は?ってことでしょ?

33: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/11/30(木) 16:13:21 ID:VwWwwi0F0
そういわれると生憎、信憑性は保障できない。
孫鍾が孫堅の祖父説もあるし・・・

後、『異苑』以外に『幽明録』、『宋書』の符瑞志などで孫鍾の名があり、
また晋の裴啓が著作した『裴子語林』にもその名があるらしい。

繰り返すが信憑性は別として・・・

68: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/03/02(金) 23:28:25 ID:eNXqlyvr0
孫権ママの実家の呉氏は江東の豪族らしいが、
結構な勢力があったんだろうか?

71: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/03/18(日) 10:54:09 ID:162yLwmk0
>>68
そこそこの勢力はあっていて、少なくとも孫家よりは上の立場だった。
だから呉氏の一族で2人の結婚に反対する者もいたらしい。

ただ、四大豪族には入っていない。

76: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/04/05(木) 09:35:45 ID:q/YSdW2Y0
>>71
四大豪族って何ですか?
今、「四大豪族 三国志」で検索してみたけど、でてこない

78: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/04/05(木) 22:30:44 ID:H9XH0T7U0
呉の四姓のこと。
陸氏:陸遜、陸抗など
顧氏:顧雍など
朱氏:朱治、朱然、朱桓など
張氏:張温など

二張(張昭、張紘)の二人は徐州出身なので違う。

79: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/04/05(木) 23:27:28 ID:OWD+w5i00
>>78
朱治・朱然は丹陽の人。

80: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/04/06(金) 03:16:54 ID:sX7+s7JB0
呉の四姓には二通りの説があるんだよ
有力なのは呉郡の4姓の方で、呉郡にいる4大豪族を意味する

>>78
から>>79の言ってるように朱治、朱然などを除いたものがそれ。

もう1つの説では、朱桓の代わりに朱治と朱然の家系が入り、
張温の代わりに二張の家系が入るんだけど、
こっちの説は漢文を見れば間違いだと分かる

ちなみに呉郡の四姓は呉郡の中の呉県の豪族だったから
正確には呉郡呉県の四姓だったと思われる

81: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/04/06(金) 03:22:32 ID:sX7+s7JB0
追伸
呉氏は呉県の出身
だから呉群呉県の中でも、上の四氏より下だったのかもしれないね

もっともこの呉の四姓ってのは、元から持っている影響力ではなく、
孫一族のもとでの活躍によって選ばれてたみたいだけど

88: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/04/13(金) 00:27:34 ID:r4NwAMLm0
江南方面はなぜか後漢の三公や要職の一族が多かったんだっけか
赤壁の戦いの際の魯粛の「我らは官位をもらえるがあなたは平民に落ちる」ってのは呉の豪族と孫氏の家柄の差をあらわしてるらしいな
もっとも魯粛自身はたいした家柄じゃないらしいけど
でも六兆時代以前は江南って未開の荒地だったんだよな

89: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/04/13(金) 00:42:56 ID:eY3v/IkHO
>>88
未開の荒野は言い過ぎっしょ
開拓の余地がかなりあったのは確かだろけど

99: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/05/05(土) 02:09:34 ID:JtKtC5de0
>>88
魯粛の有名な発言だけど、
これって
「曹操に降参しても、『汝を封じて呉王となす』とか言ってもらえて、下に周瑜やオレ
呉の豪族がいたまんまの半独立の状態だとおもっとったら大間違いだぞコラ!
豪族もオレもみんな中央エリートコースか、各郡の太守にしてもらって
オマエなんかのこと、あっという間に忘れてまうぞ」
という意味でもあるよね。

100: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/05/05(土) 22:17:21 ID:b0SNPmBT0
>>99 
赤壁で気張っておいた方が
降伏するにせよ条件が良くなるからやっとくのを薦めるよ、とも取れるな

90: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/04/13(金) 09:32:14 ID:+0uD+bDW0
孫氏は孫子の末裔でもなんでもない平民なのか?

93: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/04/20(金) 01:19:15 ID:JycOKfVL0
生まれが良かったら王叡も馬鹿にしなかったんだろうかね。

王 叡

王 叡(おう えい、? - 189年)は、中国後漢末期の政治家

187年、孫堅と共に零陵・桂陽の反乱を鎮圧した。王叡は以前から、孫堅の氏素性が定かではないことを理由に軽んじ、無礼な言葉を吐くことが多かった。



97: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/05/01(火) 23:30:48 ID:WqNyTz0RO
家柄で皇帝決めようとすると江南の貴族が揉めるからあえて卑賤の孫氏を立てて貴族たちが平等に協力しあうという絶妙なバランスで呉は成り立っていた気がする
そう考えると孫権の晩年や孫晧の暴君ぶりは単純なものじゃなく独裁体制を作りたい孫氏と既得権益を守りたい貴族との熾烈な争いだったのかも

98: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/05/02(水) 18:38:15 ID:o0BR+AGv0
ってかそれでFAだろ>熾烈な争い

孫権は、単純に豪族を疎んじていたのではなくて愛憎半ばというか
情と利益の板ばさみになって苦しんでいたんじゃなかろうかと考える方が好みだけどな。
陸抗への扱いとか

101: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/05/09(水) 14:30:17 ID:X+jNl1700
ちょっとここらで閑話休題。
個人的に格好良いと思った、孫権のエピソードを

徐盛の偽城に騙された曹丕が撤退した後の話。

占師・趙達「今、曹丕には打ち勝てました。しかし、いずれ呉は滅びましょう」
呉主・孫権「それは何時の事だ」
占師・趙達「五十八年後になります」

呉主・孫権「余は自ら成すべき事だけを考えている。手が届かぬ先の事は、子等が考えれば良い」

それから五十七年後、孫皓の御世に呉は滅んだ。

103: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/05/18(金) 08:44:57 ID:aLTo8uEb0
>>101
それは本当?

107: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/05/21(月) 23:08:32 ID:L97AAhLk0
>>103
呉書・趙達伝に載ってる。

114: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/06/12(火) 19:33:27 ID:JJxV70KE0
>>101 
何で魏や蜀が滅びる年を予言しなかったんだ趙達や呉範は。
他にも江南にはやたら占い師がいる癖に

115: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/06/18(月) 02:08:35 ID:gBU9Q/iR0
>>114
孫権相手だと、阿諛追従と取られると首が飛ぶ。
孫皓相手だと、出世の道具になったようだが。

104: こんな名無しでは、どうしようもないよ。 投稿日:2007/05/19(土) 06:38:13 ID:UVYYAq8m0
孫権は酒乱の気があったと聞きますね。
赤壁の戦いの前、孔明が説得に行って参戦を決断した際「これより異を唱える者は
かくのごとく斬って捨てるぞ!」と剣で机を叩き切ったあたりは気性の激しさを
垣間見せてる。

105: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/05/20(日) 10:37:15 ID:1AZpvvTM0
どの主君も気性の激しさはあると思う。
酒に溺れたのは他に較べてストレスがたまっていたんだろう。
それでも曹操や劉備よりも長生きしたし

106: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/05/21(月) 17:50:05 ID:wpgDuemV0
孫権は、呉を守ることだけ考えていたわけで。
こいつが積極的に軍事行動をしてれば孔明も天下統一近かったのに。

109: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/05/31(木) 01:42:02 ID:ZQRkAVs2O
>>106
ヒント:山越

孫策の代から手を焼いていて、孫権自身も異民族がいなければ天下を伺えたのにと嘆いているから、外征したい意志はあった
ただ周瑜、魯粛達重鎮の急死や、発言力の強い地元豪族も上手くコントロールしないといけなかったりと、足場を固めるのに非常に難儀してる為に、なかなか軍を動かせなかったんじゃ

その上、たまに合肥攻めに行ったら負けるし。

110: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/05/31(木) 04:40:09 ID:8Gmwm2w80
むしろ異民族討伐や防衛戦にばっかり強い武将しかいなかったのが問題なんじゃねえの。
騎兵隊を用いるのに長けた奴とかいなかったんかね

111: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/05/31(木) 14:53:27 ID:c0mYe7Q+0
>>110
呉には軍馬の生産地は無い。
呉軍の騎馬はすべて輸入でそれゆえに騎兵は少数しかなかった。

112: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/06/08(金) 12:47:40 ID:xOb+fWBfO
虎や象にでも乗って進軍すれば良かったのに

113: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/06/12(火) 16:15:44 ID:6SppuRb40
>>112
それなんて孟獲?

116: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/06/18(月) 22:20:39 ID:XcMInDbq0
孫権からしたら魏や蜀なんかよりも地元の異民族とか味方連中の方が
よっぽど始末が悪い存在だったからな。
例えば、張昭だったり、張昭だったり、張昭だったり。

117: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/06/19(火) 17:35:44 ID:GYuSTvCF0
大嫌いだった張昭、2chスレッドのおかげで 彼こそ真の忠臣の一人だと思うようになったな。
考えている事と行動と発言が一致している人間は貴重だ。

118: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/06/19(火) 19:51:30 ID:ZL74D1NN0
忠臣かな?
まずは自分らの権益守ろうとする江南の貴族の典型だと思うんだが
赤壁の降伏論とかもろに

119: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/06/19(火) 20:08:27 ID:6yY0ptuP0
>>118
おいおい、張昭は江北の人ですよ。

122: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/06/20(水) 23:47:46 ID:kQ+2Gy470
張昭は大抵の創作物でも忠臣として苦言を呈しているって人物像ばかりだから
敢えて二心を持った怪人物だとして考察を進めてみるのも面白いかもな。
まあそうだとしたら段取りというか要領悪過ぎるけど

126: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/06/21(木) 18:59:50 ID:QeS0/ibi0
あの時点で降伏していても張魯とかの例をみても孫権がそれなりに優遇されてた筈
だから保身だけで言ってたわけでもなかろう。
勝つための具体的な方策もってたの周喩くらいだろ。

127: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/06/22(金) 02:03:40 ID:sK2XTSfe0
当時の孫権を張魯と比べるのは無理がありすぎる
張魯は降伏時に巨大宗教勢力の主で人望もあったが当時の孫権は兄が拡大した勢力をなんとか守ってるという感じだし

128: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/06/22(金) 03:34:56 ID:OX+FzEdc0
でも金持ちやら名士やらが何故かわらわらとくっ付いていたね。
何故かって孫策らが尽力していた結果だけど

曹操からしたら あんな若造がどっさりお宝かかえてるぜ ちょろっと嚇かしてやっか
みたいにでも考えてたんだろうかな

181: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/01/24(木) 14:06:14 ID:BfEtrd+c0
>>128
逆だ
孫策がズタズタにした豪族との外交関係を孫権が8年かけて修復したんだわ
だから荊州侵攻が遅れに遅れて赤壁前になっても勢力伸張がほとんどできなかった

196: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2009/05/15(金) 14:30:23 ID:hkFPKyxT0
孫策と呉の四姓の関係についていえば、間違いなく陸績は
孫策生存中に出仕してるわけで、着実に和解は進んでいた
(孫家の力を有力豪族も認めざるを得なくなっていた)のでは。

134: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/08/15(水) 21:05:31 ID:I6E1jQZQO
孫策が生きてたら豪族と対立しまくって終わりかな

135: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/08/20(月) 15:31:55 ID:idZzHRC60
あまり儒教を重要視しなかったりと現実主義者な反面
占い師や仙人を重宝した孫権様

136: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/08/25(土) 11:21:32 ID:zDNiJtAX0
孫権は、行と草書に優れていた。孫晧も詩文や書を
文学人から評価されていた。 意外に文もあったんだな。権。

張昭は呉では周昭、歩シツを超える最強の名声を誇る人間。ただの
保身てわけではないと思う。

孫権もその後はヤバくなるとあっさり魏に"ごめんなさい臣従します"
してるしな。 状況から一旦臣下の礼をとるってのも選択肢。 

あの地点で孫権の官位は低いし一旦臣従しても曹操にはまだ敵が残ってる
から高い官位もらってから名分を得るってのも戦略としては有り得る。

降伏論者皆、北出身名士ばかりだし今はそこら辺の意識もあるのかも。

期待した息子や娘、信頼した部下が自分より先にどんどん死んでいく
状況だと精神的ダメージを考えるとしかたないのかもしれないなぁ。

138: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/09/22(土) 00:06:35 ID:AtX0y4YA0
孫堅の頃の江東って、山越も跋扈していたようだし、
基本的には都市の連合体のような感じの地域だったのかな?

139: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/09/23(日) 13:04:56 ID:PxxlynvS0
開拓時代って雰囲気が色濃く残っていたと思うよ、この時期の江南は

140: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/09/24(月) 19:18:09 ID:9XPov0AW0
原住民も侵攻してくるしな

141: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/09/30(日) 12:38:42 ID:hlfAe/gw0
山越って、春秋時代の越の国の末裔なんじゃないの?

143: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/10/03(水) 22:48:05 ID:b0LEyqGi0
普通に趙佗一派の流れじゃないの。春秋とか言い出すとほとんどがその
地域の末裔とかに該当するぞ。

このスレで言うのもなんだけど孫伯符てすげぇみたいなトコあるけどどう
なんでしょ。 俺は彼のそこまでの評価がよくわからない・・
後々の時代彼の名前が出る時だって”孫策の輩(所詮一発屋野郎)”みたいな
侮蔑ぽい引用されてるしさ。

若くしてって所はすごいと思うけど、0状態から勢力築いたのは三国時代
だけでも袁紹ら多く居るし。

対戦面でも、兵隊不足とはいえ下したは劉ヨウ、王郎等軍事面ではさほどと
いう面々。
格上の劉表を同じ勢いで下すことはできず、黄祖にもガチで勝利が実質でき
なかった。 陳登戦はよくわからん。

そこまですごい武将なのかなぁ。無論すぐれた人物だとは思うけど。
殺戮を好む性質もあったみたいだし、"かなり"小型の霍去病つーか
格上と戦うと勝てない And 敗死、滅亡て匂いがする。
呂蒙らみたいなのは別として仮にケイ州とか新規領土獲得してもそこの
士大夫を取り込めるタイプじゃないと思うし。
彼ってそこまでの武将かな・・ 

146: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/10/12(金) 13:43:54 ID:EVrfDCu90
>>143 
立ちはだかる相手は力ずくでも排除する、って感じだね。
父と同じく。 仲間や人々からは慕われていたけど、潜在的な敵も作ってしまう人物。

147: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/10/12(金) 17:15:42 ID:oN1JHw/t0
確かに父・文台と比べるとどうしても軍事的には小物である印象が否めないな

148: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/10/13(土) 00:02:25 ID:+XShdSmT0
小覇王なんて呼ばれているが、
歴史上の敗北者である項羽をそのままスケールダウンしたような奴って意味だし。
軍事上の実績も、その後の孫権の大幅な版図拡大と領土維持の功績に比べたらなぁ。

150: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/10/13(土) 22:46:48 ID:lzQp1JYI0
>>148
水滸伝の小覇王、周通よりずっとスケールは大きい。





あまり慰めにならんかw

151: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/10/14(日) 22:35:13 ID:67U8nodM0
周通が小覇王を名乗っているのって、孫策に対する嫌がらせとしか思えんw

158: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/11/26(月) 18:51:59 ID:96TqHD910
孫権や孫策の書状で読めるものってありませんか?

159: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/11/30(金) 20:27:46 ID:EXMcMnmc0
>>158
ありません。棋譜なら残っているんですけどねえ。

161: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/12/30(日) 00:50:54 ID:ZlB4cn200
>>158
中国の書状は、宋代のものでも大変に貴重とされているから、
三国時代のものだとなおさら。

紙だって、まだ本格的な普及途上だったんだし。

183: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/02/24(日) 11:03:23 ID:BvTj3Gm2O
孫権って戦下手だよね?

俺の勝手なイメージだけど

184: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/02/24(日) 12:18:27 ID:8vrXC9SS0
陣立ては曹操に褒められた。
個人の武勇は張遼の目に留まった。
頭ももちろん悪くない。
問題は前線での粘り強さがないってことだなぁ。

185: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/02/25(月) 14:55:54 ID:CtCdWv6S0
>>184
損害出そうになったら即座に帰るという問題点が
博打はそれじゃあ勝てないよな、負けもしないけど

190: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/10/13(月) 10:42:45 ID:P+IFIF/aO
>>185
なんか劉邦みたいだな


引用元: ・【孫堅】 孫権 【孫策・孫乾】




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