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1: 世界@名無史さん 04/08/08 05:58
ロシアの英雄アレクサンドルが800の軍勢で5000のスェーデン軍を破ったネヴァ川の戦いなどを語ってください。








15: 世界@名無史さん 04/08/08 18:15
ピサロがたった200人たらずの兵でインカ帝国を征服した戦い。

19: 山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM 04/08/08 18:35
1228年の大昌原の戦いでスブタイ率いるモンゴル軍8000人を400人の兵で打ち破ったという完顔陳和尚というのもおりましたね。
まあこの手の話はどこまで信用してよいのか分かりませんが。

23: 世界@名無史さん 04/08/08 21:02
第二次ウィーン攻囲のポーランド軍なんか桶狭間の信長軍に似ているかも

24: 世界@名無史さん 04/08/08 21:27
世界史板で少数が多数を、と言ったら
ハンニバルのカンネーの戦いでしょうな

28: 世界@名無史さん 04/08/08 23:53
色々あるけど、一番凄いのは、スペインのピサロとインカ軍の対決ではないかと。
記録によると150人対数万でしょう。
項羽の最後も凄いけど、ちょっと司馬遷の贔屓の脚色があるかも。四面楚歌の例えようもない名文、名場面を読むとね。
日本史では第2次長州征伐が凄いかと15万対4千人でしょ。
あの時期に15万の大軍を送れる幕府って、腐っても鯛とはよく言ったものだなあ、と感心すると同時に、やはり腐った鯛は駄目なんだなんて、何とも言えない矛盾した感動があったなあ。

40: 世界@名無史さん 04/08/10 20:10
ちょっと違うかも知れないけど、義和団と8カ国連合軍の戦いなんてどう?
一応少数VS多数でしょう。
やはり、近代軍隊と拳法が頼みの軍隊(?)では、例えが悪すぎるかな?

170: 世界@名無史さん 04/10/27 04:01:36
嬰陽王高元や泉蓋蘇文の高句麗も凄そう。 
第1回の遠征(611)には、113万の軍勢を率いた隋を撃退している。 
唐に入ってからも李世民や李勣らと激闘を繰り返した。 
668年に力尽きるまで戦い続けたのは、国力差を考えれば凄いの一言。 

175: 世界@名無史さん 04/10/27 12:39:04
>>170
彼の国は誇張が酷すぎるるからなぁ。
113万の軍勢といっても実際は5,6万の動員と見るのが妥当だろうな(恐らく5,6万でも餓えたはず)
実際に戦闘したのは5000もいるのか?


194: 世界@名無史さん 04/10/31 15:14:22
>>175
戦闘員で113万と記載されている。輸送兵はそれ以外に統計が記載されている。
多分、本当に100万人近く出したと思われ。兵員の士気が低かったのはそうかもしれない。

51: 世界@名無史さん 04/08/11 03:59
破っちゃいないけどいちお戦術目標を成功させたってことでテルモピュライの戦い。

レオニダス王率いるギリシャ軍7000は数で劣るも、クルセクセス王率いるベルシャ軍30万を翻弄するが内通者によって危機的状況に陥る。
そこでレオニダス王はギリシャ軍本隊を逃がすため、スパルタ軍300を率いてペルシャ軍に立ちふさがる。
レオニダス王とスパルタ軍は奮戦しペルシャ軍を三日間にわたり食い止め、ギリシャ軍本隊は撤退に成功をさせたがレオニダス王以下スパルタ軍は全員戦死。

57: 世界@名無史さん 04/08/11 23:43
んじゃ、私はナルヴァの戦いを上げておこう。 
ポーランド軍、デンマーク軍、ロシア軍に連戦するカール12世スゲー。 

スェーデン人はポルノだけじゃない。 
グスタフ=アドルフとかもいるし。


56: 世界@名無史さん 04/08/11 19:35
アルベラの戦い。ペルシア軍100万ってのは大げさとしても20万くらいはいたでしょ

62: 世界@名無史さん 04/08/12 11:58
義経は常に小勢で戦っているよな。

66: 山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM 04/08/13 00:23
>>62
一の谷や壇ノ浦はそうでもありませんし、屋島でも水軍が期待出来なければああいう行動はとれなかったかと。軍才が無かったとは言えませんが。
余談ながら、平家が陸戦に弱かったとか源氏が海戦に弱かったとかいうのは俗説です。そもそも源平とか東西で見る事自体が正確ではありませんが。
ところで、ベリサリウスはどうでしょう。

フラウィウス・ベリサリウス(500年/505年 - 565年)は、東ローマ帝国の将軍。その用兵の才のため、歴史家エドワード・ギボンは彼を「大スキピオの再来」と評した。

常に寡兵をもって勝利を収めてきたベリサリウスは東ローマ帝国最高の名将と言っても過言ではない。強固な防御陣地、従来は主力とされてきた重装歩兵などを囮にすることで自らに有利な戦場へと巧みに敵を誘導し、騎兵によって撃破するという戦術は、その後の東ローマ帝国の将星やナポレオンの戦術にも多大な影響を与えた。また「間接アプローチ」の提唱者である20世紀の著名な軍事史家リデル・ハートは、彼の「用兵の才」を賞賛している。


74: 例のにゃあにゃあ 04/08/14 00:28
>>66
ベリサリウスで探したら、たくさん出てきそうだニャ。
リデル・ハートが「歴史上比類に絶する」とか大絶賛してたし。
ペルシア相手のダラス戦役だと、ペルシア4万に対してベリサリウス約2万。
アフリカ戦ではヴァンダル10万に対して、1万5千。
エルサレム戦役ではペルシア20万に対して、約1万。
イタリア戦役だと、ゴート15万に対して、1万。
一つの会戦じゃなくて一つの戦役での兵力だけど、これだけ差があって全部で勝利するってけっこうすごい。
リデル・ハートの記述を信じるなら、相手に心理戦を仕掛けて不利な条件で攻撃させるとか、戦わずして退却に追い込むとか、なんか「ペテン師!」と呼びたくなるような戦いが多い。

75: 世界@名無史さん 04/08/14 00:37
>>74
ペルシアは諸民族の糾合軍だったし、ゴートはお家騒動で相当ゴタゴタしていたようですし、戦意と指揮系統という点ではローマ側に分があったのは確かなんでしょうけれど、やはり凄いです。しかも徒手空拳で派遣されても勝っちゃうし。
個人的には恐妻家なんだけど、絶妙なカップルといわざるを得ない
奥さんに目が行ってしまいますが。

76: 例のにゃあにゃあ 04/08/14 18:32
>>75
我が輩はベリサリウスというとこの絵のイメージが強いニャ。
ギボンの本でも紹介されてる、目をくり抜かれて乞食になった、とかいう伝説を絵にしたもの。
あれだけ皇帝に尽くしてこれかよ、って感じ。

David_-_Belisarius



82: 山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM 04/08/14 23:21
有能で英雄的な生涯なのに、いまいち影が薄いのは何故でしょうか。
もう少しアクの強い人間の方が良かった?
才能が少々欠けていても、悪党ならそれだけで有名になれる。

83: 世界@名無史さん 04/08/14 23:53
>>82
彼がアクの強い人物だったら、このような功績は残せなかったでしょう。
その前にユスティニアヌスに粛清されてますよ、きっと。
愚直に命令に従い続けたから、兵権を取り上げられるだけで処分が済んだんだと思います。
英雄が持つ悪の部分は奥さんが担当していたという事で。(笑)

84: 山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM 04/08/15 00:42
・・・悲劇的以前に「損な人」という印象が強くなりますねえ。
イメージが有能な将軍というよりは愚直なサラリーマン。
(「サラリー」はローマ起源らしいからある意味正しいか。)

94: 世界@名無史さん 04/09/09 00:06
金の使節団を南宋の歩兵が捕らえようとした時に、14対2000という兵力差にも関わらず金の弓騎兵が歩兵を翻弄し、壊走させて勝った事が有ったな。

95: 世界@名無史さん 04/09/09 00:16
宋兵弱すぎw

101: 自転車小僧 ◆IBmI/K76EY 04/09/14 22:56:52
キューバ革命はどうよ?
82人で始めて最終的にはバティスタ政権を崩壊させると言うのは結構すごいと思うが。

104: Cipher 04/09/15 15:43:48
泗川の戦いはどーよ。
1万で明軍20万を撃破!!(実数は3~4万だろうが)

世界史の範疇にも入ると思うが。

107: 世界@名無史さん 04/09/22 13:24:38
戦いと言うには小規模過ぎるが、WW2のドイツ軍のシュライネンは一人(しかも歩兵)で戦車30両とガチでやって勝っている。

108: 世界@名無史さん 04/09/23 16:18:20
>>107
こいつは本当に人間ですか?

110: 世界@名無史さん 04/09/23 18:13:57
6月26日、ソ連軍の戦車部隊が跨乗兵を乗車させて前線を突破し、戦闘団の第27SS戦車猟兵大隊第3中隊の陣地へ殺到した。ここでレミ・シュライネンSS一等兵は対戦車砲によりT34を6両を撃破して、敵を食い止めることができた。
4日後に再び敵の攻勢が発起された時、すでにシュライネンを除いて彼の分隊は全員死傷しており、彼は撤退命令が出ているにもかかわらず、その場に踏みとどまってたった一人で照準・装填を行って砲撃を続けた。
しばらくしてソ連軍の歩兵部隊の大軍が押し寄せて来て絶体絶命となったが、海軍出身の無線手が死ぬ直前に味方砲兵へ自軍陣地への砲撃を依頼していたため、敵歩兵部隊は壊滅状態に陥った。しかしながら、その後方から敵は新型JS戦車を含む戦車30両が続いており、ここにシュライネンとの劇的な一騎打ちが行われた。
ここでもシュライネンの神業的砲撃が勝り、JS戦車4両とT34 4両が撃破されたが、最後のJS戦車は彼の対戦車砲の僅か30m手前で討ち取られたものであった。彼は敵の砲撃で負傷して倒れたものの、その後の味方の反撃により擲弾兵の手で救い出された。

123: 世界@名無史さん 04/09/25 15:33:40
竹中半兵衛は数人で稲葉山城を占領しちゃったんじゃなかったっけ

124: 世界@名無史さん 04/09/25 16:28:05
それは戦いというよりクーデターだな

125: 世界@名無史さん 04/09/25 18:36:59
アレクサンドロスの名前が出てないな。
イッソスの戦いなんかは、騎兵と重装歩兵の有機的連携で大軍を破ってるが。

151: 世界@名無史さん 04/10/25 21:48:41
僅かな戦力差で負けたのを見ると同情するするが、インカ帝国滅亡とか、圧倒的戦力を持ちながら負けたのを見ると情けなくて同情する気もなくなるわな。

152: 永遠の青 ◆pkFA3D428. 04/10/25 22:23:36
>>151
インカ滅亡の時は、全戦力を投入できたわけじゃなくて、帝位継承争い、地方反乱などで内部がガタガタでした。また、戦争文化の違いもあって、アンデスの辺の連中は農作業のために勝手に戦線離脱しちゃったり、戦争中でも絶対夜は寝るから夜襲も警戒も無しというのどかな戦争やるのが普通だったそうです。
だから、数は多くても圧倒的戦力とは言いがたかったのが実情です。

362: 世界@名無史さん 05/01/08 05:52:46
>>152
1525年に、ワイナ・カパック王が後継者未決定で死去。
そのため息子のワスカルとアタワルパは王位継承をめぐって対立、帝国は分裂していた。
1932年、アタワルパがワスカルを捕らえたちょうどその年に、優れた軍事的才能があったと考えられるピサロが来たんだ。

インカ帝国としては、史上もっとも悪いタイミングに、20年も新大陸を探検(虐殺&略奪)をしていた、絶好調のピサロ率いる180人の精鋭が国家ごと略奪するための騙まし討ちだもの。

合戦や戦場での戦闘とは若干違うんじゃ?
でもスレタイ見てまっさきに思い浮かぶのはこれだね。

166: 永遠の青 ◆pkFA3D428. 04/10/27 01:46:47
>>362
それをあげて良いなら、36人で100人以上の匈奴使節団を襲って殺し、同じく36人でホータンを屈服させ、五カ国連合軍五万や大月氏七万の大軍を小勢で撃破した班超もその資格はありますね。
あと、七千で三万のインド軍を破った王玄策も少数で大軍を破ったと言って良いですね。

158: 世界@名無史さん 04/10/26 15:15:42
昆陽の戦い

漢を再興した光武帝は三千の兵で百万の敵を打ち破った。

226: 世界@名無史さん 04/11/02 17:38:48
>>158

>漢を再興した光武帝は三千の兵で百万の敵を打ち破った。

すげーな

255: 世界@名無史さん 04/11/14 03:17:00
>>226
昆陽の戦いは本当のところ50万VS三千だったそうだが

それでもすごいな光武・・・ 聖皇といわれるだけある。

256: 世界@名無史さん 04/11/15 22:32:46
>>255
どうやって勝利したんだろう

271: 世界@名無史さん 04/11/25 02:15:38
少数の部隊で、包囲軍を掻い潜り城を脱出して、周辺の城から友軍を集めて来て、包囲軍の外側から攻撃を仕掛けたんですよ。
そこに城内の軍も呼応して城門を開けて打って出て、新軍が大混乱して敗走です。

162: 世界@名無史さん 04/10/26 19:37:57
明代、南海大遠征の時、鄭和がスリランカでセイロン王に謁見した際、王の謀略で5万の大軍に包囲され、鄭和がたった20人の手勢で王宮に乱入し王を人質にしたまま手出しの出来ない大軍のど真ん中を通って港まで引き返し、セイロン王を北京まで連行した話はまだ出てませんね。


163: 世界@名無史さん 04/10/26 20:24:05
中国の史書って、そういうのは大抵十倍くらいに誇張しているから・・・
実際は五千くらい?
それでもたいしたものだw

167: 世界@名無史さん 04/10/27 01:55:41
宮崎正勝著の『鄭和の南海大遠征―永楽帝の世界秩序再編―』によると

1411年(永楽九年)セイロン島に寄航した鄭和一行に対しセイロン王アラガクコナールは金銀財宝を献上すると偽り鄭和を誘き寄せ、約5万の軍勢をもって停泊中の艦隊を攻撃しようとした。王宮に向かう途中でそれを察知した鄭和は急いで停泊港に引き返そうとしたが既に退路はセイロン王の軍勢によって断たれていた。
そこで鄭和はわずかな手勢を率いて王宮に侵入、王や王妃ら王族を捕らえ首に短剣を突きつけながら包囲する軍勢の中を港までとって返した。
王を人質にとられた軍勢は総崩れになりなす術も無くただ呆然と見守るだけだった。
翌年、泉州に帰着した鄭和は北京の永楽帝に戦果を報告し永楽帝は鄭和をはじめとする士卒に戦勝の褒美を与え、セイロン王に帰国を許した。
その後、セイロンでは王族で賢者の誉れが高かったパラク・カーマ・ボフ6世が王位を継ぎ明帝国に対し朝貢とインド洋貿易に関して明に有利な利権を結んだ。

172: 世界@名無史さん 04/10/27 11:58:01
世界でもっとも有名なのはカンネ会戦だろ。
ハン二バルによる騎兵戦力による両翼包囲と伏兵による背後からの強襲、敵主力を非戦力化しての包囲殲滅戦。

ハンニバル:カルタゴ軍(歩兵4万名、騎兵1万名) VS 執政官ワロとパウルス率いるローマ軍(歩兵8万名、騎兵6千名)

カルタゴ軍は6千の損失(主な損失はガリア傭兵、ハンニバル子飼いの精鋭はほぼ無傷)
ローマ、ローマ同盟軍の戦死者は合わせて5万以上


173: 世界@名無史さん 04/10/27 12:08:18
戦術的にはカンネーは満点だが、戦略的にはローマの粘り勝ちというのが凄いところだな。

174: 世界@名無史さん 04/10/27 12:25:23
粘り勝ちというか、カルタゴはハンニバル1人。
ローマはハン二バルには劣るが、堅実な将官と作戦を立案した元老院が機能したからな。

実際カンネ以降1度も半島内でハンニバルとは会戦をやろうとはせず、補給路と後背地を絶って戦略的に地中海全域に包囲網をひいたからな。

結局ハン二バルは1度も負ける事無くイタリアから撤退するわけだ。

179: 世界@名無史さん 04/10/28 23:14:34
赤壁の戦い

13万対4万?

181: 世界@名無史さん 04/10/29 12:50:51
赤壁はようわからんな。
魏はたいしたダメージ食らってないようだし、将クラスの死者も0だしな。

182: 世界@名無史さん 04/10/29 13:52:41
魏軍は疫病に悩まされてたそうだから

183: 世界@名無史さん 04/10/29 16:54:48
疫病に悩まされている所に、船やかれたから引き返したってだよな。
刑州の劉氏を併呑したわけだし、目的は達している

184: 世界@名無史さん 04/10/29 22:35:23
そうか? 赤壁に勝っていれば統一は目前だったわけだから痛いぞ。
後に関羽に悩まされることも無かっただろうし。

197: 世界@名無史さん 04/10/31 19:52:11
司馬仲達VS公孫淵

30万の兵力で公孫淵軍100万を一年で鎮圧した。

199: 世界@名無史さん 04/10/31 21:24:29
司馬仲達VS公孫淵

翻訳:3万の兵で公孫淵軍1万を一年で鎮圧した

200: 世界@名無史さん 04/10/31 21:59:56
古代の戦いは数万が限度です。それ以上は絶対に無い。
国民徴兵制のナポレオンでさえ10万超えるかこえないかだ。
だいたい兵站はどうするんだ。一箇所に100万も集めて1日の食料どっからどうやって集めてくるんだ。新潟地震の食料集荷の比じゃないぞ。
現地調達なんてしても間に合わない量だ。

だいたい古代の軍勢の数なんて正確に数えれるわけが無いんだよ。
100万の軍勢→8万
5万の軍勢→5千

がだいたいあってる。

201: 世界@名無史さん 04/10/31 22:22:05
中国フィルター掛けると
100万の軍勢→5万
5万の軍勢→3千

202: 世界@名無史さん 04/10/31 23:43:17
古代ローマは自軍の数についてはほぼ完全だがなw

211: 世界@名無史さん 04/11/01 16:32:47
>>202
ガリア遠征ではカエサルが自分の功績を誇張するため敵の兵数を誇張し、自分の兵数を少なく報告してる。

だいたい戦争ってのはどこもそう。

ナポレオンがアレシアの戦いを研究してあれは6万が限界だろうと言ってる。
兵站や人口考えても古代に10万超えるなんて軍隊は無理。

225: 世界@名無史さん 04/11/02 17:25:43
>>211
>ガリア遠征ではカエサルが自分の功績を誇張するため敵の兵数を誇張し、自分の兵数を少なく報告してる。

自分の兵数に関しては、運用した軍団数と1軍団あたりの兵数が決まってるから、だいたい正確ってことでは。
欠員分をどう表現するかもあるが、誇張ってことはそれほどないよーな。

相手の戦力はなんともいえん。
ただ、あれは超大掛かりなゲリラだから、人口から考えると無理かもしれないが、実は思ったより兵站は無理ではなかったりする。

204: 世界@名無史さん 04/11/01 02:31:52
中国ではなぜか負けた国の兵力が異常に強大。
春秋戦国時代なんて各国が100万近くの軍事力を誇ってるしな。
でも当然といえば当然。
あの国の歴史は勝者側の国選歴史家に書かせるわけだが、武勇伝には尾ひれが付きものだ。

207: 世界@名無史さん 04/11/01 10:16:52
なんかよく覚えてないが、中国である兄弟が率いた少数の軍勢で60万近い大軍を破ったって話聞いたことある
宋の時代あたりだったかな

209: 世界@名無史さん 04/11/01 14:36:47
60万は水増しすぎだが、呉兄弟のことか。

ところで兄弟で思い出した。
春秋時代の済の華周・杞梁兄弟は従者一人を合わせた三人で敵地に攻め込み、三人だけで迎撃軍を撃破し続けて本拠地まで迫った。
最後は堅固な城門に突撃して、それを突破したところで休戦。
それこそ敵兵をちぎっては投げちぎっては投げの大活躍だったそうだ。
人類史上、少数で大軍をやぶった輝けるNO1は文句なしにこれだな。

227: 世界@名無史さん 04/11/02 18:22:07
中国の数字は当てにならん

228: 山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM 04/11/02 23:42:19
中世だと、日欧ともに数字が大袈裟過ぎますね。相手の戦死者数千人に対して味方は数人という例が、『中世の秋』でも紹介されていましたが。
十字軍は三万五千人が二十倍に膨れ上がるし、日本でも承久の乱の十九万騎とか、文永の役の十三万八千とか言われているものの、あてになりません。
文永の役で一万人、弘安の役で二万人(+援軍)程度だったでしょう。
以前『太平記』の動員数(時に百万を超える)を鵜呑みにしている人とやり取りをした時には参りました。一般向けの本にすら誇張と書いてあるのですが。

229: 山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM 04/11/02 23:53:54
古代の例も少々。白村江の戦いで日本側が動員したのが二万七千人。
藤原広嗣の乱で広嗣が九州中から動員したのが一万人で、朝廷が動かしたのが一万七千人。こちらも合せて二万七千人。同数というのが解せませんが、案外何か理由があったのかもしれません。
当時の日本の総人口は500~600万人ほどと言われているので、実に日本人全体の二百人に一人が参加させられた計算になります。もっとも13世紀以降気候の寒冷化の進んでいた鎌倉時代の人口も同程度まで落ち込んでいたのではないか、という説もあるのですが。
1230年には、新暦七月頃に美濃や武蔵で雪が降りましたからね。
極端な例ですが、その後には『方丈記』の描写した様な飢饉がありました。
なお寒冷化は15世紀半ばにピークに達し、16世紀末に回復します。
10世紀にも一時落ち込んでおり、964年には旧暦9月15日(今年は10月28日)に京都で積雪が観測されていました。
(・・・途中からわき道に逸れてしまった。)

引用元: ・少数で大軍を破った戦い



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