51YFDG6H00L



1: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/10/26(木) 13:43:58 ID:w0u6UrQP0
中国の歴史上で唯一の女性皇帝にして、美貌と実力を兼ね備えた最強の女傑である武則天について語りましょう。










A_Tang_Dynasty_Empress_Wu_Zetian


武 則天

武 則天(ぶ そくてん)は、中国史上唯一の女帝。唐の高宗の皇后となり、後に唐に代わり武周朝を建てた。

後世において、武則天の政治経歴や治世に対する評価は否定的である。簒奪を計画し失敗した韋后と並べ武韋の禍と呼ばれるため、負のイメージで語られることが多い。しかし漢の武帝と共に「不明というべからず」と表現した宋代の洪邁や、「女中英主」と評価した清代の趙翼のような例外も存在する。

現在の武則天の評価は、施政した時代に浮戸や逃戸が増大し、また田籍の把握が等閑になって隠田の増加と均田制の実施困難を招いた点などから、否定的な評価が下されている。 だが長年の課題であった高句麗を滅ぼし、彼女が権力を握っている間には農民反乱は一度も起きておらず、民衆の生活は安定していたとされる。また彼女の人材登用能力は後の歴史家も認めざるをえないほどに優れていたことは事実である。





2: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/10/26(木) 13:50:46 ID:w0u6UrQP0
唯一の女性皇帝であることに加え、高宗の皇后時代や皇太后時代を比べると、実質的に半世紀も中国を統治し、朝廷内の政争はともかく、内政外交共に、ほとんど乱れがないばかりか、唐朝の版図も最大規模に拡大。
皇帝、政治家としても超一流の部類に入れてもいいと思います。

3: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/10/26(木) 16:33:14 ID:V3dQq19u0
政敵粛清に酷吏を用いて、後に用済みになるとそれらも粛清して自分に泥が被らない様にした。
粛清テクニックはスターリンにも劣らない。

6: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/10/28(土) 10:35:51 ID:BavDBui30
>>3
酷吏を用いた恐怖政治は、よく非難の的になるけど、あくまで政治に絡んだ人物を的にした、朝廷内の権力闘争であって、最下層の庶民には関係のない話。
民乱の類がほとんどないところを見ると、庶民には暮らしやすい時代だったんだと思う。

10: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/10/30(月) 21:37:58 ID:mh/yIKxh0
>>6
むしろ庶民にとっては武則天の密告政策は有難いものだった。
普段、自分らを搾取する悪徳地主や雲の上の存在の貴族を蹴落として上手くすれば褒美&官吏登用の道が開けた。

この人を小説化した原百代女史は手放しで賞賛していたよ。

11: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/10/30(月) 23:32:40 ID:eNAY3jyj0
それまで政権内を牛耳っていた関隴貴族集団を配して、格式の低い家から積極的に人材を採ったからね。

12: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/10/31(火) 14:54:32 ID:A+oh1Jup0
武則天時代に新たに登用された人材が、後の玄宗期の前半、唐の最盛期と言ってもよい開元の治を実現することになる。

13: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/11/06(月) 14:13:49 ID:V8MlL4X+0
その新たに登用された人材たちの、武則天個人への忠誠度はどれくらいだったのかな?

14: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/11/09(木) 14:20:53 ID:mV19FHeG0
>>13
武則天退位の際に泣いて別離を悲しんだ姚崇から、飽くまでも武則天政権を過渡的な物として冷静に見ていた狄仁傑と上下の幅が激しい。

4: よいどれみら某 ◆UnCmUnUn.U 投稿日:2006/10/26(木) 17:10:05 ID:NV7NKfnQ0
西のマリアテレジア、東の武則天。

23: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/11/15(水) 23:13:42 ID:3SWE8QAF0
>>4
>西のマリアテレジア、東の武則天。

これはマリア・テレジアに失礼だろう。
マリア・テレジアに唯一残酷な点があるとすれば、売春婦に鞭打ちの刑をくらわし、存在を許さなかったぐらい。
則天武后のように酷吏や酷刑に頼るブラックなことなど考えもせず、マリア・テレジアは啓蒙専制君主の一人として立派に国を治めている。

31: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/11/16(木) 23:22:22 ID:/owm887r0
>>23
残酷という点はともかく、立派に国を治めたという点じゃ、武則天はマリア・テレジア以上だよ。

34: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/11/17(金) 01:37:18 ID:CE2yYW7U0
武則天と比較対象できそうな人物は西洋じゃエカテリーナ2世じゃね?

35: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/11/17(金) 02:21:36 ID:f7iK5D2a0
エカテリーナ2世と武后はよく似ている。

だが武后のある一面のオリジナル性は世界に類を見ないもの。
中国人独特のものだ。西洋人はかなわんかもしれぬな。

7: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/10/29(日) 12:01:13 ID:26deI4230
でも、王皇后を失脚させるために、自分が腹を痛めて産んだ赤子を絞め殺すところが恐ろしい。

王皇后

王皇后(おう こうごう、? - 655年)は、中国の唐の高宗李治の廃后。

650年、王氏は皇后に立てられた。しかし子に恵まれず、蕭淑妃が高宗の寵愛を受け始めると、蕭淑妃一派との対立が深まって次第に権勢を失っていった。皇后の母方の祖父の柳奭の画策により、652年には劉夫人の子の李忠が皇太子となったものの、蕭淑妃による李素節を皇太子に立てようとする工作は続いた。皇后は苦肉の策として、武照(武則天)を自身の一派の宮女として召し出して高宗に近づけさせ、高宗と蕭淑妃との間を割こうと試みた。
結果、高宗の寵愛を蕭淑妃からそらし、追い落とすことには成功したが、武照が代わって寵愛を得ることとなり、自身を追いつめることになった。

655年、武照の娘を殺したという嫌疑を誣告され、媚蠱を行なったとの悪評も手伝って廃后とされ、庶民に落とされた。武照が代わって立后されると、罪を着せられ厳しい刑罰を科せられた後、刑死した。



8: よいどれみら某 ◆UnCmUnUn.U 投稿日:2006/10/29(日) 17:39:39 ID:zcSLopU+0
サバイバルだからねぇ。

いったん権力闘争にエントリーしちゃったらもーね。。。
呂后や西太后の例は極端だとしても敗者は、、、ガクブル

18: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/11/14(火) 19:54:41 ID:yxgR08jb0
独自の漢字もいくつか使ってたよな。
「圀」とか。
他にも武則天みたいに独自の漢字を作った皇帝っていたのかな?

20: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/11/15(水) 15:45:01 ID:3/3meLCVO
>>18
たしか三国時代の孫休も子供の名前用にオリジナルの漢字を作ってたはず

27: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/11/16(木) 20:57:09 ID:Z3wfjH4dO
孫休さんのは単に昔の字を組み合わせた感じだけど
則天文字は明/空とか一生とか哲学的?な雰囲気があって面白いね

19: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/11/14(火) 23:15:45 ID:YBw/bV9U0
ぶっちゃけ李世民より実力は上なんじゃないだろうか。
そういや、李世民は武則天にもちゃんと手はつけたんだろうか。

21: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/11/15(水) 22:46:31 ID:FGEe++Y80
武后といえば思い出されるのが永泰公主陵墓の壁画だ。
日本の高松塚古墳の壁画によく似ているという公主陵墓の壁画を思い浮かべる。
武后は章懐太子や永泰公主などに死を命じているね。
粛清の連続という恐怖政治だが、実の息子や孫娘を殺さなければいけない理由とは何だろう。

22: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/11/15(水) 22:53:02 ID:4OibmrCs0
肉親の情を捨てて政治家に徹していたんじゃないだろうか。

24: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/11/16(木) 01:24:58 ID:zctZD3M5O
李世民以来重要な役職を独占していた関隴集団を遠ざけ有能な人材を多数登用したのも武則天

32: 奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. 投稿日:2006/11/16(木) 23:26:50 ID:EexWbnFB0
為政者はブラックであれ残酷であれ、平穏に庶民を治めればいいんだよな。

40: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/11/21(火) 21:29:23 ID:OwOxPfgt0
武お嬢ちゃんの少女時代はどんな感じだったんだろう

41: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/11/21(火) 23:25:46 ID:k5PZRR0S0
母親は父の後妻、すでに成人した前妻の子(武后の異母兄)に侮られながら媚娘(武后)とその姉を育てた。
武后が赤ちゃんの頃、男の子の格好をさせて人相見に見せたら
「この子が女の子なら天下を取るだろうに、男児とは惜しい事」
と言われたらしい。

47: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/11/24(金) 23:44:36 ID:EGMyDZUi0
きりっとした感じの美人だったんだろうね。

48: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/11/25(土) 14:33:48 ID:6ELxZNZq0
現代ならばりばりのキャリアウーマン

49: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/11/26(日) 23:07:27 ID:aa83NeyM0
上司に武則天みたいな人がいたら、きついだろうねえ。
容赦ない命令が飛んで、無能と判断されたら則追放だろうなあ。

50: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/11/26(日) 23:08:13 ID:h9FmfRDt0
>>49
追放くらいならまだマシという気がw

53: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/12/02(土) 12:37:27 ID:Z5woXNIb0
原百代の小説に武后の若い頃はこんなじゃなかったかなーって感じで中国の女の子の写真が載ってた。
二重で目がパッチリしてて、彫りの深い顔立ち。
今の日本で言うとそこまで美人とは言えないが、可愛いとか健康美って感じだった。

54: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/12/03(日) 11:23:33 ID:C4DCga500
スタイルは唐代にもてはやされたグラマー系だったんだろうか

57: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/12/03(日) 19:05:44 ID:66zE3JW20
>>54
細いんじゃなかったっけ?
で、太宗の好みではなかった、と

72: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/01/24(水) 23:39:09 ID:1ZpCS/pH0
産んだばかりの赤ん坊を自ら絞め殺したって逸話は本当なのだろうか。

75: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/01/26(金) 22:43:30 ID:qzDO4Evy0
>>72
原百代の本じゃ、赤ん坊の面倒などをろくに見たことも無い皇后が、善意のつもりですっぽりと布団で包んだんで窒息死

自然死(乳児の突然死)

冬季であれば赤ん坊の部屋に暖房用として置かれた木炭火鉢による中毒死

って説があがってた。

83: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/02/01(木) 10:28:55 ID:7kSdqHe50
呂后と武則天の評価の違いって、結局、呂后の死後の漢の皇帝は、呂后の子孫ではなかった。
武則天の後の唐の皇帝は、武則天の子孫だった、って所から来てるんだろうね。

だから、呂后は、後世の歴史家から遠慮なく筆誅を加えられたが、唐は、皇帝の直接のお祖母様、曾祖母様である方をあまり貶めるわけもいかず、悪女・・・婦徳はなかったが、英主であった、と描くよりしかたなかったんだろうね。

まあ、俗説レベルですが。

86: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/02/03(土) 20:09:58 ID:h8+xsO/m0
>>83
結局、高宗と一緒に葬ることになったしね。

87: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/02/04(日) 12:06:41 ID:aw5fOf5L0
>>86
皇帝としては一切認めず、あくまで「皇后」としてしか扱わなかった、ってことだね。
でもさ、完全にその存在を抹消しなかったというのは、面白いね。
古代エジプトのハトシェプスト女王は、次代の王からその業績を完全に抹殺されたというのに。

88: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/02/04(日) 12:50:22 ID:ObInEwQx0
孝とか祖先に対する観念が違うからかな。
「廃后」「廃帝」されて庶人扱いされる場合も史書には載るし。

89: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/02/04(日) 20:23:30 ID:CfxtORmk0
いや、武曌本人の遺言だった筈。
死後は、皇帝ではなく、皇后として葬って扱ってくれと。
だから「武則天」じゃなくて「則天武后」と。

92: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/02/05(月) 00:18:49 ID:968/IW4c0
まあ、皇后として葬ってくれという遺言を残したのか、捏造wされたのか、わからないけど、一応、唐は、皇后位を剥奪はしなかったね。
やっぱり、それが「孝」なのかね?

呂后も皇后を剥奪されたのは、光武帝のときらしいね。

93: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/02/05(月) 18:26:14 ID:2S0yxpz10
玄宗系李氏の始祖なんだから廃后扱いは出来ないでしょ。
でも皇后として埋葬してくれという遺言は張柬之らの捏造。
その張柬之もすぐ失脚して流刑途中に死亡したのは武則天ファンから見れば因果応報に見える。
原百代の小説でも好意的に描かれてないからな、この爺さん。

94: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/02/05(月) 18:49:13 ID:f9dyP2L10
いや、遺言が捏造かどうかは微妙だと思うよ。
客観的に見て、武則天は生きているうちに皇帝の座を失った所謂「廃帝」だ。
一代で皇帝の座に上り詰めた女傑だが、同時に一代でそれを失った「廃帝」だ。

唐以前の「廃帝」も、唐以後の「廃帝」もマトモな人間としては扱われていない。
大きく分ければ、馬鹿か暴君の二種類しかいない。
(馬鹿で暴君もいるし、そうでないのもいるけれど。)

その「廃帝」である武則天さん。
「皇后として云々」は、むしろ息子への懇願にさえ思えてしまうのだが・・・。

95: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/02/05(月) 19:05:36 ID:2S0yxpz10
狄仁傑の進言に従って一度は廃した中宗を復帰させた時点で「我が武周王朝は私一代で終わるのだろう」と諦めていたのかもしれない。
子の中で特に寵愛していた太平公主を皇太女にしなかったのが悔やまれる。

やはり来俊臣の進言通り狄仁傑も粛清しておけばよかったのかもね。

中宗

中宗(ちゅうそう)は、唐の第4代、第6代皇帝。

高宗の七男として生まれる。当初は周王に封じられたが、後に英王に改封された。同母兄である李弘の急死と李賢の廃立の後、代わって立太子され、高宗の崩御により即位した。

即位後、生母である武則天に対抗すべく、韋皇后の外戚を頼った。具体的には韋后の父である韋玄貞(元貞)を侍中に任用する計画であったが、武則天が信任する裴炎の反対に遭う。計画を反対された中宗は怒りの余り、希望すれば韋元貞に天下を与えることも可能であると発言した。この発言を理由に、即位後わずか54日で廃位され、湖北に流された。

代わって同母弟の李旦(睿宗)が即位したが、690年に廃立され、武則天が自ら即位して武周時代を迎えた。その末期の699年、李顕は武則天により再び立太子され、705年に大臣や将軍に迫られた武則天は李顕に譲位し、唐の国号を復活させた。



96: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/02/05(月) 23:23:18 ID:GkjDKC4p0
結局、自分の子を継がせると、帝位が李氏に戻っちゃうからねえ。

97: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/02/06(火) 00:24:37 ID:SnxzNA8v0
武姓の甥とかそのあたりに太平公主を娶わせて~と言っても異母兄の一族は気に食わないし、同母姉を殺っちまったお陰でそっちの息子も始末せにゃならんかったし。
なまじ息子ばっかり産んじゃったのが災いというか。

98: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/02/15(木) 23:57:22 ID:+El2VFbQ0
そのへんが武則天周朝の最大の弱点だね。

100: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/03/01(木) 18:41:18 ID:2WHOVeN70
来俊臣も欲出して武氏一族まで酷密の対象にして墓穴掘ったな。
大人しく今までどおり官僚中心に追い落としていけば宰相まで登れたかもしれないのに。

101: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/03/01(木) 19:17:16 ID:cTw1uzNB0
どうだろ?
人に恨まれすぎていたろうからね
やっぱり、狡兎死して走狗煮らるる、で用がなくなったらお仕舞いだったのでは?
しょせん、拷問係に宰相=テクノクラートとしての能力があったとは思えないし

102: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/03/02(金) 23:46:57 ID:eNXqlyvr0
武則天は、来俊臣をどこまで使うつもりだったんだろう。
あくまで、使い捨てるつもりだったんだろうか?

103: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/03/03(土) 12:25:57 ID:w2mhKmgb0
始末しようと思えばボロはいくらでも出てくるし、都合よく使って捨てるつもりだったんでね?

104: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/03/08(木) 15:05:27 ID:cpCNYKEi0
とは言え、神龍革命の主要人物は来俊臣の死後に出世して武則天を裏切っているから官僚への抑止力としては最後(武則天の死の寸前)まで生かしておけば武周王朝存続に役立ったかも。

106: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/03/16(金) 20:40:27 ID:azKHMQ240
原百代の小説ってどうなの?

107: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/03/16(金) 20:46:27 ID:lBC/VOAPO
武則天関係じゃ一番出来がいいと思う。ただ武則天マンセー過ぎるのが鼻につくかも。

134: 投稿日:2007/06/30(土) 22:03:59 ID:ntwoUq/U0
武則天は才人時代から多くの侍監や侍女の心をワッシと掴んでたらしいですねー…。 
侍監から見ればアイドル、侍女からはお姉様。最初は皆キライよだったけど、媚娘さん(この時はまだ照じゃない)がそこを上手く洗脳して。すごいなーー。 
武則天は文・楽・武・美が全部備わってたらしく、いわゆる…天才?

137: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/07/01(日) 04:58:11 ID:LwYBCBTn0
『新唐書』則天皇后本紀「后年十四にして、太宗其の色有るを聞き、選して才人と為す」
当たり前だけど、若い頃は美人だったってことですよ。

139: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/07/01(日) 13:23:48 ID:CB0H9gpD0
少なくとも高宗の目には絶世の美女と映ったんだろう。

140: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/07/01(日) 18:54:14 ID:DBGWZAiQ0
まあ、後宮に入れたんだから、その程度には美しかったんでしょう。
ただ、後宮の中でどのレベルだったかと言うと事については、わからないけど。

この人の魅力は、「色」よりも頭のよさの方が大きかったのでは?

142: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/07/13(金) 20:45:59 ID:xWi+Xqfa0
もともとは太宗の後宮にいたんだよな
もし太宗が寵愛してたらどうなったかな

143: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/07/13(金) 23:44:48 ID:/whRDLAk0
あー、なんか最初入宮したばっかの頃は寵愛してたらしいよね。でも『武』って女が唐乗っ取る噂流れたから、寵愛ストップ~したわけだ。
それが武才人の性格に大影響及ぼしたらしいよ。そこを高宗が武則天に惚れて摘み食い。

144: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/07/14(土) 06:45:42 ID:+QayiDfA0
>>143
寵愛ストップじゃなくて、その時点でさっさと始末しておけばよかったのに。

147: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/07/15(日) 19:05:44 ID:XBEGa1md0
ラストが王莽っぽい部分あるよな。
偶然の一致かもしれんが両者の立てた王朝は互いに15年しかもたなかった短命国家だったしな。

151: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/07/15(日) 23:04:20 ID:HMpGfbo00
>>147
政治面では、王莽と違って武則天は現実的だ

148: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/07/15(日) 20:49:38 ID:w2SCU6q20
政権追われて死んだあとでも、武氏の一族が族滅されないようにしたのは偉い。

149: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/07/15(日) 22:02:13 ID:u1PQVU510
しかし、楊貴妃の最初の旦那が武恵妃の息子だったりして
やっぱ唐に祟るよな武姓の女って

150: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/07/15(日) 22:51:12 ID:CJG+wDl00
祟るも何も皇室は則天皇后の子孫なんだから、本当に祟るなら唐皇室があんなに長くは続かんだろう。

則天皇后はかなり気が強く、頭も回るが、高宗みたいな柔弱な男が甘えたり頼ったりするぐらいだから、包容力のある母性的な一面もあったのだろうね。

152: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/07/20(金) 01:40:24 ID:+gXztFpF0
則天の本紀を読んでるとさ、いっそすがすがしいくらいに宗室や大臣たち殺しまくっててさ。
ここまでやらんと奪権できんかったのね~。

153: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/07/22(日) 23:51:59 ID:leP3WCmX0
そりゃ他の簒奪者たちに比べても、女性であることのハンデは凄まじいものがあったと思うよ。
だから容赦なんかしていられなかったんだろうね。

156: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/07/23(月) 23:53:23 ID:QCLk1ylt0
皇帝権の確立のためには門閥の排除は絶対必要事項。
唐朝の皇帝が長い間権威を保つためにやらなければ為らない事を則天皇后が全てやった。
高宗や中宗が統治していたら、唐はもっと早くに滅んでいたであろう。
唐皇室は太宗と則天皇后には足を向けられない。

158: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/08/19(日) 08:58:02 ID:5YZjLQHH0
>>156
武則天がもっと長い時間、皇帝として権力を揮えたら、明のような絶対的独裁権力を確立できていたかもしれないね。

175: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/08/24(金) 23:56:58 ID:11S8IlCh0
漫画中国の歴史の則天武后はよかったな。 
最後廃立されるんだけど夫の高宗の幻影に向かって笑顔で、武后「あなた、これでいいのですね」って終わるの。でも、この終わり方、BSでやってた則天武后も同じだったような。廃立された武后が昔を思い出し高宗に告白される場面を思い出すの。 
高宗「もし、武媚の心の中に私がいるとしたら嬉しいよ」 

この二人一緒に乾陵に合葬されてるけど、二人ともかなり複雑だろうな。

177: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/08/25(土) 02:58:55 ID:qiCm/NbbO
>>175 
武則天は評価されて良いと思う。 
確かに非難される部分はあるが、為政者としては優れてた。 
ただ物語としては、人としての弱さなど、共感できるようにするから、かえって実像からズレるよね。

179: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/09/13(木) 23:57:22 ID:1W/BLGO50
>>177 
徹底的に冷酷に描いてもそれはそれで魅力的だと思う。 
若い頃に、そういう冷酷な道へ走るきっかけがあった、とかいう設定の物語にしたら、説得力あるだろうし。

180: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/09/16(日) 16:14:30 ID:DJvVnkR00
というか太宗が原因かな。太宗がいきなり武媚さんを寵愛中から、死に追い詰めたから女王様まで成長したんだし。 
そもそも『武氏の女が唐を乗っ取る』なんて噂流さなければ武媚は多分ただの寵妃ぐらいにしかならなかったと思うんだよね。や、寵愛保つために、後宮の女をハメたりするかな…。

182: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/09/19(水) 20:00:33 ID:8TWYYnJH0
中国の歴史では則天武后の周王朝は認められてるのかね。 
唐は周を間に入れて前唐・後唐とかいったりして。

183: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/09/23(日) 13:06:38 ID:PxxlynvS0
儒者にとっては消し去りたい歴史でしょ、周は。 
それに唐は、周に一時簒奪されても、実質で継続性を保っていたから。

185: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/09/23(日) 21:11:36 ID:BL8ltuN90
一応「武周」って名前は付けられてるけどね

186: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/09/23(日) 21:48:57 ID:hadbpEwc0
その『武周』は年表から無視されてるけどね。

187: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/09/23(日) 22:14:44 ID:546Lw25g0
年表がすべてとは思わないが、たとえば(たとえが悪いが)袁術の成が年表にないのと似たような感じで、「認めていない」というだけと思う。 
皇帝を名乗った連中をすべて年表に組み込むと、えらいことになるだろうし正統性も問題視される。 
ま、それでも武周が入っていないのは、やはり当時と後代の男どものメンツも大きな作用があると思う。それに期間の短い一代限りの政権であって、そういうのを開国と認めないというのもある。

188: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/09/23(日) 23:39:53 ID:qrYgKhXF0
そりゃ、地方政権は認めないのが普通だろう 
武周は統一政権ですよ?

189: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/09/24(月) 10:36:39 ID:APvDXCJ00
でも、武周の後は、その前の唐の皇帝である中宗が復璧(になるのかな?)したわけだから、武周の前と後の唐が断絶したわけではない。 
漢は、前漢と後漢では血統が変わっているけど、唐は同じ高宗の子孫だしな。

190: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/09/24(月) 23:21:59 ID:rPwJywUK0
前漢と後漢の間には『新』があってこっちはちゃんと年表にも入れられてるよな。 
やはり>>187が書いてるように『武周』も三国志の袁術の『成』と同レベルだろうな。 
あと男のメンツは全然関係ないけどなwフェミニストもここまでくるとウザイw

191: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/09/25(火) 08:35:01 ID:4r6ykxoL0
>>190 
「同じレベル」というところに違和感がある。 
唐が前後仕分けでないのは、たぶん>>190のとおりと思う。
>>187ではあくまでも後代の「政権を担う者」が「認めない」という話。 
国家として政権として、また歴史に対する役割として武周が袁術の成や他の地方軍閥のような低レベルと同じと言っているわけではない。男のメンツは大いに関係あると思うよ。 
しかしそれは唐代のことではないようだ。唐代ではそこまで男女差別が激しくなかったらしいから。 

192: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/09/25(火) 09:15:35 ID:A/zYgt9E0
エカテリナ二世もロマノフ王朝の皇帝として考えられているからねそれと同じだろう<武周> 

皇后が一時的に皇帝位についたという扱いなのでは? 
死後もあくまで、「皇后」扱いだったしね。

193: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/09/25(火) 10:00:05 ID:n5Hxmr6o0
汝南一帯の自分の勢力範囲で独立した袁術は単なる地方政権であって公孫述の政権みたいなもんだろ。 
まがりまがりにも全国に指示出せてた王莽の新ならまだしも、袁術は例えに適切じゃないだろう。 
だいたい、袁術の国は『成』じゃない

221: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/09/26(水) 04:47:34 ID:dXRwFMnCO
武則天死後、彼女の子孫を頂点とした政権が続いてる。彼らは彼女の夫である高宗の子孫でもある。彼女の政権の前政権は、彼女の子供が名義上とはいえ頂点に立っている。 

武昭の姓は『武』であるが、彼女は李治(高宗)の妻である。 
妻なんだから、たとえ本人が否定したとしても、彼女は李氏の一族に組み込まれたと考えて良い。よって、姓が違かろうが継続してたし、実際、続いてる。 

以上により武周は、一時的な王朝であるため、唐の中に組み込まれている。

222: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/09/26(水) 11:18:24 ID:Rd4Hj1EBO
武照は後継では太平公主を指名しとけばよかったと思う 
二代続いての女帝なら所詮は一過性のものとしてかたずけられないしな 
もっともその場合でさえ太平公主が唐を復活させる可能性が残るが

224: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/09/26(水) 18:29:31 ID:6d9Sztrg0
>>222 
んー意味ないな。 
わざわざ娘を立てて女帝なんて怪しげなものに拘る必要はないでしょう。 
血統は変わらんのだしリスクが増すだけだと思うよ。 
結局実際に行った自ら人材を引き立てて恩顧を与え勢力を固めるってやり方以外ないでしょ。 
武周王朝の確立には及ばなかったが、譲位が比較的穏当に済んだ要因にはなってると思うし。

225: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/09/26(水) 18:43:18 ID:9BgczJ2w0
NHKの則天武后のドラマでは後継者問題で武后が大臣と相談するシーンがあったな。 
武后「そなた、太平の事はどう思う?」 
大臣「公主様は我侭勝手、それに公主様が帝位につけば必ず骨肉の争いが起こりましょう」

227: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/09/28(金) 22:33:50 ID:ketb9J/s0
武則天ってあまり大規模な土木事業のイメージは少ないね。 
仏教関係で、多少はあったけど。

229: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/09/29(土) 14:40:27 ID:QqLmn/B10
>>227 
いや仏像に使う金は相当な額。 
ある寺の明堂を建設するだけで、数億(銭か両か忘れたw結構重要なのに)注いだ。 
ただ、唐代の仏教の隆盛を考えれば、それもある種の必然性が感じられる。

228: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/09/28(金) 22:55:14 ID:8DaQ7Efx0
確か愛人の僧がせっかく造った天堂を焼いちゃったんだったな。もし今でも残ってたら評価も多少違ってたかもな。西太后が艦隊にまわす金を宮殿に使ったことで当時非難を受けたが、今ではそこは北京の観光スポットになっていて後世に遺産を残したとして評価されてる。 
けど、中国人にとっては理屈はわかっていても複雑だろうな。 

230: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/09/29(土) 14:44:11 ID:RLhptOrN0
大規模な土木事業や、軍事的な遠征。 
武則天にはあまりイメージとしては付随しないけど、実際はなかなかのことをやっている。

231: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/09/30(日) 00:44:14 ID:QJX3r7fu0
まさか武則天の軍事的な遠征って高句麗を滅ぼした件じゃないだろうな。 
大学入試で高句麗を滅ぼした唐の皇帝を聞かれた時に武則天だなんて答える馬鹿はいないよ。 
武周は他国に攻められっぱなしだってもちろん知ってるよな。

232: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/09/30(日) 07:28:30 ID:pYUCVaN40
皇后のころの指導力は評価に値しないということ? 
他国に攻められっぱなしはそうだな。突厥の復活がこの頃だったな。 
武則天の意識が内に向けられすぎていた、というのがその主な要因。 

233: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/09/30(日) 07:50:22 ID:QJX3r7fu0
>皇后のころの指導力は評価に値しないということ? 

あくまで唐の高宗皇帝のもとでの賢后としての指導力だという基本的なことはおさえておいたほうがいいぞ。 

251: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/10/03(水) 03:35:50 ID:T6rOmw5nO
彼女のやった密告政治は批判されてしかるべきだ。 
また、酷吏が幅を利かせたのも事実。 
ただ、彼女だけがそのての事をしたワケじゃない。 
唐太宗も後ろ暗い部分はあるし、康煕帝だってある。 
彼らが賞賛され、彼女が非難されるのならフェアじゃない。 
やはり纂奪者であり、その政権が一代限りだったのがマイナスか。

238: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/10/01(月) 21:09:29 ID:3CVaEScC0
Qさまのクイズで武則天が問題に出てたが 
説明で「恐怖政治をしいた暴君」って……

255: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/10/06(土) 10:50:11 ID:liTBWPpQ0
>Qさまのクイズで武則天が問題に出てたが 
>説明で「恐怖政治をしいた暴君」って…… 

武則天をクイズに出すとしたら、どんな設問が他にできるかな。 
女帝ということを出したらそれだけでわかっちゃうし・・・ 

・父帝の後宮にいて、その死後寺に入れられたが、息子の皇帝の皇后になった 
・ライバルの皇后・側室を追い落とし、自分が皇后になった後、残酷な殺し方をした 
・新しい漢字を作らせ、水戸光圀の「圀」がそれである 
・皇帝に即位したのは、67歳のとき 
・仏教を重んじ、自らを弥勒菩薩の生まれ変わりとした 
・晩年に美少年を寵愛した 

他に何があるかな 

257: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/10/11(木) 09:50:51 ID:wFQcKV560
Qさまの問題文としては「中国史上ただひとりの女帝」で十分だろうね。 

単独の早押しクイズなら、一代で終わったことや「聖神皇帝」「万歳通天」みたいなかっこいいネーミングセンスなんかに触れるといいんでないかい。

264: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/12/21(金) 21:18:57 ID:1um7NRQt0
武則天は長安と洛陽の間をかなり往来しているけど、結局一番遠い場所だと、どこまで行ったんだろう?

265: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/12/22(土) 01:12:43 ID:4EgplVq60
>>264 
地獄

277: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/12/31(月) 12:56:04 ID:434MlhVC0
長孫無忌の亡霊がこのスレに取り憑いたようだ。

278: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/01/01(火) 02:14:08 ID:P9m6/TTG0
いや、蕭淑妃の亡霊だと思うね

279: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/01/01(火) 22:29:42 ID:L87RLv0O0
でも酷いことたくさんやったわりには大往生だったよね。 

266: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/12/22(土) 03:35:39 ID:3ikoOjYk0
洛陽は長安の陪都、大運河が洛陽までなので実は物流などに関しては洛陽の方が便利。 
気候的にも洛陽がすごしやすいのでそっちで政治を取ることもあった。 
遠出するのとは意味が違う。 

271: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/12/22(土) 23:10:54 ID:3ikoOjYk0
>>264 
どれだけ遠方まで行ったかということになると封禅の為に泰山やら嵩山に行ってる。

303: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/01/11(金) 00:41:29 ID:da7FX5/x0
自分に媚を売る奸臣が周りにいたにもかかわらず、狄仁傑の諌言をきちんと聞いているあたり政治家だな、と思ったよ 

307: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/01/13(日) 12:42:45 ID:fpkDNK2N0
>>303 
狄仁傑の諫言を受け入れずに、武則天が甥を後継者に選んでいたら、どうなっただろうね?

309: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/01/14(月) 09:57:41 ID:6d+WA32R0
>>307 
事前に、徹底した唐の勢力を駆逐しておかなければ、周は混乱が続いて、弱体化するだろうね。

310: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/01/14(月) 13:36:58 ID:lGeKU/xi0
しかし駆逐したら駆逐したで、その穴埋めが可能な人材を武周の名の下に集めるのは至難の業なんで、やっぱり混乱が続いて弱体化だろうな。

311: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/01/14(月) 21:22:54 ID:1hshPL3p0
元々、無理のある王朝交替だったしね。

314: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/01/14(月) 23:54:44 ID:AlhWUuwRO
>>311 
李治の奥さんが頂点に立ってるだけ――っていうのが根本的にあったと思うんだ。 
武則天なら李氏の一員。次も武氏(太平公主を含む)は有り得ない――こんな感じでは?

320: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/01/18(金) 10:40:29 ID:kkKnW2+a0
>>314 
そういう感じだね 
エカチェリーナ二世なんかもそうなんだったんだろうが、武后の次は李氏なんだし、一時的なツナギとして大目に見よう、垂簾政治に毛が生えたようなもの、って気持ちだったのかもね

322: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/01/19(土) 09:34:39 ID:cAugj20P0
>>320 
武則天の志を理解して引き継げる人材に禅譲とまでは行かなかったのがこの人の限界なのかね。武姓の人間もほとんどろくでもないのばっかりだったんだし、儒者にも文句言わせない方法ではあると思うんだが。

325: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/01/20(日) 10:31:23 ID:0L0QwLRs0
太平公主を後継者にしとけば何の問題もなかったのにな。

326: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/01/20(日) 10:54:54 ID:PLvOh67g0
太平公主じゃ韋后と同じような末路になるんじゃないか? 
玄宗に敗北しているあたり、武則天ほどの器量があるとは思えない。

327: sage 2008/01/21(月) 21:05:33 ID:0dC0KtYxO
太平公主は武氏と再婚しそのつもりだったろうけど

330: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/02/01(金) 00:32:02 ID:MUErUOJL0
武韋の禍 

武后、韋后が嫁姑の関係というのは面白いな。 
中国に橋田女史のような視聴率の取れる脚本家が現れて、武后を主人公とした『渡る世間は鬼ばかり』みたいなのを、作ってほしいものだ。

331: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/02/03(日) 19:23:45 ID:gCHF/d8YO
殺伐としたホームドラマになりそう


引用元: ・☆★☆ 武 則 天 ☆★☆



武則天〈上〉
武則天〈上〉
posted with amazlet at 15.11.19
原 百代
毎日新聞社
売り上げランキング: 540,265