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1: 1 03/02/13 15:54
日本は世界で貧しかったのでしょうか?
義満が頑張れどせいぜい金閣。
御所なんて故宮なんかと比べものにならない。
また、日本建築の簡素さは貧しさゆえなのか、
簡素を旨とする精神ゆえなのか。
みなさんどうおもわれます?








2: 世界@名無史さん 03/02/13 15:56
>>1
豊臣秀吉の黄金の茶室は?

3: 1 03/02/13 16:02
そういうのはあるけど、少なくない?
東照宮の陽明門や、金色堂もあるけど、
屋敷中ああいうふうにしなかったのはなぜなんでしょ?

7: 世界@名無史さん 03/02/13 16:50
>>3
屋敷中あんな金ぴかだったら落ち着かないよ(w

4: 世界@名無史さん 03/02/13 16:04
近代以降は貧しい国、持たざる国だって意識は持ってたけどな。

5: 世界@名無史さん 03/02/13 16:07
庶民の生活は近代に至るまで貧しかっただろうね。
最近中国からの密航者が問題になるが、百年程前の日本も同じような状況。
西村望の「密航船」には明治後期にアメリカへオンボロ船で密航した話が描かれている、当時の時代背景がうかがえて面白いよ。

12: 世界@名無史さん 03/02/13 17:31
何をもって貧しいとするかにもよるな。
それこそ生活の豊かさに関して言えば、モンスーンアジアか熱帯が一番だろ。

20: 山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM 03/02/13 19:10
見かけで判断しようとなさっておられる>>1さんの認識不足です。だいいち何にお金
をかけようとしたかで「財産」なんてまるで変わってくるではありませんか。
陶磁器を尊重するか、真珠を尊重するか、エメラルドを尊重するか、鉄を尊重する
か。それこそ「文化の違い」というやつです。
日本人は自国ではさほど関心の寄せられなかった真珠を支那で売って儲けていまし
た。その逆もまた然り。
17世紀にはじまった日英交易は英国商館の倒産によりすぐ幕を下ろしてしまいま
したが、その原因は英国側が自分たちにのみ価値のある毛織物や香辛料を売ろうと
していたことが大きかった。

22: 山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM 03/02/13 19:28
日光東照宮を現代にまた造ろうとすると7兆5000億円はかかるそうです。建築費用は単に金銀を使えばかかり、使わなければかからないというものでは無い。
大理石を使用する(価値を見いだす)か、檜を使用するか、漆に価値を見いだすか。金閣にしてみたところで金の接着に使った漆に莫大な費用がかかっている。
そして「黒漆だけの金閣(?)の方が綺麗だったのに。」という意見もあるわけで
す。造ろうとしなかっただけの事。
16~17世紀の日本の金銀の産出量はたいへんなもので、金は世界で産出されたものの15%を、銀は3分の1を占めていました。家康の個人資産のうち金銀だけで2兆1000億円相当だったといいます。それ以外も含めれば貧しいどころか世界有数の大金持ちであったのでは。

31: アマノウヅメ ◆3O/knRokaQ 03/02/13 22:29
>>22
日光東照宮はアラブ好みなんだそうです。
さる高名な建築家の話によると、オイル・ダラーが日本に観光にやって来て
東照宮がすっかり気に入って、いくらなら売ってくれるかと言い出したとか。
「あれは、国宝なので売れません」と説明するとやっと承知したけれど、帰りの
車の中で「おお!トウショウグウがはしっている!」というので、よく見ると
霊柩車がはしっていましたとさ。
あのゴテゴテの霊柩車の原型は東照宮なんでしょうか?
証明できた人はまだいないそうです。

60: 世界@名無史さん 03/02/14 00:36
>>22 >>31
>日光東照宮

イザベラ・バードも絶賛していますね。
「これが最後の中庭だと思うとほっとして嬉しくなるほどである。
これ以上心を張り詰めて嘆賞する能力が尽き果てようとしているから」。

24: sexyQ 03/02/13 20:39
250年鎖国しても平気だったわけだから逆に豊かだったのでは

25: 世界@名無史さん 03/02/13 20:55
そういえば南北朝時代の中国(南朝の方だったかな)の絵図で
諸国から朝貢してきた人物像があったが日本人(倭人)は裸足で
汚らしい服を着たホームレスのようだったな
特に朝鮮(新羅か?)からの朝貢使者の華美な服装とは歴然の差だった

37: 世界@名無史さん 03/02/13 22:56
>>25
梁の元帝が描いた『梁職貢図』だな。
彼は倭人を見たことがないと思われるから
伝聞に基づいて描いたのだろう。
宋代の模写が現存している。

Zhigongtu_full
6世紀梁朝元帝(蕭繹)の職貢図の模写。左から且末国、白題(匈奴部族)、胡蜜丹、呵跋檀、周古柯国、鄧至、狼牙修、倭、亀茲、百済、波斯、滑/嚈噠からの使者。

27: 山犬 ◆R200hJA.tQ 03/02/13 21:07
参考になるかどうかわかりませんが、勝海舟の「氷川清話」のお話を
紹介します。

ある日、勝は裕福な商人から御馳走に誘われたのですが、そのご馳走の
中身はというと、
「蒲鉾が一切れと、青菜のヒタシ物と、そして吸い物との三品だ。
 酒一順おわって、帰りがけに饅頭三つを土産にくれた」
という、粗末な物だったので、腹を立てたのですが、実際には

「すなわち、小豆は幾升といふ中から粒の揃ったものばかりを選って餡に
 作り、砂糖も棒砂糖を用いゐて、それも幾日も枯らして用ゐたのだ。

 棒砂糖は今でこそなんとも思はぬが、その時分はカピタンの需要品で、
 日本の人が用ゐることができぬのみか、カピタンすらも不足を感じて
 ゐる品だから、容易に町人の手になど渡るもので無いのを、金をかけ
 次第にして手に入れ、水も津川か、玉川上水を汲んで来て製したもの。

 さて一枚の蒲鉾も、鴨を30羽もヒネリ、1羽から脊肉のみを少しづつ
 選って用ゐ、そして蒲鉾にしたもの。
 青菜とてもその通り、茎の同じに揃ったものを、10籠20籠の中から
 選って、煮ヒタシにしたもの。」というわけだったのです。

「金のある町人どもは、人の目に立たぬ新道などに寮をこしらえて、
 表面は極々質素に見せかけ、柾の柱も鉋のかからぬのを尚び、
 黄金の金具もいぶしてつかふといふ塩梅だから、ツマリ財宝を
 殺してつかってゐた。」
江戸の町人の贅沢はつまるところ、このような調子だったのです。

349: 世界@名無史さん 03/02/27 10:51
>>27
なんか「おいしんぼ」に出てきそうな話だな
「究極のご飯は使用人が誠意を込めて一粒一粒選ってそれを炊いたものだ」とか
海原雄山がヌカして、山岡士郎がぐうの音も出ないということがあったが、マジ
で江戸時代にそんなことをやっていたんだな

28: まあ 03/02/13 21:24
シリコンバレーのネット長者が、
Tシャツにジーンズでハンバーガー食ってるのを、
途上国型キンキラキン大富豪が見たら、
>>1 と似た感想を抱くだろうな。

38: 世界@名無史さん 03/02/13 22:58
てゆーか、日本って金脈が結構あるからそういう意味では
金持ちだった
銀行が出来た当時、西洋人が金と銀を交換して儲けていた
のは有名な話

41: 03/02/13 23:22
日本は権力が、一人に集中しないため外国の王みたいに
富が一極に集中できなかったためと聞いたことがある
貧乏というわけだは、ないんじゃない

48: 世界@名無史さん 03/02/13 23:43
ほどほどの資産はあったんだろうね
じゃなかったら文明開化の過程で借款漬けになって破産してるよ

52: 世界@名無史さん 03/02/14 00:00
黄金の国 ジパング
近世日本はイギリスにシナを超える商品品質生産力を持つと評価される-生糸-
近世日本は商品品質生産力で評価はされても封建制を維持し続けていたため、
日本人口大多数の農民は貧しく、富農商人職人クラスが士農への
債権を握り続けた。ただし大名とは許認可権で相殺された。
武士階級への商人債権は不良債権化しやすかった。
世界で比較するとなると、アジアでは「豊かな」部類にはいるが
世界から見るとロシアを含めたヨーロッパ各国より貧しいが
アジアアフリカ各国に比して「豊かな」部類である。

53: 世界@名無史さん 03/02/14 00:04
>52
>世界から見るとロシアを含めたヨーロッパ各国より貧しいが

これもどの時点かってので変わるな。
開国直前なら事実だし、秀吉のころならダウトだ。

54: 世界@名無史さん 03/02/14 00:08
日本でも価値があるのは、『わびさび』といわれるものだからねえ。
他の国の人がみたらどうでもいいものに、
数億の金をかける人もいるんだから、文化の違いは大きいよ

56: 世界@名無史さん 03/02/14 00:28
江戸城や大阪城の石垣を造るのに、どのくらい費用がかかったのかな。

89: アマノウヅメ ◆3O/knRokaQ 03/02/14 21:34
>>56
>江戸城や大阪城の石垣を造るのに、どのくらい費用がかかったのかな。

江戸城の資料はありませんが、大阪城の復元については大林組の見積もりがあります。
石垣を作るには(昭和58年当時)で土工事50億円、石積工事480億円、付帯工事他30億円
計560億円かかるそうです。
江戸城は高低差が少ないので、もっと安く上がるはずです。

57: 世界@名無史さん 03/02/14 00:29
日本には侘び寂びの美も豪奢な美もあると。

58: 山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM 03/02/14 00:33
>57
ブルーノ・タウトが絶賛した桂離宮と毛嫌いしていた日光東照宮が出来たの
はほぼ同時期ですからね。どちらか一方が賞賛されていたわけではない。
大抵の日本人はどちらも好きになれるのではありませんか。
伊藤若ちゅうの作品も派手であったりさびを感じさせるものであったりする。

61: 世界@名無史さん 03/02/14 00:46
日本庭園の石灯籠にむしていた苔を剥がしてペンキを塗ってしまった米軍将校みたいな感性の持ち主が増えてるのかね。
こういう連中には何百万円もする紬なんかも「ババアが着てる汚い着物」に見えたりするんだろうか。
中国はとてつもなく巨大な中央政府が存在したからこそ、その首都や王城が凄まじい規模なんだと思うが。
日本だって強力な中央政府が存在した時代は、世界最大の墳墓や木造建築や金属像を作ってたりする。というか現存する。
確かに紫禁城の規模は凄い。認める。
しかし何でよんだったんだか、江戸城など大名の城を知る明治人が紫禁城に入ったら、柱や壁や床や天井の工作があまりにもみすぼらしくて驚いたそうだ。
江戸の名人大工や職人が自慢の腕を振るって鉋をかけた建築とはもう雲泥の差だったそうだ。
江戸の大工の水準からすれば、紫禁城など巨大な長屋に過ぎなかったと言える。
紫禁城の改修は専門の宦官の仕事だったかな。
元はそこまでひどくなかったのかも知れないけど。

64: 世界@名無史さん 03/02/14 01:08
明治維新後、すぐに欧米を追いかけられたのだから、江戸時代からすでに
それなりだったんだろう。
明治時代の経済成長率がどれぐらいかは知らないけど、せいぜい10%ぐらいでしょ。
ド貧乏国が根性だけで発展できる訳無いのだから。

68: 世界@名無史さん 03/02/14 01:37
浮世絵や貸し本・瓦版を豊かさの尺度に含めることも忘れずにな
書物が庶民の間で流行るのは、豊かな国だけだぞ
上層階級しか読書や美術鑑賞の習慣が無い国は、豊かそうでも、実は貧しいぞ

浮世絵のすごさは「版画」であったために大量生産が可能だったこと
また多彩な色を使っていたため、解りやすかったこと
何でも(春画から日常まで)題材にしたため、人が欲しがったこと

69: 世界@名無史さん 03/02/14 01:42
なにをもって豊かとするか、基準はいろいろあるだろうけど。

東欧の田舎でさえ、19世紀の終わりには上下水道がほぼ整備されていたというのに、
21世紀を迎えた今になっても日本の下水道普及率が5割に満たないことを考えると、
インフラの整備じゃあ敵わないなぁ、と思う。

ていうかやっぱ、大航海時代以降ヨーロッパに蓄積された富ってのはもの凄いんだね。

83: 世界@名無史さん 03/02/14 15:05
>東欧の田舎でさえ、19世紀の終わりには上下水道がほぼ整備されていたというのに、

その下水って、処理せずにそのまま川へ垂れ流してたんじゃなかったっけ?
ヨーロッパの一般大衆がそれなりの生活水準を保つようになったのはそんな昔の話じゃないだろ?
19世紀アメリカと中国の農民の生活を比べると、中国の方が上だったと言う話も聞いたことがあるぞ。

76: 世界@名無史さん 03/02/14 02:03
アメリカ移民とかハワイ移民とか南米移民とかいるから農村は貧しかったんだろうな

77: 世界@名無史さん 03/02/14 02:16
>>76
人口爆発
機械・電力の助けナシで、日本国土で養えるのは3000万人が限界

80: 世界@名無史さん 03/02/14 06:58
何時の時代だ?
幕末~明治初期
大東亜戦争中期~戦後数年
なら間違いなく貧しい国だったろう。
特に戦後すぐは世界一貧しかったとも言われてるわけだし

戦国時代~江戸中期ならかなり豊かだったんじゃないの?
技術とか大衆文化とかはかなり進んでたみたいだし

81: 世界@名無史さん 03/02/14 07:07
16世紀以後に話題を限っても、ヨーロッパの方も戦争やらペストやらいろいろあるしねぇ

85: 1 03/02/14 18:49
誤解があるか知りませんが、私は簡素な日本建築が好きですよ。
石灯籠にペンキを塗ろうなどとは思いません。
ただ日本建築の簡素さ(例外はあるが)が貧しさのせい、
つまりは8のようなものなのか、見えないところにお金をかけていたのか、
ということです。
ただ、宗教施設のみならず、二条城等にも金ぴかの部屋があり、
そういうものを毛嫌いしていたわけでもないのに、
金ぴかが少ないのはなにゆえか、ということです。
武士が政権を取っていたっていうのも関係あるかも、と思っています。
平安貴族の考え方もしらべてみようとおもいます。
考えがまとまっていないので、またのちほど。

86: 山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM 03/02/14 18:57
秘すれば華。秘せざるは華なるべからず。by世阿弥

87: 世界@名無史さん 03/02/14 20:01
18~19世紀の庶民層で比較すると
欧州より日本の方が豊かだったと思う
>>68氏が書いているように庶民層に読み本が流行るって凄いことだぞ
江戸期の識字率が都市部で4割逝ってたらしいし

96: 世界@名無史さん 03/02/14 23:48
文化の違いはあるよね
刀剣なんか外国では刀身そのものには余り価値は無くて
宝石などで装飾された柄の方に価値があるけど
日本刀の場合は刀身そのものに価値がるからね

109: 世界@名無史さん 03/02/15 06:01
そういえば、日本って宝石を使う風習があまりないな。曲玉ぐらい?

111: とてた 03/02/15 10:22
>>109
江戸時代にはトンボ玉(根付・簪)がありましたが…、
地味といや地味ですね。

112: 山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM 03/02/15 10:37
>109
古代にはあったような装身具自体がまず出てこなかった。水晶や珊瑚の念珠がいい 
ところ。琥珀などはよく知られていましたが、「珍しいもの」でしか無かった。


117: 1 03/02/15 14:28
特に貧しくはなかった、ということは分かってきました。
地味さは武士の考え方ゆえなのでしょうか?
では平安時代も、内裏等は地味ですが、
これはなぜでしょう?公家も同じく地味をこのんだんでしょうか?
あと、やはり誤解されていますが、簡素な日本文化はとてもすきで、
とても良いと思うし、金ぴかのものはあんまり好きじゃないが、
その簡素さの原因は、とおもっただけです。
蒔絵も姫路城も当然いまのままが好きですが。

120: 世界@名無史さん 03/02/15 18:34
けど京都御所って小さいよね

122: 世界@名無史さん 03/02/15 19:18
>>120
『今の』京都御所が平安遷都当時と同じ規模だと思ってないか?
歴史板で語るならもう少し調べてから書き込め。

123: 121 03/02/15 19:22
しってますよ。
土御門里内裏(?)じゃなかったっけ?
けどそれにしても小さすぎじゃない?
なぜ勝手に遷都当時と一緒と思っていると思ったのかは不思議だが。

125: アマノウヅメ ◆3O/knRokaQ 03/02/15 20:25
平安京のスケールなら古語辞典にも載ってますが。特に小さくはありませんね。
平安時代の貴族階級は全身絹の衣装を身につけていました。
女房装束の裳は麻という規定がありましたが。全部絹ってすごくないですか?

126: 世界@名無史さん 03/02/15 20:59
>125
平安京であっても、その後であっても、装束の派手さと建物の差はなんなんだろ?
装束にあわせて柱を漆塗りにしたり螺鈿にしたりしたくなかったんかね?

127: アマノウヅメ ◆3O/knRokaQ 03/02/15 21:11
>>126
建物が粗末なのは火事が多いせいでしょう。御所だって何回も焼けてますから。
江戸時代も初期は大名屋敷に粋を凝らした建物が多かったけど、明暦の大火以後
質素になりました。
平安時代は警察力が弱くて特に火事の多い時代です。紫式部は里内裏にしか
住んだ経験が無いのは証明済みです。本格的な御所には住めなかった。
しかし、手回りの道具は漆塗り、蒔絵、螺鈿ずくめです。女房のおまるでさえも
漆塗りだった。

133: 世界@名無史さん 03/02/16 00:51
日本は治安が悪くて強盗が多かったから、装飾が地味になった。

142: 世界@名無史さん 03/02/16 02:07
>>133
漆や螺鈿は、作られてから100年経って初めて滑らかで柔らかい光沢を持ちます。
製作直後のものと江戸期のものを見比べてみれば一目瞭然。
今が旬ともいえる江戸中期~後期の漆細工を地味の一言で片付けるのはちょっと乱暴じゃないでしょうか。

143: 世界@名無史さん 03/02/16 03:12
金の話で恐縮ですが、
京都の祇園祭、あれの山や鉾は正気の沙汰とは思えんほど金と労力が注ぎ込まれてます。
私は以前祇園祭で雑用全般のバイトを数年間やらせてもらってたんですが、
鉾町の方々曰く
「一度燃えたら永遠に元に戻らん」「一から作るには最低100億はかかる」
最初は法螺や脅しかと思ってましたが、これはかなり事実です。

土台となる2本の大木は直径1~2m、長さ10m以上の最上級ヒノキ一本作りで一本5億、計10億。
車輪は消耗品で数年に一度取り替えますが4輪合わせて1000~2000万円。
水引(前後左右を飾る立体的な織り方をした絹織物)は一部新調するだけでも数千万がポンと飛び、
その他漆塗の柱に螺鈿細工に各種金細工に狩野派の誰かが描いたという格天井等々があり、
とどめにご神体の人形に被せる冠の紐まで金の糸で編んで作るという暴挙、もとい周到ぶり。

こんな化け物をたかが一町内会が製作、維持してることからも、
秀吉による再開発後の、京の商家の繁栄ぶりは推して計れるかと。
最後に鉾町の方の言葉を紹介。「家が破産しても祭りは続けたる。」

152: 山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM 03/02/16 11:27
>143
神輿は出なくても山鉾は出したがったという記録があります(室町時代のもの)。
お上といえばなんでも取り締まるように思われがちですが、室町幕府もある程度そ
ういった活動は支持していた。
応仁の乱のあと祇園会が復興された時、古老を相手に昔の様子の聞き取り調査もし
ています。意識も技術も高かったといえる。
また祭の時に旧家が外から見えるように家宝(屏風など)を置く事もありますね。

145: 世界@名無史さん 03/02/16 05:23
日本は特別に貧しかったわけでもないし
特別に豊かだったわけでもない。

島国で比較的平和な社会だったから
(なにしろ戦国時代の合戦に見物人が集まったくらいだ)
戦乱で皆殺しの恐れのある大陸地方と比べると
平穏な生活はしやすかったと思う。

146: 世界@名無史さん 03/02/16 08:09
自分とこの田畑が戦で荒らされてしまっている。しかも、それを防ぐことは出来ない。
と、なれば見物でもして憂さを晴らすほかはないでしょう。
それに、戦の後に戦死者から金になる武具を剥いだり、落ち武者狩りをすることを考えれば、
戦場からちょいと離れたところで見てるのが一番。

148: 世界@名無史さん 03/02/16 09:55
奈良の大仏は昔は金箔がついていたんでしょ?
何でも、あれを貼る時に大量の水銀中毒者が出たとか・・・。

149: 世界@名無史さん 03/02/16 11:07
>>148
たしか金メッキの仕方に問題があったんだよね。
しかし金色とは悪趣味!

155: アマノウヅメ ◆3O/knRokaQ 03/02/16 12:29
>>149
仏様は金色だってのが常識だったんです。金色でないと実物に近く見えない。

154: 山犬 ◆R200hJA.tQ 03/02/16 12:08
>>148さん
ついでに、もう一つつけたし。
金を大仏の体に塗りつける際には、金を水銀に溶かした物を塗り、その後
水銀を蒸発させる、という方法で塗金しました。いわゆる、アマルガム法ですね。
昔は金を精錬する際には、よくこの方法が使われていました。
もちろん、すごく危険です。

現在でも、途上国なんかではこの方法で金を精錬しているところもありますね。
もちろん、禁止はされているのですが、目を盗んで行われているのだそうです。

157: 世界@名無史さん 03/02/16 12:40
 
同じことを何度も言うようですが、仏像には様式があって、本来の様式では金色
でなければいけないのです。チベット仏教や東南アジアの仏像は今でも金ぴかで
すし、金がなければ黄色に塗ってあります。
古仏像の黒ずんだ色調が日本人に好まれることから、もとから暗色の仏像が作ら
れる場合もありますが、本来はルール(様式)違反です。

158: アマノウヅメ ◆3O/knRokaQ 03/02/16 12:45
>>157
薬師寺の仏像はいい色ですが、あれは火事で変色したんでしたよね。
ああいう色が日本人の好みに合うから誤解されたようです。

153: 山犬 ◆R200hJA.tQ 03/02/16 11:51
奈良の大仏には、金は450キログラムほど使われていましたよ。
水銀も、確か2トン以上使われていたんじゃなかったかな?

水銀は、それを含む岩を高温で熱して、水銀が蒸発してきたところを
集める、という方法で精錬していたと推測されています。
これ、かなり人体に悪そうです。

あと、木津川は鴨川と比べて流れが遅いので、こういった有害な物質が
結構長くとどまったのではないかと思いますが…。
まぁ、1200年前の公害ですね。この大仏を作ったことによる環境汚染が
平安遷都の一つの原因になったのではないか、と考える学者もいるようです。

159: 世界@名無史さん 03/02/16 13:05
本来、世の安定を願って作らせた大仏が、逆に人を苦しめるとは・・・。
聖武天皇って一体・・・。

170: 世界@名無史さん 03/02/16 15:10
>>159
当時、水銀の毒性が認知されていたかは、知らないけど
聖武天皇は、自分の身の回りに不幸が起きまくるは、世間では天然痘が流行するはで
心を病んでいたのです、ついでに聖武天皇がガチガチの仏教信者なのが
大仏を作らせるに至ったのです。

175: 世界@名無史さん 03/02/16 17:08
少なくとも、江戸時代は文化的には最先端を行っていました。
円山応挙しかり、琳派しかり、ヨーロッパの芸術家に衝撃を与えたのもこの層でした。
19世紀末にはフランスでジャポニズムブームを起こしてますし。

食うに困った人々も多く、為政者の贅沢もつつましいかもしれませんが、当時の他国に
比べればほぼ独立採算の島国でよくぞここまで繁栄できたと思います。
コストパフォーマンスは世界一でしょう。

176: 世界@名無史さん 03/02/16 17:13
追加。バウハウスのモダンデザインも日本の質素な陶器や素材へのこだわりを
引用した物。
そもそも、日本文化が質素に見えるのは江戸期の風俗が華美になり過ぎたため、
役所がそれを禁じたため。ほっとけばどんどん華美になるほど豊かだったと言えるかも。

177: 山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM 03/02/16 17:19
江戸初期のものはかなり華美ですね。明暦の大火以降建て直された大名屋敷は以前
のものに比べてかなり質素だった。
なお建物の高さでいえば日本で高層建築といえば寺院の塔と天守と遊郭ぐらい。2
階は異界という研究者もいるくらいで、人間が高所に憧れを抱いていたわけでは無
かったらしい。勿論地震や火事の影響もあったでしょうが、建てられなかった理由
の一つではある。

180: アマノウヅメ ◆3O/knRokaQ 03/02/16 17:26
>>177
加藤清正の江戸屋敷は特に豪華だったとか。
2階建ては余りありませんね。必ず2階建てにする建物は江戸城の長局と吉原くらいか。

182: アマノウヅメ ◆3O/knRokaQ 03/02/16 17:50
元禄頃までは衣装も華やかで、金持ちなら絞り、刺繍、箔押しは当たり前で
珊瑚の玉を多量に縫い付けて南天の模様にしたのもあったとか。
素材は表着から下着まで絹物ずくめでしかも着物は3枚重ねです。足袋も絹。

幕府は贅沢禁止令を出して、帯の巾や長さ、振袖の袖丈などを制限しましたが
鯨尺(鯨のひげで作った裁縫用の物差し)の長さをかえてごまかしたので、尺貫法
では、長さがかね尺(30.3センチくらい)と鯨尺(37.8センチくらい)
の二本立てになって、迷惑なことになりました。着物の仕立てを頼む時、身丈は
5尺1寸なんて、つい書いてしまいます。鯨尺でそんなにあったら大変だ。

184: 山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM 03/02/16 18:06
そういえば京都人の教授が京と大坂と江戸の男がお洒落を競ったという話を
してくれたことがありました。
江戸の男は渋い色の着物で、大坂の男は珊瑚を縫いつけた赤いど派手な着物
で出てきたが、白と黒の着物で出てきて周囲を色とりどりの着物を着た女達
に囲まれた京の男が勝利を収めたというもの。

188: アマノウヅメ ◆3O/knRokaQ 03/02/16 18:15
>>184
その女性バージョンもありますね。
贅沢を禁止されると羽織の裏地に有名な絵師に書かせた肉筆画を使うとか
長襦袢に総絞りを使うとか、見えないところにお金をかけた。

190: 世界@名無史さん 03/02/16 18:18
>>188
有吉佐和子「真砂屋お峰」そのままの世界だ。


引用元: ・日本は世界で貧しい国だったの?





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