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1: 無名武将@お腹せっぷく 2006/04/30(日) 08:11:07
主君をよく変える、すぐ裏切る武将について語ろう。
裏切る回数とイメージが必ずしも一致しないことも考えよう。








5: 無名武将@お腹せっぷく 2006/04/30(日) 09:56:37
藤堂高虎、渡辺勘兵衛、可児才
面白いのは猪子兵助か
好きで主君変えてるわけじゃなく
みんな滅亡していく
ちゃっかり生き残ったけど

6: 無名武将@お腹せっぷく 2006/04/30(日) 10:05:44
細川藤孝も一応

7: 無名武将@お腹せっぷく 2006/04/30(日) 10:09:28
馮道は民に仕えてただけで主君なんてものは関係ない


馮道

馮道(ふう どう、882年 - 954年)は、中国の五代十国時代の政治家。五朝八姓十一君に仕えた。

五代十国時代には皇帝・王朝が激しく入れ替わったが、その中で馮道は後梁を除いた五代王朝の全て(後唐・後晋・後漢・後周)と、後晋を滅ぼして一時的に中原を支配した契丹族王朝の遼に仕え、常に高位にあった。馮道は仕えた主君を「五朝八姓十一君」と称している。


8: 無名武将@お腹せっぷく 2006/04/30(日) 10:23:03
藤堂高虎=転職10回⇒転職の達人という高評価
馮道=「五朝八姓十一君」⇒時代を代表する偉人という高評価
孟達=転職3回⇒悪党のイメージ


不公平だ!

9: 無名武将@お腹せっぷく 2006/04/30(日) 10:29:03
主君を変えてるって訳でもないが、三国志で裏切り者の定番と言えば劉備だな。

貧しい母親を裏切って親戚の金を持って首都で遊びまわる。
知己の公孫サンを頼って配下になるが、曹操に攻め込まれた徐州へ救援に行ったついでに勝手に独立。
呂布が徐州に入ると降伏するものの、いざこざ起こして曹操の下へ逃げ込む。
曹操に厚遇されるが曹操暗殺計画に加わり、更に発覚を恐れて逃亡し徐州で再独立。
曹操に攻められると部下や家族を見捨てて公孫サンを倒した袁紹の下に逃げ込むが、
袁紹が官渡で曹操に敗れると簡単にこれを見限って今度は荊州の劉表の客分に。
曹操の南下で荊州が降伏するとこれに従わず民を引き連れて南進を試みるが、
曹操自ら少数の軽騎兵で追撃してきたので民を盾に逃亡。
孫権を頼って曹操を破るものの、借りた土地の支配権の正当性は自分にあると主張。
曹操の関中平定を恐れた劉ショウに援軍として招かれたのにも関わらず、突如反旗を翻して蜀制圧。

…こうしてみると、曹操の反作用で成り上がったって言われるのも分かるな。

10: 無名武将@お腹せっぷく 2006/04/30(日) 13:17:14
そこで劉備は曹操の手下だった説の出番ですよ。

12: 無名武将@お腹せっぷく 2006/05/02(火) 01:47:05
陳舜臣の三国志だと、劉備は曹操の密かな同盟者というような設定があったな。

14: 無名武将@お腹せっぷく 2006/05/03(水) 00:28:21
藤堂高虎も憑道も、自分から主君を裏切ったり捨てたりしたことはほとんどないのだが。

15: 無名武将@お腹せっぷく 2006/05/06(土) 15:15:12
憑道の場合、主君を変えたというよりも、
主君が変わってしまった
という気がする。

16: 無名武将@お腹せっぷく 2006/05/06(土) 15:25:07
>>1の無知っぷりだけが露呈したスレだな

17: 無名武将@お腹せっぷく 2006/05/06(土) 17:05:53
憑道の名前だけでも挙げたのだから、「浅い」けど無知ってのは言いすぎ。
そう言うと吉田松陰の立場がない。

「国」と「朝廷」を分けて考えた結果、
最後まで「国」を裏切らなかったが、
同時に「朝廷」を裏切り続けた男。
視点しだいで、能臣であり奸臣であった男は、
しかし、善人にはなれなかった。

太平である反面、体制に統制された「治世」では、
「王朝」「朝廷」「幕府」といった体制への全面的盲目的臣従が善しとされる。
ゆえに多くの史書ではどうしても評価が低くなる。

だが、五代王朝の変遷は、クーデタを起こした当事者以外は誰に止められるものではなかった。
五代の時代は王朝の創業者たちこそが総じて裏切り者だった。
我欲の強い軍人同士が玉座を巡って殺し合い、数少ない名君はそろって若死にしてしまった。
帝位欲しさに燕雲十六州を契丹に売り払ったのもこの時代の事件だ。
そのしばらく後、朝廷の不始末で契丹の太宗に首都開封を落とされたときに、
占領者太宗を帰国せしめた男こそ憑道。
この一件からも、朝廷や玉座より民と国を守ったということがわかる。

現代でも同一視されることが多い、「体制」と「クニ」が、
この男の中ではまったくといっていいほど別物になってしまっている。
その是非はともかくとして、傑物といえるだろう。

19: 無名武将@お腹せっぷく 2006/05/09(火) 00:23:37
藤堂高虎のなにがすごいかと言うと、鳥羽伏見の戦いで幕府軍の先鋒だったその子孫が
あっさり官軍に寝返った事。

22: 無名武将@お腹せっぷく 2006/05/14(日) 17:33:08
>>19
司馬遼太郎の関ヶ原にもそのエピソードあったね
裏切りを見た幕府軍の誰かが「藤堂家は始祖高虎の性質が家風に根付いてると見える」ってののしった、みたいな話が

47: 無名武将@お腹せっぷく 2006/06/23(金) 09:14:38
>>22
司馬遼太郎の作品で藤堂高虎が出る度にそのエピソードが、
書かれてたような気がする。
たぶん司馬は高虎の事嫌いなんだろうな。

20: 無名武将@お腹せっぷく 2006/05/09(火) 03:31:12
家訓でもあったのかな

21: 無名武将@お腹せっぷく 2006/05/14(日) 17:12:45
藤堂高虎は裏切りというより、津田信澄とか大和豊臣家とか使えてた家が滅亡してる方が多いんじゃね?

24: 無名武将@お腹せっぷく 2006/05/18(木) 01:49:09
有能な侍大将系の武将は常に引く手あまたで、評価の一番高い所に行くのは自然だから、
裏切りってのとはまた違う気が。

25: 無名武将@お腹せっぷく 2006/05/18(木) 01:52:53
馮道は武将じゃねーだろ

そういや李卓吾は彼に好意的だったね

26: 無名武将@お腹せっぷく 2006/05/18(木) 01:58:01
主君(王朝)がコロコロかわる時代だからしょーがない

28: 無名武将@お腹せっぷく 2006/05/18(木) 02:31:37
今、民を救えるのは仏じゃなくて陛下です

至言だと思うな
コレで叩かれるんだから中国は儒教狂いも良いところだ
朱子学なんざ生まれなけりゃ良かったのに。宋を国を滅ぼしたのは朱子学だ

29: 無名武将@お腹せっぷく 2006/05/18(木) 12:02:06
藤堂は秀長に仕えるんだが、その息子秀保の代で滅亡してしまう。
その後は秀長を思い、高野山に入って出家する。秀吉に乞われて宇和島の大名に復帰。
俺はこの人ほど義理堅い人はいないと思った。

30: 無名武将@お腹せっぷく 2006/05/18(木) 13:11:58
当時としては図抜けた巨躯と強力で侍大将としての就職口はいくらでもあった反面、
どこに勤めても主君に嫌われ長居できなかった高虎にとって
秀長は自分を「それ以上」の男と見込んでくれた、はじめて気の合う主君と呼べる存在だったわけだからねー。
江戸初期における築城の第一人者となる下地もこのころに学んだものだし。

31: 無名武将@お腹せっぷく 2006/05/18(木) 13:43:35
秀長って百姓出身なのに兄貴同様下手な生え抜きより戦上手で人遣いもうまかったらしいな

33: 無名武将@お腹せっぷく 2006/05/20(土) 00:15:47
>高虎
家康への献身ぶりとか知ると、これと思った人にはとことん尽くす忠臣タイプに思える。

34: 無名武将@お腹せっぷく 2006/05/20(土) 00:28:56
下手な譜代よりも家康と親しかったことから譜代連中に嫉妬されて「裏切者」の汚名を……

35: 無名武将@お腹せっぷく 2006/05/20(土) 02:50:39
秀保が早世せずに、高虎らが支える大和郡山豊臣家ってのももっと見たかったな。

45: 無名武将@お腹せっぷく 2006/06/17(土) 13:53:07
藤堂の評価には、
後世の二君を持たないという価値観の刷り込みと、
その価値観の影で培われたルサンチマンが、
大きく影響している。

現在の価値観では、別に転職に際して裏切りを行ったわけでもなく、
主君替えの契機も、自発的なものではない。

他に裏切りを繰り返した武将の多い中、
なぜに主君を変えたことが裏切りと混同された上、それを謗られなければならなかったのか。
それは、「成功者」であったからに他ならない。

二君を抱かず、というのは、支配者側にとって都合のよい美徳であったが、
成功者である藤堂は実例としてははなはだ不都合だし、
逆に被支配者である仕える側の視点だと、
転職に踏み切れないまたはそもそも転職できない自身の現状と比較して湧き上がる嫉み・ルサンチマンの矛先となる。

49: 無名武将@お腹せっぷく 2006/07/04(火) 22:20:58
勝ち馬にコロコロ乗り換えるのが上手過ぎるんだよなあ。

50: 無名武将@お腹せっぷく 2006/07/05(水) 02:11:48
普通、勤めていた会社がつぶれて転職する場合は、
より良い待遇で、より良い労働環境で、より堅実で、より成長性がある、
そんな会社を選ぶんじゃないか?

まあ、そんな都合のいい会社にめぐり合うことは現実ではなかなかレアだが。
だから、藤堂は何度も親会社倒産の憂き目にあって、
そのたびに、より良い会社に再就職しようと努力して、
そして最後に徳川に永久就職したんじゃないか。
むしろ、それまで勝ち馬につくのが下手糞で、最後の就職先でようやくうまくいったってことだろう。

それともなにか?
君は
会社がつぶれるなり、会社を辞めるなりして再就職するときに、
わざわざ潰れそうな会社や待遇の悪い会社を選ぶというのかね?

53: 無名武将@お腹せっぷく 2006/07/12(水) 00:46:01
裏切り上等の悪辣な高虎もそれはそれで魅力的なんだがな。

54: 無名武将@お腹せっぷく 2006/07/13(木) 01:18:47
高虎の場合槍働きも一流
城作りもうまい上に情報に聡い
そりゃ徳川家もリクルートしたがるわ

55: 無名武将@お腹せっぷく 2006/07/14(金) 01:20:47
高虎にしてみれば、大和豊臣家無嗣断絶の恨みもあったかもしれないしな。
羽柴高吉でも秀次の子供でも跡継ぎに認めていれば・・・

56: 無名武将@お腹せっぷく 2006/07/16(日) 18:02:12
高虎は世渡り(or裏切り)武将と言ってしまって問題ないな
他所にこれはと見込んだ人物が現れたら、堂々とそちらに擦り寄る行動を取る
でも他にそういう人物があらわれない限り主君に忠実だから結果重宝される
とにかく面白い武将だよ

>>54
高虎は戦下手ですよ

57: 無名武将@お腹せっぷく 2006/07/17(月) 00:38:47
いや、>>56のいうように槍働きも一流だし、
九州征伐(日向根白坂の戦い)とか慶長の役(漆川梁海戦)の例もあるし、
十分戦上手の部類に入るだろ。ただし、関ヶ原までは、という限定だが。

大阪の陣では、戦争すら「政治」にしてしまっている感があるが、
その徹底ぶりは、ある意味尊敬の念を禁じえない。
大体、領国が江戸に近づいた外様なんて、皆無に近いだろ。


引用元: ・【藤堂高虎】すぐ主君を変える武将【馮道】





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