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1: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/01/28(日) 16:42:39 ID:OOVfjFoU0
玄奘三蔵(602 - 664年)は、唐代の中国の訳経僧。三蔵法師の名前で親しまれている。
出家前の姓は陳で、幼くして出家した後、隋代末期の戦乱で各地を転々としながら『涅槃経』『摂大乗論』等について学び、20歳で具足戒を受ける。
唐朝成立の後、仏典の研究には天竺にある原典を求める他ないとし、また仏跡の巡礼を行いたいという思いから、貞観3年(629年)に国禁を犯して出国した。

河西回廊を経て、西域諸国を転々としながら天山北路を通り、中央アジアより天竺に到る。ナーランダ寺で戒賢より唯識を学んだ後、膨大な経典を携えて、天山南路を通り貞観19年(645年)に帰国した。この旅の記録は『大唐西域記』として残されている。
帰国後は、持ち帰った梵経の翻訳に専念し、生涯を終えた。
『大唐西域記』は後に、『西游記』の物語が生まれる基ともなった。

志を遂げんがために、危険を冒して西域へ踏み出し、目的を達した玄奘三蔵こそは英雄である。








2: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/01/28(日) 21:44:43 ID:x1RbvUlz0
西域の立ち寄った国で引き止められたりしたんでしょ。

人間的に魅力のある人物だったんだろうな。

6: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/01/29(月) 23:39:42 ID:MqGkT5ux0
玄奘はひそかに長安の西 門を出発した。
法律やぶりの密出国 だ。ときに玄奘27歳(29歳説も)である。
この情報はすぐに皇帝に知ら れた。手配書が各地に回ったが玄奘 は先ざきで仏教信者に助けられた。そ して深夜,迂回して西の国境玉門関 をこえる。
 
行く手には荒涼としたタ クラマカン砂漠が広がっている。 「天に飛鳥なく地に走獣なし」とい われる砂と風の空白地帯だ。昼間は 熱波,夜は寒気が玄奘をおそった。なんどもまぼろしを見た。海抜マイナス154mのトルファン盆地で炎熱 にやかれ,陽炎ゆれるボグドオラの 真っ赤な山はまさに火炎山だった。 高原地帯では高山病にも苦しんだ。

玄奘は多くの国を通過したが,ど この国でも尊敬され,とどまってほ しいとたのまれた。
ことばは通じな かったはずだが,玄奘は人間どうし なら理解し合えるという信念をもっ ていたようだ。
また,玄奘は身長が 180センチ以上,ととのったマスク と魅力的な声をもち,出会った人は すぐにひきつけられたという。

7: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/01/30(火) 12:12:26 ID:uOw3Xu9i0
玄奘三蔵は、最初タクラマカン砂漠へ踏み出した時点では、
供の者もなく一人だったのかな。

8: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/01/31(水) 02:04:06 ID:V3CLxtQs0
玉門関からハミ(伊吾)までの間に広がる砂漠は莫賀延碩(沙河)。
同行の僧とも分かれ、赤いやせ馬に乗ってたった一人、途中で水も尽きる。
インド往還でも一番厳しい箇所だった。
不東(目的を遂げるまで長安に帰らない)の決意を新たにしたのもここ、
夢の中で身の丈数尺の一大神(西遊記沙悟浄の前身)に前進するよう鼓舞されもした。
その後トルファン(高昌国)で王に引き止められたが、
結局旅の資金、衣服や従者を援助され、
天山山脈の南路(タクラマカンの北)を西進、やがてべデル峠(氷河)を超える。


玄奘は英雄としては下限ギリギリの7七尺半ないし八尺と記されているから
おそらく実際はそんなに大きくなかったと推測される。(by中野美代子氏「三蔵法師」)
外見は淑美で麗しく、声は清いと記述されている。

10: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/02/03(土) 23:19:56 ID:h8+xsO/m0
いくら美形でも女が演じるってのは……

11: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/02/04(日) 14:31:32 ID:dQofbcB00
国禁を犯して独り密かに出国した玄奘は、17年後に
群集のすさまじい熱狂に迎えられ長安に戻る。太宗皇帝の絶大な信頼を得る。
まさに時代の一大ヒーロー、偉業を成し遂げた英雄だった。
天竺から数百巻の経典や宝物を請来した清廉潔癖な聖者。

おそらくすでに生存中から脚色をともなった玄奘物語が口承され始めただろう。
そして弟子の書いた伝記等に様々な猿伝説などが合流して西遊記の原型ができ、
変遷の末、明代には現在読まれる「西遊記」が成立している。

しかし、そこでの玄奘三蔵法師は、清浄で信仰に一途な聖僧であるが、
頑固我侭かつ力は弱く、妖術すぐれた弟子たちに守られながら天竺に向かう。
中島敦は「悟浄歎異」で弟子らの師匠への思慕を書いているが、
いわばヒロイン的な立ち位置。西遊記でのヒーローは孫悟空だろう。
そうしてみれば歌舞伎の伝統のある日本のドラマ(エンタメ)で
女優三蔵がわりと好意的に受け入れられるのも不思議はないかと思う。

12: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/02/04(日) 14:37:52 ID:dQofbcB00
というか正直、個人的に夏目三蔵や深津三蔵はけっこう好きだ。
宮沢三蔵は見たことないがキャラが違う気がする。牧瀬も未見。
しかし清潔そうで知的な美男男優の演じる正統玄奘の西遊記は見てみたい。

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13: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/02/05(月) 23:57:31 ID:GkjDKC4p0
西遊記に出てくる妖怪たちは、西域の未知の土地の異民族を表しているのかな

14: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/02/06(火) 18:44:59 ID:NC1dm8Hp0
それはあるだろうな。

伝記によれば玄奘は何度も盗賊に襲われているが、
とくに中インドでガンガー河をわたるときのことが詳しく書いてある。
盗賊らは見目好い玄奘をドゥルガー神(シヴァ神の妃)に奉げようとしたが
玄奘は動ぜずひたすら弥勒菩薩を念じた。
黒風がおこり、河は荒れ、驚いた盗賊は悔いて五戒を受けた。
この辺が西遊記の玄奘受難の原型だろう。

また、インドの外道のひとつカパーリ外道は骨を頸にかけていたが、
その形状は沙悟浄に通じるものがある。

15: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/02/08(木) 23:39:30 ID:O4XqRUOO0
この頃って、西域は軒並み仏教国だったんだよな。
今はイスラム化しているから、全然想像できん。

16: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/02/10(土) 20:36:09 ID:ajU+f5kJ0
ムハンマドは570年頃~632年、玄奘は(諸説あるが)602年~664年で
ほぼ同じ時代に生きた人。
その後イスラムは盛んに勢力を伸ばし、インド最大の仏教寺院がイスラムに
破壊されてついにインド仏教の命脈が絶たれたのが1203年、
そのあたりを考えると感慨深い。
(ちなみに玄奘が西域記等でイスラムについて全く触れていないのは故意だ、
との指摘もあるが…どうだろう)

玄奘はゾロアスターやヒンドゥー(外道)の様子についてはときに記述しているが、
ブッダガヤや祇園精舎、クシナガラが荒れ果てたさまを見た心情はいかばかりか。
まあ、ガンダーラには往時の勢いはなかったが、
カシュミールやナーランダでこころゆくまで唯識論などを学んだからよいとして。

17: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/02/10(土) 20:47:26 ID:ajU+f5kJ0
それはそうと、中央アジアでもインドでも小乗仏教を奉ずる都市もあったわけだが、
クチャで小乗の高僧モークシャグプタを知ったときのこと。
玄奘は最初は敬意を払っていたが、
グプタがインドでの最新の論に興味を示さず、また勉強不足で論争もまともに
できないのを容赦なく追求し、
しまいにグプタに敬遠された(つかおそらく辟易されたw)エピソードがあり、
若い玄奘の志の高さというか、生意気なほどに意気軒昂なさまが伺える。

没年は確定しているが、生年や出国年には諸説あり
詳細は略するが貞観元年(627年)出国説もかなり有力であり、
そうするとインド出発当時の年齢が満年齢で25歳、
グプタとの論争時点で25、6歳か。いずれにせよ20代なのは確か。

つか学問の真理を求めて真っ直ぐな玄奘が自分は好きなわけだが。
この性格は西遊記の三蔵法師にも受け継がれていると思う。

53: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/04/05(木) 14:00:55 ID:i9TNFVge0
>>17
諏訪緑の玄奘西域記って漫画だとそこの下りがまさにクソ生意気な理の勝った若僧風
で面白い。
というかこの漫画の玄奘は基本的にずっとそんなんだが。
で、温和で理知的な人物としての三蔵像は彼の兄として登場するキャラが担当してて、
玄奘イメージを二人で二分割、同時に兄が三蔵法師で玄奘が悟空を担当って感じ。
あと天竺の外道を代表するキャラとシルクロードを代表するキャラ(カッパと豚担当か)
もパーティーに加わってくる。後半ではイスラム教と仏教の軋轢までやる。

基本少女漫画で微妙にホモくさいギャグとかあるのがちょっとアレだが一読の価値あり。

55: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/04/05(木) 21:38:31 ID:H6bZDihB0
>クソ生意気な理の勝った若僧風で面白い。
 

そういう玄奘っていいねえ。青臭いし、とんがってたと思う。
あの混乱の時期に危難かえりみず、俺こそが最新の仏教理論を理解できるって、
山より高いプライドと大きな学問的野心があっただろうし。

諏訪さん、史学専攻だけあって慈恩伝や大唐西域記をよく研究してるよね。
私は少しイメージと違ったりもするんだけど、あんな風な玄奘はすごく楽しい。
おもに仏教関係者の玄奘伝では、とにかく聖人で素晴らしい人、穏やかで思慮深いってのがデフォだし。
それはそうなんだろうけど、人間らしい玄奘、とくに十代二十代の若いころの玄奘が悩んだりする姿を、小説や伝記でもっと読みたいなあ。

18: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/02/12(月) 05:01:43 ID:cBwOCi090
西遊記のお師匠様は、芯は強いにしても弱々しく愛らしい方ですが
考えてみたらやはり若いんですよね。
藤原カムイの漫画の三蔵の雰囲気でしょうか。
史実の玄奘三蔵は若々しい情熱に燃える方だったんでしょう。

20: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/02/12(月) 10:56:06 ID:VRNlY4mc0
>>18
「TPぼん」に出てきたのが一番実像に近そう。
一番って比較対象がオレの中で少ないだけだけど……

21: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/02/12(月) 13:02:47 ID:cBwOCi090
「TPぼん」って知らなかったんですが、検索したら「西遊少女隊」の三蔵法師のように
屈強なおっさんとして描かれてるそうですね。
TVドラマの女性的三蔵法師へのアンチテーゼなんでしょうが
それもまた長距離踏破のイメージに偏りすぎじゃないのかなあ。

たしかに健脚・健康だったでしょうけど
「そんなに色白じゃインドの暑さに耐えられないよ?」と突厥の王さまに
心配されてるようだし、実際に旅で病気をもらって後に再発してるし。

一次資料が少ないから玄奘の実像には揺れがあるでしょうけど
出国時は意志の強い理知的な青年のイメージで私個人は無問題です。
でも「西遊少女隊」は面白いし、屈強三蔵もかよわい三蔵も玄奘の一面では。

22: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/02/12(月) 14:31:39 ID:VRNlY4mc0
>>21
「白竜のほえる山」という回の話です。
ここで描かれる玄奘は「エスパー魔美」の高畑さんを坊主にして髭の剃り跡を付けたような感じ。
たくましいが温和で理知的な人物として描かれてます。
それを見ての会話がこれw
ぼん 「夏目雅子ににてないね」
リーム「そりゃそうよ。行動的なたくましい男性でなきゃあれだけの大旅行できっこないわ」

> 「そんなに色白じゃインドの暑さに耐えられないよ?」と突厥の王さまに
> 心配されてるようだし、実際に旅で病気をもらって後に再発してるし。

病気になったことは知ってたが、突厥の王様に心配されていたとは知らなかった。

23: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/02/12(月) 17:51:27 ID:cBwOCi090
>>22
慈恩伝によれば突厥の葉護可汗が「…師の容貌をみると、どうもインドに行くと
病気になりそうです。彼の地の人は色黒で…」云々と。
引きとめたかったんでしょうけど。


>たくましいが温和で理知的な人物

それは納得できる人物像ですね。
大乗の戒律を守り旅行中勧められても肉食しなかった方ですから
行動的といっても痩身勁健なたくましさを私は想像しますが。
「西遊少女隊」や「きまぐれ悟空」のギャグ的人物像かと思い失礼しました。

興味あるので「TPぼん」買ってみます。情報多謝。

24: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/02/15(木) 15:56:50 ID:+El2VFbQ0
パミール高原とか、今の地図で見ても物凄く大変そうな道程だな。

32: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/02/18(日) 00:03:32 ID:BxhiRVD10
でも、「天竺熱風録」やTP本も本自体は面白いけど
「インド往復した=玄奘の実像がたくましい」という理屈は根拠薄弱と思う。
どちらも(玄奘を書くのが目的でない本だから)慈恩伝は読んでないようだし。

玄奘は沙河越えや氷山越えその他で苦労して、
信じがたい偉業を成就したけれども、
常人には為しがたい「探検」をしたわけではないし。
中国⇔インド旅する人は商人その他、僧侶も含め数知れずいて、
たとえば法顕は60超えてからで陸路インドに行っていて、
体格は知らないけど、乱暴に言えば60代でも行けるのです。

まあいずれにせよ、人を魅了するオーラのあるかっこいい人かな。
後半生の訳経時代の葛藤とかは演技派の俳優に演じてほしい。

39: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/03/20(火) 22:54:38 ID:hselD0jw0
もの凄く運のいい男だと思う
やはり、み仏の御加護があったということか

40: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/03/21(水) 10:58:51 ID:rNnJOf/s0
>もの凄く運のいい

砂漠超えのこと? 

41: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/03/21(水) 11:29:02 ID:1TTH/Awc0
天山で雪崩に遭うも奇跡的に自分と従者一名のみが生還したこととか

42: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/03/21(水) 13:24:09 ID:rNnJOf/s0
従者が四、五人凍死した、ってのは知ってる
何回も盗賊に遭ってるし、運もなきゃ成就できなかったのは確かだろうね

43: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/03/23(金) 10:08:45 ID:bPDVpn/aO
玄奘は南海の航海ルートを検討しなかったのかな?

44: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/03/23(金) 13:22:16 ID:ztoQOQQmO
わからないが、
1.マネーとか支援者がなかった
2.玄奘「それもまた修行か…(遠い目)」


他にあるかな

45: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/03/23(金) 20:00:04 ID:VoH08eSe0
3.玄奘は海が苦手だった。ていうか見たことない。
(インドでは見た可能性もあるけど、中国の海は生涯見てない。多分)

4.歩くのは苦にならない。
  玄奘は10歳ごろから22歳くらいまでの隋→唐の混乱期に、各地の高僧の元で勉学するために、
  生まれたとこ~洛陽~長安~成都~荊州~趙州~長安と転々としてたから、内陸移動は慣れてる。

5.目的地のナーランダーに行くには陸路のほうがいい。

6.長安でインドの仏教事情について教えてくれた中インド出身の僧侶プラバーカラミトラは
  陸路莫賀延蹟を超えてやってきたから、彼から西域の国・交通事情もいろいろ教えてもらった。

46: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/03/23(金) 20:10:21 ID:VoH08eSe0
行きはガンガー河で盗賊に殺されかけるし、
帰りはインダス河で経文50巻も落とすし。水は鬼門かも。

西遊記のお師匠さんも水責めに遭ったり川に落ちたり、散々だね。

47: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/03/23(金) 20:51:39 ID:1eN7ByKd0
三蔵って三国志の陳群や陳泰の子孫らしいな

48: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/03/23(金) 21:45:27 ID:VoH08eSe0
そうなんだ。陳群は曹操の文官?

玄奘の先祖は、後漢の蔡よう(書家)や魏の阮籍(竹林の七賢人)と同じ河南の陳留の出らしいけど、
陳留は賢い人を輩出してるんだね。

49: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/03/24(土) 06:30:19 ID:KHzoIZeZ0
チングンは曹操の文官というよりは魏帝国になってからの高級官僚ってとこ
九品官人法作った人

50: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/03/24(土) 13:44:13 ID:wAaK6T2r0
九品官人法はウィキ読むとすごいきちっとした制度だねえ
陳泰は頭のいい武将で「きわめてつつましく潔い人柄」とか

祖先は官吏が多く、お祖父ちゃんは学者、お父さんは官吏にして読書人…
玄奘の頭のよさとか学問への真摯な姿勢とかは、まあ代々受け継いだもんもあるのか

64: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/04/22(日) 15:10:40 ID:FPW9uWmLO
現代中国における玄奘ってどんなイメージなのかな?

やっぱ、歴史上の偉人・高名な訳経僧・唯識法相宗の大成者ってことより、西遊記のイメージが殆ど一般的なのかな?

66: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/04/23(月) 06:58:42 ID:oi+J4uwb0
>>64
どうだろうね。
歴史ドラマの中で出てきたりはしているみたいだし、偉人として認識はされてるだろうけど、
多少は復興してるとはいえ廃仏の影響は多大だろうし、仏教的共感はないのかも。
(日本でドラマや小説に興味ない層でも般若心経=玄奘として敬愛を集めてるのとは事情が違う気がする)
やっぱ西遊記ドラマの人物としてのほうが一般的なのでは?
中国の西遊記ドラマは少ししか観てないけど清廉な高僧、真面目堅物、イケメン…って描かれ方してた。

72: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/05/20(日) 00:35:37 ID:U+GoArk/0
小乗仏教との論戦のために書かれた『制悪見論』は、
ナランダ寺他の三蔵法師を始め、誰とて一字の誤りすら指摘できなかったのは凄い。
更に曲女城大法会で、「一字でも間違いを指摘されたら、
論主(玄奘)の頭を切って謝罪する」と主催者の戒日王が宣言したが、
一ヶ月の説法を無事に終えたのも頭が下がる。

まあ、戒日王の護法の権力の効力もあるが、
外国語を操って一ヶ月も説法を続けること自体並大抵の才能ではない。

76: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/05/23(水) 00:56:04 ID:TkJlRF410
>>72
抽象的で精密なインド哲学を咀嚼し、中論、瑜伽論にも精通していたから
ナーランダ寺では講義までしている。
小乗仏教のみならずバラモンやニルグランタ外道(ジャニア教)、カパーリ外道らの論拠も知り尽くして
やりこめることもできる。
その令名はクマーラ王やハルシャヴァルダナ王の耳にまで達して引っ張りだこ…
で、曲女城大法会で論戦することになったと。
玄奘はホントに稀代の学僧、心底尊敬するね。

73: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/05/21(月) 18:52:13 ID:HObPaOaD0
玄奘さん、身体の方がかなり丈夫だったんだろうか?
そうでなきゃ、あんな過酷な旅、なかなかできないでしょ。

74: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/05/23(水) 00:00:16 ID:TkJlRF410
旅に出たときは普通に健康だったんじゃないのかな。
10代から中国各地を歩いていたから健脚ではあったかも。
インドで持病をもらったみたいだし、西域の王様が玄奘の健康を危惧してたし
すごく丈夫だったわけではないでしょう。

伝記には美形でスタイルもよかった程度の記述しかないけど、
馬や徒歩で二年もかけてインドへ行ったから、スレンダーで引き締まった体だったと思う。
マラソンランナーみたいな感じで。
少林寺のお坊さんみたいに鍛えてたわけではない(暇があったら学問に費やした)だろうから、
マッチョ系では全然ないだろうね。

75: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/05/23(水) 00:04:46 ID:TkJlRF410
というか、玄奘はとにかく学問を究めたいという激しい情熱があったわけだから、
もし病弱だったとしても、それでもインドに行く方策を考え、
2倍3倍の時間をかけるなり、途中の国でも十分に体を休めるなりして志を貫こうとしたんじゃないかな。

ときどきあの旅をこなしたから丈夫だったorマッチョだったみたいな想像もあるようだけど、
むしろ肉体的には普通? それでもあれだけの偉業をなしとげたのが玄奘だと私は思うな。

77: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/05/25(金) 14:07:40 ID:hhCz9CNN0
立ち寄った国々でえらく歓迎されたし、
人間性にもカリスマがあったんだろうな。

79: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/05/26(土) 10:36:29 ID:W0N8NHaf0
学者・翻訳家・組織者・名文家としての面も強調して欲しいもんだ。
特に帰ってからの仏教者としての業績は神だぞ。
般若心経だって彼が漢訳したものといわれているし。

80: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/06/02(土) 10:38:54 ID:tSQQ4vY30
玄奘の真骨頂は長安帰朝以後だね。
言葉を追求する姿勢が生半可じゃない。
旧訳の金剛般若経の題名に能断の文字が含まれていないことを批判し太宗に語ったこと、
玄奘が旧訳の経典の講義を許さなかったことに、禅宗の古参の僧法沖が苦言を呈したエピソード等、
「真理はひとつ」ということにかたくなにこだわった玄奘らしい。
まぎれもなく古今東西、最上級の学者のうちの一人だ。

玄奘の業績・内実が素晴らしかったからこそ「西遊記」伝説が創られ広まっていったし、
今では本家の「西遊記」のみならず、西遊ドラマ、漫画、小説で三蔵法師は様々に造形されているが、
真面目さ、清廉さ、厳しさ、ストイックさ、真理や正しさを追求する頑固さ、わがまま、美形など、
それぞれが史実玄奘の片面を確かに伝えている。
まあ要するに玄奘三蔵は永遠のヒーローorアイドルだと声を大に主張したい。

82: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/06/12(火) 00:22:22 ID:M9Cm0ju70
学問的な意味での頭のよさに加えて政治的な頭のよさ・手腕も持っていたから
世俗の道に進んだとしても大きな成果をあげてたと思う。
でも恋愛や結婚にはあんまり身を入れない気がする。
周りは騒ぐだろうけど。
「自分の道を究める」のを己が人生の目的とするような男だ。

あ、でも一途=頑固ゆえに失敗してたかもね。

84: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/06/14(木) 15:11:51 ID:/jvmRT/m0
三国志で有名な魏の陳羣の子孫らしいですね。玄奘三蔵。

86: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/06/15(金) 02:12:13 ID:Q5K633G60
正確には陳羣の祖父の子孫と記録に残ってて陳羣の直接の子孫かどうかは明確じゃないらしい

87: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/06/15(金) 02:23:10 ID:Q5K633G60
ちなみに陳羣の祖父は屋根裏に泥棒が潜んでるのを知ってて息子二人を呼んで人間に根っからの悪人はいないと説いて泥棒が感激してでてきて
「貧しいからあなたはこんなことをしてしまったのだ」と諭してお金を持って帰らせた人徳者

88: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/06/25(月) 01:26:10 ID:sdba1rtU0
慈恩伝や続高僧伝の玄奘伝の冒頭に 「釋玄奘…漢太丘仲弓後也」 とあるな
仲弓は太丘県の知事をしていた陳寔(104~187)の字で、その長男が陳紀、そのまた子どもが陳羣だな

ところで続高僧伝は慈恩伝と比べれば枚数ずっと少ないとはいえ
慈恩伝にない記述もあって面白そうだなんだが…漢文の書き下しなので自分には難解だ
兄長捷法師の記述に次いで「奘少にして窮酷に罹るを以て、携えて以て将ゐて之き日に精理を授け…」
とあるのは、貧しかったから洛陽に連れて行ったと解していいんだろうか

90: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/07/04(水) 10:06:06 ID:Zhy3iz1Q0
翻訳を生業とする自分
最近ひょんなことからこの方の帰朝後の功績を知る機会がありいろいろ調べてみたが
翻訳家としても偉大な方だとつくづく思う
もの凄いエネルギーと言葉というものに対する執念深いと言ってもよいほどのこだわりを感ずる

91: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/07/05(木) 09:43:44 ID:nvsVhdRw0
末端の学者にとっては玄奘は最高に尊敬できる学者だ。
評伝には「中国の民に真の経典を伝えようとして」などと書かれることも多いが
本当のところ彼自身が最新の学説を知りたくて知りたくてしょうがなかったのだろう。
学問的情熱ゆえに万難を排して最前線のインドへ赴いた。
帰朝後は太宗から再三参謀になるよう請われても上手にかわしながら翻経に没頭、
17年6か月の間に翻経チームで千三百三十八巻、ならせば五日で一巻を訳しあげた計算になる。

玄奘にとって真理は一つであったから、
サンスクリットの原文を厳密に吟味し訳語を一つに定めたら、それ以外の訳語は認めなかった。
学問的正確さが第一目的だったからだが、そのためかじつは玄奘の翻訳は大衆受けはしていない。
たとえば有名な般若心経の「観自在菩薩」は玄奘の訳語だが、
一般には「観世音(観音)菩薩」のほうがはるかに広まっている。

あの時代、唐で勢いを得たのは禅宗であり、後には密教が興隆する。
玄奘が追求したのは学問的な色彩の強い仏教だが、その精緻な理論が
唐代の各派の興隆に基礎を与えたのも確かだろう。
余談だが西遊記で三蔵法師が禅僧のように描かれているのは面白い。

93: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/07/24(火) 01:26:36 ID:S4vYEtKx0
西遊記の三蔵のモデルは、玄奘と考えるよりも善無畏。
だから大唐三蔵取経詩話では、酒好きで猴に桃を盗ませる。

94: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/07/24(火) 16:33:06 ID:SD/d+4UI0
たしかに『大唐三蔵取経詩話』三蔵の造形に、酒好き食いしん坊の善無畏三蔵が混じっているのは
研究者諸氏から指摘されている。
しかし『西遊記』の三蔵のモデル=善無畏と言ってしまうのは飛躍でしょう。
『大唐三蔵取経詩話』は西遊記物語群の中で欠落が少なく現存している資料であり、
そこから西遊記伝説の変遷を探ることが可能というだけで。
明刊本・清刊本『西遊記』の三蔵は堅物な高僧であり、玄奘三蔵のある部分を伝えている。

95: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/08/23(木) 06:40:41 ID:Sf1+MamR0
玄奘の頃って僧になるのも許可がいったよね。

96: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/08/23(木) 16:31:21 ID:IX17M8yT0
うん。勝手に出家するのは私度僧といって禁止されていた。租税収入が減少するから。

99: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/09/23(日) 23:37:37 ID:prfi1vWE0
玄奘は言葉ひとつひとつに非常にこだわって旧訳を刷新したが
般若心経に関しては鳩摩羅什の旧訳をほとんど変えていない。
いろいろ思うところがあったんだろうな。

砂漠で唱えた般若心経についても鳩摩羅什の旧訳説とサンスクリット原語説があるが
さてどちらが玄奘らしいか。

100: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/10/03(水) 09:59:57 ID:hToQX1tX0
18 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/02(火) 09:31:08 ID:8jCv0d7s0
>>17
違う違う

西遊記の元となった大唐西域記を記したのは鳩摩羅什より後の代の玄奘。
大唐西域記自体は旅行記録みたいなものだけど、
ずっと後の時代に、それに手を加えて伝奇風に仕立てたのが、西遊記。


19 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/02(火) 16:49:07 ID:xbu2shFl0
大唐西域記よりも慈恩伝の影響の方が大。
というか玄奘が生きてるころから高僧(三蔵)伝説が人口に膾炙し始めた。
それに猿伝説等が合わさり、講釈師が改作する。
そして明代に道教グループがいろんな仕掛けを加えて整えたのが現在残る西遊記。

鳩摩羅什は非常に真面目な人という印象だ。
後涼で呂光が羅什を自身のブレーンにするために、一室に閉じ込めて酒と女をあてがい
還俗を迫ったエピソードは、彼の僧侶としての矜持を考えるになんとも気の毒だ。

109: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/12/23(日) 19:24:38 ID:v7jRRtkQ0
玄奘が求めに行った瑜伽師地論ってヨガの経典でもあるんだね。
西域を踏破した体力でヨガの体術までマスターする超健康的な三蔵も見てみたいもんだ

110: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/12/24(月) 15:02:59 ID:8TEnZNFH0
唯識は人の心の底の無意識などの働きを考察する哲学で
意識や無意識を統一するための実践方法がヨーガだけど…

玄奘が禅定以外の修行してる図は想像したことなかった。
生真面目な人ってイメージなんで、健康さわやかにヨガに励んでるの想像すると和む。
行動力あるからインドではそれくらいしてたかもね。外道の修行には否定的だったけど。

174: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2011/08/21(日) 19:22:20.19 ID:MajEW6+/0
史実を基本にした西遊記の映像化というのが以前から観たい
徒歩でヒマラヤ山脈を越えて16年もかけて唐から天竺まで往復となれば
孫悟空らの出番がなくとも充分に歴史的な大冒険であろう
相当な難地形での山越え渡河もあったろうし
山賊も出たろうし遊牧民との交渉もあったろう

玄奘が達磨大師流の拳法ぐらい身につけてたとしてもおかしくない
俺のイメージでは史実の玄奘は夏目雅子ではなく金城武みたいな感じか

178: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2011/09/15(木) 19:56:26.71 ID:lnu9x/xf0
そういや西遊記なのに史実の玄奘に近づけたとか言われるとう~んて感じ
はっきり言って史実の玄奘と西遊記の玄奘はほぼ別人だし
そんな事する位なら大唐西域記とか実写化すれば良いのにとは思う

179: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2011/09/15(木) 23:33:21.22 ID:Jq36+vOp0
「大唐西域記」は地理書で、各地で伝説・説話も採取している紀行本。
弟子が書いた「大慈恩寺三蔵法師伝」が玄奘の伝記。
  
玄奘の生涯を語るなら、隋唐の社会・政治の混乱、西域やインドの事情を書いてたらきりがないから、
とにかく玄奘自身にスポットを当てて豊富な逸話から人物を描くといいな。

180: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2011/09/15(木) 23:36:51.72 ID:Jq36+vOp0
1.幼少期。
   利発、聡明、寡黙、長兄への思慕と尊崇。得度を得、洛陽で修行ののち成都に赴く。

2.青年前期(21歳か23歳くらいまで)。
   学問への希求心が強く、また社会の混乱もあって唐内各地を歴遊して仏典を学ぶ。
   (戒律順守し、肉食しない質素な食事で相当な距離を歩いただろうし、
    身体的には痩身で無駄のないマラソン選手のようだったと思う)
   諸説入り乱れる仏典解釈に疑問を抱き、インドで真の経典を得ようと決意。
   もちろん当時最新にして最高峰の仏教哲学「瑜伽師地論」を研究したい気持ちも強い牽引力に。
   違法出国を成功させるために、国境や西域国の諸々の事情を綿密に調査し、
    インドまでのルートや旅費を周到に準備した。

3.青年後期~(20代後半)
   玄奘伝での圧巻。エピソードも豊富。
   国境越え。「不東」の決意。
   莫賀延磧で遭難、死にかける中、深沙神を見る。
   やがて伊吾国に至り高昌国王の庇護を受けるも、出発を許されない。
   断食して衰弱した末にやっと出国。膨大な旅費(物資)や供を得る。
   盗賊に遭いつつも、ペダル峠の氷河越え。凍死する供多数。
   西突厥の葉護可汗の庇護を受ける………まどなどしてインド到着。

4.~壮年
  インドで学問に専念。ナーランダー寺、マガダ国などインド中を歩く。
  あるときガンガー河を渡るときに盗賊団に遭い、眉目秀麗故にドゥルガー神への生贄に
  されそうになるも、神風?が吹いて盗賊たちを改心させる。

   
5.壮年~老年。(63歳で逝去)
  違法出国から18年、唐に帰国。
  太宗に丁重に迎えられる。
  太宗は西域事情に詳しい玄奘を還俗させて政治を補佐させたがるが、玄奘は固辞。
  洛陽の弘福寺、のちに長安慈恩寺で訳経に従事。
  西域求法の旅で罹った呼吸器系の持病に苦しみつつ、死ぬ直前まですさまじい勢い
  で訳経し続けた。  (平均五日間に一経典だったとか)

  玄奘のメモを元に大唐西域記を編纂した弟子の弁機は、房玄齢がらみの陰謀に巻き込まれ、
  腰斬の刑で死刑に処せられている。(おそらく西域事情を知りすぎたため)
  そんな厳しい政治的状況の中をどうにか泳ぎ切り、あくまで僧籍を離れずに仏典研究に没頭し、
  「瑜伽師地論」をまとめた晩年だった。

181: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2011/09/15(木) 23:40:50.55 ID:Jq36+vOp0
玄奘伝としては当然、西域求法の2、3あたりが中心になるだろうけど、太宗をかわしつつひたすら訳経し続けた帰国後も面白いと思う。

玄奘を描くキーワードは、真面目、質素。探究心。学問的野心。意志の強さ。
悪く言えば、頑固、融通がきかない部分がある。(学問的にも頑固に学説にこだわるところがあった)

でも西域の旅や帰国後を考えれば、ただの素朴な学問僧ではなく、
政治的な目配りを心得た老獪な部分もあったと思う。ただしすべては学問のため。
弟子(弁機)を見殺しにしてしまったときの心境も、描き甲斐がありそう。


引用元: ・【大唐西域記】 玄奘三蔵 【西游記】





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