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1: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/09/03(日) 01:32:56 ID:OM+wiq7r
佐久間信盛(1527-1581)

『退き佐久間』の異名を持つ、織田家の柱石・佐久間信盛を語ってみようか。








3: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/09/03(日) 01:37:43 ID:jgLhmbpU
「退き佐久間」って、すぐに「退けっ」って言うからこういうあだ名がついたような気がする
どう考えても勇将タイプじゃないし

6: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/09/03(日) 01:55:07 ID:ZFWLvv0/
>>3
「引き戦に強い」って意味。攻める戦に強いのはいくらでもいるが、退却戦に強い
武将ってのは物凄く貴重だぞ。

4: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/09/03(日) 01:47:43 ID:OM+wiq7r
※信長の折檻状の内容

一、佐久間信盛・信栄親子ともども天王寺に五年間在城しながら何ら功績もあげていない。
  世間では不審に思っており、自分にも思い当たることがあり口惜しい思いをしている。

一、何ら功績もあげていない信盛らの気持ちを推し量るに石山本願寺を大敵と考え、戦もせず、調略もせず、ただ城の守りを堅めておれば、幾年かもすればゆくゆく信長の威光によって引き下がるであろうという見通しだったのか。
  武者道というものはそういうものではない。 
   勝敗の機を見極め一戦を遂げれば、信長にとっても佐久間親子にとっても本意なことであのに、一方的な思慮で持久戦に固辞し続けたことは分別もなく浅はかなことである。

一、明智光秀の働きはめざましく天下に面目をほどこし、羽柴秀吉の功労も比類なし。  池田恒興は少禄の身であるが摂津花隈を時間も掛けず攻略し天下に名誉を施した。
  これを以て奮起を発し一廉の働きをすべきであろう。

一、柴田勝家もこらの働きを聞いて、越前一国を領有しながら手柄がなくては評判も悪かろうと気遣いし、この春加賀へ侵攻し平定した。

一、武力に不甲斐ない者は謀略などをこらし、相足らぬ所を報告し意見を聞きに来るのに、五年間それすらない。

一、信盛の与力・保田知宗の書状では本願寺に籠もる一揆衆を倒せば他の小城の一揆衆もおおかた退散するであろうろあり、信盛親子も連判している。 
  今まで一度もそうした報告もないのにこうした書状を送ってくるというのは、自分のくるしい立場をかわすためあれこれ理由を付け言い訳しているのではないか。

一、信盛は家中に於いては特別な待遇を受けている。
  三河・尾張・近江・大和・河内・和泉に、根来衆を加えれば紀伊にもと七ヶ国から与力をあたえられている。
   これに自身の配下を加えれば、どんな一戦を遂げようともこれほど落ち度を取ることはない。

一、水野信元死後の刈谷を与えておいたので家臣も増えたかと思えばそうではない。
  水野の旧臣を追放しておきながら、跡目を新たに設けるでもなく。  結局、追放した水野の旧臣の知行を信盛の直轄としてしまうのは言語道断。

一、山崎の地も同様で信長の声かかりの者まで追放してしまう有様。  これも先の刈谷と同じである。

一、譜代の家臣に知行を加増してやったり与力を与えたり、新規に召し抱えたりしているなら未だいいがそれも無い。
   ただ自身の蓄えを肥やすのみであり、天下の面目を失ってしまった。  これは唐・高麗・南蛮の国まで隠れもないことである。

一、先年、朝倉をうち破ったとき、戦機の見通しが悪いとしかったところものともせず、結局自身の正当性を吹聴し、あまつさえその場を立ち破るに至って信長も面目を失った。
   その口程もなくここに在陣し続けていまの働きの程は前代未聞である。

一、甚九郎(信栄)の罪状を書き並べればきりがない。

一、大まかに言えば、第一に欲深く、気むずかしく、良い人を抱えようともしない。  その上、いい加減な働きをすれば、行き着くところ親子共々武者の道を心得ていないからこのような事になる。

一、与力を専ら使役し、他への取り次ぎや戦事にはこの与力で軍役を済まし自身の家臣を使わない。  領地をただ遊ばせ無駄にしている。

一、信盛の与力や家臣たちまで信栄に遠慮している。
   自身の思慮を自慢し穏やかなふりをしても綿の中に針を隠し立てたような怖い扱いをするのでこの様になった。

一、信長の代になり30年間奉公し信盛の活躍は比類なしと言われるような働きは一度もない。

一、信長の生涯の内、勝利を失ったのは先年三方が原へ援軍を使わした時で、勝ち負けの習いはあるのは仕方ない。 
   しかし、家康のこともあり、おくれをとったとしても兄弟・身内やしかるべき譜代衆が討死でもしていればその甲斐あって運良く戦死を免れたと人々も不審には思わなかっただろうに、一人も死者をだしていない。
   あまつさえ、もう一人の援軍の将・平手汎秀を見殺しにして平然とした顔をしていることを以てしても、その思慮無きこと紛れもない。

一、こうなればどこかの敵をたいらげ、汚名を濯いだ上帰参するか、どこかで討死するしかない。

一、親子共々頭をまるめ、高野山にでも隠遁し連々と赦しを乞うのが当然であろう。

12: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/09/03(日) 02:06:31 ID:57M1t3Sa
>>4
この折檻状、半分以上は言い掛りだと思う・・・

8: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/09/03(日) 02:01:30 ID:/xJAk94+
織田家と対立してる勢力に再就職出来なかったのか?

10: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/09/03(日) 02:04:18 ID:ZFWLvv0/
>>8
あの段階で、表立って織田家と対立しようって勢力がいたらそれはキチガイだ。
まあ、「何かあったときのため」の、捨扶持を密かに与えていた勢力はあったかもしれないけど。

9: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/09/03(日) 02:03:41 ID:57M1t3Sa
佐久間改易後に八カ国のほとんどが
信長・信忠の領地になっていることも鑑みよう。
ここに真相がある気もする。

13: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/09/03(日) 02:08:24 ID:BoFzVnTk
信盛追放は譜代の者たちへの尻たたきだと妄想

15: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/09/03(日) 02:15:42 ID:l0az7imZ
尾張が本拠、徳川領と接するため三方ヶ原の合戦では三千を連れて応援にいくも
家康の出撃策と信盛の篭城策が反発し、ほとんど戦わずに兵を退く
織田家中にあっては明知、羽柴、丹羽、柴田、滝川、荒木と並ぶ軍団長、本願寺攻め
を任される。上洛戦の際から↑の将と同じく信長に重く用いられていたが
浅井攻めの際の失言や本願寺、武田戦の怠慢などを理由に追放される

16: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/09/03(日) 02:19:41 ID:Wio2aYDm
信長は何を求めて追放したのかな?

自己満足?理想化?
効率化?再編成?
みせしめ?喧嘩?

20: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/09/03(日) 02:25:48 ID:/xJAk94+
>>16

東尾張の豪族をまとめてた一族で、大和や山城、摂津などの畿内の豪族を与力に従えてたのに
大坂方面になんら成果を出してないので、再編成でも効率化でも見せしめでもあると思う

21: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/09/03(日) 02:27:49 ID:446Crj5e
>>20
信長自身が指揮を取っても大した成果を上げられていない戦いで
成果を上げろって方が無理だべや。

22: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/09/03(日) 02:31:09 ID:/xJAk94+
それはちと違うでしょ
信長自身がかかりっきりで、成果を上げてないなら兎も角
信長が仕事を任せたのに成果を上げられなかった訳だし

他にも失敗してる武将や、なかなか成果を上げられなかった武将はいたけど
それでも休みなしで色々工作したりしてる
その差と思うが

26: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/09/03(日) 02:47:00 ID:446Crj5e
>>22
本願寺に工作?
武士に対する工作なら金と所領だが、一向門徒には?
結局兵糧攻めか力攻めしかねーべ。
で、力攻めは何度やっても失敗してる。
兵糧攻めしかねーだろ。

17: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/09/03(日) 02:21:07 ID:vsf8zjtk
前々から思っていたんだけど、「退き佐久間」って呼ばれる様な功績って佐久間信盛にあるの?
信長って敗戦自体そう多くはないし、信盛が殿を務めて活躍したって話も聞いた事ない、
信長公記にも載ってない、有名な金ヶ崎の撤退でも信盛の名前は無いし、
どうにも実体のない異名としか思えない。

18: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/09/03(日) 02:22:38 ID:2GaDIdao
退き、というのは逃げ弾正みたいなもんでしょ
撤退のことじゃなくて兵の進退の駆け引きの上手さを指したとか

19: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/09/03(日) 02:24:14 ID:2GaDIdao
後は兵站なんかも佐久間が結構担当していたみたい。
要は後方支援だな。

25: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/09/03(日) 02:38:56 ID:JaQw9S1k
朝倉軍追撃の時、激怒する信長に対して、唯一口答えした気骨溢れる武将です。
度胸があるのか、身の程知らずなのか・・・・
佐久間信盛

天正元年(1573年)8月の一乗谷城の戦いの直前、戦場から離脱する朝倉義景軍の追撃を怠った織田家臣団の面々は信長の叱責を受ける。その際信盛は涙を流しながら「さ様に仰せられ候共、我々程の内の者はもたれ間敷(そうは言われましても我々のような優秀な家臣団をお持ちにはなれますまい)」と弁明し、信長の怒りに油を注いだ(『信長公記』)。


30: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/09/03(日) 02:57:54 ID:kjvW/rQ9
>>25
良く言えば、皆が言えない事を言ってくれた。
責任感が強く、意外と気負ってる人かも。

41: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/09/03(日) 10:12:10 ID:jgLhmbpU
>>30
皆が言えないことを言ってくれたってのは違うと思うけどな
特に秀吉なんか「何言ってんだこの馬鹿」って内心苦々しかったと思うぞ

49: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/09/03(日) 17:36:27 ID:Tprvo4tQ
>>41
そういう人が一人はいてくれないと。
信長には気づいてほしかったんだろうねえ。

33: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/09/03(日) 03:02:38 ID:2GaDIdao
最後は高野山追われて従者にも見放されて
逝き倒れ一歩手前な窮死でしょ?息子はまだ若いから
体力で助かったが・・・


なんか、会社のために必至に頑張ったのに…
定年間際になってリストラって感じだ

34: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/09/03(日) 03:05:32 ID:m5fID2TE
信盛はやっぱり愚将じゃない?

もしも、信盛のポジションに秀吉がいれば
本願寺相手に5年間ボーっとして過ごすことは絶対無かった。

35: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/09/03(日) 03:09:08 ID:kjvW/rQ9
>>34
対上杉謙信を拒否したのに、それ以上に厄介な本願寺を相手にするかな?
むしろ全力で配置換えを画策するなり、必死に信長を引き出しそう。

38: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/09/03(日) 04:03:40 ID:ZFWLvv0/
愚将を信長が何年もあんなに追い使うわけがないだろ。

信盛を愚将だと言うって事は、信長を愚将だと行っているのと変わらん。

39: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/09/03(日) 04:36:32 ID:XCPXxZdc
期待して優遇したのに駄目だったって事は、やっぱり凡将だったって事だろ。
息子の正勝くんが中々の人物だからこいつのせいかも知れんが。

46: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/09/03(日) 15:58:31 ID:tiSp+W7q
本能寺の変の前年に死んでるのがなんとも・・・

48: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/09/03(日) 17:18:43 ID:igEIEuVP
佐久間は畿内の外交官だと思う。
たしか、柳生とも書簡のやりとりしてたらしいし・・・

ただ、佐久間以上の外交通の明智にポジションを奪われ、
仕方なく戦闘の方に回されたと思う。

51: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/09/03(日) 18:46:29 ID:GocQomEM
谷口克広氏あたりだと、佐久間信盛が追放されたのが
教如が退去して本願寺が焼失した直後であったことから
信長の狙いは大坂の町をそのまま手に入れることであったと推測しているが。

52: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/09/03(日) 19:55:54 ID:wDh9939j
寛政重修諸家譜の信栄(正勝)の項には

後明智光秀が讒により父信盛とともに高野山にのがる。信盛死するののち、右府其咎なきことを知て後悔し、正勝をゆるして城介信忠に附属せしむ。

とある。

55: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/09/03(日) 20:52:58 ID:0kcKNJrH
もうちょい生きてたら許してもらえた可能性もあったんじゃね

57: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/09/04(月) 00:05:23 ID:G7nGAV3x
突然の環境変化と、何よりも追放の衝撃が若くない身にひびいたのでしょう。信長の許しも得られないまま、信盛は翌天正9年(1581)の7月24日、隠居地の十津川で湯治中に病没しました。
信長の古くからの家臣でありながら、その最期は失意のうちに迎えざるを得なかった信盛。ただ晩年を過ごした十津川一帯は、大変閑寂な土地であり、わびさびを愛した信盛にとって静かに余生を送ることができたのは、不幸中の幸いであったのかもしれません。
享年55歳。今も十津川には彼が眠る墓がひっそりと立っています。

59: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/09/04(月) 01:25:55 ID:CNxdo8PG
高野山で助けてくれたお坊さん達に
織田家に帰ったらお礼するからねって言ってたんだよね(;ω;`)

62: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/09/04(月) 04:27:43 ID:gxDsVJRz
>一、甚九郎(信栄)の罪状を書き並べればきりがない。

ちゃんとかけよ信長さんよ

71: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/09/06(水) 08:44:33 ID:GXAf8SFP
本願寺勢に調略が通じないで、話が通ってるけど本当にやるだけ無駄だったのかな?
中には、利に転ぶ奴とかもいそうなもんだけど
確か、根来衆は途中で退去してなかったっけ?
詳しい方、ご教授お願いします

72: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/09/06(水) 09:50:23 ID:q7gVSjnx
>>71
詳しい人ではないが・・・
当時の本願寺門徒なんて、今で言うオウム(アレフ)信者みたいなものでしょ。
本願寺のために戦死すれば極楽浄土に行ける って本当に信じてたみたいだし。

そんな基地外集団が聞く耳を持つわけがない。
根来衆は、根っからの信者じゃなかったんだろう。

73: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/09/06(水) 10:01:41 ID:O9rf8uSQ
>>71
同じ浄土真宗でも本願寺に協力しない寺社もあるから普通に調略は有効だろう。
また本願寺のトップにしても最終的に和睦している以上全く話しが通じないわけではないしさ。

75: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/09/06(水) 10:57:00 ID:1WmWsTcs
本願寺を一枚岩だと思ったら間違い。加賀越前あたりだと
本願寺から派遣された坊官と国人・檀家が対立して命令系統がズタズタ
石山退去の折には教如を担いだ主戦派が徹底抗戦を唱えてる
ただその内部分裂に付け込む隙はあったと思うけどね

76: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/09/06(水) 14:08:57 ID:TRTmfrM1
そういう隙をつきもせずに茶会三昧だったのが信盛

79: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/09/06(水) 17:34:20 ID:APcd0rkz
>>76
内部崩壊しそうな組織を外部から攻撃するのは逆効果ってこともある
それに本願寺以上に織田家の足元も不安定だしな

80: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/09/08(金) 23:58:45 ID:Y0dAbG3p
息子の佐久間信栄は1582年に放免されているんだよね。
信盛ももうすこし長生きしていたら許されていたかも。

81: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/09/09(土) 01:53:03 ID:2ye0HlJf
逆じゃない?
信盛が死んだことがきっかけで、息子くらいは赦してやるかと思ったのかも。

86: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/09/11(月) 05:45:23 ID:Ut6nIRpe
情報が大名以上に入手出来る現代人の俺達だって、宗教団体は暴力団よりヤバイっ
て認識したのは最近だろ?(オウムや統一教会等々最近は、宗教団体>>>暴力団)
きっとあれだよ当時でも直接やり合った謙信や家康なんかは解ってたんだろうけど
信長とか現代人並みの無神論者だろ?宗教団体の異常さが解らなかったんだよ。
「はぁ?坊主と素人が篭城して金に雇われた傭兵が守ってる処を5年も掛けてるの?」
「でっ戦果や被害状況はどうなのよ?」
「はっ今包囲中成れば合戦には及んで下りません」
「(#^ω^)ビキビキ」

150: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/10/12(木) 03:19:17 ID:13GA7EEV
宗教団体の力を信長が知らなかっただとw
普通に身内が宗教関係の戦いで殺されてるじゃねぇかw

87: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/09/11(月) 06:00:12 ID:G6oZgR+n
ビキビキというより信長は発破をかけただけと思う。しかし佐久間はまさかの隠遁。
名は命より重いの間逆を貫くそのスタイル。

まあ信盛は信長に対して含む所があったんだろうね。当て付けっぽい感じというか。

88: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/09/11(月) 09:02:01 ID:JrI0S00E
信長は働きが悪い部下に対して叱って何か手柄を立てるまで帰ってくるなという例が
他にもあるから佐久間丹羽林のような負の部分だけ取り上げるのはどうかと思う。

90: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/09/12(火) 00:52:59 ID:L2+tHf1p
>>88
前田もそういった帰参組みだしね。
ただ利家は明らかに罪を犯しての出奔だから一緒にもできないか?

103: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/09/13(水) 14:01:06 ID:wHF0bYTD
>>88
(確か)「織田信長 常識のウソ」っていう、説得力のほとんどを武功夜話に依存した本では
追放された後の信盛の奮起に期待したのだと主張してたな。あるいはそうだったのかもしれない。

104: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/09/13(水) 14:17:52 ID:RWrKbedC
>>103
あれ?追放されたくなければもっと奮起しろ、という名目だったが、
佐久間親子が震え上がって自ら高野山に逃げ込んだ為に信長が激怒したという話じゃなかった?

92: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/09/12(火) 06:54:13 ID:LrTknajB
織田家の殆どが信行を押すなか、一貫して信長を押していた信盛、
俺が同じ立場だったら、功なくても裸一貫で高野山に送ることはできないな。

98: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/09/13(水) 02:39:54 ID:8LaHCsVh
本願寺相手にてこずるまでは普通に織田軍の
中心として活躍してたのに、彼の評価は低すぎる

99: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/09/13(水) 12:10:59 ID:7vVSJCFk
最盛期は尾張、山城、大和、河内、和泉を束ねて本願寺攻めをしていたから
160万石くらいを支配してて、織田家臣団でもNO.1だったようですしね。

108: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/09/13(水) 19:40:24 ID:sX4bprys
この人が生きていれば勝家とタッグくんで秀吉に勝てたのに・・・
つうか光秀うって天下人になれた・・・


よね?

113: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/09/16(土) 17:39:29 ID:FfEfjftP
山岡荘八の小説では、演技で処罰したことにして、佐久間に武田に内通させたり
裏の仕事に利用してたね。
まあ歴史に現れない、策略の一環だった可能性はある、息子は許されてるようだし。
信長は短気だけれども、それ以上に生粋の戦略家だからな、処罰する事で何かに利用したのかな。
たんに短気起こしたとは思えん

114: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/09/16(土) 18:42:37 ID:wD/hekau
本当に無能だったから、働きが薄いからって理由は短絡過ぎるよな
むしろ背後関係を疑って当然。
例えば多く畿内等重要領地を与えすぎた為にそれを一気に直轄にするために
佐久間にイチャモンつけたってのがもっともしっくりくる
佐久間が奮起してどっかを切り取ったらそこを与えれば済む話だし

123: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/10/01(日) 09:13:57 ID:n1Fq94E6
この人何か哀愁があるよな
でも本願寺包囲だけじゃ信長が物足りないってこと悟らなかったあたりがちょっと

137: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/10/10(火) 17:15:32 ID:xb0q7bQh
よくいるじゃん。いらいらさせる性格のやつ。
ポジション与えたら増長して仕事いいかげんになるし、
かといって尻に火をつけたら萎縮して何もしなくなるみたいな。
そういう奴だったと思うよ信盛は!

高野山でのんびりするのがこの人の為だったんじゃないの。

138: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/10/10(火) 22:33:11 ID:yQN4nfvv
>>137
ほんとにそうなら
信長は大した忍耐力だな。30年間もポスト与え続けて
んでそんなイライラさせる武将が綺羅星の如くの織田家の家臣団に
よく30年も居れたね。信長の人材登用はおかしくないから実は思った以上に
能力のある武将だったんだろうね

139: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/10/10(火) 22:42:23 ID:xb0q7bQh
>>138
初期に信長に協力したのがでかかったんじゃないの?
ああみえて信長は情に厚い面もあるぞ。
それと、能力があっても、性格的に活かせない人間ているよね。
最初から無能だったらいくら信長が恩を感じてても厚遇されなかったと思うし。
だから余計いらいらさせたんだよ。

143: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/10/11(水) 10:38:26 ID:u20vPE4a
折檻状の内容が事実なら弁護の余地はない(もう一度戦って挽回する機会も放棄したし)
信盛としては、俺らはもうたくさん頑張ったんだから楽させてくれよ、みたいな感じで気力が切れてたんじゃなかろうか
尾張時代に比べれば信じられないほど領地も財産も得た、これ以上戦ってこれを失うより守りに入りたいと

144: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/10/11(水) 10:40:45 ID:u20vPE4a
で、結局「罪状を並べることさえ愚かだ」とまで酷評した息子は信盛没後に再度取り立てて、家は立つようにしてやってるあたりが信長の複雑な思いを感じさせるな

145: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/10/11(水) 17:19:45 ID:7BgS0Wx+
部将の器であって大将の器じゃなかったんだろうよ
信長家督相続以来の臣は伸長とともに何だかんだでみんな城持ちになってるんだから中には実力に不釣り合いな奴も出てくるのは当然だろ

信盛は自由な裁量を与えられた時に自由の扱い方がわからなかったんだろうよ
現代社会にだってだっているだろ?おまえらにも心当たりの1人くらいいるだろ

スポーツ界でよく言われる、名選手、名監督にあらず

147: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/10/11(水) 20:26:58 ID:ekHT3tO5
そもそもなんでこんな折檻状が出来るまでほっといたんだろう?
何らかの問題があるなら、それこそ左遷するか、配置換えするか
早めに手をつけるべきなのに・・

やっぱり佐久間の本願寺対策には問題がなかったんじゃないかな
で、信長もそれを知ってたから特に咎めなかった

実際、信長の佐久間批判ってこれ以外にあるのかな

149: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/10/12(木) 03:14:19 ID:cy3v2W12
>>147
ないんだよねえ。
岐阜を信忠に譲ったときは、信盛の屋敷にはいったほど。

151: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/10/12(木) 08:09:44 ID:G5Wyo3nx
「無闇に対峙中に指揮官を交代させたら戦闘に悪影響が出る」から不満が出ても対本願寺戦は信盛を変えなかったとか?
言われている折檻状の罪過は本願寺戦総指揮官になって大軍団長になってからの怠慢がほとんどだから、このあたりでオオポカ連発してただけかも

153: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/10/12(木) 12:50:36 ID:86TCuY4d
織田家最大の7カ国を率いてたのに折檻状をみるに
その兵はほとんど遊んでたっていわれれば
松永戦、雑賀攻め、荒木戦、で自ら?動いて遊軍的な働きをしているわけだしなぁ

実際佐久間がケチなのは本当だったの?

例えば明らかに兵力が少ないとか、名高い武将がいないとか

154: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/10/12(木) 13:06:41 ID:N8Q6bstA
寛政重修諸家譜(江戸時代の幕府作成系譜図)だと、光秀の讒言で追放されたが後に信長が咎が無かった事に気付いて信勝(信栄)を復帰させたとある
けどこれって厳しい解釈だよな。なら讒言者が罰せられてないとおかしい

155: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/10/12(木) 18:07:25 ID:mL224x0p
単に光秀悪人史観が根強かっただろってことにしかならんよな

157: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/10/12(木) 21:47:29 ID:UEqoB0vb
だいたい折檻状の内容も異常だろ
本願寺攻めの際に怠慢だったとかはともかく
十年位前の朝倉攻めの時の遅れた自分達の弁護や
三方ヶ原で勇敢に戦わなかっただとか
30年重臣やってれば誰にでもあることだろうに
こんなのつきつけて追放なんて柴田も明智も羽柴も丹羽も正直震え上がっただろ

173: 名無し議論スレにて投票方法審議中 投稿日:2007/01/18(木) 23:27:10 ID:bYN022Ie
信長に追放されなければ確実に織田第一の功臣だったろう。
所領は近畿を摂津和泉を中心に百万石以上

182: 名無し議論スレにて投票方法審議中 投稿日:2007/01/21(日) 09:46:02 ID:7k3O/GBf
>>173
だからこそ追放されたんだろうな

197: 名無し議論スレにて投票方法審議中 投稿日:2007/01/23(火) 18:17:23 ID:o5tnXTUW
>>182
俺もそう思う。そして信盛の次は権六だったとも思う

175: 名無し議論スレにて投票方法審議中 投稿日:2007/01/19(金) 18:37:21 ID:XjAot2Rv
かわいそうな人だね
目立つ逸話は全部悪い方向なのばっかりで最後は追放だからイメージが悪い
調べて見れば結構優秀な武将。十分織田家の五本の指には入る功臣


引用元: ・織田家家臣団の筆頭格・佐久間信盛




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