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1:
女性天皇や橘三千代、光明子など女性政治家達が活躍した奈良時代に
ついて語りましょう。








4: あらいぐま ◆6IX3ooIIIo
丁度この時代扱ってる漫画、みんな読んでる?
里中満智子の「天上の虹」とか。

15: 日本@名無史さん
>>4
称徳帝を主人公にした漫画もなかったっけ?
ああいう時代を題材にした漫画ということで一応チェックしてみたけど、
あまり面白いとは思えなかった。
里中先生の描き方がどうこうっていうんじゃなくって、漫画になると
それぞれの登場人物の感情とかが具体的に描かれるので、個人的には
ちょっと引いちゃうところがあるんだよねえ。
でも、里中先生はあの時代のことを色々調べられてるんだなあと思ったし、
一つの「フィクション」としてはそれぞれの女性の心情の移り変わりを
とても丁寧に描いてらっしゃるなと思いました。

16: あらいぐま ◆9klrrr3OOI
>>15
称徳天皇の漫画の方は読んでないんだけど、「天上の虹」は
奈良時代の入門編としては、ヘタな学術漫画よりいいかなと思ってます。

20: 日本@名無史さん
>>16
うん、そうね。
歴史の説って色々あるから、ある程度あの時代に興味のある人でそういうことを
知ってる人からは「アレ、ここはこういう風にも言われてるのになあ」みたいに
感じることもあるかもしれないし、自分もなんかそういうところで引っ掛かって
しまう部分もあったんだけど、あの時代に興味をもつきっかけとしてはすごく良い
本だと思う。

11: 日本@名無史さん
政治家じゃないけど、藤原袁比良はどう?

13: 日本@名無史さん
藤原袁比良、仲麻呂の妻ってコト以外になにも知らない

蛇足だが、あと「サル」のイメージがある。
言うまでもなく漢字のイメージだ。

24: 日本@名無史さん
称徳はもし道鏡への譲位が実現してたらその次にはどのような「皇位」継承を考えてたんですかね?

27: 日本@名無史さん
ま、即位させる野望が孝謙天皇のなかにあったとして
その後の事まで考えていたのだろうか
仲麻呂じゃあるまいし、そこまで緻密な性格してたとは思えないのだが。

34: 1
>>27
仲麻呂との対立とは違って道鏡への譲位に関しては周囲に支持する勢力も
なかった訳で称徳個人の「暴走」ではあったんでしょうが、やはり前スレで
紹介されてたように中継ぎみたいな感じの譲位を予定してたんでしょうかね?

37: 日本@名無史さん
>>34
称徳女帝としては自分の存在価値を「草壁皇子の皇統の正嫡」という点に置いていたと思うんですよ。
そうなると、やはり最終的には同じ草壁皇子の子孫に皇位を渡したいと考えるのではないかと。

44: 日本@名無史さん
>>37
確かに母方(藤原氏)の課題が「皇統に藤原氏の血を入れる」だとしたら、
父方(天皇家)の課題は持統の時から「皇統は草壁皇子の子孫に」ですから
ねえ。
天皇家の一員として称徳も小さい頃から「草壁の血脈」というものを意識
するよう育てられたんでしょうしね。

39: 27
根拠があまりない話のさらにその時点の将来設計の想像をして何になるのか

常識的に推測したら、孝謙の頭の中の設計図も道鏡一代で
次は普通に天武系の皇子にと思っていたのではないの?
それこそ孝謙と道鏡の皇子ができたら一も二もなく立太子だろうけど
そういう妄想はエロだから嫌なんだろ?
おれにしちゃどっちもどっちだけどさ

43: 日本@名無史さん
>>39
意味わからん、君が道鏡の次は他戸親王だと
称徳は考えてたと、書いたんじゃなかったのか?
おれも、称徳が道鏡に皇位を譲りたくて道鏡法王を企てたのだと
考えてるよ。
でもその後は、また高僧に禅譲させるつもりで道鏡も称徳もいたと考える。
だた、周囲の反対にあって道鏡が即位できたとしても一代限りに終わって
皇位をまた天皇家に戻った思う。

49: 日本@名無史さん
>>43
>でもその後は、また高僧に禅譲させるつもりで道鏡も称徳もいたと考える。

性的な関係ではなくて、やはり当時の称徳って今の新興宗教の教祖へ前財産
寄付してしまうような感じで、道鏡を通しての仏教というものを「盲信」して
るような状態だったのかもしれないですね。

46: 日本@名無史さん
道鏡の失脚は、藤原氏vs称徳だけじゃなく
仏教vs神道の宗教対立があったのではないかな?
この事件の背後は、結構複雑ですよ。
称徳の心中も含めて・・・・・・・・

56: 日本@名無史さん
2人の間にあったのは肉欲の結びつきじゃなくて
宗教観だったと思う。

68: 日本@名無史さん
里中真智子の「女帝の手記」は、この時代に関する知識を持っている
者が読むとすごくくだらない糞漫画だと思うのですが・・・
「天上の虹」も、持統天皇ファンが読んでどうですか?
夫に愛されないあまり愚痴ぐちねちねちした、女になってる。
こんな持統は好きじゃない。
この漫画は、「政治家持統」も上手に書けていないと思うのですが、魅力が
足りないですね。

69: 日本@名無史さん
>>20にも書いたけど、確かにあの時代に関心のある人間にすると引っ掛かって
しまう部分もあるよね。

70: 日本@名無史さん
>>69 
たくさんあります 
ありすぎですよ。 
もっと、中身の濃い漫画が書けなかったのかなあ。
「仲麻呂にべた惚れの孝謙女帝」
この設定からして、失敗だと思う。
仲麻呂の愛人は光明皇后であって孝謙とはなにも関係がなかった。
のが、事実に近い。
女帝の手記がフィクションでもノンフィクションでも、痛い漫画であることには
変わりない。

72: 日本@名無史さん
>>70
いっそ山岸先生の「日出処の天子」くらい「はじけて」くれたらフィクション
として愉しめると思うんだけどねえ・・・。
史実から離れて一人の架空の「女帝」の物語であれば、あれはあれで良いと思う
んだけど、やっぱり称徳とか持統の話としてはアレ?っと思う部分もあるよね。

73: 日本@名無史さん
仲麻呂と光明皇后って性的な関係があったのではって言われてるんですか?

75: 日本@名無史さん
>>73
性的な関係があったであろう。とかあったと思う。
と書いてる学者は梅原猛さんしか知らないw
学者で、肉体関係云々と書く人っているのかなw?

76: 73
>>75
レス、アリガトン。
一応は超少数説なんですね。
一応叔母と甥の性的関係自体はあの時代有り得ないことでも何でもなかった
んでしょうけど、やはり光明子は皇后ですからねえ。

77: 日本@名無史さん
フリンの関係を認めるとまずいと・・・・苦笑。
はっきりと同時代の史書に書いてナいしね、憶測だけじゃ皇后の不倫説はダメ
なんじゃない。

81: 日本@名無史さん
不破内親王と井上内親王て、マイナーながら
奈良時代ファソから人気が結構ありますね。
2人とも聖武皇女でも阿部内親王と比較すると脇役人生でした。
でも人気があるのはなぜでしょうか?

不破内親王

不破内親王(生没年不詳)は、奈良時代から平安時代初期にかけての皇族。聖武天皇の皇女。

時期は不明であるが、新田部親王の子で天武天皇の孫にあたる塩焼王と結婚している。

神護景雲3年(769年)1月、県犬養姉女、新田部親王の娘である忍坂女王・石田女王と共謀して称徳天皇を呪詛し、志計志麻呂を皇位につけようとしたとして、再び内親王の身位を廃され、厨真人厨女(くりやのまひとくりやめ)と改名させられたうえ、平城京内の居住を禁じられた。志計志麻呂は土佐国に配流されている。

宝亀3年(772年)12月、呪詛事件は誣告による冤罪であったとして、内親王に復帰している。

延暦元年(782年)閏正月、息子の氷上川継が謀反を起こそうとしたとして伊豆国に配流されたのに連坐して、娘たちとともに淡路国に配流された。



井上内親王

井上内親王(養老元年(717年) - 宝亀6年4月27日(775年5月30日))は第45代聖武天皇の第1皇女。母は夫人県犬養広刀自。伊勢斎王、のち第49代光仁天皇の皇后。
天平勝宝6年(754年)、37歳という当時としては高齢出産で酒人内親王を産む。その後、天平宝字5年(761年)、45歳で他戸親王を産む。

光仁天皇が宝亀元年(770年)10月1日に即位すると、それにともない、同年11月6日に立后され、また翌2年(771年)1月23日には他戸親王が立太子される。

宝亀3年(772年)3月2日、光仁天皇を呪詛したとして皇后を廃され、同年5月27日には他戸親王も皇太子を廃されることになった。

宝亀4年(773年)10月19日、同年10月14日に薨去した難波内親王(光仁天皇の同母姉)を呪詛し殺害したという嫌疑が掛かり、他戸親王と共に庶人に落とされ大和国宇智郡(現在の奈良県五條市)の没官の邸に幽閉され、同6年(775年)4月27日、幽閉先で他戸親王と同日に薨去した。なお、この不自然な死には暗殺説も根強い。


82: 日本@名無史さん
あまりにも気の毒な人生だからワイドショー的興味をそそるんじゃない?
単なる日陰者じゃなく、どっちも安倍に対抗意識バリバリぽいよね。
不破は恐らく大いに塩焼王をけしかけただろうし
井上は光仁即位に狂喜しただろう。
漏れには屈託のなさそーな安倍が好もしいけど

84: 日本@名無史さん
>>82
おれも不破内親王って好印象が無いんですよ
色々と頑張って、皇位を自分の物にしようと画策するも
失敗におわってる点で、ダサい。用意周到に緻密な計画を練って
行動を起こしてるんならまだしも、そういった努力は見られないし
ただ問題行動を起こしてるわがまま暴れん坊皇女って感じ。
不破からみて阿部皇女が聖武天皇から優遇されてると思えるらしい。
母親なんだから妬みで、政界騒がすな!って思う。

91: 日本@名無史さん
>>84
不破内親王は父親の聖武天皇からも嫌われていたらしいからなあ。
なんか性格に問題あったのかもな。
桓武天皇の時代になってまでいろいろ策動して処罰されてるし。

86: 日本@名無史さん
平安時代と違って藤原氏の生んだ皇子(皇女)が優位っていう原則がまだ
確立してない時代だからなあ。
やっぱり自分達も同じ皇女でありながらっていう意識があったんだろうなあ。

87: 日本@名無史さん
姉妹より安積親王が気の毒だったよ
聖武唯一の男子だったのにさ。
16歳の死はあまりに早すぎる。
母親の嘆きもいかほどか・・・本人に野心がなくても
彼の血統を利用してのし上ろうとした貴族が大勢いたんだろう。

92: 日本@名無史さん
血筋をみると不破が女帝になってもおかしくはないかな。。
阿部がなれたんだから・・・・。
と、当然不破内親王も考えて猛進したんだろうけど
彼女の賛同者がいないというのは・・・・彼女自身に問題があったのかな。

94: 日本@名無史さん
>>92
阿倍は正妻の子で不破は側室の子、というのも大きかったのかも

95: 日本@名無史さん
皇后の皇女と側室の皇女じゃ
周囲の扱いがぜんぜん違ったろうね。
うーん阿部タンが自由奔放になるのも無理ないか。

100: すまぬ
井上・不破って確かに可哀相かもしれない
光明が皇族ならいざしらず、同じ臣下の娘を母に持ちながら
一方は帝王候補、その母上としてきらびやかな存在
県犬養広刀自は安積を襲った不幸に嘆きながらフェイドアウト
この待遇の差はナニ!?みたいな。

102: 日本@名無史さん
>>100
不破は一応、塩焼王と恋愛結婚したみたいだし
子供にも恵まれたからそれに甘んじてれば幸せだったかもしれない。
安陪は、女帝にはなったもの、彼女が望んだことではないし
家庭の事情を考えての選択だったから幸せだったとは
思えない。不幸でもなかっただろうが。
井上の方がもっと悲惨かも。
小さいころ伊勢に追い払われ孤独。帰省したらおじいさんと結婚。
最後は、その旦那に濡れ衣を着せられ子供と一緒に獄中死。
あと毒殺早死に安積も悲惨。

ついでに某王も、せっかく生まれてきたのに
一年未満で死なんカワイソウ。

106: 日本@名無史さん
>>102
えー、不破も井上も皇族、しかも内親王だよ。誇りはとても高いはず。
親王でもない単なる王の妻にならされて(他に行き場もなかったけど)
一方の安倍は皇太子→天皇だよ、これで僻まないはずがない
おまけに皇族資格剥奪云々は、彼女らが内親王であり、実質的には
安倍と何ら資質的に変わることがないことから来てる。
運命の酷さを感じないではいられない。

でも漏れは安倍タソが好き。なんとなく

109: 日本@名無史さん
>106
あの当時で、親王扱いの男子っていた?
たしかに、内親王の婿に「ただの王」だとつりあってないね。

111: 日本@名無史さん
>>109
年齢的につりあうのは多分いないと思います。
文武には首だけだし、天武系の穂積とか新田部はトシ。
何せ聖武天皇が、安倍の次は大炊王やら道祖王を挙げたくらい枯渇。

119: 日本@名無史さん
>>109
吉備内親王の婿もはじめは「ただの王」だよ。婚姻を結ぶことによって「長屋親王」になったみたいだけど(木簡による)。

120: 日本@名無史さん
「長屋親王」は内輪の私的な呼称だったのでは・・・


長屋親王説

長屋王の邸宅跡から発掘された木簡に「長屋親王宮鮑大贄十編」の文字があったこと、『日本霊異記』の長屋王の変に関する説話では「長屋親王」と称されていることなどから、在世時には長屋親王と称されていたとする学説もある。長屋王と吉備内親王の間の子供達が外祖母にあたる元明天皇によって二世王の待遇(元来は天武天皇の三世王)を受けていることなどから長屋王に対しても特別待遇がされていた可能性もある。

通常の律令解釈によれば本来親王は天皇の息子または孫に天皇から直接「親王宣下」されない限り名乗れなかったとされる。

ともあれ、前述の4万点に及ぶ出土木簡の、「長屋親王宮」や「大命」の記載は、王家の生活や経営の実態とともに、皇親としての謎にせまるものとして、解明が待たれる。


125: 日本@名無史さん
>>119-120
長屋は別格だろう。
皇太子でしかなかった草壁の子(つまり皇孫)が軽"皇子"などと呼ばれ、
その上即位(文武)したのだから、太政大臣高市皇子の子である長屋は
まさに皇子(親王)格。
その上、軽と長屋の母親は同母の姉妹である、阿へ(=元明)と御名部
なんだから、母方も超一級。

103: 日本@名無史さん
ところで「称徳と道鏡は愛人に非ず。仏教の結びつけた師弟関係」と書いてるのを見たけど、根拠ってあるの?
すまんね。学説とか知らないんでよかったら教えて。

104: 日本@名無史さん
>>103
2人とも出家してるから。
仏教では男女の交わりをもつと破戒(罪)になる。

105: 日本@名無史さん
>>103
それから称徳の死後
道鏡は、左遷させられるけど男女関係があったのなら
道鏡は破戒僧の罪で僧籍を剥奪され追放されてないといけないから。

107: 日本@名無史さん
帝王が庇護している僧を、本山か何かしらないが
僧籍剥奪やら追放やらできるのでつか?

確か奈良期の仏教界は、中国のように独立した権限を持つ
機関ではなかったと認識しているのですが。

110: 日本@名無史さん
>>107
だから道鏡を庇護してた称徳の死後に・・・
って書いたじゃん。

113: 日本@名無史さん
>>110
称徳の死後ったって、天皇の罪を天下に晒すことができるのですか?
道鏡には一人で頑張るほどの根性も政治感覚もなかったようだし
曖昧なところで左遷にしただけでは?

115: 日本@名無史さん
理詰めでいったら104-105になるかもしれない。
でも当時はものすごい少数だけの関われる密室政治の時代で
現代より遥かに理屈も筋も道理も通り難かったんじゃないかなぁ

だから光明子の立后なんてぇ前代未聞のことができたわけで。

116: 日本@名無史さん
あの時代の仏教界ってどういう状態だったんだろうね。
鑑真とか帰国した留学僧の影響の下で戒律というものがすごく重視されてたと思うけど、
その一方で国家仏教として権力の影響下にあっただろうから破戒の問題もきわめて政治的
な問題だったよね。

117: 日本@名無史さん
井上靖だったか「天平の甍」では、仏教の命である戒律さえ
格好つけるだけのカタチありきのものとして浸透したように書いてあるよね
僧が一般民衆のために活動することさえ禁じられていた奈良期だから
公務員的性格がとても強かったんじゃないかと思うよ。
誰が給料くれるヤシの悪事を暴けるだろうか。

118: 日本@名無史さん
「天平の甍」は個人的にすごく好きだけど、しかし所詮小説だしな。
井上靖の「孔子」は論語の理解が足りてなかったし。

160: 日本@名無史さん
長屋王一家の首吊り自殺で、一件落着って酷い話や。
しかも容疑はデッチアゲだったわけだしね。
残された遺族も不憫や。

161: 日本@名無史さん
でも、不意をつかれたのかもしれないけど長屋(天皇家)側もあっけないよね。
不比等が権力の基盤を作ってたとは言え、まだ藤原氏の権力も磐石じゃないだろうし、
ああいう無茶がよく通ったなあ。

162: 日本@名無史さん
>>161
ホント。あっけなさ杉。推理すると
長屋王を庇護してるのは元正上皇だけだった。
時の天皇聖武に嫌われてた。最高権力者の天皇の協力があったから
藤原氏の陰謀が成功したのかも。
それと、他に敵が多くいて完ぺき主義潔癖主義だったと思われる
長屋王は孤立していたことを本人は最後になって気がついたとか。

163: 日本@名無史さん
>>162
う~ん、やっぱり無茶が通る背景には朝廷とか他氏族の支持があったって
ことなんだよねえ。
でも、不比等の時代をはさんだとは言え、天武の皇親政治時代からそう
時代が経ってない事を考えると、やっぱり天皇家側は押されてるなあ。

165: 日本@名無史さん
持統・元明がもっと早く昔を忘れて、長屋王を登用すればよかったんだよ。
せめて、文武が早死にして、首はまだ幼少、元正が独身、残るが吉備内親王の
3子だけになった時点でもっと焦るべきだった。
元正の政治が悪かったわけじゃないけど、独身ではどうしようもない。
吉備の子供にスライドさせるには、長屋王を品位を挙げて摂政に近づけつつ
元明から御名部に譲位し、吉備か元正を経て3子に継がせるしかない。
文武が死んだ時点で元明が腹をくくればよかったんだろうけど
まぁ不比等もピンピンしてたから無理かもしれないけど
ある程度布石しておけば、不比等が死んだ一瞬の隙をついて
事を起こせないこともなかったと思う。

171: 日本@名無史さん
>>165
長屋王には皇位継承させなければいけない可能性があったので、逆に登用が遅れた。
王は親王と違って登用されると臣下扱いになっちゃうから(官位も「品」じゃなくて「位」なんだよね)
という説があったような。

166: 日本@名無史さん
長屋王の屋敷って、そごうがつぶれたのは祟りらしいけど、
なんで、イトーヨーカドーになっちゃったんだろうね?

168: 日本@名無史さん
なんでヨーカドーつっても・・・しゃあないやん

なんか長屋王ってスキなんだよね。理論家ぽくないか?
長屋王、仲麻呂、時代が合えばいいライバルになったかも

169: 日本@名無史さん
奈良時代の藤氏と皇親勢力の権力のキャッチボールを眺めてると面白い。
確かに言われてみれば長屋王って理論家っぽいイメージはあるかも。
親王と言われてたとか色んなことが明らかになりつつあるから関心を誘うよね。
長屋王が生きてたら天皇家と藤原氏の関係も大分変わってただろうね。
でも、仲麻呂と長屋、確かに同じ時代に生きてたら、それぞれ藤氏と皇親の
代表として火花を散らしたんだろうな。


引用元: ・【奈良時代の★女★政治家達】






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