51JM1Q3HKJL




1: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/12(水) 16:05:08 ID:OLmTLQyr.net
利休七哲の一人として、茶人としての令名もあり
代表的なキリシタン大名でもある
高山右近について語りましょう!








4: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/12(水) 16:13:35 ID:TOfKt/Mw.net
洗礼名はユスト

9: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/12(水) 16:38:10 ID:x+j1z0QT.net
マニラではVIP待遇だったとか。
大豪邸を与えられたらしい。
旅の疲れと慣れない気候のせいか、すぐ病死しちゃったけど。
高山 右近

高山 右近(たかやま うこん)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。代表的なキリシタン大名として知られる。

慶長19年(1614年)、加賀で暮らしていた右近は、徳川家康によるキリシタン国外追放令を受けて、人々の引きとめる中、加賀を退去した。長崎から家族と共に追放された内藤如安らと共にマニラに送られる船に乗り、マニラに12月に到着した。イエズス会報告や宣教師の報告で有名となっていた右近はマニラでスペインの総督フアン・デ・シルバらから大歓迎を受けた。しかし、船旅の疲れや慣れない気候のため老齢の右近はすぐに病を得て、翌年の1月8日(1615年2月4日)に息を引き取った。享年64。



10: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/12(水) 17:26:38 ID:esSMb2sz.net
利休七哲には何気にキリシタンが多い

12: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/12(水) 21:11:02 ID:5AzCCRGN.net
高岡市民曰く
(高岡古城)公園を作ってくれた人

32: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/09/10(日) 21:57:15 ID:mmH2i/mq.net
>>12
古城公園に高山右近の銅像がある。学校のHRでゴミ拾いの名目で散歩してるときに見つけた。

そんな自分は高岡市隣の氷見市民。

17: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/13(木) 01:11:18 ID:isCYv3bM.net
マラリアにかかって死んだようだね。

18: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/14(金) 21:16:42 ID:HOqz1wlt.net
貧しい人々の葬儀に自らその棺をかついた大名。

20: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/18(火) 22:27:17 ID:08lN5u2Y.net
右近没後の家族達はマニラでどうしていたんでしょうか。

21: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/24(月) 16:24:13 ID:aCMKNkm0.net
妻ジュスタはマニラに追放になって、のち帰国してるけど
十次郎は追放前に亡くなってるよね

22: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/28(金) 01:03:07 ID:XmsMv43/.net
フロイス『日本史』でのベタ褒めっぷりが凄いですね。

24: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/28(金) 12:49:06 ID:OQMg437g.net
やっぱり直に見たもんだから信憑性高いとみていいんだよね。
今度パラ読みしてみようかなあ…

34: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/31(火) 13:23:09 ID:9WtuFZvB.net
>>24
フロイスは誇張癖があったみたいで、同僚からも信用されてなかった

25: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/28(金) 13:23:20 ID:EB2FMAaw.net
伴天連的史観はあるだろうけどねー
オレも気が向いたら読むかも

26: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/28(金) 18:49:14 ID:PnbaVK6Q.net
枚方の寺社襲撃や野美神社(名前あってるか自信なし)の件はやっぱ関与してんのかな?

28: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/08/11(金) 13:55:05 ID:nnFNLocG.net
>>26
野見神社ね
右近に追放された、高槻の旧城主和田惟長が信仰していたとか
専ら右近が神社を取り壊したことになってるが、違うのかな?

29: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/08/12(土) 14:33:17 ID:yLGBMV4j.net
取り壊したのは右近だよ
跡地に天主教会堂が立てられたとされる

野見神社は元和五年(1619)藩主松平家信により再興された

31: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/09/09(土) 23:51:46 ID:CULQh1ix.net
本能寺の変の時、光秀は右近が自軍に参加してくれると思っていたようです。。
有岡攻略の時の残虐な処置から右近は必ず味方になると。

35: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/16(木) 15:44:05 ID:kH8kBcPh.net
この人、松永久秀の片腕で奈良の大仏焼いた人でしょ。
その後、松永を裏切って和田惟政についたが、和田惟政が荒木村重に殺されたら、
幼い嫡子の惟長を殺害して高槻城を乗っ取り、
主人を殺した荒木村重の家来になった。
荒木村重が謀反を起こすとそれを裏切って、織田信長の家来になり、
荒木村重を攻めた。
荒木村重は逃げたが、その家族は城ごと焼き殺されてる。
織田信長の家臣となると、明智光秀の家来として従う。
明智が謀反を起こすと中川清秀とかたらって豊臣秀吉に
寝返る。
だいたい、こういう経歴。

ルイスフロイスのお気に入りは、大仏を焼いた高山右近と
比叡焼き討ちをした明智光秀。
本能寺の変のときは明智の家来に宣教師が保護されていることから、
明智や高山とは親しいと思われる。

36: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/18(土) 15:37:06 ID:d6orc1Dt.net
>>35
現代のフロイス現る

37: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/19(日) 17:35:54 ID:jUzw7veB.net
和田惟政の嫡子を襲って殺害し、高槻城を乗っ取ったのは
ルイスフロイスも書いてるよ。
家来の反撃で腕と顎に傷を受けたが、神のご加護で
助かったって書いてる。

40: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/26(日) 03:57:51 ID:jNQIuVFA.net
松永の家臣は父親のときじゃなかったか?確かその時にキリシタンになったはず
それでキリシタン嫌いの松永から
キリスト教の理解者である和田惟政に仕えるが惟政は茨木で中川らと戦って戦死
息子の惟長は父に似ずに仏教信仰の人で
惟政や高山親子によって栄えていたキリシタン文化を毛嫌っていたので、身の危険を感じで謀反
これには謀反は禁止されているのでフロイスらも困惑するがキリシタンのためなので黙認
明智光秀の与力となるが本能寺の変の際に秀吉にいっぱい食わされて秀吉側で奮戦して明石城主に加増
みたいなことと高槻に関係ある者は言うぞ
北國新聞の記事(確か本にもなってる)に詳しいので参考に
ttp://www.hokkoku.co.jp/kagakikou/ukon/index.html

41: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/26(日) 08:18:41 ID:BeS2YfiN.net
大仏焼討ちのときは右近は14歳だしな 戦場に出てたかどうかも疑わしい

42: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/29(水) 15:42:52 ID:TEhlixNd.net
和田惟長について、高山右近との抗争の果て死んだという記事と、
家康に仕えて後に旗本になったという話とあるんだけど、どっちが正しいの?

44: 人間七七四年 2007/03/03(土) 12:33:35 ID:su1/BwNy.net
>>42
徳川の旗本となって、旧領和田を領した

和田 惟長

和田 惟長(わだ これなが、天文20年(1551年)? - 元亀4年3月15日(1573年4月16日)?/寛永5年4月1日(1628年5月4日)?)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。

元亀4年(1573年)には、家中で信望を集めつつあった高山友照・高山右近親子の暗殺を計画。会議と称して高山親子を誘い出したが、計画は既に高山親子に露見していたため、両者の付添い人を交えての激しい斬り合いとなった。この戦闘で惟長は深手を負ったが、右近もまた重傷を負ったため、何とかその場から逃げ切り伏見まで逃亡したが、3月11日の時点で致命傷のため生存は難しいと目されていた(『兼見卿記』)。
その数日後に息を引き取った。

子孫と称する江戸幕臣和田氏の記録によると、惟長はその後奇跡的に回復し生存したが、以後は没落して小野木家・山岡家に仕えたのち、最後は徳川家に仕え幕臣となり、寛永5年4月1日(1628年5月4日)に78歳で没したという(『寛政重修諸家譜』)。また、『甲賀郡旧牛飼村共有文書』の慶長16年11月1日(1611年12月4日)付けの起請文に、「和田伝右衛門尉惟長」という署名が入っている。



43: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2007/02/06(火) 18:04:31 ID:6WPSxryU.net
秀吉や信長にとって右近の利用価値はキリシタン信徒という事だけだったんだろうね。
能力があるわけでもないし、用済みになったらすぐ捨てられた。

45: 人間七七四年 2007/03/30(金) 11:07:33 ID:nKCR8KAa.net
切支丹大名の利用価値って
具体的にどういうことがあったんだろう?

46: 人間七七四年 2007/04/13(金) 23:54:24 ID:NkCu7a5T.net
>>45
西洋の技術とか?

47: 人間七七四年 2007/04/20(金) 10:25:44 ID:bnFw2lOg.net
宣教師と親しいから、交易に利用できたのかな

49: 人間七七四年 2007/05/06(日) 20:09:06 ID:7JnETUC5.net
子孫は大分と長崎にいるらしいね

50: 人間七七四年 2007/05/06(日) 21:48:24 ID:ZfOyfjDD.net
能登(石川県)にもいらっしゃるそうです

51: 人間七七四年 2007/05/25(金) 15:40:46 ID:gtK/5ywi.net
子孫については下記が詳しいね
発見された経緯まで書いてあるし

右近の先祖、家族、子孫
ttp://www.hi-ho.ne.jp/luke852/ukon/ukonkakei.html

61: 人間七七四年 2007/09/28(金) 13:37:41 ID:WyQeOXDP.net
高山氏の出自に詳しい人、いますか?

63: 人間七七四年 2007/11/01(木) 14:09:01 ID:C16B4HEZ.net
>>61
友照以前は?じゃないかな

64: 人間七七四年 2007/11/12(月) 09:18:06 ID:Cy8SH2vN.net
キリシタンで清廉なイメージがあるかもしれんが、
強かな戦国の人らしく和田惟政の遺児・惟長を追い出して高槻城をゲトしてるw

65: 人間七七四年 2007/12/01(土) 16:43:25 ID:AjrA7A5g.net
>>64
切支丹から見ればいいかもしれないが、仏教勢力や領民からみれば。。。

67: 人間七七四年 2008/01/12(土) 15:12:12 ID:/FF6k8+C.net
為政者としての評価は高くないということだね。

68: 人間七七四年 2008/01/30(水) 16:16:51 ID:KqEP9P0A.net
領民2万5千人のうち1万8千人が信徒になるのは すごいっちゃすごいがな。

69: 人間七七四年 2008/01/31(木) 02:31:26 ID:oH5Zwxko.net
>>68
宇喜多家みたいに、非信徒が迫害を受けたりして騒動が起きそうだな。

70: 人間七七四年 2008/02/18(月) 17:11:57 ID:QQoFmhHK.net
秀家は切支丹じゃないからなあ 右近の方が苛烈そうだ。

74: 人間七七四年 2008/04/03(木) 16:05:17 ID:vktn0c5O.net
ガラシャとか右近とか二十六聖人とか、今でも信仰されているようだ

75: 人間七七四年 2008/04/18(金) 15:36:15 ID:O3F5C0qf.net
耶蘇の何が右近を惹き寄せたのだろうか?

76: 人間七七四年 2008/05/02(金) 15:14:08 ID:jROtc0gy.net
親父殿の影響でしょ 家族も家臣も洗礼を受けたから。

77: 人間七七四年 2008/05/17(土) 11:18:25 ID:5pt+bcZz.net
右近の名君ぶりを伝える逸話とかない?

78: 人間七七四年@全板トナメ開催中 2008/06/03(火) 16:37:25 ID:Zdem0jgy.net
年貢の取立ても厳しかったというからな。
耶蘇側からみた名君でしょ。

79: 人間七七四年 2008/06/09(月) 06:26:11 ID:KYDeYbcR.net
信仰の為に御家を放り出したのが名君と言われてもねー。

84: 人間七七四年 2008/08/06(水) 13:10:08 ID:qclZQeiN.net
さて右近のいいところは?

85: 人間七七四年 2008/08/22(金) 10:41:12 ID:9J0PmAYf.net
武将としてはまずまずかな。

93: 人間七七四年 2008/12/12(金) 14:56:16 ID:gnMHpshc.net
仏教界では嫌われたんですかね

94: 人間七七四年 2008/12/23(火) 16:25:41 ID:WYP7ZfAB.net
明石の僧侶たちが、高山右近の寺院破却や、僧侶迫害をやめさせるよう
大政所に陳情に行っている。
うちの氏神様の神社も燃やされた。
明石の住民として高山右近にはかなり嫌悪感を持っている。
高槻では明石のような反抗運動は起こらなかったのかな。

95: 人間七七四年 2009/01/07(水) 14:15:48 ID:WY4JvlVC.net
高槻でも寺社には暴虐を伝える由緒があるようで。

97: 人間七七四年 2009/01/14(水) 18:26:42 ID:MrbwwuaZ.net
高山右近の凄いとこは、マルチな文化人だった事。
確かに今からみれば狂信的な変人。
ポルトガル語は会話、読み書き自由自在。ラテン語も読解可なんて大名は
キリシタンでも当時いなかっただろう。
当然最新の西洋文化は、宣教師を通じて彼の耳から他の大名に流れて行く。
茶の湯では、周知のとおり。

武将としても優れていた。
彼のキリスト教徒ばかりの兵は、石山本願寺戦、紀州攻め、で精強との評価を得ていたが
特に明智光秀との山崎の合戦では先鋒を勤め、決定的な勝利を秀吉にもたらした。
頭の回転が早く秀吉に可愛がられたし、他の武将との交流は夥しかった。
築城家としても優れていた。金沢城の石垣の多くは彼の作。
1万石で前田利家に招かれるほどだから、あながちその実力は本当だったかも。

以上は加賀乙彦「高山右近」、長部日出雄「まだみぬ故郷.上下」所詮小説ですから信憑性は。
前田家に仕官してマニラに追放されるまでは前者が、
和田家との抗争、荒木村重との経緯に関しては後者はとても詳しいですよ。

98: 人間七七四年 2009/01/14(水) 19:47:45 ID:MfeN0ess.net
荒木村重も明智光秀も、高山右近を自軍の戦力と考えて信頼していたからね。
明智も細川、筒井、高山、中川が自軍として戦ってくれたら
秀吉と互角に戦えると考えていたんじゃないかな。

105: 人間七七四年 2009/01/19(月) 16:06:07 ID:QHjxd9Ft.net
キリシタンだからといって評判が悪いわけではない。
同じ播磨地方でも、黒田官兵衛は評判がいいし、
色々と伝承が残ってるよ。
地域の人たちからも愛されているし、寺院や寺は壊さないし。
小西行長もそんな無茶した話しは聞いたことがないし。
高山右近はむしろ例外的な人なんじゃないかな。

106: 人間七七四年 2009/01/19(月) 23:33:46 ID:Tqp6H8E1.net
大村純忠は、かなりやってたね。寺社、打ちこわし。

小西も、本人は大人だったが、家臣、下々の狂信者は
結構やってたらしい。
強制改宗が島原の乱で噴き出したが、その名残とか。

108: 人間七七四年 2009/01/22(木) 13:14:41 ID:09ho1nKP.net
イエズス会は、今でも右近えらい!みたいですが。

右近と一緒にマニラに追放された内藤如安も数奇な運命でしたね。

121: 人間七七四年 2009/04/15(水) 15:31:34 ID:Gp4qlMot.net
11月8日に日本を出て 12月21日にルソンについて 翌年の2月3日(4日?5日?)死去。

122: 人間七七四年 2009/04/30(木) 14:58:52 ID:0jfyJMOY.net
信仰に生きて本人は幸せだったろう。

129: 人間七七四年 2009/06/30(火) 00:25:49 ID:lXZAc+pq.net
黄金の日日の右近さまは「助左衛門の新しい街造りを手伝わせてくれない?」と
関ヶ原直後(!)に自ら呂宋へ渡るフリーダムぶり
史実通りに14年後に没したとしても
それまでにさぞかし南国ライフを満喫したことだろうと思う

でもせめて高岡城は作ってから行っておくれよー

130: 人間七七四年 2009/06/30(火) 01:12:39 ID:I/MQ7X5u.net
>>129
それは、残ったお主らに任せる。さらばだ!

148: 人間七七四年 2009/10/22(木) 00:55:21 ID:mWpv8Mc9.net
荒木村重が謀反を起こしたとき、織田信長はその家来の高山右近に対しても、主君和田氏を追いやって高槻城を乗っ取った経緯からあまりよいようには思っていなかった。
しかし、和田氏はかつて中島豊後守とともに岩室長門守を死に追いやった和田新助と同じ甲賀衆であったので、親戚関係がどうであったか明確にはしりませんでしたが、冷淡な扱いをしていた。
このため、信長は高山右近に対しても特別、処罰などは与えていなかった。
そして、いざ、高山右近が荒木村重を裏切って織田信長につくとなったときも、対面するまでは、変わり身の早い奴め、くらいの感情であった。
しかし、実際に会ってみると、高山右近は、
「主君である荒木村重を裏切りたくないが、それでも、自分の仲間や組織のことを思えば、裏切らざるおえない」
と、涙ながらに切々と語ったので、織田信長は、一転して高山右近に非常に同情的になった。
そして、「そなたに、このような難儀をかけたのは我に責任があることだ。」といって、かえって高山右近に謝ったので、周囲の人々は驚愕した。

その後、しばらく織田信長は高山右近を好意的にみており、播磨合戦での寺社に対する放火や破却も黙認していたが
敵対する寺社だけでなく、敵方ではない自国領の寺社まで破却したり、信長に対しても、心を開く素振りもなかったので、信長も、高山右近に対する気持ちしだいに冷めていった。
罰することはなかったが、重用して自分の傍におくことはなく、明智光秀の配下につけた。

149: 人間七七四年 2009/10/22(木) 00:57:29 ID:mWpv8Mc9.net
高山右近と言う人は、冷静で、冷めた人だったと思います。
あまり人間関係でも人と気安くすることはなく、ある程度距離を置く付き合いをしていたと思います。
京都や上方の人間は、そういう程よい距離を置いた人間関係を好みますが、
尾張人は仲間だとおもったら、本当に心を開いて、深く付き合いますから、
信長は高山右近の上方的な付き合い方を冷たい人だと思ったのではないでしょうか。

高山右近を明智光秀の下につけたのは、高山右近を戦上手と思っていたので、これから毛利と戦うであろう明智の下につけたほうが明智軍の進軍の助けになると思ったのでしょう。
また、高山右近を内政官にすると、管理している地域の寺社に危害を加えるかもしれないと思って、戦闘の最前線に配置すべく明智の下につけたのだと推測します。

150: 人間七七四年 2009/10/22(木) 01:29:14 ID:DaJ+MDBe.net
>>149
主観的過ぎ

151: 人間七七四年 2009/11/02(月) 15:23:52 ID:p6PZmuh/.net
随分面白い。

160: 人間七七四年 2009/12/21(月) 20:47:56 ID:IxvT4MDM.net
この人が倒した大名は誰?

161: 人間七七四年 2009/12/31(木) 00:15:38 ID:uJ1tiGFQ.net
ある意味、荒木村重

169: 人間七七四年 2010/11/26(金) 18:54:48 ID:QLGxJSsb.net
前田のとこで自由にしてた時が一番いい時だったかもね

172: 人間七七四年 2010/12/01(水) 19:07:20 ID:s6TXsLCj.net
ここまで一度も実名の「重友」が登場していないのか。
実名以外で有名になってしまった人物としては、戦国では
真田信繁と双璧だな。

199: 人間七七四年 2011/06/12(日) 10:03:21.28 ID:SvF66coZ.net
西日本に身分の差を超えて、キリシタンが多いのは、
戦国の世に疲れていたから?
仏教勢力も滅茶苦茶やってたから?

207: 人間七七四年 2011/09/19(月) 17:46:51.05 ID:MfbeudTN.net
>>199
単純に海外と繋がりのある港が西日本に多いから

209: 人間七七四年 2011/09/24(土) 15:44:35.76 ID:Pcemy/75.net
最近バチカンで聖人認定されたっけ?

210: 人間七七四年 2011/09/24(土) 23:56:46.03 ID:gjsyhqH+.net

聖人の前段階である「福者」に認定されるかもよというニュース

関連【宗教】キリシタン大名:高山右近「福者」に…バチカン審査委了承



引用元: ・◆切支丹◆ 高山右近 ◆利休七哲◆