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1: 日本@名無史さん 2011/05/20(金) 04:02:33.58 .net
淡路島の歴史について語ろう







3: 日本@名無史さん 2011/05/22(日) 21:12:40.39 .net
淡路国

5: 日本@名無史さん 2011/05/23(月) 22:24:45.55 .net
洲本城

49: 日本@名無史さん 2013/03/12(火) 17:04:20.06 .net
>>5
日本最古のコンクリート製復元天守(っぽいもの)である。
Sumoto_Castle


44: 日本@名無史さん 2012/03/02(金) 03:10:24.49 .net
洲本城の「天守閣」(コンクリート製)は「作り直してほしいな」と思ったけど、
1周回って「あれはあれでいいか」と思うようになった。


25: 日本@名無史さん 2011/08/08(月) 11:34:05.73 .net
淡路は古代みたいに独立した県になればいいのにな。

28: 日本@名無史さん 2012/02/11(土) 22:34:13.55 .net
>>25
人口は島全体で15万人ぐらいしかいません。
鳥取にも及びません。

29: 日本@名無史さん 2012/02/11(土) 22:35:19.66 .net
シンガポールと同じ大きさ

30: 日本@名無史さん 2012/02/11(土) 23:45:02.93 .net
首都が関西にあって明石大橋に鉄道があったら神戸通勤圏になって面白い存在だったかもな

31: 日本@名無史さん 2012/02/11(土) 23:58:41.75 .net
当初は明石海峡大橋に鉄道を付ける計画だったが予算が全然足りず挫折した

34: 日本@名無史さん 2012/02/12(日) 01:00:31.45 .net
淡路は元阿波の国、現在の徳島、明治維新で兵庫県に成り得をした。

37: 日本@名無史さん 2012/02/14(火) 20:22:22.75 .net
阿波に通じる道だから淡路
淡路島

記紀の日本列島の国産みの神話では、淡路島は伊弉諾尊(いざなぎのみこと)・伊弉冉尊(いざなみのみこと)が日本列島中、最初に創造した島であるという。『古事記』では淡道之穂之狭別島(あわじのほのさわけのしま)と書かれ、『日本書紀』では、淡路洲と書かれる。

「阿波への道」が語源と言われることが多いが『古事記』・『日本書紀』の記述を絶対視するならば、最初にできた国が淡路島とあり矛盾することになる。淡という漢字は淡海(近江)、淡河、淡谷など自然を表す字と組み合わされることが多い。「路」や「道」は現代で言うところの「地」であったと考えられ、最初に国として完成することができた尊い土地という意味で「淡路(淡道)」と名づけられたものと思われる。

42: 日本@名無史さん 2012/03/01(木) 05:36:08.67 .net
淡路島北端は毛利水軍の中継基地
ここから三木や石山本願寺に食料を供給

51: 日本@名無史さん 2013/03/16(土) 07:20:40.23 .net
>>42
具体的に何を供給していたんだろう?

やっぱりタマネギとレタスか?
蛸かな。

43: 日本@名無史さん 2012/03/01(木) 11:48:48.97 .net
古代には畿内と瀬戸内の中継点だった五斗長垣内遺跡があった。

五斗長垣内遺跡

五斗長垣内遺跡(ごっさかいといせき)は、兵庫県淡路市黒谷にある弥生時代後期の国内最大規模の鉄器製造群落遺跡である。

遺跡は淡路島の西側海岸線から三キロの丘陵地にあり、東西五百メートル、南北百メートル。
弥生時代後期・1世紀ごろのおよそ100年間にわたり存在したと考えられる。
遺跡には竪穴式住居や鍛冶工房などが復元されている。

弥生時代後期の鉄器製造施設跡が23棟から成っており、うち12棟から鉄を加工した炉跡の遺構が確認された。

淡路島のような人口の少ない小規模の島で、生活のためにこれほど大量の鉄器は必要ない。魏志に記された倭国大乱邪馬台国の時期に重なり、大和王権成立にいたる戦乱期の中でこの施設が軍事利用されていた可能性もある。


45: 日本@名無史さん 2012/03/02(金) 10:18:28.98 .net
柴衛門タヌキ伝説


芝右衛門狸

芝右衛門狸、柴右衛門狸(しばえもんたぬき、しばえもんだぬき)は、兵庫県淡路島に伝わる化け狸。佐渡島の団三郎狸、香川県の太三郎狸と並び、日本三名狸に数えられている。

芝右衛門狸は淡路島の洲本市の裏山の三熊山の頂上に、妻のお増(おます)と共に住み、月夜にはよく陽気に腹鼓を打っていた。人間に化けて木の葉を金に見せかけて買物をするような悪戯も働いたが、その一方では酔って山中に迷い込んだ人間を案内したりと親切な行ないもしていたので、誰からも憎まれていなかった。親切にされた人々は、彼らの住処に礼として一升徳利を収めた。

あるときに芝右衛門は浪速(現・大阪市)の中座で大人気の芝居があると聞き、お増と共に人間に化けて大阪へ渡った。初めて踏む地である大阪を見物する内に2匹はすっかり陽気になり、化け比べをすることになった。まずはお増が大名行列に化け、芝右衛門の前を通り過ぎた。続いて芝右衛門が化かす番。お増の前を長い殿様行列が続いた。お増が「うまいうまい」と声を上げて褒めたところ、たちまち行列の1人の武士に斬り殺された。行列は芝右衛門ではなく本物だったのである。

悲嘆に暮れた芝右衛門は淡路へ帰ろうとしたが、せめて最後にお増も見たがっていた芝居を見ることにして、術で木の葉を金に変えて芝居小屋へ通うようになった。しかし芝居小屋では毎日の入場料に木の葉が混ざっていることから、タヌキが人間に化けて紛れ込んでいると疑い、番犬を見張らせることにした。

芝居見物も今日を最後にして淡路へ帰ろうと、芝右衛門は小屋へやって来ると、大の苦手な犬がいた。芝右衛門は恐怖心を隠しつつ入口を通り抜けたが、その安心した隙をついて犬が襲い掛かってきた。たちまち芝右衛門はタヌキの姿に戻ってしまい、犬を連れた人々に追い回され、遂には頭を殴られて命を落とした。淡路には大阪で化け狸が殺された噂が届き、芝右衛門の腹鼓が聞こえないことから、彼が殺されたとわかり、人々は口々に彼の死を惜しん。

芝右衛門の死後、中座では客の入りが悪くなり「芝右衛門を殺した祟りだ」と噂が立ったので、芝右衛門を芝居小屋に祀ったところ、また客足が良くなった。以来、芝右衛門は人気の神として中村雁治郎、片岡仁左衛門、藤山寛美といった多くの役者たちに厚く信仰されてきた。


52: 日本@名無史さん 2013/03/16(土) 11:44:30.16 .net
古代から淡路島は重要な製塩地域。
「藻塩焼く」や「御食(みけ)向かふ」、、、は淡路島にかかる歌枕。
地名に塩屋、塩田があるのはその名残?
藻塩製塩法は海水から塩を作る最古の製塩法。
神々が食した塩は正にこの藻塩。最も尊い神々の塩。
ただ、大変な重労働と手間がかかり高コストの割には生産性が低いため、
やがて入浜式塩田による製塩に完全に取って変わられました。

(現代に再現された藻塩によるものも最高級品。お値段も。ミネラル分が多く美味しい塩)

また、淡路島各地には名水、清水が湧き出していますが、
なかでも淡路市佐野の小井地区の名水「御井の清水」は毎日樽廻船で朝廷に献上されていた云々。
また、炭なども多量に献上されていたかと。

53: 日本@名無史さん 2013/03/16(土) 12:04:52.40 .net
淡路島はこのご時世にも関わらす食料自給率が100%を超過する国内でも自給自足が可能な稀な地域。
海産魚介類、野山菜、禽獣が様々に取れ気候風土が穏やかな美し国

54: 日本@名無史さん 2013/03/16(土) 14:51:46.93 .net
>>53
淡路島牛乳
たまねぎスープ
たまねぎパン
たまねぎクッキー

もあるよ。

57: 日本@名無史さん 2013/11/09(土) 07:05:43.57 .net
神社が多いような気がする。

58: 日本@名無史さん 2013/11/09(土) 12:56:09.70 .net
淡路島の神社の数は地域の規模の割には意外な程多く
一宮の伊弉諾神宮の本名宮司様のお話では、
(淡路国一宮、伊弉諾神宮として)把握しているだけで
約400社超を数えるのだそうです
未把握の祠やら社もあるでしょうから実態はそれ以上と考えられマス。

59: 日本@名無史さん 2013/11/09(土) 13:08:39.77 .net
別に、北部の津名地域では 我々の宮総代さんらの話では山の背に沿って南北線に神社が並んでいるようです

60: 日本@名無史さん 2013/11/09(土) 14:37:45.17 .net
淡路島は、律令時代の郷名がよく保存されているところで、津名郡10郷、三原郡 7郷のうち、現存地名に該当する名がないのは郡名起源地の「津名郡津名郷」だけです。
平安時代中期に編纂された『和名抄』にのる郷名は、歴史価値が高い地名ですので、千年以上も地元の方々に親しまれてきた地名は、これからも大切に扱う義務があると思います。
その名を、「平成の大合併」以前の懐かしい町名で記しましょう。

津名郡
 津名郷 つな    洲本市由良
 志筑郷 しつき   津名郡津名町志筑
 賀茂郷 かも    洲本市上加茂
 乎安郷 あえか  洲本市安乎町
 物部郷 ものべ  洲本市物部
 廣田郷 ひろた  三原郡緑町広田
 都志郷 つし   津名郡五色町都志
 育波郷 いくは  津名郡北淡町育波
 来馬郷 くるま  津名郡東浦町久留麻
 郡家郷 ぐんけ  津名郡一宮町郡家

三原郡
 倭文郷 しとり   三原郡三原町倭文
 幡多郷 はた   三原郡三原町上幡多
 養宜郷 やぎ   三原郡三原町養宜
 榎列郷 えなみ  三原郡三原町榎列
 神稲郷 くましろ 三原郡三原町神代
 阿萬郷 あま   三原郡南淡町阿万
 賀集郷 かしふ  三原郡南淡町賀集

律令時代の漢字の当て方は現代と違いますので、慣れるのに時間が掛かります。が、これでも優しい部類に属します。
津名郡の郷の配列に一貫性がないため、津名郷の位置は確定していませんが、大勢が支持する由良湊をあげました。
また、三原郡の起源地名も現存しませんが、『天保国郡全図』にのる三原(みは;水際+はら.原、腹;台地≒湊)の位置をもとに、「三原郡西淡町湊」を推定しました。
「淡路伊佐奈伎神社→伊弉諾神社。兵庫県津名郡一宮町多賀」が淡路国の一の宮であることを町名が示していたのが消えたのは残念ですが、
この地に津名郡の郡家(こほりのみやけ→グンケ:郡役所)が置かれた史実を留めるところは貴重です。

75: 日本@名無史さん 2013/11/24(日) 19:46:31.95 .net
南あわじ市 神代國衙  ← 地名がかっこいい

76: 日本@名無史さん 2013/11/25(月) 22:12:03.03 .net
>>75
じんだいこくが

77: 日本@名無史さん 2013/11/26(火) 05:14:29.13 .net
奇祭がたくさん残っていそうで、意外と残っていない。

78: 日本@名無史さん 2013/11/26(火) 18:06:14.01 .net
倭文の蛇供養、栢野の柴燈、下内膳の三昧とか。

79: 日本@名無史さん 2013/11/26(火) 18:38:32.68 .net
>>78
> 倭文の蛇供養

これは室町時代の後期から始まったものだから、古代チックな感じはしない。

80: 日本@名無史さん 2013/11/26(火) 19:03:39.36 .net
奇祭=古代発祥じゃないからな。

奇祭じゃなくとも由緒ある祭りなら普通にある。

93: 日本@名無史さん 2014/04/09(水) 01:45:02.53 .net
淡路南部の山の中は灌木が多いけど原生林だからみててたのしいよ
植生複雑だからいろんな緑が入り交じってる

94: 日本@名無史さん 2014/06/07(土) 10:46:31.54 .net
仙石秀久が主人公にも関わらず『センゴク』では洲本城攻略戦はスルーされた

96: 日本@名無史さん 2014/06/11(水) 19:03:00.07 .net
江戸期は稲田家だっけかここは

大概大藩ともなれば上級家臣連中は曰く付きのが多いけれどここもそうだよねw

97: 日本@名無史さん 2014/06/13(金) 17:41:40.92 .net
>>96
江戸末期というか明治初期にいろいろありましたね。

99: 日本@名無史さん 2014/08/10(日) 07:12:40.84 .net
35日は先山に登って、後ろ向きにオニギリを投げる風習がある。

そんな淡路島の一部では、一際珍しい風習が今でも行われている。
淡路島には法要の際に高い山のてっぺんのお寺にお参りに行くという習わしがある。

これ自体は特におかしくもない話だと思うのだが、
そのお参りの前に行うことが珍しいのである。

その風習とは、法要の前に全員で山の麓に向かっておにぎりを放り投げるというもの。
それも後ろ向きに、である。





何故おにぎりを投げるのかということだが、
これは団子ころがしという風習が変化したものと言われている。

この団子ころがしというのは三十五日の法要の際に山の上から団子を転がし、
鬼がその団子を食べている間に天国への道を急ぐというもの。

この際には後ろを振り返ってはならないと言われていて、
同じく振り返ってはならないと言われている儀式は日本全国に多く見られる。


小さなお葬式おにぎりを投げる!?淡路島、独特の葬儀の風習

101: 日本@名無史さん 2014/10/14(火) 02:27:34.54 .net
松帆の浦は百人一首のおかげで有名だと思うんだけど、特に何もないところみたいだね
明石大橋と神戸の街をいれる写真が撮れそうなんで、いつか行きたい

112: 日本@名無史さん 2015/06/26(金) 12:42:18.62 .net
淡路島の歴史っていうと

・淡路廃帝
・四国派兵の通路
・稲田騒動

これくらいのもん?
簡単だな

113: 日本@名無史さん 2015/06/26(金) 13:13:07.01 .net
ちなみに淡路廃帝は、「はいてい」じゃなくて「はいたい」な。

淳仁天皇

淳仁天皇(じゅんにんてんのう、天平5年(733年) - 天平神護元年10月23日(765年11月10日))は、日本の第47代天皇(在位:天平宝字2年8月1日(758年9月7日) - 天平宝字8年10月9日(764年11月6日))。古文書では廃帝(はいたい)または淡路廃帝(あわじはいたい)と呼ばれる。

天平宝字8年(764年)9月、上皇との対立を契機に恵美押勝の乱が発生、天皇はこれに加担しなかったものの、仲麻呂の乱が失敗に終り天皇は最大の後見人を失った。乱に加わらなかった理由については、既に上皇側に拘束されていたからだとも、仲麻呂を見限って上皇側との和解を探っていたからだとも言われている(仲麻呂は天皇を連れ出せなかった為、やむなく塩焼王を新天皇に擁立することを企てた)。

乱の翌月、上皇の軍によって居住していた中宮院を包囲され、そこで上皇より「仲麻呂と関係が深かったこと」を理由に廃位を宣告され、5日後の天平宝字8年10月14日(764年11月11日)、親王の待遇をもって淡路国に流される。


114: 日本@名無史さん 2015/06/26(金) 18:38:21.45 .net
>>112
住吉仲皇子の乱とか?

115: 日本@名無史さん 2015/06/26(金) 20:12:17.80 .net
>>112
菅達長とか?
菅 達長

菅 達長(かん みちなが、生年不詳 - 慶長19年12月26日(1615年1月25日))は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将・大名。通称は平右衛門。淡路十人衆の1人。淡路島の東の海の水軍を率いた。

116: 日本@名無史さん 2015/06/26(金) 23:41:17.24 .net
>>112
歴史以前の話だと、国生み神話とか、こないだ出た銅鐸とか?

117: 日本@名無史さん 2015/06/27(土) 00:00:20.81 .net
>>112
五斗長垣内遺跡とか?

118: 日本@名無史さん 2015/06/27(土) 00:11:03.16 .net
>>114-117
淡路の人以外は、相当の歴史マニアでも
大抵、知らないと思うが・・・

119: 日本@名無史さん 2015/06/27(土) 00:12:09.50 .net
ごめん、国生み神話は例外ね。これはみんな知っている

125: 日本@名無史さん 2015/06/29(月) 01:27:15.69 .net
明治初期に徳島藩士が洲本城主襲わなかったら今頃淡路島は徳島県だったのにな
おかげで淡路島で事件起きると「また兵庫か」って罵られる始末

庚午事変

庚午事変(こうごじへん)は、明治3年(1870年)に当時の徳島藩淡路洲本城下で洲本在住の蜂須賀家臣の武士が、筆頭家老稲田邦植の別邸や学問所などを襲った事件。稲田騒動(いなだそうどう)とも呼ばれる。

結果的に淡路島の帰属をめぐる重要な事件となり、この事件がなければ淡路島は現在も兵庫県ではなく徳島県であった可能性が高い。


142: 日本@名無史さん 2015/07/01(水) 08:25:30.16 .net
庚午事件により淡路島は一旦徳島(阿波)から切り離されましたが
名東県が徳島と淡路島(南部の三原郡と津名郡南部(因みに旧安乎、中川原、洲本町、千草と由良町、灘(洲本市に属した領域)の旧洲本市の大部分は
津名郡))で成立して数年間元の鞘に?
津名郡の北側、概ね現在の淡路市域は兵庫県。
実は、古来この南北の地域はどうも折り合いが悪く仲違いをしてきた(上所(北部)VS,下所(南部))経緯が有りました。

名東県

名東県(みょうどうけん)は、阿波国・讃岐国・淡路国を範囲とした県。範囲は、当初は現在の徳島県および兵庫県淡路島であったが、長らく香川県も含まれていた。県庁所在地は徳島。

1871年12月26日に設置され、1876年8月21日に廃止された。


128: 日本@名無史さん 2015/06/29(月) 12:37:21.13 .net
淡路県として独立

136: 日本@名無史さん 2015/06/29(月) 23:21:13.89 .net
>>128
国名がそのまま県名になった例はないんだが。
もし淡路が独立したとしたら、洲本県じゃないか?

138: 日本@名無史さん 2015/06/30(火) 08:37:48.26 .net
>>136
前例がなければ作ればいいだけ。
洲本県だと他の地域から不満が出る。
やはり「淡路」を冠した県名が無難だと思うが。
まあ正直、「淡路」という名称にも不満はあるけど。

139: 日本@名無史さん 2015/06/30(火) 09:26:03.18 .net
>>138
そもそも地方自治体の数を減らそうとしているいま、
新たに県が独立はないよ。
明治初年にもし独立の県になっていたら、の話。
まあ普通に、洲本県だろう。

130: 日本@名無史さん 2015/06/29(月) 19:59:02.58 .net
律令制では小国に分類されていますが独立した?淡路国。
昔々、淡路国は朝廷に食糧を供給していた三大御食津国の一つでした。
明治に変わって淡路が独立運動を始めたのを一番困っていたのが徳島の本城のご重役方かもしれません。
淡路の産物、上がりが藩財政の重要な柱だった様で、
米が端的に分かりやすいかと。
淡路産米は大坂堂島の米会所の相場ではつねに上等、一等を付けて高値で取引されていました。(鮎原地域や小田等中山間地域の粘度質の土壌の棚田で取れる米は現代も旨い米)
方や肝心の徳島は石高こそ20万石と高いですが、
砂土で意外に土壌が痩せて居るため有り体に言うと不味い米で大坂堂島の米会所の相場、評価もイマイチで高く売れません。(今も(有名銘柄米であっても)あまり旨いとは言えない。これは四国全体的に同じ傾向)
淡路産米をできるだけ高く売り抜いて高収入を得て、イマイチ、イマニの格安な米を買い付けて自藩内に流通させて、差額の差益が藩財政の重要な柱だったと思われます。
ほかにも瓦や線香(今尚国産品シェア7割を占める)他の産物もバカに出来ない規模。
いわば金の成る島。蜂須賀藩としては絶対に 失う訳には生きません。

ちなみに、現在も食糧自給率は100%を若干上回る全国的にも稀有で貴重な地域。

131: 日本@名無史さん 2015/06/29(月) 22:22:00.99 .net
明石海峡大橋が解決した水不足問題

明石海峡大橋開通で本州・淡路又は本州・四国間が陸続きになった事で、様々な利点を生じた。
たとえば、明石海峡大橋の補剛桁の内部には送水管、電話・電力線などが収納されている。
淡路島では慢性的な水不足に悩まされていた。
とくに1995年の夏は淡路島全域で深刻な水不足となり、神戸や徳島から水の供給を受けていた。
しかし今後は、本橋の送水管を通じて、神戸から淡路島に水が供給されることになり、
島民にとっては水不足の不安が解消されることになった。

141: 日本@名無史さん 2015/07/01(水) 08:01:57.49 .net
明石海峡大橋により本土導水が為されるようになりました。が、、、
契約上の問題が露になりました。

、、、淡路島内の水の需給が100%以上(水あまり)でも必ず『定量を購入しなければ行けません。(キリ』
、、、また、淡路島内に水が余っていても混ぜては(使っては)生けません。(キリ!
素人考えでは必要量(淡路島内の不足分)を適時融通してくれるイメージですが、
全く違って必ず契約上の定量を購入しなければ行けません。
これが本土導水以降に淡路島内の水道料金がアホみたいに高騰した原因。
ちなみに、何処の水を引水しているのかというと、加古川水系の水だそうです。
、、、加古川が干上がったら淡路島内も干上がる可能性大。

132: 日本@名無史さん 2015/06/29(月) 22:43:57.66 .net
サハラ砂漠じゃあるまいし、節水すれば自力で
自給できるわ!


引用元: ・淡路島の歴史




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