1: 福島県安達町町民 2006/06/26(月) 19:44:29 ID:deF/635g.net
二本松家について色々教えて下さい








二本松氏

二本松氏(にほんまつし)は、陸奥国安達郡二本松城に拠った戦国大名。二本松畠山氏、奥州畠山氏とも。
本姓は清和源氏。足利氏の支流で室町幕府の三管領の一つである畠山氏の兄系にあたる。

貞和6年(1345年)に畠山高国と吉良貞家が奥州管領に任ぜられて陸奥国に入ったが、 観応の擾乱が勃発すると、直義派の吉良貞家に尊氏派の高国・国氏父子が攻められて敗死し、 畠山一族の多くもこの時討死したが、安達郡二本松に逃げのびていた国氏の子・二本松国詮が奥州管領を自称して挽回を図り、南朝方の北畠顕信と手を組んで一時国府を奪回したものの、貞家の反撃に遭って再び奪い返されてしまう。二本松氏が劣勢を挽回できない状況下で石塔氏も奥州管領を自称し、さらには中央から派遣された斯波家兼をも加えて四人の奥州管領が抗争することになった。

四者の争いが斯波氏の勝利に終わると高国系畠山氏の勢力は完全に零落し、奥州においてこそ格式面での厚遇を受け、名字は畠山のままであったが、二本松城に拠った国詮の子・満泰は『満済准后日記』に「二本松。畠山修理と号す」と記されるなど、中央においては奥州在地の一国人として扱われるようになってしまった。

二本松氏は戦国時代に入っても勢力を盛り返すことが出来ず、周囲の伊達氏や蘆名氏などの有力な国人に圧迫され、第10代当主・義国の頃には、古記録に「二本松畠山家、次第に衰微して、ようやく安達半郡、安積半郡を知行せられ、この節、会津の蘆名盛氏の武威輝かしかば、彼の風下にぞ属せられける」と記されるほどになっていた。

そして天正13年(1585年)10月、義国の子・義継は伊達輝宗拉致事件(粟之巣の変事)を起こして伊達政宗に殺され、天正14年(1586年)7月、二本松城は無血開城する。この時、蘆名氏を頼った息子の義綱も同氏が政宗に滅ぼされた際には、蘆名義広に同行して佐竹氏の下に逃れたが、常陸国江戸崎で義広に殺害され、二本松氏は滅亡した。




7: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/06/26(月) 21:16:15 ID:g5/4SX6S.net
畠山の事か

10: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/06/30(金) 20:02:13 ID:NWYF5afx.net
義継は何がしたかったのか。
二本松 義継

二本松 義継は、戦国時代から安土桃山時代の武将、二本松氏第9代当主。

天正13年(1585年)、伊達政宗が岳父・田村清顕と共に大内定綱を攻めると、定綱と姻戚関係にあった義継も政宗から攻撃を受けた。義継は政宗に降伏を申し出たが政宗は義継を許さず、二本松付近のわずかな土地を除いて所領をことごとく没収し、大名としての地位を維持できない状況にまで追い込もうとした。

この条件は政宗の父で隠居の輝宗や伊達成実らの斡旋で緩和されたものの、政宗を深く恨んだ義継は、10月8日に宮森城に居た輝宗の許へ参上した際に、輝宗を拉致して二本松城へ連れ去ろうとしたが、途中の高田原で政宗に追いつかれ輝宗もろとも射殺された(粟之巣の変事)。享年34。



11: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/01(土) 18:37:49 ID:Zsj9Qmik.net
子孫は水野家に仕える。

12: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/02(日) 00:21:03 ID:HbCDGjkB.net
能登畠山家でも二本松名乗ってた奴いた記憶。

14: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/06(木) 16:01:40 ID:tf39Nwiy.net
輝宗殺害は政宗の仕掛けた罠だとか。

15: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/19(水) 19:33:14 ID:kmd/Tkpd.net
敵に拉致され、追撃する伊達軍の銃撃に巻き込まれて死亡
という情けない輝宗の最後を

「政宗ェ!!撃て!わしを撃てぇーーー!!
天下が欲しくないのかぁ!?天下を取るのではなかったかぁ!!
父に構うな!撃てぇー!!」
と格好良い死に様に演出した大河ドラマは神

17: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/27(木) 11:17:52 ID:JKIBdTxE.net
二本松を語ると言ってもなあ・・・

義継と輝宗の話ぐらいなのかな
血筋はいいけど、歴代の活躍が少ないから

19: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/08/02(水) 15:11:21 ID:CYl+4rJu.net
二本松は畠山の本来の嫡流、奥州探題高国の流れを汲む

21: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/08/26(土) 06:44:47 ID:vY+VUcG0.net
嫡流なのにねぇ

22: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/08/26(土) 14:30:13 ID:MS85cFmB.net
観応の擾乱の時、岩切城の合戦で全滅に近い大打撃受けてるから

23: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/09/04(月) 23:29:02 ID:dGH3pkbg.net
>>22
敵味方関係を教えて。

24: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/09/09(土) 14:30:13 ID:0wDa9DoC.net
>>23
観応元年(1350)に、奥州探題吉良貞家と同じく奥州探題畠山高国が岩切城で対戦
(吉良が足利直義派、畠山が尊氏、高師直派)
畠山方が大敗し、高国、子の国氏、直泰らが自害
平石丸(畠山国詮)のみが逃れた

この後斯波と吉良が連合し、石塔を破り、畠山は二本松に入った

25: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/09/30(土) 05:40:20 ID:w/tHdPDa.net
村国~義国までの流れがよくわからん
二本松 村国

二本松 村国は、戦国時代の武将、二本松氏第5代当主。二本松氏第4代当主・二本松政国の嫡男。この時期の二本松氏の系譜については諸説有る。



二本松 義国

二本松 義国(は、戦国時代の武将。二本松氏第8代当主。
二本松氏一門・新城村尚(第5代当主・二本松村国の弟)の子で、天文16年(1547年)に従兄弟の第7代当主・義氏が嗣子無くして死去すると、後継ぎとして迎えられた。



26: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/05(木) 15:13:16 ID:yKeg6ODx.net
村国の親父殿の政国もよく事績がわからないね

祖父(そうでない可能性もあるが)満泰は、二本松に拠を移したり、
笹川御所足利満直を石橋、蘆名らとともに攻め殺したりしてるけどね

義国の先代義氏は天文の乱に関与し、家臣を追放したり、庶流の本宮氏を滅ぼしたりしてる

32: 人間七七四年 2007/04/04(水) 10:24:14 ID:cbg5soKx.net
嫡流だからプライドだけは高かったんだろうね

33: 人間七七四年 2007/04/27(金) 11:52:22 ID:peIHCS8N.net
国王丸はなんで葦名盛重に殺害されたんだろうか?


二本松 義綱

二本松 義綱は、安土桃山時代の武将。二本松氏第10代当主。

天正13年(1585年)10月8日、父・義継が伊達輝宗を拉致しようとしてその子・政宗に殺害されたため、二本松氏第12代当主となる。

その直後から二本松城は政宗の猛攻を受けたが、一門の新城信常が籠城戦の指揮を執る二本松勢は折からの豪雪にも助けられて攻撃を耐え抜き、さらに11月17日の人取橋の戦いで佐竹義重が伊達勢を撃破したため、一旦は二本松城の包囲が解消されたが、翌年に入ると伊達成実の調略により城内から内応者が出るなどして籠城戦を継続することが難しくなったため、7月16日に相馬義胤の斡旋により開城し、会津の蘆名氏の下に退去した。

国王丸は会津で元服して義綱と名乗るが、天正17年(1589年)にその蘆名氏が政宗に摺上原の戦いに敗れて滅亡に追い込まれると、実家・佐竹氏の下へと逃れる蘆名義広に同行して常陸国江戸崎に移ったが、同地で義広の命を受けた沼沢実通により殺害された(江戸崎においてではなく、佐竹領への逃走の途中で足手まといとして殺害されたともいう)。享年16。これにより戦国大名・二本松氏は滅亡した。


40: 人間七七四年 2007/08/11(土) 16:01:36 ID:Fu646P8L.net
>>33
衆道のもつれ説があるね

35: 人間七七四年 2007/05/11(金) 17:45:20 ID:pQnTTYMo.net
宝島の競馬読本で畠山氏の末裔と告白したライターがいた。輝宗謀殺の呪のせいか、長男は代々親の死に目に会えないと言っていた

38: 人間七七四年 2007/06/28(木) 22:16:29 ID:XMTn0f5z.net
二本松家じたいなにかしらん・・

41: 人間七七四年 2007/09/14(金) 16:25:23 ID:dDFIcnlo.net
国王丸の弟義孝は、上杉家・蒲生家を経て水野家の客分

42: 人間七七四年 2007/10/09(火) 16:17:48 ID:Y/ucyu9l.net
江戸期の二本松藩といえば 丹羽氏。

44: 人間七七四年 2007/10/20(土) 13:21:32 ID:jQ+DXT/j.net
二本松義継の弟 高田間太郎右衛門は伊達軍一万に対してわずか六十数人で立て籠もり
一日で玉砕しました近隣が伊達に降伏するなか芦名に最後まで忠義をつくした忠臣です

46: 人間七七四年 2007/10/21(日) 00:42:56 ID:+WyKZb4b.net
忠臣というよりも伊達に降伏できるかどうかが疑問だ

47: 人間七七四年 2007/10/21(日) 09:50:20 ID:vjblmCbP.net
二本松って姓は誰の代から名乗ったの?

48: 人間七七四年 2007/10/21(日) 23:55:37 ID:coZrNaHF.net
二本松って正式に名乗り始めたのは伊達に滅ぼされた後じゃねえの?
その前は二本松畠山氏が正式名称のはず。

49: 人間七七四年 2007/10/22(月) 14:37:33 ID:ctBt/AE9.net
畠山でしょう、国王丸(義綱)も含めて
義孝(義綱弟、転々後水野氏客分)は二本松名乗ったようだけど

50: 人間七七四年 2007/11/10(土) 14:49:29 ID:3yvN6xW8.net
つまり二本松を名乗ったのは義孝ということだね。

51: 人間七七四年 2007/12/01(土) 16:57:41 ID:2OG970kF.net
名門の証は満泰、持泰、政国、晴国の名前かな
え?義氏の義も義晴の偏諱だって?

52: 人間七七四年 2007/12/21(金) 13:26:17 ID:zYMHvnjE.net
晴国が貰った後だからでしょ。

54: 人間七七四年 2008/01/12(土) 15:44:26 ID:/FF6k8+C.net
奥州探題と言っても高国一代だけでしょ。

55: 人間七七四年 2008/01/31(木) 15:24:46 ID:uQm8kwIw.net
それでも名門には違いない。

56: 人間七七四年 2008/02/06(水) 22:28:23 ID:o/ezx/ln.net
清和源氏足利一門だしな

57: 人間七七四年 2008/02/25(月) 16:01:09 ID:pyPTTLo/.net
斯波と比べれば宗家からだいぶ遠いけどね 畠山。

59: 人間七七四年 2008/04/05(土) 15:18:06 ID:vOGj6enR.net
高国より後が振るわない

60: 人間七七四年 2008/04/25(金) 15:16:03 ID:G+HRh0XB.net
戦国期はもう力ないでしょ。

61: 人間七七四年 2008/05/10(土) 16:02:35 ID:2tjX73zC.net
田村や白河結城と同じぐらいの力はあったんじゃないかな。

62: 人間七七四年 2008/05/31(土) 12:58:09 ID:1blhkz2p.net
名門ではあるんだがな 二本松。

64: 人間七七四年 2008/07/01(火) 17:09:20 ID:efx5difB.net
満泰の後でお家騒動やっちゃったみたいだね
それで系図が二通りできちゃって何がなんだかわからなくなっている

65: 人間七七四年 2008/07/07(月) 03:55:43 ID:oNfoUjPY.net
二本松の滅亡も名門らしからぬ哀愁が漂ってるけど、
塩松も悲惨だな、大内定綱って結構やり手だったのね

67: 人間七七四年 2008/07/30(水) 15:08:30 ID:s4/FgCmr.net
二本松城って丹羽光重が築いたわけじゃないよね?

68: 人間七七四年 2008/08/09(土) 15:39:06 ID:8aqWcygR.net
畠山でしょ

69: 人間七七四年 2008/08/25(月) 14:00:13 ID:pL1EHqzg.net
場所は同じなの?

70: 人間七七四年 2008/09/03(水) 14:28:53 ID:SAT+ybll.net
今の二本松城は丹羽
戦国時代は山の頂上


85: 人間七七四年 2009/03/05(木) 15:07:59 ID:+/IGTlbD.net
藩政時代は丹羽が長いんだ 二本松。

86: 人間七七四年 2009/03/23(月) 16:28:08 ID:8is91ucc.net
丹羽藩政はどうなんだろ?

87: 人間七七四年 2009/04/04(土) 13:44:00 ID:u/agNP8u.net
長秀の財宝があって入部時は裕福 城の修築や公役などですぐ貧窮に。

88: 人間七七四年 2009/04/17(金) 14:47:12 ID:BLD17nt1.net
幕府に狙い撃ちされたか

91: 仙台藩百姓 2009/04/25(土) 08:21:37 ID:O6KaTLQ9.net
5万石程度で棚倉→小峰→二本松と
城を造っては転封を繰り返されたから貧乏にもなるお( ^ω^)
後に小峰も預けられたけど要は管理に金かかるから押し付けられたもので迷惑だったおうね( ^ω^)

93: 人間七七四年 2009/05/15(金) 17:01:30 ID:MBxl2A71.net
丹羽も哀れだね。

94: 人間七七四年 2009/06/02(火) 14:59:03 ID:3SLbjkNd.net
残っただけいいって。

102: 人間七七四年 2009/09/10(木) 15:32:59 ID:QpPSqde5.net
菊祭りに行ってみたい。

104: 人間七七四年 2009/10/10(土) 15:40:26 ID:wv2SAS/y.net
岳温泉近いよね。

105: 人間七七四年 2009/10/24(土) 15:36:25 ID:QJRFfRVw.net
江戸期は実力のある藩だったみたいだね。

110: 人間七七四年 2010/01/27(水) 11:18:57 ID:fBcFTzcr.net
戦国小勢力の一つでしかないんじゃ

111: 人間七七四年 2010/03/07(日) 07:40:16 ID:xIDFfRlt.net
名門ではあるけどね

115: 人間七七四年 2010/09/15(水) 18:50:25 ID:DYsartF/.net
二本松大炊ら江戸時代の末裔の歴代詳細は不明?
水野家中での地位は?

116: 人間七七四年 2011/01/01(土) 16:47:41 ID:PLKrOQWw.net
>>115
筆頭家老だったかと思うけど。

124: 人間七七四年 2014/06/27(金) 13:29:53.54 ID:OEPs2scg.net
能登の畠山義隆が二本松姓を名乗ったのはどういう経緯からだろう?

家紋『足利二つ引』に2つの松を指すような意味でもあるのか
奥州の畠山氏を嫡流として立てる意識があって
奥州家からの後ろ盾があるとでも称したかったのか。

125: バカは氏んでも名乗らない 2014/06/27(金) 17:04:47.75 ID:twgIeVwl.net
それからね、水野越前守に仕えた二本松家はどういう経緯で仕官したのかも知りたいね

126: 人間七七四年 2014/09/19(金) 21:30:04.29 ID:JKme1R3T.net
輝宗を拉致せずに二本松家を存続させる手段は無かったものか

127: 人間七七四年 2014/09/19(金) 23:18:31.01 ID:OokBO8o5.net
一般的に通ってるように
幾分の領地を失ったとしても輝宗のとりなしで許されて
その謝礼で輝宗を訪れたというなら
拉致せずに帰ればOK。

ただ、勝者伊達が後付で改ざんしていることなら知らん。


引用元: ・二本松家を語りたいです