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1: 世界@名無史さん
ロシア女帝エカテリーナ2世には
12~21人もの愛人がいたと言いますが、
彼らの政治的立場はどうなっていたのでしょうか。
恋愛終了後の地位の保障はあったのでしょうか。
家庭を持つことはできたのでしょうか。
などなど、彼女(またはその寵臣達)に関することを何でも書いて下さい。
どんな話題でも歓迎します。








Lampi_(1780s,_Kunsthistorisches_Museum)


エカチェリーナ2世

エカチェリーナ2世(1729年4月21日(グレゴリオ暦5月2日) - 1796年11月6日(グレゴリオ暦11月17日))は、ロマノフ朝第8代ロシア女帝(在位:1762年6月28日(グレゴリオ暦7月9日) - 1796年11月6日(グレゴリオ暦11月17日))。夫はピョートル3世、子にパーヴェル1世。

プロイセンのフリードリヒ2世(大王)やオーストリアのヨーゼフ2世と共に啓蒙専制君主の代表とされる。ロシア帝国の領土をポーランドやウクライナに拡大し、大帝(ヴェリーカヤ)と称される。帝政時代にロシア帝国銀行が発行していた100ルーブル紙幣の肖像に描かれていた。また、現行の紙幣では沿ドニエストル共和国が発行する500沿ドニエストル・ルーブルに描かれている。





3: 世界@名無史さん
戦艦ポチュムキンは、エカテリーナの愛人が由来だったはずです。

4: 世界@名無史さん
アンハルト・ツェルプスト(?)家出身のドイツ人ですよね、確か

5: 世界@名無史さん
現在のエルミタージュ美術館の原型はこの人がつくった。

6: 世界@名無史さん
大黒屋光太夫
大黒屋 光太夫

大黒屋 光太夫(だいこくや こうだゆう、宝暦元年(1751年) - 文政11年4月15日(1828年5月28日))は、江戸時代後期の伊勢国白子(現三重県鈴鹿市)の港を拠点とした回船(運輸船)の船頭。

天明2年(1782年)、嵐のため江戸へ向かう回船が漂流し、アリューシャン列島(当時はロシア領アラスカの一部)のアムチトカ島に漂着。ロシア帝国の帝都サンクトペテルブルクで女帝エカチェリーナ2世に謁見して帰国を願い出、漂流から約9年半後の寛政4年(1792年)に根室港入りして帰国した。


120: 世界@名無史さん
大黒屋光太夫の話題だと何かあります?

121: 世界@名無史さん
接見した時は歯の抜けた婆さんに成り果てていた。

7: 日本@名無史さん
本人の作成した墓銘碑
「ここにエカテリーナ2世眠る。1729年4月21日~5月2日、シュテ
ッティンにて生まれる。1744年、ロシアに来てピョートル3世と結婚。
14歳にして夫とエリザベータと国民に気に入られようと三重の課題を自ら
に課し、これを果たす為に努力を惜しまなかった。倦怠と孤独の18年間は
読書に勤しんだ。ロシア女帝の座について後は臣下の為に幸福と自由と繁栄
を望み、かつ求めた。快く人を許し、また誰をも憎むことが無かった。寛大
で、生きることを享受し、明るい性格で、共和主義的精神を持ち、心は優し
く、多くの友に恵まれた。仕事を厭わず、人と交わることを好み、芸術を愛
好した。」

8: 世界@名無史さん
解雇された愛人達はその後どうなったのでしょうか?

9: 世界@名無史さん
農奴と土地を貰ってマターリ

10: アマノウヅメ ◆3O/knRokaQ
高官になった人もいるから、愛人時代は試用期間だったのかも。

11: 世界@名無史さん
愛人の地位が猟官運動の最大のターゲットだったとのこと。

14: 世界@名無史さん
愛人期間中は、妻帯は許されなかったのですか?

111: 世界@名無史さん
>>14
愛人でいる間は結婚は許されなかったはず

113: 世界@名無史さん
>>111
つか、愛人お払い箱になったら、結婚させられるんだろ。

15: 世界@名無史さん
アレクセイ・オルローフも女帝の愛人だったのでしょうか?
653
46: 世界@名無史さん
>>15
映画『女帝キャサリン』の中では愛人だったね。

16: arius
政略結婚の夫がダメダメで
それを廃位させて
皇帝になる!かっこよい!
そうこなくっちゃ。


_-_1762


皇后のクーデター

1762年にエリザヴェータ女帝が死去すると、夫ピョートルは皇帝に即位、エカチェリーナも皇后となった。

ピョートル3世はプロイセン王フリードリヒ2世の信奉者で、皇太子時代からエリザヴェータやロシア貴族と対立していた。七年戦争では、ロシア軍がプロイセン領内に侵攻してフリードリヒ2世を追い詰めていたにもかかわらず、ピョートル3世が即位後にいきなり和約を結んだことはロシアの内外で不評を買った。また、皇后エカチェリーナを廃し、寵姫エリザヴェータ・ヴォロンツォヴァを皇后に据えようとして、彼女の一族を重用した。ルター派信者のピョートルはロシア正教会にも弾圧を加えた。

ピョートル3世への怨嗟の声は高まり、エカチェリーナ待望論が巻き起こるが、グリゴリー・オルロフの子を妊娠中だった彼女は、すぐには動きがとれなかった。4月に極秘に出産を済ませた後、1762年7月、エカチェリーナは、近衛連隊やロシア正教会の支持を得てクーデターを敢行した。この時、エカチェリーナは軍服の男装で自ら馬上で指揮を取ったとされ、その凛々しい姿の肖像画が残されている。

オルロフ兄弟やエカテリーナ・ダーシュコワ夫人らの尽力で、近衛連隊を始めとする在ペテルブルクの主要な軍隊・反ピョートル3世派の貴族はエカチェリーナ側に付き、ピョートル3世側についた重臣達も多くが咎めなく帰参を許されたこともあり、クーデターはほぼ無血で成功した。


17: エカテリーナの愛人遍歴
セルゲイ・サルトゥイコフ
スタニスワフ・アウグスト・ポニャトフスキ
グリゴーリー・オルローフ
グリゴーリー・ポチュムキン
ピョートル・サヴァードフスキー
シモン・ゾリーチ
リムスキー・コルサコフ
アレクサンドル・ランスコーイ
アレクサンドル・マモーノフ
プラトン・アレクサンドロヴィッチ・ズーボフ

18: エカテリーナの愛人遍歴
http://village.infoweb.ne.jp/~isamun/monarchs/people/romanov.html
※リンク切れ

男:スタニスワフ・ポニャトフスキ伯
1757-1759 アンナ
男:近衛士官グレゴリイ・オルロフ伯
1762- アレクセイ・ボブリンスキー
男:セルゲイ・サルトゥイコフ
男:アレクサンドル・ヴァシーリチコフ
男:グレゴリイ・ポチョムキン-1791
男:ピョートル・ザヴァドーフスキー
男:シメオン・ゾーリッチ
男:イヴァン・リムスキー・コルサコフ
男:アレクサンドル・ランスコイ-1784
男:アレクサンドル・エルモーロフ
男:アレクサンドル・マモーノフ
男:プラトン・ズーボフ

20: 世界@名無史さん
>>18
あえて「男」と書いたからには、「女」もまたいたのでしょうか?

36: 世界@名無史さん
>>20
ダーシコワ公爵夫人との愛憎の歴史はレズビアンを思わせる。
肉体関係はないだろうが。

19: 世界@名無史さん
駄目な夫を追い出した女主人は、漁食に走る傾向があるのでしょうか。

23: 世界@名無史さん
エカテリーナ女帝は、絶世というほどではなくても、ある程度の美人だったのでしょう。
元愛人のポーランド国王スタニスワフに至っては、彼女の為に生涯独身を貫いたばかりか
女帝を偲んでワジェンキ公園と呼ばれている離宮まで建てたといいますから。

25: 世界@名無史さん
エリザヴェータ女帝が
皇太子妃だったエカテリーナに
愛人を持つよう勧めて
出来たのがパーヴェル帝だというけど

この話、どうしても信じ難いんだけど、史実なの?
エカテリーナ回顧録でそうほのめかしているっていうけど・・・。
自分がエリザヴェータの立場なら
ロマノフの血統を継がない子が
ロマノフ朝の皇帝になるというのは耐え難い。

偉大な父の皇統が絶えるんだよ?


パーヴェル1世

パーヴェル1世(1754年10月1日 - 1801年3月23日)は、ロマノフ朝第9代ロシア皇帝(在位:1796年11月17日 - 1801年3月23日)。。

母エカチェリーナ2世の崩御を受けてロシア皇帝に即位する。母帝との確執からエカチェリーナの政治を全否定する政治路線を採り、次第に廷臣の離反を生み、ついには1801年3月23日クーデターによって暗殺された。

1754年10月1日サンクトペテルブルクの夏宮で、ロシア皇太子ピョートル・フョードロヴィチ大公(後の皇帝ピョートル3世)と皇太子妃エカテリーナ・アレクセーエヴナ(後の女帝エカチェリーナ2世)の第1皇子として誕生する。パーヴェルの出生に当たっては、ピョートル・エカチェリーナ夫妻の子ではなく、エカチェリーナとその愛人セルゲイ・サルトゥイコフ伯爵の間の子であるという説があり、エカチェリーナ自身が回想録でそのことを強くほのめかしている。


27: 世界@名無史さん
もし自分が帝政時代のロマノフ家の人間だったら
エカテリーナ回顧録読んだらかなり深刻に悩むと思う。
自分の拠って立つ所は一体何だ?って.

よく言われる「社会的に認知されていれば十分」
という話だけど、歴史家が王朝とかを研究する場合と
自分がその立場にあるのとでは全く違うんじゃなかろうか?
十九世紀以降の皇族は全員パーヴェル帝の子孫。

29: 世界@名無史さん
>>27
それをいうと英国王室にも問題が。
ビクトリア女王は不義の子だったらしい。
根拠は、彼女から突然として血友病が出てきた。
それ以前は英国王室に血友病は知られていなかった。
突然変異による血友病の発症率はコンマ数パーセント以下というから、彼女は英国王室の血を引いてない確率が極めて高い。

30: 世界@名無史さん
>>29
くわしい話希望。
一応ヴィクトリア女王はケント公エドワードと、
ザクセン=コーブルク=ザールフェルト公フランツ・フリードリヒの娘
ヴィクトリア・メアリー・ルイーズの子ということになってるけど・・・

31: 世界@名無史さん
>>29
私も知りたい。
彼女の祖父のジョージ3世は少なくとも三人子供がいて、
長男と次男の子供は、いないか早死にしてるんだよね。
三男エドワードの子がヴィクトリア。
ちなみにこの三男は、次男より早く死んでいる。

長男と次男の子がいないのが虚弱体質のせいだったとすれば、
その時点で実は血友病だったのかも知れない。
・・・とは言え、血の断絶を恐れて他の子に生ませたという説も
あり得るし・・・。
微妙ですね。

59: 世界@名無史さん
>エカテリーナ回顧録でそうほのめかしているっていうけど・・・。

回顧録でほのめかしている、というのは信じがたい。
エカテリーナは外国人でロシア人ではなかった。
女帝になれたのは国母であったからでもある。
たとえ、パーヴェルがロマノフ朝の血を引いてなくとも、
そんな疑いをかけられるような事を書き残すだろうか。

私としては、後の反皇帝派が皇帝を攻撃するために捏造したのではないかと思う。
「回想録」にはどう書いてあるんだろう。

62: 世界@名無史さん
>>59
それは結局、ピョートルが頭おかしかった(もしくは少なくとも性的不能)
ってのが事実とすれば、しょうがなかったと思う。

でなければむしろ、クーデターの方の正当性が問われかねない。
一応「ピョートル三世は頭がおかしかった、よって国は治められない」というのが、
多分に後付けだが、クーデターの暗黙の理由になってるわけだから。
そういう(知恵遅れの)人間との間に生まれた子であるということから来る偏見と、
愛人との間に出来た子だということから来る偏見・正統性の問題と、
どっちを取るかということだわな。

64: 世界@名無史さん
『女帝のロシア』によると回想録には
*ピョートルは包茎手術と熟練女性による治療を受け、セ○クス可能になる
*しかし夫ピョートルとの性交渉はきわめて希薄
*1752年から1754年はサルティコフとの密会に喜び(パーヴェルは54年生まれ)
*パーヴェルのことは「私の息子」以外の言い方を決してしない

ちなみに『回想録』は密封されていて、死後パーヴェルの手で開けられる。
その後、ニコライは焼き捨てさせるが、写本がイギリスで出版される。

原典からの引用ではなくスマソ

67: 59
>その後、ニコライは焼き捨てさせるが、写本がイギリスで出版される。

「写本」というのがね。真相は永久に不明だろうな。
いつ頃の出版だろう。ロシア革命前夜だったら怪しいと思う。

自分だったら「回想録」には、
よき妻・よき皇后として夫に尽くそうとしたが、
あいにく夫や息子には皇帝の重責に耐えるだけの力がなく、
やむなくロシア国民のため、ロマノフの血を引く孫が成人するまで
外国人である自分が皇帝の座につくことにした、と書くなあ。

70: 世界@名無史さん
>>67
『女帝のロシア』によると、ニコライが焼き捨てさせたのは
それまで出回っていた写しであり、
次のアレクサンドル2世のときに原本から新たな写しが
作られ、これを元にゲルテツィンが出版したとある(1850年代?)。
その後、20世紀初めにアカデミーが発見された異本を校訂して公刊した
版もあり、
公開された内容がエカテリーナの原稿と大幅に異なることは考えにくい。

なお、小説で申し訳ないが、アンリ・トロワイヤの「女帝エカテリーナ」では、
エカテリーナは夫ピョートルを暗殺した後、パーヴェルの父を殺したと
非難されたくないために、実父はサルトゥイコフであると言いふらした
という説を紹介している。

71: 世界@名無史さん
>これを元にゲルテツィンが出版したとある(1850年代?)。
>その後、20世紀初めにアカデミーが発見された異本を校訂して公刊した版もあり、
>公開された内容がエカテリーナの原稿と大幅に異なることは考えにくい


ゲルテツィンの出版というのがなあ。案外、ロシア皇帝の正当性を貶めるため、
その部分だけ改竄したって気もしないではない。

でも、
>エカテリーナは夫ピョートルを暗殺した後、パーヴェルの父を殺したと
>非難されたくないために、実父はサルトゥイコフであると言いふらした

のなら本人がそう書いたのかもしれない。

真相は闇だな。エカテリナ自身もプロイセンのフリードリッヒの子供だという説があるらしいし。

32: 世界@名無史さん
エカテリーナ女帝のスタニスワフ・ポニャトフスキへの仕打ちはあまりにも過酷ですね。
あれが元恋人へのものとはとても思えないくらい。
立場が変わると、誰でもああせざる得ないのでしょうね。

38: 世界@名無史さん
>>32
ポニャトフスキがエカテリーナの成長についていけなかったんでしょう。
ポーランド王座を手切れ金がわりにして別れたのにポニャはストーカーに。
彼女は別れた男には寛大だね。
金銭・農奴を気前よくあげている。

39: 世界@名無史さん
>>38
いえいえ、別れた後の祖国改革の熱意に燃えるスタニスワフを、女帝が30年間も延々と苛め続けたということについてです。
例えば、ポーランド改革(軍隊の近代化・自由な拒否権の廃止・王権の強化等が骨子)の台無しを命じたり、
憲法の廃止を要求したり、あるいは二大国と語らって領土分割案を押し付けたり
国王(スタニスワフ)本人のタルゴヴィツァ連盟(親ロシア・反国王の売国的連盟。結果的にポーランドを崩壊に追いやる)への
参加を強要したり・・・挙句の果てには、ポーランドは滅亡し、スタニスワフ自身は女帝のお膝元のペテルブルクで客死することになる。
元恋人であったら、もう少し手心を加えても、しかるべきと思うのですが、まるで容赦がありませんからね。
それどころか、あたかも仇敵に対する仕打ちのよう。

41: 世界@名無史さん
>>39
スタスワフをいじめてた訳ではなく、「ポーランド」をじゃないの?
あの辺のロシアのやりように、そんな色恋沙汰の入る余地はないでしょう。

40: 世界@名無史さん
そんな女帝をスタニスワフが、孤閨を保つことで死ぬまで想い続けるとはまったく不可解。
彼にとってはよほど甘い経験だったのでしょうね。エカテリーナと過ごした数年間は

48: 世界@名無史さん
>>40
スタニスワフはエカテリーナの愛人だった時代、彼女との結婚によって
ポーランド国王の地位を獲得することを夢想したらしい。
でも1759年にロシア宮廷の陰謀事件にまきこまれてポーランドに帰国
せざるをえなくなる。

42: 世界@名無史さん
しかし、単なるポーランド欲しさならわざわざ愛人を
国王にしなくてもいいと思うんだが。
やりやすくするため? にしてもねえ。

45: 世界@名無史さん
>>42
自分側の人間が国王候補にいるのに
元愛人だからといって、わざわざ他のを選ぶ理由の方がないと思うが。

48: 世界@名無史さん
>>42
エカテリーナは彼なら自分の思惑通りに動くと思ったんでしょうね。
ところが、予想に反してスタニスワフが積極的にポーランドの改革を
はじめたもんだから。

43: 世界@名無史さん
やたらパワフルな女だと思う。
仕事もバリバリ、恋もバリバリ。合間には演劇脚本や童話まで書いている。
それも母国語ではない言葉で。

44: 世界@名無史さん
ピョートル大帝の作ったロシアを発展させたのは、間違いなく
もと独逸の小娘のこの人だよね。
女帝としての統治の見事さも世界史上でちょっと比肩する人物
が見当たらないような。

啓蒙専制君主としてはひょっとして、NO.1かなあ。

47: 世界@名無史さん
>>44
君主としての評価は高いかも知れないが、啓蒙専制君主としてはどうかな。
治世の後半には改革をほとんど放棄して反動化、農奴制を強化して「貴族の
天国、農奴の地獄」と呼ばれる社会をつくった。19世紀のロシアの停滞の一因
を作ったとも言える。

68: 世界@名無史さん
>>47
国民の馬鹿さ加減にあきれたからでは?
つーか
改革→失敗→反動
ってパターン、エリツィンまでずっと続いてるな
露助は独裁者のほうがいいのだろうか?

49: 世界@名無史さん
50代の頃、クリミア視察をしているが、そのときの橇を引いたいたのは馬30頭。
寝室・客間・図書室・洗面所があり、女帝のほか3人が寝泊りしてたらしい。
どんな橇なんだ?

58: 名無しさん
あとこの人は孫への溺愛ぶりが凄かったね。アレクサンドル1世をいつも側
に置いて英才教育を施していたらしい。

76: 世界@名無史さん
ダーシコワ夫人をロシア・アカデミーの総裁に任命しているが、
能力ある女性を政府の要職に就けた君主は、エカテリーナ以前にはいないんじゃないか?

81: 世界@名無史さん
ポーランド分割に三回とも参加したのは彼女だけだよね。
元愛人の国だろうが、自国のために領地をもぎ取るところはかっこいい。

83: 世界@名無史さん
トロワイヤの伝記読んだだけだが非常に魅力的な君主に思える
イヴァン4世やピョートル1世よりも

85: ぼっぱると
映画「女帝キャサリン」、
うちの近所のツタヤでは、ポルノとまで断定しないけどあやしい作品の分類、
「カリギュラ」などと同じ棚に置いてある。
そんなにHでもないと思うが。でもたいして面白くはなかった。
・・・それにしても「キャサリン」はイヤだ・・・

86: 世界@名無史さん
>・・・それにしても「キャサリン」はイヤだ・・・

まるでホステスの源氏名だな、こりゃ(w

88: 世界@名無史さん
>>86
アンリ・トロワイヤの小説の原題では「カトリーヌ」だな。
これも女帝のイメージと違うような。

92: 世界@名無史さん
エカテリーナ(露)=カテリーナ(伊)=キャサリン(英)=カトリーヌ(仏)

だっけ?
間違っていたら訂正よろ。あと他言語の追加もお願い。

93: 世界@名無史さん
カタリーナ(ドイツ・ポルトガル)。
カタリナ(スペイン・ラテン)
カトリーン(オランダ)。

殉教聖女の名でもとの意味は「純潔」。

94: 世界@名無史さん
「純潔」か。エカテリーナ2世にはおよそふさわしくないねw

95: 世界@名無史さん
聖カタリナは4世紀頃アレキサンドリアにいた聖女。
皇帝から求婚されたが「キリストに身を捧げている」と拒否。
50人の哲人に改宗を迫られるが、50人全員を逆に改宗させる。
死刑を宣告され、大きな車輪に縛られまわされる。
しかしその車輪は壊れ、見物人が逆にケガをしてしまう。
結局首が刎ねられるが、流れ出たのは血ではなく乳だった。

96: ぼっぱると
「カザリン」と書かれることもあるな。
そういえば、「赤毛のアン」シリーズに出てきた
アンの同僚でつっぱった性格の教師の名前を
「キャサリン」でなく「カザリン」と表記していた
(村岡花子訳では)。やはりこのほうがこわそうだからか。

101: 世界@名無史さん
帝政時代のロシアってなにげにドイツ系多いね。

102: 世界@名無史さん
プーチンもドイツ語堪能だしな

108: 世界@名無史さん
101-102
偶然ではない。ピョートル大帝からの伝統。
旦那のピョートルⅢ世もドイツ狂いだし。

104: ぼっぱると
ロシアを旅して清潔でサービスのいい宿にあたると
「女将さんがドイツ人なのか?」と思う、と
昔の文人が書いていたという話は、
エカテリーナからみの本で読んだと思うんだが、
詳しいことを忘れた。なんだったか。

112: 世界@名無史さん
私生児産んでも退位させられなかったのは、どうして?
ドイツ人で地元に親戚もいなかったのに

フリードリッヒ大王が王女を嫁がせるのを嫌がって、身代わりに
送ったのが彼女だよね

119: 世界@名無史さん
ロマノフ家の血を引かないドイツ人女性が、私生児を産んでも
皇帝でいられたのが面白い。


135: 世界@名無史さん
エカテリーナの愛称ってカチューシャであってる?

141: 世界@名無史さん
>>135
グリゴーリー・オルロフは人前でも「カーチャ」と呼んでいたとか。

136: 世界@名無史さん
カチューシャもエカテリーナの愛称のひとつだけど、カーチカとかカーテンカ
とか色々あって、階級によって使い分けていたと思う。
どれがどれかは忘れたけど、トルストイの「復活」の中にある話。
「復活」のヒロインの名前はエカテリーナで愛称カチューシャ。

137: 世界@名無史さん
カーチャだと召使クラス。貴族の娘の愛称はまた別(忘れた)
カチューシャはそのどちらでもない、中間のニュアンス。
召使でも貴族でもない、曖昧なヒロインの立場を表しているそうだ。

142: 世界@名無史さん
「カーチャ」の愛称が召使クラスだとすると、エっちゃんって呼んでいるような感じか。

143: 世界@名無史さん
>>142
もしくは、「お花」とか「お新」みたいな感じで「おエン」というところかなw

161: 世界@名無史さん
キャサリン・ゼタ・ジョーンズ扮するエカテリーナ2世は美人だった
けど本当はそんな美貌の持ち主じゃ無かったんだよね

あと映画、エカテリーナ→キャサリン、ピョートル→ピーター と英語表記で気が抜けた
やっぱエカテリーナって言う名前じゃないとしっくりこない

162: 世界@名無史さん
キャサリンでは連想は「嵐が丘」。
「エカテリーナ」が無理ならばせめて「カザリン」で偉そうにしてくれ。


引用元: ・女帝エカテリーナ







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