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1: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/02/09(金) 23:34:11 ID:/vMYzZSZ0.net
中国の教科書を信じて夏王朝について語りましょう。
実在の可能性。妄想なんでもあり。だって四千年も前のことだからね








夏(か、紀元前2070年頃 - 紀元前1600年頃 [紀元前2000年頃からとする説もある])は、中国の史書に記された最古の王朝。夏后ともいう。夏・殷・周を三代という。『史記』『竹書紀年』などの史書には初代の禹から末代の桀まで14世17代、471年間続いたと記録されている。殷に滅ぼされた。従来、伝説とされてきたが、近年、考古学資料の発掘により実在の可能性もある。





2: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/02/09(金) 23:38:36 ID:/vMYzZSZ0.net
治水で権力を得るってのはよくある話だが
世襲に至るってのは半端じゃない

4: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/02/11(日) 07:55:27 ID:VfItyytx0.net
今は実在がほぼ確定ってことになってるの?

7: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/02/11(日) 18:04:11 ID:Fy6tArx40.net
殷に先行する王朝があったことは確実だろう

8: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/02/11(日) 22:38:17 ID:2JPAMbCc0.net
夏自体は神話の域をでないよね。日本では

10: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/02/18(日) 11:35:22 ID:P+KEs3Qo0.net
夏の実在が証明される可能性ってあるの?

11: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/02/18(日) 11:55:47 ID:IuGYyMIIO.net
殷みたいに、王の名前を記した文字が見付かり、現存する系図とほぼ合致してたら間違いない。

王の名前だけ出てきても、夏王朝の系図と上手く比定出来ないと、日本の「倭の五王」みたいな論争になり、果ては「夏とは別の王朝だ」とか議論百出しそうだね。

12: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/02/18(日) 12:42:09 ID:Z4QkLfbr0.net
二里頭の文化圏ってどのくらい?
たいして広くなくね?
二里頭文化

二里頭文化(にりとうぶんか、紀元前2100年頃-紀元前1800年頃または紀元前1500年頃)は、中国の黄河中流から下流を中心に栄えた新石器時代から青銅器時代初期にかけての文化であり、都市や宮殿を築いた。殷初期と考えられる二里岡文化に先行する。


13: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/02/21(水) 23:54:56 ID:Kv0xm2bk0.net
夏の遺跡って既に見つかっているかもね。
夏だと特定できないだけで。

14: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/03/06(火) 22:41:43 ID:jj31+fY/0.net
日本じゃ、一応中国の歴史は殷からというのが今も主流?

15: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/03/06(火) 23:02:39 ID:R3hpuH6ZO.net
講談社から近年刊行された『中国の歴史』シリーズでは、

「文献史料でいう夏王朝がニ里頭文化であっても、この社会が歴史的な発展段階における初期王朝と呼ぶべき段階にあたるかどうかには慎重であらねばならないことは、すでに10章で考究した通りである。」

とし、「本格的な初期国家の段階は殷王朝の統治から」と結論付けてるね。

16: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/03/26(月) 23:25:33 ID:1aOMKual0.net
中国じゃ、夏王朝からというのが一般的だけど、
日本ではまだ殷王朝を始まりとするのが主流、と聞いた。

18: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/03/29(木) 13:40:48 ID:w8XbDEpcO.net
>>16

そうだね。日本では、と言うよりは、中国以外ではどこも
夏王朝は伝説扱いのような気がする。
文字がないんだから証明しようがない。

17: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/03/27(火) 22:37:38 ID:Ja+ScNSC0.net
文字の無い時代じゃ歴史というより考古学(先史)の時代だろ

20: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/03/29(木) 17:37:39 ID:TeQ04C4x0.net
それは無問題だろう、はっきりとどこにあるかはわからないけども
例えば中華以外の別文明で夏王朝の存在を記録した書があれば
認められてるだろうし

26: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/05/04(金) 00:08:31 ID:Ew5bbp8r0.net
>>20
>例えば中華以外の別文明で夏王朝の存在を記録した書があれば

絶望的になさそう

27: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/05/20(日) 17:38:56 ID:fpcOHLkzO.net
だな。
インダス文字が解読されたら、夏についての記述があるかも?
メソポタミアは遠すぎてまず無理だな。

28: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/06/10(日) 05:28:59 ID:CfPLqFgF0.net
インダスも遠い。
未知の長江文明とか四川文明みたいなのがあって、遺跡が発見されて・・・・・・

更に無理か・・・・・・

32: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/10/23(火) 15:59:34 ID:tY9wCS6iO.net
商の前になんらかの夏のモデルになるようなクニがあったのか確かなのかな?

33: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/10/23(火) 16:36:28 ID:6QUSUIzQ0.net
>>32
確か
でも問題は史記における夏の系図、歴史は商の歴史をちょっと弄って捏造しましたって感じなんだよね
王朝成立の政治的な動きから、王族の系譜までね
だから相当な物が発見されない限りは伝説のままで終わるよ

34: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/10/23(火) 17:21:37 ID:Jx7uHiOB0.net
殷より古い遺跡っていうのはいくらもあるわけで、竜山文化の
遺跡とかは夏時代にあたるはずだが、国家といえる政権があった
とはいえんのだろうね
だとしたら、文字もないし証明は難しいね
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卵殻陶でできた高柄杯。山東龍山文化の出土品


龍山文化

龍山文化(りゅうざんぶんか、龙山文化、紀元前3000年頃-紀元前2000年頃)は、中国北部(華北)の黄河中流から下流にかけて広がる新石器時代後期の文化である。黒陶が発達したことから黒陶文化ともいう。

龍山文化は、中原龍山文化(河南龍山文化と陝西龍山文化)および山東龍山文化に分かれている。

山東龍山文化は黄河下流を中心に存在した大汶口文化に続いて現れており、河南龍山文化は黄河中流に存在した仰韶文化に続いて登場している。龍山文化は黄河流域のそれまで異なった文化が栄えていた地域に広がっただけでなく、長江流域など後に漢民族の文化が栄える地域一帯に影響を及ぼした。


35: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/10/26(金) 22:09:30 ID:8uomkgIt0.net
国家といえる大きな王宮の跡や墓がでてきたところで、それが「夏」
という国なのかどうかは絶対わからないよね
殷の甲骨文や金文に夏のことはないんだよね

36: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/10/26(金) 22:57:21 ID:EIfqK1jR0.net
夏王朝が文献に現れるのは春秋時代になってから。
易姓革命説を正当化するために作り出された虚構の王朝とも考えられる。

あるいは加上説に従えば殷と同時期に滅ぼされた王家の祖先神を
古い系譜に組み込んだものとも。

加上説

加上説(かじょうせつ)は、古代神話や宗教を解釈する仮説のひとつ。

後代に生まれた説話はその発展の歴史過程で、先発の説話より古い時代にそのルーツを求めて取り入れ加えられていき、複雑さを増していくものだという学説。古い神々ほど、後の世に新しく上に重ねられる傾向をもつとしている。


37: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/10/29(月) 10:04:39 ID:2rIHFkzg0.net
>>36
多分何かはあったと思うんだよな
長平合戦も数十万人を埋めて殺したっていう史記の記述が
都市の開発で戦場付近掘ったら本当に人骨が数万くらいはあるんじゃないかって感じで出てきたらしい
規模の有無や正確性はともかく中国人の「記録に賭ける執念」は物凄いものがあるよ

38: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/10/29(月) 10:13:57 ID:qcDNrKp30.net
長平は同時代の記録が後世まで引き継がれたものだからなぁ
夏はその「記録」がありえないんだもの
なにがしかの遺跡で国家といえる規模の政権があったことが
わかったとして、それがウ、啓~ケツの王統符を持つ夏という
名の国って証明はできないよね

でも殷の場合神話伝説を多く含むとしても史記に正確な王統符が
載っているということは、前漢では少なくとも当時は殷時代に
書かれた文書が残ってたってことかな?

39: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/10/29(月) 12:01:28 ID:PlbY8eEMO.net
文書、というより口承伝承だろね、あったとするなら。
というか、ある程度の集落遺蹟見つかると中国の考古学者はすぐ
「これは夏王朝の都市遺構!」
と言っちゃうんだよなぁ。
どうしたもんだか。

40: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/10/29(月) 17:21:44 ID:ufRKr44U0.net
禹の即位記念碑くらいは欲しいですな

42: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/10/29(月) 18:09:00 ID:qcDNrKp30.net
その碑には何が書いてあるんだ
文字はないぞ

46: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/11/02(金) 07:19:20 ID:eSYOGkHfO.net
黄帝にもモデルがいるの?

黄帝

黄帝(こうてい)は神話伝説上では、三皇の治世を継ぎ、中国を統治した五帝の最初の帝であるとされる。また、三皇のうちに数えられることもある。(紀元前2510年~紀元前2448年)


47: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/11/02(金) 08:52:18 ID:AvWhNWSf0.net
名前からして観念的すぎる気もするね
思想や哲学がかなり洗練されてから作られた新しいもののような
司馬遷は一応史記に書いたけど

陳舜臣は、黄帝の実在を信じる人は、神武の実在を信じる人より
少ないと書いていた

48: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/11/02(金) 09:49:57 ID:AvWhNWSf0.net
堯や舜なんかはモデルがいたというより、ある民族がいただいていた
古来の神が聖人化されたという気がするんだけど




堯(尭、ぎょう)は中国神話に登場する君主。陶、次いで唐に封建されたので陶唐氏ともいう。儒家により神聖視され、聖人と崇められた。

堯には丹朱と言う息子がいたが、臣下から推薦者を挙げさせた。放斉は丹朱を挙げ、驩兜は共工を挙げたが、堯は二人とも退けた。みなが虞舜(舜)を挙げ、性質がよくない父と母、弟に囲まれながら、彼らが悪に陥らないよう導いていると言った。堯は興味を示し、二人の娘を嫁した。

それから民と官吏を3年間治めさせたところ、功績が著しかったため、舜に譲位することにした。舜は固辞したが、強いて天子の政を行なわせた。舜の願いにより、驩兜、共工、鯀、三苗を四方に流した。20年後に完全に政治を引退し、8年たって死んだ。天下の百姓は父母を失ったように悲しみ、3年間音楽を奏でなかった。3年の喪があけてから、舜は丹朱を天子に擁立しようとしたが、諸侯も民も舜のもとに来て政治を求めたので、やむなく舜が即位した。



49: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/11/07(水) 14:48:01 ID:nzAp6ntz0.net
>>48
モデルはいるでしょ
治水事業は指導者がいないとまともに進まんよ
ただ神格化され過ぎなので実態は見えないけども
舜は結構きな臭い

50: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/11/07(水) 16:15:11 ID:H3623dYs0.net
舜やウは豊かな伝説があるけど、堯ってあまり印象がない
じいさんが「そんなの関係ねぇ、と腹鼓」くらいで

51: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/11/09(金) 02:18:27 ID:fydMYdab0.net
舜の神話なんて、神話なんていうのがおこがましいくらい
庶民くさくてありゃ単なる孝行息子の民話だ。

親族にいじめられて妻に助けられるあたりは、大国主神話
(こっちは叔母だっけ?)とそっくりで、日本にも連なる
東夷系らしい話ではある。

56: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/11/17(土) 00:22:19 ID:lGCzcM2C0.net
後の世に残りづらい材質を使った高度な技術や(例えば土壁の二階建てとか)
文字を有さなかった為に後に残らなかった文明都市。
発見されてない中にはそういうのも沢山あるんだろうね。
商以前の夏や三皇五帝時代の支配者層はモンゴロイドじゃないかも知れないし。

59: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/11/21(水) 15:09:25 ID:++MJwuIV0.net
檀君朝鮮が興ったと言われるのは紀元前2333年だから、夏の紀元前2070年頃~より古い。
つーことは、史実かどうかは別にして、朝鮮が東アジア最古のクニってことになるのかな?

60: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/11/21(水) 20:16:21 ID:4jc0DdOw0.net
>>59
壇君神話そのものが後世の捏造って話だけどね。

61: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/11/24(土) 08:06:11 ID:uRFVIlu30.net
>>59
東アジア最古の国家(の体裁をなしていた文明)と見られるのは、長江流域の
良渚文化。二里頭遺跡を上回る規模の版築による基壇跡や、大量の玉製品が
出土している。社会の階層化も進んでおり、文化圏の領域は日本の九州くらい。
反山遺跡がその都城跡と見られる。最古の絹製品も出土しており、絹糸の質や密度
は現代の製品と比較しても見劣りしないそうだ。
良渚文化の起源は紀元前3000年。しかし、紀元前2200年頃、良渚文化は跡形もなく
消滅した。その原因は今に至るまで謎。

二里頭よりこっちの方が凄そうだけど。もっとも金属製品はまだないけどね。


良渚文化時期の遺物
CMOC_Treasures_of_Ancient_China_exhibit_-_jade_disk
玉璧


良渚文化

良渚文化(りょうしょぶんか)は、長江文明における一文化。紀元前3500年ころから紀元前2200年ころにみられた。

1936年、浙江省の杭州市良渚で発掘された。崧沢文化などを継承しており、黄河文明の山東竜山文化との関連も指摘されている。柱形・錐形・三叉形など多様な玉器の他、絹なども出土している。分業や階層化が進んでいたことが、殉死者を伴う墓などからうかがえる。



72: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/11/30(日) 23:30:17 ID:gLhpsctZ0.net
>>61
良渚文化の社会の階層化は疑問だな。
単なる農民集落と変わらないという意見もあるし。
階層化という点で見れば、少し規模は小さくなるけど
やはり黄河流域の龍山文化の都市遺跡の方が高度だと思うよ。
こちらは周辺村落の支配も進んでいるしね。

74: 名無しさん@お腹いっぱい。 2009/01/02(金) 18:05:30 ID:2UvPaNue0.net
インダス文字と未解明の西周時代の蜀の地域に有ったとされる文字(インダス文字に確かに似ている)とが同系統だという説を聞いたことがある。
インダス文字が解読されればこの文字も解読されるかも?いや不可能でしょうけど・・・・



あと甲骨文字は突然完成した形で生まれているのでその原型となる文字はあったんじゃないかなと思う。
禹の先祖はメソポタミア出身で洪水が多い地方だったので洪水対策の技術を持っていてアッカドにシュメールが滅ぼされたあと放浪して中国の長江(良渚文化)にやって来て治水で成功を治めてその後黄河地方に禹の父が招かれて治水を行ったとか言うトンデモ説もあるが・・・・・
女渦の中国での発音がヌアーとかノアーと発音するのでノアの方舟と無理やり結び付ける説も・・・・・



75: 名無しさん@お腹いっぱい。 2009/01/02(金) 18:17:52 ID:2UvPaNue0.net
三星文字(春秋以前の蜀の国の文字、解読できたら中国政府から億の賞金)だっけ?とインダス文字とロンゴロンゴ(イースター島の文字)は確かに似ている。ただ単に似ているだけで全く関係は無いかも知れんが。
殷の未発見の都市をピラミッドのよう(去年も大量に未発見の遺跡が発見された)に人工衛星から探すのも手。中国政府が嫌がるのは目に見えているけど。
そこで中国版ロゼッタストーンでも見つかって甲骨文字が完全に解読されたら夏もある程度は分かると思う。
ヒエログリフ(解明)、楔形文字(解明)、甲骨文字(半分解析)、インダス文字(未解明)
もう一つはインダスとメソポタミアが交流していたので楔形文字とインダス文字の両方が書かれた碑文でも発見されればインダス文字も解明され三星文字だっけ?も解明されるかもしれない。

80: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/05/21(金) 17:27:15 ID:S2eY3fC90.net
初代禹王とその父は実在しない。そして、7代目予~13代目廑までは日本の欠史八代と同じく
架空の存在。
つまり夏王朝は初代啓から始まり途中で異民族の侵入で王朝は一旦滅び、その後復興。
初代啓から途中の異民族の侵入による滅亡をはさんで9代150年~200年と言うのが
真実に近いと思われる。

81: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/10/28(木) 22:08:14 ID:5VLVENXA0.net
>>80
在ったかどうかもわからないのに??

82: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/12/09(木) 23:32:23 ID:ehOSxGOu0.net
>>81
何も無かったと考える方が無理があるぞ。神武東征は架空で神武天皇も実在しなくても
モデルになった人物や出来事はあったと考えるのが自然。
禹は神武天皇みたいなもんだ。祟神天皇が最初の実在の天皇とされており啓に相当すると思われる。
神武天皇も祟神天皇も両方とも「ハツクニシラススメラミコト」つまり始めて国を開いた天皇という意味。
二代目の王である啓も「開く、開ける」という意味で初代王だという意味になる。

84: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/03/20(日) 21:48:11.76 ID:9iRPpNfL0.net
夏は無理でしょ。
同時代の文字資料が出なきゃ。
中国共産党が夏といっても、他から見れば、前殷(前商)でしかない。


85: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/04/02(土) 16:28:47.34 ID:b+cDouWh0.net
>>84
何らかの文字資料が見つからないとね。邪馬台国と一緒だ。遺跡が見つかるとすぐ邪馬台国発見と騒ぎ立てるしね。
夏は二里頭の甲骨文字に似ている刻印記号が甲骨文字の前身だと判明するまで証明のしようが無い。
殷中期の遺跡はまだ発掘中で新展開がありそうだし未発見の西周王墓からも文字資料が出るだろうから夏の正体も
だいぶ判明すると期待される

86: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/08/16(火) 09:18:56.42 ID:zWgtp/Xd0.net
夏王朝の王名が、殷王朝の王名と被ってるとこもあるしね

87: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/08/27(土) 15:52:15.44 ID:YjGuv+8a0.net
>>86
被っている王名と被って無い王名があり、被っている方は水増しした疑惑が濃厚
夏は実際よりはかなり小さな存在だったと思われる。
あくまでも周辺豪族の中で一番大きかった程度で近い力を持った連中は他にもいっぱいいたと思われる。
強大な夏を倒した殷を更に倒した周は凄い国だと印象付けるために実態よりも大きく長く続いた王朝に見せかけたと。
実際の夏は二里頭周辺から杞国があったあたり限定の勢力でしかなく、471年も続いたわけでもなく150年程度しか続いていないと思われる。
二里頭自体が471年も続いたわけでもなくもっと新しいしね、大体大きく見積もっても200年程度だし

88: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/08/27(土) 15:55:39.09 ID:YjGuv+8a0.net
周王朝の連中は間違いなく夏の存在を知っていた。しかし、夏と呼称するのは西周中期から。
それ以前には杞国しか存在していない
だから杞こそが夏の自称であろう(杞は西周どころか殷墟から出土した甲骨文にすらその名が出て来るほど古い国)

107: 名無しさん@お腹いっぱい。 2013/04/27(土) 17:10:05.30 ID:rvN327rN0.net
司馬遷も「三皇は史料や口伝が少なく史実とは思えないので史記には載せないと明言しているし」
「五帝も実在の人物とは思えないが何らかのモデルとなった史実はあったと思うので参考程度に載せておく、だがその中でも黄帝は
一番実在性が乏しい」と言っている。「黄帝について語られる物語が一番少ない上に人によって逸話が全然違うし
教養ある人は黄帝について口を濁すばかりで良く分からない」とも言っている。
司馬遷が歴史に詳しい古老達から色々取材しても黄帝はあいまいな存在だったと言うわけだ。

実在性の低い順
三皇>黄帝(五帝の中で一番実在性が低い)>他の五帝>禹>夏王朝
の順だろうね。竹書紀年や西周中期の金文に既に禹(この時は神であって夏王朝の始祖としては扱われていない)や夏王朝
の名が出ているのに対して三皇や五帝は戦国時代まで時代を下らないと名前が出てこない。
中でも黄帝は神武天皇と比較されるようなものだから、実在しないでしょうね

108: 名無しさん@お腹いっぱい。 2013/04/27(土) 17:17:17.61 ID:rvN327rN0.net
三皇・五帝(黄帝以外)=天津神・国津神
黄帝=神武天皇
啓=祟神天皇
夏王朝=大和朝廷
こうすれば分かりやすい、二代目夏王朝の王である啓は「開く」と言う意味であり
ハツクニシラススメラミコト(神武も祟神も同じ同音で呼ばれている)みたいなもので
おそらく真の初代夏王朝の王
夏王朝の後裔の「杞」と「啓」は現地の発音だと同音だし、関係はあるだろう
予想だが夏の自称は「杞」だったのではなかろうか?殷の時代の甲骨文字からも「杞国」や「杞侯」と言う
国や貴族の名が出て来るからかなり昔からあるようだしさ。

109: 名無しさん@お腹いっぱい。 2013/04/29(月) 16:35:54.28 ID:gedQVegp0.net
文字を読めない人でも「杞」と言う国の名前と「啓」と言う王の名前が発音が
一緒ならば同一の存在と考える事はできる。杞国であり啓国であるともとれる。
だから杞国は「啓の国」ともとれる。杞が夏王朝の末裔と言うのもまんざらでもないだろう。
何しろ杞自体が二里頭文化の範囲内にあるし。
宋の初代王の微子と長子口も同一人物であると呂氏春秋に書かれているし。
これに比べたら杞と啓の違いなんて微々たるもの

125: 名無しさん@お腹いっぱい。 2014/01/10(金) 06:21:12.56 ID:5I55srdV0.net
殷も存在したんだから夏もあったんだろ

古代人がわざわざ真っ赤な嘘を書くわけがない
見栄を張る嘘は書くかも知れんが

133: 名無しさん@お腹いっぱい。 2014/01/21(火) 22:05:25.49 ID:bIWaCD0L0.net
>>125
それが古代から中国の歴史書は嘘ばっかりなんだな
韓国は言うに及ばずだが中国の歴代王朝、記録者は嘘つきだらけだから
あと伝説の場合もあるがそれをそのまま歴史にするわけにはいかないだろ

136: 名無しさん@お腹いっぱい。 2014/01/30(木) 00:43:22.07 ID:aTBHPZ4l0.net
>>133
殷墟と甲骨文字の発見で『史記』殷本紀の基本線がびっくりするほど正しかったことが証明されたのが、はや20世紀初頭のことなんだが……。

145: 名無しさん@お腹いっぱい。 2015/03/17(火) 21:52:35.12 ID:VI2TguTU0.net
>>133
司馬遷なんかは当時としてはかなり真面目な記録者の部類だろうな。
三皇は「とても本当とは思えん」、五帝は「モデルがいたのかもね」だもんな。
始皇帝が呂不韋の子だと断定しちゃったりもしてるけど。

128: 名無しさん@お腹いっぱい。 2014/01/11(土) 01:57:13.15 ID:VA9PZ9db0.net
文字文化の出来た殷時代に口伝で残っていた夏について記述が残った
それが後々まで伝わったって話だろうから
実際夏とみられる遺跡も見つかってるしこれはこれでOKなんじゃないの?

129: 名無しさん@お腹いっぱい。 2014/01/13(月) 11:49:07.07 ID:W26Eqzb/0.net
一応二里頭から文字状の記号は見つかっている、ただ解読はできていない
三皇五帝は戦国時代より昔にさかのぼる事は出来ないが夏王朝は西周までさかのぼれる
三皇五帝の実在を証明するの天照大神の実在を証明するようなもの
つまり不可能って事
特に三皇に至っては五帝以上に実在を証明するのは不可能

131: 名無しさん@お腹いっぱい。 2014/01/16(木) 21:48:07.70 ID:/TAJirEEP.net
二里頭文化の前にも宮殿状の建物を有する邑が存在したし
なんらかの都市国家みたいなのはあったんだろうな

132: 名無しさん@お腹いっぱい。 2014/01/21(火) 22:03:35.42 ID:bIWaCD0L0.net
夏王朝なんて三内丸山みたいなもんだろ
王朝と呼ぶのは無理がある

135: 名無しさん@お腹いっぱい。 2014/01/28(火) 18:19:59.48 ID:AS6Fa6tm0.net
>>132
三内丸山は夏王朝以前の竜山文化とかそんなのに相当する。三内丸山は日本書紀にも古事記にも
それらしい伝説なりなんなりは痕跡すらない。
夏王朝があったとされる二里頭遺跡は纏向遺跡に相当するもので、三内丸山ではない

それはそうと二里頭も纏向も今は畑になっていてその土地は個人の所有物になっていて、冬しか発掘できない

137: 名無しさん@お腹いっぱい。 2014/01/30(木) 01:35:13.96 ID:uR/M3N4T0.net
二里頭の記号は文字と言えるのかどうか
古ヨーロッパ文字みたいなのもあるからな

138: 名無しさん@お腹いっぱい。 2014/02/01(土) 20:28:00.78 ID:E8yNV8bN0.net
>>137
甲骨文字っぽさもあるけど、ただの線という感じもするしな

154: 名無しさん@お腹いっぱい。 2015/05/05(火) 01:39:00.60 ID:8HFVD5HS0.net
>>137
先史中国は先史ヨーロッパと同じく表意記号王国。
旧石器後期から鉄器時代までとスパンは長い。
二里頭期でも中国各地の遺跡からは結構見つかっている。
それら各地の記号が二里崗早期に商へ集まって甲骨文なったのか、
二里頭独自に発達したのかどっちだろう?
かの有名な白川静は陶器記号説を否定して、二里崗後期に甲骨文が成立したって言っている。

158: 名無しさん@お腹いっぱい。 2015/05/29(金) 17:20:07.49 ID:LE/fBnG90.net
>>154
まあ、甲骨文の起源に関してはまだ机上論の段階だからな。
ただシュメール絵文字や初期のヒエログリフ、インダス文字のどれかが甲骨文の起源と言うのは荒唐無稽だがな。(東洋嫌いな欧米の学者の見解か?)
上記の三大古代文字と同時期に漢字の原初形記号が見つかってるからな。

161: 名無しさん@お腹いっぱい。 2015/06/19(金) 04:42:09.41 ID:D0Wbx/6J0.net
>>154>>160
中国土着の絵文字(陶器記号)・言語体系があったと思われるが、4000~3500年前頃に
メソポタミアからの文化(青銅技術や騎馬、天文学等)の流入が起こった
それと同時に入ってきたメソポタミアの文字システムと中国各地で使われていた文字体系・言語が組み合わさって出来た文字が甲骨文なのかもな

ただ、長江下流域で栄えた良渚文化は当時としてはシュメールと並んで優れた文化だったと思う
文字列らしき陶器記号を記した土器も出土してるし
勿論、今のシナ人とは関係ないけど

141: 名無しさん@お腹いっぱい。 2014/10/31(金) 16:11:49.05 ID:VXM3bcMG0.net
焚書坑儒がなければなぁ
あそこで失われた資料を口伝とかもフル活用して修復したのが司馬遷って感じだろうか?

150: 名無しさん@お腹いっぱい。 2015/05/03(日) 22:34:50.48 ID:6e6rJtxV0.net
禹の時に揚州と荊州から象牙が献上されたという
記述があるが、ゾウがいたってことかね?

151: 名無しさん@お腹いっぱい。 2015/05/04(月) 04:22:17.97 ID:Fynto/r90.net
紀元前の中国大陸に象や犀がいたのは、わりと知られている話。
安陽殷墟からも象の骨が出てるよ。

152: 名無しさん@お腹いっぱい。 2015/05/04(月) 12:43:50.37 ID:aFN/+3TA0.net
文字文化がなく記録が残ってないだけで
大昔から人の交流や貿易はあったんだろうね
日本も帥升の後漢朝貢が最も古い記録だけど
いきなり帥升が洛陽まで使節団送り込めるわけ無いし

155: 名無しさん@お腹いっぱい。 2015/05/05(火) 23:22:13.42 ID:ChDN7lSr0.net
中国を九州に分けたのって禹だっけ?

156: 名無しさん@お腹いっぱい。 2015/05/09(土) 18:57:18.83 ID:r8YlhrdC0.net
>>155
そう。
二里頭期は洪水やらで各地が荒れていたから(有名な長江良渚遺跡からも洪水堆積層が見つかっている。)、
各地の作物を集めて管理をし、そこから間接的に支配していったのだろう。
それが九州伝説の元になったんじゃないか?

166: 名無しさん@お腹いっぱい。 2015/08/01(土) 19:11:38.55 ID:E908hfvP0.net
黄帝の熊と蛇のトーテムをくっつけて龍にした逸話があるけど

これって両方とも荊蛮や楚だと思うんだが
華夏は渭水と囲われた湖北や四川の民族?だよな

167: 名無しさん@お腹いっぱい。 2015/08/17(月) 21:43:49.71 ID:mE5SD9Zv0.net
>>166
その逸話が成立したのはもはや漢民族に統一された後だから
古代の諸民族ごとの神話に分析するのは無理

168: 名無しさん@お腹いっぱい。 2015/09/19(土) 13:11:20.92 ID:v3hUNbsu0.net
殷より前にあった王朝が夏と名乗ってなかったかもしれないから夏は実在しないかもしれない(キリッ っていうのが日本では主流だけど、
じゃあ殷も周より前にあった王朝は商を自称してて殷なんて国号じゃなかったから殷は実在しないと言えるよね

夏が存在しないなんて詭弁もいいところ

169: 名無しさん@お腹いっぱい。 2015/09/19(土) 13:57:04.51 ID:USx0/yKc0.net
それとこれとは話が違う。殷の前にあったのが王朝と呼べるのかどうか自体が疑問視されているのだ。


引用元: ・【中国四千年】 夏王朝




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