1: 世界@名無史さん 投稿日:2005/05/23(月) 20:48:18
古くからある伝統だと思ったら、意外と歴史が浅いものを
あげていきましょう。








2: 世界@名無史さん 投稿日:2005/05/23(月) 20:49:24

神前結婚

39: 世界@名無史さん 投稿日:2005/05/24(火) 01:01:56
>>2
神前結婚は明治末期にキリスト教式の結婚式をアレンジして作られたらしいですね。
大正天皇の結婚の儀が元祖だとか。

仏教の葬式もキリスト教の影響が入って成立したという話がありますけど、本当でしょうか?

40: 自転車小僧 ◆IBmI/K76EY 投稿日:2005/05/24(火) 01:12:50
>>39
日本の喪服はもともと白でした。キリスト教の影響で黒に変わったと言うのは
ありますが、葬式と言う形式自体は昔からあったものです。

46: 山野野衾 ◆a/lHDs2vKA 投稿日:2005/05/24(火) 01:50:15
>>40
平安・鎌倉時代には黒系統でしたが、14世紀後半から白系統が広まります。
禅宗の影響ともいいますが、はっきりしません。
『万葉集』まで遡ると、また白布の喪服が出て来る。

68: 朱由檢 ◆MfD.4zQt1. 投稿日:2005/05/25(水) 23:43:22
ヨーロッパで黒い喪服が流行するのはヴィクトリア女王の影響なの。
日本の皇室は近代化王政のモデルケースとしてイギリスを想定してたから、
これに倣って黒い喪服を導入したわけ。
近代化以前の皇室は白い喪服を着てたはず…うろ覚えだけどね。

3: 山野野衾 ◆a/lHDs2vKA 投稿日:2005/05/23(月) 20:53:21
神葬祭(近世には神主の直系限定で、家族は仏式。普及は明治から。元々『文公家礼』を参考につくられたもの)

サリー(ムガール帝國後だとか)

キルト(『つくられた伝統』参照)。

5: 世界@名無史さん 投稿日:2005/05/23(月) 20:57:58
天皇の和風即位礼

孝明天皇までは唐風だった。

8: 世界@名無史さん 投稿日:2005/05/23(月) 21:09:11
雨傘?
うろ覚えだけど、日傘の方が古かったような。
それでも何百年て経ってるか!
ごめん、ごめん

659: 世界@名無史さん 投稿日:2006/01/27(金) 07:27:55
>>8
それは傘の起源は古代エジプトの日傘であるというトリビア。ちょっとスレ違い?

10: おぎまる ◆JJi5gOTcvk 投稿日:2005/05/23(月) 21:34:51
初詣(幕末~明治)。

11: 世界@名無史さん 投稿日:2005/05/23(月) 21:43:25
日本の女性参政権

48: 世界@名無史さん 投稿日:2005/05/24(火) 07:50:26
>>11
女性参政権では日本はそれほど後発という感じはしないが。
むしろ、同じ1945年開始組にフランス・イタリアなどのヨーロッパ諸国も入っているほうが意外。

直接民主主義の歴史の長いスイスが1971年、
そしてリヒテンシュタインではなんと1984年にやっと導入。

51: 世界@名無史さん 投稿日:2005/05/24(火) 13:16:37
>>48
女性参政権は大戦ありきの話だからな

52: 世界@名無史さん 投稿日:2005/05/24(火) 13:34:51
>>51

明治11年、高知県。世界で二番目の女性参政権。

13: 山野野衾 ◆a/lHDs2vKA 投稿日:2005/05/23(月) 21:50:03
三戦板の小説で見かけたもの。
水風呂(慶長頃に出現。湯を張った風呂で、それ以前は蒸し風呂・打たせ湯が主流)
箪笥(1660年代に出現し、18世紀初頭までに三都に広まった)

902: 山野野衾 ◆CXSSL1llHI 投稿日:2006/03/09(木) 17:42:14
>>13の水風呂ですが、江戸に登場したのが慶長年間の事で、実は上方ではそ
れ以前(と言ってもせいぜい四半世紀以内でしょうが)に始っていたものを、
当時の発明好きが自作として導入したものであったそうです。
案外本当に自作だったのかもしれませんが、真相は不明。

・(日本の)商業捕鯨
捕鯨の様子は弥生時代の骨角器に彫られた例が古く、縄文時代既に存在した
という説もあるが、京都で上流階級の食膳に上る様になるのは15世紀後半。
この頃には漂着したものとは別に定期的に鯨が捕られていたらしく、16世
紀中葉の三河で確認出来るのが捕鯨用組織の初期の例。
関東には慶長年間に尾張人が伝えて急速に広まったため、四半世紀もしない
内に乱獲のせいで江戸近海から鯨が姿を消してしまった。
なお、漂着した鯨類を食べる事は古代から行われていました。

20: 世界@名無史さん 投稿日:2005/05/23(月) 22:25:44
仮名の字形確定

21: 世界@名無史さん 投稿日:2005/05/23(月) 22:27:39
濁点と半濁点も。

22: 山野野衾 ◆a/lHDs2vKA 投稿日:2005/05/23(月) 22:30:31
天麩羅以下、「日本料理」が地方の一般家庭にまで広まったのは戦後から。
それまでは、(日常食としては)麦飯・漬物+aが多かった。
戦前は戦前でも、第一次世界大戦前の生まれなら、粟飯・稗飯。

蕎麦は17世紀までは「そば焼」にして食べるのが普通。

27: 世界@名無史さん 投稿日:2005/05/23(月) 22:43:46
>>22
+aって何?デザート?

30: 山野野衾 ◆a/lHDs2vKA 投稿日:2005/05/23(月) 22:53:14
>>27
季節と地域を限定されたものでした。
・恒久的な墓標
→いいとこ、一家で一基用意して、ずいぶん昔に埋めた場所を掘り返すと、
出て来た骨片や遺品を墓所の周辺部に埋めて、掘った場所には新しい仏を
埋めたもの。卒塔婆や無銘の石を立てて、三回忌が終った頃には朽ちたり
倒れたりしていた家・地域も。
同じ一帯を繰り返し使うから墓所不足も無い訳で、中世ヨーロッパでは都
市の墓は定期的に掘り返されたとか・・・(『中世の秋』ほか)。

25: 世界@名無史さん 投稿日:2005/05/23(月) 22:41:51
マグロのトロがありがたがられるようになったのって
たしか戦後くらいからだった。
それまでは猫も喰わない部位として捨てられていた。

37: 朱由檢 ◆MfD.4zQt1. 投稿日:2005/05/23(月) 23:42:54
>>25
猫またぎでしょ?
江戸時代は食べてたよ。そのかわり…やっすいの!売れないから(藁
大人3人で食べきれないぐらいの切り身で24文(700円くらい?)

29: 世界@名無史さん 投稿日:2005/05/23(月) 22:49:41
ゴリラの発見と認定。
20世紀に入ってから。

33: 世界@名無史さん 投稿日:2005/05/23(月) 23:12:03
進化論が日本に伝わったのは戦後

35: 世界@名無史さん 投稿日:2005/05/23(月) 23:28:37
>>33
ふぉ。日本社会がダーウィンの進化論を受容したのは世界的に
見てもかなり早い時期、具体的には明治10年代中頃のこととも
言われておるのじゃが、戦後というのははて、なんの話じゃろうの。

生物的な進化論だけではのうて、明治も早くから進化論に誘発さ
れた社会ダーウィニズムが紹介され、欧米列強の中で苦しい外交
や国家運営を強いられていた日本人にとっては身につまされる真
実として共感をもって迎えられておるのじゃがのぉ。

50: 世界@名無史さん 投稿日:2005/05/24(火) 12:29:08
>>33
「種の起源」が発刊されてヨーロッパで大論争になっているとき、
日本に招かれたエドワード・モース(だったと思う)が、日本の学生に
進化論について話をしたら、学生たちは進化論を直ちに理解した、
ということがあったらしい。
人間の先祖が猿だという説には、ヨーロッパ以上に反発されると思ったら、
日本人は「成る程、もっともな説だ。」と納得したので、かえってモースのほうが
とまどったとか。

55: 世界@名無史さん 投稿日:2005/05/24(火) 22:35:17
>>50
あたしゃなぜかスー・サベージ・ランボの公演を聴いたことがあるんですが、
そのときにおんなじこと言ってた。

「ボノボが言葉がわかるって言うと、キリスト教国では信じてもらえない。
日本人はすぐに信じてくれるので驚いた」みたいなこと言ってた。

#まぁ、板違いも甚だしいわけだが

58: 世界@名無史さん 投稿日:2005/05/25(水) 19:35:16
>>50
ふぉ。
細かいことを言うようじゃが、進化における人間と動物の連続性、
つまりが「人間の先祖は猿」が大論争になったのは、1859年に刊
行された「種の起源」ではなく、1871年の「人間の由来」のほうじゃ
ろうな。
いずれにせよ、明治10年代には進化論は最新の知識として日本
に浸透したことは確かじゃ。
もともとが聖書的創造説などの対抗理論が存在しない土壌で、文
明開化期に西欧最新科学の精髄として紹介されたのじゃから、国
や民族レベルで進化論を最も早く全面的に受容したのが日本と日
本人であったとしても不思議はないじゃろ。

34: 世界@名無史さん 投稿日:2005/05/23(月) 23:14:50
花見の季節での恒例ネタ

桜の代名詞:ソメイヨシノ 江戸末期

38: 世界@名無史さん 投稿日:2005/05/24(火) 00:16:34
イングランドの旗の存在もどうなんだろ。
そりゃ昔からあったんだろうけど、ユニオンジャックでは威張れなく
なってから(サッチャー以降)の対外的に認知され始めた意匠ではな
いのかな。

42: 世界@名無史さん 投稿日:2005/05/24(火) 01:23:38
魚柄仁之助によるとかつおぶしの削り器とは、明治末~大正に考案されたもので、
一般家庭への普及度が一番高かったのは、昭和40年代だそうです。

82: 世界@名無史さん 投稿日:2005/05/26(木) 02:24:13
昔、結婚式を夜やっていたというのは、全国的にそうだったんですか?

88: 世界@名無史さん 投稿日:2005/05/26(木) 09:40:19
>>82
戦前は結婚式は夜だったが、戦争中、灯火管制のため昼間しか結婚式が出来ず、
そのまま、結婚式は昼間に挙げるようになった、と祖父が言っていました。

83: 山野野衾 ◆a/lHDs2vKA 投稿日:2005/05/26(木) 02:46:04
前準備もありますが、基本的に平安時代から戦後まで、夜行うのが通例でしょう。
『貞丈雑記』巻之一
「婚礼は夜する物なり。されば古法婚礼の時門外にてかがり火たく事(後略)」
『諸国風俗問状答』でも、全国的に送り火・迎え火が見られます。

84: 世界@名無史さん 投稿日:2005/05/26(木) 06:52:43
ちゃぶ台。
ラストサムライにちゃぶ台がでてきて、
ありゃりゃと思った。
でも実際いつ頃からかは、知らない

98: 世界@名無史さん 投稿日:2005/05/26(木) 21:02:16
大礼服っていかにも歴史浅そうですけど、どこで始まったんでしょう?

99: 世界@名無史さん 投稿日:2005/05/27(金) 14:21:17
明治5年制定です。
維新後、衣冠束帯で勤務が原則となり(下っ端は麻裃)外国に行くにも烏帽子直垂、
これではたまらんと洋服に。
イギリスの宮廷衣装を真似たとのことですが、キンキラの軍服はナポレオンの
趣味なので、フランスに留学していた西園寺公望あたりの意見が入っていそうです。
ナポレオン3世もキンキラ好みは継承したので。

95: 世界@名無史さん 投稿日:2005/05/26(木) 16:19:31
「哲学」なんかどうだ?
概念はともかく、言葉自体は西周が創作した訳語なわけだが。
外国語翻訳ネタはほかにもたくさんあるだろうな

101: 世界@名無史さん 投稿日:2005/05/28(土) 00:14:54
>外国語翻訳ネタはほかにもたくさんあるだろうな

freedomの訳語を「自由」としたのは福沢諭吉だけど、
言葉そのものは昔からあって、福沢の造語ではないと聞いたけど、真実は?

102: 世界@名無史さん 投稿日:2005/05/28(土) 09:56:42
>>101
「自由」は江戸時代の初期には使われていますが、もっぱら悪い意味です。
「甫庵太閤記」に秀吉が養子の秀次の妻子30人あまりを公開処刑した場面で
秀吉の行いを「自由なり」と表現しています。
どれくらい普及していたかはわかりませんが、自己中心的な行いをするものを
博多弁で「じゆうもん」と言っていました。

103: 山野野衾 ◆a/lHDs2vKA 投稿日:2005/05/28(土) 19:48:58
「自由」という言葉は、奈良時代には既にあります。
勝手気ままとか、欲求とかいった意味で、いい使い方はされていません。
近代に肯定的な意味になったものでは、「愛」もそうでしょう。
夫婦間の細やかな情愛は、「情」、「志」、「思」というのが多い。
特に多いのが、「志(こころざし)」でしょうか。
愛という場合、遊女や愛人に対して執着した様な用例が多く、肯定的な例も
皆無とは言えませんが、日常レベルではあまり聞きません。

107: 世界@名無史さん 投稿日:2005/05/29(日) 01:30:40
「友人」「友情」「親友」の概念が出来たのは明治以降。
それまでは「桃園の誓い」のように、義兄弟での序列があり、
平等対等な関係ではなかった。

112: 世界@名無史さん 投稿日:2005/05/30(月) 03:01:48
ピアノとオルガンってどっちが古かったっけ?

113: 世界@名無史さん 投稿日:2005/05/30(月) 03:34:12
今日のピアノの元祖となった楽器は1709年に発明された。
その頃バッハはヴァイマルで教会オルガニストとして活躍し、
オルガン曲の大半をこの時期に作曲した。

114: 世界@名無史さん 投稿日:2005/05/30(月) 04:35:15
PC、携帯電話、テレビゲーム。
たった20年でアフリカ、アマゾン、中国奥地まで全世界に普及。早杉!

115: 世界@名無史さん 投稿日:2005/05/30(月) 10:39:12
最初のテレビゲーム(ビデオゲーム)は1958年なので意外と古い

117: 世界@名無史さん 投稿日:2005/05/30(月) 19:29:51
>>115

ファミコンなんて1984年だからな。
いわゆるコンシューマゲーム世代はたった20年の歴史

134: 世界@名無史さん 投稿日:2005/06/01(水) 15:11:20
>>117
世界最初のテレビゲームはテニスゲームと言われる棒を左右もしくは上下に動かして玉を打ち返すもの。
アメリカの大学で学生が作った。

ATARI以前の家庭用テレビゲームというと5万円くらいして、中にテニスゲームのようなゲームが
数種類(内容は同趣のもの)入ってるだけのもの。
だから今度は「ブロック崩しがやりたい」と思ったら、
また5万円出してプロック崩しのゲーム機を購入しなくてはならない。
今思うと信じられないが、当時はそれが当たり前で誰も疑問を抱かなかった。

世界最初のカセット式ゲーム機はアメリカのATARI、名前は日本語から取ったものではあるが、
日本人とは関係ない。
当時としてはカセットを入れ換えるだけでちがうゲームが遊べるというのはまさに革命であった。

141: 世界@名無史さん 投稿日:2005/06/01(水) 19:31:23
ガソリン自動車
歴史が浅いというよりも、
自動車が普及?し始めた頃は電気自動車が主流だったらしい。
ガソリンもガソリンを使うエンジンが発明されるまでは、
使い道が無かったとか。
間違っていましたら訂正お願いします。

146: 世界@名無史さん 投稿日:2005/06/01(水) 23:47:35
>>141
自動車の黎明期では、蒸気自動車が多数派で、電気自動車
は将来の乗り物として期待されていたという状況です。
性能特性から、理論的にはガソリンエンジンというか、内燃機
関は自動車には向かないんですね。
低回転の時にトルク、力が弱く、高回転にしないと力が出ない
という性質は今日も根本的には変わりません。
蒸気機関や電気モーターは低回転時も十分なトルクが出るの
で、本来は自動車に向いているんです。
でも、蒸気自動車は予熱をしておかないとすぐには使えないと
いう不便さからすたれ、電気自動車の方は期待された高性能
のバッテリーがついに発明されなかったことからダメになって、
エンジンの動力特性の難点をギアとクラッチで補正した今日の
ガソリンエンジン自動車の全盛となったわけです。

142: 世界@名無史さん 投稿日:2005/06/01(水) 19:39:25
んじゃ強襲揚陸艦。

なんと世界最大級の上陸作戦が行われたWWIIにおいては存在せず。
日本陸軍の空母が其れに近いかなというくらいのもの。

333: 第20軍団兵 ◆vthFSU.BqE 投稿日:2005/06/06(月) 11:26:23
>>142
神州丸/哨戒艇と大発のセットが強襲揚陸用機材とは言えないのでは。
そもそも陸軍のドクトリン自体が敵の正面に上陸することは想定していないはず。

「渡洋作戦が可能な機材を装備していた」という文脈ならば正しいけど。

143: 世界@名無史さん 投稿日:2005/06/01(水) 21:58:48
またまた日本史ネタで恐縮だが、少林寺拳法。
昭和になってから。

145: 世界@名無史さん 投稿日:2005/06/01(水) 23:23:54
>>143
少林寺憲法をやってる奴によると
戦後、武道が禁止されていた時代に
宗教と偽って広めたらしい

147: 世界@名無史さん 投稿日:2005/06/02(木) 00:42:29
リヤカー
戦後の一時期だけにできたもの

149: 世界@名無史さん 投稿日:2005/06/02(木) 03:47:40
>>147
ショックっ!∑( ̄□ ̄|||)

あれは、日本の伝統ある田園風景だと思って居た。

150: 世界@名無史さん 投稿日:2005/06/02(木) 04:09:49
ちゃちゃっと調べたけど、大正10年ごろの発明らしいぞ>リヤカー

152: 世界@名無史さん 投稿日:2005/06/02(木) 07:35:19
リヤカーはもともと木製の大八車を自転車で引っ張っていたのが鉄製になっただけ。
大八車では自転車と高さが合わず荷台の傾斜が急になりすぎるので鉄でフラットフロアに作ったのがリヤカー。
自転車で引っ張らなければならないという決まりがあるわけではないので、
しばしば人間も引っ張っていたが。

154: 世界@名無史さん 投稿日:2005/06/02(木) 07:52:08
吸血鬼。
いや、所謂妖怪魔物の吸血鬼は古くから存在したんだけど
今のいイメージするような吸血鬼はドラキュラ以降だから最近。
しかもドラキュラ禿でした。外見のイメージはもっと後の映画から。
さらにいえば日光ではじめて死んだ吸血鬼は映画「ノスフェラトゥ」で
ドラキュラとかカーミラは普通に午後や黄昏時に散歩したりしていた。
他の弱点も結構ハリウッドのせいが多いので最近のものが多い。

極端な例だと人狼と吸血鬼が完全に分離したのもハリウッド映画なので
ココ100年のものであったりする。
魔物も時代時代のイメージにあわせなきゃならないから大変だ。

172: 世界@名無史さん 投稿日:2005/06/03(金) 23:14:31
関西弁
幕末あたりに標準的な言葉が崩れてできたもの。
ちなみに西日本方言で特徴的な助動詞「や」は
幕末に初めて女性語として発生したもの。

歴史ドラマなんかで豊臣秀吉とか京都の公家が現在の関西方言で喋っているのは大嘘。


179: 世界@名無史さん 投稿日:2005/06/04(土) 01:03:00
無難な所でスギ花粉症

213: 世界@名無史さん 投稿日:2005/06/04(土) 14:47:29
>>179
それは間違い。
アレルギーは大昔からあった。古代エジプトの記録にも花粉症や食事性アレルギーの記述がある。

180: 世界@名無史さん 投稿日:2005/06/04(土) 01:04:06
中央アジアの4カ国、カザフスタン、キルギスタン、タジキスタン、トルクメニスタン。
19世紀以前の歴史的・地域的な名称とは全く関係がないものが名付けられている。

181: 世界@名無史さん 投稿日:2005/06/04(土) 01:40:03
ん?
トルクメニスタンは、そこの民族のトルクメン人から由来じゃないのか?
かつては、中央アジアに覇を築いたササン朝ペルシアも、そこに住んでいたトルクメン人があまりにも勇敢だったため
手を出すことを諦めたとか

他の三国はしらんが、トルメニスタンはオリエントの頃から名前があるくらいだから、由緒ある名称だと思うが

185: 世界@名無史さん 投稿日:2005/06/04(土) 05:03:24
うん、確かにセルジューク朝の時代からあの地域はトルクメンが
いたけど、東はホラーサーンから西はルーム地方まで幅広く活動していた
オグズ系の諸族の総称とか別称みたいなもので、極端な話、
アゼルバイジャンのアゼリーもトルクメンのうちに含まれる。

トルクメニスタンの場合もともとイラン東部マシュハド一帯からヘラート近傍、
メルヴからアム河の境までが大体イスラム時代のホラーサーンで、イスラム以前は
ソグド人の地方を望むサーサーン朝の東方直轄領だった。「フワラーサーン」自体
「東方」の意味で、当時サーサーン朝はソグドを庇護下においていた西突厥系の諸勢力と
何度も戦闘しており、その最前線の領域でもあった。

国境確定当時、ソ連、イラン(カージャール、パフレヴィー)とアフガニスタンの微妙なバランスのもと
「独立運動」の課程で確トルクメン系の人々が都市部や郊外に多かったから、トルクメニスタンと
名付けられた感が強い。まあ、それで良いと云えば良いのかも知れないが。

確かにキルギスやタジクのように無理がありすぎる名称とまでは云えないけども。

184: 世界@名無史さん 投稿日:2005/06/04(土) 04:00:10
「ぼく」という一人称

柳田國男は「『僕』という一人称は最近できたもので、語感が美しくないから
そのうち廃れるだろう」という意味のことを言っていた。
吉田松陰が書簡で「僕」を使っているので、日本では幕末には使われていたことがわかる。
『伝習録』に所収の書簡で王陽明が自分のことを「僕」と書いている部分があるため
明代あたりの中国で使われ始め、陽明学と一緒に日本に入り、陽明学徒が真似して広まった
んじゃないかなぁ………と思うんだけど

230: 世界@名無史さん 投稿日:2005/06/04(土) 16:50:50
プレートテクトニクス(大陸移動論)

定説となったのは1970年代以降


引用元: ・意外と歴史が浅いもの