51BJxKwBzPL



1: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/06/15(木) 07:17:55 ID:rCMhzApJ
さあ、語れ








486: 名無しさん@お腹いっぱい 2006/10/27(金) 11:46:01 ID:hjIlrj+q
当時の野菜って、今と味はどう違うんだろう?
渋いのかな?
食べ方は、おひたしか味噌汁の具にする位かな?

488: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/27(金) 16:15:41 ID:a8T5jJ2j
冷蔵庫ないからね。
保存が効く調理法がほとんどだったろうと想像。

489: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/27(金) 17:51:02 ID:8qaNaDzO
今ある野菜の大半は江戸時代以降に入ってきたものだからね
古くから入っていたものでも普及しなかったものも多い
同じ種類でも現代では品種改良を繰り返えされたものだから見た目も味も大きく違う
昔の物は形は小さくアクや青臭さが強く筋ばっていたり
現代人からしたら決して美味いものではない
ただ、栄養価は極めて高いだろうね
化学肥料もないし、農薬も自然由来だから健康的ではある

490: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/27(金) 19:05:05 ID:AeraWVHT
そして寄生虫持ち。

491: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/27(金) 19:19:07 ID:8qaNaDzO
>>490
それだw
農薬かけない野菜には必ず寄生虫がつく
まして昔は人糞や動物の糞が肥料だから寄生虫がループしてる
だから野菜を生で食べる習慣がなかったんだよな
戦後まで日本も食中毒や寄生虫などとにかく不衛生だった
食べ物で命落とした人も多い

492: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/27(金) 19:38:15 ID:BtFWuyN2
まあ寄生虫は火を通せばいいだけの話。
あと植物の栄養素には大気中の二酸化炭素量が影響していて
二酸化炭素濃度が濃いと植物はよく育つが
単位あたりの栄養素は少なくなる。
戦国時代は今より二酸化炭素濃度が薄かったので
栄養価は高かったろうな。

493: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/27(金) 21:27:49 ID:iE1p1V2u
いやちゃんと肥にすれば寄生虫問題はない。

494: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/27(金) 21:43:17 ID:g/4FEU6M
>>492-493
でも、現実に戦前くらいまでは寄生虫問題があったんだが・・・
ただ、これは明治以降の近代の話しかもしれない。

なお、最近、またグルメブームで肉を生で食ったりすることから
寄生虫が復活してきたらしい。

496: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/27(金) 22:00:24 ID:8qaNaDzO
トウゴマの種から造られるひまし油なんかを飲んで寄生虫を排出してたようだね
昭和40年頃まで使っていたようだが
いつの時代からやっていたかは分からん…

499: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/27(金) 22:49:21 ID:iE1p1V2u
一番多かった寄生虫問題はサナダムシ。
あれは鮭のルイべなんかでもなるが無害らしい。(藤田先生談)
藤田先生は何匹もお腹で飼ってる。
ちなみに鰊や烏賊・鯖・鯨のアニサキスは昔なら確実に死ぬ。

500: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/28(土) 00:08:09 ID:/P6K44DC
>>499
毛利元就は寄生虫でやられたらしいね。寄生虫いるの知ってて生魚やめられなかったそうだからグルメだったのかも。

504: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/28(土) 01:04:11 ID:WSr9mcVC
江戸時代初期、冬の時期の庶民のご馳走と言えば犬鍋だった。
冬期になると野良犬が街中から居なくなるほど。

んで犬好き(食べるわけではなく愛玩として)の綱吉が悪法名高い
生類憐れみの令を出した。

くじらは当時魚類と思われてたが実際には哺乳類の獣肉だし、
猪や鹿、馬(武士は特に食すのをタブー視されてたが)なんかも
植物の名前の隠語で呼んで、専門店もあったほど。

510: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/28(土) 02:27:47 ID:WSr9mcVC
どっちかというと、当時庶民の中で獣肉といえばポピュラーなのが
猪、鹿あたり。牛は労働力として農業を生業としてる連中は口にしないし、
馬は武士にとってのタブー。
犬は綱吉時代に禁止されて以降、口にする習慣が無くなった。

513: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/28(土) 03:47:11 ID:KQiw5nIy
ムツゴロウこと畑正憲氏は大学時代、寮で数匹の犬を飼っていたのだが、
学園祭の時に空手部員に無断で食べられてしまったそうな。犬を。(大学は東大)

犬食万歳。

514: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/28(土) 10:47:24 ID:tYyclr/z
犬食は戦後もしばらくはあっただろ。親や祖父母にでも聞いてみたらいい。

515: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/28(土) 11:56:17 ID:tuu/VDWO
猪、鹿、山鳥なんて所詮は供給の安定しない野生動物。
そりゃ全く当時の日本人が獣肉を口にしなかったとは言わないが
あたかも頻繁に常食されていたかのような表現は誤解を生むよ

あくまで当時の基本的な動物蛋白源は圧倒的に魚介類が中心である事をお忘れなく
他の追随を許さない極めて発達した魚食文化圏

517: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/28(土) 14:30:16 ID:7vfvPH71
>>515
なんかその辺を勘違いしてる人もいるね
狩りやってたからって、鳥獣を当たり前に食べてたとか思ってる人が
けっこう多い
抵抗なく食べられる事が武勇伝の一つにもなったって話もあるし

516: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/28(土) 14:12:28 ID:A9gSfGW0
獣肉は滋養あるものとして「薬食い」と言うのであった。

520: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/28(土) 15:13:18 ID:A9gSfGW0
お袋の留守に紅葉(鹿肉)を煮てくらい
ご隠居は嫁のいやがる薬食い
薬食い女房きせるをひったくり

江戸時代の川柳(スレ違いですまん)だけど、
やはり臭いを受け付けないことが多かったみたいだね。

521: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/28(土) 15:14:14 ID:ryTS9YUG
でも江戸時代の不良若侍(今で言う珍走団やチーマーみたいな連中か)は
「俺たちは太平の侍とは違うんだぜ」と野犬を殺して食ってたらしい。
戦国時代の侍を真似たつもりだとかだったそうだが、
本当に戦国期の侍が犬っころなんて食べていたかどうかは不明。

余談ながらこの悪臭がひどいせいで生類憐みの令が発令されたという説もある。

522: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/28(土) 15:16:36 ID:s5VQqDVd
全国に肉屋は存在してたが普通に食卓に上るようなものではないわな
山間部の田畑の少ない所は肉から栄養取ればいいのにと思うのにそれでも食わない人が大半だった
魚類や鳥類は普通に食べたが哺乳類嫌悪の習慣は余程強かったようだ
肉を扱う人もエタ・非人と呼ばれる差別階級の人達だったし
田舎じゃ今でも
「あの家は昔屠殺やってた」
「あの家の人は肉食ってた」
とあまり良い意味でない話題になる事がある
畜産を盛んにすれば不作による飢饉も少しは緩和できたのに

529: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/28(土) 16:17:13 ID:WSr9mcVC
>>515-518
いやいや、江戸時代猪専門店だってあるし、鬼兵犯科帳じゃ軍鶏鍋専門店が
密偵の拠点になってる。

534: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/28(土) 17:00:56 ID:A9gSfGW0
>>529
獣肉を食べさせる店、ももんじ屋だっけ?
猪の絵看板がかかった店の風景が浮世絵の題材になってるよね。

鬼平の軍鶏鍋屋は本所の「五鉄」だ。

それと、仏教の経典では別に肉食を禁じてはいないんだったよな。

537: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/28(土) 18:34:37 ID:VxKuBpht
>>529 >>534
そんなことはわかってる。
ごく一部のグルメのためにそういう店はあるが
一般人が「普通に食べてた」という理屈がおかしいといってるだけ。

531: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/28(土) 16:22:05 ID:HYvDCD/T
日本以外の稲作地域では稲作には豚と鶏がついてくるんだけど、日本では何故かそれもなし。
魚がすべて。
親子丼も、トンカツも江戸時代以前にはありえない料理。
親子丼も、焼き鳥も、トンカツも豚の生姜焼きもすき焼きも全部、カレーやなんかと同じで、外
国からの無理やりの開国があってこその料理、実は日本料理じゃない。
しかし、江戸以前の日本料理は相当貧弱、料理を考えたら、日本には住みたくない、たとえ大
名でも、庶民は問題外。
隣の中華料理はあんなにすごいのに・・・


532: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/28(土) 16:47:32 ID:qY6GlabW
>>531
唐時陳藏器著本草拾遺、謂人肉治羸疾、自是民間以父母疾、多刲股肉而進。
(新校本新唐書  卷一百九十五 列傳第一百二十 孝友 より。)
別な面もスゴイけどね。

ワラビゼンマイなど山菜取り関係の本読んだけど、江戸時代よりも前は資料らしい資料が無いみたい。
江戸時代には、秋田、山形、新潟の山村での主要商品で、公方様にも献上されていたみたいだけど。

545: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/28(土) 19:57:34 ID:WSr9mcVC
戯曲や川柳、落首、滑稽本、日本画、銅版画etcetc

いくらでも食肉文化が庶民に浸透してるってのがわかる資料なんざいくらでもあるのに。

550: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/28(土) 20:31:22 ID:WSr9mcVC
光秀が家康饗応役に選ばれたときも鶴の肉とかあったしね

551: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/28(土) 20:35:52 ID:WSr9mcVC
十五日をちつき(徳川家康一行の安土到着時)
●本膳
皮を取った蛸
鯛の焼き物
菜汁
鯉のなます
香の物(味噌漬)
鮒の鮨


●二膳
うるか(鮎の内臓の塩辛)
宇治丸(鰻を丸のままあぶって切り,醤油と酒,または山椒味噌をつける。鰻の鮨のことともいう)
ホヤ冷や汁
太煮

ハモ
鯉の汁

●三膳
やきとり(キジ)
山芋の蔓(鶴?)汁
かさめ(ワタリガニ)
ニシ(貝の一種)
鱸汁

●四膳
巻スルメ
鴫つぼ(ナスをくり抜いて鴫肉をつめる)
鮒汁
しいたけ

●五膳
まな鰹刺身
生姜酢(刺身用)
ごぼう
鴨汁
削り昆布

552: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/28(土) 20:36:35 ID:WSr9mcVC
十五日晩御膳
●本膳
三つ和え(煮物三品)
こまごま(数種類の和え物?)
鮎の鮨
干し鯛


●二膳
串鮑
鯒(コチ)汁
なしつけ(奈良漬?)

●三ひしくひ(この語不明)
角煮(鰹の?)
鯛のあつ物
つぼ(用途は?)
折二かう(折詰二段?)
角盛り・壷盛り(中味は?)
ふくらいり(ナマコ煮物)
きしませにふとう(不明)
その他いろいろ

553: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/28(土) 20:37:18 ID:WSr9mcVC
十六日御あさめし
●本膳
宇治丸
鱒焼き物

鮒なます
うど
このわた(ナマコの内臓塩辛)


●二膳
ひばり
かれい
鯛の汁
干鱈の削り物
麩の小串
イカ
冷や汁

●三膳
塩引き(魚の塩漬け)
麩と雁の汁
切り蒲鉾・焼き鮎・酢ごぼう盛り合わせ
杉かかり(杉板を使った煮物で,杉の香を食材に移した。)
とさか海苔
●よ膳
大はも
とへた(ツメタ貝)
山の芋・醤煎り・あま海苔色々
そぼろ

たてす(蓼酢?)
かけいり(魚のすり身団子)
ミル貝

●菓子
薄皮饅頭
山の芋
美濃柿
ビワ
麩揚げ

554: 名無しさん@お腹いっぱい 2006/10/28(土) 20:37:30 ID:yUF16GPJ
島津が相手を挑発する為に、鶴の吸い物をわざとだしたとかって話があったような?
名前忘れたけど、その相手の家紋が鶴だったんだとさ。

555: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/28(土) 20:38:14 ID:WSr9mcVC
十六日之夕
●本膳
飯湯漬け
塩引き(魚の塩漬け)
かりの豆(不明)
焼き物
和え混ぜ(スルメ・鮑等の酒和え)

香の物(味噌漬け)
ふくめ鯛(?)
蒲鉾

●二膳
からすみ
皮を取った蛸
サザエ三つ
あつめ汁(ナマコ・串鮑・麩・椎茸・大豆・あま海苔)
小串(何の串?)
和えくしげ(和えクラゲ?)

●三膳
山椒はも
竹の子と白鳥
海老舟盛り
熨斗もみ(鮑の塩もみ)
鯉汁

●よ膳
数の子
百菊(ももぎ)焼き(鳥内臓の焼き物)
青鷺汁
瓜もみ

●五膳
シギのはもり(羽盛り?)
ウドと鯨の汁
バイ貝

●菓子
羊羹
うち栗
くるみ
揚げ物
花煮昆布
おこし米
のし(鮑)

●点心
生姜・あんふん(あんにん?)・山椒
かた海苔
こたうふ(豆腐?)
椎茸
蒸し麦五枚(点心用の小麦粉製皮)
御そんさかな(御添え肴。菓子の時に添えた酒の肴)橘焼き(?)二本
角盛り・壷盛り(中味は?)
鯛のあつ物
折十かう(折詰十段?)・杯の台,その他

556: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/28(土) 20:39:09 ID:WSr9mcVC
光秀が出したのは鶴じゃなくて白鳥だった・・・

557: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/28(土) 20:55:48 ID:tuu/VDWO
>>551-555
豪勢な饗応料理においても矢張り魚介類が中心だな

獣肉食の習慣が存在はしていたのは事実だろうけど
日本全国・全階層で魚介類が獣肉より圧倒的にポピュラーで
牛豚鶏が魚介類並みに食されるようになったのは昭和も半ばになってから

564: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/29(日) 01:58:04 ID:MeXm7JQX
戦国時代も食事はかなり質素だったんじゃないかな?
江戸初期の話しだが
毛利秀元、丹羽長重、蜂須賀至鎮、林羅山、阿部重次
といった面々が江戸城に登城して弁当食ってる様子が書かれたものがある
皆弁当を広げてお互いオカズを見せあったりした
毛利秀元の弁当には干し鮭が入っていて
皆それを見て良いオカズもって来てると珍しがり
分けてもらって喜んで食べたそうだ
鮭は大名でも余り口にできなかったようだね
ちなみに阿部重次などはオニギリを懐に入れて持ってきて
包みの紙についているご飯粒も全部食べて
更に包み紙を伸ばして鼻をかんだと書いてある
なんかもう、ほのぼのと言うか涙をそそるな…

565: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/29(日) 02:30:58 ID:JrOvqQ35
>>564
大名クラスですらそうなのか、それとも上下を問わずこんなものなのか・・・

570: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/29(日) 03:38:59 ID:74P/dEmQ
>>565
江戸の将軍の話になるが、ご飯を食べているときにご飯粒を落としたら
自分で取って食べるように教育されるそうな。
理由も為政者として農民への感謝と彼らの苦労を忘れないためらしいから、
ご飯粒も残さず食べていたというのは大いにあり得る話、白米も貴重品だし。

571: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/29(日) 05:45:10 ID:uqO0mUeO
>>570
俺も祖父母を始め両親に同じ事を言われて育ったクチだ。
おかげで俺は家だろうが、吉野屋だろうが食器に盛られた飯は米粒ひとつ残さず食べる様にしているよ。

もっとも、将軍家とは縁もゆかりもない家系だが…。w

567: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/29(日) 02:42:32 ID:uqO0mUeO
>>564
やはり大名や上級武士でも天下人(豊臣秀吉や徳川家康クラス)でもない限りあまり贅沢はできなかったんだろうし、彼等の住む地方にはなかなか出回らない様な食べ物だったのだろうな。
産地から取り寄せるにしても、棒鱈みたいに乾燥させきった物ならばともかく、冷蔵庫もなければ高速輸送手段もない、陸路は馬や大八車(リアカー)、海路が一番早いといっても帆船だし潮流や天候の関係もあるしなぁ。

それにしても、鮭が好物の歴史上人物って結構いるのな。
水戸黄門こと光圀公(字はこうだったか?)も鮭、特に鮭の皮が大好物だったらしい。

食べればパリパリ、シャクシャク。
噛み締めたら旨味と脂がじんわり…、といったところかw

568: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/29(日) 03:00:31 ID:mcXIMyTx
最後の14代彦根藩主・井伊直憲の食事を書き記した「御膳帳」を基に再現した
1863(文久3)年10月7日の朝食で、
「今出川豆腐のこし薩摩芋(いも)かけ」と「白玉と牛蒡(ごぼう)のみそ汁」。
ご飯と漬物の代わりに、彦根藩から幕府にも献上されたと伝えられる
醒ケ井餅(もち)が添えられた。

試食会場には大勢の市民らが詰めかけ、煮豆腐にこしたサツマイモをかけたおかずなどを口に運び、
参加者は「質素で、健康によさそう。あっさりとおいしかった」と話していた。
京都新聞  11月6日掲載



569: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/29(日) 03:07:59 ID:mcXIMyTx
文久三年(一八六三)十月七日朝
平皿(今出川豆腐・漉〔こ〕し薩摩芋)・汁(白玉・牛蒡〔ごぼう〕)
  同日昼
長皿(味噌漬鯔〔ぼら〕)・汁(栗・卯の花)
  同日夕
平皿(蒸兵主蕪〔ひょうずかぶ〕・葛・わさび)

いずれにもご飯と漬け物が加わります。
魚は一日一回程度、 豆腐も毎日のよう御膳に上りました。
この献立を見る限り、大名であっても、普段は「一汁一菜」の質素な食事だったといえるでしょう。

578: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/29(日) 10:00:57 ID:CVewLbvG
>>569
家康が異常なまでの質素倹約家だったから、その名残で幕臣達も質素倹約になっていたみたいだね。
でも武具には糸目を使わず金を使っていたのもある。江戸初期に500両かな?で買った刀を幕末の財政苦&黒船襲来で2両で売ったとか、そんな話しもある。

一般人は逆にいい物を食ってた。当時の和歌にも「明日は何を食うか」と歌った物も残っている。内容の詳細は忘れた。ごめん。
うんこの化石の成分分析からも当時の庶民は中々にいい物を食っていたみたい。
男手が多かったために外食産業が発達したってのも要因だけどね。


って、江戸の話しになってるやwスレ違いだな

579: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/29(日) 11:26:36 ID:52ilr+Pz
鮭好き武将といえば吉川元春。
毛利といい吉川といい長州は鮭が名物なのかしらん?

581: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/29(日) 13:37:44 ID:bzKtDB9M
>>579
長州は北前船(蝦夷発下関経由大坂行)でおこぼれにあずかれたのではないかと思うのだが

588: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/29(日) 19:35:51 ID:EzfFoafa
鮭の皮好き武将なら伊達政宗もそうだと聞いた。
仙台辺りの河川に鮭が遡上するというのは聞いた事が無いけど、同じ県の少し北の方の河川なら鮭が上がってくる。
上流の産卵地付近なら、手掴みで鮭を捕まえる事も可能だが、現在では密漁になるらしいw

ちなみに川の上流まで上がってきた鮭はあまり美味しくはないようだ。
しかし、イクラはちゃんと食えるみたいだ。

592: 名無しさん@お腹いっぱい 2006/10/29(日) 20:47:42 ID:K77fj5aZ
>>588
宮城県北に親父の実家があって家の裏に川があるんだけど、子供の頃に鮭を見た事あったよ
海からはかなり上流なのにいっぱい居た。

もっとも、産卵が終わって力尽きた後の大量の死骸だったんですけどね・・・。
身体はボロボロで、流木の様に流れていくさまはショックだったな~。

590: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/29(日) 19:45:48 ID:GzOtZYzK
鮭は上流まで登って来た時にはエネルギーほとんど使い果たしてるからな
そんな痩せた身があまり美味しくないのは頷ける
イクラだって皮が固くなってるだろうし、やっぱ現代のが美味いもん食ってんだね

ちなみに伊達政宗のグルメっぷりは有名で、
美食道楽は幕府の目をごまかす為だったっていう説まである程
天下は取れなくてもまあまあ幸せな余生だったりするのかな

649: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/30(月) 00:58:44 ID:/ULXcPA+
>>590
伊達政宗公について、こんなエピソードがあった。
ソースは『伊達政宗壁書』
日頃から「朝夕の食事はうまからずとも、ほめてくうべし」

そして、これは仙台のとある逸話だが、政宗の五男、宗綱の元服式で家臣の茂庭綱元の屋敷にてイモノコ汁や鰯の塩焼き、豆飯が出された。
これを伊達政宗が嘆くと、茂庭綱元にこう諭された。
『伊達家の興亡を賭けた人取橋の合戦の時、一日も早く天下を泰平にしてイモノコ汁を食べたいと言ったのをお忘れか。今日はその望みを叶えたのです。』

それを聞いて深く反省し、以来『イモノコ汁』は仙台の郷土料理として親しまれている。
イモノコ汁や鰯の塩焼き、豆飯を質素と言うあたりに政宗公の普段の食事が結構良い物を食っていた事を予想させるエピソードである罠

長文、スマソ

658: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/30(月) 12:32:34 ID:7hOxMVnU
このスレ的には、「戦国武心伝」だったかな?の戦国時代の食事を再現してるのはどうなんんだろ。
俺はあれを読んで取り合えず赤味噌を塗りたくった玄米の焼きおにぎりを作って食ってみた。
メチャクチャウマーだったけど、一食三合はとても食えんと思った。
兵糧丸の作り方も載ってたけど、あれも美味そうだったなあ。

682: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/31(火) 14:10:05 ID:tH+Erfeq
粥、おにぎり、かれいい、味噌、湯漬け、干し柿、焼き魚くらいしか
思い浮かばん。少なくとも腰兵糧はかれいいと味噌・塩のイメージがある。

687: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/31(火) 21:02:58 ID:EJp2c6oR
このスレの各々方、今私の手元に『ヨーロッパと日本の文化 ルイス・フロイス著 岡田章雄訳注』がある。
これを判断材料のひとつとして考えてみるのはどうか?
戦国時代と言われている安土桃山時代の様相を全て克明に記録している(想像ではなく当時の異国人が見たまんま書いてある)ので少しは参考になるかと俺は思うが?

688: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/31(火) 21:09:41 ID:tH+Erfeq
>>687
判断材料にするから、中身を書き出してみておくんなせえ

689: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/31(火) 22:26:10 ID:EJp2c6oR
>>687だが、まず肉食云々での項目について
『ヨーロッパ人は牝鶏、鶉(うずら)、パイ、ブラモンジュ等を好む。日本人は野犬や鶴、大猿、猫、生の海草等を喜ぶ。』
とある。
ただし、猫を食べたと言うのは考えられないと同書の訳注にあり、狸や獺(カワウソ)の類いを謝ったものかとある。
また、『我々は犬を食べないで、牛を食べる。彼らは牛を食べず、家庭薬として見事に犬を食べる。』
と、あるぞ。
あくまでも、一資料として考えて下され。

長文、スマソ。

690: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/31(火) 22:42:15 ID:tH+Erfeq
>>687
なんで彼等は日本人が猫を食べないと思い込んでたんだろうね?
薩摩では生類憐れみの令以前まで平気で食べてたよ。
三味線の材料として猫を捌いた時も肉を捨てたとは到底考えづらい。

699: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/01(水) 01:21:06 ID:04kCqmVq
>>690
『猫を食べたと言うのは考えられないと同書の訳注にあり』云々の件だが、訳注を書いた人物(当時の日本人)が薩摩の地方の人々が猫を薬喰いのひとつとして食べていたという事実を知らないで訳注を書いてしまったとは考えられないだろうか?

691: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/31(火) 22:45:56 ID:H/5DhGnu
でも猫の肉ってアクが大量に出て
泡が立って肉も不味かったらしいよ
まあ、肉食動物なんてみんなそんなもんだろうけど

692: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/31(火) 23:12:36 ID:FuzEecvo
蕎麦は蒸していたんだよな。

699: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/01(水) 01:21:06 ID:04kCqmVq
>>692
この資料には蕎麦に関する事がらは記載されてなかったが日本の素麺(さうめん)とポルトガルの麺アレトリアとの相違点があった。
当時の日本人は素麺を芥子、唐辛子を薬味に使って食べるとあった。
おそらく似た様な麺類である、うどんや蕎麦、蕎麦については蕎麦を麺に加工しなくとも蕎麦がき、または雑穀として玄米粥に混ぜて雑穀粥としての食べていた可能性は充分ありえるかな。

皆様方の意見を求む。
また長文、スマソ。

694: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/31(火) 23:44:56 ID:H/5DhGnu
篭城戦で腹が減って仕方なく軍馬を食ったという話はウソ?

700: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/01(水) 01:27:22 ID:04kCqmVq
>>694
豊臣秀吉が高松城を兵糧攻めで攻めた際、ある日を境に高松城から馬の嘶き(いななき)が聞こえなくなった事から軍馬をも食い尽くし高松城の兵糧は尽きたものと判断した云々と豊臣秀吉(織田側?)側の文献にあった。
籠城戦や撤退戦、飢饉など切羽詰まった状況ならばたとえ牛馬であろうとも身分や地方を問わず喰っていたのではなかろうか?

餓死寸前の状況ならば宗教上の制約だのと言ってらんないだろうし。

702: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/01(水) 04:06:23 ID:2YZ0JcF6
>>700
飢餓のような極限状態を出すのは無意味なような・・・・
それを言えば三木城干殺しとか天命の飢饉では
人肉食った記録すらあるし・・・

701: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/01(水) 01:49:37 ID:04kCqmVq
まずは長文連投スンマセン。
さらに甘味物についてだが同書には『我々(ポルトガル人)は甘い物を美味な物とし珍重するが、日本人は塩辛い物を美味い物とし大層ありがたがる。』とある。

当時、砂糖は輸入品でありすげェ贅沢品だったので庶民の口にはほとんど入らず、また市場に出回る代物ではなかったとある。

だから、以前織田信長が金平糖が好き云々のレスがあったが、それこそ天下人クラスの権力者でもない限り砂糖をふんだんに使用した食品なんかは食えなかったと俺は思います。

708: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/01(水) 20:43:54 ID:sW1XTJQ+
>>701
平安貴族は夏場に雪に蜂蜜をかけて食べてたそうだよ。大名クラスは言い過ぎだと思う。
第一、金平糖職人は明治までは道具さえ持っていれば全国を旅しながらでも一生食うに困らない職業と、言われていたんだから。


引用元: ・戦国時代の食事







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