1: 世界@名無史さん 2014/02/11(火) 21:28:34.72 0.net
鮮卑族の歴史スレッドです。






鮮卑

鮮卑(せんぴ)は、紀元前3世紀から6世紀にかけて中国北部に存在した遊牧騎馬民族。五胡十六国時代,南北朝時代には南下して中国に北魏などの王朝を建てた。




4: 世界@名無史さん 2014/02/11(火) 23:25:43.73 0.net
隋唐帝国

5: 世界@名無史さん 2014/02/11(火) 23:32:06.93 0.net
隋唐の皇族は明らかに鮮卑ですよね

6: 世界@名無史さん 2014/02/11(火) 23:48:16.38 0.net
漢人起源説(拓跋部)

『魏書』序紀において、拓跋氏は黄帝の子孫としている。
黄帝は伝説の人物であるが、漢民族は古くから自らを黄帝の子孫としており、拓跋氏と漢人とは同じ起源ということになる。
『宋書』索虜伝には、「索頭虜、姓は托跋氏といい、その祖先は漢の将軍李陵の後裔なり。
陵は匈奴に降り、匈奴の一部落の索頭部となる」とあり、拓跋氏の祖先は漢人の李陵としている。
また、『翰苑』註所引の『漢名臣奏』では、「鮮卑は秦始皇の時代に、長城建築の際に逃亡した者たち」とあり、やはり漢人起源としている。
これらの理由としては、匈奴人が西方系の深目、高鼻、多鬚、赤髪、緑目であったのに対し、鮮卑人が身体的に漢人と酷似していたために、鮮卑は漢人起源とされたと思われる。


習俗(宇文部)

かつては南匈奴の遠属で、代々鮮卑の東部大人(たいじん:部族長)を務めた。
その言葉は鮮卑とはやや異なる。人々は皆伸びたひげを切り揃え、その頭頂部でとめて頭飾りにする。
数寸長くなったらこれを短くととのえる。婦女は足まで長い肌着を着る、すなわち裳(スカート)はない。
秋の収穫に鳥頭を毒薬とし、鳥や獣を射る。〈『魏書』列伝第九十一〉

117: 世界@名無史さん 2014/03/29(土) 00:54:07.65 0.net
>>6
そういう風に民族の起源伝承を漢風に書き換えてあるとがっかりするよな

慕容氏は『述異記』にある
「乾羅は慕容カイの十一世の祖なり
 金銀の襦鎧を着け、金銀の馬具を着けた白馬に乗って天から降り立った
 鮮卑はこれを神とし君長に推戴した」
というのがいうのが本来の始祖伝承なのに
『晋書』108の慕容カイ載記では
「有熊氏(黄帝)の苗裔で、代々北夷に住む」
となっているし

後世だけど契丹なんかも
『契丹国志』の契丹国初興本末や『遼史』37には
白馬に乗った神人と青い牛の牛車に乗った天女の間にできた子孫としているのに
『遼史』2の論賛に「遼の先祖は炎帝より出る」とか
『遼史』63の世表序に「遼はもと炎帝の子孫で、耶律儼は遼を軒轅の子孫とする」
という感じで変えているし

7: 世界@名無史さん 2014/02/12(水) 01:51:14.31 P.net
「鮮卑」とは「朝鮮人みたいな卑しいやつら」という屈辱的な蔑称

8: 世界@名無史さん 2014/02/12(水) 14:48:39.92 0.net
固有の言語の音訳だから漢字にはたいした意味は無い
せいぜい接触の初期に漢族がどう扱ったかということぐらいしかわからん

13: 世界@名無史さん 2014/03/01(土) 16:50:21.49 0.net
>>8
接触初期に大暴れしたのが鮮卑。
三国志時代には傭兵の騎兵に…
なんかしてきて挙句中国の中原を制覇してしまうのが
ローマ帝国みたいで…

11: 世界@名無史さん 2014/03/01(土) 15:27:56.38 0.net
東胡の一派でしばらく匈奴の配下だったから、まぁ普通に強いんだよね

38: 世界@名無史さん 2014/03/07(金) 14:26:53.20 0.net
騎兵としての鮮卑は後漢のころから定評があったよ。
傭兵として雇ったのは失敗。

結局民族が南下してきて中国は彼らの支配下にされた。

39: 世界@名無史さん 2014/03/07(金) 15:16:59.70 0.net
鮮卑といっても、拓跋部と宇文部と禿髪部あたりじゃルーツが異なってそうだなぁ
遊牧民的な支配・恭順ベースの集団の移り変わりでなく、
言語・文化的な連続性でみた集団の変遷を詳細に知ることが出来たら面白いだろうな
拓跋 部

拓跋 部(呉音:たくばち ぶ、漢音:たくはつ ぶ)は、鮮卑族の一部族で、華北に北魏などの王朝を建てた。


宇文 部

宇文 部(うぶん ぶ)は、匈奴系鮮卑の一部族で、宇文莫圭のときに強盛となった。南北朝時代にはその子孫が北周を建てた。


禿髪氏

中国,五胡十六国時代に南涼 (→涼 ) を建設した鮮卑系部族。甘粛省の涼州を中心に発展し,禿髪烏孤 (うこ) のときに西平王となって南涼を建てた (397) 。



関連小ネタ◆高校の時オイラート部だったやつ


40: 世界@名無史さん 2014/03/07(金) 18:46:54.99 0.net
>>39
言語は無理だろ漢民族化して1400年たってるし

43: 世界@名無史さん 2014/03/07(金) 20:55:31.12 0.net
>>39
拓跋部のルーツはわからないんだっけ?

北魏の史書で天女の子孫ってことになってるけど

44: 世界@名無史さん 2014/03/07(金) 21:07:40.84 0.net
拓跋部と禿髪部って似てるな

45: 世界@名無史さん 2014/03/07(金) 22:07:34.98 0.net
禿髪部は河西回廊(甘粛地方)にいたから、根拠地が離れてるんだ
禿髪と関係が深いのはむしろお隣にいた吐蕃で、その国号も禿髪からの転化じゃないかという説も

46: 世界@名無史さん 2014/03/07(金) 22:18:39.49 0.net
チベットって鮮卑と関係ないような…

47: 世界@名無史さん 2014/03/07(金) 22:51:43.28 0.net
吐蕃の前に青海を支配していた吐谷渾は、鮮卑慕容部の分派がチベット系土着民を支配する国
吐蕃についても王室は拓跋部の流れとしている史書はあるようだがなー、拓跋だとさすがに遠すぎ感

48: 世界@名無史さん 2014/03/07(金) 23:14:50.86 0.net
西夏の李王家も拓跋名乗ってたからなぁ

唐に冊封されるまで…

50: 世界@名無史さん 2014/03/08(土) 22:50:34.23 0.net
?や羌のチベット系は、馬騰あたりから五胡十六国前期くらいまで鼻息あらかったのに、
そのあともっと頑張れよと思わないでもない。
でも鮮卑が溶けて消滅したことを考えると、辺境で小さくまとまって正解だったのかな。
流れに流れて、ビルマという独立国家を存続させることもできたし。

51: 世界@名無史さん 2014/03/09(日) 18:53:39.80 0.net
漢化してしまって、辺境にいる集団だけ固有言語が残ったんだよ。
羌も固有の言語で話すのがいっぱいいたはず。
家系的に姜姓の李氏なんかは、五胡系だから潜在的に羌も鮮卑も多いと思われ。

53: 世界@名無史さん 2014/03/09(日) 23:26:46.50 0.net
その観点でいうと、鮮卑もおそらくは末裔であろう集団が周辺に生き残ってんだよな
モンゴルと名前は変わったが・・・何部の血がもっとも濃く残ってるかはわからんけど

77: 世界@名無史さん 2014/03/15(土) 17:04:44.00 0.net
>>53
ハルハモンゴルの祖先は、室韋。鮮卑や烏桓/烏丸とは別集団。

内蒙古の呼倫貝爾あたりには、契丹の語彙が残っているので、そのへんも鮮卑や烏桓/烏丸とも別集団。

室韋

室韋(しつい)は、6世紀から10世紀まで中国東北部のチチハル周辺にある嫩江、アルグン川、黒竜江流域に存在していた民族。初めは失韋国と書かれた。また、モンゴル系民族の源流と考えられており、『オルホン碑文』にある三十姓タタルにも比定されている。


78: 世界@名無史さん 2014/03/15(土) 17:22:50.13 0.net
・・・と書いてしまった後に気付いたが、
ホロンバイルは鮮卑山の(興安嶺)の南。鮮卑の末裔が契丹に合流している可能性がある。

79: 世界@名無史さん 2014/03/15(土) 18:28:57.83 0.net
その室韋が、史書では鮮卑の末流にされてるからそう言ってるんじゃないの?
まぁ、史書については中核氏族と臣従集団との区別を曖昧なまま記述しちゃってるだろうけど・・・
とはいえ「北書」なんかだと7世紀前半の完成だから鮮卑がどういうものかまだ把握してるだろうし、
そのうえで室韋に相応の近似性を見出して書いてるんじゃないかって気もするけどね

80: 世界@名無史さん 2014/03/16(日) 15:50:25.09 0.net
かなりの部分が漢地に行って漢化し隋唐の支配者になったけど
元の地に残った鮮卑の集団は尚可孤が纏め上げた
これが松・漠の地にいたけど安史の乱の後あたりで
朝廷側に立って戦い信任を得て長安周辺に移住した(『旧唐書』144)
そこで勢力の空白地となった松・漠の地に勃興したのが契丹
その一部が細々と残っていたけど契丹に圧迫されて
後晋のころに鮮卑謙がラン州に移り住んだ
金の支配下でモンゴルに呼応して鮮卑仲成が挙兵したけど討ち死にし(『永平府志』)
弟の鮮卑仲吉が跡を継いで、子孫もモンゴルの重臣として栄えた(『元史』165)
その子孫が鮮卑氏から卑氏となって現在に至る

82: 世界@名無史さん 2014/03/17(月) 21:38:07.81 0.net
>>80
契丹族ってまだいるん?

84: 世界@名無史さん 2014/03/18(火) 00:33:28.58 0.net
>>82
契丹という民族意識を持った人はもういないはず
清代の『続通志』82に耶律氏が伊喇氏に、蕭氏が舒穆禄氏(地名から取った)になったと記してある
元が滅んで、漢化を拒んだ人たちは北方に戻って勢力を保ち八旗になったらしい
伊喇氏は伊拉里氏ともいって
和舜武(『清史稿』359)や張作霖を帰順させた増祺(『清史稿』453)を輩出し
舒穆禄氏は満族八大姓の一つになるほどの大勢力で
揚古利とその一族(『清史稿』226・227)のように清の建国の功臣だったり
『明史』の編纂に携わった徐元夢(『清史稿』289)や二十世紀の文豪の老舎のような文人もいる
「高麗系」が「漢人八旗」になったように
契丹の末裔はすでに清初に満洲族に溶け込んでたみたい
ただ『清史稿』85に舒穆禄氏だけ他の満洲族と祭祀の方法が違うみたいなことは書いてある
あと耶律禿花の子孫という人たちが雲南に十五万人ほどいる

54: 世界@名無史さん 2014/03/11(火) 19:36:32.74 0.net
内モンゴル自治区には500万人のモンゴル族がいるぞ

モンゴル本国より多い。

女真族の子孫の連中は大抵漢民族と届けるらしい。
文化大革命で迫害されたから。
大陸の歴史は過酷だなぁ…

65: 世界@名無史さん 2014/03/13(木) 15:21:33.63 0.net
シボ族が鮮卑の子孫ってことになってるけどどうなん?

シベ族

シベ族は、中華人民共和国に居住するツングース系の少数民族。

ヌルハチがその支配する土地を満洲と名乗った当時の、女真族の一支族であるシベ(錫伯)氏族を起源とする人々。
東胡の一派であった大興安嶺一帯に住居していた鮮卑は4世紀の五胡十六国時代の頃、遼東や華北に南下し前燕や北魏などを建国した。だが、他の鮮卑の一派は依然として嫩江から松花江一帯に残り、本来の習俗を保っていた。これがシベ族の前身とする。



67: 世界@名無史さん 2014/03/13(木) 19:15:07.83 0.net
>>65
彼らの叙事歌、西遷之歌の信憑性次第だろう
(概要)
南を目指した人々は、鮮卑と呼ばれていた。彼らが大興安嶺山脈の中で道に迷い、途方に暮れていると、
虎のような爪を持ち、馬に似た身体に角を生やした、一頭の聖獣が現れ、道案内をしてくれた。
彼らはこれをトーテム獣として祀ることにし、住居の西または北の壁にこの獣の図を飾るようになった

68: 世界@名無史さん 2014/03/13(木) 20:01:12.18 0.net
>>67
ユニコーンの神話ってゲルマンだけじゃないのね…

71: 世界@名無史さん 2014/03/14(金) 12:34:13.52 0.net
三國時代の500万人が晋代に1500万人まで増加
しかし、八王の乱とそこから火がついた五胡十六国の乱でまたもや減少
その人口を埋めたのは北方遊牧民
後漢代と同じ5000万人台を回復するのは隋の統一まで待たねばならない

中国人の中身が入れ替わったことは切韻の発音表を見れば一目瞭然

74: 世界@名無史さん 2014/03/15(土) 01:03:40.04 0.net
>>71
しかし北方遊牧民って何百万人もは居ないんじゃね?
北方が空になったわけじゃないし

75: 世界@名無史さん 2014/03/15(土) 04:11:26.62 0.net
>>74
西からも来たのであろう。

『春秋左氏伝』では、「戎狄豺狼」という話を載せているし、
現代語にも、「诸戎」「群狄」というのもある。
東周の頃から、華夏の人々の間では、西戎と北狄というのがあると認識されている。

『後漢書』にも、水平移動してくる西戎、それをとりいれる秦みたいな話(五帝の嚳になぞらえた形) も載っている。

禿髪や宇文のように、西からやってきた集団は、やはり五胡十六国以後も西方でも活動している。

76: 世界@名無史さん 2014/03/15(土) 16:42:44.45 0.net
>>75
西も乾燥地帯に高山で人口密度少なそう。そんなだからこそ土地が空いた、
それ移住ということになったんだろうけど
北朝の内に漢化が進んだようだが、支配者側だとあんまし民族性に拘る
動機が薄かったのかな

93: 世界@名無史さん 2014/03/20(木) 23:33:22.71 0.net
>>71
前趙の頃胡人が500万にたいし漢人2000万いたんだから
入れ替わったてのは言いすぎだろ
それに長江以南には五胡入ってきてないしな

72: 世界@名無史さん 2014/03/14(金) 12:42:02.28 0.net
「鮮卑」って「鮮卑山」に行った東胡の子孫だから鮮卑と呼ばれてるだけで
実際のところ、本人達の自称って中国側からの史料には残ってないのよな

73: 世界@名無史さん 2014/03/14(金) 23:18:46.00 0.net
遊牧民が着けるベルトのバックルを集団名とした説のほうが納得感はある
白鳥庫吉のいうように、盤踞する民族名→地名という名付け順かもしれんしな
「漢書」匈奴傳
犀[ ],胡帶之鈎也。亦曰鮮卑,亦謂師比,總一物也,語有輕重耳
※{ ]内は「田比」を一字にしたもので、犀とあわせて漢音で「さいび」、中古音で「sieibi」

202: 世界@名無史さん 2014/04/28(月) 01:58:06.06 0.net
『国語』14に
周の成王の時代に諸侯を集めて同盟を結んだとき
楚は鮮卑と同様に蛮族だから同盟に入れなかった
って記事があるけど
これが後世の竄入じゃなかったら
漢代に冒頓単于にやられた東胡の生き残りが鮮卑になったんじゃなくて
周の時代からいることになるよな
http://zh.wikisource.org/wiki/%E5%9C%8B%E8%AA%9E/%E5%8D%B714

203: 世界@名無史さん 2014/05/01(木) 15:13:12.13 0.net
>>202
そこ民族名じゃなくね?

204: 世界@名無史さん 2014/05/05(月) 13:22:22.57 0.net
一応、『新釈漢文大系』の『国語(下)』の「通釈」だと
「楚は荊州の蛮夷だったので、場所の標示を置き、席次表を設け、
 鮮卑とかがり火の番をしていましたから、盟には加わりませんでした。」
と訳されてた
「語釈」には「○鮮卑 東方の夷狄の名」とだけある
訳者の専門が春秋時代で、文の内容としてはあまり重要じゃないため
「鮮卑」と出てきてもさらっと流したみたい
「鮮虞」の間違えかとも思ったけど「卑」と「虞」じゃあまりにも違うし
上記の本の校異にも、異本に「鮮牟」とあると、書き損じ見たいなものしかなかったし

205: 世界@名無史さん 2014/05/06(火) 01:04:31.23 0.net
鮮も牟も西周時代の小国の名じゃないの?
「鮮や牟のような小国とともに」の意
でなければ>>204氏のいう「鮮虞」の間違いもありうる

206: 世界@名無史さん 2014/05/06(火) 01:37:00.40 0.net
こっちだと「鮮牟」のほうを採ってるな
https://zh-classical.wikipedia.org/wiki/維基大典:維基爾雅/牟
【晉語】成王盟諸侯於岐陽,楚爲荊蠻,置茅セツ,設望表,與鮮牟守燎,故不與盟。
【註】鮮牟,東夷國。 又地名。

207: 世界@名無史さん 2014/05/06(火) 11:18:32.42 0.net
牟国は火の神の祝融の子孫だから
火の番をするのは自然だろうね
http://www.zwbk.org/MyLemmaShow.aspx?zh=zh-tw&lid=78550

208: 203=205 2014/05/06(火) 14:01:33.28 0.net
>>206-207
なんか思いつきで適当なこと書いたんだがレスが新知識で有り難い。
鮮と牟の二ヶ国じゃなくて「鮮牟」という東夷系の小国、
山東省南部にあったらしいってことね。

209: 世界@名無史さん 2014/05/07(水) 21:52:58.57 0.net
鮮卑って最初軽騎兵で弓武器にしてたのに
南北朝末期になると重装騎兵戦術をとるようになるのはなんでだろうな?
やっぱ武器の発展とかなのかな?

210: 世界@名無史さん 2014/05/07(水) 22:02:12.32 0.net
漢土を支配しているうちに、見栄え重視になってしまった

211: 世界@名無史さん 2014/05/07(水) 22:10:20.53 0.net
>>210
歩兵のほうも重装歩兵化してるよw
時代が下ると、
五代十国から北宋にかけて重装歩兵が主力になる。

でもこれだと軽騎兵の弓武器にした騎兵の動きについていけないから
女真やモンゴルが幅を利かすようになる。

222: 世界@名無史さん 2014/05/18(日) 22:08:50.95 0.net
连环马
http://baike.baidu.com/subview/1160031/10577691.htm

慕容恪の戦術で
「乃择鲜卑善射者五千人,以铁锁连其马」
鉄鎖で繋がれた馬に騎乗して、矢を射るという戦術みたいだな。

223: 世界@名無史さん 2014/05/18(日) 22:37:19.86 0.net
いまいち分からん、鉄騎兵のランスチャージなら鉄鎖も意味がでてくるが、
弓騎兵だと自分たちの動きが制約うけるだけじゃぁないのか?
アウトレンジで戦うことの利点を減衰させているだけのようにしか見えない

224: 世界@名無史さん 2014/05/19(月) 01:31:34.28 0.net
>>222のケースは必死で抵抗してくる歩兵を馬で押しつぶす戦術だから騎兵をつなげた方が効果が高い
それに連還馬は最初に突撃する前軍だけで左翼右翼及び奇兵は鎖でつながずに軽騎兵的な使い方をしてるし

231: 世界@名無史さん 2014/05/20(火) 22:24:21.39 0.net
軽騎兵のほうがモンゴル族系統らしくていい。
中国の南北朝時代の騎兵は重くて動けないだろレベルだし。

235: 世界@名無史さん 2014/05/22(木) 02:47:36.30 0.net
世界中の鎧の歴史が知りたい その一
http://narcissu.doorblog.jp/archives/17757828.html
魏晋南北朝の騎兵
no title

261: 世界@名無史さん 2014/09/04(木) 21:15:42.84 0.net
鮮卑でも重要なのは拓跋部だけだと言っていいかな?
隋唐に繋がるから。

あの時代でも日本も朝鮮も国家体制ができるんだから
やっぱ動乱も必要なのかなぁ…

262: 世界@名無史さん 2014/09/04(木) 22:02:55.19 0.net
宇文部は契丹と繋がりがありそうだし、慕容部はチベット系の歴史に影響を与えてるしで、
とりあえず拓跋・宇文・慕容の三つは重要ということでいいんじゃねーの

264: 世界@名無史さん 2014/09/07(日) 23:01:44.32 0.net
>>262
拓跋は北魏で有名だし慕容は韓国ドラマ「広開土大王」の宿敵としてでてきたからよく知っている
宇文だけはイマイチ馴染みにないなあ

268: 世界@名無史さん 2014/09/23(火) 22:15:10.86 0.net
>>262,>>264
宇文は南北朝に主役級に出てくるだろw
もともと匈奴系なのが鮮卑に帰順した子孫でプライド高そうだぬ

269: 369 2014/09/23(火) 23:38:10.60 0.net
>>268
>もともと匈奴系なのが鮮卑に帰順した子孫でプライド高そうだぬ

しかも子孫の宇文虚中も
敗戦国・宋から金に降って礼部尚書にまでしてもらったのに
女真を野蛮視して儀式にかこつけて皇帝を謀殺しようとしたしな
アンタの先祖だってもとは女真とたいしてかわらんだろ

263: 世界@名無史さん 2014/09/06(土) 08:58:22.23 0.net
魏書103
http://zh.wikisource.org/wiki/%E9%AD%8F%E6%9B%B8/%E5%8D%B7103
匈奴宇文莫槐,出於遼東塞外,其先南單于遠屬也,世為東部大人。其語與鮮卑頗異。

宇文氏は匈奴の出で、匈奴と鮮卑ではかなり言葉が異なっていたみたいなので
本来は別系統の民族が融合したみたいだね

278: 世界@名無史さん 2015/07/19(日) 18:46:30.74 0.net
匈奴と比べて小物感が強すぎ!

279: 世界@名無史さん 2015/07/19(日) 20:05:39.16 0.net
なにをいう、匈奴が漠北・西域の世界でしか覇権とれなかったのに、
鮮卑は漠北・西域・華北・江南の全てを手中に収めたのだ

312: 世界@名無史さん 2015/08/18(火) 22:04:08.14 0.net
檀石木鬼が長生きするか、その息子らが統一をたもっていればな
鮮卑族による征服王朝が実現していたはず
後漢の自壊、中華の分裂はもう目前だったのに


引用元: ・鮮卑族について語るスレ