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1: 日経新聞愛読者
織田信長の比叡山焼き討ちは「空前絶後の暴挙」と言われて
チョー有名なのに、それより数百年前、平清盛が行った
興福寺焼き討ちや東大寺焼き討ちは知ってるヒトがほとんど
いないのはナゼ?
平安時代の貴族政治を終わらせ、日宋貿易を始めるなど、
平清盛こそは織田信長・坂本竜馬をしのぐ大改革者と思うが。








5: 日本@名無史さん
平家は負け組みだから・・・・
でも、厳島神社はよく出来てるね。

7: 日本@名無史さん
蝶の家紋も無骨な武士っぽくなく・・・・

9: 日本@名無史さん
清盛って天皇の子孫なんだよ。おまいら知ってた?

10: 日本@名無史さん
しかも太政大臣になったんだって。えらかったんだよ。

12: 日本@名無史さん
その話は藤原不比等のまねっこさ。

16: 日本@名無史さん
>藤原不比等のまねっこさ

藤原不比等って、よくわかんないな。教えて

19: 日本@名無史さん
>>16
不比等って転地天皇かなんかの誤烙印の噂があったような。
それのことじゃない?

13: 日本@名無史さん
天皇の子であることより、天皇のじさまになることの方が価値あり。

14: 日本@名無史さん
2百数十年つづいた江戸幕府を終わらせた維新の志士たちも
スゴいと思うが、5百数十年つづいた藤原摂関政治を
ほとんど独力で終わらせた平清盛がさらにスゴいのは確かだ。

18: 日本@名無史さん
>>14
摂関家へのロイヤル・クーデターとしての院政を無視したのでは
話が片手落ちだよ。

23: 日本@名無史さん
>>18
平清盛と後白河法皇はワンセットで語られるべきだな。

17: 日本@名無史さん
終わらせたと言うよりも中断させたと言うほうが近いような。

25: 日本@名無史さん
清盛よりもその親父や爺さんの方が偉いんじゃないの?

26: マジレスきぼーん
爺さんの代からだな、平家が成り上がってきたのは。
でも、清盛の前はたいしたことなかったんじゃないの?

29: 日本@名無史さん
>>26
やはり清盛の代、保元の乱以降の躍進が輝いてると思うが。
まあ、上陸地点なくては戦いはできないので、都に居場所をつくるまでも
重要だという観点なら、上の2代は重要だろうが、清盛ほどの輝きはないと思うぞ。

祖父 正盛  中央ではほとんど知られない存在
父  忠盛  やっと都で昇殿を許されるようになる

以上が2人の活躍の概略だろ。>>25はどんなことが言いたいのか
説明してほしい。ご先祖様は大切にってことか?(w

32: 日本@名無史さん
>>29
何にも知らないんだね。
正盛や忠盛が国司の爪牙だったことや
御願寺への成功を繰り返したことなんか。
せめて『清盛以前』くらい読んだら。

37: 日本@名無史さん
忠盛が後白河からお下がりもらえるほどになってたから
清盛は平清盛として生を受けたわけだろ。
でなかったら、他の氏族だったかもしれない。
てことは、やっぱり正盛・忠盛の努力も大きいな。

30: 日本@名無史さん
清盛が兵庫に埋立地を造って海外貿易をしたのは現代のウォーターフロントの先駆け。

39: 日本@名無史さん
>>30
清盛は神戸の埋め立てまでやってたのか!さすがだな!
さすがに、埋め立ててから千年もたってれば、液状化も
しない。ついでに関西新空港の地盤もつくっといてくれ
ていればなあ。

42: 山野野衾 ◆NDQJtGoM
>>39
しかも人柱を使わず経文を刻んだ石柱を使用した新工法。同じく厳島大明神を崇拝
していた毛利元就の「百万一心」の石柱はパクリか?

経が島

経が島(きょうがしま)は、日宋貿易の拠点である大輪田泊(摂津国)に交易の拡大と風雨による波浪を避ける目的で築造された人工島。承安3年(1173年)に竣工する。その広さは『平家物語』に「一里三十六町」とあることから、37ヘクタールと推定されている。

塩槌山を切り崩した土で海を埋め立てた。工事の際、それが難航したために迷信を信じる貴族たちが海神の怒りを鎮めるために人身御供をすることになる。平清盛は何とか人柱を捧げずに埋め立てようと考えて、石の一つ一つに一切経を書いて埋め立てに使う(経石)。その後、事故などもなく無事に工事が終わったためにお経を広げたような扇の形をしたこの島を「経が島」と呼ぶようになった。しかし、一説には、人身御供をする事となり清盛の侍童・松王丸が入水して工事が終わったともいわれる。


33: 日本@名無史さん
清盛と西行は本当に面識あったの?

40: 電波@名無史さん
天皇になれたかもしれない太政大臣、平清盛

41: 日本@名無史さん
天皇になりそうだったヒトといえば、足利義満も
忘れられないね。皇室の陰謀で暗殺されたとか。

43: 世界@名無史さん
東大寺の焼き討ちのときは、大仏殿も焼けて、大仏様が
溶けちゃったんだよな。
「菅原道真の怨霊」とかマジで言ってた迷信深い時代に、
メチャクチャだよ。

46: 日本@名無史さん
>>43
重衡だね。
平家物語とか読んでいると、知盛、重衡、教経などは武将としてのセンスも
あったように見えるが、宗盛が総帥になったのが運の尽きだね。
資盛なんかもけっこう萌えるよな

48: 範頼
>>1
平清盛は、改革者と言えるでしょうか?
確かに武力と財力でのし上り、武家として初めて太政大臣になり、また前代未聞の
ことも数々行いましたが、所詮は公家社会の枠組みの中でのことであり、「改革」
と呼べるようなことはしたでしょうか?
私の考えでは、

 「武士が公家になった。」
 「武家だった奴らが、政権を握った。」

といったところですが。

49: 日本@名無史さん
>>48
そこが源氏政権との違いですね。
頼朝は、朝廷との距離のとり方が絶妙で、後白河の悪魔的策謀にも
タメをはって負けなかったと思います。

平氏政権は、蘇我氏政権・藤原氏政権の方が似てるんでないかな?
ただ、海洋国家政権・貿易立国政権は、大きな可能性を感じさせますが。
源氏は農業政権だったから。
福原遷都は、新タイプ政権の模索か?

50: 範頼
>>49
ナルホド。
しかし結局、官位と閨閥に溺れてしまいましたね。
頼朝はその危険を知っていたのでしょう。
まあ、二十年も流人生活を続けていれば、考えもそこまで及ぶでしょうね。

ところで「海洋国家」については、鎌倉幕府は何故実践しなかったのでしょ
うかね?
いくら農業主体とはいえ、三浦のような「海の豪族」もいたわけですし、源
平合戦で味方についた瀬戸内水軍などもいたのですから、日宋貿易の富をみ
すみす捨てることも無いと思いますが。

52: 日本@名無史さん
改革者としてはやはり頼朝に軍配が上げるでしょうね。
地頭置いたこと一つだけでも歴史上の大転換期。
中央の政権争いでは無く、武家社会を創造したのですから。
本人の人格には判官贔屓も手伝って低い評価を与えられていますが。

55: 日本@名無史さん
信長が秀吉・家康の先がけとなった様に、清盛も頼朝の先がけを成したと捉えればいいんじゃない

57: 日本@名無史さん
閨閥といったら頼朝も大姫を入内させようとしたのでは?

58: 日本@名無史さん
>>57
そうだよ。もっともその前に大姫は亡くなってしまっているけどね。

59: 日本@名無史さん
大姫入内は、東国で独立しながら結局は武士階級を見下し、貴族趣味を
抜け出せなかった頼朝の限界です。
その点、清盛のほうが野心丸見えで人間臭くて好きだね。

62: 日本@名無史さん
鎌倉殿の役目は、東国地方の土地・人民に対する武士の事実上の支配権を、正当な権利者
である国司や荘園領主に認めさせることでした。
頼朝はこの困難な交渉に後半生を捧げており、貿易による利潤獲得なんてことは考える暇も
なかったのです。

三浦氏が「海の豪族」だとしても、せいぜい三浦半島沖で魚を獲り、自分達で消費していた
程度では? 宋という国があること自体、彼らはほとんど知らなかったでしょう。
都で生まれ育った清盛に比べ、情報面での劣位は歴然としています。

63: 日本@名無史さん
清盛が平治の乱の数年後に根拠地を西国(例えば太宰府とか)に移していれば平氏政権は存続したのでは?

64: 日本@名無史さん
畿内は伝統的貴族、西国は平氏、東国は源氏、東北は奥州藤原氏、てな具合にそれぞれ
割拠してたら面白かっただろうなあ。
経済力で優位に立つ平氏政権は長持ちしたかもよ。

65: 日本@名無史さん
そもそも日宗貿易って別に清盛が始めた訳では無いんじゃない。

66: 山野野衾 ◆W7NDQJtGoM
>65
後白河法皇と宋人を会わせたような国際性が良いのでは。わざわざ港を修築
して、経島を造らせたりした。

67: 山野野衾 ◆W7NDQJtGoM
そういえば熊野詣での際に宋出身の宋と会った信西(渡宋希望者で、
宋の言葉を学んでいた)が宋語で会話したという話がありましたね。
親父殿の他に信西の影響があったのかな。

68: 日本@名無史さん
父、忠盛の評価も見直した方が良いだろう。

69: 日本@名無史さん
貴族と奥州藤原氏とは政治的妥協。東国源氏は内部分裂して頼朝は暗殺され、平氏の軍門に下り天下統一。
日本は海運国家に向かう。

70: 日本@名無史さん
家康が死ぬまでにほぼすべての難問を克服したように清盛も対源氏・対寺社・対朝廷対策が出来ていれば宗盛でも十分平氏政権を維持出来ただろう。

73: 日本@名無史さん
>>70
重盛が死ななかったら、どうよ?

75: 日本@名無史さん
重盛は以外とカゲキだから逆に失敗する。重盛派と宗盛派の内部分裂が起こる。

76: 日本@名無史さん
重盛が死ななかったらということは、彼が病弱ではなかったということになり、そうすると彼の性格も変わってきてしまうと思われ予測不可能。

79: 日本@名無史さん
やりすぎ革新勢力の阻止、戦乱終結を望む世論、実力者の不在。
家康の長期政権樹立には時流が味方した。

一方平家にはそれがない。

84: 日本@名無史さん
たしかに時代を代表する人物ではあるが、改革といっても福原遷都・日宋貿易・院政停止(といっても高倉上皇が形式上行なっている)、ぐらいで前例を越えることはしていない。別に嫌いではないけど。

85: 日本@名無史さん
後白河上皇との蜜月時代が終わった途端に凋落の一途をたどる。これってやはり上皇の実力?それとも単純に清盛の判断ミス?


引用元: ・見直そう。大改革者・平清盛






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