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1: 日本@名無史さん 2014/07/06(日) 02:45:53.86 .net
日本、平家、源氏はどうなっていたのでしょう。








2: 日本@名無史さん 2014/07/06(日) 06:17:57.58 .net
頼朝やその兄弟がその時点で殺されても治承の乱は起きる。
ただし他に挙兵した勢力には頼朝のような政治能力を持つものと義経のような軍事的天才能力を持つものがいないので六年で乱を終結させることはできない。
清盛の死去と養和の飢饉でこの国は百年近く混乱したと思う。

3: 日本@名無史さん 2014/07/06(日) 09:53:21.65 .net
残念やけど、平家政権はそれでもダメやったと思う
そもそも平家政権にしても源氏政権にしても、支持された理由は
公家政権に対して不当に差別された武士の利益を代表していたから
であるのに、平家は政権を取ったあとは公家的な方向に進んでいった
よって最終的には支持層である武士は離れて行ったと思う

5: 日本@名無史さん 2014/07/06(日) 17:21:03.05 .net
木曾義仲が都に上るあたりまではあまり変わらないんじゃね。乱暴狼藉でひんしゅくを買う
義仲を誰が追い落とすか。

6: 日本@名無史さん 2014/07/06(日) 17:32:22.83 .net
何せ僅か五年で壊滅した皇畿近州之嬰児だからなあ。
統一政権が確立されないまま第二、第三の木曽丸が現れたとしても畿内は草刈場だろう。
そんな状況で蒙古が襲来してたら日本終了。

7: 日本@名無史さん 2014/07/06(日) 20:38:17.96 .net
平家は一度は木曽に追い出されただろうが、水島以降の木曽の自滅で結局は
京都に戻れたと思う。

あと、平宗盛だが、徳川秀忠に似ていたと思う。戦争は下手だが、内政能力は
そこそこあったと思う。だから、六波羅幕府がしばらく続いたのではないか?

9: 日本@名無史さん 2014/07/07(月) 00:21:27.34 .net
>>7
都に戻れても各地方の反乱は鎮めきれなかったと思う。
良くてせいぜい室町末期の将軍状態になるのがせいぜいだったのでは?

8: 日本@名無史さん 2014/07/06(日) 23:25:11.09 .net
頼朝がいなければ、東国政権はあれほど成長はしなかっただろう。
武田信義・安田義定・志太先生義広などでは難しい。

平家は木曽義仲によって、いったんは都を追われるが、その後、都を奪還、
西国を支配下に置いたまま、東国の独立勢力と拮抗した状態が続くだろう。
平家・東国武士・奥州藤原氏による勢力均衡が続くのではないか。

9: 日本@名無史さん 2014/07/07(月) 00:21:27.34 .net
>>8
たぶんそんなとこだと思う。
ただ、この状態を元寇まで引きずっていたらと思うとぞっとする。
あと意外と力をもっている寺社がどう動くかで意外と展開が変わったりしていたかも。

11: 日本@名無史さん 2014/07/07(月) 00:50:54.13 .net
>>8
その独立状態って東国だけではなくなると思う。
九州の挙兵勢力も独自の政権をつくったかもしれないし
四国も状況によってはどうなったかわからない。
戦国時代に近い状態になってたかも。
信長みたいなのが現れるのは奇跡みたいなもんだから泥沼が続いたんじゃないだろうか?

10: 日本@名無史さん 2014/07/07(月) 00:44:52.43 .net
挙兵したのは源氏だけではないのだから均衡状態なんていずれ崩れただろう
摂関家や朝廷もいつか動く

13: 日本@名無史さん 2014/07/07(月) 15:52:55.97 .net
頼朝がいなかった場合、坂東で一番のカリスマ家ってどこ?

14: 日本@名無史さん 2014/07/07(月) 18:44:40.06 .net
武田とか佐竹とか上総とか千葉とかじゃねぇの

17: 日本@名無史さん 2014/07/07(月) 20:35:55.62 .net
問題は頼朝ではなく後白河にあるからな
あのおじさんが意味不明なことやってるうちは何をやっても駄目

20: 日本@名無史さん 2014/07/07(月) 22:19:31.21 .net
義経を保護するのは変わりないけど、義経が誰の所に参陣するのかが謎。

31: 日本@名無史さん 2014/07/08(火) 23:29:41.87 .net
>>20
義経がどこかに転がり込んだとしても受け入れる方に使い道が無かったと思う。
義経が宇治川、一の谷で活躍できたのも「頼朝の弟」というブランドで頼朝の代官で指揮官になって実力が発揮できたわけで。

頼朝以外のとこへいっても謀叛で死んだ男の息子という価値しかない。
(頼朝の家系が源氏の嫡流というのは後づけの価値観)

32: 日本@名無史さん 2014/07/09(水) 04:48:30.77 .net
>>31
源氏一門は嫡庶の出自に関わらず強い者が嫡流になっていた経緯がある
義経に才能が有れば他の源氏一門のところでも挙兵はできたんじゃないか
父親を殺されている木曽義仲でも挙兵できたくらいだ

34: 日本@名無史さん 2014/07/09(水) 06:13:52.87 .net
>>32
義経が独自に挙兵するとしたらどこだろ?
他の源氏のとこ行くとしても数多くいる源氏の中の一人に過ぎないから頼朝以上に取り立ててくれるとこないだろうしなあ。(戦に出してもらわないと軍才発揮できない)

35: 日本@名無史さん 2014/07/09(水) 07:36:49.81 .net
>>34
木曾義仲が挙兵した時点での軍勢は育ててくれた中原氏が中核。
義経が独自に挙兵するには藤原秀衡の後援が必要だけど秀衡にはその気が無かったので無理。

21: 日本@名無史さん 2014/07/07(月) 23:49:29.10 .net
頼朝が富士川の合戦で官軍を破っていなければ清盛が過労で倒れなかった可能性はある

23: 日本@名無史さん 2014/07/08(火) 00:16:50.39 .net
富士川の合戦はスパイの斎藤実盛の手柄だよな。

24: 日本@名無史さん 2014/07/08(火) 04:22:03.72 .net
>>20>>23
富士川は今は頼朝vs平家ではなく武田vs平家という見方が有力になってきてるぞ。
実盛の逸話は平家物語の創作とも言われてる。

19: 日本@名無史さん 2014/07/07(月) 20:58:28.84 .net
藤原秀衡はどう動くようになるんだろな

26: 日本@名無史さん 2014/07/08(火) 08:30:59.26 .net
奥州藤原氏はもう少し長続きしたと思う。
平家としては、納めるもの納めてしおらしくしてれば
どうこうする気はなかったみたいだし。
奥州が義経を祭りあげて挙兵したかも。

29: 日本@名無史さん 2014/07/08(火) 20:44:46.61 .net
>>26
頼朝挙兵から義経受け入れの間、
奥州藤原はあまり動いていない。
ただし、会津に勢力を保持している城氏(越後)をボコッたり
佐竹(常陸)をこっそり受け入れたり
「毛越寺」は毛の国(=上野下野)と越の国(越後など)への勢力伸長を願って建てた説があるなど
どさくさ紛れに隣接地域に勢力を伸ばす可能性は無かったとは言えない。

27: 日本@名無史さん 2014/07/08(火) 12:03:09.73 .net
長田忠致が源義朝を殺さなければ平家ももう少し早く滅んだだろうな

28: 日本@名無史さん 2014/07/08(火) 13:41:11.11 .net
義朝は逃げ切れないだろ
平家の追討軍に追いつかれて京都で処刑されるのが山

33: 日本@名無史さん 2014/07/09(水) 05:28:56.17 .net
関東は誰も動かなかっただろうね
関東をまとめられる器の持ち主がいないし
多くの豪族をまとめ得る独立勢力というと
やっぱり奥州藤原氏しかいない

34: 日本@名無史さん 2014/07/09(水) 06:13:52.87 .net
>>33
坂東には義仲、武田が乱入。新田中立。源姓足利はどこかに吸収。
常陸は佐竹と志田が対立。
目代を追い出したい&佐竹をぶっ潰したい千葉と上総がどこかに入る。

上野から義仲が入り込むが新田がどう動くだろうか?
伊豆駿河遠江は地理的に武田安田。

周りから色々な勢力がくるが頼朝の基礎地盤となった武蔵相模がどうなるかわからない。

36: 日本@名無史さん 2014/07/09(水) 08:14:08.47 .net
後白河さんが、頼朝がいない状況であればどこの誰を平家および義仲への牽制として
登用していたか、にかかってるよな。

38: 日本@名無史さん 2014/07/09(水) 23:38:24.28 .net
後白河の発想は落とし所をまったく考えてないがゆえに結果が分からない
頼朝がいなかったらその辺の適当なのを捕まえてきた可能性もある
でも清盛さえ生きてれば清盛の対後白河姿勢は一貫してたから、
東国勢力が結集しない限りそのまま押し切ったかも知れない

44: 日本@名無史さん 2014/07/10(木) 13:40:23.09 .net
>>38
後白河はあれでそれなりに天皇家にとっての最善の策を考えてはいる
あと無駄な殺生は嫌いで意外に穏健派
平家に対してだって安徳天皇と三種の神器を返しさえすれば
無駄な追及をするつもりはなかった
平家を滅亡させたのは完全に源氏の都合

45: 日本@名無史さん 2014/07/10(木) 18:05:41.77 .net
>>44
頼朝も今度の朝廷との交渉を考え「神器、安徳天皇、建礼門院、二位殿」の保護を範頼に命じ、長期戦覚悟で平氏包囲網を作ろうとしていた。
しかし短期決戦をとった義経の作戦が平氏を追い詰めた。
二位殿のあの無茶苦茶な行動は義経に非があるのか二位殿に非があるのかはわからない。

壇ノ浦以前に平氏が降伏してたら、平氏の男子も助かったかも知れないね。(清盛直系は厳しいけど)
頑なだった平氏にも滅亡の原因があったと思う。

48: 日本@名無史さん 2014/07/10(木) 21:28:07.04 .net
>>45
いやそれはどう考えても一の谷で和睦姿勢を見せつつ急襲した後白河が悪い

後白河は神器と安徳の返還を望んでたとは思うんだけど、
同時に平家の都帰りによる報復を恐れてたから結局相手の不信を買うような行動を取ってしまう
頼朝はわりときっちり和議に持ち込む筋道を描いてたが

49: 日本@名無史さん 2014/07/11(金) 05:20:19.16 .net
>>48
あの時点では平氏はほとんど兵力を失っておらず
都へ帰還して復権し後白河に再び幽閉の恐怖があったためだろう

一の谷で頼朝が和睦をする気でいたという証拠は?
一の谷合戦では義経だけでなく範頼もこの奇襲に加わっており
けして義経一人の暴走ではなく後白河と頼朝も了承していたと思うんだが

53: 日本@名無史さん 2014/07/11(金) 19:55:23.51 .net
>>49
横レスすまん。
頼朝が和睦も視野に入れてたのは一の谷以降の話だろう。(包囲網云々とかも)
まず、頼朝が出陣させた当初の敵は義仲。
義仲を倒してから一の谷への出陣は10日位しかたってない。
戦力的には平家の圧倒的優勢が伝えられ
公卿の中には和戦双方の意見があった。
あくまでも官軍でいたい頼朝(畿内の武士も味方につけたい)は
朝廷の決定を無視してまで戦争ふっかける気は無かったと思うが
戦う支度は十分調えていたと思う。

50: 日本@名無史さん 2014/07/11(金) 05:33:35.41 .net
しかし都に帰還されたら報復されるというのは後白河個人の問題であって、
和議を方便と思っていなかった平家方にとっては以後の和平交渉が極度に困難になる
屋島に引いた段階で平家が後白河提案を蹴ったのは当たり前

頼朝が一の谷の段階で騙し討ちに賛同していたという証拠もないし、
義経・範頼が後白河の意図の全貌を把握できず督戦されて行動していたという可能性もあるからな

52: 日本@名無史さん 2014/07/11(金) 05:43:44.82 .net
>>50
頼朝だってせっかく後白河から平家追討令を出してもらったのに
平氏に兵力そのままで都に帰還されたら今までの苦労も水の泡
「頼朝はわりときっちり和議に持ち込む筋道を描いてた」 証拠のほうがない

頼朝は平家の末裔六代を斬ったり
都に帰還した建礼門院を洛外追放するよう後白河に求めたり平家に対してかなりの強硬派
頼朝が騙し討ちに賛同していなかったいうのならば
後白河の和議交渉そのものを知らなかっただけだろう

55: 日本@名無史さん 2014/07/11(金) 20:42:43.99 .net
>>52
六代が死んだのは頼朝の死後で「三左衛門事件」ので庇護者の文覚の失脚のどさくさ紛れで殺されたんだが。(「平家物語」の逸話はフィクションらしい)
頼朝の建礼門院の洛外追放要請て初耳なんだが、その記事の乗ってる文献教えてくれない?興味がある。
『吾妻鏡』記載の記事、荘園を建礼門院に寄進したりして一応援助(もしくは罪滅ぼし)しているイメージが濃いもんで。

58: 日本@名無史さん 2014/07/12(土) 04:34:56.50 .net
>>55
>頼朝の建礼門院の洛外追放要請

九条兼実の「玉葉」にある

>荘園を建礼門院に寄進

平家が所有していた荘園は平家没官領として平家滅亡後源頼朝の所有になった
その中から2つ程度を平家出身の建礼門院領としただけ
残りは大部分が頼朝で、頼朝は平頼盛・坊門姫・義経らにも分け与えている

59: 日本@名無史さん 2014/07/12(土) 06:17:11.90 .net
>>58
立場がなくなった建礼門院に、二つだけ返しただけでも優しい気がするぞ。
(下手に経済力持たすとミニ八条院になるから大量には返せないだろう)
義経なんぞ全没収されてるw
頼盛の領地は後白河法皇との政治折衝の仲介役への慰労の面もあるだろう。
頼盛の荘園は本所が八条院のものが多いから八条院に対する配慮も大きいだろう。

ところで、頼朝が建礼門院に寄進した荘園って
建礼門院が本所になるのか、本所が誰か他にいるのかわかる人いる?
平家の荘園って平家が本所じゃなくて平家が領家のものばかりで頼朝もその立場を継承したはずだけど
建礼門院は女院だから本所になれる立場。
だから建礼門院本所、頼朝領家というのもありかも知れないと思って。

60: 日本@名無史さん 2014/07/12(土) 08:03:24.78 .net
>>59
>立場がなくなった建礼門院

女院号を剥奪されたわけでなく建礼門院は立場がなくなったわけではない
後白河と建礼門院の仲も良好であったとみられ
頼朝が荘園2つ建礼門院に返したのは後白河に対するアピールもあったと思う

>義経なんぞ全没収されてる

そら義経は朝敵になったからw

>頼盛の領地は後白河法皇との政治折衝の仲介役への慰労の面もあるだろう

もともと平家の土地だからな

61: 日本@名無史さん 2014/07/12(土) 09:09:45.47 .net
>>60
レスありがとう。
立場がなくなったというのは平家という後ろ楯を無くしたという意味で書いたんだ。
後白河法皇との仲が良好というのは少しだけ救われた気がする。
ところで女院号って剥奪可能なものなのか?

56: 日本@名無史さん 2014/07/12(土) 01:37:22.94 .net
>>52
頼朝は早く反乱軍と言う立場から抜け出すことに気を砕いてたよ
だから初期には宗盛に対して和議の斡旋を働きかけている
一の谷時点でどの程度作戦に関与していたかは分明じゃないが
少なくとも後白河のように都落ち直前に平氏を裏切ったために
和睦による帰還によって直接的な報復を恐れなくてはならない立場ではないよ
後白河の意思には忠実だっただろうけどさ

57: 日本@名無史さん 2014/07/12(土) 01:55:54.78 .net
後白河が悪意を持って、報復を恐れて騙したというより、和睦と追討を適当に両方とも進めてしまい、
結果的に騙し討ちになってしまった可能性はあるな。

68: 日本@名無史さん 2015/04/03(金) 20:53:23.87 .net
鎌倉幕府はないな。
武士の世には、なっていくが。

70: 日本@名無史さん 2015/04/06(月) 16:07:41.57 .net
>>68
いや、寺社勢力が拡大してやりたい放題やってたかも。
武士軍団の親玉不在の場合寺社の抑え手なくなって。
清盛頼朝並に武士まとめられるのこの時代他にいないでしょ。
北条も頼朝政子抜きじゃ伊豆の豪族止まりだし。

71: 日本@名無史さん 2015/04/06(月) 18:14:29.13 .net
それか、貨幣経済発展の波に乗って元寇以前に中華経済圏に飲み込まれてたかも。
博多にかなり宋商人が住み着いてたし。

武士の中には交通の要衝を押さえて、経済と流通を押さえてた連中がいた。
彼らがいたから日本独自の流通経済を持つ一面があったと思う。
鎌倉幕府は東国東北武士の元締め。

72: 日本@名無史さん 2015/06/06(土) 20:49:43.78 .net
源平合戦で平氏が勝っていたとしても、いずれ幕府は出来たような気がする。
いずれ伊勢平氏に対する反感が募っていって、下克上という形になって・・・
武家政権は出来たのではないかな。
しかし、幕府の中心は西国という事になるし、何処が将軍家になったのかは分からないが。

73: 日本@名無史さん 2015/07/02(木) 18:36:49.03 .net
頼朝がいなければ、甲斐源氏も木曽義仲につき、源義広も義仲に
ついて、平家を破れば、源義仲が長野辺りにに幕府を開くんじゃね。

74: 日本@名無史さん 2015/07/02(木) 21:06:40.46 .net
木曽義仲に朝廷と別の国家を築く発想は無いのでは無いかな。
多分平家の延長線上だろう。
斜め上で禅譲させて新王朝とか言い出すかもしれないが。

75: 日本@名無史さん 2015/07/02(木) 21:53:54.96 .net
幕府を開く、というのも歴史をあとから見た人間だから語れることで、
頼朝が鎌倉に独立政権を樹立するまではそういう発想って出てないんじゃない?
平将門や奥州藤原氏の地方政権が広い意味では幕府みたいなものかもしれないけど。

78: 日本@名無史さん 2015/07/05(日) 21:31:44.68 .net
義仲が上洛時に要求したこと
1.北陸宮の即位要求
2.伊予守任官要求

頼朝が上洛要請に対して要求したこと
1.東海、東山、北陸の支配権を要求

義仲と頼朝の要求のベクトルは違う。
東国に独自の権力基盤を作り上げようとする方向性を当時もっていたのは
奥州藤原氏と頼朝だけだろう。

79: 日本@名無史さん 2015/07/07(火) 21:07:40.28 .net
単なる平家化か。
武士の権利を保証する方向に向かってれば、分からなかったのにな。

80: 日本@名無史さん 2015/08/28(金) 23:41:09.16 .net
関東には、平将門→源義家→源義朝の流れがあって、
武士の独立心は、ある程度確立していたと思う。
あとは、武士の権利を保証し、束ねる能力のある人物
さえ、いればという状態で、頼朝はうってつけだったな。

84: 日本@名無史さん 2015/09/01(火) 20:43:58.64 .net
高倉上皇さえ生きていたら平家は滅びなかっただろう

85: 日本@名無史さん 2015/09/02(水) 16:09:32.78 .net
>>84
同意。
でも泥沼の内乱が長期化してたかも。


引用元: ・もし清盛が、平治の乱後、頼朝の首を切っていたら?





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