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1: 水戸 *
直轄地 好きなだけ 問わず語り。








6: 日本@名無史さん
俺の住んでるところ周辺は字ごとに天領、旗本領、大名領の飛び地が混在してて
しかも時期ごとに領有者が異なる。

8: 日本@名無史さん
>>6
うちもだ。(静岡県中遠《遠江中部》)
中泉代官所の管轄になったり
譜代がころころ入れ替わる浜松藩・掛川藩の所領になったり
はたまた旗本の飛び地だったりで 全然領主が安定しない。

従って現代に至るまで「国」「地域」のまとまりが実に狭い。
国持大名家の支配地に比べて 広域的なまとまりがない。

11: 日本@名無史さん
>>8
ウチは中河内地方。同一小学校区内でも
A町は天領、B町は狭山北条家の飛び地領、C町は旗本領、てな感じ。

7: 日本@名無史さん
飛騨高山はなんで直轄領にされたの?

9: 日本@名無史さん
>>7
木材が摂れるからではないか。

10: 日本@名無史さん
奈良県南部十津川地方は生産性が極端に低く、年貢が取れないため
誰も領有しなかったので形式的に天領扱い。

住人は免税だった(御赦免所)が、そのため灌漑・治安維持などの公共サービスも
無かった。

それらを住人自らでなんとかしなくてはならなかったため
「広範な自治権を持つ『十津川共和国』が存在した」なんて後年言われたこともあるが、
実態は貧しすぎて税をとれないから為政者がほったらかしにしてただけ。

20: 日本@名無史さん
>>10
十津川は、太閤検地で年貢無し決定。でも、それ以前から、政権が変わるたびに、
味方につく動きを見せ、無税が多かったらしい。
江戸開始期には、幕府につく姿勢を見せ、また無税。その変わり、
材木を運上している。全郷、郷士に任じられ、明治には士族になった。
幕末には、朝廷側につき、南朝のからみもあるが、また勝ち馬についてる。
ようするに、勝ち馬に乗り、いつも無税を手にしてきたのを慣例として、
代々の支配者の認めさせてきた。
やせた土地だった分、頭を使ってたんだね。

12: >8
俺も天領育ちだけれど、同感。

>従って現代に至るまで「国」「地域」のまとまりが実に狭い。
>国持大名家の支配地に比べて 広域的なまとまりがない。

仙台や岡山で暮らしたことがあるけれど、雄藩に連綿と続く文化というものが無いし
地域の歴史的深みに欠けるのが天領だった地域なのだと知りました。

13: 日本@名無史さん
私も天領出身ですが、同感。
県(県庁所在地)との対立が版権分離の影響も手伝って著しくあります。
藩屏が建ったり潰れたり再建されたり、
しかも代官がころころ変わり年表がややこしくなっています。

15: 日本@名無史さん
俺の村は天領になったり藩領になったり旗本数人の相給になったり。

16: 日本@名無史さん
だいたい天領と藩領と仲悪いところが多いな。
天領の権威を傘に来て、水争いで好き放題にやったとか。

17: 日本@名無史さん
>>16
川挟んで天領と藩領、なんて所では藩領側の堤防が低く、
しかも「いざ決壊か!」てなときは藩領側の堤防が破壊されたりした。

19: 日本@名無史さん
天領の名主だった家系ですが・・・・。結構な地主だったらしいが天領だった
ので、泊まるのは高僧ばかりだったそうな!!これが藩領なら殿様とかが泊まって
金をせびりつつ何かおいっていっただろうに。郷士ぐらいにはなれてたかも!

21: 日本@名無史さん
十津川郷士は自称という話も!維新での功績により士族の班に列したと司馬遼太郎
の十津川街道だっけ?そんなような本に書いてあったような気がする。

23: 日本@名無史さん
幕末の十津川郷士は天誅組の乱に巻き込まれたり戊辰戦争で大損害を出したり大変だったんだよ。

22: 日本@名無史さん
俺は石見の旧天領出身だ。
1685年それまでの浜田藩領から大森銀山への
ルート(江の川)確保として所属換えになった。
税負担が比較的安かった上に大概の農民は
公式に苗字を名乗ることができたので、
領民の評判はよく、穏やかでのんびりした
性格が生まれた。

24: 日本@名無史さん
石川県の白峰村も天領だが、住民は誇り高いとか良い評判が多いけどね。
また、加賀藩よりも越前の天領との交流が深かったため、方言に越前の言葉が入ってたり、
越前までの長距離輸送が発達してたりした。

25: 日本@名無史さん
神奈川県の横須賀は幕府直轄地ですか?少し住んだけど城下町という感じ
ではなかったので。歴史、素人なのでお願げーしますだ。

26: 日本@名無史さん
>>25
関東あたりは天領というより、徳川宗家領とも言えるから除外した方が良いと思う。

31: 日本@名無史さん
関八州は徳川の天領で、現在の東京周辺県が該当するね。徳川幕府の
収奪に晒された地で、現在も続く東京周辺県の東京依存と、それによ
る地場産業育成の遅れが決定づけられたのも、ここが天領だったとい
う状況によるものだろう。

36: 日本@名無史さん
しかし歴史地図みると、江戸周辺を含む関東地方は「諸小領混在地」となってるな。

37: 日本@名無史さん
>>36
江戸、京都周辺は諸大名の在府料や在京料の飛び地が多いからでは

38: 日本@名無史さん
旧高旧領によると関八州内の旗本領は石高ベースで全体の4割。

40: 日本@名無史さん
たしか勝海舟が、
「家康は幕府が潰れるときに一気に潰れるように、
わざと天領を小分割しておいたのだ」とか言ってたな。
本当か知らん。

49: 日本@名無史さん
>>40
本当だったらうますぎ(w

41: 日本@名無史さん
御三家の連中は天領の役人に対して高飛車な態度を取ったらしい。
特に幕末なんか関東では水戸藩の連中が跋扈しても役人は怖がって逃げまくってたそうな。

46: 日本@名無史さん
四国って天領ないの?

47: 日本@名無史さん
自分がおぼえている限りでは塩飽諸島とか小豆島が天領だったと
思うが。

48: 日本@名無史さん
愛媛県川之江市が天領だよ。
江戸期に人口5千人いて当時は伊予国川之江村。

50: 日本@名無史さん
漏れの出身も信州の天領だが、付近の大名領に比べてのんびりしているよ。
税が安く、勤労動員もなかったから、豪商が多い。
でも明治維新後は産業革命に乗遅れた。大学や高専もない。
のんびりしているからなー、仕方ないけど。

65: 日本@名無史さん
天領って税金が高かったんだろ

66: 日本@名無史さん
>65
吉宗が将軍になるまでは安くて、年貢の高い土地では領主が取り潰され、
天領になることを目的の一揆が多発した。

68: 日本@名無史さん
じゃあ吉宗以降は重税で苦しんだのか

72: 日本@名無史さん
>68
年貢を上げたら天領で一揆が多発したので、その調整に苦労した。
吉宗が米将軍と呼ばれた所以。

99: 日本@名無史さん
大坂周辺の村だと
私領だったり、幕領だったり、役知だったり、預所だったりと
コロコロと変わる村があるので
「ここは天領だからどうのこうの」という議論は馬鹿らしく思えるが。

123: 日本@名無史さん
四日市は家康の脱出に一役買ったから天領なの?

125: 日本@名無史さん
>>123
四日市は享保9年から享和元年まで大和郡山藩領となっている。
家康との関係で幕領となったのなら
私領になることはないと思うのだが。

126: 日本@名無史さん
江戸っ子なんですが、天領に住んでるって言っていいですか?

127: 日本@名無史さん
江戸は天領とはいいません。

130: 日本@名無史さん
>>128
江戸時代に天領なんていいません。

131: 日本@名無史さん
>>130
史料には「御料」あるいは「御蔵入」と出てくるただ>>126は現在東京に住んでいて
倉敷とかに住んでいる人が天領に住んでいると言っているのと同じように
天領に住んでいると言っていいのかという質問だと思う。
近世にどう呼ばれていたかという問題ではないと思うが。

133: 質問
すいません 質問させてください。
天領(約400万石)=直轄地ですか? 
旗本の知行地(約300万石)これは、天領といいますか?
全国の4分の1。47カ国に天領をつくる。これはあっていますか?

134: 日本@名無史さん
天領(400万石)=公領(御料)
旗本領(300万石)=私領(知行所)

天領、旗本領を合わせて全国の総石高の4分の1

135: 日本@名無史さん
「御料」は天皇御料地じゃないの?

136: 日本@名無史さん
>>135
皇室領は禁裏御料あるいは禁裏領と言う。
単なる御料は幕府領。

137: 日本@名無史さん
禁裏御料 約3万石
院御料  約1万石

きびしー

138: 日本@名無史さん
旗本領の行政は最寄の幕府代官所管轄ですか?
預かりというのは、行政責任だけ諸藩で、年貢は幕府に上納ですか?

139: 日本@名無史さん
>138
旗本領は幕府領ではないので、代官所は無関係。
基本的には旗本が統治する。

140: 日本@名無史さん
>>139
基本的にはご指摘の通りですが
火急の際は幕府機関の指示を受けることもあったようです。
摂津国嶋上郡高浜村の史料に

御地頭様遠路之御事故、無據臨時急変等出来候節ハ、
兼而御頼有之候ニ付、大坂御奉行様江御断申上、
御下知次第取斗申候

このようにあります。

141: 日本@名無史さん
大雑把な話ですが・・・

標準的な幕府代官所の管轄は五万石とされています。
所属する吏員は下っ端の中間までいれて約30名です。

そして30人全員が現地につめるわけではなくて
約半数近くが江戸詰めですので実質十数人~二十人程度が現地支配に当っていたそうです。
このような小人数のために既存の村の自治機構などを通じた間接統治とするしかなかったようです。
実質的には徴税機関的な役割が主でした。
また一揆などが発生してもこのような小人数では鎮圧などは不可能なために
なるべく一揆が発生しないように配慮して税率を低めにする傾向があったそうです。

また現地の代官所も管轄する地域に直接設置されるわけではなく
甲府や駿府などの要地に周辺の代官所を集約配置するようなケースもあったそうです。

178: 日本@名無史さん
参考文献は江戸幕府役職集成ですが・・・

江戸幕府天領の農村部担当の地方官としては郡代/代官があります。
これらの役職は職制上は勘定奉行に属します。
ちなみに勘定奉行は老中に属します。

都市や要地を担当する地方官には所司代や城代、奉行などがいます。
京都、大坂などの最重要地を統括する所司代や城代は将軍に直属します。
それ以外の長崎、日光などの要地は各奉行が担当し、奉行は老中に属します。

奉行や郡代、代官の部下には基本的に文官しかいませんが
城代、所司代については現地に派遣されている幕府正規軍の番組をも配下としており
軍権を持っている点が他の役職と異なる点です。

181: 日本@名無史さん
上杉家が本間氏から奪った佐渡の支配はいかなる経緯で徳川に移ったのですか?

182: 日本@名無史さん
>181
関ヶ原

184: 日本@名無史さん
>>182
佐渡は誰から奪い取って天領にしたのですか?

186: 日本@名無史さん
>>184
上杉

187: 日本@名無史さん
佐渡を上杉景勝から奪い取ったのは秀吉では?

188: 日本@名無史さん
秀吉は景勝を越後から会津に移したけど
佐渡はそのまま上杉領。

192: 日本@名無史さん
天領って結構あったように思うがどうよ?
ウチの近くの地域は、当初地元の殿様の領地だったが
後天領になってるし。

195: 日本@名無史さん
>>192
幕末だと、逆に天領の石見銀山なんかが長州藩に占領されてるな。

196: 日本@名無史さん
>>195
領地替えと軍事的な占領は意味合いが違うよ。

197: 日本@名無史さん
埼玉の三芳町上富と所沢市中富下富は川越藩によって 一緒に開かれた土地だったけれど上富だけが天領に なったのが現在も別の自治体である原因になっている

204: 日本@名無史さん
徳川幕府の直轄地をなぜ天領と言うか知ってる?
江戸時代には天領という言葉は存在せず、御料・御料所などと言った。
天領というのは読んで字の如く天子領、つまり天皇の領地のことで、
明治時代になって幕府直轄地が没収されたことによって、旧徳川直轄
領を天領と呼ぶようになった。将軍のことを「天」と呼ぶことはあり得
ない。

205: 日本@名無史さん
天朝御領の略と聞いたことがある。

206: 日本@名無史さん
京は幕府直轄地ではなかったな。

207: 日本@名無史さん
>>206
代表的な高校日本史教科書である山川出版社『詳説日本史』には次のようにある。
幕府の財政は, 400万石(17世紀末)にもおよんだ直轄領(幕領,俗に天領という)からあがる年貢のほか,
佐渡相川・伊豆・但馬生野・石見大森など主要鉱山からの収入があった。また,江戸・京都・大坂・長崎・堺
などの重要都市を直轄にして,商工業や貿易を統制し,貨幣の鋳造権もにぎった。


引用元: ・天領(徳川直轄地)





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