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1: 日本@名無史さん
おい三条逃げてんじゃねーよ!!







明治六年政変

明治六年政変(めいじろくねんせいへん)は、征韓論に端を発した明治初期(1873年)の一大政変。当時の政府首脳である参議の半数と軍人、官僚約600人が職を辞した。征韓論政変(せいかんろんせいへん)とも。




3: 日本@名無史さん
三条が倒れなければ、日本の歴史は変わっていたんだろうな…。
明治六年政変

10月14日 - 15日に開かれた閣議には、太政大臣・三条実美、右大臣・岩倉具視、以下参議の西郷隆盛、板垣退助、江藤新平、後藤象二郎、副島種臣、大久保利通、大隈重信、大木喬任が出席。この際、大隈・大木が反対派に回り、採決は同数になる。しかし、この意見が通らないなら辞任するとした西郷の言に恐怖した議長の三条が即時派遣を決定。これに対し大久保、木戸、大隈、大木は辞表を提出、岩倉も辞意を伝える。

後は明治天皇に上奏し勅裁を仰ぐのみであったが、この事態にどちらかと言えば反対派であった三条が17日に過度のストレスから倒れ、意識不明に陥る。20日には岩倉が太政官職制に基づき太政大臣代理に就任した。



4: 日本@名無史さん
板垣はむしろこれによる下野によって得をしたというべきだろう。
副島・後藤もその後政界に復帰してるからまあよし。
西郷は正直言って明治以後に必要な人物だったとは思えない。
本人もあそこで死んで本望だったろう。

ああつくづく江藤が惜しい・・・。

5: 日本@名無史さん
結局これって征韓論うんぬんより
使節団組と留守組の主導権争いだろ?
ただ西郷の意図がいまいち分からんが。

明治六年政変

岩倉使節団派遣中に留守政府は重大な改革を行わないという盟約に反し、国内が急激な改革で混乱していたことは大久保らの態度を硬化させた。

大久保ら岩倉使節団の外遊組帰国以前の8月17日、一度は閣議で西郷を朝鮮へ全権大使として派遣することが決まったが、翌日この案を上奏された明治天皇は「外遊組帰国まで国家に関わる重要案件は決定しない」という取り決めを基に岩倉具視が帰国するまで待ち、岩倉と熟議した上で再度上奏するようにと、西郷派遣案を却下している(岩倉の帰国は9月13日)。


6: 日本@名無史さん
俺は征韓論争自体は結構純粋な論争だったと思うよ。
ただそこに長州閥が乗っかってドロ沼説。

明治六年政変は長州汚職連合による江藤追い落としの謀略だった!

とか言ってみる。

8: 日本@名無史さん
>>6
動いたのは木戸じゃなくて、大久保なんで肥前閥の放逐を狙っただけでしょ。

9: 日本@名無史さん
>>8
でも木戸は元々征韓論者なのにこの問題じゃどっちかと言えば内治派だろ?
それに大久保の手足として一番動いたのは伊藤だよ。
木戸と伊藤は山縣と井上が江藤(司法省)によって干されかけた時救い上げてるし、
実際この政変の後山縣と井上は政界に戻ってきてる。

更に肥前閥の放逐を狙ったというなら、
大久保自身がその重要性を一番認識してた西郷まで巻き込む必要があったのか。
大久保が政治の主導権争いをこの論争において一番重く見ていたのなら
んなこたしないと思うんだけどね。
「内治!」と一番言い張ってたのは大久保だし、
やはり大久保は自らの政治的信念のために征韓派と争ったんじゃ。

10: 日本@名無史さん
>>9
まあ同意。単純に「薩長による土肥の排除」というのはどうも腑に落ちない。
大久保の色んな思惑の中にそういうのもあったとは思うが、
利権のみ目的だった黒幕は長州だろ。

11: 日本@名無史さん
正直、留守政府がそのまんま政治やってた方が日本はよくなってた気がする。

12: 日本@名無史さん
岩倉が西郷等の脅しに屈せず頑張ってくれたおかげで今の日本があるような気がする。
あのまま留守政府が幅を利かせていたら、鹿児島県のような西郷独裁の超軍事大国ができてただろうね。


明治六年政変

明治天皇に上奏し勅裁を仰ぐのみであったが、この事態にどちらかと言えば反対派であった三条が17日に過度のストレスから倒れ、意識不明に陥る。20日には岩倉が太政官職制に基づき太政大臣代理に就任した。

22日、西郷・板垣・副島・江藤が岩倉私邸を訪れ派遣決定の上奏を要求するが、岩倉は「三条太政大臣による派遣決定は上奏するが、太政大臣代理である私の意見も上奏する」と主張した。そして23日、岩倉は派遣決定と派遣延期の両論を上奏。明治天皇は岩倉の意見を採用し、西郷派遣は無期延期の幻となった。


17: 日本@名無史さん
>>12
西郷と桐野一派が去った結果
長州が幅をきかせて山県が復活し
その後の軍部暴走を招いたんじゃねぇか。

18: 日本@名無史さん
>>17
山県が氏んで軍部が独走した、が正しい。
徴兵制・鎮台制の実施は山県がいなければ不可能だった。
権力欲の権化のような男だが、やはり明治国家成立における山県の貢献は大きい。
軍部の独走に関しては、寺内正毅の責任は重大だと思う。

37: 日本@名無史さん
>>18
徴兵制も鎮台制も、大村益次郎が全部やったんじゃないの?
取りかかり早々に殺されたけど。

53: 考える名無しさん
>>18
>山県が氏んで軍部が独走した、が正しい。
>軍部の独走に関しては、寺内正毅の責任は重大だと思う。

軍部の独走についての第一責任は伊藤博文だろう。
統帥権の独立を憲法で定めてしまった為に起こった事だから。
軍を内閣に(もしくは元老でも枢密院でも議会でもいいが)に服属するシステムに
してあったら、独走しようがなかったんだから。

56: 日本@名無史さん
>>53
統帥権の独立はその当時の西洋でも同じ。
それをもって、伊藤を責めるのは間違いだろ。

58: 日本@名無史さん
そもそも憲法を「不磨の大典」と勘違いして修正することを
考えていないだろ。伊藤より後の奴等の責任が重いと思う。

憲法を絶対視したり、上辺の解釈をしている点は、今も同じだが。

13: 日本@名無史さん 
明治六年政変=江藤追い落としの長州組の謀略って、毛利敏彦さん以外に誰か主張してる研究者いる?
個人的にこの説が一番腑に落ちるんだけど、あんまり広まってなさそうで。ここできけてうれしいけど。
ただ、政変後、江藤をものすごく大久保が追い込んでいって、逆に木戸はむしろ救おうとしたり、江藤の死後も江藤の側に立った発言したりしてる。
そこらへんがまたわからないんだよな。

15: 日本@名無史さん
>>13
木戸は元々ころころ変わるヤツ。
大久保のことは元々嫌いだったくせに重要なとこでは協力してるし
すねて長州にひっこんでもちょっと懐柔されたらすぐ戻ってくる。
木戸と江藤はそもそも江藤が脱藩した時からの知り合いで結構仲良かったみたい。
でも使節団から帰ってきてみたら司法省のせいで長州閥大ピンチ。
「おい!」と思った木戸は伊藤の暗躍もあり大久保に力を貸した。
でもちょっと頭冷やして考えてみたら江藤は昔からの友人。
よって救おうとした。
でも大久保が殺した。更に征台言い出した。
木戸「江藤の首繋いで征韓派に謝罪してから決行しろ!」と辞表。

21: 【^▽^】酔鯨ジョーカー土佐守
山縣曰く「板垣さんは(戊辰の役の後も)軍人になるべきだった。
彼は政治家には向いていない。彼なら陸軍大将になれた。」
ホントかね?

54: 考える名無しさん
>>21
>山縣曰く「板垣さんは(戊辰の役の後も)軍人になるべきだった。
>彼は政治家には向いていない。彼なら陸軍大将になれた。」

正論ではあると思う。ただし、そうなっていたら戊辰の勲功の差で、板垣が山縣の
遥か上にきてしまう。 内心、政治家になってくれてほっとしたのは山縣自身であ
ろう。

22: 【^▽^】酔鯨ジョーカー土佐守
征韓論争の時も板垣は最右翼・超タカ派だったな。
立志社を作ってからも征韓を叫び続けていたし。
その前の東征での大活躍・功もあってか、
板垣つーと自由民権運動の指導者のイメージよりも、
東国侵略者、武力征韓論者のイメージが強い。

25: 日本@名無史さん
>>22
板垣がそんな感じで超タカ派だったから
西郷は遣使派遣を納得させる為に
「殺されたら兵を出せ」と板垣だけに手紙を送ったのであって
西郷自身は平和論者だった説に妙に説得力があるんだよね。

29: 日本@名無史さん
江藤はあんな時期に殺されてはもったいないほどの人材。本当に惜しいね。

34: 日本@名無史さん
新政府。
小楠、益次郎、江藤、西郷、大久保逝ったのが痛い。

36: 日本@名無史さん
この政変に比べると明治14年なんてお笑い劇場みたいなもんだな

42: 日本@名無史さん
>>36
確かにそういう面もあるが、政府の狼狽ぶりは14年政変の方が格段に大きい。
明治天皇も大隈罷免に懐疑的だった。逆に六年政変では躊躇なく西郷以下を
バッサリ切り捨てている。これは背後にあるのが士族onlyか、それも含めた
一般民衆の違いなんだろうか。あるいは大久保の存在か…

38: 日本@名無史さん
この時やめた政府人の総合人数を知りたい。

116: 日本@名無史さん
>>38
>この時やめた政府人の総合人数を知りたい。

参議5人、文官約600人、近衛士官約40人
こんだけが一斉に辞表を提出したそうだ。

118: 日本@名無史さん
>>116
人数初めて知った。文官600人て…㌧でもないな。
よく政府がもったもんだ。

39: 日本@名無史さん
三条は毒をもられたんでつか?

40: 日本@名無史さん
孝明天皇だけじゃなくて三條実美まで毒殺なのかよ・・・

41: 日本@名無史さん
>>40
>>39が言ってるのは病気と称して倒れた時だろ?
タイミング良すぎるから毒の可能性はあるな~また相手が岩倉と大久保(略

44: 日本@名無史さん
直前までは強硬な武力征伐を唱えながら
結局は平和的に収拾した第一次長州征伐、江戸城攻撃の時の
西郷の行動から考えると
征韓論の場合も西郷の真意は
平和的な使節派遣だったと思います

45: 日本@名無史さん
それはケースバイケースだと思われ
徳川幕府が大政奉還したのに関わらず、かなり強引に武力倒幕に
持っていったケースもある
ちなみに、その大方針に比べたら
江戸攻撃取りやめは微々たる事例だと思われ

また内政と外交を一緒にするのもどうかと・・・
上記のように西郷も内政と外交を一緒に考えていたとすると
相当の政治オンチになるので、その事例はピンとこないかなぁ

それと周囲から、武力も辞さないという印象を持たれるなら、
真意がどーであれ、もはや平和的使節とはいわんだろう

46: 日本@名無史さん
大政奉還をしたといっても
幕府そのものが残っていたら
新政府にとっていずれ脅威になるから
幕府側の力が整うまでに
武力で崩したかったんだと思うよ

幕府、会津、東北六藩が
薩長軍が使用した新兵器を外国から仕入れて
近代軍を育成したら
薩長の手には負えないよね
人数も桁違いに違うし

佐賀みたいに
戦況が薩長に傾くまでは
どっちにつくか迷ってた
藩も多かったし

あの時を逃したら
倒幕は不可能になってしまう
そうなると今まで死んでいった
同志に申し訳ないから
西郷は武力倒幕を
決心したんだと思うよ

63: トモミちゃん
わしの目の黒い内は、卿らがやりたいようにやろうと思うてもそうはさせんぞ

64: 日本@名無史さん
この場合やりたい放題やったのは具視ちゃん一派なような....

65: 日本@名無史さん
具視ちゃんってこの政変の後どうなったんだっけ?

66: 日本@名無史さん
高知士族に襲われ重傷

大久保独裁により権限縮小

自由民権運動に反対したり近代天皇制の確立に努めたり

維新後初の国葬

正一位授与

お札

88: 日本@名無史さん
なんで岩倉の家に押しかけた時後藤はいなかったの?

92: 日本@名無史さん
>>88
後藤は役に立たないと味方からも思われてたに600ペソ

でも西郷板垣江藤副島桐野に囲まれて意見変えなかった具視ちゃんは凄いな
俺ならちびってる

93: 日本@名無史さん
後藤は確か何かの落成式の打ち合わせに逝ってたとかなんとか…

96: 日本@名無史さん
桐野とかは帯刀していたというからな。
そんな連中が血相を変えて夜中に乗り込んで来たなら、チビって当然だろう。

97: 日本@名無史さん
>>96
夜中でなく早朝乗り込んだのでは。
たしか、出仕する前に行ったのだよ。

98: 日本@名無史さん
通信システムが現代ほど発達していない当時は、権力の中枢に居る者程出勤が早い。
権力者が動かないと、行政が機能しないからだ。
現代の感覚とは違うよ。

99: 日本@名無史さん
清朝の軍機大臣の出仕は、午前4時くらいだったとどこかで読んだ。
岩倉タン達は何時出勤だったのかね?

104: 日本@名無史さん
西郷の朝鮮に殺されに行くとかいう話は、板垣退助に出した3通の手紙にしか残っていない。
征韓派で出兵するしか解決策は無いと言っていたのは、板垣と副島の2人だけ。

ただ征韓派と言われているが、あの時期の会議で討論されていたのは朝鮮出兵ではなく、
あくまでも西郷の朝鮮派遣。出兵するかどうかはその派遣した結果で判断するはずだった。

それに出兵すると決まっても、即実行しなければいけないという決まりはない。
内治優先派とされる面々にしても、翌年には台湾出兵をしている。
琉球確保の為と言われるが、前年に清国は台湾の内治まで手が回らないと言ってる。
そんなところが琉球に派兵を出来るわけがない。

結局のところ、実質的に国政の蚊帳の外に置かれていた内治優先派が、
政権奪回の為に陰謀を張り巡らしたとしか思えない。
岩倉・大久保は失策続きだったし、長州勢は汚職で追い立てられてたし。

という事でつぎ行ってみよう。

108: 日本@名無史さん
当時の状況を整理してみよう。(わかり易くやや極解気味で)

~後に征韓派とされた面々~
出 兵 派…板垣退助、副島種臣  国家が侮辱された報復だ!…でも決定的な大義名分は無いな。

使者派遣派…西郷隆盛、江藤新平  情理を尽くして説得し同盟を結んでロシアの脅威と対抗しよう!

~内治優先派の面々~
岩倉具視、大久保利通、大隈重信、大木喬任、伊藤博文  朝鮮は信用できない使者を派遣すれば必ず戦争になる。

109: 日本@名無史さん
彼らの発言内容~朝鮮へ度々の使者派遣が全て無視されている事に対して…

西 郷…然るべき身分の者を正使として派遣するべきだ。自分が行って国交の説得をする。

岩 倉…朝鮮よりも、樺太や台湾で日本国民が暴行を受けた問題解決の方が急務である。

江 藤…台湾や樺太の問題は私人間の事件であり、国同士の問題では無い。

大久保…今、使者を派遣すれば必ず戦争になる。もう少し先延ばしにするべきである。

江 藤…先延ばししたとしても朝鮮と開戦すればロシアと争う事になる。朝鮮とは戦争をすべきでは無い。

江 藤…西郷さんなら必ず和平修好を成功させるはず。使者を派遣すれば戦争になるというのは意味不明。

板 垣…江藤君に賛成!

副 島…同じく賛成!

大 隈…(何も言えない)

大 木…(負けだこりゃ)

大久保…(ムカムカ!!殺してやるぅ!!!)

110: 日本@名無史さん
随分むちゃくちゃな解釈だな。
これはもしや、江藤信者か?

113: 108.109
>>110
確かに江藤信者だけどね。w
実際の公式記録の発言を並べるとこうなるんだよ。
西郷・江藤の2人は戦争反対の発言しかしてないんだ。
大久保の発言も、戦争のデメリット7条を発言してるけど、
全てが、使者を派遣しただけで戦争になる事を前提の発言で、
なぜ戦争になってしまうかの説明を求められるとだんまりになった。

結局は三条や岩倉に無言の圧力をかけて会議の決定事項を反故にしたのは、
さすが大久保といったところなんだけどね。
でもこの件に関しては、戦争反対者を無理矢理に戦争肯定者に仕立て上げたから嫌いだな。
西郷遣韓が成功していれば、日本と韓国の関係は今よりもっと友好的なものになっていたハズだし。
西郷・大久保・江藤の3人ともがあんなに早く死ぬ事態にはならなかったと思う。

114: 日本@名無史さん
>>113
公式の議事録ってあるんですか?

115: 108.109
議事録が存在してるかどうかは正直知りません。
所詮は毛利氏含め多数の関連書籍の受け売りなんで。

この間に岩倉と三条に提出された江藤の書簡は現存していて、
その記述内容は前の会議での発言内容を要約したものになっている。
西郷が、最後に三条や大久保、島津久光などに所信表明書として
提出した「始末書」は確実に公的な文書と言えるものになる。
それも、今までの発言内容を要約したものだ。

原書をみてないから確実にそうだとは言い切れないが、
それは言い出せばきりがないしね。

135: 日本@名無史さん
この日本を分けた一大政変を傍観し結局漁夫の利を得た長閥は狡賢い。

137: 日本@名無史さん
>>135
つーか元々木戸大久保の留守中に、実力を無視した多大な野望を抱いたのが悪い。

136: 761
傍観なんかしてないぞ。たしかに木戸は長州が前面にたつことを避け欠席したが、
伊藤が裏方に回りえげつない工作を行っている。

138: 日本@名無史さん
つーか色々ヘマやって2年も外遊してたのが悪い。

139: 日本@名無史さん
>>138
禿同。
途中で欲出して予定を無視して条約改正しようとし
委任状貰うには貰ったが結局改正できず大恥晒し
滞在費用だけ伸びて金は無駄にするし不手際もいいとこ。
2年も樹立したばかりの新政府を空けるなんざアホですか?
最初の予定通り大隈を代表として小人数で行かせてれば良かったんだよ。

143:  
>>139
木戸なんかは当事者なのに日記で文句言いまくってる品
岩倉使節団の真実=公金使った大官豪遊

140: 227
大隈に名を成さしめたくないという派閥の論理から駄目だった。
もっとも大隈が行っても無理だったと思われるが。

141: 日本@名無史さん
元々大隈は条約改正ではなく条約改正の為の予備交渉をしようと計画立てたんだから
成功するもしないもないだろ。
てか岩倉の時も予備交渉が目的だった。
だから大久保と伊藤が正式交渉の委任状取りに戻ってきた時約束違反ってことで留守政府側と揉めた。

151: 日本@名無史さん
十二款誓約書が政変の発端といわれる。
岩倉使節団が外遊している間、「在留者」は人事異動や組織編成、外交の大きな交渉を
行わないことという内容とされているもの。よって江藤新平、後藤象二郎らの参議
就任や太政官職潤飾は明確な誓約書違反となるとの主張。

ところがこの十二款は第2款以降で留守政府を制約したものであるのに対して、
冒頭の第一款では外遊組の目的の制限が明記されている。
「御国書……の旨趣を報」であり、この国書では「使臣帰国ノ上、条約改定ノ議ニ
及ヒ、朕カ期望予図スル所ヲ達セント欲ス」となっていて、条約改定交渉は誓約書
に反するものであった。

全権委任状を持っていない不備を米国政府に指摘されて大久保、伊藤がスゴスゴと
途中帰国しすったもんだの末に国書の変更で対応することになるが、十二款誓約書
の軽視は留守政府よりも前に外遊組にあった。

155: 日本@名無史さん
その現場にいたかった


引用元: ・● 明 治 六 年 政 変 ●








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