51L4U-I27wL



1: 無名武将@お腹せっぷく
( ´∀`)おっと最速は司馬懿たんか夏侯淵たんでつね

それはさておき曹操軍の初期のキーパーソン李一族(・∀・)イイ!!

各勢力の優秀ないぶし銀を語りませう








2: 出ると負け軍師 ◆v12geteYmY
渋いといえば郭図

6: 無名武将@お腹せっぷく
いぶし銀か…
そうだな、霍峻とかどうだ?

21: 無名武将@お腹せっぷく
>>6
ああ。最近読んだけどさりげにすげえよな。城を1年近く守り通し、わずか
数百の精鋭で一万近くの軍を撃破、大将の首を取り、
張魯の誘惑にも乗らなかった。でも40で逝去。彼がいなければ、蜀攻め
危なかったんじゃないか?
羅憲も呉から半年守った上、陸抗の3万の軍にも屈しなかった上、
おそらく数千の兵士だったらしいから相当だけど、
その意味の重さでは、霍峻の方が上だと思う。

7: 無名武将@お腹せっぷく
馬が街亭で敗れた後、兵をまとめてきっちり引き上げた王平に一票。

9: 無名武将@お腹せっぷく
俺は王基に一票

10: 無名武将@お腹せっぷく
劉敏(;´Д`)ハァハァ

12: 無名武将@お腹せっぷく
最近メジャーになりつつあるが、やはり「陥陣営」高順ですな

13: 無名武将@お腹せっぷく
王平とか高順とか漏れも好き。

14: 無名武将@お腹せっぷく
鐘会さいこー

15: 無名武将@お腹せっぷく
丁奉萌え

16: 無名武将@お腹せっぷく
MVPは賀斉だろおまいら

20: 司馬+黒シャツ隊 ◆SIBAlB/q2k
何でここまで満寵が挙がってないんだー!!
司令官としては夏侯淵とかの数倍上のレベルだと思うんだけど何故か地味・゚・(ノД`)・゚・

21: 無名武将@お腹せっぷく
>>20
>>夏侯淵とかの数倍上のレベル

そこまででは無いと思う。

24: レタス ◆netaz1u/w6
>>20
個人的に李典と同じくらいかと思うなぁ

25: 司馬+黒シャツ隊 ◆SIBAlB/q2k
うーん、満寵は司令官としては司馬懿レベルと言っても過言ではないと思うとです。
彼が曹休の後任として揚州方面の司令官になってからは、
陸遜をはじめとする呉の諸将達に全く付け入る隙を与えていないし、
呉軍の水運の利を一気に奪い去った合肥新城築城も彼の提案です。
前任の曹休、後任の王淩辺りと較べてみると彼の優秀さがよく分かると思います。
揚州方面司令官になる前も、樊城防衛戦で曹仁を助けて見事守り切っていたり、
石亭の戦いでも曹休が罠にハマる危険性を看破していたり、
卓抜した戦略眼を持っていた将軍であることが覗えます。

夏侯淵は、戦を戦略レベルでなく戦術レベルで考えすぎるきらいがあるところと、
陽動作戦にあっさり引っ掛かりすぎてる辺り、
司馬懿、満寵クラスと較べるとちょっと落ちるのではないかと。

李典は部隊長クラスの戦指揮しかしておらず、
方面軍司令官としての手腕が未知数なので何とも言いがたいです…。

26: レタス ◆netaz1u/w6
>>25
おお、レスがあるw

言われて見ればくくりが「司令官」ということでしたか。
数軍を預かる司令官としてなら当然李典より上かと思われます。
よく見ないでレスしてしまって申し訳ない。
李典と同じくらいというのは、「トータルとして見て」の意見でした。

23: 無名武将@お腹せっぷく
ちんとー

24: レタス ◆netaz1u/w6
>>23
陳登(・∀・)イイ!!

VS策兄用の抑えで活躍しましたからね…と言いたい所だが、
ヤツの凄いところは死に方だろ

刺 身 食 っ て 虫 湧 い て 死 亡 !!

ワサビなかったんだな…

29: 無名武将@お腹せっぷく
隴西の守護神 郭淮
諸葛亮在世中は司馬懿の部下として活躍。
蜀の軍権が姜維に移ってからは、陳泰と共に姜維の北伐を連年防いだ名将
諸葛亮やその後を襲った姜維にとって最大の邪魔者は曹真・司馬懿といった司令官よりも郭淮だったと思われる。それほど郭淮は堅く蜀の侵入を阻止したのだ。いわゆる第一次北伐は馬謖の失敗で蜀の敗北に終わったが、
郭淮はこの戦いで馬謖の副将・高詳を討ち、蜀に荷担した羌の唐[足虎]を討っている。翌年の諸葛亮の出陣の際には形勢不利と見て撤退し、さらにその翌年、陽谿で魏延に敗れたが、彼の敗戦はこれくらいのものである。
翌年(231)の諸葛亮の侵攻で兵糧不足に陥った際には羌族を手なずけて兵糧を充足させ、3年後諸葛亮が斜谷で司馬懿と対陣したときには、
諸将の反対を押し切って司馬懿に「諸葛亮が北原を奪う前に先手を打って防塁を築くべきである」と進言し、果たして防塁建築中に蜀軍が現れてこれを迎撃した。さらに諸葛亮の陽動作戦を見抜いて陽遂を死守する働きを見せた。
 
その後も幾度も蜀や羌の侵入を防いだ郭淮だが、その中でも最大の試練は247年の羌族大反乱とそれを利用して侵入してきた姜維の猛攻の連携攻撃だろう。隴西の餓何・南安の焼戈(この二人は小説「三国志演義」では餓何焼戈という一人の人物になっているが)
・金城の伐同・西平の蛾遮塞・涼州蛮族の治無載が一斉に反乱を起こし、時を同じくして蜀の姜維が攻めてきたこの事件も彼の冷静な判断が光った。まず姜維を迎撃し、餓何・焼戈を斬った。
次に陽動作戦を用いて治無載を破ると、すかさず治無載の妻子を人質にすべく西海に赴く。その途中に治無載に遭遇してこれを破った。だが、郭淮は敗走する姜維・治無載らを追わず、陰平にいた蜀将・廖化を討つべしと主張し、
これを破ったため、この事態を全く予期していなかった姜維は大いに狼狽して撤退。それをまた夏侯覇に追わせ、散々にうち破った。まさに数十年間この地を守り抜いてきた郭淮の面目躍如といった場面だったろう。
 
その後も幾度となく蜀や羌の侵入を防いだのち、郭淮は車騎将軍に任命されている。これほどの高官となっても彼は西部戦線に駐屯し続けた。これほどの長きにわたって最も重要な西部戦線を守ってよく防ぎ、
しかも西部戦線でしか軍功のない将軍というのは郭淮くらいしかいない。まさに彼は魏の対西部戦線エキスパートであったといえよう。

30: クラェ(゚д゚(  人  )=3
>>29
こういう詳細ってすごい好き
横山三国志しか知らない俺には新鮮です
そんな俺は慎重派の王平ファソ

31: 27
陳登:イイ!というのはレタス氏に禿同で、正史見る限りすごい名将なワケだが…
光栄には武力関係で虐待されているケースが多いなw

陳到:おれの記憶違いでなければ、趙雲より先に一軍を任されたワケで、
(もっとも公孫サンのもとでは単なる護衛ではなかっただろうけど)
そういう意味ではそこそこ重用されていたはずだが…
光栄よ初期の三国志シリーズでは出てこないぞ!

陳湯:スマソ、知らんのだが。漢方か何か?ネタじゃなければ正直解説希望。
おれの好きな渋めの武将は[赫β]昭かな。って結構有名人か…
出番少なくて可哀相だったから、バリバリ活躍させているぞ、光栄よ。

34: レタス ◆netaz1u/w6
>>31
陳到って劉備の予州時代に子飼いになったらしいけど、
それ以前はなにやってたんだろうね

32: 司馬+黒シャツ隊 ◆SIBAlB/q2k
郝昭はいいですね!演義でも正史でも彼はカッコイイ!
あそこまで攻城戦の様子がはっきり書かれてるのも珍しいんじゃないかなあ。

陳湯は対匈奴戦線で活躍した漢代の将軍ですね。
当時、中央アジア方面に強大な勢力を持っていた西匈奴の郅支単于を
戦場で討ち取るという大功を挙げています。

35: 無名武将@お腹せっぷく
しかし余裕ある国の武将が、守りを受け持てば
よほどの失敗が無い限り守り抜けると思って
しまうのは蜀ファンのひがみかね?

37: 無名武将@お腹せっぷく
>>35
なんとなく気持ちはわかる

33: 無名武将@お腹せっぷく
満寵、郭淮が推されてるのに、牽招と田豫は放置ですかそうですか……

68: 無名武将@お腹せっぷく
李典の話はどこ行ったんだ

69: 無名武将@お腹せっぷく
>>1の言うとおり
李一族がいないと曹操軍は成り立たなかった。

70: レタス ◆netaz1u/w6
地元(山陽あたり)に影響力をもってる李典の一族が曹操の部下になる。

曹操「(゚д゚)ウマー」

さらに李典一族がわざわざ魏郡に引越し

曹操「(゚д゚)ウマー」

71: 無名武将@お腹せっぷく
ということは、李典は相当リスペクトされていたということか

79: 無名武将@お腹せっぷく
李一族って李典の他誰か有名な人いるの?

80: 無名武将@お腹せっぷく
曹操のエン州討伐(VS呂布)の時に
侠客の李乾が呂布配下の薛蘭と李封に殺され
李乾に従っていた李典はその子(李整)を補佐して
薛蘭と李封を討伐している。李整はその後亡くなり
李典が中郎将となって李整の軍を引き継いだ。と、あるな。

83: 無名武将@お腹せっぷく
呂範も地味に良将だと思いまつ

84: 無名武将@お腹せっぷく
陳登とか田疇とかがたまらん。

86: 無名武将@お腹せっぷく
臧覇も。

90: 無名武将@お腹せっぷく
真のマイナー名将は張任

93: 無名武将@お腹せっぷく
しかし蜀後期の武将は良いの揃ってるな・・・

張翼とか王平とか。
わくわくするよ。

149: 廖化
>>93
張翼を挙げるなら廖化も挙げるべき。同じ車騎将軍として
第一、蜀末期というのは姜維の北伐に従軍したような人だと。
張嶷、張翼、廖化とかかな

94: 無名武将@お腹せっぷく
張翼の前に馬忠と張嶷を挙げるべき
位階でいえば句扶だろうけど

96: 無名武将@お腹せっぷく
王平→北の要
トウ芝→東の要
馬忠→南の要

何より性格が笑える。いちいち真逆
能力も上手いこと戦争・外交・内政に分かれてるし

97: 無名武将@お腹せっぷく
>>96
馬忠に対する「内政」って表現がなんだか……
ふつうは鎮撫とかいわないか?

99: 無名武将@お腹せっぷく
李典スレハケーン!
横山三国志で最初に好きになったのは李典。
凄さがなくていい。それでいてチョクチョク登場。
ひげも良い。漫画の話だが。

李典は






慎重すぎて曹操の怒りを買ったことがある。

100: 無名武将@お腹せっぷく
徐晃も慎重だったらしいが演義でのエモノが大斧なせいか
猛将ってイメージ

102: 無名武将@お腹せっぷく
演義じゃ顔良に打ち負け、文醜にはからかわれてるしな>徐晃

108: 無名武将@お腹せっぷく
満寵は官渡戦前に汝南太守に任じられた頃、
袁紹を支持する汝南の20以上の城砦を




兵「500人」で陥落、平定している。

109: 無名武将@お腹せっぷく
>>108
反対勢力を集めて一網打尽(だまし討ちに近かったのかも)って
かのドラキュラのモデル、ブラド・ツェペシュみたい

126: 無名武将@お腹せっぷく
部曲を率いてまだまだ弱小勢力の曹操陣営に入った、
李典の叔父さんがもっと評価されてもイイと思うのは漏れだけか?

130: 無名武将@お腹せっぷく
>>126
李典の叔父さんって雄雄しい性格としか知らないです。
でも何で曹操についたんでしょうね?
商人が群雄に投資するのとは訳が違うでしょうし、曹操の何を見込んだのかな。

そして、軍閥をもった豪族のぼっちゃんなのに、争いが嫌いで本が好きな李典って
なんとなく可愛いと思った。

132: 無名武将@お腹せっぷく
>>130
>でも何で曹操についたんでしょうね?

李氏がえん州の大姓だった以上
州府内の顕官を占めていて当然。
曹操に率先して仕えたというよりも、
代替わりした社長に代わらず仕えるってかんじ。

呂布がえん州に乗り込んできたときに
曹操に味方した理由はよくわかんね。

>>130
>本を好んだのは、君主の影響を受けているかも

左伝はきれいごとっぽい内容の本だから、
曹操の好みの本じゃなさげな気がする

133: 130
>>132
>代替わりした社長に仕えるってかんじ。
 
そうか!言われてみればそのほうが地方豪族っぽいですよね。
呂布は評判が悪かったから、エン州に入れたくなかったのかもしれませんね。
(曹操の評判がよかったかどうかはともかく)
当時の豪族の事を考えると、曹操の為に一族皆でギョウ(でしたっけ?)に引っ越した
李典てやっぱりすごいかも。

131: 126
どうも。
曹操陣営についたのは曹操の群を抜く行動力を見込んで、だと脳内軍師が申しております。
一介の武官でありながら、諸侯に働きかけ、反董卓連合軍を作った実績を評価したのでしょう。
案外、名門・袁紹などの選択肢を考えながらも、距離など現実的な事情があったかも知れませんが。
でも選択を誤れば李一族滅亡、いう大変な時代ですし、
その辺の微妙な逸話など小説なり漫画なりで作られれば面白いと思います。

おっしゃる通り、李典は坊ちゃんなんですよね、どうも成人した立派な武将としてしか
イメージがありませんでしたが。
本を好んだのは、君主の影響を受けているかも知れませんね。

133: 130
>>131
>選択を誤れば李一族滅亡、いう大変な時代ですし、
>その辺の微妙な逸話など小説なり漫画なりで作られれば面白いと思います。

面白そう!と李典が好きな自分は思いますが、マニアックな本になりそうですね~。
なんとなーく徐州の陳親子を思い出しました。

134: 無名武将@お腹せっぷく
つか、ギョウ行きは当然官渡の後で曹操が中原の覇者になるのが
確実視されている状況だから、そんな大決断でも無かったんでわ?
大都会に行くべ、ってカンジか?もちろん豪族と土地の結びつきのことを
考えれば故地を捨てるのはそれなりの決断なんだろうケド
慎重居士の李典が博打で一族の命運を決めるとは思えん

135: 無名武将@お腹せっぷく
李典と張遼が仲悪かったのって
自分の出身地を襲われたからって本当ですか?

138: 無名武将@お腹せっぷく
>>135
それもあると思うが、性格合わなかったんだろう。
張遼なんかは胡質に「あんた人の話聞かねーしな!」(意訳)とか
言われてたぐらいだったような気がするし。

139: 無名武将@お腹せっぷく
>>138
「人の話聞かない」まで言われてるとは。w
もしかして下に優しく同僚にキツイ関羽タイプ?

張遼と李典は人が止めないと喧嘩するくらい仲が悪かったらしいね。
いい年した大人が…ってちょっと思う。
でもそれが微笑ましかったり。


140: 無名武将@お腹せっぷく
ところで楽進と李典はどうなんだろ
官渡直前の配置でセットで許に詰めていたようだが

142: 138
>>140
官渡直前、李典はえん州の離狐太守だったので、そこいたはず。

143: 無名武将@お腹せっぷく
李典って官渡のときまだ10代だよね。
それで太守か。
李典をマンセーしたくなった。

145: 無名武将@お腹せっぷく
>>143
215~217年が没年ぽいので、それから考えて
官渡の時は19~21歳。
この年までに、県令→+中郎将→太守
後漢でも屈指の昇進スピードだと思われ(この時点までは)

以下ちょっと失速だけどな

146: 無名武将@お腹せっぷく
>>145
他人との衝突が嫌いで、勲功を争わなかったから
将軍になった途端出世が遅くなったのかもしれませんね。
最終的な封地も少ないし。

147: 無名武将@お腹せっぷく
>>146
上がつかえていたってのもあるかも。
李典もあと数年長く生きてりゃ、昇進チャンスが
2回~3回はあったわけだが。

149: 廖化
>>143
廖化はどうなるんだろう。太守ではないけど、黄巾の残党を10代前半でもうやってることになる。
張翼や廖化は剣閣守備戦の時もう90前後だったとか。蜀の人材不足を物語る彼らの働きを見てるとハラハラする。

151: 無名武将@お腹せっぷく
>>149
>黄巾の残党を10代前半でもうやってることになる

それは「演義」での話であって、実際には蜀滅亡時には古希あたり。
二人説もあるし、荊州で関羽に従軍もしてないよ。

それに廖化は長寿だけど、それほど事績が多くない。
張翼や張嶷は蜀末期の良将ではあるけど、廖化は少し見劣りする。

152: 無名武将@お腹せっぷく
>>151
廖化は蜀滅亡に際して同僚に、
「我々はもう齢70を超えて云々・・・」
とか言ってたはずだから、まあ老将としては全うな年齢だったね。

重要なポストの人間なはずなのに情報がないという点では
句扶や呉懿とかと同様か。ほんと史官ぐらいちゃんと置いとけよ、蜀。

153: 無名武将@お腹せっぷく
>>152
全くおいていなかったわけでもないんだけどね。
あと胡済なども、軍籍の高さのわりによくわからない人物かも。

150: 無名武将@お腹せっぷく
廖化は実は別人だという話

110: 無名武将@お腹せっぷく
>>1
たった今
スレタイが李典の字「曼成(マンセイ)」に懸けてるんだな。
と分った漏れ・・

111: 1
>>110
( ´∀`)ようやくきづいてくれたか

引用元: ・【沈着】李典マンセー!!【最速】







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