51q1+1L26qL



1: 世界@名無史さん 投稿日:2010/12/02(木) 02:40:06
鄭和の大航海が行われた、明?

関連当時の世界に対して最も影響力のあった中国王朝

 







340: 世界@名無史さん 投稿日:2010/12/10(金) 23:31:13
中国が一番進歩したのは唐宋の600年間かな。
明清500年は停滞していたが。

341: 世界@名無史さん 投稿日:2010/12/10(金) 23:38:54
アレクサンドロス3世も、チンギスハーンには遠く及ばないな

345: 世界@名無史さん 投稿日:2010/12/11(土) 00:26:07
>>341
時代背景考えれば
相対的な影響力は古代オリエント制覇したアレクのが上だろ

342: 世界@名無史さん 投稿日:2010/12/10(金) 23:53:18
チンギスの世界的影響は凄いからな。
世界の半分、ユーラシア大陸の大部分を制覇してるし。

584: 世界@名無史さん 投稿日:2010/12/12(日) 22:19:52
>>342
モンゴル帝国は当時の世界の人口の半分以上を支配下に置いていた

347: 世界@名無史さん 投稿日:2010/12/11(土) 00:42:19
チンギスは一代でバラバラのモンゴルを統一。
そして、対外遠征も行ってる。

348: 世界@名無史さん 投稿日:2010/12/11(土) 00:45:04
アレクは一代でバルカンの諸勢力を統一
そして当時世界最大の帝国を滅ぼしている

349: オツガイ ◆EAbyJft1LY 投稿日:2010/12/11(土) 00:56:47
>>348
バルカンっていうかギリシャの統一は、
父のフィリッポスの時代にもう出来てたから、
アレクサンドロスが一代でやった訳じゃないんじゃないかな?

351: 世界@名無史さん 投稿日:2010/12/11(土) 01:06:49
>>349
親父が暗殺された直後にギリシャは再び反旗を翻しており
アレクは再統一をする必要があった

419: 世界@名無史さん 投稿日:2010/12/11(土) 22:07:39
アレク三世が古代中国に影響を与えたって話、本当?

420: 世界@名無史さん 投稿日:2010/12/11(土) 22:13:45
>>419
うーん、シルクロードを通じてなら有ったかも知れないけどね。
でも、当時にシルクロードなんて存在したのかな。

426: オツガイ ◆EAbyJft1LY 投稿日:2010/12/11(土) 22:39:21
>>420
シルクロードで有名なソグド人は、既にアレクサンドロス3世の時代には、
徐々に商人としての頭角を現してきていて、東西交易にも積極的だったよ。

380: 世界@名無史さん 投稿日:2010/12/11(土) 03:07:09
太宗(李世民)時代の唐が影響力最強じゃね?
関連【太宗】 李世民 【貞観】


381: 世界@名無史さん 投稿日:2010/12/11(土) 03:10:44
この時代、李世民はモンゴル高原を制圧してるし、天竺(インド)とも深い関係を持っていた。

382: 世界@名無史さん 投稿日:2010/12/11(土) 03:13:53
高宗(李治)時代や、玄宗(李隆基)時代よりも、世界的な影響力は大きかったはずだ。

383: 世界@名無史さん 投稿日:2010/12/11(土) 03:42:29
元を中国王朝として捉えるなら、元が一番だと思う。

406: 世界@名無史さん 投稿日:2010/12/11(土) 19:29:00
うーん、李世民は粉飾してるからなー。
それさえ無ければ、中国史上最高の名君と言っても、過言では無いのだが。

408: 世界@名無史さん 投稿日:2010/12/11(土) 20:08:26
確かに。
記録だと、李建成は弟の李元吉と共闘して、李世民を追い落とそうとしたという風に書いてある。
しかし、李元吉が兄の李建成と手を組むメリットが見当たらない。
むしろ、この2人も兄弟だし、ライバル関係だったと思われる。
李世民は、李建成・李元吉を殺してるから、両方とも悪にしようとしたのかな。

409: 世界@名無史さん 投稿日:2010/12/11(土) 20:12:46
それとも、李世民があまりに手強く、1人じゃ太刀打ち出来ないから、李建成・李元吉は協力し合ったのかも知れないが。


410: オツガイ ◆EAbyJft1LY 投稿日:2010/12/11(土) 20:20:38
>>408-409
まぁ、そこら辺は確かな史料が出ない限りは推測の域を超えないだろうね。

413: 世界@名無史さん 投稿日:2010/12/11(土) 20:45:51
唐王朝は他の王朝と比べて地方分権の傾向が強かった?

416: 世界@名無史さん 投稿日:2010/12/11(土) 21:07:13
>>413
唐の藩鎮は確かに地方分権的なものが有るね。
五代十国時代に群雄割拠が長引いたのはそれが原因と言われている。

417: 世界@名無史さん 投稿日:2010/12/11(土) 21:13:35
唐の領土はあまりにも広く、中央集権だと辺境までしっかり統治が行き届かないため、藩鎮を置いたんだよ。

418: 世界@名無史さん 投稿日:2010/12/11(土) 21:50:23
でも、それが原因で唐はボロボロになったんだよな。
安史の乱では苦戦したし、安史の乱を抑えるために藩鎮を増やし、行き過ぎた地方分権になってしまった。
これは悪循環。

424: 世界@名無史さん 投稿日:2010/12/11(土) 22:35:07
唐は確かアッバース朝に負けてるよな
タラス河畔の戦いだっけ

437: 世界@名無史さん 投稿日:2010/12/11(土) 23:37:47
>>424
タラス河畔で唐が負けたのは、カルルクが裏切った事が原因。
だから、決して国力が「アッバース>唐」だったとは限らない。

438: オツガイ ◆EAbyJft1LY 投稿日:2010/12/11(土) 23:41:27
>>437
そうだね。そもそもあんなに本拠地から遠い地での戦いにおいて、
現地の遊牧民が裏切っても、負けないほうが難しいからね。
唐がアッバース朝に負けたのは仕方のない事だし、
敗戦による唐のダメージもそんなに大きい訳ではない。
この戦いの世界史的意義は上で言われてるようにむしろ製紙法の伝播のほうが大きいね。

439: 世界@名無史さん 投稿日:2010/12/11(土) 23:46:52
>>438
アッバースnとっても遠地だし開戦時カルルクは唐側にいたしそれは変らんのでは?

440: オツガイ ◆EAbyJft1LY 投稿日:2010/12/11(土) 23:51:13
>>439
初期のアッバース朝の主力軍の本拠地はホラーサーンだから、
アッバース朝にとっては別にそれほど戦地が遠かった訳でもないよ。
本拠地から遠かった上に、味方だったはずのカルルクが裏切ったから、
どう考えたって唐のほうが不利になるのは仕方ない事だったと思うんだけど。

428: 世界@名無史さん 投稿日:2010/12/11(土) 22:52:19
影響力という観点だと、負けたマイナスより製紙法伝達のプラスが重要視されるのかや

430: オツガイ ◆EAbyJft1LY 投稿日:2010/12/11(土) 23:02:28
>>428
というか実際、唐にとってはタラス河畔の戦いでの、
敗北による負の影響はあまり大きくなく西域支配はその後も問題なく続行されたよ。
どちらかと言えば、その後に起きた安史の乱のほうが、西域支配などを考えても、
唐にとってはかなりマイナス面が大きくこれによって唐は最盛期を終えてしまったね。

431: 世界@名無史さん 投稿日:2010/12/11(土) 23:10:44
まぁ、この戦いで唐は中央アジアから撤退した訳だが、それまでの領域が広すぎたから、丁度良かったんじゃね。

432: オツガイ ◆EAbyJft1LY 投稿日:2010/12/11(土) 23:17:43
>>431
中央アジアと言ってもソグディアナや西トルキスタンといった、
当初から間接的な支配しか及んでない地域を失っただけだからね。
西域の中でも重要な地域はだまだ保ててるから唐へのダメージはさほど大きくはないね。

459: 世界@名無史さん 投稿日:2010/12/12(日) 01:34:41
この時代だと、まだ 中華圏>イスラム圏 か。

460: 世界@名無史さん 投稿日:2010/12/12(日) 01:42:53
いや、互角だろ
というか、あそこら辺は古代から発展してる
シルクロードも通ってるし

461: オツガイ ◆EAbyJft1LY 投稿日:2010/12/12(日) 01:45:04
>>459
僕も互角だと思う。まぁ、確かにタラス河畔の戦い以前に、
中東に製紙法が伝わってなかったのは少し不思議だけど。

506: 世界@名無史さん 投稿日:2010/12/12(日) 16:52:55
>>459
中華≧イスラム>地中海>>その他

こんなもんだろ

464: 世界@名無史さん 投稿日:2010/12/12(日) 01:55:56
人口も、唐は約5300万人で、アッバースは約5000万人と、ほぼ同じだな。

480: 世界@名無史さん 投稿日:2010/12/12(日) 03:44:44
それにしても、600年以上の間、他国に持ち出されなかったのは凄いな。
普通なら、600年も経つ間に、スパイとかが持ち出しそうだけどな。

482: 世界@名無史さん 投稿日:2010/12/12(日) 05:26:34
>>480
テンシャン山脈こえて機密携えて出国するのは難しかったということ
現にタラス湖畔の戦いまで持ち出せなかったのだから
そういうことだろ。

481: 世界@名無史さん 投稿日:2010/12/12(日) 04:33:34
しかし、製紙法に置いては、唐(中華)がアッバース(イスラム)の数百年先を行ってた訳だ。
まぁ、タラス河畔の戦いがきっかけで、一気に追いつかれたけどな。

483: 世界@名無史さん 投稿日:2010/12/12(日) 08:03:18
でもさ、捕虜に製紙職人がいたって言うけど、何で製紙職人がそんな僻地に、しかも戦いにまで参加してるんだろ?

484: 山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte 投稿日:2010/12/12(日) 09:27:26
徴兵じゃありませんか。
それと、これ以前に伝来していたという説があります。
本がどこかへ行ってしまったので、ネット上のもので申し訳ありませんが。
4頁目右下参照。
http://ss.acoust.rise.waseda.ac.jp/isit2_report/isit_2nd_3.pdf
リンク切れ
 
公伝以前から、仏教は伝わっていたと予想される様なものですね。
人的交流があれば、不可能ではない。

485: オツガイ ◆EAbyJft1LY 投稿日:2010/12/12(日) 09:54:54
>>484
確かに、あくまで公式に国家単位で、
伝わったのがタラス河畔の戦い以降というだけで、
シルクロードなどを通した交流によって民間の商人の間では、
もっと早くに伝わっていた可能性はあるね。

490: 世界@名無史さん 投稿日:2010/12/12(日) 14:45:34
>>484
陸路・シルクロードで伝来したのが751年という事で、海路だともう少し早かったのかも知れませんね。

488: 世界@名無史さん 投稿日:2010/12/12(日) 13:13:28
紙の原料である麻やコウゾがなかったのでは?

489: オツガイ ◆EAbyJft1LY 投稿日:2010/12/12(日) 13:27:37
>>488
さっき山野さんが張ってくれたたリンク先によると、
中東にはコウゾやミツマタがなかったから、
亜麻が紙の原料として主に使われてたみたいだね。


http://ss.acoust.rise.waseda.ac.jp/isit2_report/isit_2nd_3.pdf
リンク切れ

491: 世界@名無史さん 投稿日:2010/12/12(日) 14:53:22
ちなみに「中天竺行記」によると、王玄策は648年、インド・カシミールで紙を見かけているようだ。

492: 世界@名無史さん 投稿日:2010/12/12(日) 14:56:21
これが本当だとしたら、もう少し早く伝わっていた可能性は高い。

493: オツガイ ◆EAbyJft1LY 投稿日:2010/12/12(日) 15:01:10
>>491-492
そんな記録が残ってるのか。やっぱり、記録に残ってないだけで、
もっと早くに中東に製紙法が伝わってた可能性は大いにありうるね。

494: 世界@名無史さん 投稿日:2010/12/12(日) 15:29:44
でも、蔡倫が発明したのは、あくまで製紙法の一つで有って、紙そのものはその前から存在したんだよね。
だから、タラス河畔の戦いで伝来したのは、「蔡倫の製紙法」というだけで、紙自体はもっと前に伝わっていたと思う。

495: 世界@名無史さん 投稿日:2010/12/12(日) 15:36:22
まぁ、それ以前の紙は実用的では無かったから、初めて実用的な紙を作ったという意味で、やはり蔡倫は偉大なんだけどね。

496: 世界@名無史さん 投稿日:2010/12/12(日) 15:51:04
>>495
つまり、それ以前の中華圏外に伝わった紙は、文字が書けない・書きづらい紙だったのか

497: オツガイ ◆EAbyJft1LY 投稿日:2010/12/12(日) 15:55:12
>>496
だから公式な場では羊皮紙やパピルスが主流だったのかな。

498: 世界@名無史さん 投稿日:2010/12/12(日) 16:06:20
パピルスは価格と人手と使用上の利便性の問題あたりで、紙に駆逐されたみたいだね。
羊皮紙は保存性や高級感その他で紙伝来後も生き残ったらしい。

499: 世界@名無史さん 投稿日:2010/12/12(日) 16:07:09
羊皮紙やパピルスは、8世紀以降に衰退してるからなー。
タラス河畔の戦いと時期が重なる。
やはり、それ以前に伝わった紙は、あまり使われていなかったんだな。

507: 世界@名無史さん 投稿日:2010/12/12(日) 17:04:22
この時期は中華・イスラムの最盛期だからな。
これ以降、地中海世界が追い上げ、近代に入って抜かされる。

508: 世界@名無史さん 投稿日:2010/12/12(日) 17:12:32
>>507
地中海というよりヨーロッパだろ
それに近世にはもう抜いてる

510: オツガイ ◆EAbyJft1LY 投稿日:2010/12/12(日) 17:15:07
>>508
近世じゃ、まだオスマン帝国やムガル帝国やサファヴィー朝や明清もいるよ。
まだ完全にヨーロッパのほうが優れていた訳ではないでしょ。
西欧諸国が圧倒的地位に立つのは近代以降だと思うよ。

512: 世界@名無史さん 投稿日:2010/12/12(日) 17:28:34
>>508 >>510
近世は確かに中華圏・イスラム圏が停滞気味だが、やはりまだ抜いていないとだろうね。
まぁ、近世ヨーロッパは大航海時代だったし、互角かな。

523: オツガイ ◆EAbyJft1LY 投稿日:2010/12/12(日) 18:22:23
>>512
大航海時代と言っても初期のうちはまだ、
西欧諸国が既存の海上ルートに入り込んだだけに過ぎないよ。
まぁ、西欧諸国はオスマン帝国なんかに押されてたとはいえ、
近世は西欧が徐々に力を付けてきた時代でもあるから、
大航海時代の初期ぐらいは「ヨーロッパ≦東洋」という感じだったと思うよ。

527: 世界@名無史さん 投稿日:2010/12/12(日) 18:36:12
>>523
大航海時代の後半でようかく互角、という事ですな。
そして、産業革命でトドメを差した。

いや、トドメはアヘン戦争か?

529: オツガイ ◆EAbyJft1LY 投稿日:2010/12/12(日) 18:40:03
>>527
世界史全体としては産業革命、中国史に限って言えばアヘン戦争になるかな。

513: 世界@名無史さん 投稿日:2010/12/12(日) 17:43:04
でも中国王朝って比較的短命な気がするな

514: 世界@名無史さん 投稿日:2010/12/12(日) 17:48:37
>>513
統一王朝で一番長寿なのは明の276年。
確かに世界的に見るとそこまで長くない気はするが。

516: 世界@名無史さん 投稿日:2010/12/12(日) 17:56:06
>>514
漢は400年、唐も300年続いてる

519: 世界@名無史さん 投稿日:2010/12/12(日) 18:10:56
>>514
東ローマ帝国は1000年、オスマン帝国は600年だよ。
この違いは何だ。

531: 世界@名無史さん 投稿日:2010/12/12(日) 18:48:53
>>519
東ローマ帝国のように、内部で血統が移動しても良いとしたら、
秦漢新漢魏晋は一帝国と見なせるような。魏周隋唐周唐も。

521: オツガイ ◆EAbyJft1LY 投稿日:2010/12/12(日) 18:17:31
>>513
中国王朝で最長だったのは、前後を1つの王朝とみなせば、
漢がおよそ400年続いてるね。途中で簒奪されたら別王朝と考えるなら、
300年近く続いた明が最長になるか。どっちにしろ、歴代中国王朝は、
世界史的にみると、あまり長いほうとは言えないね。

518: 世界@名無史さん 投稿日:2010/12/12(日) 18:01:48
漢・唐は途中で簒奪されてるからな・・・。

524: 世界@名無史さん 投稿日:2010/12/12(日) 18:24:46
中国王朝が短命なのは面積が広く人口が多いため、大きな反乱が起きるとそれがドミノ式に連鎖するんだろうな。
内側から崩れやすい。
異民族にも弱いけど、異民族の侵攻で滅んだ例は、晋と宋だけ。
やはり、内乱が一番の原因。


564: オツガイ ◆EAbyJft1LY 投稿日:2010/12/12(日) 20:49:55
という事で、スレタイの話題に戻すけど、やはり僕は唐が最も影響力が強かったと思う。
西域諸国や北方草原地帯やインドや東南アジアや朝鮮、日本にまで影響を及ぼしてる。
上で述べられてたように、西方に製紙法を伝えてたりもしてた訳だし。

565: 世界@名無史さん 投稿日:2010/12/12(日) 20:55:09
漢はどうだろう。
周囲との差は漢時代が一番開いてたと思うんだ。
その頃の日本はまだ弥生時代だったし。

566: オツガイ ◆EAbyJft1LY 投稿日:2010/12/12(日) 20:58:54
>>565
まぁ、確かに漢の時代は周辺で肩を並べる国は、
匈奴ぐらいしかなかったからね。そういう意味では結構影響力あるかも。

567: 世界@名無史さん 投稿日:2010/12/12(日) 21:03:55
>>566
前漢初期は匈奴が優勢だったね。
ただ、武帝の時代になると、立場が逆転。
それ以降は漢とローマの二強かな。
どっちの影響力が強かったのかは分からないけど。

568: オツガイ ◆EAbyJft1LY 投稿日:2010/12/12(日) 21:08:49
>>567
ローマと漢は地理的に離れすぎてるからなぁ。
単純な影響力の比較は出来ないと思うよ。
両国の間にはパルティアやクシャーナ朝などの大国も存在したし。

572: 世界@名無史さん 投稿日:2010/12/12(日) 21:23:15
>>568
単純に比べるのは難しいですな。
ちなみに最盛期の人口は・・・

ローマ(117年) 88,000,000人
漢(2年) 59,594,978人

と、若干ローマの方に分が。
ただ、漢の方が1の桁まで詳しく調査されているようです。

573: 山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte 投稿日:2010/12/12(日) 21:25:20
502-503
今更ですが、7~8世紀の貝多羅葉が、日本に現存しています。
玄奘の時代でも、これだったのでは。

漢は偉大ですが、同時代の周辺の文明程度が低過ぎて、唐ほど国として文化
的影響が目に見えない気がします。
武力で張り合った匈奴にしたところで、文化では及ぶべくも無い。
「倭」が青史に見える様になるのは、確かに漢代ですが。

確か、歴史上の三大王朝を代表する文化を示した言葉がありましたね。
漢書、唐詩、宋画であったでしょうか。
王基の書なども碑文という形で現存していますが、漢の書の影響力は、どの
程度のものであったのか、どなたかご存知ありませんか。

574: オツガイ ◆EAbyJft1LY 投稿日:2010/12/12(日) 21:33:26
>>573
むしろ周囲の文化レベルが低いから、相対的に影響力は高くなってる気がする。
周りがある程度、独自の文化を築いちゃってると影響を受けにくいからね。
と言っても、当時の漢が周辺にどれだけ文化的影響を及ぼしたかは見えにくいね。
周辺諸国における記録が後進地域だったせいで少ないというのもあるし。


引用元: ・当時の世界に対して最も影響力のあった中国王朝





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