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1: 世界@名無史さん
質問っす。宋の太祖趙匡胤の字を教えてください(T.T)
どんなに調べても解りません。お願いします。








192: 世界@名無史さん
戦争弱くても飯が美味くて豊かな文化のある国の住民がいい。
だから漏れは宋マンセーイタリアマンセー

193: 徽宗
>>192
朕もかねがねそう思って、
書画骨董を首都臨安に蒐集し、朕みずからも画を嗜んでおったのだが、
金に略奪されて   (´・ω・`)ショボーンおまけに拉致されて (´・ω・`)ショボーン

軍隊は弱くてもいいけど最低限自国は守って欲しかった。

212: 世界@名無史さん
宋代といえば貨幣経済の大発展。
銅貨との兌換紙幣も発行され、その一方で宋銭が周辺各国にも流通。
日宋貿易でも宋銭を日本に輸入してたのはご存知のとおり。

そのせいもあるのでしょうが、安値で出回っているようです。

214: 世界@名無史さん
宋銭はあまりにも大量に出回ったおかげで未だに古銭としての価値がほとんど無いというのが凄い。
旧家の蔵にカメいっぱいの宋銭があることも珍しくないとか。
209: 世界@名無史さん
中国の食べ物の歴史について、面白い本があります!
張競『中華料理の文化史』ちくま新書、1997

中華料理といえば、誰もが油っぽい炒め物を想像すると思うんですが、
大昔からそうではなかったんですね。

宋代の料理に炒め物はほとんど無く、さっぱりした料理が多かったそうです。
宋代の料理書、『山家清供』を見ても、油を使う料理は数品です。
北宋が金に破れ、南遷してから炒め料理が増えてきたようです。

そして、箸を縦向きに置くようになったのは、宋代からです。
これはテーブルと椅子が普及した為で、箸が卓から転げおちないよう、
縦に置くようになったそうです。日本には唐代までの古い習慣がそのまま
残ったとか。

他、孔子の食卓から毛沢東の好物まで時代を追って書かれてるので
中華料理の好きな方はぜひ。ただし読んでるとお腹が空きますが・・・


232: 世界@名無史さん
中国人の料理研究家が書いた中華料理史の本があって
文庫版で邦訳も出てた。それ読むと、
宋代の料理書の内容を復元すると日本料理みたいなのが出来るそうだ。
今の大鍋で炒めるのが主流の中華料理は元代以後のものらしい。

スレ違いだが、ソウルの宮廷料理店で食べたのもそんな感じがした。
唐辛子はコロンブス以後のものだから当然使ってないわけで。

234: 世界@名無史さん
16以前と以降では、どの国の料理も味にあんまり差が無かったのじゃないかな。
味付けと言う意味で。
日本だって醤油の普及は江戸時代中期以降なわけど、それ以前とでは
随分味が変わったんじゃないのかな?
確かにそれ以前でもタマリやヒシオが有った訳だけど、醤油ほど普及していたとは
思えないからね。

235: 世界@名無史さん
宋の時代は食べ物はそんなたいしたこと無かったのか?

雲南省の納豆とかは、宋にもあったように思えるけども
どうなんだろう?

236: 世界@名無史さん
やっぱり料理って時代が下るほど美味しくなってるの?
古代ローマの料理は現代にも引けを取らないくらい美味しそうだけど。

237: 世界@名無史さん
基本的にうまい料理に必要な条件は、
1)材料の豊富さ(良い鮮度のものが手に入ることも含む)
2)調理に要する時間・食事に使う時間の長さ
じゃないかな?
この2つが無いと料理はうまくならない。

宋代は2)は満たしていたのだけれど、1)はあんまり満たしていないから
(貿易が盛んだった程度)、今と比べるとかなり不味かったと思う。

247: 世界@名無史さん
>>237
ただ料理が発達するためには鮮度の良いものがない
と言う条件が必要じゃなかったっけ?

240: 世界@名無史さん
北宋の宰相蔡京に仕えた料理人が、
金の進行後、南方に逃げてある商家に雇われた。
宰相の料理人ならさぞかし旨いものが作れると期待した主人は頼んだ。
「肉まん(包子=パオズ)を作ってくれ」

すると料理人が答えて
「私は肉まんに入れるネギを切る専門ですので、
 肉まんの作り方を知りません」
上は笑い話だけど、それがリアリティがあるということは、
社会の分業化が進展していたことと、
食文化が進んでいたことを示していると思う

243: 世界@名無史さん
>240
宋代には農民が市場で野菜を購入し、役人に叱られたとの記録があるらしい。
それぐらい、貨幣経済や機能分化、専門化等の近代化が進んでいたのだろう。

244: 濃い散漫
水滸伝は全くの作り話なの?

245: 世界@名無史さん
>>244
史実を元にした小説です。
つまり三国志演義と同類。

ただし、三国志演義は史実にかなり忠実であるけど
水滸伝はほんの小さな史実を何倍にも水増ししてある。
三国志演義が「史実5:創作5」だとすれば水滸伝は「史実1:創作9」くらい。

246: 世界@名無史さん
三侠五義は??
完全に創作??>包希仁なんかは史実らしいと
聴いたが?
三侠五義

三侠五義(さんきょうごぎ)は、中国清代に石玉崑によって作られた通俗小説。北宋時代に実在した名裁判官である包拯と侠客の活躍を描く、公案小説と武侠小説をあわせたような作品である。


248: 世界@名無史さん
包希仁は史実
だけど、名判官だったという話は無く、
名知事でどんな高官とも真っ向から立ち向かった人物だったらしい
それが民衆に受けて公案ものと呼ばれる語り物の主人公として使われたらしい

劉妃と李妃も実在した人物
ただし、劉妃は悪女になってるが、実は全くの逆で
幼少の仁宗を見事に助けた事で有名

252: 世界@名無史さん
宋朝の大きな事件といえばやはり南宋に変わった時だよね。
そのあたりを語ろう。
童貫のような馬鹿が軍を指揮して国が滅びた訳だけど、あれは単に皇帝が馬鹿なだけだと思う。
でも歴史の本を読むと、徽宗より童貫の事を悪く書いてる物が多いのはなぜ?


童貫

童貫(どうかん、? - 1126年)は、北宋末の政治家、軍人、宦官。字は道夫。開封の人。去勢され男性機能を失ったはずの宦官でありながら、多くの妻妾と養子を持ち筋骨隆々とした体躯で顎鬚まで生えていたという怪人物。

書画骨董の目利きであったことから徽宗に気に入られ、宰相蔡京と結託して権勢を極め、また兵法にも凝っていたため禁軍の頂点に君臨し、20年近く兵権を掌握した。しかし、徽宗の贅沢を助長させたため民衆からは怨嗟の対象とされ、蔡京、花石綱等で江南の民を疲弊させた朱勔と李彦、王黼、梁師成と共に「六賊」の一人に挙げられた。また軍費を着服し、私腹を肥やしていたという。後の北宋末を舞台にした小説『水滸伝』でも四奸の一人とされ、悪役になっている。


254: 世界@名無史さん
もし童貫が上手い用兵を使えてたらある程度は抵抗できたからでしょ

255: 世界@名無史さん
あと、金と同盟組んで遼を滅ぼしておきながら、
違約して金まで攻撃して返り討ち、ってのもなかったか?

あれは童貫ではなかったかも知れないが。

256: 252
俺は皇帝が敵を増やすようなマネをしなければ、十分抵抗できたと思うのよね。
そもそもホウロウの乱も朝廷の搾取が原因なんだから、悪いのは皇帝のほうだと思う。
朝廷が反乱を起こしたようなものなのになぜ皇帝を非難する声がちいさいのかな。
ホウロウも梁山泊も生みの親は徽宗なのに。

260: 世界@名無史さん
宋代は鉄の生産量は多かったけど、それが有効に消費されなかったとか。
中国各地に巨大な鉄人像、鉄牛などが残っているけど、武器・建築材料・農具・
鍋・釜・包丁などには少ししか使われなかったと。

263: 世界@名無史さん
>>260
当方の聞いた話では、豊富な鉄の武器を製造する技術が宋→元と継承され
バトゥの西欧侵攻の一翼を担ったと。

 

261: 世界@名無史さん
鉄銭もあったでしょ

262: 世界@名無史さん
あと銅の冶金に使ったというのも聞いた。

286: ■中国の歴史人物を登場させよう!その弐【改】■の1
宋って近代とまではいわんが、近世っていう印象はあるよね。
でも一つ気になるのが、纏足の習慣は宗の時代から始まったらしいこと。
比較的自由なイメージで見ていただけに、ちょいショック・・・

287: 世界@名無史さん
>>286
纒足ってさー。思うにフェチの一種だったんでは?
とも思うわけなんですが……。

288: 世界@名無史さん
纏足の起源って、どういわれているんでしょう?

290: 世界@名無史さん
>288
南唐の皇帝李後主は華奢なダンサーの足を縛って踊らせ萌え萌え。
李後主に続き、北宋の男たちは小さな足に萌え萌え。
いつのまにやら制度化される。

327: 世界@名無史さん
やっぱり亜近代として宋代は魅力ありますね。
しかし王安石を語る人たちは何故いないんだ…
あれに成功していれば、もっと長生きしたと思うのに。

詩人としては蘇軾は上だと思うけど、政策的にはなんだかなあと思う


220px-Wang_Anshi


王 安石

王 安石(おう あんせき、天禧5年(1021年) - 元祐元年(1086年))は、北宋の政治家・詩人・文章家。

新法党のリーダー。神宗の政治顧問となり、制置三司条例司を設置して新法を実施し、政治改革に乗り出す。文章家としても有名で、仁宗に上奏した「万言書」は名文として称えられ、唐宋八大家の一人に数えられる。また詩人としても有名である。

新法

王安石は若手の官僚を集めて制置三司条例司という組織を作り、改革を推し進めた。1070年(熙寧5年)には首席宰相となり、本格的に改革を始める。新法の具体的な内容に関しては新法・旧法の争いを参照のこと。王安石の新法の特徴は大商人・大地主達の利益を制限して中小の農民・商人たちの保護をすると同時に、その制度の中で政府も利益を上げるというところにある。

失脚

まず1074年(熙寧7年)に河北で大旱魃が起こったことを「これは新法に対する天の怒りである。」と上奏され、これに乗った皇太后高氏・宦官・官僚の強い反対により神宗も王安石を解任せざるを得なくなり、王安石は地方へと左遷された。新法派には王安石以外には人材を欠いており、王安石の後を継いで新法を推し進めていた呂恵卿などは権力欲が強く、新法派内部での分裂を招いた。翌年に王安石は復職するが、息子の王雱(おうほう)(1044年 - 1076年)の死もあり王安石の気力は尽きて1076年(熙寧9年)に辞職し、翌年に致仕(引退)して隠棲した。

1085年(元豊8年)に神宗が死去し、翌年には王安石も死去する。


328: 世界@名無史さん
もし王安石が勝ってたら
というIFもおもしろいかもしれない

343: 世界@名無史さん
王安石って、一度失脚して、もう一度執政に復権した後は改革の情熱が
なくなっていたのでは? でも、あれほど足の引っ張り合いが激しい中
国の官僚制度の中で、具体的な改革を進めたんだから、すごいと思うわ。
儒教が強い中国で、国が農民に金を貸すという発想をするのはすごい。

344: 世界@名無しさん
自分としては王安石が何故ああいう発想ができたか、という思想形成に興味
がある。出自の地域性(江南という経済先進地)からなのか、時代の気風な
のか、何か外に理由があるのか。
そこらのことが書いてある本、論文等で良いのがあったら教えて下さい。

430: 世界@名無史さん
質問です。
新法党と旧法党、結局、どちらがまともだったの?

438: 世界@名無史さん
>>430
そもそも「新法党」「旧法党」なんて二大政党みたいには存在していない。
そんなこといってるからダメ!

432: 世界@名無史さん
どちらがより現実に対して有効な施策を取り得たか、てこと?

435: 永遠の青 ◆V9k1yZSe4M
>>432
青苗法と市易法は、貧乏な農民や商人を保護することによって、
中産階級である自作農や中小の商人を増やして、納税者を増やそうという政策。

募役法は、政府が農民に課していた労役の一つである租税の輸送の仕事を廃止し、
代わりに租税の輸送の仕事にあたる人間を国で雇うための税金を集める法律。
租税の輸送の仕事はマジで負担がキツかったので、これも農民を保護する政策です。

均輸法は政府が直接商業活動を行うことによって、
商人の儲けを減らして、政府の取り分にしてしまう政策。

保甲法と保馬法は、辺境の農民に軍事訓練や軍馬の飼育を義務付け、
民兵を育成して軍事費を減らそうという政策です。

最初の3つの政策は、貧民層を中産階級に育成する政策ですが、
貧民層を安い賃金で使って儲けている金持ちには優しくない政策です。
均輸法は商業活動そのものに優しくない政策です。
最後の二つは辺境の農民には優しくなくて、国の懐には優しい政策です。
しかし、青苗法と募役法で農民の所得を増やそうとしているので、
この二つが成功して農民の所得が増えれば、
十分新しい負担に耐えられるという計算があったのでしょう。

現実論で考えるなら、財政難に対処するには、
納税者を育成して税収を増やし、国家歳出を削減して、
国家財政を健全化させようという新法の方が有効な施策です。

433: 世界@名無史さん
新法党政権の時に国庫歳入が増加・蓄積し、旧法党政権がそれを食いつぶすというパターン
だったのはたしか。

434: 世界@名無史さん
ただ、国庫の歳入が増えるってことはそれだけ搾り取るってことだかんな
うちの大学は司馬光マンセー教授と王安石マンセー教授でいまだに旧法党vs新法党してる

435: 永遠の青 ◆V9k1yZSe4M
>>434
>ただ、国庫の歳入が増えるってことはそれだけ搾り取るってことだかんな

新法は基本的に、搾り取る相手からたくさん搾り取れるように育ててやる政策です。

459: 世界@名無史さん
実質的に新法が施行されたのは華北のみ。つまり、新法は北方異民族対策
のための富国強兵政策だったわけよ。
神宗はそれから異民族を討伐しようとしたけど、王安石は反対した。

だから南宋になったら、新法の必要性が無くなったのは当然。
329: 世界@名無史さん
亜近代っていうより早近世って感じ

330: 世界@名無史さん
唐までが古代?それとも唐からが中世?
中国史での「近世」って明からなイメージなんですが、
間違ってる?

332: 世界@名無史さん
>>330
西晋まで古代、東晋から唐まで中世。五代十国&遼から清まで近世。辛亥革命から近代。
・・・・・と個人的には思ってるが、細かいつっこみ入れたい奴がたくさんいるんだろうなぁ。
時代区分論はいろんな説があるってことで。それ以上は気にしない方がいいよ。
あんまりこだわってても厨扱いされるしな。

333: 世界@名無史さん
アヘン戦争から文革までが近代
文革終結以後が現代 と思っとります

古代中世近代なんて区分はしょせん西洋史の時代区分を
強引に他の地域にも当てはめようとしたものでしかないので
「古代とは何か」「中世とは何か」の定義次第でいくらでも変わる。

338: 世界@名無史さん
質問です。
宋の軍事システムはシビリアンコントロールと言えますか?

339: 世界@名無史さん
文「官」統制ではあったわな。

340: 世界@名無史さん
中国の歴代王朝は「軍閥と官僚と宦官の三権分立」みたいなところある。
この三者の権力がうまくバランスしてると政治が健全になる。
うまくいかない場合って、王朝の「前期は軍閥が強く、中期は官僚が強く、後期は宦官が強い」
というのが原因だったりする。
宋はそういう意味ではヤケに「官」が強かったという特徴はあるでそ。よくもわるくも。

341: 世界@名無史さん
そこに外戚もからむ

352: 世界@名無史さん
漢~清の中で宋の官制が一番複雑怪奇だな。特に軍制についてはさっぱりわからん。

353: 世界@名無史さん
唐~五代にあれほど社会問題(?)となっていた節度使が宋ではほとんど名ばかりの存在になっていたりする。

354: 世界@名無史さん
>>353
位だけは高いんだけどね。

357: 世界@名無史さん
官制についていうなら、いちばん複雑怪奇なのは唐で、宋はそれをかなり整理したときいたが?

358: 世界@名無史さん
>>357
安史の乱以降の話かな。
それまでの唐の官制は簡単に表にできる程度のものだよ。

359: 世界@名無史さん
両税法に移行したあとも、均田制のための官職を必要が無くなったのにそのままにして
冗官となっても人を割り当て俸禄を支給し続けたんだっけ。

376: 世界@名無史さん
概説書をぼちぼち読んだだけですが、結局、中国では日本の京都学派のように
「唐宋変革」を高く評価していないのですね。封建前期から後期への移行とい
う位で。

378: 世界@名無史さん
>>376
そりゃ中国では「唯物史観」が絶対だから
それに反する学説なんか認められない。

中共は実際にはほとんど共産主義なんか捨てられてしまって
看板だけの共産党なのが実情なわけだが、
そういう実利と結びつかないところでだけは
却って依怙地に共産主義を墨守してるように思える。

381: 世界@名無史さん
宋史   496
明史   336
新唐書  225
元史   210
旧唐書  200
旧五代史 150
金史   135
史記   130
晋書   130
漢書   120
後漢書  120
遼史   116
魏書   114
宋書   100
北史   100
隋書   85
南史   80
新五代史 75
三国志  65
南斉書  59
梁書   56
北斉書  50
周書   50
陳書   36

382: 381
>381は二十四史の巻数。
宋史がダントツの長大さを持つ。

383: 世界@名無史さん
宋史は量が多いだけでなく
記載内容の正確さでも群を抜く。

そのかわり面白さは最低。
記録文書をそのまま載せただけのような内容なので
読み物としての配慮は全くない。

384: 世界@名無史さん
>そのかわり面白さは最低。
>記録文書をそのまま載せただけのような内容なので
>読み物としての配慮は全くない。
 
それが脱脱を長官とする大元帝国の史局の能力。

385: 世界@名無史さん
>>384
金史の方はカナーリいい出来なんだけどな。

388: 世界@名無史さん
宋史、遼史、金史が蕪雑にしてかつ量が多すぎ利用しづらいので、
明の時代に至って三史を再編し「宋史新編」二〇〇巻が編集された。
正史の地位に登るのはいつの日か。

390: 世界@名無史さん
そういえば以前「清史」が完成したとか、のニュースはどうなったろう。
共産党が記念プロジェクトで編纂していた事業だが。

401: 世界@名無史さん
大学の演習で、宋遼金三史は突貫で作られたので出来が悪いって聞いたような。
つーか二十二史箚記でそこのとこ読まされたんだよな~。

406: 世界@名無史さん
南宋の軍閥って、特定の地域に地盤を持ってたんでしょうか?
唐の藩鎮や日本の戦国大名と違って、イマイチ根っこが弱くみえるんですけど・・・。

409: 永遠の青 ◆V9k1yZSe4M
>>406
ええ、みんな封建領主並みの領地持ってましたよ。
特に、秦檜に潰されること無く、
四川全土を世襲領土にしてた呉氏は有名です。

410: 世界@名無史さん
四川全土が領土じゃ
世界的に見ればかなりの大国並みだな。

411: 世界@名無史さん
>409
ご教授、ありがとうございます。
結局宋代で、封建領主的な軍閥が存在したのは、四川の呉氏を除けば、
南宋初期のプレ秦檜時代だけということになりますか?

412: 永遠の青 ◆V9k1yZSe4M
>>411
右丞相趙葵、京湖安撫制置使(京湖地方総督兼方面軍司令官)孟珙といった後の抗金戦争の英雄達も、
軍管区内の軍政の権限を与えられ、絶大な権勢を振るいましたが、
あくまでそれは中央政府から与えられた権限の範囲内であり、
南宋建国期の軍閥のように、中央政府の統制下から離れることはありませんでした。

452: 世界@名無史さん
そういや、ある本で
宋の太祖が「南人を宰相にすべからず」
みたいなこといってたっけ?
だから、南人の王安石が宰相になった時は、
太祖の言葉でモメたとか書いてあったけど。

453: 蔡京
>>452
太祖陛下は北人だからな…
南唐の後主の軟弱ぶりを嫌っていたし。

454: 世界@名無史さん
とはいうものの、宋の太祖といえば、
柴氏の保護と、石刻遺訓だよね。


石刻遺訓

石刻遺訓は、趙匡胤が石(鉄という説もあり)に刻んで子孫に伝えた遺言で、宋朝の皇帝が即位する際、必ずこれを拝み見ることが慣わしとなっていた。ただし、その存在は秘中の秘とされ、ごく一部の宮中の人間にのみ伝えられた以外は、宰相ですら知らなかったという。金軍の侵入で王宮が占領された際に発見され、初めてその存在が明るみに出た。

そこに刻まれていた遺訓の内容は以下の2条である(『宋稗類鈔』「君範」、陶宗儀『説郛』によれば、正確には3つあり、第3条は上の2条を子孫代々守れという内容であった)。

    趙匡胤に皇位を譲った柴氏一族を子々孫々にわたって面倒を見ること。
    言論を理由に士大夫(官僚/知識人)を殺してはならない。

この2つの遺訓が歴代の宋王朝の皇帝たちによって守られたことは、南宋が滅亡した崖山の戦いで柴氏の子孫が戦死していること、政争で失脚した官僚(新法旧法の争いでの司馬光や対金講和派の秦檜など)が処刑されず、政局の変化によって左遷先から中央へ復帰していることが証明している。


456: 蔡京
柴氏の保護…太祖だけだな、前王朝の子孫をあそこまで優遇したのは。
待てよ…しかし、子孫はその恩を忘れ、山東の盗賊団に加わって
朝廷に歯向かってきたような…

それにしても、太祖や太宗皇帝陛下ですらできなかった燕州の奪還を成し遂げた
我が友、童貫は大したものだて。

464: 世界@名無史さん
南宋が滅亡した時に、国に殉じた士人が多かったのは、
どういう理由から?
宋は給与が高かったから士人の忠誠心が高かった…とか
いう文章を読んだ覚えがあるけど。

465: 世界@名無史さん
>>464
宋だけが特別多いのかな?
あの明でさえ、けっこういたらしいですYO

それにしても、宋って、いわゆる「暴君」というのがないですよね?(いるのかな?)

比較に意味がないかもしれないけど、たとえば劉宋の皇帝なんかはすごいじゃないですか。
こういうのって、家系的というか、遺伝的なものなんですかね。

466: 世界@名無史さん
>>465
宋にはいわゆる「暴君」はいませんね。「暗君」ならいますが。

やはり太祖の遺訓である「言論によって士大夫を殺してはならない」が
効いているんでしょうね。宋朝は全般的に人を殺すことの少ない王朝で
あったイメージがあります。

467: 世界@名無史さん
>>465
宋ではそれだけ統治システムが完成、安定してたということだよ。

漢では皇帝の能力が高ければ名君、暴君として強力に君臨したが
皇帝の能力が低いと支配力も弱まり統治が行き届かなくなってしまった。

宋には名君も暴君も居ない。
宋では皇帝個人の能力なんかどうでもいいくらいに
統治システムがしっかりしてたということだ。
宋の皇帝はただ天子として宮殿に居ればよかったのだ。

宋以降は禅譲も革命も無くなった。
宋までは王朝の力が弱まれば
強いやつが「よし。俺が皇帝になってやろう」と思うことができた。
しかし宋以降では王朝は絶対的な不動の存在になり
「よし。俺が皇帝になってやろう」なんて考えられなくなった。

宋以降は外からの征服でしか王朝交替が起こらなくなった。
蒙古に征服されて宋が滅び、蒙古を追い出して元が滅び、
清に征服されで明が滅びそして清が追い出された。
国内での革命など考えられない社会になったのだ。

470: 世界@名無史さん
>国内での革命など考えられない社会になったのだ。

ほえー、朱元璋たんの紅巾の乱は革命じゃないとでも?
李自成の乱は明を亡ぼしていますが?

469: 世界@名無史さん
>>467
明が滅びた経緯をお勉強しなおしましょう。

478: 神宗万暦皇帝
>>469
断じて朕が原因ではないぞ!

468: 世界@名無史さん
システムが整備され出すと、なにかとイレギュラーの介入が少なくなったのかもしれなくもない事は確か。


引用元: ・中国は宋王朝について






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