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1: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/10/25(水) 18:38:08 ID:roMK96qx0
ちゃんと評価してやれ








288: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/11/09(金) 13:04:23 ID:qDwGRCpt0
関羽を呉との挟撃で撃破、
孔明の天下三分の計を破綻させ、
圧倒的戦略優位を確保して後は持久戦の末、
孔明の北伐を阻止。

曹操の官渡の戦いの様に一かばちかの勝負はせず、
勝つべくして勝ってきた人物だから面白みにはかけてるね。

290: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/11/10(土) 05:20:54 ID:n4iPdMwIO
>>288

勝つべくして勝った人物だから、面白かった

私は、危険な勝ち方をした人より、安全な勝ち方をした人のほうが好きです

291: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/11/10(土) 09:04:26 ID:rXgxCibW0
本人にしても諸葛亮より勝負師としての勘が優れてただけで、
素の力は及ばないと思ってた節があるように思うけど。
孟達強襲はどう考えても博打。
また北伐の戦略的優位を確保できたのは明帝の援助が強力だったから。
三少帝らが指導者ならどうなってたか分からない。

292: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/11/10(土) 11:49:11 ID:J0rdS1g/0
蜀への遠征は何度も上申しながら生涯一度も認めてもらえなかったあたり
司馬懿では蜀を落とせないと明帝からすら思われてたんだろうな。
臍を咬む思いだったろう。

293: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/11/10(土) 13:35:01 ID:I9WADYMKO
そんな事やってない。
そもそも仲達は、曹真が生きていた間は、
対呉方面担当。

一度、曹真主導で蜀攻撃が行われたが、
長雨のため交戦することは無かった。

294: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/11/11(日) 03:42:01 ID:YtnLKe250
>>293
つ 辛ピ伝

297: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/11/12(月) 13:21:14 ID:IQdLXsEC0
>>294
それ。「司馬宣王が諸葛亮と戦いたいと言ってきたが、明帝は許可しなかった。」
というやつのこと?

それは蜀の攻略がどうのという話じゃなく、
五丈原での対陣中のはなしだぞ。

それについて諸葛亮伝の注の漢晋春秋に諸葛亮が
「そりゃただの演技だ。」と言った記述がある。

299: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/11/13(火) 23:38:42 ID:yOB/ugHQ0
>>297
>「司馬宣王が諸葛亮と戦いたいと言ってきたが、明帝は許可しなかった。」

この箇所は辛ピ伝では五丈原対陣中の話とは書いていないよ
事実はどうかわからないが陳寿の書いた文面上では
青龍二年より前のこととされている。

300: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/11/14(水) 12:21:04 ID:3OrzbKms0
第5次北伐の前に方針は決めてあったろうね。

でも「孔明が出てきたら周りの将軍たちが煩いんで戦ってもいい?」
というのと蜀攻略に遠征にいくのとでは訳がちがうよ。

魏首脳の戦略は持久戦なのに、
長安駐留軍の戦意が高くてなかなか押さえが利かなかったみたいだね。

301: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/11/14(水) 20:19:42 ID:uSgZHP2H0
戦意は高くとも士気は低かったのか、戦意が高いのに戦えない事でフラストレーションが高かったのか、
兵士と長安住民の間で結構問題が起こってるんだよな。

304: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/11/29(木) 19:24:50 ID:LDmJIZINO
結局三國志って司馬家の一人勝ちじゃないか?
日本でいえば家康みたいな。

305: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/11/30(金) 06:41:03 ID:dbsVs2Jy0
なんだかんだで中原への居住規模を拡大した異民族連中が真の勝ち組

306: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/11/30(金) 09:26:50 ID:UjlB/0990
そうとう後まで考慮したらなw

307: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/11/30(金) 21:47:51 ID:3TCOELPS0
ある意味じゃ、魯粛が強力に推し進め、諸葛亮が堅守した天下三分は
司馬一族による統一の踏み台なんだよな

309: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/12/06(木) 10:41:54 ID:xBDcOdHV0
江南開発に成功した孫家が最大の功労者

319: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/12/26(水) 00:16:04 ID:FkeCf2hf0
晋書演義を書いて大ヒットさせればいいと思うよ。

司馬懿は軍略家としてはこの時代屈指で、諸葛亮では話にならない。
だけど戦闘指揮がイマイチって感じだ。「良家の坊ちゃん」ってイメージ。

一方諸葛亮は堅苦しい性格のせいか軍略は並だけど、
本人の自負を信じるなら野戦の陣頭指揮は一端のものだったようだ。
(蜀の軍制や軍備も込みでだろう。これも諸葛亮が整えたものだが)

と、考えると、討って出るなという司馬懿の方針やその理由、
北伐で諸葛亮が大敗せず、張コウを射殺するなど局地戦では
何度か戦果があることなど、色々辻褄が合う。

320: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/12/26(水) 00:18:23 ID:c4n7cE6f0
>>319
公孫淵討伐や皇族監禁は「良家の坊ちゃん」にゃ到底できないけどな

332: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/12/30(日) 17:58:32 ID:IVuwRwVf0
司馬懿は軍人としてはまぁまぁ政治家としては良い程度
是ではメジャーにはなれないだろ・・・・
司馬懿は運の強さだけは他の三国人物より群を抜いているけど、
やっぱり歴史全体から見ると並みの人物

333: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/12/30(日) 18:02:07 ID:IVuwRwVf0
司馬懿の存在感は少なくとも(能力的にもね)関羽より上なはずなのに、
関羽が関帝として祭られたのに
司馬懿は関羽より無視された存在として扱われているんだよな。

335: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/12/30(日) 19:35:47 ID:sTA6cZ1w0
>>333
司馬懿は例え祭ったところでなんの役に立つか分からないしね。
関羽の場合は例えば、そろばんの開発者、元塩業者というところから商売の神
如何なる時も忠節を尽くた義理堅い性格から、国を纏めるためにも有効だったので護国神
当代きっての豪傑であったため武神

など多種多様な尊信価値もある性格だったので自然と神になった。
司馬懿は残念ながら後世では曹操と同じく、天下簒奪の徒としか見られていないんだよね。
しかも、曹操にはあり溢れる文才によって近年若干の評価を得られるようになったのに対し
司馬懿には孫が晋という弱体国家を建てるための礎を作ったという功績しかないからね。
晋がせめて統一王朝として、漢王朝並の歴史を歩んでれば評価も変わったかも。

346: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/01/06(日) 11:01:05 ID:A3x9gIGrO
司馬懿がメジャーになれないのは、
それこそ光武帝同様に、なんていったらいいのか、
とにかく大衆的注目を浴びれる位置にいないからだろう。
光武帝は非常に優秀でありながら
漢高祖や劉備などと較べると一般的な知名度や人気という点で劣る。
これはドラマ性に欠ける(ようにみえる)からだろう。
人格者で、長期統一王朝の開祖である光武帝がこのざまなんだから
陰謀の臭いがぷんぷんしてくるこいつがメジャーになれるとはとても思えんな。
日本でも有名な諸葛亮と戦って、
更に孫が皇帝になったからって
諡号を贈られ皇帝扱いされながらも
今日このざまなのは仕方がないんじゃないの?

349: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/01/17(木) 19:29:49 ID:ZCFrNiqC0
晋が弱小国家だったからな。

351: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/01/23(水) 13:58:57 ID:pwZwMZxj0
>>349
弱小と言うわけでもないと思うが。

滅び方があれだけど。

352: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/01/26(土) 10:57:18 ID:X5ce0fnlO
充分メジャーじゃね?
『学習漫画世界の歴史』で、三国志関係の人物で名前が出てきたのは、
張角・董卓・劉備・関羽・張飛・孔明・曹操・司馬懿・孫権
の9人だけ。
この僅かな中に選ばれてるんだから。

353: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/01/26(土) 18:08:23 ID:+cE4k/V+0
えらく蜀に偏った人選だな。

354: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/01/26(土) 19:02:29 ID:xQ0s9m8O0
それが世の中の常識ってこった。

356: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/01/31(木) 04:09:43 ID:dlCULz8I0
司馬懿がメジャーになれないのはマイナークラスの器を出きってないから
じゃん。晋書を読めばたしかにメジャークラスな気がしてくるが晋書自体
24史でも評価が糞から数えて何番目だし。

頭は悪くないが高次の政治は弱かった。息子もその点は実は弱かったと
思われる。東晋含めて政治に優れた司馬の皇帝は非常に少ないのでそういう
血統なんだろう。
だから影にソコを強力に補充できる賈充みたいなのが重用されるんだろう。

戦争の時多数の兵隊を指揮するのは優れていた。
が政治的な駆け引きが欠けているため中央とのやりとりが上手くなく
行動が制限されたり超一級の戦功が上げ難く、メジャー昇格最低条件の
蜀攻略をやらせてもらえず建国も出来なかった。

司馬懿の場合 曹操と同年代であったとしても後漢の後を襲う統一王朝
を建国できただろうなという気がしない。
やっぱマイナークラスに落ち着くんじゃねーの。

357: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/01/31(木) 21:36:38 ID:pJuYirtq0
司馬懿の能力評価にはある程度頷けるが、
だからマイナー、とは繋げられない。
欠点を述べ立てるなら諸葛亮も同じくらい列挙できるからね。
統一できなかったという点を突けば曹操に対しても可能だ。
ていうかこの二人は単身でそんなに「高次の政治」が得意か?
二人とも群に秀でた能力によって求心力を持ったタイプだろう。
晋書の史書としての評価も全然関係ない。

司馬晋と劉蜀のイメージの分かれ道というのは、
つまりは三国演義に至る道筋だろう。
晋が漢魏晋という流れに位置し、統一王朝だったが故に、
その狭間に埋もれてしまったこと。
蜀漢が短期で滅びたにも拘らず南北朝時代の形勢によって
「拾われ」て、「正統」「信義の国」というイメージが醸成されて
演義の成立に至ること。

358: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/02/02(土) 23:37:40 ID:/WJxIWLV0
どうかな。諸葛亮と司馬懿の能力差云々はお腹一杯だから、
諸葛亮と司馬懿の能力が同等とは思えないがそのことはいいや。
人の能力など曖昧なもの。それに上下をつけるなど下世話な話だし。
(アンチ蜀の諸葛亮に対する誹謗中傷は全て白紙だ。
 正史に対する知ったかぶりどものたわごとに過ぎない)

でも、諸葛亮が貢献した劉備勢力の一県から益州・荊州獲得という躍進
及び漢中における曹操を撤退に追い込むという歴史は、詳細はどうあれものすごくドラマチックだ。
諸葛亮一人の力ではないにせよ、伝説を生んでもおかしくない

それに比べて司馬懿の人生は中国歴史上ではよくある話。隋の楊堅ですら、
決してメジャーではないのだから、十分、評価されている方だと思う。
曹操は悪役とはいえ、強烈なキャラクター。これはメジャーで当然だ。

また、漢の天命が、統一もできず短命に終わった魏に行ったというのも、
天命という概念からいけば、あまり納得いかない話。
蜀漢が後漢の天命を一応、継いで、滅んでから、数年天命が宙に浮いた後、晋に行ったという方が
(中国人の心情として)なんとなく納得できる。
諸葛亮が漢の最期の天命を守ろうとした悲劇の丞相という位置づけも不思議ではないと思う
司馬懿にはそういう物語性がない。しょせんは、天命怪しき魏の実権者。
呉蜀を滅ぼし、皇帝に自分がなっていればメジャー昇格だったとは思うが。

360: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/02/03(日) 18:53:06 ID:Jz7zo8sZ0
>>358
君にとっては蜀漢程度の軍閥を作るのが「伝説」と評価して
天下の3分の2を占める魏のトップに立って、
一時とはいえ全土統一して150年続いた王朝の開祖になることは「よくある話」なわけ?

余りにも見方が偏りすぎじゃないですか?
州レベルで独立した軍閥を作った人が中国史上どれだけいることか。

361: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/02/03(日) 19:57:19 ID:lpWN65x50
結局メジャーマイナーて一般人の人気と知名度に過ぎないんだよね。
たまたま三国志という大衆小説でfeat.されたんで超メジャーな諸葛亮
もいれば、李元昊だって十分優れた人物だが知名度0のため超マイナー
なわけでw

能力や事跡とは正比例しないのだ。 司馬懿は三国志のお陰で十分メジャー
でしょ。あの世でほかの英雄達から羨ましがれてると思うよ。

が中国史で彼らと同等以上に優秀で実績があっても一般人に知名度0
なのは腐るほどいる。残念ながら知らないものは評価対象外なので
なんかでfeat.されない限り悲しいかなマイナーなのである。

363: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/02/04(月) 17:21:16 ID:hoFX78T20
>>361
やっぱり演義の影響は大きいよね。
この人の軍歴で一番多く戦ってるのは実は呉軍だしね。
呉軍を何度も撃破してるのにそれについて言及されることは殆ど無い。

367: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/02/06(水) 16:03:54 ID:e3GQmnvu0
この人の人生って大乱世なのに、
ずっと右肩上がりですからな。

明帝に疑われて、一時官職を剥奪されたというのは創作だし。

372: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/02/08(金) 16:18:06 ID:32KIMRs00
色々あっても司馬炎から100年以上も続いてるんだから、
それはそれでたいしたもの。

江南の大規模な開発にも成功。
文化も栄えた。

375: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/02/09(土) 19:37:00 ID:3EO83AAnO
司馬懿はどう考えてもメジャーだろ
三国志を軽くかじっただけの人でもみんな知ってる
三国志関係以外で名前がメジャーな人なんて最近の人物を除けば孔子くらいのもんだ
唐とか明とか国号は知ってても建国者の名前なんて知らない

376: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/02/10(日) 13:45:23 ID:N5w08lV60
始皇帝の本名は誰も知らんし、
チンギス・ハンと劉邦ぐらいかねえ。

ヌルハチとか名前は知ってても何者かは知らないだろうな。

379: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/02/10(日) 14:18:03 ID:aphLIL/s0
>>376
楊貴妃と玄宗皇帝なんかもいるな
後はラストエンペラー溥儀とか

381: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/02/10(日) 18:11:18 ID:9MIczvye0
世界史レベルなら、始皇帝、チンギス、孫子、孔子、他数人ってとこだな。
そんな話は誰もしていないw

382: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/02/10(日) 18:32:26 ID:VqqP+8ZyO
項羽と劉邦忘れんな!

それと、麻雀好きなら、股くぐりの韓信は有名人

384: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/02/12(火) 01:58:19 ID:M3uJ7r7j0
高校の教科書に載ってたのは曹操・孫権・劉備+孔明だったな

385: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/02/12(火) 06:26:24 ID:NRF1jZrDO
うちの高校の世界史の教科書に載ってたのは、曹丕・劉備・孫権。

388: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/02/13(水) 11:17:59 ID:WUuORhSh0
そりゃ三国時代なんぞ長い中国史の中のほんの一瞬の出来事に過ぎんしな
世界史の教科書的にはより重要な物事が多かったということ

401: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/02/22(金) 23:51:30 ID:IUvjxmL50
中国史でもトップクラスの400年続いた漢王朝が絶えたのは三国時代があったからで、
何故そうなったのかといえば太守が軍を持てるようになって戦国時代が訪れたからで、
何故軍を持てるようになったかというと黄巾の乱があったからなわけで・・・

張角が一番重要なんではないだろうか

403: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/02/27(水) 11:37:40 ID:3oFX6C1D0
高校の頃の漢文の授業で

しばしば司馬懿

という突っ込んでいいのか悪いのか微妙な出だしで
教室がざわついたのを覚えている

404: sage 投稿日:2008/02/27(水) 12:18:58 ID:UiHvvLfQ0
それで教室がざわつくほどの知名度があるなんて、素晴らしいことじゃないか

でも歴史上司馬懿のファンを公言した人はいたのかな?
諸葛亮や曹操は西晋時代から、諸葛亮には劉弘、曹操には陸機と大物がファンについている
個人的には好きだが、やっぱり司馬懿はファンに囲まれるタイプじゃないか

405: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/02/27(水) 12:24:47 ID:7guLuHNQ0
いや、単なる語呂の問題でざわついたんだろう。

407: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/03/03(月) 21:01:46 ID:r4KrYOKq0
もうどうでもいいよ。三国志にでてこなければ、ファンがつくほど魅力ある人物じゃないだろ
こいつの生き方見習っても、ただのいやなせこい奴になるのが関の山だし

408: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/03/03(月) 22:26:41 ID:9b2QlP0R0
創業者らしい明るいエピソードとかあんま無いのな

412: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/03/14(金) 10:01:18 ID:OUWV+mPV0
蜀に大勝したわけじゃないし、魏の乗っ取りや呉平定に活躍したのは息子や孫

事跡でハッキリしているのは、せいぜい政治上のライバル曹爽を駆逐して、
晋建国の基礎を築いたというぐらいしかない

あとは、軍事上のライバル・張コウに無理な追撃戦を命じて死亡させたとか、
牛金を毒殺したという噂がある程度でしかない

413: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/03/14(金) 10:06:58 ID:xXxEroL70
ライバル?
張コウなんてもう既に官位で追い抜いてるんだが…
それもかなり圧倒的に

414: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/03/14(金) 10:23:08 ID:OUWV+mPV0
>>413
当時、張コウは車騎将軍(征西車騎将軍)、司馬懿は大将軍
官位でそんなに差はない

それに、権力という点で見れば歴戦の武将として文官の司馬懿以上に
軍や兵士たちからの支持があったので、司馬懿が専横を働いたとき、
軍事力でもってこれを粛正する実力があった

418: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/03/14(金) 13:50:18 ID:xXxEroL70
>>414
そんなに差はない、だと?
全然違うじゃないか
大将軍は一品官、車騎将軍は二品官
格が全然違う

419: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/03/14(金) 16:41:16 ID:OUWV+mPV0
>>418
その程度で「格が全然違う」とかいうような世界じゃないでしょ。
政治的影響力では文官の司馬懿が勝るけど、軍に対する影響力のある張コウは、もし反対派にまわれば、司馬懿にとって危険。
シビリアンコントロールの日本においても、防衛大臣が制服組に絶対的な影響力を
持ち得ないように、武官のトップ、つまり制服組のトップの張コウは司馬懿にとって潜在的な脅威になりうる。
軍事力は、簡単に物事をひっくり返すからね。
だからこそ、今は自分にとって反対派ではなくても早めに始末しておくべき対象だったことは
十分に考えられる。
もっとも、あくまで司馬懿が張コウを死地に追い込んだというのは、推測でしかないけどね。

420: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/03/14(金) 17:12:36 ID:xXxEroL70
>>419
格が全く違う
一品と二品の間には高い壁がある
特に大将軍は常任の将軍ではなかったので絶大な権限を持っている

第一大将軍は文官じゃなくて武官
元々対蜀担当になる以前は荊北方面の司令官として軍の重鎮だ

415: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/03/14(金) 10:51:37 ID:OUWV+mPV0
ちなみに、牛金の死因についても俗説の「玄石図(馬の後を継ぐのは牛)問題」ではなく、
牛金が曹仁子飼いの郎党から曹仁によって引き上げられ高位に上った人物であり、
それゆえに曹氏に忠誠心が厚く、それを圧迫する司馬氏を憎んでいた反司馬派の
武将であったゆえに謀殺され、それが玄石図のような俗説となって口コミで残ったという
推測をしている歴史論文は、中国の大学でいくつか発表されている。

416: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/03/14(金) 11:53:45 ID:KKWAJGg10
司馬懿の大功といえば遼東平定だろう

421: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/03/14(金) 18:02:57 ID:WrKGtT1CO
そもそも張コウはあの時点で老齢だったと思うが。
司馬懿のライバルたりえる存在とはいえないのでは?
司馬懿もあの時点では、まだ用兵に慣れていない感があるから
(戦術レベルでは諸葛亮に負けてる)
単に采配ミスでは?

422: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/03/14(金) 20:53:46 ID:4rdePE+VO
そう。
政敵排除のために戦死するように仕向けたなんて、
本能寺の黒幕は秀吉説の類のトンデモ論。
諸葛亮の待ち伏せを見抜けなかった、司馬懿の単なる采配ミス。

424: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/03/21(金) 13:45:48 ID:xERGumFV0
黄巾の乱の時点(184年)で韓馥の軍の司馬をやっていたので、若くても20代後半、30歳半ばくらいが妥当な線
30歳だとすると没年の231年時点では77歳
20歳だとしたって67歳
当時52歳の司馬懿が忙殺する必要はないだろう

427: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/03/21(金) 18:25:51 ID:fK1c6F84O
後に曹爽が老齢の司馬懿を疑っていた、ということもあるし、
猜疑心の強い司馬懿のこと考えられなくもないが、
仮に司馬懿が張コウを脅威的存在であると認識していたとしても
「だから処分した」という短絡的思考が妥当とは思えない。

428: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/03/21(金) 20:40:51 ID:NVzkbxvK0
はっきりした敵対関係でもない限り
自分のミスと見せかけて戦死させるなんて普通は考えないよな
いずれ謀反を起こす時にはもっと邪魔なやつがたくさんいるだろうし

445: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/04/15(火) 17:52:59 ID:XQZ/7BSTO
演戯での活躍はこの人の戦歴の一部でしかないしな。

446: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/04/15(火) 19:38:30 ID:FUE102X80
え、全部網羅してるんじゃないの?
遼東遠征も入ってるし。
むしろガイテイを自分の手柄にするとか、水増しされてないか?

447: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/04/16(水) 02:18:51 ID:oAOJwewcO
対呉戦線での勝利は大抵省かれるねえ。
実際は対蜀より対呉担当の方が長い位だが。

449: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/04/16(水) 15:33:06 ID:YlBg99VN0
演義で第一次北伐の迎撃に参加してるのは、
結局空城の計に嵌められるためだろうな。

実際は曹仁の役目を引き継ぐような形で荊州方面指令。
実際に諸葛謹率いる呉軍を撃破して、張覇とかいう将軍を討ち取ってる。

晩年には呉軍のエース格の朱然を大破。
朱然は演義では夷陵の戦いであっさり死んだことにされており、
当然演義には無い。

476: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/05/06(火) 18:11:20 ID:79MZicUb0
司馬懿じたいは凄いんだけど
司馬懿の子孫は暗君ぞろい

448: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/04/16(水) 11:09:43 ID:8rVsCTcQ0
まあ孔明の好敵手として美化されてる部分もあるし、プラマイゼロじゃないかね?


引用元: ・司馬懿はどうしてメジャーになれないのか?







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