41JA1q0jcBL



1: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2005/12/15(木) 19:12:08 ID:HgKAgZ4I0
2chであまり語られてないような・・・








3: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2005/12/15(木) 23:27:25 ID:zt7lAxfp0
ダビデ・ハラ

6: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2005/12/17(土) 01:48:25 ID:xT6fCBWMO
藩閥打倒→政党政治の象徴的存在だから
英雄として語り継がれる可能性は十分にあったけど、
その後の日本の行く末があれだったからねえ。

無理矢理現在に照らせば、細川首相みたいなもんか。


8: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2005/12/17(土) 16:05:42 ID:Kjl74ZDN0
技の○○
力の原敬

10: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2005/12/18(日) 00:08:48 ID:2Mx9zXbb0
政治技術の結晶ですな

11: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2005/12/18(日) 20:28:56 ID:DgXIDQ2l0
原敬は対米対中協調外交の生みの親だし、
藩閥と妥協しつつも政党政治を獲得した
当時としてはベストではなくともベター

1次大戦後の好況下で政権を握れたという幸運も
時代に恵まれたと言えるが、天に愛されたともいえる。



12: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2005/12/18(日) 21:03:12 ID:N9RHnvtx0
中岡艮一にも愛されたw

14: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2005/12/18(日) 21:50:44 ID:TTqmuSEf0
中岡は死刑にして晒しageるべきだった・・・

17: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2005/12/18(日) 23:31:13 ID:DgXIDQ2l0
猪瀬 直樹『ペルソナ―三島由紀夫伝 』の第1章が
原の暗殺を扱っている。細部というかかなり重要な箇所に
誤りが多いが面白い。

ちなみに三島の祖父平岡定太郎は政友会系無い無官僚

18: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2005/12/20(火) 18:09:59 ID:LxBEixxb0
原が死んだあとの政友会の迷走振りは痛いな。

21: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2005/12/21(水) 20:05:43 ID:Sh5a9Kcx0
>>18
後継者を指名していなかった原の責任は否定できまい・・・

19: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2005/12/20(火) 19:50:05 ID:/Vld/Lvq0
原がもっと生きたらいつごろまで普選に反対しただろう。

21: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2005/12/21(水) 20:05:43 ID:Sh5a9Kcx0
>>19
政友会は名望家秩序に依存していたから、原といえど土台を
そう容易に否定できたとは思えない、しかし「原なら」と思わせるのが
彼の力量だろう。日記をいっぱいかいててよかったねw

22: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2005/12/21(水) 20:05:52 ID:1s90Fcbw0
原が目指したのは政友会と官僚との政権交代のシステムだ。政党政治の
確立ではなかった。

23: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2005/12/21(水) 20:20:15 ID:Sh5a9Kcx0
当時、二党の力が伯仲もしくは三党鼎立した場合、
官僚がどちらかに接近して、与党にするかの主導権
を握ることになる。だから原は圧倒的な力を有した
政友会をそだてあげた。

他の政党に政権を渡すという発想は政党政治化として
ありえまい。


25: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2005/12/21(水) 22:30:48 ID:1s90Fcbw0
生きてたら普選が遅れただろうから死んでよかったんだよ。
政友会のためには不幸だったけど。

30: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2005/12/26(月) 23:27:14 ID:d/OJhSHT0
原のあとで原に匹敵するような政党人はいないのか?

36: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2005/12/28(水) 22:09:54 ID:OIPL0LCU0
>>30
原以降だと犬養毅、尾崎行雄かと

44: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2005/12/30(金) 11:28:52 ID:T+5fBjFw0
>>30
やっぱり浜口雄幸だろ。暗殺されたことまで原に似てる。金融政策は悪かったけど。

45: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2005/12/30(金) 11:50:47 ID:AXn/XXVm0
じゃあ生粋の政党人の系譜は、星亨-原敬-濱口雄幸?
暗殺つながりなら、最後は犬養毅かとw

48: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2005/12/30(金) 12:00:07 ID:AXn/XXVm0
では、近代日本を代表する政党人は、星亨-原敬-犬養毅、で決まりということで

まあ官僚経験を言うと、原敬も元官僚なわけなんだがw

51: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2005/12/30(金) 12:36:50 ID:AXn/XXVm0
しかし、考えてみれば、そもそも日本の政党自体が官僚経験者によって作られたものだらけだ

57: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2005/12/30(金) 19:05:47 ID:OYo/GBkM0
原敬は生まれがよくて、家格でまんま華族になれたのに
「平民」であることを強調するために華族を辞退したイヤなやつ。

58: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2005/12/30(金) 19:17:24 ID:7m9V0hrB0
>>57
それもまた民衆の世には必要な処世術。
ふつうの人間は爵位が欲しい欲しいといって、いろんな画策をするもんだ。

59: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2005/12/30(金) 19:23:48 ID:T+5fBjFw0
>>57
陪臣だから華族になれる家ではなかったよ。

60: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2005/12/30(金) 19:36:06 ID:c07ytw7m0
官歴(外務次官・駐朝鮮公使)で爵位は貰えたでしょ。

政友会参加直前に自分の立場を強化するのに爵位を求めた史料が
残っている。一貫して「平民」を志向していたわけではない。

>>57
原は家柄ランキングなら戦前3位、歴代4位だからね。たしかに生まれは良い
政治家は有能ならばそれでいいの。

63: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/01/02(月) 14:26:40 ID:DC2KeEM40
原・浜口クラスでなければ回らないというのはシステムの
問題だな・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

76: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/04/25(火) 04:03:49 ID:mwKEOG+Z0
>>63
違うよ。もともと明治政府は法治と言うより人治に頼っていた。

77: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/04/27(木) 23:00:54 ID:kJRyzEmN0
>>76
>法治と言うより人治に頼っていた

そんなたんじゅんなもんじゃないよ

78: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/04/28(金) 04:56:23 ID:9ar+FBcr0
>>77
そう評されても仕方ない。
内閣と政党は不安定で、憲法外の元老に頼っていたわけだからな。
それが重臣、参議官と変化していくが機能せずに参戦-敗戦となるわけだよ。

元老の最大の罪は制度上の中心たる内閣制度を安定的に維持する
ことを怠ったことだ。政党の党利党略で国家全体を看過する制度にしてしまった
と言うことだ。1889年-1955年までの日本の内閣の短命さはイタリア並だよw

契約より人間関係と言う日本的風土の欠陥が露呈したと言うことだよ。
憲法や法律とは欧米ではもともと神との契約と言う観念から生まれたものだ。
日本でも徳目程度の意味で使われていたが、それさえも維持できなかったのが
明治政府だな。内閣は派閥抗争の場にしかならなかったのだよ。政策不在と言うことだ。

80: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/04/29(土) 02:54:33 ID:K3OwHrwC0
>>78
>内閣と政党は不安定で、憲法外の元老に頼っていたわけだからな。

個人的には、だからこそ原敬にはもう少し長生きしてほしかった。
党内を纏め上げ、元老と渡り合える数少ない政治家だったと思うし。

71: 無色庵 投稿日:2006/03/19(日) 19:24:47 ID:nY3SNQ5g0
山縣有朋を巧く利用していながら、山縣は利用されている気づいていなかった。
原の老獪さは、政治家としてもっと評価されていいはず。

74: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/04/16(日) 16:35:10 ID:ysqXJXmE0
原敬が暗殺されなかったらいつまで首相を続けるつもりだったのか?
ワシントン会議の関係で1922年いっぱいか。
22年9月で政権発足から4年。これで十分長期政権。
それとも衆議院任期満了の24年4月まで居座るのかね?

政権禅譲となったら政友会の総裁を辞任して後継指名?
そうすれば衆議院の第一党総裁が首相になる政党内閣の原則を打ち出すことになる。

77: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/04/27(木) 23:00:54 ID:kJRyzEmN0
>>74
原は官僚に政権を譲渡しようと考えてた。
田・清浦・平田・加藤友三郎あたりかね。
だから坂野先生は原の評価が低い

83: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/05/23(火) 16:36:32 ID:QHEdNgfV0
原がもっと生きたら護憲三派内閣はなかったし普選ももっと遅れた。
しかし、原亡き後の政友会の迷走を見ると、もっと生きて欲しかったとも
思ってしまう。

84: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/05/24(水) 11:06:10 ID:HWA+Pjku0
原敬と山県有朋と加藤高明の関係をみてるとおもしろいね

86: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/05/26(金) 22:56:35 ID:GD3GXyaM0
>>84
若槻礼次郎が回顧録でふれてたな…
加藤は老人を喜ばせることができなかったとか

85: 日本人 投稿日:2006/05/26(金) 20:16:05 ID:Jm1CD/iG0
南部藩の家老の長男。維新の戦いで賊軍となり敗戦。父は切腹。一家は禄と地位を失う。
東京にで新聞記者をしながら大学に通う。苦学の末、政治の世界に踏み出す。
南部の地の支配階級を追われた薩長への恨みをはたすべく。50年後首相となり薩長を中心
とした県令をすべてくびにし、奥羽列藩同盟の藩士を県令に仕立てる。世論もデモクラシーの波でこれを推す。そして殺される。
「平民」としたのは、山形、伊藤他、足軽階級を「士族」としたことに上士である彼のプライドが許さず、自ら「平民」とした。
太平洋戦争の高級軍人には奥羽列藩同盟出身の将官が多い。

87: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/05/29(月) 22:24:52 ID:XpnjgZAz0
>>85
長男×→次男
切腹×→病死
大学×→司法学校退学、その後新聞記者
彼のプライドが許さず―×→衆議院の議席を失うことを恐れたため

88: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/05/30(火) 20:44:21 ID:7qauwYHt0
多少違ったが許せ。50年後に仕返しした男、あだ討ちは武士の特権。

89: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/05/30(火) 21:15:23 ID:390T1IO+O
仇討ちのために日本まるごと滅ぼしちゃダメでしょ…。

90: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/05/31(水) 11:43:32 ID:VabBbbQG0
別に滅ぼしてはないだろwあと、山縣とは協調関係にあったから「あだ討ち」
も微妙なのだが・・

ちなみに政友参加前に権威付けに爵位をほしがった史料がのこっている

91: 日本人 投稿日:2006/05/31(水) 14:05:06 ID:Pqj5TkNc0
山縣、伊藤ら足軽共が考えた爵位にはこだわらず、大化改新以来の官位には
すごくこだわったと聞いた。

92: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/05/31(水) 20:38:12 ID:pVCCYX7L0
爵位を貰わんことにはこだわっていたがな

94: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/06/01(木) 02:17:27 ID:hiTwYV3P0
原敬の後継者って誰?

96: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/06/01(木) 22:29:38 ID:zmZRUtkS0
>>94
支持基盤から見て床次・・?劣化すごすぎる・・・

98: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/06/02(金) 19:41:06 ID:f/0ylUjr0
>>94
高橋是清

99: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/06/02(金) 22:27:08 ID:aoA948Zz0
誰もいないのが問題なんだな

101: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/06/06(火) 22:48:57 ID:6GPO0n3T0
原の評価は人によってまちまちなんだな。

171: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/10/16(木) 21:20:43 ID:W1HFh03S0
>>101
え?そうなの?
この人生きてれば歴史が変わりまくったと思ってたけど。
元老になっただろうし

172: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/10/18(土) 10:52:09 ID:rjyiO11P0
>>171
西園寺は原を買ってたとは思うけど、元老にしたのかどうかはなんとも・・・
後継元老を推薦しなかったのは候補者がいなかったのもあるけど、
元老というシステム自体を自分の代で終わらせようとしてた面の方が強いと思う。

174: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/11/06(木) 01:38:22 ID:Eg5U/O7xO
>>172
アレは斎藤実まで殺されたからでは?
権兵衛にやらせなかったのは軍人嫌いだからだし、
後継者が殺されたから近衛がいつか元老になるのを恐れたんじゃなかろうか。
秘蔵っ子といっても評価してなかったわけだし。

しかし近衛って東條批判やってるんだよな。
東條より何倍も罪深いのに自分で気付いてなかったようだ

103: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/06/23(金) 19:08:33 ID:Ys1PwZDO0
原さんが政党内閣で始めて首相になった人でしょうか。
それとも大隈さんなのかな、諸説あるということ?

108: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/06/24(土) 10:35:49 ID:7+d2SNcy0
>>103

単に政党内閣という意味では、言われている通り、憲政党の第一次大隈内閣が初といえるでしょう。

原内閣が「政党内閣」として評価されるのは、衆議院議員(=爵位、門地ではなく、制限選挙とはいえ国民によって選ばれた)
首相の誕生と組閣の際の独立性にあると思います。

それに、隈板内閣自体、なすところなく内部分裂で瓦解してしまったので、政党内閣支持者にとっては「汚点」でしかないわけで・・・

115: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/08/12(土) 00:25:54 ID:Qj+lbRDfO
歴代総理大臣のなかでも傑出した人物だと思う。もう少し見たかった。

116: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/09/10(日) 06:39:56 ID:C01IEZQG0
原を暗殺したクズ野郎のその後はどうなったんだろう。

117: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/10/15(日) 15:23:43 ID:yUjS3QYJ0
>>116
満州で財をなしたが戦後帰国

120: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/01/09(火) 01:04:56 ID:FIo2oLLb0
原敬って結構おしゃれな人でもあったみたいだね。
当時の新聞にも書かれてたけど、非常にきれいに整えられた髪、どんなに忙しい
日でも毎朝必ず剃刀をあて細毛の一本も見当たらない頬やあご、そして背広やコート
などにも結構こだわっていたらしい。

121: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/01/09(火) 18:11:18 ID:JG0zQkLwO
>>120
原のファッションセンスは「平民」どころかまんま貴族だよ。
暗殺された時はうすピンクと白のストライプ柄の立て襟シャツ。
シャツは下着だから、上着の下に必ずインナーを着衣。
靴は服に合わせて色合いを選び、常にピカピカ。
つま先に折り目のついた靴は履かない。
帽子は必ず被り、最もこだわる。


家老クラスの生まれだし爵位を固辞するのは「平民」の無形価値に気づいてから。
それ以前はむしろ授爵運動してる。

政治家としての手腕は認めるが、庶民派というよりは豪奢な人だった。

126: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/06/10(日) 14:11:46 ID:RJbGq6Rm0
>>121
それは若かりしころ宣教師の書生をしてたからハイカラなんです。
またフランス語の達人で外交官生活が長かったからです。
   

127: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/06/10(日) 14:16:11 ID:ciMa9a580
暗殺理由は、駅員だったテロリストの改札に、原が「お前は原敬の顔を知らんのか下衆が」といって押し通ったのを恨んでたから。

128: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/06/10(日) 14:29:09 ID:RJbGq6Rm0
>>127
×斬奸状にそんなことは書いていない。

129: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/06/10(日) 15:26:30 ID:ciMa9a580
>>128
俗説だよ。19歳の上、ろくに学校も出ていない中岡艮一が斬奸状なんか書けるはずないって所から生まれた。
思想的な黒幕はいたにせよ、何故中岡が原の殺害を決意したかという噂話。
原の気位が高いというのは当時から有名だったんだな。

130: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/06/11(月) 20:54:38 ID:ut4Rc3Lu0
>>129
原氏の人柄は原敬日記を読破すればわかる。気位が高いというか神経質、
その割に信用すると壁を設けない方だったのでは?・・・。
政略結婚した先妻は、別れた後も面倒を見る。後妻は閨閥にとらわれずわが好き
できめる。

131: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/06/19(火) 18:09:27 ID:uO3fIIGr0
山県有朋が暗殺指令やったんだよね?

これにて政治家に対するテロの時代が幕を開けた。

134: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/06/24(日) 10:46:48 ID:HlAF0K2k0
>>131
これはない。原敬自身は身の危険を予見して遺書を認めていたが・・・。
山県の子分寺内・仲小路・・・とはうまくやっていた。

136: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/06/27(水) 21:58:31 ID:s7AMklRq0
原敬って大日本帝国を滅ぼした国賊だよ。

大正デモクラシーがなくて、明治憲法体制が機能していたら
太平洋戦争はなかった。
大正デモクラシーがなかったら、枢密院はどんなメンバーよって構成されていたかと考えればわかるでしょう?

137: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/06/28(木) 15:51:05 ID:OXcPN/pr0
原はデモクラシーには否定的。
そもそも大正デモクラシーって、大正政変の時、陸軍が強引な要求して
西園寺内閣を倒閣したのがきっかけだろ。
米騒動だってシベリア出兵が原因だし。
国民感情読み誤って、むやみに刺激したのが失敗だったな

145: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/07/22(火) 14:42:57 ID:vFYhBEkG0
原敬て偉大?
このスレ見ても結構評価分かれるな

146: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/07/22(火) 15:35:58 ID:J0jooRnL0
政治結果とか行動の善悪の評価で言えばかなり分かれるだろうけど、
この人の政治的な力量に関して言えば、それが偉大であることを否定する人間はあまりいないと思う。

147: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/07/25(金) 10:49:49 ID:hZ27jTeW0
原を立憲の偉人と評価することは出来ない。原が復活継承しようとした桂園体制と
大正デモクラシーは鋭く対立した。

155: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/07/29(火) 06:30:42 ID:uhyUnkyc0
原って有能な割に
成果挙げることが出来なかったね

156: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/07/29(火) 16:49:21 ID:ig7JAuh20
藩閥を打ち破ったて事で過大評価されてるかもね。
有能な人だと思うけど

158: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/07/30(水) 18:09:50 ID:DjHjB9g/0
原と山縣て仲悪いの?
wikiみたら山縣の事、嫌ってたみたいだけど

159: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/07/31(木) 03:14:44 ID:tHAArv180
卓越した政治力は買ってたみたい
原暗殺の報に接した時
ああいう人間をむざむざと殺されてはたまらぬと慨嘆したらしいから

160: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/07/31(木) 05:06:48 ID:YC0qOZRl0
山縣て原のこと結構買ってたんだな
嫌ってると思ってたのに

161: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/07/31(木) 09:35:54 ID:HwTPyf/A0
山縣が反対したら原内閣は出現しなかっただろう。

163: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/08/01(金) 04:42:06 ID:4VIWEg4U0
原が殺されたのは陰謀か歴史の必然か
もし難を逃れても数年後にはまた身を危うくしたろうなぁ

165: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/08/05(火) 01:48:52 ID:iSwVmnUe0
伊藤と原の暗殺は
背後関係を疑って然るべき

175: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/11/10(月) 13:59:48 ID:hUYEFYO80
原敬で大河やらないかな
波乱万丈で面白いと思うんだけど

178: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/11/11(火) 09:51:53 ID:H0bXY2dO0
原敬は嫌い。
選挙目的でローカル鉄道建設を推し進めたから。
そのくせ、レール幅を標準軌へ広げる計画に強硬に反対した。
需要に見合わないローカル線敷設と、
狭軌鉄道の存続という現在まで続く負の遺産の最大の責任は彼にある。

180: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/11/14(金) 15:10:33 ID:6E9QApGj0
後藤新平なんかは、標準軌への改軌を熱心に説いたが、
原敬のような政党政治家は選挙区への気配り第一だから、
「我田引鉄」で、自分たちの選挙区に狭軌のまま線路を引き込むことに
国費を優先して投じようとした。

官僚/藩閥政治家は、長期的展望を持って、鉄道を改善しようとし、
政党政治家は選挙民の支持を集めるために、短期的要求を優先するという違いだ。

もっとも狭軌鉄道が存続したおかげで、
後に高速鉄道には従来幹線を使わずに、
新幹線を作るという発想が生まれたわけで、
結果、どちらが良かったかは不明。

もし改軌が実現していたら、新幹線は生まれなかったと思う。
逆説的だが原敬の方が先見の明があった。

181: 大和中納言秀保 投稿日:2008/11/21(金) 20:33:57 ID:JoYk1rKLO
原敬が暗殺された時に、奥さんに言われた通りに
上にコートを着てれば命は助かったんでしょうかね?

193: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2009/09/13(日) 02:57:51 ID:XAMnUQMv0
原敬の伝記ものってないですか?
是非読みたいのですが

194: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2009/09/13(日) 04:05:51 ID:rDmx/v370
山本四郎『評伝原敬』が一番詳細な伝記。ただし上下2巻で量も多く、
絶版のため入手困難。


引用元: ・力の政治家 原敬について語る







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