a0287992_3324561



1: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/02/20(水) 23:28:20 ID:d3rQoQGH0
岩倉具視(1825~1883)
下級公家と生まれ 朝廷の実権を握っていき
公武合体から倒幕にチェンジ明治維新を成し遂げた

そんな 策士岩倉具視について語ってください








2: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/02/20(水) 23:42:25 ID:StI5qi9JO
誰が孝明帝をお隠ししたのか
誰か岩倉の代わりに答えてくれ

9: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/02/23(土) 20:51:25 ID:PVnhkvj70
維新の功労がなければ岩倉家はどの程度の爵位だったの?

10: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/02/24(日) 02:55:02 ID:7jJbNlP+0
>>9
子爵じゃね??下級公家だろそもそも
それに公爵はおかしいよ天皇を殺しておいてよ
逆賊もいいとこ。

11: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/02/24(日) 21:04:28 ID:K2S9boT50
なんで天皇暗殺容疑がかけられている岩倉具視が500円札の肖像に採用されたのだろう?

22: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/04/22(火) 20:50:22 ID:yfzDoQtm0
永井路子が岩倉の評伝出した。
岩倉は永井路子の長い間のテーマだった公家の政治とか母系の重要性の観点からみると、最後の大物になるのかもしれないな。

あと、岩倉による孝明天皇暗殺説に否定的なのが新味だけど、これはどう考える?

23: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/04/22(火) 21:29:36 ID:iXyPLt+V0
今は孝明天皇暗殺説は否定されつつあるんじゃないの?

佐々木克氏だって昔は暗殺説だったのに
著書で自然死説に鞍替えした事を告白してる。

24: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/04/22(火) 21:32:04 ID:iXyPLt+V0
俺は寧ろ、岩倉が死の直前にキリスト教に改宗したという話に興味あるんだけど
事実なんですか?

岩倉は明治初期のキリシタン弾圧の主要責任者の一人だよね。

30: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/05/26(月) 00:14:33 ID:xkIpo94cO
あの強力、かつインパクトのある顔面からして岩倉は怪しいのである。

a0287992_3324561


41: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/06/02(月) 23:18:33 ID:kDP1ZI9+0
「孝明天皇紀」「中山忠能日記」に見る孝明天皇の臨床経過

12月12日 高熱を発し、苦痛を訴える。(前駆期)
12月15日 手に一対の吹き出物が出来る。(発疹期-紅斑)
12月16日 吹き出物が顔にも出来る。
12月17日 典医十五名は正式に疱瘡と発表。
12月18日 吹き出物が変色して落ち着く。
12月20日 食欲、便通も順調、吹き出物の経過も良好。(発疹期-膿疱)
12月21日 吹き出物から膿が吹き出し始めてさらに楽になる。
12月23日 食欲ますます進み、吹き出物の膿も出てしまい乾燥しはじめた。(発疹期-結痂)
12月24日 この日も葛湯、お粥、ほしいいをとり、便通もあり、天皇の機嫌はますます良好。
12月25日 天皇の様態は前夜から急変、激しい嘔吐と下痢におそわれ、顔には紫の斑点が現れた。
さらには「御九穴より御脱血」、七転八倒の苦しみのうちにその夜遅く亡くなった。

42: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/06/02(月) 23:19:05 ID:kDP1ZI9+0
天然痘は数日間の前駆期を経て発疹期にはいり2~3週間で完治する。
発疹期は「紅斑→丘疹→膿疱→結痂→落屑」と移行。
なお「死亡する場合1週目後半~2週目」とは6日目から11日目前後の化膿期のこと。

孝明天皇は、12月12日前後に発症(15日は公式発表日)、
その後の経過は極めて良好で、発症から10日目頃には、
「全て御順道との儀承り、恐悦に存じ上げ候」と記録されてる。
「吹き出物の膿も出てしまい乾燥しはじめた」状態から、
亡くなる前日には天然痘が完治寸前の状態だった。
また、気管支肺炎などの吐血を伴う合併症の兆候も全く見られない。

やはり最後の日に突然激烈な発作を起こしたことは不可解としか言いようがない。

45: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/06/03(火) 00:10:32 ID:JzuOarxQ0
>>41-42

で、岩倉が暗殺したという証拠は?
見たところ岩倉の”い”の字もないが?

46: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/06/03(火) 00:21:49 ID:JzuOarxQ0
>>41-42

後、41,42の記述が正しければの話だが、見た感じ疱瘡は何とか乗り切れそうだったけど、
病中の危ない時期に別の病で倒れたように見えるけど、何故それが暗殺になるんだ?

暗殺の決定的な証拠があるのか?
天皇を死なせてしまった典医の自己保身のための言い訳という可能性はないのか?

47: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/06/04(水) 06:25:48 ID:sUQp/ePXO
ええじゃないか の様子が岩倉の日記に書かれていることはあまり知られていない

48: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/06/04(水) 07:03:42 ID:OhD7Rf2vO
>>47
モーレツに知りたいです。是非とも内容を教えて下さい。

50: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/06/04(水) 18:05:52 ID:xCCBO0710
岩倉具視の岩倉公実記によると、京の都下において、神符がまかれ、ヨイジャナイカ、エイジャナイカ、エイジャーナカトと叫んだという。
八月下旬に始まり十二月九日王政復古発令の日に至て止む、とあり、明治維新直前の大衆騒動だったことがわかる。
また、ええじゃないか、の語源は、京の都下で叫ばれた言葉であったようだ。


70: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/06/15(日) 19:14:11 ID:vGh7e6gA0
自分は史料を読んで岩倉のイメージが変わったよ。
度々逡巡しては大久保に「とっとと御決断を!」と迫られてるのが
可笑しい。(親密な関係だが、イザという時は大久保が優位に立つ
らしい。蘇峰曰く『流石の岩倉も、大久保には致された』)

三条公とはとても仲が良いのが意外だった。特に、大久保と木戸の
間に波風が立つと『まったくあの二人にはお互い苦労するよね』
とか言い合ってるし。(三条公を単なるお飾りとして据えていた
わけではなかったようだ。)

71: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/06/15(日) 19:45:33 ID:nWCrVfRf0
幕末の頃は仲悪かったよね。
三条さんは岩倉のこと幕府におもねる奸物だとか言ってるし、
岩倉にしてみればそういう風評のせいで政局を逐われたわけだし。
でも明治の二人を見てると、お互いその時期の禍根を残してない(気がする)のがすごい。

72: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/06/15(日) 21:13:13 ID:gi49Tgv2O
岩倉公と三条公が仲良かったっていうのは本当なんですね~。(二人でよく政府の調整役をつとめてたみたいだけど…)
 
二人とも好きなので、そこらへんとても興味あります。
何か良い史料あったら教えてもらえませんか?

74: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/06/16(月) 13:52:01 ID:6WAmFTls0
>72
「大久保利通文書」に、三条公と岩倉公が交した
微笑ましい書簡が紹介されてるよ。
岩倉→大久保の書簡にもけっこう可愛らしいのがあるw

75: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/06/17(火) 00:34:50 ID:F4aguYKsO
>>74
ありがとうございます。探してみます。
 
岩倉は何をするにも大久保の意見を聞いたりして、大久保をすごく頼りにしてましたよね。
 
たくましい反面、愛嬌あるというか、どっか憎めない人物って感じw
 

76: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/06/17(火) 14:38:24 ID:52jXNbXY0
岩倉は意外に情に厚い一面がある。
西南戦争の時、弟に兄を討つような事をさせたくないから
従道を戦地へ送りたくない、と考えていた。
大久保と伊藤が何か誤解しているようなので、なんとか
説得してくれないかと三条公に書き送っている。

西南戦争の時、司法大輔だった山田顕義が従軍できたのは、
山田の泣き落し(または脅迫w)に岩倉が絆された為だった。
さらに川路利良も、岩倉に懇願したのが効いて戦地へ行ける
事になった。

78: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/06/21(土) 21:16:06 ID:HHoSVD7J0
岩倉は岩倉使節団で外国人にチョウンマゲを笑われてコソコソと断髪した。
一見意志が強そうに見えるけど、実は人目を気にする小心者だ。

85: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/06/28(土) 10:31:53 ID:MfQSRYz2O
>>78
人目を気にしない外交官じゃ困るでしょ

79: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/06/23(月) 21:18:41 ID:vP//Q2smO
怪しいのぅ岩倉怪しいのぅ。

80: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/06/23(月) 22:32:26 ID:WsfT4O8ZO
『岩倉具視(幕末維新の個性)』によると、
岩倉は基本線は譲らないが、決して自分の意見をゴリ押しせず、
どちらかというと政府の調停役で、私利私欲のための策謀というものは全くと言って良いほどなかったそうだ。
 
真意のほどは分からないが、ただの怪しい男ではなさそうだww

81: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/06/25(水) 17:50:49 ID:UlJ2EXNh0
昭和初期、岩倉具視の曾孫の学習院の女学生が、特攻警察に逮捕されようとしたね。
共産党の組織に入っているとかで。
本人は、向こうが自宅に乗り込んで、直前に毒飲んで自殺したが。
学習院の生徒も、共産主義に共鳴する者が多かったようで。

84: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/06/26(木) 18:06:25 ID:VAG1IbNZ0
>>81
つかまったでしょ。一緒につかまった華族のぼんぼんたちが、親や特高の説得で
どんどん転向していく中ひとりなかなか転向しないし新聞はリークし始めて困っていたらしい。
で、ようやく転向して実家にもどり自殺したんでしょ

83: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/06/26(木) 17:34:26 ID:wIQuPa7w0
岩倉具視の娘の戸田極子は絶世の美女で有名で
鹿鳴館時代に伊藤博文に迫られたらしいけど
この二人仲悪かったんだっけ?

1257555


87: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/06/29(日) 12:49:20 ID:JaMJfdQEO
岩倉具視は顔がなぁ~

88: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/06/30(月) 14:02:16 ID:jxcoEGI30
顔はアレなのに、外国人にはとても評判がいいよね。
立ち居振る舞いとか話術とか、堂々たるものだった
らしい。

96: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/07/05(土) 15:17:44 ID:dwFzp22UO
あの卑しい顔面が悔やまれり!

105: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/07/07(月) 23:20:34 ID:QP9L+vpwO
あの顔でよくお札になったねぇ~

106: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/07/07(月) 23:49:37 ID:RuLMUjBR0
お札になる前、当時の昭和天皇の曽祖父の孝明天皇に対して黒い噂があった人物を
お札に使うことに問題はなかったのだろうか。調べてみようかな。
当時の大蔵省や内閣の事情を分かる人がいたら教えてください。

111: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/07/08(火) 19:06:33 ID:S3j6iY2Y0
病床の岩倉を見舞う明治天皇という絵画があるんだが
岩倉が明治天皇を拝んでいる
脚色があったとしてもやはり岩倉は白なのでは?と思ってしまう


12-1


118: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/07/08(火) 23:55:28 ID:S3j6iY2Y0
暗殺説のソースはやっぱりサトウの日記なのかな?
どう思う

124: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/07/15(火) 07:51:11 ID:lfU/ukgpO
岩倉使節団が改正失敗した主な原因って何?詳しく知ってる人いない?

125: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/07/15(火) 08:12:55 ID:Eky0ZWF00
>>124
確か全権委任状をもってくるじたい頭になく
向こうが飽きれたのでは?

132: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/07/15(火) 21:44:05 ID:e9b5zvMU0
>>124
井上清(日本の歴史20 中公文庫)の国権外交の項を適当に抜粋すれば大体こんな感じ。

ワシントンでも、対し一行は、大統領グラント、国務長官フィッシュから、下へも置かぬ丁重な待遇を受けた。
しかし条約問題となると、アメリカ政府の態度は厳しかった。
岩倉大使は2月2日から、条約問題につきフィッシュ国務長官との交渉を始めたが、治外法権の撤廃、関税自主権の回復、
外国軍隊の日本上陸禁止などの日本側の希望は全然問題にもされず、反対にアメリカ側から、治外法権はそのままにして
居留地の拡張、内地旅行と内地商業及び不動産所有の許可などの内地解放、さらに日本の輸出税の全廃、
地方行政規則と貿易港則の制定についても外国領事と協議すること等々を提案してきた。
 
またアメリカ側は、「我国(アメリカ)人民の意衷を自由に述べ、新聞の刊行を許し、信仰を自由にし、併せて之を貴国(日本)
人民にも施さんこと」を新条約に明記すべき事をしつこく要望した。
(中略)
 
日本の主張はアメリカの提案とこれほどかけ離れているのに、アメリカ駐在公使森有礼と使節団の副使伊藤博文らは、
たんに意見交換に留まらず、この際アメリカの要求をいれて改正条約を結んだ方が、日本の開化を進めるのに有利であると
強く主張した。
(中略)
 
せっかく全権委任状がもたらされた時には、岩倉大使は、対米条約改正の交渉を中止する腹を決めていた。
というのは、第一に一旦は森・伊藤らの説を受け入れた副使木戸孝允が、間もなくそれが甚だしく良くないことを反省し始めた
のである。木戸の日記、二月十八日の条に、「彼(アメリカ)の欲するものは尽く与え、我欲するものは未だ一も得るあたわず」
であり、伊藤らが外国事情に通じているからとて、軽率にその言に従ったのは、「余等の一罪なり」と深く後悔している。
(中略)

木戸副使の反対にもかかわらず、岩倉大使はなお米国務長官の提案を基礎とする交渉を進めていたが、四月二十日、
東京政府から条約改正は対米単独交渉とせず、列国会同のうえで談判することにせよとの訓令電報が届いた。
以上引用。

あとはそれでも続けようとした岩倉大使らに、フォン・ブラントが
「最恵国待遇条項によって、日本がアメリカに与えた利権は、アメリカがそれと引き換えに日本に与えるものに関わらず、
他の国は無条件最恵国待遇を受けるとの条約上の権利により、いかなる代償をも日本に支払うことなく、直ちに新しい利権のみ得ることになる」
という忠告をし、また尾崎三良らイギリス留学生も、留学生会の決議を受け飛んできて制止したので、結局お流れになった。

参考にでもなれば幸い。

129: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/07/15(火) 19:16:41 ID:qyrmj4PKO
下級公家
岩倉は公家の名を使い屋敷裏では賭博や賭け事など副業をしていた。

130: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/07/15(火) 19:58:58 ID:Gnz1ZTb50
岩倉使節団の目的は条約改正だけじゃないんだけどね
西洋文明の視察および日本近代化のための青写真を描く
ためでもあったんだけど
視察に行ったグループは帰国後内治優先派になるしね

岩倉家は家業がなかったから生活が苦しかったんだろう
岩倉自身が賭博をしていたわけでなく場を貸してたって噂

141: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/07/21(月) 05:43:07 ID:9rOZsk4N0
殺るんだよ

孝明天皇を


こんなやり取り大久保とかわしたんだろうな実際

166: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/10/01(水) 02:34:04 ID:crHMCiz+O
あの顔が悔やまれり

167: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/10/25(土) 01:16:27 ID:DRum9Y4eO
顔がなぁ…

172: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2009/01/18(日) 16:55:07 ID:A/mCydqj0
朝廷工作により慶喜と幕府を朝敵にできたため武力倒幕により明治維新がなった、という意味では第一人者。
だが「明治維新の立役者」とベタ褒めできるような人物ではない。
岩倉は勝者の作る歴史&政治には謀略であると言うことを良くも悪くも伝えてくれる人物だと思う。

180: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2009/07/12(日) 14:53:16 ID:y6gai84t0
曾孫は共産主義思想にかぶれちゃったね。

182: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2009/08/09(日) 07:33:25 ID:4hek4O510
岩倉靖子は西郷従道の孫でもあるんだよな
海軍元帥の孫が共産主義か

207: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2009/12/03(木) 15:28:56 ID:Wg2uSqwI0
岩倉具視と仁孝天皇は、いとこ同士って話は本当なんですかね?

だれか教えてください。

209: 日本@名無史さん 投稿日:2009/12/04(金) 20:03:02 ID:fSHiC4lw0
岩倉具視の祖父、勧修寺経逸には正室は二人いるね。
最初の正室は飛鳥井雅重の娘で、
継室は鹿野藩主の池田仲庸の娘。

岩倉具視の実母と仁孝天皇の実母が同母姉妹なら、
たしかに岩倉具視と仁孝天皇はいとこ同士となるが。

210: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2009/12/23(水) 04:11:14 ID:DP6Bwtrh0
岩倉具視は徳川家康の九代目の子孫

岩倉具視
家康―頼宣―池田光仲室―池田仲澄―池田仲央―池田仲庸―勧修寺経逸室―勧修寺淑子―岩倉具視

天皇家
家康―頼宣―池田光仲室―池田仲澄―池田仲央―池田仲庸―勧修寺経逸室―勧修寺靖子―仁孝天皇―孝明天皇ー明治天皇

214: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2010/01/08(金) 19:13:23 ID:Q7F+ZoAd0
岩倉具視のあだな
「ヤモリ(陰険さから)」「四奸両嬪」「長州の二人扶持五石の足軽(長州のアルバイトの手先)」

岩倉家のあだな
「華族の恥(犯罪者が多かったことから)」

218: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2010/01/13(水) 04:22:15 ID:sihY3/nP0
>>214
岩倉は薩摩や大久保と親しかった筈だが、どっからそんな渾名が生まれたんだろう。
長州と親しかったのは三条の筈だが。

と思ったら、酒井美意子って人が中傷しただけか。別にいいけど、せめて史実には即して欲しいもんだ。

岩倉の陰険顔には当時から定評があるな。

236: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2010/06/02(水) 03:58:42 ID:Qa2yQTGM0
>>218
酒井美意子が書いても史実は史実だろ、創作じゃない。
そういう評判があったってことは必ずしもよく思われてなかったってことにつながる。

243: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2010/07/05(月) 22:40:47 ID:/9u1K7DRO
孝明天皇暗殺の件だけど、昭和のフィクサー田中清玄は暗殺だと著書で明言してる。
反体制派じゃない大物が言うぐらいなんだからまあな……
ヨハネパウロ一世と一緒で認めがたい暗殺ってあるよな。


引用元: ・【策士】岩倉具視について【野望】






岩倉具視―言葉の皮を剥きながら (文春文庫)
永井 路子
文藝春秋 (2011-02-10)
売り上げランキング: 163,980