51ScCXUVU3L




1: 肥前の熊 投稿日:2007/03/21(水) 23:36:15 ID:drLlTt02
都から遠く、発達が遅れていたため、我が九州の大名は天下統一が
不可能であったと人はいう。だが本当にそうだったのか?おいどん
や隣国の大友どん、さらには島津どんと九州には剛勇無双の英傑数多
あり、しかも古来より大陸の進んだ文化は必ず我が九州に最初に上陸
する。軍、政、文化いずれにおいても九州は中央に劣っておらんと思
うのだが…とにかく我が九州の大名の天下統一の可能性を吟味せよ。
うが









6: 人間七七四年 投稿日:2007/03/22(木) 00:06:26 ID:Mjwx6ejv
やっぱなんとかして毛利を滅ぼす方法なかったのかな?謀略使って毛利
家中に内紛おこすとか。輝元は雑魚だし、毛利の両川っていったって決して
一枚岩であったわけでもないし。

12: 人間七七四年 投稿日:2007/03/22(木) 02:10:51 ID:GEfJPI/c
島津が10年早く九州制覇してれば、毛利も併呑して、豊臣にも勝てると思う。背後の心配もないし。

13: 人間七七四年 投稿日:2007/03/22(木) 02:20:18 ID:2/Me6Hyu
伝説とはいえ神武天皇や、都落ちしたものの九州を地盤に巻き返した
足利尊氏の例もあることだし、九州を早くに統一できれば天下統一も
不可能ではないな。

でも、現実では島津も長宗我も信長の畿内統一からかなり遅れての
九州制覇、四国統一だったわけだし、地方は畿内に比べて統一が遅れる
なんらかの要因があるってことなんでしょう。

19: 人間七七四年 投稿日:2007/03/22(木) 18:23:18 ID:6bQhWlYI
実際に九州の三強の中で、島津が大友・龍造寺の二強を破っているから、島津が戦国九州の覇者になるよね。

ただ、奥州もそうだけど、畿内周辺に比べて興亡の展開が遅いんだよね。

20: 人間七七四年 投稿日:2007/03/22(木) 18:31:05 ID:wLojwa3N
九州を中心にして海洋国家を築けば日の本以上の存在になれるお。
でも、西欧列強に併呑される可能性もあるお

21: 人間七七四年 投稿日:2007/03/22(木) 18:46:50 ID:Cym9TIv2
>>20
具体的には、鉄砲国産化前にスペイン軍を引き込めば全国制覇可能。ただしその後みんな奴隷にされる。
大友宗隣などは、実際その気有ったので地元の人気がイマイチ。

23: 人間七七四年 投稿日:2007/03/22(木) 23:32:15 ID:zG/ZiKvK
>>21
無理。
イスパニアが植民地化出来た国の文明と当時の日本を比べてみろ。
新大陸とか青銅器までしか使えないところばかり。
大体、西欧から日本までどれだけの兵を派遣出来ると思うんだ?

22: 人間七七四年 投稿日:2007/03/22(木) 23:06:40 ID:H+7RIeYx
九州を統一できたら、その兵力で四国を攻め支配する。
九州、四国の兵力で中国の毛利を攻め支配する。
中国、四国、九州を支配する大大大名になれれば天下統一は決まったも同然。
後はちょちょっと京を攻めて将軍追放して実質天下人になる。
後は史実みたいに武田や北条を攻め滅ぼして全国統一。
つまりとっとと九州を統一できる大名がいれば九州からでも天下統一はできたと思う。

24: 人間七七四年 投稿日:2007/03/22(木) 23:49:44 ID:Mjwx6ejv
やっぱ関ヶ原が長期戦になったと仮定して、黒田如水がすばやく九州を平定して
中央進出。

25: 人間七七四年 投稿日:2007/03/23(金) 00:06:18 ID:j57P4PrA
中央から離れすぎている

九州から統一なんてムリ

32: 人間七七四年 投稿日:2007/03/25(日) 20:08:26 ID:lWJEGRDq
やっぱ、ぶっちゃけ島津じゃいくら兵が強くても無理。全盛期の大友宗麟が宗教
なんぞにかぶれず毛利と関門海峡あたりで一代決戦をやり、滅ばせないまでも壊滅
的打撃を与え、その後は島津が北上してくる前に船でもって上洛するしかない。

33: 人間七七四年 投稿日:2007/03/25(日) 21:08:44 ID:kVslh72Q
>>32
逆だろ。九州に野心のない毛利と和睦、立花道雪を総大将にして佐賀城を落とし島津を攻める。これしかない。

36: 人間七七四年 投稿日:2007/03/27(火) 22:52:05 ID:OYyw64v4
むしろかぎは四国だな。いくら長宗我部が強くても、大友、島津あたりだと滅ぼす
のは意外と簡単かも。

37: 人間七七四年 投稿日:2007/04/01(日) 21:30:59 ID:rufhdMd2
>>36
かぎは四国って、島津が北部九州に来たとき既に秀吉の天下だし、水軍の弱い大友じゃ補給が続かないから無理。

38: 人間七七四年 投稿日:2007/04/03(火) 01:58:52 ID:DS1QD94t
大友の水軍は、数はそれなりにいたけど統一的に
運用できなかったのが、弱点だったみたいだね。

国東水軍(岐部・富来)は田原氏の影響大。
海部水軍(若林・臼杵)大友氏の統制が利く。
佐伯水軍(佐伯・薬師寺)佐伯氏の影響大。

ちなみに国東の水軍は、室町中期に朝鮮に貿易のために
船を出している。佐伯水軍(佐伯・薬師寺)は、藤原純友
の乱に加担していたし、一条氏を助けるために伊予に出兵
している。

40: 人間七七四年 投稿日:2007/04/16(月) 01:57:03 ID:mBAwtDE7
九州統一に動き出すまでが遅い
島津は強かったけど、秀吉が中央を制した後じゃな

45: 人間七七四年 投稿日:2007/04/17(火) 10:16:13 ID:pZc6zgq9
本能寺の変あたりが、タイムリミットじゃないかな?
それまでに島津が九州統一していたら、秀吉は、信長の後継者争いで、身動きが取れない。
毛利は、秀吉との戦いで、滅亡寸前まで疲弊している。
九州、四国、中国を抑えたら、十分、秀吉に対抗出来るはず。

41: 人間七七四年 投稿日:2007/04/16(月) 02:08:17 ID:3yLygs8a
戦国時代だと九州より四国の方が天下に近そうだね

42: 人間七七四年 投稿日:2007/04/16(月) 03:19:56 ID:gss0qnxk
大友氏が耳川の合戦で島津氏に大敗したのが痛かったな。

44: 人間七七四年 投稿日:2007/04/17(火) 05:02:10 ID:BMhUR4E2
豊後の大友宗麟って大名は家柄は高いし、率いる兵は強兵、部下は有能な人材
が揃い、南蛮の先進的な文化はどんどん入ってくる。それに家督を継承したとき
はすでにそこそこの領土の主だった。おそらく全国的にみてもこれほど恵まれ
た条件にあった人物はいないとおもうんだが、それでいて結局息子の代で家が
滅びてしまったのは、決して凡庸とはいえないが、時々暗弱な君主に化ける資質
故かな?

46: 人間七七四年 投稿日:2007/04/17(火) 11:26:08 ID:gT/8n/t8
>>44
九州の今川家みたいな感じだな。
親の代から大きな領地を受け継いだ大名は滅亡しているような気がする。
案外、恵まれた環境と言えないのかも知れない。

47: 人間七七四年 投稿日:2007/04/17(火) 18:24:03 ID:Da7FRYk3
大友は本来毛利に近い、有力豪族の連邦政権形に近かったからじゃないか。
宗麟が比較的中央集権を進めた反面、島津や龍造寺に負けると一気に不満が爆発して、瓦解の方向に進んだんじゃないか?

関連権臣達に擁立された傀儡から脱皮できた大名


48: 人間七七四年 投稿日:2007/04/17(火) 19:51:55 ID:tJ0B14tM
九州の大名は軒並みそんな感じだな。
島津なんて中央集権化されるのは大坂の役の後になってからのはず。

49: 人間七七四年 投稿日:2007/04/18(水) 02:13:19 ID:d/0ezrBZ
実際、大内の武断派と文治派の対立も、文治派の相良武任が
大内本家の大名権力を強める政策が、反発を食らったというのが
真相みたいだしな。

大友家の加判衆制度も、決して遅れた制度じゃあないが、その
選任をめぐって大きな軋轢が生じたんだよ。
加判衆を同紋衆と他姓衆から同数づつ選べという、義鑑の遺言は、
実は義鎮の偽造だと言う説がある。父親の遺言を大義名分にして、
自由に加判衆を選任しようとしたのではないかと考えられる。

信長のように中央集権的なトップダウン型の組織には、変えたくても
変えられなかったと言うことだな。

52: 人間七七四年 投稿日:2007/04/30(月) 22:02:29 ID:tT0r4hMm
そもそも、この時代の戦国大名は中央集権とはかぎらんだろ。
甲斐の武田や東北地方の南部や伊達だって家臣団は自由だったし。九州だけじゃないよ。

54: 人間七七四年 投稿日:2007/05/01(火) 01:59:03 ID:LNu7pj6P
>>52
だから、どれも天下獲れてないじゃん。
大国までは行っても、集権出来なかった国はイマイチ天下を望める気がしないんだよな。

53: 人間七七四年 投稿日:2007/04/30(月) 22:05:47 ID:tT0r4hMm
九州の諸大名はなんだか南北朝のときからの旧勢力が多かったのが、だらだらした時代の始まりなんだよな。
あと一~二年早く島津が九州取ってたら織田も危なかったよな

55: 人間七七四年 投稿日:2007/05/01(火) 03:26:56 ID:UrqxPsa+
九州を統一してしまえば国力は大したもんなので、秀吉の平定が史実より3年も遅れて、
島津が兵力を再編完了してたら簡単には負けなかっただろうな。
だた、島津では博多を略奪とかしてしまいそうだがw

73: 人間七七四年 投稿日:2007/05/15(火) 21:20:01 ID:piOowDF3
島津がもっと早くに九州を統一した上で臣従したら
所領を多く確保出来たんじゃない?
で秀吉死ぬまでじっと我慢の子
或いは名護屋城を強襲して軒並みアボーンとか

79: 宇喜多直家信者 投稿日:2007/06/27(水) 02:17:23 ID:ahAIHwAo
沖田畷の戦いで勝っておれば、九州統一も可能だったと考える。

80: 人間七七四年 投稿日:2007/06/29(金) 19:27:14 ID:AVHwZI+a
宗麟がキリスト教にハマらなきゃ良いとこまで行ったかもしれないけど、
好色・自己中が治らない限り家臣団は少しずつ崩れていって、結局九州統一すら無理だったかも。
有力な家臣が何人もいて海外から輸入した当時最新の武器も持ってたのに、あの性格は本当に惜しい。

81: 人間七七四年 投稿日:2007/06/30(土) 09:22:14 ID:AALgU6Gw
つぅか宗麟の場合、どうしても「イサベル」の存在がネックだったな。あれは
イサベルというよりは狂女王ファナだな。


奈多夫人

奈多夫人(なだふじん、生年不詳 - 天正15年2月15日(1587年3月23日))は、戦国時代から安土桃山時代にかけての女性。奈多鑑基の娘。大友義鎮(宗麟)の正室。

天正3年(1575年)11月、息子の親家がキリスト教に入信し、これにより下層階級が中心だったキリスト教は大友家中にも広まっていた。一方、奈多夫人は、久我中納言に嫁いでいた娘に仕えるエステバンというキリシタン少年が、仏寺から護符をもらってくるようにという奈多夫人の娘の言いつけを拒否したことに怒り、棄教しなければ死罪にすると申し渡したが、彼が棄教を拒んだため、家督を継いでいた長男の義統に命令し、エステバンを殺させようとした。しかし、これを知った義鎮が間に入り、事なきを得た。

このエステバン事件のこともあり、キリスト教が大友家家臣にまで広がってきていることを重く見た奈多夫人は、親家に棄教を迫るようになった。宣教師達は、ことごとくキリスト教に敵対的な態度をとる奈多夫人を「イゼベル」と呼ぶようになったという(イゼベルとは、イスラエル国王のアハブの妃で異教を崇め、預言者エリヤを追放した女性)。


82: 人間七七四年 投稿日:2007/07/01(日) 08:01:41 ID:ThdL/sQk
奈多の奥さんの所為で鬱になったんじゃね

89: 人間七七四年 投稿日:2007/07/04(水) 21:03:09 ID:wqlcWrGE
九州の兵の装備は中央と比べるとどうだったのだろう?
鉄砲普及率は高いから、中央と比べても遜色ないのかな?

104: 人間七七四年 投稿日:2007/09/22(土) 19:16:33 ID:WXuPiAtT
>>89
かなり高かった。
毛利と戦っている時点で、12000の増援に1200挺装備していた。
大友氏が将軍家に鉄砲を献上したのは有名だが、それ以外にも
そのノウハウを流失させている。
伊予の河野、土佐の一条も大友つながりで割と早くから、鉄砲
使用の形跡がある。

90: 人間七七四年 投稿日:2007/07/04(水) 21:17:03 ID:hkz/97tl
九州って南北朝の時も三国志してるよな

91: 人間七七四年 投稿日:2007/07/04(水) 21:28:11 ID:wqlcWrGE
>>90
地形が三角形に近いから三国志になりやすいのかな?

94: 人間七七四年 投稿日:2007/07/04(水) 21:50:27 ID:hkz/97tl
あとこういうのも聞いたことがある
九州の地形は割合平地が多いので軍隊が駆けめぐりやすい
故に日本アルプスがある中部や奥羽山脈がある東北に比べて軍事行動がしやすいので
戦争がしやすく、また派手な戦争になりやすい

99: 人間七七四年 投稿日:2007/07/10(火) 18:11:50 ID:V4VxA/Hg
豊後国王は地元でもあまり評判は良くないが、イエスズ会では名君とされてたらしいな。
よそ者から見れば名君だったのか、布教に積極的だったからなのか、
イエスズ会にとって都合の良い大名だったからか…。

104: 人間七七四年 投稿日:2007/09/22(土) 19:16:33 ID:WXuPiAtT
>>99
必ずしも信仰に熱心とは言いがたかった。
府内から臼杵に移った10年間は、宣教師は府内に残され
たままだったので宣教師の布教活動も停滞たしていた。

地元の評判という面では、江戸時代のキリスト教禁令の
影響から必要以上に悪く言われていたという事情もある。

113: 人間七七四年 投稿日:2007/12/25(火) 21:40:16 ID:YsY4A+AR
戦国期の九州勢が天下を狙うとしても、毛利という存在がある以上他の地域の大名よりも一歩遅れると思っていいのだろうか?
毛利が台頭する以前に大友が日向・肥後以北を取ることが出来たのなら、中国方面と対島津の二正面作戦を
展開させることが出来たのかも
ただその場合、中国で全盛期の尼子と対峙することになるんだけど・・・結束が強い毛利相手にするよりはマシかな

117: 人間七七四年 投稿日:2007/12/29(土) 01:59:19 ID:3XdDDYGe
黒田があのまま突っ走っていたら面白いことになっていただろうに
関ヶ原の決着早すぎ

118: 人間七七四年 投稿日:2008/01/02(水) 00:22:51 ID:fvPUHI5t
関が原が1ヶ月にらみ合いだったらどうなっていたかな。
東北は上杉が蹂躙、九州は黒田が蹂躙だろうけど。

122: 人間七七四年 投稿日:2008/01/04(金) 18:53:22 ID:I2Mojq4C
黒田も関ヶ原での東軍勝利の報を聞いてから降伏開城した城が多いので関ヶ原での対陣が長引いた場合は籠城する西軍側の城が多いので進撃が鈍るだろう。
如水のあれは関ヶ原勝報があったればこそ。

125: サイコメトリー 投稿日:2008/01/07(月) 11:59:14 ID:MW42B6oV
以前に誰かがスレってましたが、本能寺以前に九州統一ないし、九州連合を
確立しなければ、九州大名が覇権を握る事は厳しいと思われます。

黒田如水は優秀な武将だけど、関ヶ原の混乱に乗じて、数国奪取したとして
もその後の状態を徳川家康が放置しておくわけがない。

132: サイコメトリー 投稿日:2008/01/08(火) 14:53:55 ID:DaZjC7WB
立花道雪・宗茂・高橋譲雲・島津義弘・鍋島直茂、有り得ないけど、
このあたりが、協力して九州統一を押しし進めたら、面白かったのになぁ。

G信長の野望、九州からの攻め上がりコース。

134: 人間七七四年 投稿日:2008/01/08(火) 19:46:28 ID:seLDM4BV
>>132
島津と大友は正に両雄並び立たずだな
鍋島というか竜造寺は存外ヘタレだからいずれかに従属される立場

135: サイコメトリー 投稿日:2008/01/09(水) 08:12:15 ID:0H3No/Ac
>>134
龍造寺は同感ですが、鍋島直茂は狡猾な武将ですよ。

137: 人間七七四年 投稿日:2008/01/09(水) 22:03:33 ID:JcGwAxkJ
>>135
鍋島直茂は優秀だと思うし好きな武将の1人だけど狡猾とは思わないねぇ♪
秀吉という外的要因が無ければ主家と台頭することはなかったでしょ

138: 人間七七四年 投稿日:2008/01/10(木) 04:23:47 ID:cgSUqIab
毛利がいるかぎり無理
上洛は諦めて九州を南下して大航海しようぜ

140: サイコメトリー 投稿日:2008/01/10(木) 12:07:32 ID:5u+aQGT0
>>138
毛利元就は近隣の大名のお家騒動に乗じて勢力を増した優秀な大名だと思うけど、
九州一国取れてないじゃん。それは九州大名もそれなりに優秀だから。特に大友家。

139: 人間七七四年 投稿日:2008/01/10(木) 11:53:50 ID:gdr5wnEW
まず毛利元就、死後前後には誰かが九州を統一する
その後、数年国力を整備し信長と対立しだす毛利を尻目に統一される前の四国に全力で進攻、統一する 
この時1575~1578年を目安に          
そして武田勝頼、一向衆、謙信などと戦闘中の織田と同盟し
毛利との一大決戦を征し滅亡させ九州、四国、中国地方を制圧 一大勢力を築く     
1580年前後、完全に後方の憂いをけし織田家との同盟を破棄、雌雄を決する戦いに乗じることになる  
この時、関東甲信越地方の上杉、武田、北条らと同盟を結び信長包囲網を東西から結べればよし    

織田家を滅ぼせば天下は九州勢のものに      

まぁかなり都合いいシュミレーションだがw

149: 人間七七四年 投稿日:2008/01/11(金) 22:41:26 ID:00/S43TJ
九州で強くても雑魚の中の勝者に過ぎないからムリ

152: 人間七七四年 投稿日:2008/01/11(金) 23:37:32 ID:S4U5+pck
>>149
実際はそんなことないのだろうけど、坂東武者に比べると西国の武士は弱いという
印象があるのは、平家物語などの軍記物のせいなのかな?

元寇では戦ったのは西国武者だし、戦国時代も鉄砲装備率の高さや南蛮貿易などによる
経済的繁栄などから、西国のほうが有利だったとは思うんだけど。
築城でも、関東が北条が滅びるまでは石垣が皆無だったのに対し、西国は石垣を
比較的早いうちから使っていたわけだし。

160: 人間七七四年 投稿日:2008/01/12(土) 07:18:12 ID:NR8/C0UT
九州というか西国は輸入で文物は進んでいたけど、統治システムが駄目。
中央集権化や大軍が遠征できる兵站とかどれも東国と比べて劣っている。
最後に外交で失敗したけど後北条のほうが、よっぽど天下を狙える体制なのは
悲しいところ
織田も組織で劣った三好の衰退に乗じたから畿内で伸びたわけだし。

もし九州で成功する可能性があるのなら、竜造寺や島津が成長する前に後北条
あたりから人を招いていて、成長する過程で東国風の統治システムに
再編成して大きく成りうれば、分権の毛利なんかは恐るるに足りない、時間勝負

170: 人間七七四年 投稿日:2008/01/13(日) 01:21:05 ID:DAaBeP5W
九州は信長の野望とかでも戦闘力が高い人間が多いから夢持っちゃうけど
要は寡兵で戦った、勝ったというエピソードが多いってことだから、
それだけ戦う前の下準備が悪いってこと。

中国英雄板からの引用
>山東は大臣を出し、山西は大将を出す(略
>つまり涼州、并州は半異民族みたいなものなので、強兵が育ちやすいということ。
>動物的な競争力に長けてる反面、人間的な社会性というのは非常に低い。
これって日本でも当てはまる面あるね、第2次世界大戦でも九州の兵は攻撃に強い
って言われていたし。


西から文化輸入できるからか、どうも自分達で政治を変えようという意識が弱い
んじゃないのかという面があると思う。

175: 人間七七四年 投稿日:2008/01/13(日) 13:37:39 ID:seoGYiFG
戦国期の島津の外城地頭制度は
地頭と衆中の結びつきが強くて封建制度の範疇に留まっていたかと
薩隅を統一した時に制度の見直しが図れればよかったけど
九州征伐まで連戦続きでそれどころじゃなかったよね

188: 人間七七四年 投稿日:2008/01/17(木) 20:21:06 ID:qcUUDJhQ
天下統一云々をいう前に、まずとりあえず島津でも大友でいいが九州統一した
後、毛利は手強いがせめて四国まで領土を拡大できる可能性があるか議論する
必要がありそうだ。

192: サイコメトリー 投稿日:2008/01/18(金) 17:54:15 ID:C2ltqHkA
九州大名が上洛って事になると、必ず毛利がって話になるよね。元就は名君
だと思うが、彼が没した後に隆元も急逝してしまうわけだけど、それでも、
九州大名より毛利家が勢力拡大出来るのかな?

もちろん信長不在と仮定してだけど。

194: 人間七七四年 投稿日:2008/01/18(金) 18:28:28 ID:3NLpXfXq
>>192
隆元は元就より先に亡くなってるよ

大内・毛利に対しては大友義鎮は善戦してたと思う
謀略面で元就と渡り合っていたしね♪

193: 人間七七四年 投稿日:2008/01/18(金) 18:10:03 ID:QEd0POjA
史実どおりに信長を出すともう話にならないからなぁ。

信長が本気を出せば毛利も踏みにじられるような状況だったのが
本能寺の変直前の1582年。つまり、1580年代になんらかの勢力が
九州統一していたとしても、まず対抗不可能だものな…。

1580年代に九州どころか毛利まで併呑していれば話は別だけど。

201: 人間七七四年 投稿日:2008/01/19(土) 23:37:50 ID:MY/XZXU3
九州の戦国大名なんて兵農分離できていなくて動員激遅で
とても上方風の近代戦なんてできない

202: 人間七七四年 投稿日:2008/01/20(日) 02:04:09 ID:x3GMoDFK
兵農分離幻想なんか未だに信じてるのかよ。
それと、動員システムが稚拙なのは九州に限らない。
毛利氏なんて豊臣時代でさえ動員出来る兵力を正確に把握していなかった。
国人領主から成り上がった大名はしょうがない。

203: 人間七七四年 投稿日:2008/01/20(日) 13:44:17 ID:qpjmYZdV
大友は守護だったのに、領国支配のシステムは昔のままだったから崩壊したんだっけ?落ち目になると国人がすぐ離反するし。
島津は「地頭・衆中制」でかなりシステマティックに支配してたから、強かったと理解してるが。

208: 人間七七四年 投稿日:2008/01/22(火) 18:12:29 ID:gSpJbjKW
・信長の上洛より先に九州を統一しうる人物
・「天下布武」のように斬新な戦略があり、かつ宣伝できる人物
・軍事的実力

大友宗麟が一番近そうだけどなぁ…後継者の器量は別問題としても。
西国に天下人候補が出なかったのは
一番有望な大友と毛利が睨み合いで
時間を浪費したからでFAじゃまいか

209: 人間七七四年 投稿日:2008/01/23(水) 21:25:02 ID:aJ9vabgR
西国の天下人は大内だよね?(・ο・*)

213: サイコメトリー 投稿日:2008/01/24(木) 09:11:19 ID:mi3TDjNr
確かに大内家は一時期、西国一とまで言われて様ですが、名家を鼻に掛けると
乱世じゃ必ず没落するよね。家的には朝倉家と似てる様に思う。

それに大内家は九州大名じゃないから!中国支配も厳しいから!

221: 人間七七四年 投稿日:2008/01/25(金) 11:24:27 ID:NMS5eTWX
陶晴賢が大内に反逆した直後、毛利ではなく大友が陶を滅ぼした可能性を考える。

逆に陶晴賢が大内を滅ぼした後、毛利と和睦しそのまま北九州まで勢力を拡張する可能性を考える。

222: 人間七七四年 投稿日:2008/01/25(金) 11:27:21 ID:NMS5eTWX
つーか宗麟の弟がただの傀儡に終わらず、なんらかの策略をもって陶を
謀殺していれば、戦わずして周防、長門まで大友の支配下になっていたはず。

223: 仕受為作 ◆you/VVxohw 投稿日:2008/01/25(金) 12:58:25 ID:PSLOeKeZ
大寧寺の変が1551年で、
毛利と吉見の陶への反攻が1554年。
厳島の戦いが1555年。

安芸の毛利元就,石見の吉見正頼が陶晴賢に対し反旗を翻す以前、
つまり大内に従っている内の三年の間に義長が陶を殺すか
宗麟が義長を従わせるかでもして
義隆没後の大内家を素早く大友が取り込んでいれば
大内の安芸,石見,備後,周防,長門,豊前,筑前,肥前を影響下に置き
西国探題大内家とその広大な所領の大部分を引き継げたかもしれない。


という訳で九州勢力が天下を取る為の続きを宜しく↓

224: 仕受為作 ◆you/VVxohw 投稿日:2008/01/25(金) 13:25:51 ID:PSLOeKeZ
1554年迄に大内(傘下に毛利や吉見)を従えた大友宗麟が弟・大内義長に養子を送り、
自身も大内姓に改姓する等して義長の後見に回ればどうなるだろう
大内は幕府からの上洛要請もされていた上、大内姓を使えば西国の統治や今後の侵略の口実も出来そうで便利だと思うんだけど

226: 人間七七四年 投稿日:2008/01/25(金) 13:42:34 ID:FJTgEAyw
>>224
政治目的とはいえ大友姓を捨て大内を名乗るのはどうなんだろうね
鎌倉来の名家である大友の家臣団が許さないような…

特に戸次鑑連が煩そうだw

227: 仕受為作 ◆you/VVxohw 投稿日:2008/01/25(金) 14:34:23 ID:PSLOeKeZ
>>226
本国では譜代家臣からの反対の声も有るものでしょうね。
但し戸次鑑連にしていえば、鑑連自身も後には改姓をして立花家を継承したり養子を迎えたりする人物であり
鑑連は、大友家が過去に乗っ取ろうとして失敗した菊池家の討伐にあたった人物でもあるので
改姓してまで大内家を継ぐことの利便性に人一倍理解をしているものかと考えました。

それに大内に付くか大友に付くかで揺れていた筑後地方の国人を従えるには
大内大友両家を統合してしまったほうが治める側としては都合が良いのではないでしょうか

229: 人間七七四年 投稿日:2008/01/25(金) 17:06:36 ID:FJTgEAyw
>>227
立花は大友の縁戚で家中では名門の家柄です
養子を取るのは血筋を絶やさぬ為、家を守る為に当然のように行われてた行為
大内への改姓云々とは別物と捉えるのが宜しいかと

当時の大内の影響力は凄かった事は認識していますが
筑後はじめ九州北部の国人衆も大内の力に頼ったまでで
大内という家名に頼ったかとなると疑問符がつきます

230: 仕受為作 ◆you/VVxohw 投稿日:2008/01/25(金) 20:11:40 ID:PSLOeKeZ
>>229
それを挙げるならば大友は大内義興の孫が当主の大内義長であり、自身はその義長の兄なのであって大内とは血縁関係が成立しています
義興は上洛を果たし国政を執り行っており、また六角討伐へも参戦した経歴のある人物です



関東に土着した名族の伊勢氏が
やがて(遠戚ですらない筈の)北条姓を名乗ったことを判例にしています。
伊勢氏は北条という家名で関東制圧及び統治の大義名文を獲得し
東国の国人衆を味方に引き込もうとしていたのではないかと考えています。

実際に北条姓を名乗る伊勢氏はその後、関東管領や古河公坊を押し退け
曾孫の代までには関東をほぼ手中に治めるに至り善政を引いた実績が有ります

これは西国でも宗麟流に応用を利かせることが出来るのではないでしょうか

228: 仕受為作 ◆you/VVxohw 投稿日:2008/01/25(金) 14:41:32 ID:PSLOeKeZ
改姓はせずに弟を結局傀儡としてのみで使うだけの方法もあるが
折角手に入れた大内の傘下にいる安芸の毛利や石見の吉見が傀儡体制に反対して離反する恐れが・・・



‥すると毛利と睨み合う時間が勿体無い

234: 人間七七四年 投稿日:2008/01/25(金) 21:28:50 ID:TKM/nY6v
まあねえ、タイムスケジュールで考えれば大友だけだな。

或いは秀吉が中央でのゴタゴタに手間取れば島津にも一縷の望みはある、
まあ毛利を抜けるとは思わないけど。

233: 仕受為作 ◆you/VVxohw 投稿日:2008/01/25(金) 21:16:44 ID:PSLOeKeZ
大内従属下の肥前平戸城には松浦興信とかいう大名がいたけれど
この松浦が天下を取る可能性なんて始めから有ったのだろうか。
義隆の没した翌年には当主・興信が死んでしまうわ
1551年当時は肥前一国の中で松浦以外に大村,有馬,長崎,少弐,龍造寺…


ちなみに勢福寺城の少弐氏は何気に1559年までは生き残る

235: 人間七七四年 投稿日:2008/01/25(金) 23:19:29 ID:FJTgEAyw
松浦よりまだ竜造寺の方が・・・
竜造寺も大友に従属するんだけどw

236: 仕受為作 ◆you/VVxohw 投稿日:2008/01/26(土) 00:19:56 ID:yJ8fS0w/
松浦家による天下統一を妄想出来るスレなんてここ以外ないなww

松浦は馬場氏ら少弐家臣と通じてまずは龍造寺の勢力を削ぐことに専念しないとw
少弐滅亡前に肥前の全勢力が結集しても蒲池の支援を受ける龍造寺には勝てないだろうか…

237: 人間七七四年 投稿日:2008/01/26(土) 00:23:58 ID:bB30RiBw
というかさ、
天下統一以前に、九州制覇も無理。

238: 仕受為作 ◆you/VVxohw 投稿日:2008/01/26(土) 00:42:05 ID:yJ8fS0w/
そんなことは百も承知

というか肥前統一どころか、史実では松浦半島統一がやっとの小大名。
出来たとしてもおそらく1580年付近にようやく肥前一国とかでその頃には島津が北上w

しかし無理だと分かっていても松浦隆信が取るべき最良の行動は何だろ

240: 人間七七四年 投稿日:2008/01/26(土) 05:19:19 ID:DpeorxCJ
>>238
なるべく早いうちに信長や秀吉や家康の臣下になる。当然、領土は捨てて。

247: 仕受為作 ◆you/VVxohw 投稿日:2008/01/26(土) 17:13:21 ID:yJ8fS0w/
>>240
早期に領地を棄て織田家に服従し
取り込まれるや織田家中では蝕むこと病原体の如く勢力を拡大し
本能寺の変の頃には明智光秀,織田信雄,柴田勝家,羽柴秀吉,徳川家康らを凌ぎ
松浦隆信は天下に覇を唱える。

‥無謀だけど

241: 人間七七四年 投稿日:2008/01/26(土) 05:38:53 ID:AhWgw9X0
同じ隆信でも松浦に目を向けるとはw

平戸松浦は半島に散らばる松浦党をまとめるのが精一杯だったね♪
せめて南蛮に嫌われてなければ或いは…

いやナイナイw


有馬・大村もそうだけど肥前は国人が作り上げた小国家連合みたいなトコ
長くその体系を続けたおかげで周りは全て親戚筋だし
そんな中で潰されず地方をまとめただけでも優秀な方じゃね?

242: 人間七七四年 投稿日:2008/01/26(土) 06:28:11 ID:kRL6MJDu
なんつうか、その昔初代「天下統一」で弱小大名プレイやってた頃を思い出すスレだなw


引用元: ・九州の大名の天下統一の可能性を考えるスレ






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