611HfxNa0RL



1: 名無しさん@お腹いっぱい。 2009/04/16(木) 17:20:16 ID:ke1IX2Rv0.net
劉表死後に荊州乗っ取らなかったから








168: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/11/02(火) 11:15:35 ID:cef2heBAO.net
劉備のスペックじゃエン紹・曹操を倒すのは無理。
エン術の勢力を併呑できればまだ可能性はあったかな。
曹操を出し抜いてエン術を倒すなんてできるかどうか怪しいが。

175: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/11/08(月) 06:46:36 ID:2GGJT1o6O.net
劉備も「天はなぜ劉備を生んだだけでなく、曹操も生まれさせたのか!」
とか何度も心の中で叫んだだろうな

178: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/11/09(火) 10:27:07 ID:mf8cCCUWO.net
曹操がいなければ華北はエン紹の天下だろ?
劉備がエン紹の大軍を相手にできるとは思えないから戦ったら殺される。
仕えてもエン紹は曹操以上にマメに粛正するから劉備みたいに不相応な野心を持つ奴は殺される。

179: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/11/10(水) 02:51:54 ID:pVUqGoG90.net
>>178
当時の劉備なら負けると踏んだら戦わずに逃げる
仕えるに至る状況が思い浮かばないが、仮に仕えたとしても
粛清されそうになる前に逃げ出す

この逃げ出すって才能は三国一

180: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/11/10(水) 10:43:05 ID:dlL4bGROO.net
逃げてばかりなのに名声と部下が集まってくる劉備は異常

181: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/11/10(水) 13:39:24 ID:5K4DLAXd0.net
大義名分からは逃げてないからな

183: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/11/11(木) 07:02:28 ID:BC1TqEc00.net
>>181
そのツケは後世返すことになったんだけどな
国力すり減らしても北伐し続けないと統率ができない体質に

193: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/11/15(月) 23:11:28 ID:OR7eDLmR0.net
せめて劉備に韓信みたいな人材がいれば、もしくは関羽が韓信みたいな性質だったら何とかなったかもしれない

194: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/11/16(火) 00:16:12 ID:ARWo8gVF0.net
曹操にだって韓信に準えられるような家臣がいたわけじゃないんだから
劉備に韓信のような人材がいなかったから天下統一できなかったなんて
言い訳にもならんわ

197: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/11/16(火) 00:44:38 ID:ll877Kfy0.net
・本拠地を得るのが遅かった
・優秀な部下を集めて働かせる時間が足りなかった

これだけ
準備万端で望んだ漢中戦に関しては完全に曹操に競り勝ってるしな

198: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/11/16(火) 17:40:39 ID:rGy+JVDJ0.net
漢中戦時は、法正や黄権みたいな人材も充実してたからね
魏軍としては、主力の騎馬や大軍の機動力を活かせなかった部分もあった

優秀な人材は、劉備の生涯通して見ると多々いると思う
本拠地が問題となると、徐州と益州の各々を得た時期を比較して、どちらが
天下統一のラストチャンスだったのかを検証する事になるのかなぁ・・・・

206: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/11/18(木) 01:35:25 ID:RcgwiBq90.net
度量が大きく強い意志を持ち、おおらかな心をもって礼儀正しく人に接し、
人物を良く見極めてふさわしい待遇を与えた。
それらは前漢の高祖に通じ、英雄の器を備えていたといえよう。
国のその後を諸葛亮に全て託すのに際して何らの疑念を抱かなかったことは、
君臣の公正無私な関係を現すものとして永遠に手本とすべき事例である。
好機を得るための機知や行動の根幹をなす戦略では、魏武に及ばなかったため、
勢力の基盤となる領土もその才能の差に準じて狭かった。
しかし、挫折して人に屈しても諦めることなく、最終的には誰の下にも居らず独立したのは、
彼らの器量を考えた時、自分を何時までも許容し続けてくれるような人間だとは
到底思えないがためにそうしたのである。
単純に自分の利益だけを考えての事ではなく、自分にふりかかった災難を避け、
殺されないようにするためだったと言えよう。


そもそも劉備に天下を統一する意思や意図がなかったのではなかろうか?
行動理念が、漢王朝のためでも民のためでもなく、天下をすべる野心ですらない。
殺されないようにだけにな。

207: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/11/18(木) 01:48:31 ID:w6/CjtaYO.net
野心がないなら曹操に飼われていれば安泰だった筈だし
皇帝を僭称する必要もないのでは?

210: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/11/18(木) 01:52:14 ID:RcgwiBq90.net
>>207
>しかし、挫折して人に屈しても諦めることなく、最終的には誰の下にも居らず独立したのは、
>彼らの器量を考えた時、自分を何時までも許容し続けてくれるような人間だとは
>到底思えないがためにそうしたのである。

飼い続けてもらえないと考えていたようですけど?

211: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/11/18(木) 01:58:47 ID:RcgwiBq90.net
>>210

> 単純に自分の利益だけを考えての事ではなく、自分にふりかかった災難を避け、
> 殺されないようにするためだったと言えよう。

自分に降りかかった災難って、曹操暗殺計画に巻き込まれたことかもな
そう考えると劉備が”曹操は自分を飼い続けてくれない”と考えたとしても不思議じゃない
と推測できるかな。

217: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/12/06(月) 21:21:22 ID:1MvUDUUy0.net
劉備が徐州を支配して群雄になれたのも、
曹操がさんざん陶謙をいたぶったからで、
曹操がいなかったら、劉備は天下取るどころか群雄にもなれずに、
戦上手の一将軍として人生を終えてた気がするな。

225: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/12/07(火) 07:06:24 ID:JwscLCi+0.net
リョモウが裏切った事かな。カンウがいけないんだけどね。

226: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/12/07(火) 16:34:37 ID:j4Wg8jjq0.net
たとえあそこで荊州維持出来てても、やはり天下統一までの道程は果てしないぞ
陸遜など関羽よりずっと上の臣下擁する呉だって滅んだ
だから、ここの皆はあれよりもっと以前から考えてるんだ

227: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/12/07(火) 18:23:29 ID:JwscLCi+0.net
うまくいけば、短期間で、
黄河以南を支配できたかもしれないよ。

曹操が遷都を考えてたし。

228: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/12/07(火) 18:28:43 ID:j4Wg8jjq0.net
>>227
上段については、具体的にどうやって?
(ここはそういうことについて意見を出し合うスレです)
あと、上段と下段がどう繋がってるわけ?

229: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/12/07(火) 18:59:58 ID:JwscLCi+0.net
ジョウヨウ攻略成功。
呉はジョシュウ進駐。

漢中から長安攻略。

キョショウ攻略。

エンシュウ、攻略
呉、青洲攻略。

230: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/12/07(火) 19:16:46 ID:j4Wg8jjq0.net
だから、どう実行するのか「具体的に」頼むわ

231: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/12/07(火) 19:21:44 ID:JwscLCi+0.net
本当は、たらればが、好きでないのですが・・・
具体的には、勉強不足で巧く表現できません。すみません。
三国志のゲームなら、こういう事ができそうです・・・

あと、シバイが曹操に助言して呉を動かしているのも、
この戦いでのネックですね・・・

232: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/12/07(火) 21:37:33 ID:udg1vsRy0.net
>>231
ゲームじゃないから。あと、呉は揚州と交州だけじゃ、
三国中最弱だから、荊州取って長江中流域押さえないと、
国力的にも防衛上でも魏や蜀と対抗できない。
だから、どんな状況になっても呉は必ず荊州を取りに行ってた。

233: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/12/07(火) 22:44:06 ID:dZisySgs0.net
>>232
実際は孫権は荊州とるか徐州とるか迷ってたけどな
どんな状況になっても必ず、なんてものはない
そんなものは後世からみた結果論の産物
蜀が魏を攻めればその間、呉に対する脅威は特に無い
魏も関羽の動きで遷都を考えてるくらいに、蜀の動きに動揺し、その対応に集中してるので、
その間に手薄な徐州を取るって言う選択もないわけじゃなかった

234: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/12/07(火) 22:51:06 ID:iB7mY/Wg0.net
長江を防衛ラインにするって戦略と、肥沃な要害の地を手っ取り早く手に入れるって点じゃ、
荊州取った方が正解だけどな。揚州本拠の呉が徐州を維持するのは難しいし、
荊州ほど旨みのある土地でも無い。防衛に長江を使えない。

235: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/12/07(火) 22:57:34 ID:dZisySgs0.net
徐州は何気に旨みのある土地だぞ
当時における肥沃な地帯にして、道が開けていて四方の交通に便利、
海にも面しており海産物も手に入る
中国史を通じて商人の往来が盛んで、何気に人と物が集まる土地ではある
まあその分、敵を陸戦主体で相手することになるけどな

258: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/12/27(月) 05:16:28 ID:Yj9gW28C0.net
>>1

蜀の成都から洛陽中原までは800㌔以上の移動距離。日本では奈良から大宰府くらいの
距離を長遠征するわけだからね。漢の高祖のように直ぐに行動すれば違ったかもしれな
いが引きこもってしまえば尻が重たくなる。呉は黄河流域ではなく揚子江流域を中心地
と考えているから無理はしない。
この時代は黄河中流域の北京付近から揚子江北域の南北600キロと青州府から長安までの
東西600キロの狭い地域の上洛戦争だから・・・そこから距離を置いたらダメポ。

259: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/12/27(月) 05:27:31 ID:Yj9gW28C0.net

関羽が荊州を失った事が大きいよね。荊州からなら洛陽中原までは200キロ以内
で東京~静岡くらいの距離だから十分に制圧できる距離と位置ですね。

260: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/12/27(月) 05:32:50 ID:Yj9gW28C0.net

劉備の蜀は奥州藤原氏が京都に攻め込む以上に難しくなったんだよ。奥州
藤原氏のような独立政権として最後は鎮圧される運命にあったと言う事。

261: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/12/27(月) 21:13:41 ID:wENf/vYb0.net
成都から洛陽まで意外と近いんだな

262: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/12/28(火) 11:04:56 ID:roSIMCpt0.net
>>261

殆どが険しい山岳地帯の横断だから普通の3倍くらいの移動労力じゃないかな。船も
使えないし・・・魏も蜀も守るには良くてもお互いに攻めるのは大変だったんじゃないか?
曹操の赤壁の戦いでも許都から赤壁まで東京~名古屋間くらいの距離で船が使える。
全然違う戦いかただよね。

272: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/01/04(火) 19:09:42 ID:hYWJvnA40.net
>>261

宛(南陽郡)から上庸(新城)までは200㌔~250㌔くらいの距離。ただ司馬懿が一度
皇帝のいる洛陽~長安(魏皇帝長安へ遠征途上)はへ出て許可を取り付けてから上庸
へ向かうと800㌔1カ月以上かかることになるわけですね?

268: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/01/02(日) 16:38:37 ID:mdo7fcgO0.net
正月のテレビで南米アンデスだかのインカ時代の山道をチャリンコで走るみたいな動画あったが
蜀の産道も同じようなものかと思ったらあそこを何万の兵が通って攻め込むなんて恐ろしい難関かと思ったわ

271: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/01/02(日) 23:14:13 ID:sBB1HWF0O.net
曹操より先に荀イクを配下にしなかったから

279: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/01/29(土) 10:19:30 ID:gvMc5eeJ0.net
孔明と出会うまでは国(州)を奪うようなことをしなかったではないか
孔明なくして天下統一はありえず、もっと早く孔明と出会ってたらもしかしたら。。

292: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/02/13(日) 08:36:00 ID:31UMmjeb0.net
何故統一できなかったかと考えるほどの
チャンスが一度でもあったのか?

301: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/02/17(木) 23:14:11 ID:WQQIFjtZ0.net
せめて法政が長生きしていれば、それか韓信(もしくは関羽に韓信の霊が乗り移る)や陳平のような人物がいれば天下を取れたかも

304: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/02/18(金) 00:27:37 ID:/dmA1Udi0.net
劉備が天下統一するには蜀漢の人口を爆発的に増やすか魏・呉の人口が激減するかの二択だよなw

305: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/02/18(金) 01:28:57 ID:xXE9PxH80.net
人口が増えても蜀にその人口を養うだけの食の確保ができるかな?

まぁ人口よりも、敵国の内部の腐敗と政治の混乱が必須だと考えるけどね
大国が滅ぶのは、外患より内憂

項羽は戦術家で政略に疎い点を突かれて情勢をひっくり返されたが
政戦両略に通じる曹操相手に項羽のときのような逆転劇は見込み薄いだろう
それこそ、戦場で曹操を殺すくらいの出来事が起こらんことには無理

袁曹の戦いが終結した時点で、曹操存命中に曹操以外の勢力が天下を盗ることってのは
関ヶ原の戦い終結後、真田が天下を盗る方法を語るに等しい

306: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/02/18(金) 10:29:26 ID:jg1qLJJM0.net
>>305
せめて赤壁で曹操を討ち取っていれば、話は変わったかもしれませんね

309: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/02/19(土) 04:17:34 ID:UGQTILVE0.net
>>306
赤壁で曹操が死んでたら、魏は袁家と同じく兄弟の跡目争いによる内部分裂が起こる
可能性が高そうだね

そうなれば劉備にもチャンスが・・・と考えられなくもないが
曹操の死による混乱を周瑜が見逃すはずもなく、孫呉が天下統一って流れになる算段が有力
赤壁あたりで曹操を討ち取れてたとしても、劉備の天下統一は甚だ難しいように思える

310: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/02/19(土) 08:41:33 ID:ZP8qR+MCO.net
なんせ地盤が荊州の一部だけで、軍閥としても今一の劉備では。
赤壁の敗戦による曹操の圧力低下でやっと荊州取り程度の力しかないのが当時。
赤壁激突前に荊州全土を完全掌握出来てたら、司隷進攻の芽はあったかもしれんが。

311: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/02/19(土) 20:26:28.12 ID:spV+OOE/0.net
荊州益州領有してさらに呉の揚州を合わせても
国力で魏に負けてるのよね

313: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/02/20(日) 11:54:15.80 ID:7i/+SMKq0.net
>>311
でも、蜀に本拠を置いた頃の劉備は漢中戦といい
関羽の荊州侵攻といい、寡兵で魏を圧倒してるからな。
魏の兵力が多ければ、兵力差で押し込めるとは言いがたいかもよ。

315: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/02/20(日) 23:38:14.95 ID:sjPZXbDt0.net
劉備の存在意義が対曹操だからなー
曹操が倒れたら、蜀取りも出来たかどうか

しかし、曹操が赤壁で倒れていたらって魅力的な妄想だな
妄想でいいなら、劉備にとって一番いい形の曹操の死に様は、潼関の戦いで馬超に討ち取られた、だろうけど

荊州問題はあるが、蜀制圧可能

316: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/02/20(日) 23:45:14.38 ID:sjPZXbDt0.net
官渡以後で曹操が死にそうな戦い

・烏丸攻め
・赤壁の戦い
・潼関の戦い

劉備と戦った漢中攻めは流石にないな……

317: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/02/20(日) 23:50:37.55 ID:o0/WJL0/0.net
曹操も戦上手だったが、
司馬懿と陸遜もまたド変態
彼らが世に出る前にどうにかしないと無理

318: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/02/21(月) 00:05:55.43 ID:FZcVI8rs0.net
>>317
曹操と異なり、司馬懿と陸遜は勢力のトップって訳じゃないから、無力化する方法はないわけでもない
できすぎる家臣は何かと危うい存在

演義でのはなしだが、策を用いて司馬懿を前線から遠ざけるなんて話しもあるくらいだしな

321: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/02/21(月) 19:25:38.05 ID:8lxjCJ2R0.net
>>318
司馬懿と陸遜は卓上の駒みたいなもんだしな。
権力でどうとでも押し込める。
機嫌損ねると何をしでかすか分からない規格外の豪傑関羽のような
危険性がないのはメリットとも言えるが。
劉備には関羽を配下として扱えるほどの器がなかったんじゃ・・・

320: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/02/21(月) 04:40:19.75 ID:X4LVfaS10.net
劉備が天下を取れなかった理由な…

・故郷を基盤に出来なかったから
・場所場所で人間関係をいちいちリセットしてたから
・若い頃にサボってたから
・野心丸出しだったから
・遠縁とはいえさんざやらかして傾いてる組織の縁者だったから

323: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/02/21(月) 19:37:45.24 ID:KcSSEG6g0.net
司馬懿と陸遜は用いた方が良いと思う
ただ、出世させすぎると、やっぱり前者はクーデターを起こし、
後者は政争巻き込まれて憤死するのかなw
関羽も御せない劉備は天下取れる器じゃない

325: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/02/22(火) 20:29:10.16 ID:oKQ4PPrUO.net
諸葛亮の荊州乗っとり策などの部下の献言を何度か退け、間違った選択をしたこと。
ホウトウに説得され益州を奪い、曹操を撃退しこれからというとき、その前後に重臣がばたばたと死んだこと。

326: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/02/22(火) 20:48:03.45 ID:JbvnF14A0.net
戦争とかに向くタイプじゃないよね劉備って?

327: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/02/22(火) 21:47:31.24 ID:5BQBy/Om0.net
数ある中でも最後まで残った名うての傭兵集団・爪牙だったよ>劉備軍

328: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/02/23(水) 06:53:17.30 ID:VGYO6KG2O.net
地力のある軍閥ではないが、戦闘能力は並より高い軍団。
それが荊州奪取前の劉備たち。
荊州奪取で漸く地方軍閥の仲間入りして、益州・漢中掌握でやっと地力がつき
漢朝消滅で帝を称する事が出来たが、如何せんその前後に中核の将軍たちが次々に死亡(もっとも大体高齢だったから世代交代は何れにせよ間近だったが)
そしてカリスマ性で軍団を維持してきた劉備本人にタイムリミット、って所か。
徐州で傭兵部隊から確固たる軍閥に脱皮できてたら、多少は様相も違ってたかもしれないが。

330: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/02/23(水) 18:58:47.09 ID:aMZcZsf80.net
ああ、確かに劉備が天下統一レースに加わるなら、徐州時代だろうなー
それ以後~荊州四郡まで、客将・傭兵扱いだった訳で

331: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/02/23(水) 19:05:59.49 ID:lOY0PkiE0.net
徐州時代に呂布の裏切りがなかったら違った展開になったのかね。

332: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/02/24(木) 00:22:36.67 ID:H9bNF72X0.net
徐州は守りに向いてないから
曹操が南下してきたらやっぱりどうしようもなかったんじゃない?
袁紹がもっと積極的ならなあ

333: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/02/24(木) 01:14:34.45 ID:+f+PqQBK0.net
徐州が守りに向いてないなんてこたーない
孫呉からすりゃ守りにくいだろうが、劉備が本拠地にする分にはなんら問題ない
元は、大国であった楚の北部だぞ

言っとくが、陶謙の頃に曹操の侵攻を少なくとも2回は防いでいるからな

334: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/02/24(木) 01:20:43.11 ID:N4xaiSxy0.net
あれは防いだといえるのかどうか。
まあ一州対一州の規模なら縦深も山河の険もあるし守り難いわけじゃないだろうね。
曹操は勝利を重ねながら、後退を重ねる陶謙を捕捉仕切れずに諦めるしかなかった。
守るならエン州の方が難しいだろう。

337: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/02/24(木) 09:21:03.26 ID:YwHJdx8xO.net
皆、本当の劉備の人生のターニングポイントは徐州な訳だな。
徐州に派遣されて、上手く陶謙の譲渡を受けて早期に徐州の地盤固めを成し遂げてたら
少なくとも当面は対袁術に傾注出来てたわな。
無論後ろ盾として袁紹あたりにバックアップを頼むのが必須だけど、聊か徐州掌握にもたついた感はある。
やっぱ戦略的見地を持ったブレーンが居なかったからだろか。

338: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/02/24(木) 10:02:12.76 ID:Q0stL1Ul0.net
いやいや。そもそもね。どこの馬の骨か知らん奴が突然やってきて国主ですって
言って在地の豪族が素直に従うわけがw
一応正式な任命受けて任地入りした劉表や劉鴛でさえ掌握には相当苦労してるし
蔡氏や東州兵の武力の後押しなしでは不可能だったと思う。
流れ者の分際で、官位や職歴もなく兵力もない状態で徐州に来たんだから難しいでしょ。
仁者で徐州の人皆慕った・・・なんてことさら書いてることがあやしい。
実際曹操が攻めて来たら、ころっとそっちについちゃってるんだからw

札付きの呂布を受け入れたのだって、その武力を徐州掌握のために利用したかったからって
ほうがすんなり納得できる。
結論としては徐州時代に天下に名乗りを上げるには実績、名声ともに不足。
その後曹操陣営に入り官位と実績(?)と箔をつけたから「客将」として通用したわけでね。

俺はやはり箔を付けた後の新野時代、曹操が袁氏を滅亡させるまでの期間がターニングポイント
だったと思うな。劉表陣営において政略を駆使してキャスティングボードを握る地位を占め
その時点での曹操との敵対、孫氏との和睦、同盟を成し遂げて、劉表一族を内部からあぼんで
国主へ、という道以外に可能性が高い道が思いつかん。

341: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/02/24(木) 20:11:09.19 ID:N4xaiSxy0.net
>>338
徐州の大豪族であり、陶謙の側近中の側近だった糜竺・陳父子の支援で
劉備は徐州牧になってるわけだが。
それから袁紹と手を結び、曹操へ使者を送って献帝から鎮東将軍の名号を正式に拝命し、
後顧の憂いなく袁術攻撃に入った。ここまで、順風満帆。
それが呂布を迎え入れていたために全部おじゃん。

袁術攻撃までに二年かかった理由としてはいくつか想定できるが、
・元々陶謙が徐州全域を支配していなかった可能性(東部には臧覇がいた)
・曹操の屠城で下ヒ周辺が壊滅し、再建に手間取る。
・袁紹・曹操と結ぶまでに時間が掛かった。
などがあるだろう。

339: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/02/24(木) 12:21:18.58 ID:YwHJdx8xO.net
たしか徐州に入った時に平原相称してたんだっけ?しかも正式でない公孫サンの勝手に授けた官職。
公的権威はねーわ、只の派遣された傭兵部隊だわ、これで一国取るのは難しいか…。

343: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/02/25(金) 03:04:17.29 ID:GIQ2YO/X0.net
陶謙が徐州全域を支配していたかどうかというのは、
刺史の制度としての強制力の強さ云々の問題よりも
陶謙自前の武力が州全体を支配するにたる規模だったかという
問題の方が大きいだろう。

351: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/03/06(日) 05:28:15.65 ID:wVgAvOr40.net
>>349
謝安ならまだしも、謝玄ではなんともならんて
劉備の天下に必要だった人材は、後方を任せられる人材でしょ

曹操にとっての荀彧、孫策・孫権にとっての二張、袁紹にとっての田豊
混乱期に単なる軍閥から群雄となり勢力を伸ばせたのはこれら後方を支える人材がいたから

徐州時代の劉備には陳羣や陳珪・陳登親子がいたが、劉備自身が彼らを活用できなかったため
後に諸葛亮の加入まで単なる傭兵集団的な軍閥から脱却できず、勢力を築けなかった
それが最後まで響いている

352: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/03/06(日) 11:49:04.75 ID:dgRgUGVj0.net
>>351
後方というかむしろロングプランが立てられる人間で、中原で生き残ることを考えると加えて謀略にも長けてると望ましい感じだと思う。
劉備は大局視が微妙な感じだから。
つか孫策・孫権で言うなら二張より周瑜・魯粛が必要。


>徐州時代の劉備には陳羣や陳珪・陳登親子がいたが

この3人じゃ無理でしょ。
制度設計タイプと謀略家と司令官タイプだし。
中原劉備政権(仮)が出来たら要を担える人材だけれど、
初期劉備最大の短所はすぐ物事を放り出したり、大局視が出来ないところにあるんだから。

354: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/03/06(日) 12:06:57.43 ID:M7UguFgCO.net
結局は支配地等でチャンスは幾度か(徐州や荊州)あっても
劉備自身が人を得ないか、いても使いこなせず後手後手に回って間に合わなかったのが原因でFA?

355: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/03/06(日) 20:02:46.22 ID:KTDf8IRr0.net
>>354
むしろそこら辺で勢力を築けないで逃げられたから,最後まで生き残った気がするけど。

変に徐州なんかに居座っていたら,袁紹か曹操に滅ぼされるか吸収されるかしてたのでは。

356: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/03/07(月) 02:06:31.08 ID:QTjEW/2IO.net
劉備は一応、曹操の評でも準曹操格だし、
軍事面では大局的な視点の完全な欠如を除けば欠点が少ないから、
それを補う荀イク・魯粛タイプが早期に得られれば雄飛の可能性はあると思うよ。

まぁ、でも当時の徐州は確かに場所が悪い気もするけどね。
煬帝が京杭大運河を築いた後なら悪くない場所なんだけど。
後方確保のために南方進出したくなるけど、九江には袁術がいて、
丹陽には既に孫策が入ってるんだよな。

劉備が呂布を斬って曹操につき出していれば、曹操が南陽攻めて、袁紹が地盤固めしている最中に、
曹操の与党のふりをして曹操の手駒使って袁術倒して九江郡取り込む手が使えるんだけどね。
この時期だと劉備は袁紹と曹操の間で風見鶏やってもなんの問題もないし。
それでも荀イク格の人間が補佐に居ないと曹操が東向いたらアウトだろうけど。
まぁ、荀イク格が居れば三つ巴位には持ってけるんじゃないか?

357: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/03/07(月) 15:08:16.99 ID:jt/pgLiA0.net
徐州では戦略をたてる軍師がいなかったし、
曹操、孫策に挟まれて窮屈、袁紹、袁術、呂布らもいて場所が悪かったと思う。

軍師を得て荊州、益州で勢力を伸ばすというのは真っ当な戦略だと思うけど、時既に遅し。
曹操「劉備はわしと同等だが、計略を考え付くのが少し遅い」
司馬徽「臥龍、主を得るとも、惜しむらくは時を得ず」
敗因はこの評通りじゃないかと。

それでも蜀の皇帝にまでなったのは偉業。
滅亡へのターニングポイントは呉と和を保てなかったこと。
徐庶、ホウ統、法正、馬良、黄権らが長く仕えていたら違う展開になってかもしれないけど、
どの道魏と呉が健在でいる限り天下統一は無理ゲーだったんじゃないか。


引用元: ・劉備が天下統一できなかった最大の原因