61vC8BtfMmL



1: 世界@名無史さん 2011/03/15(火) 04:59:31.80 0.net
無かったので







ポエニ戦争

ポエニ戦争(ポエニせんそう、羅: Bella Punica)とは、共和政ローマとカルタゴとの間で地中海の覇権を賭けて争われた一連の戦争である。

紀元前264年のローマ軍によるシチリア島上陸から、紀元前146年のカルタゴ滅亡まで3度にわたる戦争が繰り広げられた。

第一次ポエニ戦争の結果、ローマは初めてイタリア半島外の領土であるシチリアを手に入れ、これを属州として統治するようになった。また第一次ポエニ戦争から第二次ポエニ戦争までの間にカルタゴ領であったサルデーニャとコルシカも属州に組み入れた。こうした海外領土(とくにシチリア)は安価な穀物をローマに流通させ、食料供給を向上させる一方、自作農の窮乏を招く一因となっていった。

また、イタリア半島に攻め込まれ、ローマ滅亡の危機にまで陥った第二次ポエニ戦争は、危機の中で元老院の指揮権を拡大させ、共和制末期の共和主義者達が理想視したような元老院主導体制が作られていった。さらに、新たな属州としてヒスパニアを加え、ローマは西地中海の覇者として確固たる地位を得ることとなった。

第三次ポエニ戦争はこうした強大になったローマの力を地中海世界に改めて示し、地中海を徐々に「我らが海」としていった。





4: 世界@名無史さん 2011/03/16(水) 00:23:52.50 0.net
さすがに塩撒くのはやりすぎだと思います

317: 世界@名無史さん 2016/01/10(日) 14:54:42.40 0.net
>>4
さすがに塩撒くのは都市伝説だと思います

318: 世界@名無史さん 2016/01/10(日) 16:02:18.92 0.net
>>317
呪いの儀式の祭壇周辺にちょい撒きぐらいなんだろうけどな。

5: 世界@名無史さん 2011/03/16(水) 22:02:36.80 0.net
アンティオコス大王とハンニバルが組んで
ローマに手も足も出ないって何なの?

200px-Antiochos_III


アンティオコス3世

アンティオコス3世(紀元前241年 – 紀元前187年、在位:紀元前223年‐紀元前187年)は、セレウコス朝の君主。

前代まで縮小傾向にあったセレウコス朝の領土を拡大し、東方はインドにまで遠征して大王の称号を得た。紀元前189年ローマとの戦争に敗れる。



200px-Hannibal_Slodtz_Louvre_MR2093


ハンニバル・バルカ

ハンニバル・バルカ(紀元前247年 - 紀元前183年/紀元前182年)は、カルタゴの将軍。

第二次ポエニ戦争を開始した人物とされており、カルタゴが滅びた後もローマ史上最強の敵として後世まで語り伝えられていた。2000年以上経た現在でも、その戦術は研究対象として各国の軍隊組織から参考にされるなど、戦術家としての評価は非常に高い。



6: 世界@名無史さん 2011/03/16(水) 23:30:50.00 0.net
さして重要でないエブロ川沿いの国境紛争だったはずなのに、
アルプス越えまでやってイタリアに乱入、全面戦争に発展というのもねぇ~


第二次ポエニ戦争

紀元前221年、ハスドルバルが暗殺されると、ハミルカル・バルカの息子ハンニバルが後継者となった。

紀元前219年、ハンニバルはサグントゥムを攻撃した。サグントゥムはエブロ川以南の都市であったが、ローマとの同盟を結んでいたため、ローマは攻撃停止を求める使節団をカルタゴに派遣した。しかし、両者が交渉をしている間にサグントゥム陥落の一報が到着、クィントゥス・ファビウス・マクシムスは使節団を代表して宣戦を布告した。


8: 世界@名無史さん 2011/03/22(火) 01:21:58.58 O.net
>>6
あの紛争はハンニバルがわざとやったんでしょ
ローマ入ってからもハンニバルが国から支援受けてれば勝てたのに

9: 世界@名無史さん 2011/03/24(木) 20:38:43.57 0.net
>>6
ハンニバルは親父の雪辱&ローマの覇権主義への恐れから虎視眈々とチャンスをうかがってたんだよ。
もしエブロ川の件が無かったとしても難癖付けて攻め込んだはずさ。

ただハンニバルの大局観はなぁ。カンネー時点で講和を結んでもローマに歯止めをかけることはできたはず。
むしろそのあとジリ貧になったことを思えば、その方がマシなのかとも思ってしまう。

14: 世界@名無史さん 2011/04/03(日) 12:18:02.51 0.net
農業派とウラとってなかったんだろう。この時点で、総力戦にもちこまれたら
ヤバイ。勝ったあとのヴィジョンも共有されてもいなかったんだろう。
結局政治レベルで合意が成り立っていなくては将軍一人ではどうもならない。

カルタゴ対ローマっていうかハンニバル対ローマって感じだし。

36: 世界@名無史さん 2011/06/24(金) 08:54:20.72 0.net
イタリア南部に何年居すわられたんだっけ。14年以上だよね。ファビウスの戦略だろーけど、正面切っては挑戦できなかった。あの、ローマが、だよ。
しかし、ローマのサイドの結束力はハンパ無いね。エトルスキ人とか、サムニウム人とか、ネアポリス(ギリシャ)人とか、同床異夢のはずの傘下の勢力が寝返らなっかからね。
ハンニバルには、それが最大の誤算。彼は、カンネーの戦いの直後は、雪崩現象が起こる、と期待したはず。

残念なのは、カルタゴ本国の認識の甘さだね。B.C.216年の時点では、もはや、後戻りできない、って認識が必要だった。

41: 世界@名無史さん 2011/06/29(水) 13:13:14.44 0.net
>>36
>残念なのは、カルタゴ本国の認識の甘さだね。B.C.216年の時点では、もはや、後戻りできない、って認識が必要だった

ハンニバルが期待していた雪崩現象がおこらない以上、本国が全力を挙げて支援しても無駄だったろうな。

42: 世界@名無史さん 2011/06/29(水) 18:35:22.37 0.net
>>41
カルタゴ本国は、当然ながら、一枚岩じゃない。
ようやく追い出した反主流派のバルカス家のすることは、なんであっても認めないという
主力な一派もあったのだし。
全力を挙げてハンニバルに名をなさしめるようにバックアップをするのは、ちと無理だったろう。

37: 世界@名無史さん 2011/06/24(金) 09:25:52.85 0.net
本国は持てる富の全てを使っても、ギリシャで傭兵を募るべきだった。幸い、マケドニアは好意的だったのだから、地中海を縦断するのが危険なら、リビア、エジプト、シリア、カーリアの順に沿岸伝いで、エーゲ海からペロポネーソス半島に渡り、エペイロス方面に出、そこに司令部を建設する。
地元の市民や支配者階級には、莫大な賄賂を贈り、司令部建設の場所を借りる。そこで、海軍と輸送船団、重装兵を募集する。スパルタ出身の指揮官は第1次ポエニ戦争中、カルタゴ城下での決戦を勝った故実があるんだから、スパルタ人の大量起用は縁起がいいし、アルゴスやマンティネア、ボイオーティアと言う(かつての)大国も控えている。

39: 世界@名無史さん 2011/06/29(水) 11:04:09.46 0.net
ハンニバルがザマの決戦でスキピオに勝っていたらどうなっていたかな。
ローマとカルタゴはまずまずの条件で和平、ハンニバルが北アフリカを平定して
カルタゴは依然として強国として存続、セレウコス朝シリアやプトレレマイオス朝
と同盟して再度ローマ包囲網を作り上げるなんて事になったかな。

40: 世界@名無史さん 2011/06/29(水) 11:38:00.04 0.net
>>39
第二のスキピオが現れるに500円点


200px-Isis_priest01_pushkin


スキピオ・アフリカヌス

プブリウス・コルネリウス・スキピオ・アフリカヌス・マイヨル(紀元前236年 - 紀元前183年頃)は、共和政ローマ期の軍人、政治家。元老院議員。スキピオ・アフリカヌスと称され、妻の甥で義理の孫に当たるスキピオ・アエミリアヌス(小スキピオ)と区別して大スキピオとも呼ばれる。第二次ポエニ戦争後期に活躍し、カルタゴの将軍ハンニバルをザマの戦いで破り戦争を終結させた。



72: 世界@名無史さん 2011/10/29(土) 18:23:50.56 0.net
当時のローマの城壁が硬すぎて、篭城されるとどうしようもなかったのだが、
なんらかの攻略法はなかったのだろうか?

74: 世界@名無史さん 2011/10/31(月) 09:30:40.98 0.net
>>72
攻城兵器は大半木製で、それはその辺で調達できるけど
金具とか釘・鎹やラムの先端を保護する鋳物とかは
国から送ってもらえないと作れなかったんだろう?
あとツルハシやシャベルのようなものも要るし、
兵器の防火用に大量の生皮がいる。

76: 世界@名無史さん 2011/11/05(土) 21:02:38.87 0.net
>>72
古代は今以上に首都に機能が集中しているから
カンネで勝った余勢を駆って死の物狂いでローマ攻撃すれば
あっさりケリがついたのにな

カンナエの戦い

カンナエの戦い(カンナエのたたかい)は、紀元前216年8月2日、アプリア地方のカンナエ(カンネー)で起こったローマ軍とカルタゴ軍の戦いである。第二次ポエニ戦争における会戦の一つで、ハンニバル率いるカルタゴ軍が、ローマの大軍を包囲殲滅した戦いとして戦史上名高い。2倍の敵を包囲・殲滅した衝撃的な勝利であった。カンネーの戦いとも表記する。

77: 世界@名無史さん 2011/11/09(水) 12:53:25.54 0.net
>>76

それでも籠城されると苦労したと思うね。

信長も本願寺を10年包囲した。

78: 世界@名無史さん 2011/11/09(水) 13:46:43.82 0.net
ツルハシ・シャベルの類はカンナエで降服したローマの陣地から調達できたろうけどね。
ある程度の鉄釘も。

81: 世界@名無史さん 2011/11/10(木) 08:37:29.88 0.net
ハンニバルはサグントゥム一つ落とすのに八か月もかかっている。
長期の包囲攻城戦の準備なしにローマを攻撃してもムダ。
実際ハンニバルはカプアの包囲を解かせるため、陽動作戦としてローマの門前まで進んだが
ローマ人はすっかり見抜いていて、軍を呼び返す事もしなかった。

ところがそのローマも、城壁で強化しながら、大した数でもなく攻城戦の準備もないと
思われるゲルマン蛮族に2度もあっけなく落とされるとは。
おおローマよ、しんでしまうとはなさけない。

82: 66 2011/11/10(木) 09:09:12.85 0.net
>>81
八ヶ月って冬営を兼ねてゆっくりしてたのと違うか?
もっともサグントゥムはローマ人が色々な技術を借りた本家のギリシア人の町で、
城壁の設計も造りも防衛兵器も進んでいたと思われる。

87: 世界@名無史さん 2011/12/29(木) 18:37:40.27 0.net
国家VS個人レベルの戦いなのによくやったよ。
そういう意味ではピュロス王に似てる。

89: 世界@名無史さん 2012/01/01(日) 17:59:38.22 0.net
>>87
同感だな
組織の力で押しつぶすという感じだな
対するハンニバルはカリスマで圧倒
ナポレオンはカリスマと組織があったからな
カルタゴも近代国家みたいな組織があればといっても
ああいう近代国家みたいな組織はあの時代だとロー共和国くらいしか
なかったのかな

88: 世界@名無史さん 2012/01/01(日) 17:20:09.55 O.net
カルタゴ帰還以降或いはザマ以降のハンニバルの言動も、伝えられていることが事実とすると、なかなか興味深い。

男こころをくすぐる

90: 世界@名無史さん 2012/01/01(日) 19:31:50.01 O.net
ハンニバルにとってカルタゴ本国は外国みたいなものだからね
ハンニバルにとって真の相手はカルタゴ政府

92: 世界@名無史さん 2012/01/05(木) 10:42:42.41 0.net
>>90
なこたぁねえや。そこで生まれたし、ニ次戦後も祖国に尽くしたのに。
食うか食われるかの相手はローマだろ。

96: 世界@名無史さん 2012/01/08(日) 09:56:09.85 O.net
>>92
生まれたと言っても九歳まで過ごしただけだし、ポエニ戦後もカルタゴで復興に努めるも結局は反ハンニバル派に追われて国外へ・・・。

97: 世界@名無史さん 2012/01/08(日) 10:19:17.30 0.net
用済みの英雄は叩き出すって基本的に正しいんだけど
用済みでなかった(ローマが生きていた)ことがカルタゴの悲劇

128: 世界@名無史さん 2012/05/14(月) 11:16:09.00 0.net
スペインからイタリア半島北部までやってくるのに数万の犠牲を出すってのも
今の話からはありえんな
戦闘以外のことでそこまでの犠牲を惜しまないとはな

141: 世界@名無史さん 2012/07/26(木) 15:23:15.52 0.net
スキピオの師匠としていいのがハンニバル
ハンニバルの師匠としていいのがアレクサンドロスとピュロス
ではアレクサンドロスとピュロスの師匠は?

アレクサンドロスは父のフィリッポスと家庭教師のアリストテレスとしていい?
しかし戦術面の師匠としてはさすがにアリストテレスはないかね
それとも何かしら間接的には影響があったか?

142: 世界@名無史さん 2012/07/26(木) 16:48:50.58 0.net
ピュロス王ってイマイチ印象に残らないよね
ギリシア系都市ターラントの救援要請を受け援軍としてはるばるやってきた
緒戦ではローマ軍相手に戦術の大家らしく見事な戦を展開
しかし、その後ギリシア人に足を引っ張られ次第に倦怠感に陥る
最後はローマ側と停戦講和して引き上げる結果に…
強いはずなのにパッとしないというかなんというか
ギリシア人も余計なことばかりするよなぁ

144: 世界@名無史さん 2012/07/26(木) 20:34:22.96 0.net
>>142
ピュロスの勝利の言葉だけが有名になってるイメージ


ピュロスの勝利

ピュロスの勝利は、「損害が大きく、得るものが少ない勝利」、つまり「割に合わない」という意味の慣用句である。

まだ新興都市国家だったローマがイタリア半島南部の都市国家タレントゥムと戦うことになったとき、常備戦力をほとんど持たない経済都市タレントゥムは、当時既に武将として盛名をあげていたピュロスに莫大な報酬を約束して傭兵として雇い入れた。

ピュロスはローマ軍と戦いこれを撃破したが(ヘラクレアの戦い(紀元前280年)、アスクルムの戦い(紀元前279年))、ギリシアから遠征してきたピュロスの軍勢は戦うごとに数を減らし、またローマが講和に応じないため、戦勝の慶びを述べた部下に対して、「もう一度ローマ軍に勝利したら、我々は壊滅するだろう」と言ったという。このことから、払った犠牲と勝利して得たものが釣り合わないこと、割りに合わない勝利のことをピュロスの勝利と呼ぶようになった。


143: 世界@名無史さん 2012/07/26(木) 19:03:08.64 0.net
アレクサンドロス・ピュロス・ハンニバル・スキピオ
との流れのなかで成立した戦術はある意味大発明となるな
それを用いることでローマはマケドニアやシリアを相手に圧勝し
地中海世界の覇者となったわけだからな

145: 世界@名無史さん 2012/08/01(水) 10:11:02.26 0.net
ハンニバルもザマでは象をまっすぐ突撃させたりして芸がなかったな
両翼で動ける陣地として敵の包囲を遅らせるとか、
斜めに突進させてローマ軍隊列を乱すとか、
もうちょっと有効な使い方なかったか?
そもそも象なんか使わざるをえなかった時点でオワコンだったのか

146: 世界@名無史さん 2012/08/01(水) 11:05:51.31 0.net
象は敵に突っ込んでパニックを起こさせるのが最も有効な使い方じゃなかったのかな?
斜めに突進させようがまっすぐだろうが同じ事だろうと思う。
最初に戦争に使ったインドではどういう使い方だったのかね。

203: 世界@名無史さん 2013/01/08(火) 23:27:45.17 0.net
必死になって象さんをアルプス越えさせたけどたいしてやくたたなかったよね
ザマでもたいしてやくたってなかったよね

204: 世界@名無史さん 2013/01/09(水) 00:00:00.54 O.net
実際役にたったかたってないかは不明だぞ
そもそも数が少ないし

ザマは普通に対策をとられただけだね。

でっていう

205: 世界@名無史さん 2013/01/09(水) 00:02:35.37 0.net
アルプス以北でガリア人びびらせるには効いたんじゃね

164: 世界@名無史さん 2012/08/10(金) 01:46:55.83 0.net
スピキオは下っ端だった頃に参加したハンニバル戦で死ななかった運が大きいな

190: 世界@名無史さん 2012/09/28(金) 22:09:46.07 0.net
20年近くも敵地で自給自足してたら兵隊がブチ切れるんじゃないの?
ほとんど傭兵だろうし

191: 世界@名無史さん 2012/10/03(水) 15:46:13.32 0.net
14年間だろ?
それに火をつけたり略奪したり博打を打ったりする飲んだりが好きな連中だったら
いいんじゃないの?少なくともハンニバルについていれば大負けはないし。

192: 世界@名無史さん 2012/10/03(水) 19:33:57.79 0.net
兵隊も老化するんじゃないの?

193: 世界@名無史さん 2012/10/04(木) 09:23:19.16 0.net
たぶんね。でもイタリア北部のケルト人やハンニバル側のギリシア植民市、
その他ローマの覇権を好まない地方などから補充はついたんだと思う。

194: lkjh 2012/12/15(土) 00:41:42.60 0.net
この戦争のカルタゴ側にはハンニバルくらいしか優秀な将軍がいなかったみたいな風潮がね、、、
バルカの末の弟もかなりのもんだぞ。

195: 世界@名無史さん 2012/12/15(土) 01:38:53.93 0.net
マハルバルとか名将として評価されてるだろ


マハルバル

マハルバルとは第二次ポエニ戦争でカルタゴの将軍ハンニバルのもとで騎兵を率いていた人物。ハンニバルのイタリア進攻で勝利には欠かせない貢献をした。

ハンニバルはイタリア進攻の最中も自らの騎兵戦力を補強しており、マハルバルにある程度の裁量を与えていた。トラシメヌス湖畔の戦いでは彼は騎兵を率いる立場にいなかったが、ヒスパニア人散兵を率いてローマの敗残兵を捕虜としている。

しかしながら、彼はハンニバルに対しての言葉で最もよく知られている。カンナエの戦いの後、ローマに直進すべきという意見をハンニバルは受け入れなかった。これに対してマハルバルは「ハンニバル、あなたは戦争に勝つ術を知っていても、勝利を活かす術は知らない」と言ったと言う。



197: lkjh 2012/12/16(日) 23:49:17.43 0.net
なんでギスコっちは途中から負けまくったんだろう。対コルネリウス兄弟のときは超強かったのに。
マゴがどっか行っちゃったせい?
それとも大スキピオは相手が悪すぎたか。
ハスドルバル・ギスコ

ハスドルバル・ギスコ(紀元前202年没)は第二次ポエニ戦争で活躍したカルタゴの将軍。主にヒスパニア、北アフリカ方面で活躍した。

紀元前215年にハスドルバル・バルカがデルトサの戦いで敗れるとカルタゴ本国よりヒスパニアへ派遣される。彼の登場によりイベリア半島のバルカ家の支配は終わり、カルタゴ本国の干渉も受ける事となった。そして紀元前212年、ローマ軍はヒスパニアへの攻勢に打って出る。これに対して彼はバルカ家出身のマゴととも軍団を率いて激突、ローマ軍を破り、コルネリウス・スキピオを戦死させた。そして彼は急遽取って返しハンニバルの弟ハスドルバル・バルカと交流、もう一人の司令官スキピオ・カルウスを計略にかけ、ローマ軍を破り戦死させた。

紀元前207年にハスドルバル・ギスコはガディス近郊に進攻、ここでもう一人のハンニバルの弟マゴ・バルカと交流。紀元前206年には兵を招集し70,000人の歩兵、4,500人の騎兵兵力を築き上げるが、イッリパの戦いでスキピオ・アフリカヌスに惨敗した。


199: 世界@名無史さん 2012/12/28(金) 11:57:32.82 0.net
昔はイタリア南部の方が文化が進んでいたのに、この戦争のあとずっと遅れているのは
戦争中の荒廃が後を引いているんだってね。

ハンニバルが南部に居付いてローマ側の都市国家の領地を荒らし、
やがては日和見しているだけで荒らしの対象になり、
ハンニバルが去るとハンニバル側だった地域はローマ側の報復の対象になる。

荒らしというのもただ価値のあるもの略奪して家を焼くだけでなく、
果樹園の木は切り倒す、果樹園や畑を家畜や野獣から守っている柵を壊して焼く、
井戸は埋める、灌漑用の水路も壊す‥。農民は追い払われて都市の流民になる。

こうして何年も放置されると、再び人が入って果樹園や農地を再建し自活できるようになるには
十年もかかり、その間は食糧を給付しないといけないらしい。
でも戦後ローマの金持ちはスペインの銀山開発と運営に資本を投下してしまい、
南部はほったらかしになった。食料は産出しないし輸出できるものもろくにないので
人口は減る一方。

200: 世界@名無史さん 2012/12/30(日) 08:12:29.46 0.net
どちらにしても
この時代はもうイタリア半島だけで
自給自足なんてできないようになっていたんでしょ?

206: 世界@名無史さん 2013/03/10(日) 04:01:35.94 0.net
この戦争の敗因はマゴ・バルカ、ハスドルバル・バルカ、ハスドルバル・ギスコの三名がイベリア各地へ散ったこと。
広大な土地を守るにはそれしかなかったのかもしれんが
ほかの全てを捨てて三名でカルタゴ・ノヴァを集中的に守ればそこの戦いでスキピオを倒せた。
マゴ得意の伏兵でスキピオ軍を挟み撃ちにして殲滅すればよかった。
この3名にはそれほどのポテンシャルがあったのに残念でならないわ

207: 世界@名無史さん 2013/03/11(月) 23:02:24.96 0.net
名将をまとめとく方がもったいない気もする

208: 世界@名無史さん 2013/03/12(火) 04:23:50.22 0.net
>>207
でもそうでもしないとスキピオなんぞとは絶対に互角に戦えない。
三名の連携でコルネリウス兄弟に圧勝したけど、その力でやっとスキピオと互角って感じよ
歴史にIFは無いけど、イベリア組がスキピオ廃止させてればなあ

209: 世界@名無史さん 2013/03/12(火) 09:24:53.42 0.net
スピキオを殺せば終了ってわけじゃないのがローマの強さだろ
最初の会戦で下っ端の頃のスピキオが死んでたら、ローマの国としてのスタミナが
カルタゴを圧倒するまでにもうちょっと時間かかっただろうけど
それでも行き着く先は変わらないだろう

211: 世界@名無史さん 2013/03/12(火) 19:12:17.85 0.net
>>209
確かにローマのことだからどうせ第二、第三のスキピオが出てくるだけだわな
でもそう考えるとローマヤバすぎワロたww
バルカ三兄弟、ギスコーネ、科学者アルキメデス、こんなに異様なメンツそろってるのに勝てないなんてな。
どうすればカルタゴは勝てたんだろうか、本国の支援はあてにしない方向で

226: 世界@名無史さん 2013/03/17(日) 22:16:22.65 0.net
ローマ人の物語の影響かなんか知らないんだけど
イベリアのギスコーネとバルカ弟達の連携が取れてなかったという考えって明らかに間違ってると思う。
まず、バエティス川の二度の戦いでのマゴ、ギスコーネ軍とハスドルバル軍の合流と戦闘の流れが非常にうまく成功してる。分断された2軍を使ってかの名将コルネリウス(弟)を戦死にまで追いやってることからもそれは分かるはず。
さらにその後の戦いでコルネリウス(兄)を追撃しこちらも戦死させている。
ジスコーネは反バルカ派だけど、バルカ家を尊重したのか方針は本国の影響をほとんど受けなかった。
そのご3名は軍を綺麗に三等分して各地へ散るわけだけど、これがギスコーネの自費で集めた兵を多く含んでる。
バルカをよく思ってないのならそれらの兵は全てギスコーネが掌握するはず。
俺はマゴを仲介役としてこの三名は強固な信頼関係をもっていたように思うんだけどどうだろう

228: 世界@名無史さん 2013/03/18(月) 04:11:10.79 0.net
>>226
“強固な信頼関係”とまで言うと強すぎるような気もするんだけど、
協力関係にはあったように思えるんだけど、どうだろうね。
「挙国一致のローマVSまとまらないカルタゴ」というイメージに毒されて、
ギスコーネとバルカの関係も実際以上に悪く伝えられてる気もするし。

229: 世界@名無史さん 2013/03/18(月) 14:37:47.78 0.net
>>228
たしかにそんな印象持たれてるよね
カルタゴ勢バラバラ、ハンニバルは頼れる副将もいなく、孤独な戦いだったみたいなイメージ。
実際はハンニバルは優秀な副将に支えられて戦ってたんだけどな
カンナエでも両翼の騎兵戦での圧倒があってこその勝利だし、この戦いの戦場で騎兵を指揮したのハンニバルじゃない。

212: 世界@名無史さん 2013/03/12(火) 19:55:15.61 0.net
最初の勢いでローマ陥落まで持ってくしかないんじゃないかな

216: 世界@名無史さん 2013/03/13(水) 08:48:08.47 0.net
なんやかんや言いながらカルタゴ本国は結構支援してくれてたと思うけど。
シラクサに将軍派遣したり、ピンチのイベリア戦線にマゴとギスコーネ送ったり
シラクサは疫病にやられたみたいだがイベリア組はこのおかげで大勝利。
そんなに本国を批判しないでやってくれ
まああてになんないことは確かだけど

217: 世界@名無史さん 2013/03/14(木) 20:09:18.39 0.net
カルタゴはちょっと支援する程度
一方ローマは総力戦

218: 世界@名無史さん 2013/03/15(金) 12:18:43.90 0.net
マルケルスってすごくね?
ローマ史上たった4人しか持ってない最高の栄誉称号持ってて
2年かかったけどアルキメデスとその開発兵器有するシラクサを陥落させて
一回も勝てなかったけど挫けずにハンニバルと互角の勝負を展開
さすがはクラウディウス氏族って感じ
なのに知名度低すぎ、過小評価されすぎだと思う


マルクス・クラウディウス・マルケッルス

マルクス・クラウディウス・マルケッルス( 紀元前268年 - 紀元前208年)は、共和政ローマ期の軍人、政治家。第二次ポエニ戦争でハンニバルに対して果敢に戦闘を仕掛け「ローマの剣」と称された。


219: 世界@名無史さん 2013/03/15(金) 13:15:32.89 0.net
歴史的な位置づけでは、つなぎの役っぽくなってるからなぁ
ファビウス(戦略面での柱)とスキピオ(決定打)の影に隠れるのはやむなしに思える


200px-N26FabiusCunctator


クィントゥス・ファビウス・マクシムス

クィントゥス・ファビウス・マクシムス・ウェッルコスス・クンクタートル (紀元前275年 - 紀元前203年) は、共和政ローマの政治家、将軍。

第二次ポエニ戦争で活躍、持久戦略でハンニバルを苦しめ、「ローマの盾」と称された。なお、持久戦略をファビアン戦略(フェビアン戦略)、とくに暴力革命やプロレタリア独裁などに頼らない社会改良主義を志向した運動をフェビアニズムと呼ぶのは彼の名に由来する。


220: 世界@名無史さん 2013/03/15(金) 15:28:24.69 0.net
たしかにそうかもしれない
偵察中に伏兵(多分ハンニバルの策略)にかかって死んじまうあたり映えないし
そういえばファビウスとミヌキウスの逸話も感動的だよな
すぐ後のカンナエでミヌキウスが戦死してしまうあたり泣けるわ

221: 世界@名無史さん 2013/03/15(金) 16:34:03.55 0.net
それにしても、ファビウスの持久戦略が一応の成功を収めたってのもすごい話だ。
日本の戦国時代だと、後詰めしない(しても遠巻きに牽制するだけ)なんて領国の崩壊直結だ。
ローマの共存共栄の治世に挑む、ハンニバルの大義名分が不明瞭だったということだろうか?
せいぜい、まだローマと係争中だったガリア人にしかアピールできてなかったように見える。

223: 世界@名無史さん 2013/03/15(金) 17:36:11.14 0.net
>>221
多分ローマ側がファビウスに全て委ねることしかできなかったんだと思うよ
カンナエで兵士6万人と元老院議員三分の一が死んで、前のミヌキウスの件もあって
おまけにそれまでの勝利はコルネリウス兄弟(兄)のイベリアのキッサでのものだけ、それ以外ローマ全敗。
ファビウスに任せる以外道がないって皆悟ってたんだろう

222: 世界@名無史さん 2013/03/15(金) 17:23:18.74 0.net
ファビウスの持久戦略発動→ハンニバル物資現地調達できず→ハンニバル軍隊の質、数を維持できず
→バルカ次男アルプス超えて増援に→バルカ次男アルプス越え後の疲弊状態を攻撃される
→バルカ次男最初は善戦するも結局戦死→ハンニバル希望が潰え身動きとれず
→バルカ三男ローマ支配下の海を越え増援へ→バルカ三男ピチェンツァまで進軍し、兄の死を知る
→バルカ三男半島北に閉じ込められる→バルカ三男戦傷が悪化し志望
→ハンニバル絶望→カルタゴおちまい

ファビウスはすげえよ

252: 世界@名無史さん 2014/04/03(木) 16:50:54.00 0.net
>>222
逆にこれくらい徹底的に潰していかないと、持久戦なんてできないってことだよな
持久戦って簡単に言うけど、単に何もせず待ちながら機会を伺うわけじゃないわけで

ところでカンネの会戦の後に、すぐローマ市内に侵攻していても結果は変わらなかったんだろうかな
それだけでは完全勝利が難しくても、その時点でローマを荒らして戦う気をなくしたローマに有利な講和を迫るとか

224: 世界@名無史さん 2013/03/15(金) 23:23:22.73 0.net
攻勢に出られなかった場合、持久戦略で耐えるターンは何年ぐらい続けられたのかな

225: 世界@名無史さん 2013/03/17(日) 21:49:43.90 0.net
>>224
年数までは何ともいえないけど、あまり長くはもたないと思う。
南イタリアやシチリアの疲弊があまりに大きくなると、イタリア半島とアフリカの間の海の軍備に影響が出てその地点の制海権が揺らぐことになる。
するとその隙をついてハンニバルにカルタゴ本国からの支援が入ってしまうこととなる。
実際に支援してくれるかどうかは別として、それを許す状況を作ってしまうことはあまりに危険とローマも判断するはず
そうなれば持久戦略は撤回する必要が出てくることになるだろうね

230: 世界@名無史さん 2013/03/18(月) 15:39:23.14 0.net
ハンニバルは戦争ふっかける前の根回しが足りなかった
じゃあ何ができたかと言われても困るが

242: 世界@名無史さん 2013/07/08(月) NY:AN:NY.AN 0.net
>>230
アルプスのガリア人がローマ人に忠義だてすることも
それであんなに損失をだすことも予想してなかったんだろう。
ボロボロになって降りてきてそれでもすぐ戦争して勝てたんだから、
人や馬や象をそっくり連れてこれたら趨勢はだいぶちがって来たんじゃなかろうか。

231: 世界@名無史さん 2013/03/18(月) 15:46:42.44 0.net
根回しというより調査かなあ。
地中海周縁国の目には既に一回戦争に勝ったローマが有利と思われていたんだろう?
どこだっけ遺言で領土をローマに遺贈した国王もいたし、
ヌミディアも寝返ったし。

233: 世界@名無史さん 2013/03/18(月) 19:40:22.88 0.net
アフリカ象を調教出来るのか?

234: 世界@名無史さん 2013/03/19(火) 08:57:38.70 0.net
>>233
カルタゴの軍用象は今のアフリカ象じゃないよ。
主に北アフリカ沿岸の森林地帯に住んでいた、インド象より一回り小さい象を使っていた。
それらは砂漠の拡大と共に絶滅したと思う。
ハンニバルがイタリアに連れて行った象の中には一頭だけインド象がいて、一番最後に死んだ。

235: 世界@名無史さん 2013/03/19(火) 09:13:21.63 0.net
Loxodonta africanaが今言うアフリカゾウで、
カルタゴやプトレマイオス朝エジプトで主に使ったのは
その絶滅した亜種でLoxodonta africana pharaohensis。
他にLoxodonta cyclotis 和名マルミミゾウというのがアフリカ中部に現存しているらしい。

236: 世界@名無史さん 2013/03/19(火) 15:10:16.11 0.net
後にハンニバルを匿うことになるセレウコス朝シリアはインド象も多用してた。
インドからの輸入やインド経由で東南アジアからやってきたやつ。
マケドニアはどこの象だ?

241: 世界@名無史さん 2013/05/17(金) 14:57:29.86 0.net
インドでは、象使いはまだ子供の頃に一頭の若い象をあてがわれて、
以来片方が死なない限りパートナーとして過ごすんだそうだ。昔から。
シリア・エジプト・カルタゴでもそうだったのかな。

プルタルコスの著書によると、ピュロスの象の一頭は市街戦中自分の象使いがいなくなったのに
気付いてもう誰のいうことも聞かずに来た道を軍勢を押し分けて戻り、
死体を見つけて拾い上げると死ぬまで暴走したっていう。

256: 世界@名無史さん 2014/04/04(金) 01:34:36.24 0.net
一応カンネ当時のローマ予備兵力は75万程度と推定されてる
正直寝返りないとハンニバルは詰んでると思う

257: 世界@名無史さん 2014/04/04(金) 02:03:09.81 0.net
>>256
いかに75万の兵力があっても同盟市やら植民市を合わせた数だから、ローマ市が落とされて首都機能が無くなったら機能的に組織することは難しいと思う
とはいってもローマに留まったらいつかは集まってくるだろうから、それまでにローマを落として有利な講和を結ぶまでもっていかなくては行かないからかなり無理ゲなのは変わらないだろうけど

259: 世界@名無史さん 2014/04/13(日) 20:16:27.44 0.net
兵力劣勢でハンニバルが率いることで無理矢理勝ってるだけだから
包囲しながら略奪軍も出すってのは無理だよ

260: 世界@名無史さん 2014/04/14(月) 10:20:54.26 0.net
やはり会戦で力みせつけ相手側の味方をこちらに入れる戦略は間違ってはいないとは思う
ちかし基礎的な国力の差が大きすぎた

263: 世界@名無史さん 2014/04/18(金) 21:32:41.16 0.net
当時のローマ市には兵役に耐えられる人間が何万人いたん?
潜在的な防衛力ってどれくらいだったんだろうか

271: 世界@名無史さん 2014/05/06(火) 03:58:56.87 0.net
ハンニバル軍と現地山岳民が交戦した記録は残ってるが、実際の所はどうなんだろう。
ハンニバルがアルプス越えに要した期間は一ヶ月程度、30日で計算すると
1日600人以上死傷した事になる。当時の山岳民にそれだけの実力があったのか?
またハンニバル軍が多数の事故死者・凍死者を出したと言われるがハンニバルは
10月初めか11月初めには北イタリアに進出していて、11月にはティキヌスで
12月18日にはトレデアでローマ軍に大勝している。10月・11月のアルプスは
確かに寒いだろうがよほどの薄着で高度に登らなければ凍死の可能性は低い様に思う。
そしてアルプス越えは確かに難路の連続だっただろうが、ハンニバルは象はともかく
騎馬隊6000の兵力や武装・生活材の輸送には成功している。またそれらが なければ
当然ローマ軍と戦えない。アルプスの道は確かに細くて曲りくねってただろうが
それだけ大量の馬や荷車が通過できた道で1日何十人も何百人も人が落っこちて死ぬだろうか?
シノレスはアルプス越えで46000人の兵力が2万6000人まで減ったが、
ハンニバルが北イタリアでローマ軍に大勝した事で現地のガリア人達がハンニバル
軍に参加して兵力が短期間で5万以上になったと述べている。しかし実際は本隊で
あるハンニバル軍が北イタリア征服が完了して兵糧の確保も目星が付いたので南仏
にいた後続軍を呼び寄せ、損失が出た分を現地人で補ったと言うのが正しい様に思う。

272: 世界@名無史さん 2014/05/06(火) 04:00:49.35 0.net
お前南仏との街道にはローマ軍団いたんやで
アナバシスだって1万人のギリシア人傭兵団が5000人に減ったぞ

273: 世界@名無史さん 2014/05/06(火) 04:13:50.49 0.net
確かに南仏にはローマに友好的なギリシャ植民地やガリア部族が居たがローマ兵は
少数。実際ローヌ川沿いの小戦闘の後執政官のスピキオ(父)が駆けつけるが、
その時にはハンニバルは渡河を終えてアルプスに向かってから3日後だった。
しかもスピキオ(父)はハンニバルがスペインに帰ったと勘違いした形跡があり
アルプス越えで疲労困憊のはずのハンニバル軍に体制を整える時間を与える失策を犯した形跡も観られる。
要するに当時の南仏ではローマは何万という将兵の移動も把握出来ない程情報収集能力が劣っていたと言う事。
ちなみにアルプスーピレネー間にローマ街道が引かれるのが紀元前120年、
最初の植民都市が築かれるのが紀元前118年(ナルボ)でハンニバル戦争から80年以上先の話。

アナバシスの苦労した将兵を馬鹿にする訳ではないが、ギリシャ傭兵達が1万から
5000人に減るのにかかった時間は2年間、1日辺り平均6.8人。
それに対して一月アルプス越えでハンニバルが失った兵士は1日辺り平均666人。
果たして敵と一戦も交えていない毎日これだけの人間を死なせたり逃亡させたりする
将軍に兵士はついていくのだろうか? そんな将軍の命令を命懸けの戦場で聴くだろうか?
ハンニバル自身も時に敵・味方に残酷な行為もしたが無益な行為はしない合理的な人物だった。
そんな人物がいくらローマ進軍の為とはいえこれほど無益で自軍の士気が下がる行為をやるだろうか?

274: 世界@名無史さん 2014/05/06(火) 05:40:13.90 0.net
もしも、それに関して議論するなら
歴史上の冬の山越え(行軍中)を比較検証していく必要があると思う

ちなみに、飽食の日本じゃ想像しにくいけど
凍死が起こる最大要因は食料の窮乏だ
着衣はあくまで防寒であって、体温維持には十分な食料がないと話にならない

275: 世界@名無史さん 2014/05/06(火) 06:04:37.86 0.net
水を氷で摂取すると体力なくなるから
水を温める燃料も必要らしいな

276: 世界@名無史さん 2014/05/08(木) 18:38:18.85 0.net
その後弟のハスドルバルがほとんど損害なしでアルプス越えを果たしたのはなにかの手がかりになるかな。
結局ハンニバルの教訓でローマ側もアルプス方面の警備バッチリでやられてしまったけど。
おまけに管轄外の奴まで勝手に増援にやってくる徹底ぶり。
よっぽどハンニバルのアルプス越えがトラウマだったんだろうな。
前年にはそいつの親戚も不意打ちで殺されてるし

278: 世界@名無史さん 2014/06/18(水) 14:42:22.80 0.net
>>276
それはあの近辺のガリア人が協力的になってたからでしょ?

283: 世界@名無史さん 2014/07/30(水) 09:59:37.97 0.net
>>278
それでもほぼ犠牲者出してないってことはよほど山越えが上手かったか
実は時期によってはさほど厳しい道ではないか、もしくは途中で減った分補充したかだよな
でも彼は最後の最後で判断ミスったのかな。兵士共々あの状況でよくあそこまで粘ったとは思うけど
時代と相手が違えばエパメイノンダスになれただろうに。

281: 世界@名無史さん 2014/07/30(水) 09:48:26.54 0.net
ハンニバルを筆頭に次男ハスドルバル三男マゴ、謎の外交能力のギスコ
科学者アルキメデス、その他優秀な将校多数
これだけの面子で何故負けたし

285: 世界@名無史さん 2014/07/30(水) 12:02:21.11 0.net
第二のスキピオがでるかはわからんが
第二のファビウスは間違いなくでるのがローマのローマたるゆえん

286: 世界@名無史さん 2014/07/30(水) 22:12:21.73 0.net
同盟市がなかなか離反しない上に
離反しても速攻でつぶされれば、どうしようもない

311: 世界@名無史さん 2015/03/23(月) 11:19:18.69 0.net
結局、カンネーのカルタゴ軍の戦列中央って、ガリアだったの、それともイベリア重装歩兵だったの。

塩野はガリアが前でイベリア後ろとかいってるけど、他のとこだとイベリアが両翼でガリアが中央になってるし

318: 世界@名無史さん 2016/01/10(日) 16:02:18.92 0.net
>>311
「タイムマシンにお願い」なんだろうね。

中央がガリアだけじゃ戦列突破されそうだし、
ガリア前衛説だと「交戦中のガリア兵が左右に分かれて戦列交代」の機動が難しそうだし。
まぁ、騎兵戦がある程度進行するまで中央では距離を保って投槍戦ぐらいでジリ下がり、
とでも仮定すれば成立はするかもで前衛説乗りな「印象」。


316: 世界@名無史さん 2015/10/24(土) 15:23:53.50 0.net
奇襲戦法と変装の名人。 俺のような天才策略家でなければ、百戦錬磨のつわものどものリーダーは務まらん。


引用元: ・【ハンニバル】ポエニ戦争【スキピオ】