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1: 世界@名無史さん 投稿日:2012/04/14(土) 16:33:40.20
ヒンドゥー文明やその文明の影響を強く受けた地域、デーヴァナーガリー文字を
元に文字を作った国の文化、社会、歴史、宗教や、世界のインド人街の歴史について
語るスレです。

主な対象国・地域
インド、パキスタン、ネパール、ブータン、チベット、モンゴル、内蒙古、マレーシア、
バングラデシュ、ミャンマー、タイ、カンボジア、スリランカ、シンガポール、
インドネシア、フィリピン、トンガ、バンクーバー、トロント、香港、ロサンゼルス、
ニューヨーク、ロンドン、パリ、西葛西、東アフリカ、南アフリカなどです。








4: 世界@名無史さん 投稿日:2012/04/14(土) 17:17:12.86
インド人って、なんであんなに移民してるの?

5: 世界@名無史さん 投稿日:2012/04/14(土) 17:29:00.07
カリブ海諸国とかにもけっこう移民いるんだよな。
60年代ころまでの分離独立や印パ戦争の混乱から逃れた人たちなのかな?

19: オツガイ ◆EAbyJft1LY 投稿日:2012/04/14(土) 21:03:02.22
>>5
インド系移民は華僑と並んで19世紀頃から色んな国に行ってるよ。当時のインドはイギリス領なので、

54: 世界@名無史さん 投稿日:2012/04/19(木) 15:12:32.69
>>5
世界の宗教分布見てたらスリナムがヒンドゥー教の色で塗られてて塗り間違いかと思った

6: 世界@名無史さん 投稿日:2012/04/14(土) 19:38:18.02
商人の場合は、シーク教徒が多いよね。

7: 世界@名無史さん 投稿日:2012/04/14(土) 19:57:39.90
インドの文字体系って、完全なインドオリジナルなの?
それとも楔形文字の亜流?

19: オツガイ ◆EAbyJft1LY 投稿日:2012/04/14(土) 21:03:02.22
>>7
デーヴァナーガリー文字などブラーフミー系の文字はアラム文字からの派生らしい。
インドの完全にオリジナル文字ということでもないみたい。


デーヴァナーガリー

デーヴァナーガリーはインドの文字。インド憲法では、デーヴァナーガリーで表記されたヒンディー語を連邦公用語と規定している。

紀元前3世紀頃から用いられてきたブラーフミー文字は地方によってさまざまな文字に分化した。まず南部と北部で分かれ、北部からはグプタ文字が生まれた。グプタ文字からシッダマートリカー文字(いわゆる梵字)が発展した。ナーガリー文字はシッダマートリカー文字の文字の上部の横線が伸び、全体に角張った形に変形したものである。

ナーガリーはナガラ(都市)の文字という意味である。それがのちに神聖化されデーヴァ(神)を加え、デーヴァナーガリー(神聖なる都市文字)と呼ばれるようになった。


8: 世界@名無史さん 投稿日:2012/04/14(土) 20:00:35.17
インド人って、実は結構昔から日本に来てるよね。

26: 世界@名無史さん 投稿日:2012/04/15(日) 02:50:30.33
>>8
菩提僊那が奈良の大仏の開眼供養に来た。

という話を実はインドの小学校でも教えてる。

9: 世界@名無史さん 投稿日:2012/04/14(土) 20:01:25.60
室町時代に幕府に仕えたインド人だかペルシア人だかがいるとかどうとか

17: 世界@名無史さん 投稿日:2012/04/14(土) 20:47:59.92
>>9
もっとずっと昔、飛鳥時代に来てると言われてるよ。

10: 世界@名無史さん 投稿日:2012/04/14(土) 20:02:41.35
今もインドは分裂している

12: 世界@名無史さん 投稿日:2012/04/14(土) 20:03:17.81
>>10
どう言う意味?

19: オツガイ ◆EAbyJft1LY 投稿日:2012/04/14(土) 21:03:02.22
>>12
パキスタンやバングラデシュのことを言ってるんじゃないの?あそこら辺も歴史的には、
インド亜大陸に含むことが多いからね。それらが分かれてるから分裂状態と言ってるんでしょ。

16: 世界@名無史さん 投稿日:2012/04/14(土) 20:22:10.93
ヒンディーも、ヒンズーも、インドも、身毒も、全部同じ語だったことを知った時は意外だった。

18: 世界@名無史さん 投稿日:2012/04/14(土) 20:51:29.79
もともとのシンド地方という発音にもっとも近いのは身毒だったりで、
中古音から変化した日本の音読みもバカにできないもんだ

28: 世界@名無史さん 投稿日:2012/04/15(日) 22:27:12.06
南アフリカにインド人移民が多いのはなんで?

29: オツガイ ◆EAbyJft1LY 投稿日:2012/04/15(日) 22:35:14.90
>>28
上でも言ったけどインドも南アフリカもどちらもイギリス領だから移住がしやすかったんでしょ。
南アフリカにおけるプランテーション労働者としてインドから多くの移民がやって来たからね。

30: 世界@名無史さん 投稿日:2012/04/15(日) 23:14:10.65
コモンウェルスは他にもいくらでもあるから、要因の一つではあるけど、あんまり説明にはならないよ。
それに南アフリカの場合は、プランテーションと言うより、技術者としてだろ。

31: オツガイ ◆EAbyJft1LY 投稿日:2012/04/15(日) 23:20:07.36
>>30
技術者として移民してきた面のほうが大きいのか。インド系移民はカリブ海など、
他のコモンウェルス諸国にも多く存在するから、コモンウェルスであることも、
一因ではあると思うけど。確かに南アフリカに特に多い理由はそれだけでもないか。

43: オツガイ ◆EAbyJft1LY 投稿日:2012/04/18(水) 10:40:12.52
>>42
両方あるということなのかな。中には技術者として成功したインド人もいるけど、
基本的にはプランテーション労働者として南アフリカに移民してきたんだろうね。

32: 世界@名無史さん 投稿日:2012/04/15(日) 23:22:19.76
確かガンジーも、そういうインド人の一人だったんじゃ?

33: オツガイ ◆EAbyJft1LY 投稿日:2012/04/15(日) 23:30:56.58
>>32
確かにガンディーも若い頃南アフリカに渡ってそこでの人種差別政策に対して、
反感を持ったりしてたね。彼は南アフリカで弁護士をやってた訳だけど、
彼のようにイギリス領時代に南アフリカに移住したインド人は結構多いんだろうね。

35: 世界@名無史さん 投稿日:2012/04/16(月) 00:25:52.90
南アフリカって、コモンウェルスのなかではインドから船で出向きやすい立地だよな
でもって相応の発展度合い・・・・そのへんが影響してるんじゃまいか

36: オツガイ ◆EAbyJft1LY 投稿日:2012/04/16(月) 00:35:25.85
>>35
なるほど。確かにインド洋を通ればわりと簡単に行くことができるかも知れないね。
同じイギリス領でありその中でもそれなりに発展してたことが一因なのかな。

39: 世界@名無史さん 投稿日:2012/04/16(月) 21:37:00.33
インド移民については、wikipediaに項目が参考になる。

http://en.wikipedia.org/wiki/Non-resident_Indian_and_Person_of_Indian_Origin

42: 世界@名無史さん 投稿日:2012/04/17(火) 22:47:05.98
>>39見ると、南アのインド人移民は砂糖黍プランテーションの労働者となっているけど、
日本版の方を見ると、
「技術者や商人として南アフリカやマレーシアなどで成功した印僑が、1870年代以降に現れ始める。」
となってるな。

43: オツガイ ◆EAbyJft1LY 投稿日:2012/04/18(水) 10:40:12.52
>>42
両方あるということなのかな。中には技術者として成功したインド人もいるけど、
基本的にはプランテーション労働者として南アフリカに移民してきたんだろうね。

46: 世界@名無史さん 投稿日:2012/04/18(水) 20:41:56.18
>>43
>両方あるということなのかな。

初期は単純労働者で、遅れて手に職がある移民が増えていったってことだと思う。

49: オツガイ ◆EAbyJft1LY 投稿日:2012/04/18(水) 21:33:15.17
>>46
なるほど、確かにそれが一番確からしいね。最初はプランテーション中心だったけど、
やがてそれなりに成功するようなインド人も出てきたという訳か。

50: 世界@名無史さん 投稿日:2012/04/18(水) 22:59:53.69
>>49
スリランカ旅行した俺の感覚で言えば、ムスリムのほうが日常生活上では嫌われてるようだった
あとスリランカのムスリムもやはり産油国に出稼ぎにいってるね
仲良くなったムスリム系のホテル使用人に話を聞いたら、国内じゃ月40ドルだがサウジじゃ月300ドル稼げただとか

53: オツガイ ◆EAbyJft1LY 投稿日:2012/04/19(木) 05:58:31.22
>>50
そうなんだ。スリランカって仏教徒ヒンドゥー教ばかり話題になるのでムスリムのことは、
良く知らないなぁ。インドに限らず南アジアのムスリムは産油国に出稼ぎしてる人多いね。

41: 世界@名無史さん 投稿日:2012/04/17(火) 22:02:48.84 ID:u8inmRLz
385 名前:名無しさん 投稿日:2012/02/28(火) 21:54:32.95 ID:u8inmRLz

古代インドは 大学発祥地。
世界初の紀元前7世紀ごろタキシラ大学や、ナーランダ、ビィクラマシラー、カーチンプラムは学問の中心地として存在していた。
紀元前5世紀設立のナーランダ大学は、仏教の学問研究で有名で、学位にあたるものの授与、今の大学院にあたるコースもおこなってそうです。
法律、医学、錬金術、数学、芸術などの学問の中心地として中国、東アジア、中央アジア、東南アジア、ペルシア、中東からも人々が学びに多くの留学生が集まってました。

43: オツガイ ◆EAbyJft1LY 投稿日:2012/04/18(水) 10:40:12.52
>>41
タキシラ大学やナーランダ大学は古代インドにおける学問研究機関のすごさがうかがえるよね。
確か、インドのマキャヴェリと言われるカウティリヤはタキシラ大学に勤めてたらしいね。
ナーランダ大学も世界的に有名な大学だけあって、玄奘三蔵もインドに来た時ここで学んだそうだ。

44: 世界@名無史さん 投稿日:2012/04/18(水) 15:04:58.40
>>41
ナーランダ大学ができたのは紀元後5世紀、グプタ朝の時代
(釈迦や龍樹が説法したともいうけど)
ヴィクラマシーラ大学は8世紀末

48: 世界@名無史さん 投稿日:2012/04/18(水) 21:11:40.21
5 名前:世界@名無史さん 投稿日:2008/04/18(金) 22:54:55 0

武士が責任を取って自決するということは、中世の南インドでもスリランカでも
行われたことであるが、それが南インドではヒンドゥー教的観念に
基礎付けられ、スリランカでは仏教的観念に基礎付けられていた。
「切腹」ということも決して日本独特のことではない。
南インドのハイダラバードの城門の博物館には、武士が責任を取って
文字通り腹を切っている図を彫刻した彰徳碑が多数残っている。

52: 世界@名無史さん 投稿日:2012/04/18(水) 23:30:57.22

14 名前:世界@名無史さん 投稿日:2008/04/19(土) 16:02:03 0
スリランカでは3世紀に仏陀の歯(仏歯)がもたらされてからは、
それを守るのが王や支配者の重要な役目となったそうで。
日本の三種の神器みたいなものかな?


16 名前:世界@名無史さん 投稿日:2008/04/19(土) 22:12:56 0
>>14
そうらしい
ブッダの歯を持っているのが支配者の印で、
イギリスもそれを手に入れることで、反乱を収めることができたそうだ

55: 世界@名無史さん 投稿日:2012/04/19(木) 15:38:14.29
イギリスが奪取したブッダの歯って偽物で、本物は秘匿されてたって説も強いよな

56: 世界@名無史さん 投稿日:2012/04/19(木) 15:48:10.42
ぶっだの歯って仏教の教義からいえばまったく無価値だよな。
ブッダはあくまで悟りを開いた一人であって、歯はそのブッダの体の一部ってだけで、
別に歯を大事にしたからといって利益があるわけでもないし、
むしろそんなものに執着するのは迷妄と考えるわな。
ブッダが今生き返ったらたぶん苦笑いするか、俺の歯で何やってるんすかってドンビキするだろ。

57: 世界@名無史さん 投稿日:2012/04/19(木) 18:57:45.04
ほとんどの仏歯や仏舎利は古代~近世の段階で捏造されたものだろうなぁ
たしか、スリランカ・キャンディの佛歯寺にある歯は、形状から何かの動物の歯だろうとか云々・・・
都が変遷する前、アヌラーダプラで最初に納められた4世紀の時点で捏造されてたかは不明だがね
名古屋にある日泰寺の、タイから来た仏舎利(英領印度で発見された骨壷由来)のほうがまだ期待できるレベル

58: 世界@名無史さん 投稿日:2012/04/19(木) 19:02:28.67
トルコのムハンマドのヒゲと一緒で人間最後は物に頼ろうとするのさ

63: 世界@名無史さん 投稿日:2012/04/21(土) 10:01:57.04
インド史ってイギリスによる植民地化以後は、なんとなくイメージできるんだけど、
古代・中世からムガル建国までは、ごちゃごちゃしててわかりにくい。

64: 世界@名無史さん 投稿日:2012/04/21(土) 10:44:48.19
中国と違って統一王朝がない。ずっと南北で王朝が別れてきた。
中国にも南北朝時代はあるが、統一王朝の時代も長い。
インドは英国が初めて統一した。北方遊牧民の進撃を阻む何かがインドにはあったと考えられる。

70: 世界@名無史さん 投稿日:2012/04/21(土) 11:52:40.92
>>64
南北どころかずっと東西南北複数国なんですが。

65: 世界@名無史さん 投稿日:2012/04/21(土) 10:49:07.47
>北方遊牧民の進撃を阻む何かがインドにはあったと考えられる。

地形だよ。
陸からインドを侵略するルートは、西方に一箇所あるだけだから。

66: 世界@名無史さん 投稿日:2012/04/21(土) 11:20:13.77
>>65
北朝はアフガニスタンから攻め込んで領土は大体、東はベンガル、南はデカン高原辺りで止まり、
ウィキペディア↓に載るヒンドスタン平野中心になる事が多いですね。

http://ja.wikipedia.org/wiki/インドの地理

67: 世界@名無史さん 投稿日:2012/04/21(土) 11:26:52.38
>>65
中国には、
陝西→四川→雲南の北方民族のルートがあって
別に長江を河口で渡らなくても、
上流から重慶・貴州・湖南・湖北・を落として
江南を攻略できちゃう。
モンゴル帝国が大理国を解体してから、南宋を滅ぼしたのは
このルートだからね。

72: 世界@名無史さん 投稿日:2012/04/21(土) 16:42:07.13
デカン高原って侵略阻むほど厳しい地形なの?
標高500mぐらいしかないらしいけど

76: 世界@名無史さん 投稿日:2012/04/21(土) 17:44:05.57
>>72
デカン高原は関係ないだろう。
問題はデカン高原に来る前にそびえている、インド北西部の山岳地帯。

74: 世界@名無史さん 投稿日:2012/04/21(土) 17:30:55.55
標高と山の険しさは比例しないけどね。

81: 世界@名無史さん 投稿日:2012/04/21(土) 19:10:31.32
北インド支配者は、だいたいが標高1000m超のヒンデゥークシュ越えてやってきた集団
→ でも南部まで統一支配できないよね、なんでだろう・・・デカン高原のせいかな?
→ デカン高原500mくらいだから、ヒンデゥークシュ超えた連中なら余裕っしょ?
→ なんでだろ~う なんでだろう♪ イマココ

82: 世界@名無史さん 投稿日:2012/04/21(土) 19:24:14.18
>>81
麦じゃなくて米食うのがイヤだったんじゃね?
しかも雨降りまくりな土地なんかに砂漠から来た連中が居座ったら熱帯病でバタバタ死ぬっしょ。

86: 世界@名無史さん 投稿日:2012/04/21(土) 22:23:25.38
デカン高原までなら、北方系でも一時的ながら攻め取れている
(マウリヤ朝、デリー・スルタン朝、ムガル帝国)
問題はケーララやタミルナドゥだな

87: オツガイ ◆EAbyJft1LY 投稿日:2012/04/21(土) 22:25:23.71
北からインドに侵入した民族がなかなか南を征服できなかったのも不思議だけど、
南インドの王朝が北部に攻めた例が少ないのも不思議だ。北インドの王朝が、
南部の王朝を征服した例はいくつかあるけど、その反対はほとんどないからなぁ。

88: 世界@名無史さん 投稿日:2012/04/21(土) 22:35:46.89
>南インドの王朝が北部に攻めた例が少ないのも不思議だ。

それは地政学の原則で、マッキンダーによると、半島の付け根を
抑えた側は、付け根側より(長期的に見て)圧倒的に有利だから。

マッキンダーは、インドの地形と歴史についても、確か他にもいろいろ書いてたな。

89: オツガイ ◆EAbyJft1LY 投稿日:2012/04/21(土) 22:38:48.92
>>88
なるほど、地政学的には説明つく訳か。南のほうが海洋貿易などでも有利だし、
わざわざ北インドまで攻める必要性がなかったというなのかな。

91: 世界@名無史さん 投稿日:2012/04/21(土) 22:47:52.51
あくまで一般論だけど、半島の先の方に居住する民族というのは、
生産手段も、交通手段も、軍事面でも、海に頼りっきり or 水陸半々で、
海から遠く離れた内陸に遠征すると、かなり不利になる。

なんで北部インドを攻めるのは無理だったんだろう。
北部インドが南部を責められなかったのも、半島先端の西岸、東岸は、
海洋民族の拠点で、遊牧民族には責めづらかったのでは無いかと思われる。

で、大英帝国の時代になると、輸送手段その他技術が近代化したため、
北部インドまでならシーパワー国が抑えられる地域になったため、結果的に
インド統一が可能になったということじゃ無いだろうか。

98: 世界@名無史さん 投稿日:2012/04/22(日) 00:21:51.18
デカンから出て北インドに達したとなるとラーシュトラクータ朝やマラータ同盟ぐらいか
北からデカンを支配した事例より短期間に終わったようだけど

101: オツガイ ◆EAbyJft1LY 投稿日:2012/04/22(日) 04:10:17.87
>>98
それぐらいしかないんだよね。デカン高原から北上できた勢力って。
やはり、南インドの王朝はチョーラ朝みたいに海上国家的な部分が大きいのかな。

99: 世界@名無史さん 投稿日:2012/04/22(日) 00:46:21.99
単純に、カイバル峠の向こう側の中央アジアが旧大陸全体でみても修羅の地だから、
そっからやってくる剣呑な連中がインドの地場勢力より強いって話だろ?
そんなのは前提で、なぜ北インドの政権がインド統一できなかったかって流れじゃん。

102: 世界@名無史さん 投稿日:2012/04/22(日) 08:33:53.02
>>99
>そんなのは前提で、なぜ北インドの政権がインド統一できなかったかって流れじゃん。

だから、上でも出てるように戦闘力だけの問題じゃなくて、ある程度
長期的なスパンで見た場合、輸送手段、生産手段といった点で技術的に
支配可能範囲外になるんだろう。

時代が下るに従って技術は向上するから、だんだんその支配可能な領域も広がってくる。

101: オツガイ ◆EAbyJft1LY 投稿日:2012/04/22(日) 04:10:17.87
>>99
確かに中央アジアから来る勢力のほうが武力的に強かったという面もあるか。
北インドの王朝でもマウリヤ朝やハルジー朝、ムガル帝国辺りはインド統一に、
近いところまで行ったと言えると思う。南端のほうだけは征服できなかったけど。

143: 世界@名無史さん 投稿日:2012/10/04(木) 09:44:34.75
>>1
ミャンマーってそんなにインド文明の影響受けてたっけ?

144: 世界@名無史さん 投稿日:2012/10/05(金) 00:51:32.64
東南アジアはその昔インド扱いだった。
あえて言うなら今のインドが小インドなら南~東南アジア(ベトナム除く)が大インド、もといインド文化圏。
マダガスカル語にもボルネオからの移住以前のサンスクリット由来語彙がきっちりと入ってるのでコモロ・セイシェル・マダガスカルまで含めてもいいかもなw

145: 世界@名無史さん 投稿日:2012/10/06(土) 00:24:02.83
ベトナムも元チャンパ王国の領域はインド文化圏だな。Wikipediaだとヒンドゥー教の名残がリンガ崇拝とかに残っているらしい
その後イスラム教の影響を受けたそうだが、変容した姿が日本における仏教みたいで親近感がある。さらにヒンドゥー教由来の祭祀が残っているというのも日本の仏教に対する神道みたいだし
もちろんチャム族でも敬虔なムスリムの多い地域もあるそうだが

147: 世界@名無史さん 投稿日:2012/10/06(土) 01:27:11.02
カンボジアやタイなんかサンスクリット由来でも思いっきり訛ってるが、
チャンパの王の名がガチガチの綺麗なサンスクリットなのはベトナムに征服されてチャム語訛りの言い方が現在は全然普及していないからなのか?

158: 名無シネマさん 投稿日:2012/10/12(金) 16:44:48.56
インドに存在する不思議な遺跡「チャンド・バオリの階段井戸」がスゴイ!!


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167: 世界@名無史さん 投稿日:2012/12/02(日) 14:33:43.34
インド人って毎日カレーくってんのかねヤッパ

205: 世界@名無史さん
日本人が醤油や味噌をいろんな料理に使うみたいに、
味付けに香辛料使ってんのをひとまとめに外からカレーって言ってんだろ。

206: 世界@名無史さん ID:ZoLP45Hf0!
という言い方をよくするが、それもちょっと違う。
単にみんな現地で飯を食ったこと無いから、ピンとこないんだよ。

香辛料使った料理はいろいろあるが、外人が食っても明らかにそれはカレーと全然違う味のもので、
一度でもそういうのを体験した人間だったらインド料理という表現にしかならないと思う。

207: 世界@名無史さん ID:ZoLP45Hf0!
>>167
カレーとはスープという意味。
地方によってだいぶ違うと思うが、家庭内で食べる場合は韓国と結構似てる。
小皿に野菜をいろいろな方法で保存処理したような(漬物にあたるような)ものが何品か
並べられ、チャパティと一緒に食べるケースが比較的多そう。

208: 世界@名無史さん ID:ZoLP45Hf0!
で、スープを作ればカレーとして食うことになる。
多分食う頻度としては低い。
インドでは、事前にご飯とおかずが混ぜて一つの皿ででてくるということはない。
中央に空の大きな皿が用意され、その上で小皿に乗せられたものを手で
よそって混ぜ合わせてから食べる。

あと思い出したが、インドでインスタント食品(ラーメンなど)を買うと、大抵マサラ味というのがある。
マサラとはいくつかのスパイスを調合したもので、場面場面で配合の中身は違うわけだが、
これが日本でいうカレー粉に近く、マサラ味もいわゆるカレー味に比較的近い。

211: 世界@名無史さん
>>206~208 
アディバシー諸民族の伝統食文化のなかには、香辛料をあまり用いない食文化もあるのかな。特に北東部のモンゴロイド系とか。
アンダマン先住民やションペン族は無調味文化かな。塩くらいは海水をそのまま使用か、あるいは藻塩とか作ってるのかな

169: 世界@名無史さん 投稿日:2012/12/15(土) 00:16:59.27
15歳少年がカースト下位の女の子にラブレター書いたら惨殺

結婚してるのに別の男と浮気やめない娘の首を親父が切断

カースト下位の男が上位の女に近づいたらその女の親に殺害される

ファーストネームが上位と下位の者で被ったら、上位が下位をリンチ殺人

一体どんな国だ

173: 世界@名無史さん 投稿日:2012/12/16(日) 00:25:18.22
>>169
1つ目は女の子の方が理不尽にも殺されたの?それとも少年が一族の恥さらしと身内に殺されたの?

174: 世界@名無史さん 投稿日:2012/12/16(日) 21:16:14.78

176: 世界@名無史さん 投稿日:2012/12/19(水) 10:54:03.43
>>174
上のカーストにあげてもらえるから万々歳、という風にはいかないんだな。
特に家族以外の少女のカーストの男からしたら恨み骨髄、ということか

177: 世界@名無史さん 投稿日:2012/12/19(水) 12:29:05.36
下層カーストこそキリスト教、イスラム教が救えないのかな。

178: 世界@名無史さん 投稿日:2012/12/23(日) 00:36:22.46
イスラムが少し救ってパキスタンとバングラディシュになった。
グプタ朝以前はそこらへん直そうみたいな動きも多くて
ヌルかったんだけどね。

183: 世界@名無史さん 投稿日:2013/01/04(金) 16:34:37.55
インドは歴史の断絶は少なそうだ、
教科書で習った古代の王様の氏名を
普通に現在の人も名乗っている
グプタさんとか・・・

184: 世界@名無史さん 投稿日:2013/01/05(土) 14:01:09.81
>>183
聖書のヘブライ語由来の名前が続くような感じで単純にサンスクリット語由来の名前が諸語に移って続いているだけの気がする。

179: 世界@名無史さん 投稿日:2012/12/23(日) 00:41:18.12
しかしインダス文字のかけらも存在しないとはどうゆうことなんだろうか。

180: 世界@名無史さん 投稿日:2012/12/25(火) 23:42:12.92
>>179
使い勝手が悪かったんだろう。

191: 世界@名無史さん 投稿日:2013/03/02(土) 12:02:40.22
179-180
不便だったからではなく、インダス文字を継承しない勢力に滅ぼされたからだろう。
文字体系が滅びるのは、合理的判断よりも政治的な断絶によることが多い。
古代エジプト文字は王族や神官だけのものではなく、デモティックの手紙や
事務書類も数多く残っている。
しかし古コプト語は話し手が存続したにもかかわらずヒエログリフ~デモティックは
使われなくなった。それはファラオ王朝が滅んでヘレニズムとキリスト教化によって
ギリシャ系のコプト文字とそれで読み書きする新しいエスニック集団を急成長させたためだと思われる。

192: 世界@名無史さん 投稿日:2013/03/09(土) 23:47:23.04
インダス文字は勢力に滅ぼされたのかな?文明が衰退して都市が亡くなった後に
アーリア人の侵入があった印象もってた。

201: 世界@名無史さん
>>192
ギリシアの場合はそうだよな。
ミケーネ文明で使われた線文字Bは文明とともに忘れられて数百年の暗黒時代の後、南下してきたギリシア人がギリシア文字を使い始めた

193: 世界@名無史さん 投稿日:2013/03/10(日) 13:49:56.79
貧民や近隣部族の反乱で都市文明が崩壊したのかもしれない
その後は文字を必要としない文化が続き、やがて入ってきたアーリヤ人も無文字社会だった

197: 世界@名無史さん 投稿日:2013/04/15(月) 19:46:12.93
中国の歴史は日本で詳しく研究されてるけどインドはあまりされてないんですか?

199: 世界@名無史さん 投稿日:2013/06/03(月) 22:16:12.81
>>197
インド人そのものが、循環史観をもっており、
何十年前と何千年前をあまり区別してないそうですよ。
日本には仏教の大学がたくさんあるので、研究は盛んだとおもいますが。

200: 世界@名無史さん ID:b3lGcZhd0!
この国ってほんと歴史的建造物をそのまま保存ってことしないね。
植民地時代の古くて貴重な建築物が、ことごとく現役の役所や高校として継続使用・転用され
有効?活用されているし、びっくりしたのは14世紀のヴィジャーヤナガルの寺院前の大規模
バザールが去年まで商店街として使用されていたこと。

去年、なんか役人たちが夕方来て、朝までに全員退去を命じたらしい。
何100も店があって、何10年も営業していた人間も多いんだから、それはそれで相当無茶な話なんだが。


引用元: ・ヒンドゥー文明・インド文化圏・インド人の歴史






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