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12: 世界@名無史さん 投稿日:2011/01/08(土) 12:48:44
古代ローマは遺跡がたくさん残っているのがすごいな
同じ古代の百万都市でも、バクダッドや長安は遺跡がしょぼい

13: 世界@名無史さん 投稿日:2011/01/08(土) 21:44:42
バグダットや長安(西安)も掘れば出てくると思うよ。特に現在のバクダット
と旧バクダットは完全にずれてるから、再現したら観光名所になるし考古学的にも
意義は大きいんだろうけど。現状じゃ無理だよね。

14: 世界@名無史さん 投稿日:2011/01/09(日) 05:18:03
長安は唐代の仏殿が残ってなかったっけ
バグダードは掘れば出てくるでしょ、アメリカが資源強奪したからそんな金無いだろうけど
しかしコロッセウムは何で残ったんだろうな、調度いい建築資材なのに

15: 世界@名無史さん 投稿日:2011/01/09(日) 07:40:43
コロッセオも残ったのは全体の3分の1程度、大理石の彫像や板は剥がされて
加工し易い大きさの石なんかも全て持ってかれてる。残ったのはコンクリで固めて
動かせなかった物だけ。とは言え、それでもあれだけ残ってんだからローマの建築
水準の高さは驚異だよな。

16: 世界@名無史さん 投稿日:2011/01/09(日) 10:15:49
ミケランジェロが遺跡保護を主張するまでずっとローマの遺跡は破壊されていた。
チルコマッシモなど今はただの草原になっている。

17: 世界@名無史さん 投稿日:2011/01/09(日) 14:48:05
中世期に不要となった建築物から資材持って行ったのは仕方ない。
でも古典文化復興をとなえたルネッサンス期の連中が古代建築破壊したのはマジで意味不明。
サンピエトロかざるためにパンテオンの銅板持って行ったり、コロッセウムの大理石剥がしまくったり。

19: 世界@名無史さん 投稿日:2011/01/09(日) 16:31:40
ローマ美術はあくまでギリシャ美術の劣化コピーだと思ってたからじゃないの

20: 世界@名無史さん 投稿日:2011/01/09(日) 17:11:29
考古学・遺跡保護が叫ばれたのは18世紀か精精19世紀、環境保護なんて
20世紀からだろう。それに初期考古学にしても平気で壁画や仏像の頭部だけ
切り取ったりする黒歴史もある。それ以前の人達に遺跡の保護なんて言っても
仕方ない。さすがにローマ大好きラファエロ辺りはローマ文明に憧れながら、
ローマ遺跡壊す事に悩んでたみたいだけど、そういう人は極少数派。それにしても
現代的価値観から言えば、世界遺産クラスの遺跡ぶっ壊してその材料で新しい
世界遺産クラスの建設物作る。イタリア人の感性と言うか、行動と言うかってのは
何とも言えないなあ。

23: 世界@名無史さん 投稿日:2011/01/10(月) 23:31:12
長谷川博隆の「カエサル」を読んだら、
塩婆が実話の体で書いてた「捕虜にされるも解放後に賊を征伐」した話が創作として、
反対に、婆が創作と書いた「神殿に押し入って金品を横領」した話が実話として扱われてて興味深かった

25: 世界@名無史さん 投稿日:2011/01/12(水) 20:19:54
しかしガリア戦記はホント面白い

百人隊長同士が功を争って奮戦する様子、
激賞されてるわけだがサラリーマンの自分には笑えない・・・
26: 世界@名無史さん 投稿日:2011/01/12(水) 20:39:35
>>25
カエサルみたいな上官に就いたら大変だよ。ガリアの時から下に居たら
十年以上激闘しなければならない。しかも移動距離は重装備背負って地中海
を中心にほぼ一周という戦わなくても鉄人クラス。ある意味歴史上一番悲惨
な目にあった兵士達かもしれないけど。兵士達にもカエサルにもまったく悲愴
感がないから面白いな。

29: 世界@名無史さん 投稿日:2011/01/12(水) 23:09:11
>>26
ローマ人の物語で、カエサル暗殺した後のブルータスが、
「あのままだとカエサルの奴隷として一生こき使われていただろう」
的なこと言ってたけど、あれだけの偉業を達成するには、
そりゃ誰かが無理しないとダメだったろうな

28: 世界@名無史さん 投稿日:2011/01/12(水) 21:00:32
カエサルの軍で戦えた兵士は幸せだよ
士は己を知るもののために死す、だ

あんな上官なら
地中海一周だろうがガダルカナルだろうが喜んでついてくな

31: 世界@名無史さん 投稿日:2011/01/13(木) 00:50:05
カエサルもさすがにコキ使いすぎてスト起こされてたな
でも勝つ指揮官は良い指揮官だよ
負けたら死ぬか奴隷かが普通だし

32: 世界@名無史さん 投稿日:2011/01/13(木) 02:32:59
近代以降の価値観や選択枝や価値観の基準が違う訳でね
職業選択の自由や個人の尊重なんてものは基本的にない訳で

特に共和ローマ末期のゴタゴタ続きの中じゃ
軍人は殺すか殺されるか
ならローマ民として死ぬか味方の上官から奴隷同然にコキ使われるほうがマシ
軍属の限りは衣食住は一応完備で、恩給っちゅーか、永年勤続で先の見返りも期待できる

それにカエサル軍っちゅーことは、現代の代表的な大企業勤務と一緒みたいなものでしょ
有象無象の見返りもあるしプライドも生まれる
「あれが噂のカエサル軍」って内外から羨望や畏怖される存在で自負心を満足させられる
不満爆発でストは起こしても暴動が起きなかったのは、そういった心理面が大きいだろうね
無論一兵卒にまで自負心を与えたカエサルの能力とカリスマ性があってのものだけどね

33: 世界@名無史さん 投稿日:2011/01/13(木) 02:53:20
食い物切らさなかったのと給料払いが良かったのとたっぷり略奪出来たからだろ
それでもストやられるとかどんだけだよって話だ

34: 世界@名無史さん 投稿日:2011/01/13(木) 20:37:56
カエサル軍というよりカエサル組だな
軍閥化してたからヤクザみたいなもん

36: 世界@名無史さん 投稿日:2011/01/15(土) 01:08:59
ローマ史上最強の軍団は?
カエサル子飼いの軍団なのかも、て


職業軍人でない将軍が率いる軍隊がめちゃ強い、てのもローマだなー
人使いが天才的に上手い、殺すしかないよなそりゃあ

37: 世界@名無史さん 投稿日:2011/01/15(土) 14:29:49
スキピオ マリウス カエサル ここらがトップクラスか。

38: 世界@名無史さん 投稿日:2011/01/15(土) 14:46:06
トラヤヌスじゃないの


トラヤヌス帝

トラヤヌス

マルクス・ウルピウス・ネルウァ・トラヤヌス・アウグストゥス(53年9月18日 - 117年8月9日)は、ローマ帝国の皇帝(在位:98年 - 117年)で、ネルウァ=アントニヌス朝の第2代皇帝である。

文武の両面で辣腕を揮い、帝国内の公共施設の強化と領土の拡大に成功した。
特に対外面ではダキア・パルティアで功績をあげ、ローマ帝国史上最大の版図を現出した。



146: 世界@名無史さん 投稿日:2011/02/20(日) 22:13:16.06
ダキア戦記、読んでみたいよな~
ローマのどっかの屋根裏とかに写本残ってないのかな

41: 世界@名無史さん 投稿日:2011/01/15(土) 20:31:16
スラやカミルスは?
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ルキウス・コルネリウス・スッラ

ルキウス・コルネリウス・スッラ・フェリクス(紀元前138年 - 紀元前78年)は、共和政ローマ期の軍人・政治家。スッラと呼ばれることが多いが、スラと表記されることもある。

貴 族階層の出身者として閥族派(オプティマテス)の指導者となり、かつて自らも仕えた民衆派(ポプラレス)の指導者ガイウス・マリウスと激しい内戦を繰り広 げた。マリウスの病死によって民衆派が動揺するとこれを突いてキンナ、小マリウスら主な政敵を葬って民衆派を粛清、更に独裁官としてスッラ体制とも言うべ き強固な閥族派の政権を作り上げた。

スッラによって築き上げられた体制はローマの共和制に最後の安定をもたらしたが、マリウスの義理の甥であるガイウス・ユリウス・カエサルによって閥族派は倒され、更にその大甥に当たるアウグストゥスによって共和制ローマは終焉を迎えた。


42: 世界@名無史さん 投稿日:2011/01/16(日) 00:40:21
スッラは悪人だからマイナス査定。

43: 世界@名無史さん 投稿日:2011/01/16(日) 01:54:26
スラが悪人とは思い込みと主観に過ぎない
対立が激化したからこそ、勝者スラが思い切った手段を用いたと考えたほうが適切
彼が滅私的だからこそ粛清を行ない、そして任期無制限独裁官を僅か2年で退任した
それほど内戦で乱れた時代で、そもそも仕掛けたのは今で言う革新の象徴マリウス派
あの当時で保守の立場なら揉め事の火種は一度徹底して排除が適切だったとは思う
自身がもし元老院名門ならば、粗野で下品な衆愚政治に陥ることを先ず危惧する
義務より権利を優先する採算の合わないヒステリック政治は受け付けられないだろうね
つまり守旧派にとっては荒療治でも善なる存在だよ

それに反対派の一斉粛清でどさくさでスラは王にもなれるチャンス
しかも権力のあるコルネリウス一門主流で英雄で虚名心の強いポンペイウスを
それなりのポジションに据えれば軍全体の抑えにもなる
実質の皇帝にもなれる機会なのに、権力の座をあっさり手放した

まぁ自身にとってはスラ>カエサルってな主観があるんだけどねw

45: 世界@名無史さん 投稿日:2011/01/16(日) 03:53:41
まあでもスッラが生涯を全う出来たのはのんびりした時代だったからだろ
大きくなったローマで同じ事すればすぐ死ぬ

63: 世界@名無史さん 投稿日:2011/01/18(火) 19:42:55
あの「ケルトショック」の話って
塩見先生:
ローマボコボコにされて、金塊渡してようやく引き上げてもらった。引き上げるケルト人の後を襲ってわずかながら無念を晴らした

拓殖先生:
一時期ローマが占領されたが、援軍が来てケルト?ボコボコにしてやんよ で追っ払った

全然違うんだけど。どっちが正しいんだろうか。

64: 世界@名無史さん 投稿日:2011/01/18(火) 19:54:04
どっちも正しくないんだろ神話伝説の時代の話だし

65: 世界@名無史さん 投稿日:2011/01/18(火) 21:44:14
でもカミルスの登場シーンは事実ならかっこよく登場しすぎだろ
マルクス・フリウス・カミッルス(紀元前446年 - 紀元前365年)は、共和政ローマの軍人・政治家。独裁官に5回推薦された。ロムルスに次ぐローマ第二の創建者と謳われる。

紀元前396年、カミッルスはローマ軍を率いてローマから程近いウェイイというエトルリア人の町を攻略した。ローマ市民たちはローマよりも都市設備の整ったウェイイに首都を遷そうと言ったが、カミッルスは「ローマを捨てることはローマの神々を捨てることであり、ローマを離れれば我々はローマ市民ではなくなる」と言って真っ向からこれに反対した。そこで市民たちはカミッルスにあらぬ罪状をかけて追放しようとした。

しかし紀元前387年、カミッルスがローマを去ってすぐに、ローマはブレンヌスに率いられたケルト人(ガリア人のセノネス族)の襲来をうけて滅亡寸前に追い込まれる。ローマ市民たちはこれを神の怒りであると考え、カミッルスの言った通りになったことを後悔した。カミッルスはケルト襲来を受けて散り散りになったローマ市民を取りまとめローマに向かって進軍する。

そのころローマの一角に立てこもった市民たちはケルト人の王に身代金と引き換えに兵を撤退させるように交渉をしていた。ケルト人は秤に細工してより儲けようと図ったが、それに気がついたローマ人がそれを指摘すると「敗者に災いあれ。」と答えた。そこに駆けつけたカミッルスは「ローマは金ではなく、剣でお返しする」と告げて戦闘が開始され、ケルト人を散々に打ち破った。

この時のカミッルスの言葉はその後ローマの国防の指針となり、以後ドミティアヌス帝の時代に至るまでの約400年間、ローマが身代金と引き換えに捕虜の解放を要求した例はない。


68: 世界@名無史さん 投稿日:2011/01/19(水) 00:55:35
物語だからね。史実と違うとかはヤボよ。
何せ、最初にカエサルが出てきた時に「我らがカエサルである」って書いてるぐらいだから。
そりゃ主観入りまくりですよ。
しかし、アウグストゥスがいつの間にか皇帝って表記になってるのがちょっとなー。

108: 世界@名無史さん 投稿日:2011/02/03(木) 15:42:04
ガリア戦後のポンペイユスとカエサルが内戦回避するにはどうしたらよかったんだ
二人が軍隊解散するとは思えんし、ポンペイウスがスペインに素直に行くとは思えんし

111: 世界@名無史さん 投稿日:2011/02/03(木) 20:12:57
>>108
ゲルマニアにでも遠征させておけばよかったんじゃないかね?

112: 世界@名無史さん 投稿日:2011/02/03(木) 23:48:24
指揮官が持つインペリウムは強大過ぎだよなぁ
まぁ共和制初期の一年交代できるほど情勢は甘くなかったか

75: 世界@名無史さん 投稿日:2011/01/27(木) 00:59:43
ローマ、もしくは古代・中世ヨーロッパで政治家は具体的にどんな仕事や一日を過ごしていたのか分かる書籍がありましたら、教えて下さい。
お願いします。

77: 世界@名無史さん 投稿日:2011/01/27(木) 01:28:35
>>75
プリニウス書簡集、キケロ書簡集

92: 世界@名無史さん 投稿日:2011/01/27(木) 18:19:10
けど政治家の日常自体を対象にしてる本はあんまりないよな
いろんな本読めば支配階級の日常生活に関する情報はそこらに転がってるけど

93: 世界@名無史さん 投稿日:2011/01/28(金) 16:18:58
日常生活なんて記録する動機に乏しいしな
*月*日、*時頃起床
*月*日、*時頃着替え
*月*日、*時頃朝食
*月*日、*時頃排便
*月*日、*時頃出仕
*月*日、*時頃昼寝
どうでもいい情報だけであほみたいな分量になるw

98: 世界@名無史さん 投稿日:2011/01/29(土) 21:31:57
>>93
その当時その地域では常識的な行為を記載する必要はないしな。
朝、トガを巻く
昼、昼寝する
とか描いてたらパピルスがいくらあっても足りない。

95: 世界@名無史さん 投稿日:2011/01/28(金) 23:05:41
ユリアヌスって創価とかみたいな宗教法人の特権なくしただけなんだよな

96: 世界@名無史さん 投稿日:2011/01/29(土) 18:26:53
ローマ全盛期だったらそれで通ったんだろうけどね。キリスト教一色に染まって
行く時代には合わなかったんだろうね。150年前に産まれてたら背教者なんて
言われず名君になれたかもしれないね。

97: 世界@名無史さん 投稿日:2011/01/29(土) 19:46:43
背教者なんて書いてるのはカルト儲だけだろ

117: 世界@名無史さん 投稿日:2011/02/07(月) 22:39:43
「ローマ人の物語」は東ローマの中~後期が無い、
「ローマ帝国衰亡史」は建国神話~帝政前期が無い。
誰かローマ建国~東ローマ滅亡までの大著を書く人は出ないのだろうか?

118: 世界@名無史さん 投稿日:2011/02/07(月) 22:48:45
十八史略並の大著になる予感

121: 世界@名無史さん 投稿日:2011/02/07(月) 23:18:57
>>118
>十八史略並の大著になる予感

それは簡略な通史本だろ。
大著なら『資治通鑑』

120: 世界@名無史さん 投稿日:2011/02/07(月) 23:11:26
せめて、テオドシウス朝東ローマ~コンスタンティノープル陥落まで
エピソード拾ってくれる本の方が需要が高そう

あ、もちろん、当時の歴史家の評価と現代の歴史家の評価の差に関する考察込みで

122: 世界@名無史さん 投稿日:2011/02/08(火) 00:18:50
塩野さんの書き方はローマ人的な生き方や考え方。キリスト教化されてローマンスピリットが無くなった後の事はまた、別の国の歴史と考えたんじゃないのだろうか。
本を読んでも政治や軍事だけでなく建築や芸術や宗教を取り上げてキリスト教化やゲルマン化とそれ以前との関係を執拗に書いてる。

124: 世界@名無史さん 投稿日:2011/02/08(火) 00:52:26
伊藤俊太郎の「12世紀ルネサンス」読むと
ローマ人はギリシャの学術書にほとんど興味示さず全然ラテン語訳しなかったんだと
おかげで東ローマと西ローマの接点がきれた時、西方には古代ギリシャの学問が全然残らなかったんだって
ローマ人は実学しか興味がなくキケロも数学とかバカにしてたらしい
なんのことはない中世の学問の低下の原因はローマ人にもあったのだ

125: 世界@名無史さん 投稿日:2011/02/08(火) 01:08:24
塩婆の好きなローマって要するに軍事国家だしな
東方的な官僚制や学問を嫌うけど、それが西滅亡の原因という

127: 世界@名無史さん 投稿日:2011/02/08(火) 07:28:08
今までは危ういところでディオクレティアヌスとか五賢帝とか出てきて持ち直したのに、
東ローマの後期には何で救国の英雄が出なかったんだろ?

東ローマがバチカンみたいにコンスタンティノープルだけでも現在まで残ってたら良かったのに。

130: 世界@名無史さん 投稿日:2011/02/08(火) 20:25:32
>>127
ラテン帝国からコンスタンティノポリス奪還したミカエル8世が居るじゃないか

131: 世界@名無史さん 投稿日:2011/02/08(火) 23:15:09
ヘラクレイオス1世も忘れるな!
ヤルムークで新しい危機作っちゃったけどさ


167: 世界@名無史さん 投稿日:2011/02/23(水) 05:34:12.18
かつての北アフリカ属州が騒々しい。
願わくば、数あるローマ遺跡がぶっ壊されないのを願ってやまない。

168: 世界@名無史さん 投稿日:2011/02/23(水) 05:53:59.08
イタリアでもローマの遺跡壊れてるし
リビアやマグレブの遺跡ってそもそも残ってるのかね

169: 世界@名無史さん 投稿日:2011/02/23(水) 06:33:24.06
>>168
リビアの場合だと、キュレネやレプティス・マグナは世界遺産登録されているし、加えてプトレマイスやトクラ、アポロニア、サブラータ、ラトラン、ラスアルヒラル、ジェルマといった遺跡が測量・調査されている。
リビア考古庁や現地の遺跡監督官も遺跡や博物館の管理整備・研究とその水準向上ににわりと意欲的らしいが、それらを統括している上位の統治機構による度々の政策変更と、予算確保も安定していないのが現状。
ちなみに、中近東や北アフリカに現存するローマ・ビザンツ期の遺跡に関する研究プロジェクト(科研費・基盤研究S)が2009年度から行われていて、まずリビアで実施されているみたい。

235: 世界@名無史さん 投稿日:2011/02/25(金) 07:04:29.94
今の世界民主化の流れの原点がギリシャ・ローマにあるのは間違いない
中世の間はベネツィアがその精神を受け継ぎオアシス都市としての
機能をはたした功績は物凄く大きい
市民革命が英仏で起きた後は役目を終えるかのように滅びてしまったが
世俗主義、共和制の象徴としてもう一度独立してもよいのではないか?
今のジャスミン革命からの一連の流れの原点もギリシャにある
もう一つの独自の民主体制はインディオにあるのはあまり知られていない

236: 世界@名無史さん 投稿日:2011/02/25(金) 07:16:48.85
民主政治なんてものは何所の地域の原始部族にもある
そしてローマの強さは民主制を採らず、富裕有力者による寡頭制を布いていた事

237: 世界@名無史さん 投稿日:2011/02/25(金) 07:24:19.60
>>236
寡頭共和制だが市民集会が相当な力をもっていたことも事実だ
今の民主制度は形式的な民主政治で実質はローマと同じ寡頭共和制
つまり今の各国の政治形態の原点はローマにある

238: 世界@名無史さん 投稿日:2011/02/25(金) 07:30:53.66
なら矛盾してるな、ギリシャは半分かそれ以上が直接投票の共和制
ローマは寡頭制、寡頭共和制は本来の寡頭と共和の意味が矛盾する意味不明な造語

239: 世界@名無史さん 投稿日:2011/02/25(金) 07:45:44.81
>>238
矛盾しているも何も正式名称がローマ共和国で
これは東ローマ帝国が滅亡するまで変わらなかった
そして実体も民主制度の要素を取り入れた共和制 むろん帝政後期以降は全く別物だが
共和制=民主制ではない ギリシャの場合は民主共和制というべきだな
ローマの制度もホルテンシウス法以降はこの影響を相当受けている

240: 世界@名無史さん 投稿日:2011/02/25(金) 08:05:43.30
共和制≦民主制、本来は民主制でない共和制はありえんよ
よく見掛けるけど

241: 世界@名無史さん 投稿日:2011/02/25(金) 08:36:56.70
>>240
そんなことはない。共和制は古代ローマやベネツィア共和国の
体制を含む。共和制でなくても立憲君主制のもとでの民主制はありうるし
共和制であっても共産主義国のように民主制でない国はある

242: 世界@名無史さん 投稿日:2011/02/25(金) 09:02:34.95
ギリシャの民主制とは現代の民主制とかなり違うと思うんだが。
男性の「市民」以外は投票権がない、すなわち後世の視点で見たら貴族の寡頭制としか見えない制度は、現代の視点で言って民主的と言えるのか。

ハインラインが「宇宙の戦士」で提唱したような、一定の資格を有する選ばれたエリートのみが投票権を持つ制度を、真の民主主義というのなら、それは民主的なのかもしれないがね。

そのへんを踏まえた上で共和制の議論を進めたらいかがかな。

245: 世界@名無史さん 投稿日:2011/02/25(金) 10:53:51.02
>>242
むしろ納税額に関わらず一律で与えるようになったことが
カラカラ勅令なみの「全員に与えた結果全員が失った」ということになり
政府と国民の乖離を防ぐマスコミの重要度が上がったともいえる

248: 世界@名無史さん 投稿日:2011/02/25(金) 17:47:02.99
>>245
古代とは国家の規模も人口も生産力も桁が違うから
全員に与えなければ転覆するだけだな

246: 世界@名無史さん 投稿日:2011/02/25(金) 13:54:11.80
西洋の民主制を古代に起源を求めるけど実はあんまり関係ない
ってあたりは政治関係では基本の話
ただ実際はともかく今の民主制が起源としてみてるという部分は確かにあるから関係ないわけでもない

あとローマの共和政はノビリタス支配論が有力だけど民主制だったという主張もそれなりに勢力あるしこれは賛否両論と言える

247: 世界@名無史さん 投稿日:2011/02/25(金) 13:57:41.48
それはそうだろな
貴族と平民の抗争の歴史がちゃんと残ってるし、
ホルテンシウス法や平民貴族が生まれたの現実主義なローマ人らしい
無駄に内部抗争してたら国が滅ぶという事情を無視してで古代の民主主義を褒めるわけにもいかんだろう

253: 世界@名無史さん 投稿日:2011/02/25(金) 21:43:58.26
ローマの場合は領土内の民族で財力や名声次第じゃ貴族の仲間入りが可能って点が大きい
可能性としちゃあ、親の代が奴隷→開放で本人はローマ市民
その可能性としての受け皿の軍ってコースもあるし
芸能や剣闘士でも名声を博して立候補すれば元は下賤の民でも元老院入りが可能
民衆の代弁者になるか元老院の子飼いになるかどうかは別にして
護民官を経ても元老院入りが出来るシステム
血統主義で元々の市民の血がなければ、これらの可能性すら排除されるギリシャとは根本的に違う

>>247
慢性的な抗争があったからこそ、互いが折衷案で調整し続けた結果の繁栄であって
これらを元老院の強権で弾圧ばかりしてたら他の都市国家群と共に時代の藻屑だった筈だよ

257: 世界@名無史さん 投稿日:2011/02/26(土) 01:26:54.38
>>253
元老院と言うのが名前通り年寄り集団ではなく実力者集団だったからできたのだろう。

256: 世界@名無史さん 投稿日:2011/02/26(土) 00:17:56.28
ノビリタス支配論に立てば張り巡らされた婚姻関係とパトロネジで新人が上に行くのは絶望的で
市民でありさえすれば粉屋の息子でも指導者になれたギリシアの方がマシという見方もできる

260: 世界@名無史さん 投稿日:2011/02/26(土) 19:24:46.07
北アフリカはローマ時代の繁栄がすごかったんだな
世界遺産級のローマ遺跡がたくさん残っている
逆にイスラム支配後は、人口が減って文化面でも衰退したんだな
今や・・・

261: 世界@名無史さん 投稿日:2011/02/26(土) 20:03:54.70
>>260
普通にエジプト・チュニジア・モロッコはイスラム支配後も繁栄しただろ。

263: 世界@名無史さん 投稿日:2011/02/26(土) 21:55:53.77
>>261
海賊業を繁栄したことにしていいものかどうかは議論の余地があると思うの

262: 世界@名無史さん 投稿日:2011/02/26(土) 20:28:24.33
>>260
イスラム支配後も欧州西部より繁栄してるけど
今ダメなのは、水と土地と木材があまりにも少ない必然
誰がどうやっても環境的な制約で発展余地があんま無いね

267: 世界@名無史さん 投稿日:2011/02/27(日) 09:07:28.89
イスラム支配後は北アフリカの衰退と人口減少は激しいよ
たくさんの素晴らしい古代都市のあったチュニジアやリビアは海賊しか産業がなくなった
高い文化を誇ったシリアも開放的なスッブラから現代の暗い建物に変わって文化的には後進地域になった
北アフリカの繁栄と荒廃みると、古典古代の破壊はキリスト教にくらべ、イスラムの破壊力は過小評価されてるな

268: 世界@名無史さん 投稿日:2011/02/27(日) 09:38:37.70
チュニジアやリビア?

イスラム化後も相変わらず地中海における主要な地域だし
人口もローマ時代よりは増えてる

269: 世界@名無史さん 投稿日:2011/02/27(日) 10:26:56.71
http://ja.wikipedia.org/wiki/歴史上の推定地域人口

 
これみるとあまり変わらないね
ただ人口は少ないし主要な地域とはいえないな

271: 世界@名無史さん 投稿日:2011/02/27(日) 10:35:38.64
ヴァンダル人は、北アフリカに移住して三世代も経つと、この土地の
繁栄と温和な気候のせいで尚武の気風を失い、世界で最も贅沢な人種に
なり果てたらしい。
別荘や庭園での休息、毎日の湯浴みの後で山海の珍味が豊富に盛られた
テーブルにつく、メディア風の緩やかに着流す絹の衣装には金の縁取りが
施され、愛と狩猟を楽しみ、退屈な時間は黙劇や戦車競技、劇場での音楽、
舞踏で紛らすといった有様。

272: 世界@名無史さん 投稿日:2011/02/27(日) 10:41:46.11
マグレブはなんで古代は穀倉地帯だったんだろう
エジプトみたいに大河があるわけでもなく

279: 世界@名無史さん 投稿日:2011/02/27(日) 12:53:55.20
>>272
サハラが乾燥化する前は植生豊かな地域だったらしいし、それ以降は溜池とか灌漑設備があったからじゃないのかな?
塩害の進行などで衰退したところもあったかと。

283: 世界@名無史さん 投稿日:2011/02/27(日) 14:25:45.85
>>272
アトラス山脈より北は地中海性気候だけどな。
フランス統治時代はワインも栽培されていた。

273: 世界@名無史さん 投稿日:2011/02/27(日) 11:02:12.70
石造りの重厚な建物が好きなんで
古代ローマとかほんと憧れるわ。
コロッセオとか4万人も収容できる巨大スタジアムとか
ほんと文明って感じだよな。当時は天幕がはってあって雨天でも
催しが楽しめたそうだな。しかも2000年前。

日本の江戸時代も好きだけど
建築という麺では2000年前のローマと比べ物にならんほど
みすぼらしいや

274: 世界@名無史さん 投稿日:2011/02/27(日) 11:50:47.13
>>273
単に風土面から来る木と石の文化の違い
日本の気候でローマ建築なら特に夏場は湿気で不快この上ない
あと土木面で比較してみなよ?日本のほうが劣ってるどころか優れている

衛生概念は銭湯の習慣があるのでほぼ同様だろうが街の清潔さが違うわけ
観光地以外のローマやミラノの裏通りなんて本当にゴミで汚いよ

都市計画と言うより河川浸水しやすい場所が公共建築物で占められて
カエサル以前は城郭の概念があるから人口密度は5万/k㎡とかそんな感じで
その城郭内の多くの部分が有力な元老院騎士階級の所有
一家が住むワンルームのすぐ外は、石の道路と荷馬車は夜通しでもウルサいわ
煤煙だらけのコークで灯りを燈しているわで不快なことこの上ないだろう

275: 世界@名無史さん 投稿日:2011/02/27(日) 12:15:20.99
>>274
まぁ生活全般を考えると
ローマより江戸のほうが楽しそうだな。
庶民文化の多彩さは凄いしな。

ただ、建築だとやっぱ
日本の建築はどうもなぁ。お城にしても外側は立派だけど
中は狭くて貧相だしw
その点、ローマ建築は外も立派だが中も吹き抜けの大天井だの
現代建築に通じるアメニティがありさすがと思わせる。
さらには法律とか社会システムでもローマ法ってめちゃくちゃ
現代的みたいだしな。商取引とかの法律は凄い合理的で
現代の法律の基礎らしいし。
江戸時代は、法律とか前近代的だよな。市中引き回しの後
打ち首とかさ。弁護士制度もないし。

ローマって古代とは思えないほど先見性があって
マジびびるな。

290: 世界@名無史さん 投稿日:2011/02/27(日) 21:22:57.84
>>275
ローマは弁護士制度はあっても、警察制度も検察制度も無いからな
その面においては古代の部族社会に毛が生えた程度

商取引とかの法律なんて漢の方がよほど整備されてる
法律が体系化されるのは西が滅んでビザンツになってからだし

296: 世界@名無史さん 投稿日:2011/02/27(日) 22:47:37.11
>>290
>法律が体系化されるのは西が滅んでビザンツになってからだし
ビザンツ時代にローマ法の発展が”止まった”ので体系化された

299: 世界@名無史さん 投稿日:2011/02/27(日) 23:14:54.17
>>296
判例をだらだら継ぎ足すのを発展とは言わんだろ
ギリシャビザンツで体系化した後も不磨の大典じゃなく何度か大きな改変あるし

306: 世界@名無史さん 投稿日:2011/02/28(月) 00:31:57.81
>>290
部族社会はいいすぎのような。
古代ローマがギリシアの文明から強い影響を
受けてることを考えると、法治主義や民主政に
ついてかなり洗練された考えを持ってたと思う。

ギリシアなんて権力の腐敗を防止するために
物凄い徹底した民主制度を持ってたし
ローマもその遺産を受け継いでるよ。

ちなみに法律は成文の法典化は遅かったみたいだが
基本不文法でずっと発展してきた歴史がある。
漢の法律がどのようなものかしらないけど
ローマの民法は「債権の第三者効と」だとか
今の法律概念の基礎になるものが盛りだくさん。

276: 世界@名無史さん 投稿日:2011/02/27(日) 12:32:41.81
ちょっと美化しすぎじゃね
ローマ法も体系的、合理的にまとまったのはユスティニアヌス以後らしいし
弁護士も現代と同じといえるのか
英米はローマ法の影響ほとんど受けずに近代化したしな
上下水道もまともに機能しないから疫病は蔓延したし
さらにローマは学問レベルではほとんどギリシャの影響を受けずかなり後進的だよ
商業・産業、技術、学問面では比較にならないほど江戸の方が発達してた
ローマがいくら偉大だとしても古代基準で偉大だってことだよ

281: 世界@名無史さん 投稿日:2011/02/27(日) 13:28:09.62
石組みやるのに明治時代に外国人に教えられ通り布積みでやってたんだが
地震に弱い上、コストもかかるので伝統の谷積みに戻したそうな

280: 世界@名無史さん 投稿日:2011/02/27(日) 13:06:40.48
地震の多い国で石造りとかマジカンベンw

引用元: ・古代ローマを語ろう【ローマ人の物語】2


そういえば王政ローマの紹介記事を書いてたのを今思い出した・・・







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