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14: 世界@名無史さん
スプーンがなかったとすると、スープは皿から直接すすったのだろうか?

15: 世界@名無史さん
>>14
中世西欧では、パンに浸して食べたらしい。

古代ローマでどうだったかは知らない。
あんがい椀みたいなもので直説呑んでたかも。

16: 世界@名無史さん
中近東では取っ手の無いマグカップのような物でやぎの乳やコーヒーを飲んでいたが、
暖かい飲み物ならば深い器のほうが、冷めにくく飲みやすい。

スープに肉などの具が入ってシチューのようになってから、食べやすいように
スプーンが出現したのではないか。


17: 世界@名無史さん
スプーンは、16世紀頃イタリアで使われ始めた。とは、フィリップ・アリエスの言。
次いで、ナイフ、フォークと使われるようになったということ。
(あれ、15世紀かな?いずれにせよ、中世盛期にはなかったし、一般庶民には、なかなか浸透しないのだから中世にはない、と言い切っていいと思う)
その都度テーブルマナーが出来ていったらしい。
なんか、これ随分前に書いた気がするけど、どこに書いたか忘れちゃったからもう一度。

20: 世界@名無史さん
>>17
>一般庶民には、なかなか浸透しないのだから中世にはない、と言い切っていいと思う)
>その都度テーブルマナーが出来ていったらしい。

今、知られるような、スプーン、ナイフ、フォークのような食器の用い方は「テーブルマナー」と並行して成立した、というところかと思います。

極論になりますが、例えば中世の宴会で、小刀を用いて肉を切り口に運ぶようなことがあっても、それは、今知られるナイフとは別物だ、というところでしょうか(?)

ところで、仮に
「スプーン、ナイフ、フォークのような食器の用い方は『テーブルマナー』と並行して成立した」と言えるならば、イタリア料理の洗練とその西欧への伝播が、「食器の用い方」の成立に関係してきそうな気がします、が。

アリエスはその辺、何か言っていないでしょうか?

18: アマノウヅメ
前スレの>>300です。
スプーンというのは、結構古いもので、日本にも箸と一緒に伝来してますよ。
配膳用のオタマしか普及しなかったけど。

今ちょっとわからないけど、スープ皿にスプーンをいれた絵を見たことがあります。
14世紀頃の下手な絵です。オタマかもしれませんが。
15世紀の貴族の食卓には皿やカップと並べてナイフが乗ってるのがあります。こちらは
『服装史2万年』です。

ついでに、トイレはあったと言い張ってるのも私です。
12世紀以降の城、都市の中流以上の市民の住宅には大体あったようです。
17~18世紀の住宅にはまずトイレはありませんが。

24: 世界@名無史さん
この頃の女性ってワキ毛反ってないだろーなー。
やっぱボーボーか。ジャンヌも…

26: アマノウヅメ
>>24
脱毛はイスラムの習慣だから、キリスト教徒は意地でもしないでしょう。
第一、中世には腋毛その他の見える服ないし。

32: 迷探偵ナコン
中世の国に国歌ってあったの??あるいは国王の歌というものでしょうか。

49: 世界@名無史さん
>>32
>中世の国に国歌ってあったの??あるいは国王の歌というものでしょうか。

ないんじゃないかなぁ。
吟遊詩人がいたくらいでは?

シャルルマーニュ大帝は民衆歌というか俗謡を収拾してたんですってね。
跡を継いだルードヴィヒ敬虐王(?)が、破棄しちゃってもったいねー、て話らしいです。

52: 世界@名無史さん
>>32
英国国歌ゴッド・セイヴ・ザ・キング(またはクイーン)の初演奏が
1745年。
フランス国歌ラ・マルセイエーズの作曲が1792年。
そもそも中世には国家という概念があいまいだから、国歌もない。

34: 世界@名無史さん
民家の窓ってどうなってたんでしょうか。

ガラスの歴史みたいなページを見ると、
ガラス自体は4000年前からあって金と等価であったガラスは
2000年前の鉄パイプの発見以後銅貨一枚程度になったらしい
ですが、いわゆる中世の庶民は当時ガラス窓だったんでしょうか。

ブリューゲルの絵を見てもガラスなんだか穴なんだか
いまいちわかんないんですがなんとなく十字の窓枠からみて
ガラスっぽいんですが、どうなんでしょう。

35: 世界@名無史さん
>>34
庶民は板か皮。
金持ちはほんのちょびっとだけガラス。
薄く加工したアラバスターという手もある。
その絵の十字は窓枠なのかも知れないが、単なる鉄格子の可能性が高い。

37: 世界@名無史さん
貴族の城でさえ、ガラスは滅多に使えなかったそうで。

ガラスは教会の窓にはすでに用いられていたが、それが個人の住居に使われるようになったのは、十二世紀も末になっての事で、ガラスの使用は長いあいだ特別な贅沢とされていた。
だから、あまり豊かでない城では、窓の風を防ぐには雨戸を閉ざすしかなかった。
つまり、寒い季節には彼等は窓を開いたまま凍えているか、雨戸を閉め切って凍えずには済むが
暗闇に明かりをともして座っているか、いずれかを選ばざるを得なかったのである。
(『中世への旅-騎士と城』抜粋)

貴族でこの体たらくですから。

39: 世界@名無史さん
薄くなめした革を油につけて半透明にした物も有ったはず。

40: 世界@名無史さん
中世で(日本人の多くから見て)いちばんおいしい料理は何なのかな?

41: 世界@名無史さん
>>40
やっぱり、地中海の海辺の地域の魚料理じゃない?

45: JANGO FETT
魚といえばこんな話があります。
キリスト教徒は断食期に、一切の肉類の摂取を止めますよね。
でもなぜか魚は例外なんだそうです。
なぜかというと、魚は神が創造したものではなく、
自然発生的に生じたモノであると、
認識されていたからなんだそうです。
つまり、勝手にぽっとどっかからか湧いて出てきたものであるのであり、
それは当然肉類ではないわけだから、食べたって問題ないでしょう。
という考えです。
面白いですよね☆

46:
>>45
それって、ノアの箱舟に魚が乗ってなかったからかしらん

じゃあ鯨やイルカも食っていいのかな

54: 世界@名無史さん
>>45
修道院について書いた本を読んでいると、鳥類の肉は獣の肉より冒涜度が
低いとして食べられていたらしいです。
初期の修道士の飲み物は水だけでしたが、そのうち一日半パイントの葡萄酒が
割り当てられ、北ヨーロッパではビールやリンゴ酒をそれに替えて飲んでいたとか。

48: 世界@名無史さん
水の中にいる生き物は神の怒りを買って(呪われて)いないからという
話なら聞いたことある。

55: JANGO FETT
ふんふん、それで鳥類の肉はなにゆえ獣の肉より
冒涜度が低いと考えられていたのかな。

56: 世界@名無史さん
>>55
ヤパーリ修道士たちが肉を食べたいので勝手に作り出した言い訳じゃ
ないでしょうか?
最初は肉類の使用は病人と外来客だけに許されていたのですが。

58: 世界@名無史さん
でもでもイエスは律法からの自由としての新約を解いた事になってて、
新約では特に食物規定は語られてないよ。

だから、肉を食べちゃいかんという根拠は新約にはない(w)。

60: ???
>>54
酒といえば、
修道院でワインが作られてたのは有名な話。
テレビの旅行番組でよく放映されてるの見て、一度飲んでみたいと思ったよ。

61: 世界@名無史さん
やっぱり修道院では同性愛が続出だったのだろうか?

64: 世界@名無史さん
>>61
4~5世紀の、エジプトのパコミウスの修道院では、同性愛関係が生ずるのを
防ぐために、個々の修道士は一人ずつわかれて暮らしていました。

ついでにいうと、トンスラ(坊さんが頭のてっぺんの毛を剃る)というのは
エジプトが起源です。

62: 世界@名無史さん
現代でもな。
この前アメリカでカトリック聖職者が大勢ぺドフィリアかなんかで捕まってたし。
枢機卿も捕まったそうだねぇ。
12世紀、アベラールとエロイーズまでは「恋愛」なる概念が無く、
ギリシア以来の「少年愛」(非性愛)しかなかったってホント?

63: 世界@名無史さん
>>62
>ギリシア以来の「少年愛」(非性愛)しかなかったってホント?
 

いや、それはちょっと違うと思うぞ。

12世紀まで恋愛の概念がなかった、
というのは、性愛と一体化した閨閥関係と別次元で女性を個人として見る、
個人としての女性を尊重するという高級な考えがゲルマンの蛮族にはピンとこなかった
みたいな話だな。

『アベラールとエロイーズ』も画期だが、
騎士道叙事詩が流行ってプラトニック・ラブみたいな宮廷愛が理想化されたりした。

67: 世界@名無史さん
女性のウエストにコルセットをギュウギュウに締めて
細く見せようとしたり、胸のでかさを強調しようとしたのは
いつぐらいからなんだ?
現在の女性の美しさってのは中世に確立されたもんなのだろ?

71: 世界@名無史さん
>>67
コルセットはむしろ近世じゃないか?

72: 世界@名無史さん
>>71
一般化したのは19世紀ですが、ウェストを細く見せるための器具は
それ以前からありました。

68: 世界@名無史さん
中世ってぽっちゃり系が良しとされたんじゃなかったっけ?

73: 世界@名無史さん
>>68
中世はほっそりした女性が美しいとされていたようです。
いわゆる少女の美。
ルネサンス時代になると、成熟した女性に好みが変化して、ヴェネツィア派
の絵画に見られるような豊満な女性が美しいとされました。
(ただ、地方によっても差があったようで、ミラノなどでは、ほっそりした
女性のほうに人気があったとか)
もっとも中世の服は体の線が出るような服ではありませんでしたが。

70: 世界@名無史さん
ぽっちゃりはギリシア、ローマ時代とかじゃないかなぁ?

75: 世界@名無史さん
中世のドレスはシュミーズの上に長上着を羽織ってウェストベルトで
締めるデザインのものだったようですね。
でシュミーズは見せるものでデザインに凝ったとか。
体型矯正するのはルネサンス以降でしょうかね、やっぱ。

77: 世界@名無史さん
中世の美女の基準というのは、「髪は金髪、肌は百合か雪を思わせる白さ、
頬と唇は赤く、額は広く、眉は褐色で弓形、鼻は筋が通って細く整っている」
というものだったらしいです。
身体については美の基準も曖昧になっていました。

85: 世界@名無史さん
>>77
絵画をみてると、わりにふくよかな女性が多いような。

88: 世界@名無史さん
>>85
ふくよかなのは、文藝復興の後期以降じゃないかな。「愛の寓話」あたりが典型的か。
同時代でもヤンの描く女性は、青白くて細身細面で、生気がない。

79: 世界@名無史さん

そうそう、おでこ広くみせるために剃っていたらしい。

80: 世界@名無史さん
そういえば、中世のどこかの国で、社交界で女性が胸を露出するのが流行り
あまりのことに、国王が規制したって話を聞いた事が有るのですか、本当ですか?

81: 世界@名無史さん
>>80
ルネサンス時代のヴェネツィアで、女性が胸を乳首が見えそうなほど
開けていたっていうのはよくききますけど・・・
(絵画にも残っている)
中世の場合、そういう流行はあったのかな?

83: 世界@名無史さん
>>81
むしろ男性の服装が露出的になって教会の顰蹙をかったりしたようです。
でも肌の露出じゃなくて、身体の線の露出ね。
当時の文書を読むと、「上着の丈が短すぎて尻が丸見えでみっともない」「脚の線がむきだしのタイツはいかがか」なんて記述がけっこうあります。
ブリューゲルの絵なんかみてると身分の低い男性もコッドピースつけていたようだしね。

87: 世界@名無史さん
>>80
チョーサーの「カンタベリー物語」のなかに、
「丈の短いジャケットなどはあまり短くて、みっともない手足を丸出しにします」
「なかには身体の突出している部分や恐ろしくもり上がっっている部分を
見せて、まるで長靴下をはいた脱腸患者よろしくといった格好」
「しりの格好といったら、満月の後半分といったところ」
などという記述があるので、中世にも身体を露出した服を着る人たちは
いたのでしょう。

82: 世界@名無史さん
靴の先がどんどん長くなって、奢侈禁止令が出たって事も。

97: 世界@名無史さん
中世ヨーロッパの武勲詩の内容をちょっと紹介します。
まず『ガラン・ル・ロレーン』のなかで、ベゴン侯は殺したばかりの敵の
はらわたに手を突っ込みながら臓物を引きずり出し、
「下郎、お前の仲間の心臓だ。煮るなり焼くなり好きなようにしろ」
といって、ギヨーム・ド・モンクランの顔にそれを投げつけます。
主人公のガランは、
「心臓と肺と肝臓をつかみ出した戦友のエルノーがかたわらから心臓を奪い、
四つに切りきざみ、二人はまだピクピク動いている肉片を道の真ん中に
まき散らすのであった」

101: 初2ちゃんねる
中世では山羊やブタなどは魔女(悪魔?)のお供だということでよく訴えられた魔女と一緒に死刑に晒されたとか聞いたことがあります。でも山羊はともかくブタって人間の排泄物とかの処理のために街などで放し飼いにしてあったんですよね?日常的にこんなに役立っているのにそれを恩を仇で返すとは・・。

えと、それとは話がズレるんですけど質問です。中世の人は寝るときは全裸だと聞いたのですが
それは民衆だけの慣わしでしょうか?
偉い土地を占めている領主や高位の聖職者なども関係なく全裸になったんですか?
領主はさておき聖職者は色々とマズイんじゃないですか?宗教の管轄下に置かれているし・・関係無い??

105: 世界@名無史さん
>>101
聖職者はまずいってのがよくわからん…。わかるような気もするが

服着て寝てると「あんた具合悪いの?」って聞かれたらしいくらいだ
からねー。聖職者でもたとえば旅先の宿屋なんかじゃ裸だったのでわ?

106: 初2ちゃんねる
>>105
聖職者は肌みせてはいけない決まり事とかあるとおもって・・。全共通みたいですねハダカ。

107: 105
>>106
あー、でも国王や貴族なんかはいざってときに備えて
寝る時も上半身起こした体勢で寝ていた(そういう短いベッドが
残っている)っつーから、服も着ていたのかも

109: アマノウヅメ
>>101
聖職者は修道服のまま寝てました。
現在でもそうだとのことです。
夜中に何度も起きてお祈りするから、着替える暇もないでしょうし。

14~5世紀の聖人のご臨終の図が結構残っていますが、修道服のままです。

127: Krt
>>101
これは良く問題になることなのだが、結論から言うと「中世の人は寝るときは全裸だ」
という認識は正確とは言い難いと思う。この「全裸」説というのは決して俗説ではなく、
例えばノルベルト・エリアスの「文明化の過程」上下(法政大学出版局)のような
極めて影響力の強い古典的な文献でも主張されたがために、以前は専門家ですら
しばしばこのような見解を採っていたのだが、このエリアスの見解を痛烈に批判した
H.P.デュル「裸体と恥じらいの文化史」(文明化の過程の神話Ⅰ)(法政大学出版局)
が出た現時点においては、もはや到底無条件では支持しがたい説となったと思う。

例えばエリアスは同書で「衣服を着たまま寝るのでなければ、人々は素っ裸になった。
一般に世俗社会では裸で眠り、教団においては戒律の厳しさに応じて、完全に衣服を
つけたままか、ないしは素っ裸で眠った」p327 と書いているが、
先に挙げたデュルの本の第十一章を読むと、古代と同様中世の人々も夜は下着を付けて
寝ていた場合が多いこと、また「裸で寝ている」という表現が為されていても現実には
下着を着ている場合があることが絵画資料や文献の慎重な読みから見えてくるのである。
 
また、敬虔な女性達の間には既婚者でも下腹部の部分だけ性交用のスリットが開いた
寝間着を着て寝る習慣があったし、十四世紀の田舎においてすら下着を付けて寝ていた
という資料があるという。
 
要するに文字通り全裸で寝ている男女の図像などというのは決して中世人の無邪気さを
示すものなどではなく、彼らなりの方法においてあからさまにエロティックな関係を表現
している特別な状況を描いたものが殆どなのである。

こうしてみると、十六世紀の初めにベットから引きずり出されて陵辱された女性に関する
記述における「すべての衣類の替わりに肌着しか身につけていなかった」といった部分に、
あるいは中世の歌の「彼はおずおずと私の身体に手を伸ばした、彼は言った。お前を女に
してやる。お前はあの口も素晴らしい。彼は私の肌着の上に裸の身を投げた。彼は私の
密やかな城にこわばった槍を突き刺した」などという部分を読んだ際にも真っ先に「肌着」
という語に反応することこそが優れた文化史家としての才能なのだと気づかされる(笑)
(引用は上記のデュルの本の第十一章より)

128: 世界@名無史さん
>>127
まじすか。なんだ・・服着てたのか。というかすごい詳しいですね!
良スレありがとございます。参考になりました!

111: 世界@名無史さん
貴族はチュニック着て寝てたんじゃ?
聖職者は会派によって違うだろうけど。
厳密には修道服着たまんまかな?
3時間おきに祈りの時間あるし。。。

あと、現代では人や会によるだろうが
ちゃんと寝巻き着てるよ。知り合いの修道司祭がそうだった。
チェックのパジャマ着てて藁たよ。

ところで、なんか面白い中世が舞台になった小説あったら教えて。

137: 世界@名無史さん
中世の頃、隠者生活してる人がいたと聞きます(クラウスナーとかいう人々)。
修道院の敷地内とか、橋の下とか。そこから一歩も出ずに生活してたとか。
そういう人達の生活を詳しく書いた本ってあります?
(私はビンゲンのヒルデガルド関係の本でそういう存在を知りました、でも生活
内容まで詳しく書いてなかった)

211: 世界@名無史さん
>>137
青土社 『英国畸人伝』に記述がありますが、これは金持ちの道楽で隠者役を雇って
やらせた話が中心ですね。


147: 世界@名無史さん
中世の庶民の娯楽にはどんなものがあったのでしょうか。
少し前に見た映画では木の札を使った賭け事をしている場面がありましたが。

148: Krt
中世庶民の娯楽というのは案外難しいテーマだと思う。スポーツ系(サッカーの原形)等に
ついては私も教えて欲しいし、「酒と女、見世物」系の娯楽はテーマがでかすぎるんで(笑)
ま、とりあえず遠慮しておく。となると146氏の関心対象である室内ゲーム、就中カードゲーム
ということになるが、これも正確なことを語るのは難しい。というのは「重要なことではない」
と同時代人に見なされた事というのは、案外記録に残らないからなんだと思う。

例えばボードゲーム系だと、バックギャモン、ソリティア、チェス等は起源の古いゲームだが
(特に前者はギリシャ・ローマ、その類似ゲームにいたってはは古代エジプトにまで遡れる)、
欧州で明確な記録が残っているのはチェスが11世紀、他は13世紀頃かららしい(参:増川宏一
「盤上遊戯」法政大学出版局)。ということは地域的同一性に基づく文化的継続性を考えると、
「記録に現れる」=その時点頃から始まった、ではなく「記録に現れる」=既にかなり流行、
と見た方が良いと思う(中東その他からの流入によるリバイバルもその原因として含めて)。

そういった視点からカードゲームを見てみると、これに言及している一番古い記録というのは
現時点では1329年の中部ドイツでカード賭博らしきものが修道士と修道尼に対して禁じられた、
というものらしいことがまずわかる(増川宏一「賭博Ⅱ」法政大学出版局:1982:p188)。

149: Krt
だが「禁じられた」ということは既にこの時点で流行っていたことで、調べればより以前の
記録も出てくる可能性は高い(現に増川の「賭博Ⅰ1980」の方では最古の記録を1377年
としている程だ)。多分カードの伝来自体も「実際には13世紀にフランスに達している」
というトリジャルスキーの見解(「賭博Ⅱ」ibid)が妥当な所だろう。

さて、ここで一つ問題になるのは、どのようなカードが使われていたのか、ということだ。
西洋のカードには大きく分けて現在我々が使っているトランプ系と、もう一つタロット系
という二系統のカードがあり、どちらが源流をなしているのか、という問題である。実は
タロットカードの使用記録は意外と新しく、現時点で最も古い資料でも15世紀初めまでしか
遡れない。だがタロットカードに関しては、十字軍遠征と共に東方から入ってきた、とか
ジプシーが中世に持ち込んだといった伝説が唱えられることも多いのである。
 増川氏もこの問題については明確な回答を与えていないが、幸い近年においてこの問題に
関するある程度明確な見解が生まれ、次第に定説化しつつある。それは、様々な神話伝説
にもかかわらず、タロット(tarocco/tarocchi pl.伊)は16世紀になってからの名称であり、
15世紀には単にcarte da trionfi(=cards with trumps 切り札付きカード)と呼ばれており、
実体としてもトランプ系カードの後に出来たものである、という説である。

150: Krt
さらにこの説の論者達は、我々のタロットカードに関するイメージとは、かなりかけ離れた
結論をも併せて主張する。それは、タロットはその登場以後の最初の三世紀間はもっぱら
ゲーム専用の単なる(playing cards)であり、これが神秘めかした占いに使われるように
なったのは18世紀のフランスにおけるオカルトブームの中でだ、というものだ。
この説は英国におけるタロット研究の第一人者(?)マイケル・ダメットが最初に主張した
ものであり、現在では広範な支持を集めている。なお、マイケル・ダメットという名前で
同姓同名の哲学者(時には「天才」とも呼ばれる現代イギリスにおける言語哲学の重鎮)
を連想する人が居るかもしれないが、何を隠そう、実は同一人物なんである(笑)

彼はその大著(The Game of Tarot:Duckworth 1980)においてそれを主張し、この文字通りの
大著(なにせ、四折版600ページで持つと腕が痛くなる)における約200ページを費やして、
拾い集めた、タロットを使って行うゲームのルール解説を行っているのだが、これを見ると
タロットは本来ゲーム用、という彼の主張が正しいことはまず疑いないように思われる。
恐らく中世の人々はトランプカードを用いて様々な形で遊び、これに飽き足らなくなった
マニアが、さらなる楽しみを求めて上位互換性を持ったタロットカードを産んだのだろう。
ただその絵札デザインのあまりの蠱惑性が後世人を惑わす結果につながったのである

151: 世界@名無史さん

なるほど。チェスにカードゲームですか。それにしてもタロットがゲームだったとは
知らなかった。なかなか面白い話を聞かせていただき感謝。

中世のサッカーは、まだラグビーと分かれる前なので手の使用が当り前だったし、
厳密なルールは無かった為、危険プレーも当り前で死人も良く出たとか。
街全体を使って数百人単位で行われたそうだ。この頃の球の材質は動物の膀胱を
膨らませ、革で包んだものが使われた。他にも戦争などで勝利した時に殺した相手の
頭をボールにしたらしいが、これは特殊な例かと。
余談だけどラグビーボールの形状は膀胱でなく胃袋を使ったためにあのような形に
なったと聞いた事がある。

他にも球技ではボーリングに近いケーゲル倒しと言うスポーツがある。
これは棍棒を悪魔に見たてて倒す遊びらしい。

一番興味があるのは当時の子供の遊びや、日常的に行われていたであろう、
専用の道具を使わない娯楽なのだけど、この辺は本当に資料が見つからない。

155: Krt
>>151
やっぱりサッカーというのは一種の疑似戦争というか荒っぽいものなんだね。
井野瀬久美恵の「フーリガンと呼ばれた少年たち」とかを読むと、フーリガン自体は
ヴィクトリア朝の産物らしいのだけれど、サッカーをやる以上、死人が多少出るぐらい
仕方がない、という社会的文化的了解はこういう起源からくるんだろうか(苦笑)。
もっともこんなこと、岸和田の「だんじり」とかで毎回のように死傷者を出している
国民が言えた義理じゃないのかもしれないけれどね。でも、どうもありがとう。

子供の遊びについては、阿部謹也氏が「中世の窓から」朝日新聞社、で少し書いている。
コガネ虫やクワガタを糸の先に結んで飛ばして遊ぶ(古典古代からある遊びだそうだ)
とか、葦笛を吹き鳴らすとか、花輪を作ったり藁しべをぬいてその長さで占いをしたり
と現代の日本でも身近に自然のある地方の子供ならやっていそうなものが多い。

この本の子供の遊びを論じた部分は、鬼ごっことペスト流行の関係とか、アジール論
との関係など興味深い話が多いし、参考文献についても言及されている。このテーマに
興味があるなら一読されてはいかがだろう。それにしても舞踏会(ball)の語源が舞踏を
伴う若い男女のボール投げ遊びに関係がある、というこの本の指摘には驚かされた。

152: 世界@名無史さん
みんな何時に起きて何時に寝てたのでしょう?
王侯貴族と農民では違うかもしれないけど。

153: 世界@名無史さん
>>152
夜、明りを灯すことが大変な浪費だったから、基本的に
朝日と共に起きて、夕日と共に寝る。

156: Krt
>>152
昔の庶民が日光を最大限活用するために夜明け前に起き、暗くなると仕事をやめ、
贅沢品だった蝋燭の節約の為、さっさと寝る「超早寝・超早起き」だったのは間違いない。
基本的に彼らは教会の鐘で告げられる時間に縛られた規則正しい生活をおくっていた。
ただ注意すべきことは、南欧では午睡の習慣があったこと、それと関連して就寝時刻にも
身分による違いが大きかったことだろう。聖職者は定刻ごとに捧げられる祈りのため、
俗人とは異なった時間帯に寝起きしていたし、労働の必要もなく、蝋燭代を気にかける
必要もない身分の人間は、庶民と比べてやや宵っ張りだったらしいのである。

例えば「デカメロン」で、疫病禍から逃れてフィレンツェ郊外の別荘にやってきた人々の
生活時間を見てみると、日によって少し違うとはいえ、もう少し遅い時刻に起きている
ようにみえる。一例を挙げると、物語の三日目の冒頭に(岩波文庫:三巻)、
「紅色になっていた暁は太陽が昇るにつれて橙黄色となり、日曜日が始まりました。
女王は床を離れて仲間の人たちを起こさせました」とあるが、太陽が紅色から橙黄色に
なるのは夜明けからかなり経った時点だろうし、一方この日は一同の移動日だったため
召使い達は遥か前に起きて、この時点で既に様々な準備を終えているのである。

157: Krt
そしてこの「デカメロン」の話者達は昼食後、その多くが午後三時頃までの午睡を取り、
夜の就寝時刻も日暮れ後すぐではなく、夕食後しばらく「王はその後で草や花の上に、
多くの大きな蝋燭をともさせて、昇っていた星が落ち始めるまで」歌をうたったりして
楽しんだ後のことなのだ。(同三巻:三日目の終わりの部分)
私も天文に詳しい訳ではないのでこの「昇っていた星が落ち始める」のが何時頃なのか
詳しいことはわからないのだが、起床時間があまり早くないこと、午睡を取っていること、
等を考えるとそれほど早寝だとは思えない。むしろ現在の我々と余り変わらない時刻に
寝ていたんではないかとすら思えるのである。(ただ彼らも次の日曜には教会に行くため
夜明けとともに起きたりしているのだが)

まあ、長々と私見を書いてきたが、一般的な中世庶民の生活時間がどんなものであったか
ということなら、手近なところで、「生活の世界史6・中世の森の中で」河出文庫
の初めの方にかなり詳しく描かれているように思える。参照してはいかが?

162: 世界@名無史さん
緯度が高い場所だと「夜明け」「日没」も季節によって大差ありますよね
どう調整していたのだろう。教会の鐘?

164: Krt
>>162
教会は基本的に「祈り」という自分たちの勤めのために鐘を鳴らしていたわけで、
日本の江戸時代のように世俗社会のために鐘で時間を告げていたわけではない。
だから日本の江戸時代は季節によって打つ時間を変える不定時法だったが、
教会の鐘は原則としてはそうではない。ただし、これは原則であって、実際には
冬と夏とでは一時間程度鐘を鳴らす時間を変えていた(同時に祈りの時間も)
という。絶対時間で言うと夏の方が早く鳴らしていたそうである。
サマータイムの先駆けだろうか(笑)。

なお鐘を鳴らすための絶対時間は、ローソク、水(砂)時計などで知ったらしい。
ただ、十四世紀頃から、大都市では市庁舎の鐘楼に機械時計が設置され始める。
なお日本も要所要所には機械式和時計や香時計など絶対時間を計る装置があった。

引用元: http://academy.2ch.net/test/read.cgi/whis/1022771504/






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