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1: 世界@名無史さん 投稿日:2005/05/18(水) 11:11:56
古今東西、食文化の歴史について語りましょう








14: 世界@名無史さん 投稿日:2005/05/23(月) 21:48:55
シュガーアップル食った 一個で飽きた

原産地はカリブだと言うが、かなり前から東南アジアにもたらされたらしい
どういうルートだろう

17: 世界@名無史さん 投稿日:2005/05/25(水) 15:02:34
>>14
カリブ→カナリア諸島→アフリカ熱帯域→喜望峰→インド→東南アジア
運んだのはスペイン人やらポルトガル人

16: 世界@名無史さん 投稿日:2005/05/25(水) 00:32:19
メイフラワー号に乗って北米にやって来た最初の移民団は現地のインディアンから
玉蜀黍の栽培法を習ったが、その玉蜀黍は爆裂種だったという。
実際、最初の「感謝祭」の食卓にも、鹿肉や七面鳥とともにポップコーンがあった。

17: 世界@名無史さん 投稿日:2005/05/25(水) 15:02:34
>>16
日本人も最初の米の食べ方は、籾ごと煎って破裂させて籾殻を落として食べていた
らしいと遺跡の痕跡で判るそうな。

18: 世界@名無史さん 投稿日:2005/05/25(水) 19:51:42
>>17
>日本人も最初の米の食べ方は、籾ごと煎って破裂させて籾殻を落として食べていた 
>らしいと遺跡の痕跡で判るそうな。


それは初耳だな。
どこの遺跡で、誰がそう言ってるの?

19: 世界@名無史さん 投稿日:2005/05/25(水) 20:04:58
http://66.102.7.104/search?q=cache:8oB6Y99cRQYJ:www.ja-fc.or.jp/kids/k_rekisi.html+%E7%B1%B3%E3%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2&hl=ja
※リンク切れ

一応「米の歴史」でぐぐってみて一番上にこれが
破裂させて籾殻落としたのかまでは言及されてないが、籾ごと炒っていた様だ

ただネットの文献なんでもっと正確な情報が欲しいところ。

20: 世界@名無史さん 投稿日:2005/05/25(水) 20:18:48
>>19
弥生農村について調べたことがあるけどそういう話を聞いたことが無いんだよな。
最近の新発見とかで新聞に載ったとかいう記憶も無いし。
自分が知らないだけなんだろうか。
米は最初から炊いてたと佐原真なんかは言ってたなぁ。

21: 世界@名無史さん 投稿日:2005/05/25(水) 23:10:17
たしかに籾を炙ると弾けるし焼き米ってのもあるけど。米作が日本にたどり着いた頃、食べ方も
一緒に色々伝わったのでは。

22: 世界@名無史さん 投稿日:2005/05/25(水) 23:17:28
米伝来→脱穀技術
の間なら普通に籾焼いて食ってそうだが

23: 世界@名無史さん 投稿日:2005/05/26(木) 01:42:46
ポン菓子の起源は比較的最近?
しかし「おこし」は奈良時代には伝来してたそうだし、
爆ぜさせて食べる方法は意外と古いのだろうか。

25: 世界@名無史さん 投稿日:2005/05/26(木) 20:41:13
米って炒っただけなら消化率が良くないんだろ。
貴重な食い物なんだから
鍋さえあれば炊くことを思いつくと思うけどなあ。

26: 朱由檢 ◆MfD.4zQt1. 投稿日:2005/05/26(木) 22:47:03
甘いお酒といえば、中国の杏のお酒とラム酒しか知らないけど、
甘いお酒が登場したのってどれぐらいの時期なんだろうね。

27: 世界@名無史さん 投稿日:2005/05/26(木) 23:09:44
甘酒を忘れるな!

28: 朱由檢 ◆MfD.4zQt1. 投稿日:2005/05/26(木) 23:27:48
>>27
ああ!…忘れてた(藁

甘酒は甘いお酒であるだけじゃなくって、奢侈品でもあったよね。

29: 世界@名無史さん 投稿日:2005/05/27(金) 03:03:03
そもそも発酵が浅ければ甘いし

31: 世界@名無史さん 投稿日:2005/05/28(土) 02:36:13
蒸留酒の甘みは糖ではないのですし…
貴腐葡萄酒とか葡萄新酒とかは甘いですね。

屠蘇のベースだったり、焼酎と共に柳樽のベースだったり
味醂は調味料なのかお酒なのか…

32: 世界@名無史さん 投稿日:2005/05/28(土) 02:51:09
延喜式には、正餐の際の調味料として、塩、酢、醤に並んで、「酒」がばっちり
調味料として規定されているぞ。
飛鳥時代には、料理には味をつけていなくて、手許で各々が自分で調味して
食べていた。
だから、酒か調味料かという区分は無為。
ついでに、そのまま飲むための味醂もある。

今でも、手許でタレや手塩で味をつけるのは日本の食べ方の特徴なんだが、
タレすら素材をそのまま出して手許でよろしくやっていた。
料理に味をつけるようになったのは、鎌倉時代、禅宗が入ってきてから以降で
形になってきたのは茶が普及して以降。

34: 世界@名無史さん 投稿日:2005/05/28(土) 12:29:03
>>32
卓上で味付けってーと先ず思い浮かぶのは
タイの麺料理とかイギリス料理全般。
ですが、日本料理も確かに。

あとオーダー時にやれマヨ抜きだチーズダブルだと
あれこれ細かい注文つけるのは
メリケンのバーガーとかサンドくらい?

39: 世界@名無史さん 投稿日:2005/05/29(日) 05:17:41
>>34
卓上で味付をするにしても、給仕をする人が味付してくれるのか、
取り分けられてから食べる人が自分で味付するかでは大きな違いが
あるだろ?
食べる人が自分で味付するときには、細かく注文する必要無い。
例えば、寿司。醤油少な目とか多目とかそんな注文はつけないだろ。
給仕をする段で付いている味には注文する。ワサビ抜きとか穴子は
タレか白かとか。

それから、西洋料理は、形式ばったところほど、大体、注文をややこしく
しなきゃあらなくなる。
肉の焼き加減だとか、タレは何味にするかだとか、付け合せは何にするかとか
多く欲しいか少なくかとか、逐一いわんならん。

35: 山野野衾 ◆a/lHDs2vKA 投稿日:2005/05/28(土) 12:42:22
肉類を膾にして食べる時でも、酢や酒に塩を入れたものが使われました。
今の様な、肉厚に切った魚介類をもりつけて食べる刺身が食べられる様に
なったのは、室町時代からの事で、広まりを見せたのは近世から。
別名「うちみ」とも呼ばれましたが、『貞丈雑記』によれば、これも当初は酢を
かわらけに入れて添えて出すのが、正式な作法でした。
醤油も完成を見たのは江戸時代に入ってからの事で、古はたれみそが相当
したとは、同書の弁。中世以前の調味料は味気ないかあっても貴重品という
場合が多く、酒でも使わないとやっていられません。

36: 世界@名無史さん 投稿日:2005/05/28(土) 16:31:30
醤油を注す小皿を「手塩皿」と言いますな。

46: 世界@名無史さん 投稿日:2005/06/02(木) 20:03:46
前に甘酒の話が出てきていたけど、例の小泉武夫先生が書いた文春新書『発酵食品礼賛』のなかに、

甘酒は山上憶良の「貧窮問答歌」にもあるように、冬の寒さをしのぐために飲まれた。
しかし江戸期は夏の風物詩とされ、実際俳句の世界でも「夏」の季語とされている。
これは、夏に暑気負けで衰えた体力を回復するには、柔らかい米とブドウ糖を含んだ甘酒が最適だったから。

といった文章があった。甘酒が夏の季語の問題はさておき、「貧窮問答歌」に甘酒なんか出てきた?
酒かすを湯に溶かした「糟湯酒」じゃなかった?酒かすを湯に溶かして砂糖で味付けしたのも甘酒というが、
糟湯酒には砂糖なんか入れないだろうし。

44: 世界@名無史さん 投稿日:2005/06/02(木) 12:21:40
ところで、米南部とか、カリブ海やメキシコ料理で "Red Beans and Rice"
と呼んで、日本の「赤飯」と発想だけは良く似ている料理が有るのですが: 
http://www.gumbopages.com/food/red-beans.html
これは単なる偶然で、日本の「赤飯」とは一切関係が無いのでしょうか。

偶然にしては、組み合わせがあまりにも特異だと思う上に、ひょっとして、
安土桃山時代などに日本に来ていた南蛮人達が日本の赤飯にヒントを得て、
向こうに持って行ったのでは?とも考えさせられるからです。

(勿論、小豆(adzuki beans)とインゲン豆(kidney beans)とは全然別物な事は
知っていての質問です。) 

45: 世界@名無史さん 投稿日:2005/06/02(木) 13:28:50
偶然だろうよ。
米に雑穀や豆、さまざまな具を炊き込むのは誰でも考えつきそうだし。

47: 世界@名無史さん 投稿日:2005/06/02(木) 21:42:01
スペインには南部で10世紀の半ばには稲作が行われたことが分かっている。
『コルドバ歳時記』の4月の行事としてヘンナ、メボウキ、花キャベツ、マクワウリ、キュウリの種まきと並んで
稲やインゲン豆の種まきの記事がある。赤インゲン豆は中南米が原産だったかと思うけれど、
むしろパエリヤとかそっちの系統の方が近いように感じるのだが、どうだろう。

48: 世界@名無史さん 投稿日:2005/06/02(木) 21:49:45
インゲン豆は新大陸原産です。

じゃが芋にしろトマトにしろ、新大陸産の未知の食物が旧大陸で受け入れられるには多少の紆余曲折があったが、
豆は古代から旧大陸で親しまれていたため、インゲンは何の抵抗もなく受け入れられた。

49: 世界@名無史さん 投稿日:2005/06/04(土) 00:51:56
スペインではごった煮のことをオジャというが、これが日本の「おじや」の語源だという説も有る。

もっともこれは眉唾物で、やはり日本の女房言葉で雑炊を示した語がおじやの語源のはずだが。

58: 自転車小僧 ◆IBmI/K76EY 投稿日:2005/06/04(土) 12:36:56
>>49
スペインの"オジャ[olla]"はもともと「鍋」を示す言葉で鍋料理全般をさします。

50: 世界@名無史さん 投稿日:2005/06/04(土) 01:19:07
昨日のテレビの北朝鮮潜入撮影レポートで映ったのが
「トウモロコシ麺」。中華麺のように黄色い太目の麺でした。
初めて見たが、どんな味なんだろう。
極貧家庭の貴重な食事だったようで、北朝鮮独自の食材なんだろうか?
かまどに載せた大鍋で茹でているようでした。具などは全く登場なし。

52: 世界@名無史さん 投稿日:2005/06/04(土) 10:46:37
>>50
脱北した人が、北朝鮮で普段食べている小麦粉の粉を練ったものを
韓国でしばらく住んで韓国の生活に慣れたころ、作ってみたら、
不味くてとても食べられなかったって。

54: 世界@名無史さん 投稿日:2005/06/04(土) 11:19:10
>>52
それは、豊かな国で料理として工夫されたすいとんと
貧しい国の食料としてのすいとんとでは、味がまったく違うでしょう。
小麦粉の質とかダシとかが違って。

なんかどっかの料理学校が、戦争中の料理を再現してみたら、
戦中を知っている人から、こんなおいしくなかった、
と言われたという話があるよ。

58: 自転車小僧 ◆IBmI/K76EY 投稿日:2005/06/04(土) 12:36:56
>>50
1980年代の中国でトウモロコシ麺、トウモロコシパンを食べたことがあるがあまり
うまくなかった。トウモロコシ麺はこしが無くのど越しが非常に悪く少し酸味があった。
パンの方もバサバサのカステラから甘味を抜いて酸味を少し加えたような感じ。
配給制がまだ活きていた時代とはいえ調味料や他の食料も十分にあったので今の共和国
とは比べ物にならないがそれでもおいしいものではなかった。
韓国にもトウモロコシのパンが売られているが小麦粉にトウモロコシ粉を混ぜたパンなので
酸味も少なくそれなりに食べられる。
脱北者が韓国でトウモロコシを食べて驚くのは韓国のトウモロコシが甘いと言うこと。
韓国は日本と同じくスイートコーンを食べるが共和国では馬歯種という日本などでは家畜飼料
や加工食品用に栽培される種類が食べられている。

51: 世界@名無史さん 投稿日:2005/06/04(土) 01:22:55
玉蜀黍粉の水団は、かつて日本でも山岳焼畑地帯の主食だった。

映画「楢山節考」の登場人物たちも食べている。

56: 世界@名無史さん 投稿日:2005/06/04(土) 11:27:04
すいとんとかに頼るようになった頃にゃー醤油もヘタすりゃ代用品だからな(炒り海草+塩水)

57: 世界@名無史さん 投稿日:2005/06/04(土) 11:32:02
戦時中の代用食には「海藻麺」なる物もあったな

58: 自転車小僧 ◆IBmI/K76EY 投稿日:2005/06/04(土) 12:36:56
>>57
海藻麺は最近ダイエット食としてあちこちで作られている。味は格段にうまくなっている
だろうけど、食べても物足りない感じがするのは今も昔も同じだろう。

63: 世界@名無史さん 投稿日:2005/06/04(土) 13:01:08
>>57
海藻十割麺ではないけど、小麦粉の生地に海藻を練りこんだ麺は
(主にラーメンとしての使われ方が多いようだが)そこそこいける。
独特のつるっとした食感も悪くないしね。

そういやトコロテンという先輩がいたじゃんか・・・

59: 世界@名無史さん 投稿日:2005/06/04(土) 12:51:08
玉蜀黍の蒸し団子といえば、かつての支那北部の農民の常食だったな。

60: 世界@名無史さん 投稿日:2005/06/04(土) 12:51:25
>現在もインドから毛髪を輸入して作られており

お前嬉々として「マクドの肉は実は・・・」とか語ってただろ

66: 世界@名無史さん 投稿日:2005/06/04(土) 17:22:38
アメリカといえば・・・
「ビスケット」といえば元々は船員用の乾パン、日本では子供用のお菓子。
しかしケンタッキーのビスケットはカエデ蜜で食べるふかふかしたパン。

どうしてこうも指す物が違うのだろうか・・・

73: 世界@名無史さん 投稿日:2005/06/05(日) 03:52:52
>>66
ケンタッキーのフライドチキンは好きじゃないけど、ケンタッキーのビスケットは好き。
ビスケットだけ食いてぇ。

昔、アメリカのマックに朝食を食べに行ったら、モーニングメニューでビスケットがあったな。
やはり、ケンタッキーみたいなヤツだった。気に入って毎朝そればかり食べてたよ。

68: 世界@名無史さん 投稿日:2005/06/04(土) 23:08:16
フランスなんかでは、チョコレートはカカオ分が70%以上のもので
大人のお菓子。でも、日本は、昔はカカオが高かったので、
カカオを40%にし、ミルクや砂糖でごまかしたので、甘い子供のお菓子になった、
と聞いた。まあ、それを言い出したら、本来は飲み物だったんだろうけど。

ペルーの方では、唐辛子入りチョコレート(飲用)があると聞いたし、
バレンタインのチョコレートには、コショウや生姜、岩塩、唐辛子入りのものも
あると聞いたけど、どんな味?

まだ・・・そんなものを・・・貰ったことが無いんです(´・ω・`)

79: 世界@名無史さん 投稿日:2005/06/06(月) 23:26:12
>>68
「オークラ チョコレート」でgoogle検索してみるといいよ
ウォッカのみながらつまみにするのが好きです。

69: 世界@名無史さん 投稿日:2005/06/04(土) 23:15:53
チョコレートの語源は、アステカ語のショコラトル(苦い水)だったかな?
本来はカカオ豆を挽き、唐辛子を混ぜて水で伸ばした、現在のものとは似ても似つかぬもの。

ちなみにカカオ豆はかつてのマヤでは通貨としても流通し、十粒でウサギ一匹、
百粒で奴隷一人が買えた。人間の値打ちはウサギの十倍・・・

74: 世界@名無史さん 投稿日:2005/06/05(日) 05:16:12
>>69
中米のウサギは種類が違って、柴犬よりも大きいんだよ。
仮に肉にして食べたとして、ウサギ10匹は人5~6人分だ。
(中南米では、人肉をお供え物にはしても、共食いはしないよ。)

75: 世界@名無史さん 投稿日:2005/06/05(日) 09:51:10
そうなの? ピラミッドの頂上から突き落とされて
トマトシチューにされたんじゃなかったのか?

95: とてた ◆0Ot7ihccMU 投稿日:2005/06/08(水) 21:33:50
>>75
ピラミッドの頂上から突き落とすのは生贄に捧げた後の遺体ですし、
トマトはペルー産です。
ついでにいえば、マヤでは生贄よりも王や神官の自己犠牲が盛んでした。

76: 世界@名無史さん 投稿日:2005/06/05(日) 12:14:57
トマトシチューなどと書くなよ。
美味そうに見えるじゃないか。

ていうか、いくらマヤでも、奴隷を買うのは食うためじゃなくて働かせるためだろ?
生殺与奪の権はご主人様が握っているのだろうが。

86: 世界@名無史さん 投稿日:2005/06/07(火) 20:36:14
マヤには大型家畜がいないので、代用として人間を生贄に捧げたり、食ったりした、と
聞いた事が有る。

95: とてた ◆0Ot7ihccMU 投稿日:2005/06/08(水) 21:33:50
76-77 >>86
そんなに人間ばかり食べていとわけではなかったようです。
あくまでも「儀礼的なもの」です。
中南米の奴隷は「労働力の提供」が主で、虐待したら告発されました。
普通の人じゃ生贄にはなれないですし。

89: 世界@名無史さん 投稿日:2005/06/08(水) 05:26:45
コーヒーについての質問: 

確か、イスラム教では、酒と同じ様に嗜好品のコーヒーも禁止しているハズなのに、
コーヒーは元々アラビア圏から発達して、トルコのような回教国でもコーヒーが
盛んになった理由は何なのですか。

90: 世界@名無史さん 投稿日:2005/06/08(水) 07:37:04
>>89
> 確か、イスラム教では、酒と同じ様に嗜好品のコーヒーも禁止しているハズなのに、

そんな戒律あったっけ?
そもそもコーヒー普及の端緒は、夜通し祈るイスラム僧の眠気覚ましだったとおもうが。

101: 世界@名無史さん 投稿日:2005/06/09(木) 20:49:18
>>90
一応、回教の教義では、僧とか聖職者とかは居ないことになっていて、祭事を執り行ったり
教義を解釈・解説したりすることを特定の者に委ねないことになっている。
儀礼や教義の探求は、信徒全員の権利であり義務でもあって、資格のようなものは要しない。

実際には、研究者のように者は居て、周囲の尊敬を集めて請われて祭事を行ったり教義の解説
を解説したりする。

91: 世界@名無史さん 投稿日:2005/06/08(水) 07:48:50
>>89
コーヒーの是非について論争になった際、コーヒー容認派が毎晩コーヒー飲んで
深夜まで理論を組み立てた為に議論で否定派が不利になった。
対抗上否定派もコーヒー飲んで理論武装せざるを得ず結局うやむやに。

92: 世界@名無史さん 投稿日:2005/06/08(水) 08:15:39
んで結局「炭ほど強固には焼かれてねえよ」ってことになったんだっけな

93: 世界@名無史さん 投稿日:2005/06/08(水) 09:16:31
>>89>>90  
コーヒーの豆知識:
http://www.kawanrumor.com/beams_story2.html
※リンク切れ
 
に拠ると、
(前略)
>門外不出の…珈琲
(中略)
>コーヒーがいつごろから人々に飲まれはじめたのか真実はわかりませんが、十世紀初頭、
>アラビアの医師ラーゼスが残した豆を煎って飲むようになったのはおそらく偶然で、
なったのはおそらく偶然で、
13世紀頃からと言われています。
1454年になって初めて、一般信者にその存在が知られると、寺院の回りはコーヒーの
>露天であふれかえり、人々はお祈りの前にコーヒーを儀式的に飲むようになりました。
>それからメッカへ、カイロヘ、ダマスカスへと伝わっていき、 1554年には世界最古の
>コーヒー店「カーネス」がコンスタンチノープルに作られています。
>コーヒーの余りの人気に賛否両論が起こり、ついにメッカの地方長官カイル・ベイが
>「コーヒー禁止令」を発布して最初のコーヒー弾圧をしましたが、当時のエジプト国王・
>サルタンが大のコーヒー好き。それを知って激しく怒り、すぐさま禁止令を撤回して
>「コーヒーを飲むのはコーランの教えや宗教上の罪悪にはならない」と宣告しました。
>以後コーヒー弾圧は何度か繰り返されます。それだけコーヒーに魅せられる人が多かった
>ということでしょう。
(後略)

因に、このサイトにどれだけ信用がおけるかは不明。

99: 若狭 ◆yqXqaUpMzk 投稿日:2005/06/08(水) 23:32:38
>>93
中公新書 白井隆一郎 『コーヒーが廻り 世界史が廻る』P24~ にもそのエピソードがのってます。

まずコーヒーがイスラム的に好ましくないものである理由として
○コーヒーは熱いので、息を吹きかけ覚ましながら飲む。
息を吹きかけるのは大食漢のしるし。アラブの概念では食べすぎ、太りすぎはかなりNG。
また、息には生命の息吹が宿っており、むやみに吐くものではないという考え。

○コーランに「炭は食べてはならない」という定めがある
煎ったコーヒー豆はどう見ても炭。

○コーヒーをさす「カフア(Qahwa)」という言葉は元はワインを意味するものであった。
アラブ人は食欲に悩まされるのを鎮めるための飲み物として、ワインやコーヒーを同類とかってみなし同じ言葉で表した。
ワインは当然NG。(これもコーランの記述であいまいなところがあるが)

100: 若狭 ◆yqXqaUpMzk 投稿日:2005/06/08(水) 23:33:19
連投失礼します。
○メッカ事件

1511年6月21日、メッカのパシャ、カイル・ベイ(ハーイル・ベイ・ミマル)は市の幹部会を招集し最近メッカ市民の間で流行っているコーヒーを取り締まるかどうかについて討議させた。
コーヒー禁止派と禁止反対派との間に激論が交わされた。禁止反対派は
「原則的にはすべての植物は神によって人間の喜びのために創られたものであり、禁止を必要とする性質を有していることが証明されない限りは、基本的に認可されるべき」
だと主張した。
そしてコーヒーが人間の心身に何らかの害をあたえるかについて医学的な鑑定を求めることとなった。
コーヒーの禁止を勧めたいカイル・ベイは2人の医者に「コーヒーはメンタルな面で悪影響を及ぼす」という意見陳述を行わせ、遂にメッカでのコーヒー弾圧が強行された。コーヒー豆は焼かれ、売買したもの、飲用したものが鞭打たれた。

しかし、禁止反対派はこの措置に抵抗。マムルーク朝の首都、カイロに会議の議事録を送付。
翌年、カイロからの回答により、コーヒーそのものの禁止は撤回されカイル・ベイは職を解かれた。

そして後年、オスマン朝のアフメト1世の元での公式見解として
>>92さんのとおり
「炭ほど強固には焼かれてねえよ」
として、イスラム世界で堂々と飲めるようになったということです。

103: 若狭 ◆yqXqaUpMzk 投稿日:2005/06/12(日) 23:43:43
あと、コーヒーに宗教上の意味合いを持たせたのは、スーフィーたちであり、
神秘主義はイスラム法学の主流となったことはないと思います。

神秘主義が法学思想に与えた影響は大でしょうが、
コーヒーについては
禁止しなけりゃならないほど、宗教的・健康的に害のあるものじゃない、という理性的な判断によるのではないかと。

139: 世界@名無史さん 投稿日:2005/06/19(日) 10:15:43
>>103
聞くところによるとスーフィーの修行のひとつに、
不眠行(サハル)という綱目があって、だいたい恒常的に睡眠時間を
1日2~3時間ほどに削って普段から夜通しずっとズィクル(称名の類)
を唱え続けたり瞑想に没頭するんだとか。

イェメンからコーヒーが伝来したときもカイロの主立った神秘主義教団の
修道場(ザーウィヤ、ハーンカーフなど)で不眠行に励んでいたスーフィー達に抜群の
効果を発揮したので、彼らと各地の修道場が核になって伝播を早めたんじゃ
ないか、という所説があるとかなんとか。
確かイェメンを拠点とするスーフィー教団もいくつかあったような・・・

140: 世界@名無史さん 投稿日:2005/06/20(月) 12:28:22
>>139 
仏教徒達も眠気を押さえる必要が有ったと思うけど、仏教ではコーヒーは全然流行らなかったのだろうか。
アジアに伝播するための時間は、何百年も有ったと思うが。

また、日本にコーヒーが入って来たのはいつ頃で、日本の僧侶などは珈琲を全然飲まなかったの? 
自分で答を予想すると、緑茶の方がカフェインを多く含んでいる為、珈琲は必要無かったのだろうか。

だが、そうすると今度は、回教徒の間では何故、緑茶が流行らなかったかという疑問が起きて来るが。

168: 世界@名無史さん 投稿日:2005/06/22(水) 16:22:24
>>140
日本の僧侶が飲んでたのは、緑茶じゃなくて抹茶しかもどろりとした濃茶。
あれを空腹で飲むと胃がやられる。
そのためにちょっとした食べ物と一緒にとるようになった。
それが懐石料理。

「懐石」とは僧侶がすきっ腹をなぐさめるために使った温石のこと

105: 世界@名無史さん 投稿日:2005/06/13(月) 03:01:35
コーヒーは理性的判断というより、たんにコーヒー好きが多かっただけ
で、酒とか色々宗教上の制約があるのに、この上コーヒーまで
禁止されてたまるか、という考えが働いたせいでは、と考えないでもない。

106: 世界@名無史さん 投稿日:2005/06/13(月) 04:58:51
元々、香辛料=スパイスに馴染みをもった舌と鼻のため、コーヒーの渋味と芳香に順応しやすかったのではー
日本の定着と普及速度と比べて見ると。

引用元: ・食物と酒、嗜好品の歴史 13皿目@世界史板





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