41B6Z7W8N4L



1: 李王職長官
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Desert/3914/koreanoble_index.html
朝鮮王公族と貴族

真面目に議論しましょう。反韓厨坊は来ないでね。








3: 日本@名無史さん
真面目に語りたいのだが、資料が少なすぎてはどうにも・・・

10: 日本@名無史さん
李王職官制(明治43年皇室令第34号)
第一条 李王職ハ宮内大臣ノ管理ニ属シ王族及公族ノ家務ヲ掌ル
第二条 李王職ニ左ノ職員ヲ置ク
  長官
  次官
  事務官
  賛侍
  典祀
  典医
  技師
  属
  典祀補
  典医補
  技手
第三条 長官ハ一人勅任トス李王職一切ノ事務ヲ総理シ所部職員ヲ指揮監督ス
第四条 次官ハ一人勅任トス長官ヲ輔ケ長官事故アルトキハ其ノ職務ヲ代理ス
第五条 事務官ハ三十六人奏任トス内三人ヲ勅任ト為スコトヲ得庶務ヲ分掌ス
第六条 賛侍ハ十二人奏任トス内二人ヲ勅任ト為スコトヲ得李王及李太王ニ近従シ身側ノ事ヲ分掌ス
第七条 典祀ハ八人奏任トス名誉官ト為スコトヲ得祭祀及墳塋ニ関スル事務ヲ分掌ス
第八条 典医ハ六人奏任トス診候調薬及衛生ノ事ヲ分掌ス
第九条 技師ハ三人奏任トス建築土木及園芸ニ関スル技術ノ事ヲ分掌ス
第十条 属ハ判任トス庶務ニ従事ス
第十一条 典祀補ハ判任トス祭祀ニ従事ス
第十二条 典医補ハ判任トス医務ニ従事ス
第十三条 技手ハ判任トス建築土木及園芸ニ関スル技術ニ従事ス
第十四条 李太王ニハ事務官七人賛侍三人典医二人属及典医補ヲ王世子ニハ事務官賛侍典医各一人属及典医補ヲ公族ニハ事務官各二人及属ヲ分属セシム
附 則
本令ハ明治四十四年二月一日ヨリ之ヲ施行ス

15: 日本@名無史さん
とりあえず、李王家の詳しい系図はないんですか?

16: 日本@名無史さん
no title

李王家

20: 日本@名無史さん
朝鮮国王(李氏)
代数  在位期間 王 名
第1代 1392-1393 太祖康献王(権署高麗国事)
    1393-1398 太祖康献王(権署朝鮮国事)
第2代 1398-1400 定宗恭靖王(権署朝鮮国事)
第3代 1400-1418 太宗恭定王(以後、朝鮮国王)
第4代 1418-1450 世宗荘献大王
第5代 1450-1452 文宗恭順王
第6代 1452-1455 端宗恭懿王
第7代 1455-1468 世祖恵荘王
第8代 1468-1469 睿宗襄悼王
第9代 1469-1494 成宗康靖王
第10代 1494-1506 廃王・燕山君
第11代 1506-1544 中宗恭僖王
第12代 1544-1545 仁宗栄靖王
第13代 1545-1567 明宗恭憲王
第14代 1567-1608 宣祖昭敬王(宣宗)★
第15代 1608-1623 廃王・光海君
第16代 1623-1649 仁祖(仁宗)

21: 日本@名無史さん
第17代 1649-1659 孝宗
第18代 1659-1674 顕宗
第19代 1674-1720 粛宗
第20代 1720-1724 景宗
第21代 1724-1776 英宗★
第22代 1776-1800 正祖(正宗)★
第23代 1800-1834 純祖
第24代 1834-1849 憲宗
第25代 1839-1863 哲宗
第26代 1863-1897 高宗(以後、帝位)
大韓帝国皇帝(李氏)
第1代 1897-1907 高宗光武皇帝(徳寿宮李太王)
第2代 1907-1910 純宗隆煕皇帝(昌徳宮李王)

22: 日本@名無史さん
過去ログより

二人の最初の王子は王族の親ロ派に殺されたんだよね?
子供いたんだ、知らなかった。
あと、もう一人李王朝の王子が、広島で被爆されて亡くなっていますよね。

広島で被曝死されたのは公族の
李グウ公殿下です。(グウは金偏に「偶」から人偏を取った字)
李王殿下の御子ではなく、親族の一人です。

騎乗して市内を巡察中に被曝。
手当の甲斐なく亡くなられました。
御附武官(日本人)は自決。覚悟の殉死でした。

24: 日本@名無史さん
高宗には一説に7人の子があったと言い、私が確認できたのは年長順に、
完和大君(母 側室李氏。13才で死亡。皇后閔妃による毒殺説あり。)、
男子(名前不詳。母 皇后閔妃。生後数日で死亡。毒殺説あり。)、
李せき(土編に石。母 皇后閔妃。最後の大韓皇帝純宗。)、
李こう(土編に岡。母 側室張氏。義親王。)、李垠(母 側室厳妃。
英親王。)、李恵徳(母 梁氏。)の6人です。
高宗

高宗
(こうそう、1852年7月25日 - 1919年1月21日)は、李氏朝鮮第26代国王(在位:1863年12月13日 - 1897年10月12日)、後に大韓帝国初代皇帝(在位:1897年10月12日 - 1907年7月20日)。韓国併合後は大日本帝国の王族として徳寿宮李太王と称された。

25: 24
純宗李せき(日韓合併後、李王)は病弱で子がなかったため、
末弟の李垠が皇太子(合併後、王世子)となりました。
次弟李こうは母の出自の関係で後継から除かれたみたいです。
合併後、韓国皇族からは李王家と2李公家がたてられ、
純宗皇帝が李王となり、彼の死後、李垠殿下が李王となられました。
庶兄李土岡殿下と高宗の兄、李熹殿下が李公に封じられました。
李徳恵 は宗伯爵家に嫁ぎました。(女子あり。後に精神を病み離婚。)

26: 24
すでに述べたように、李垠殿下は皇族梨本宮方子女王と結婚され、
長男李晉殿下(夭逝)と次男李玖殿下(王世子)をもうけられました。
李玖殿下は終戦時15才、海軍兵学校入学直前でした。
昭和25年に学習院の同級生伏見博明(元皇族伏見宮博明王、
現在日本文化振興会総裁。)とともに渡米し、
マサチューセッツ工科大学(MIT)で建築学を学ばれました。
(入国許可等の詳細は不明ですが、李玖殿下によると、
李垠殿下が米軍と相談して留学をすすめたとあります。)
殿下は渡米後も長い間無国籍のままでしたが、
昭和36年にJ.F.ケネディ上院議員の斡旋でアメリカ国籍を取得しました。
現地でドイツ系米国人ジュリアさんと結婚(後に離婚)しましたが、
子供はいないようです。現在、東京とソウルで生活していて、
毎年5月の第一日曜日にソウルで行われる宗廟大祭に祭主として
参加なされているそうです。

27: 24
李土岡公には2子があり、長男李鍵は父の隠居後に李公を継ぎました。
次男李ぐう(金偏に禺)も、子のない李俊殿下(李熹殿下の子)の跡を継ぎ
李公となりました。李鍵殿下は終戦時陸軍中佐で(妻は松平佳子、戦後離婚、
1男子あり。)日本国籍を取得し、桃山虔一と名乗りました。
李金禺公も陸軍中佐で昭和20年8月6日に広島で被爆死しました。
(妻は朴賛珠、長男は清。確認していませんが、
李金禺公は靖国に祀られているはずです。)
余談ですが李公お付き武官は責任をとって自決したそうです。
彼らの末の弟に李寿吉というものがあり、
李垠殿下帰国の際に空港で迎えに来られました。

29: !!!

私の父が李玖殿下と大阪の旧陸軍偕行社付属小学校で、同級生でした。
英親王については、英親王ゆかりの人たちが「英親王李垠伝」という本を出版していて、私の実家に李玖殿下の直筆サイン入りのその本があります。
なんでしたら、少し時間は必要ですが調べます。この本は多分に自費出版に近いようなマイナーな本なので、国会図書館ぐらいでしか手に入らないのでは?

父によると、英親王の家にも招かれたことがあり、李朝の紋が入った饅頭を土産に頂いたそうです。終戦時、英親王は大阪で留守師団の師団長をしていたハズです。英親王も李玖殿下は終戦後は帰るに帰れず(政敵になるから)、かなり苦労されたようです。李玖殿下が海軍兵学校に入校直前だったというのは初耳なのですが、私の父と同じ昭和6年生まれのハズなので、まだ入校年齢に達していなかったと思います。

30:
「英親王李垠伝」~この本は持っています。
李垠殿下はすごくいい人だったみたいですね。
31:  
>>30
在日朝鮮人史家で著名な故金英達氏は、李垠殿下のことを
「とくに李垠は、”もの言わぬ操り人形”として十分にその醜態をさらした」
と酷評している。

35: 29です
>>30
凄くマイナーな本を、持っておられたのですね。
私も読んでみて、数奇な運命をたどった最後の皇太子に感じ入るところが多々ありました。
私の場合はむしろ英親王よりも、父から李玖殿下のことをいろいろと聞いたことがあります。
存命中の方ですので、あまりUPするのも気が引けますが、、、

その時の同級生には辻正信参謀の息子さんもいたそうで、中々に賑やかな小学校だったらしい。体育の時間に騎馬戦をする時、殿下は当然に常に、担がれる人。それを目掛けて相手陣営が殿下の帽子を取ろうと、必死になって大格闘。私の父なんか、歯を食いしばって殿下の帽子が取られないようにしたらしい。

梨本宮方子女王は、本当に優しい人だったと聞いています。高貴な方なのに殿下の友人というだけで小学生のガキを招きいれ、親しく接して頂いたそうです。家の前には当然に憲兵が警備していて、物々しい雰囲気はあったそう ですが。無難にアップできるのはこの程度ですが、父からいろいろと聞いてきます。

殿下の通われていた小学校は陸軍の小学校だったので、敗戦とともに家が没落してしまったケースが多く、戦後は大変だったようです。私の家は軍人の家ではなかったので、没落は免れたようです。今でも同窓会を開催しているようですが、さすがに李玖殿下は出席されません。でも、今でも手紙の交換は時々しているようです。

36: 1
>>35
書き込みありがとうございます。
ところで旧陸軍偕行社付属小学校って大阪の追手門学院の前身ですね。

37: 29です
>>36
Yes
ですが正確には前身というよりも敗戦により、学校の経営母体である陸軍が消滅。
学校存続のために、私立学校へと転換したらしいです。李玖殿下はご存知のように、東京の学習院から父親である英親王の大阪への転勤に伴い、大阪の偕行社付属小学校へ転校されました。

39:
>29
「英親王李垠伝」~この本を読んで李垠殿下にすごく親しみを感じました。
しかし戦後は苦労されたみたいです。
 

個人的にはもっと日本政府が優遇すべきだったと思います。

40: 日本@名無史さん
朝鮮王族は戦前までは、皇族待遇だったよ。
軍隊でも昇進も皇族と同等に扱われていたよ。
戦後、11宮家の臣籍降下に伴って、皇族待遇の身分を剥奪されたんだよ。
李玖殿下が、今上陛下と一緒にランドセル背負った、学習院初等科時代の写真を雑誌で見たことあるよ。学年は今上陛下が二つ下だけど。
学習院から大阪の偕行社付属小学校に転校したんだ。
方子殿下は、戦後、ソウルで福祉事業に尽力されておられたよ。
方子殿下の葬儀には、非公式だけど、三笠宮殿下(高円宮殿下の父)が参列されたよ。
皇族が戦後、韓国に行かれたのは、三笠宮殿下が最初だったと思う。

41: 日本@名無史さん

戦後、生活費の支給を打ち切ったのは酷かったね。
戦後も、皇族待遇のままにしておけば良かったのに。
戦後は李朝伝来の書画骨董の切り売りで生計立てていた訳だし。

42: 日本@名無史さん
>>41
11宮家が皇籍離脱してるのに李王家だけ皇族待遇のままというのは無理がある。
李王家の面倒をみるのは戦後に独立した韓国政府の責任だと思う。

43: 日本@名無史さん
李王家、特に本家の妃殿下(方子妃)は、元皇族だろ。
韓国の李承晩は李王家を目の仇にしていたから、生活費など支給するはずがない。(実際、しなかったし)
方子妃は、父親(梨本宮守正王)は戦犯として収監されるわ、切り売り生り生活を強いられるわ、戦後は不幸だったよね。
李垠殿下は大正天皇が弟同然に可愛がっておられたよ。大正天皇が生きていれば皇族待遇剥奪はなかったと思うが。

45: 日本@名無史さん
>>43
直宮以外は皇籍離脱なんだからそれはなさそう。
確か李王家には一時金も出なかったと思うんだけど、それはちょっときついね。


>李承晩は李王家を目の仇にしていたから、生活費など支給するはずがない
 
これは韓国の国内問題だからここまでは当時の日本にはどうしようもないよ。

44: 日本@名無史さん
李グウ公殿下は、広島でもあまり話題にならないね。
広島湾にある似島の陸軍仮設病院で亡くなられた。
原爆の死亡者では一番高貴な身分の方なんだけどね。
軍人で戦死なので、靖国神社に祭られているよ。

46: 日本@名無史さん
朝鮮王族は、臣籍降下当時、10人もいなかったんだから、税金で養えたんじゃないの。(妻子含む)
日韓併合時に、朝鮮王族の生活は保障すると言うことを約束した訳だから、「名族保持」のためにも生活費を支給すべきだった。
日本に帰化した、桃山家に対しては、皇族待遇と生活費支給すべきじゃないの。

47: 日本@名無史さん
李王玖には子供がおられないから、李朝の正統を受け継ぐのは、桃山家しかないよ。(元李鍵公)桃山家は子供がいるし。徳川幕府が足利や今川などの名族を「高家」として残したように、税金で保護すべき。

50: 日本@名無史さん
李氏なんぞを保護するくらいなら、旧宮家や摂家その他の名家を保護すべき。
ってか保護する必要なんて全然ないけど。

51: 日本@名無史さん
かつて、朝鮮八道を500年間統治した名族だよ。李王家は。
それに日韓併合の時に日本が面倒見る約束したし。
摂家は臣下筋だから保護する必要なし。
一応、日本とは対等合併だったし。

52: 日本@名無史さん
>>51
マジレスすると、日韓基本条約で無効に。

53: 日本@名無史さん
>>52
「旧朝鮮王公族保護に関する法律」とか作ればいいじゃん。
別に韓国も、「桃山家は日本に帰化した裏切り者だから保護は反対ニダ」とは
言ってこないだろ。

54: 日本@名無史さん
>>53
無理。憲法違反。
そこまでして外国人を保護する必要はない。
自分の食い扶持くらい自分で稼ぐべき。
元手となる財産くらいあったんだろうし。

55: 日本@名無史さん
>>54
だから、桃山家(元李鍵公)は日本に帰化したから日本人だよ。
財産税で、ごっそり持っていかれたよ。財産は。
軍人恩給だって、もらってないよ。
李朝嫡流の血脈を税金で維持してもいいじゃない。僻地に道路作る
よりは安いと思うし。

56: 日本@名無史さん
>>55
日本人でも憲法違反。
税金でごっそり持っていかれたってそれなりに残るでしょ。
李朝の王室を日本が保護する必要なんてないじゃん。
日本の名家だって保護されてないのに。

57: 日本@名無史さん
>>53
桃山家は財産税でごっそり持っていかれたよ。
それに今は日本人だよ。
李朝の血脈を維持するのは、併合した日本の義務だと思うが。
毛利家だった滅ぼした、尼子家を明治まで保護した訳だし。
 

59: 日本@名無史さん
>>57
もっていかれたのは他の宮家や華族も同じでしょ。
朝鮮は独立し、また桃山は自分の意思で日本人になったんだから、
面倒見きれん。
毛利の頃と時代が違うし。
そんなこといってたら、徳川やら諸大名やらの面倒もみんと。
ってか、その手の特権は認められてないし。

61: 日本@名無史さん
毛利家が尼子に捨扶持をやって保護したのは、別に尼子が可愛そうだから保護した訳じゃないよ。
実際、息子の吉川元春は尼子一族皆殺しを主張してたし。
「毛利はかつての敵まで保護している度量が広いな」と言うことをPRするためだよ。
「日本はかつての被併合国の王族まで保護している」と言うことを諸外国にPRするためだよ。

63: 日本@名無史さん
じゃあ、桃山家の当主のために適当な特殊法人を作って、そこの名誉総裁職を世襲するようにすれば問題ないじゃん。(日韓親善基金とか)
生活費はそこの名誉総裁の給与の名目で支給。

64: 日本@名無史さん
いや。そこまでする必要はない。
作りたければ民間でやってくれ。
っていうか、自分で働けよ。>>桃山
日本人になったんなら、いざというときは当然普通の日本人と同じ保護を受けられるんだろうし。

っていうか、世襲の特殊法人なんてありかよ?
ひょっとしたらあるのかも知れんが。

66: 日本@名無史さん
何か李王家の特別待遇を必死に訴えてる人がいるが「名族保護」というなら李王家は韓国が面倒見るべきでしょ。大日本帝国は解体されて、現在の朝鮮半島は日本じゃないし。
版籍を伴っていない現在の桃山家等の李王家(王公族)一族を日本政府が国庫負担で優遇する理由はないよ。併合時代はちゃんと保護し通して責任は果した。(しかも破格の待遇)
>>64のいうように民間でならどうぞ御自由に。
総連とか民団とは違う「まっとうな在日団体の総裁」になって金持ちの在日に官職(架空だけど)とかを売ればいい。
そういう団体でなら内規で世襲も可にできる。
こういうことやってる旧王家とかってあるよね?

76: 日本@名無史さん
霞会館発行の「平成版新修華族大鑑」では、朝鮮王族の序列は天皇家・宮家・旧宮家・旧王公族の順番だよ。
桃山家(元李鍵公)は、戦後、嫁の広橋佳子に離婚されるは。闇市に店を出したり苦労の連続だったよ。 広橋佳子は旧高松松平家の一族で公家華族の広橋家に養女に出されていた人。
李方子妃殿下(元梨本宮方子女王)とは従姉妹。(母親同士が姉妹)
李鍵公に嫁いだのも、方子妃殿下と従姉妹だったこともある。
現在の桃山家当主(李鍵公の長男)は某有名進学高の教員(理事かも知れんが)だよ。

77:  
大韓帝国が日本によって亡国となってわずか8年後、金九、李承晩ら独立運動家たちは上海で亡命政権(大韓民国臨時政府)を樹立した。
この臨時政府自体が、李王家を否定していた。
李王家は日本に国を奪われ、日本の王公族の一員になることを強制された、悲劇の王族と言える。
わずか8年しか経っていないのに、それが自国の独立運動家にも蔑ろにされてしまった。
伝統を大事にしない韓民族の性か?

78: 日本@名無史さん
3・1運動の独立宣言文も李王家を無視してるしね。

81: 日本@名無史さん
李グウ公の妻は朝鮮貴族、朴泳孝侯爵の娘。(ソウル在住)
戦後はどのように生計立てていたんだろう。
兄の李鍵公は、闇市に店を出したりいたけど。結構、大変だった。

85: 日本@名無史さん
桃山家の御当主は、某有名私立進学校の教員をされておられるので、定年後は私学協会の名誉理事長にでもなってもらったら。
高貴な身分の方が私学業界のトップなら、文部科学省との交渉でも有利に働くし。
私学の地位向上にも繋がる訳だし。
未だに「私学は官学の補完物」と言う風潮は強いしね。(特に地方では)

89: 日本@名無史さん
>>85
高貴な身分の方が名誉職をすると、やはり有利だよ。
日本人は血統大好きじゃない。「歴史読本」でも未だに、華族や旧宮家の特集くんだりするよ。
王公族は、公爵の上だからね。高貴度も抜群。

90: 日本@名無史さん
>>89
近衛とか徳川って言うんなら話のネタにもなるかも知れんが、桃山では、ちょっとね。マニアじゃない限り知らんだろ。むしろ引かれるかもしれん。

101: 日本@名無史さん
俺としては桃山家にはあんまり貴種性を感じない。

>王公族は、公爵の上だからね。高貴度も抜群

優遇しすぎたと思う。王の一家は王族でいいとしても分家は伯爵ぐらいで十分だったと思う。
併合した側の上級貴族が併合された側の王の分家の風下に立つなどは。名目上、対等の併合ということにしたからとはわかってますが。何とも。

108: 日本@名無史さん
>>101
上級と言っても結局は臣下だし、他国の王族にならぶはずがない。
それに加えて李王家はぽっと出の大名より古い家柄。
そもそも叙爵なんて名目の塊みたいなもので、名目を持ち出さなければ公家なんて伯爵以上にはならないでしょう。まあ半島との戦争や王族同士の婚姻がなかったせいで、ヨーロッパみたいには他国の権威が分からないのが日本人だろうけどね。それで、このスレも死の危険と隣合わせな訳だ。

112: 日本@名無史さん
>>108
そのとおり。朝鮮王室の権威なぞ日本の知ったこっちゃない。
っていうか、欧州人は血縁関係のない亡国の王室を一族扱いするのか?
そりゃまた奇特な。

明治人は寛大すぎ。琉球と同様に扱えばよかったのに。

161: 日本@名無史さん
凄い基本的なことを聞くんですが、朝鮮に貴族っていたんですか?
科挙を行っていたと思うんですが、ということはかなり昔に貴族は滅んでいたのではないのですか?

163: 日本@名無史さん
>>161
いました。日韓併合後は一部の者が「朝鮮貴族」というワクで日本でも貴族待遇されてました。華族制度と一緒に1947年廃止。

164: 日本@名無史さん
>>163
いわゆる両班というやつですか?彼らって基本的に官僚じゃないんですか?
血統を維持しようとしても、科挙の合格者を出せないと没落したんじゃ無いの?
それに中央集権国家なんだし、諸侯ではなく公卿みたいなものだったんですかね。
叙爵された貴族達の家柄の解説ってのが載ってるHPとか知りたいな。
ハングルは読めないから、日本語で・・・

165: 日本@名無史さん
>>164
叙爵された貴族達の家柄の解説ってのが載ってるHP
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Desert/3914/

168: 日本@名無史さん
>>161
科挙があっても受験に専念できるのは一部の特権階級であって、、、


218: 日本@名無史さん
明治帝は皇族、王公族の中で李王殿下を最もよく宮中に招いたらしい。

219: 日本@名無史さん
ずいぶん気を使ってたらしいからね。

220: 日本@名無史さん
血のつながらない養子にかえって気を使うようなものでしょう。

224: 日本@名無史さん
方子女王って皇太子妃候補でかなり有力だったんだよね。
そういう人を李王家に与えたってのは,やっぱりすごく気をつかったんだろうね。
華族でなく皇族から嫁がせたってのも。

225: 日本@名無史さん
>>224
清朝の皇弟には侯爵家からとついでいるんだからね。

227: 日本@名無史さん
>>225
溥傑の結婚相手には当初皇族が考えられていたが、皇室典範の規定で
出来ないので華族でも皇族に近しい嵯峨家からということになったらしいです

228: 日本@名無史さん
>>227
それで李朝との婚姻は皇室典範ではありなんですか?

230: 日本@名無史さん
>>228
朝鮮は一応日本だからじゃないの

241: 日本@名無史さん
明治、大正両天皇には可愛がられてたみたいだけど
昭和天皇とは仲良かったのかな?

283: 日本@名無史さん
梨本宮出身の李方子妃殿下は戦後もソウルの王宮の一角に住んで
国民の尊敬を受けたらしいが。

291: 日本@名無史さん
>>283
李方子妃殿下は王宮である程度王族にふさわしいような待遇を受けて生活
されてたのかなあ?
女官とかついてお亡くなりになる前の香淳皇太后様みたいに。

288: 日本@名無史さん
李王家って併合前は国民の尊敬受けてたの?
それとも、末期の徳川家みたいに支配体制じたいが崩壊しかけてたの?

289: 日本@名無史さん
東学党の乱がおこってるくらいだから推して知るべし

290: 日本@名無史さん
儒教のお国柄だからある程度は尊敬されてたんじゃないの?


317: 日本@名無史さん
大山柏の本に、この殿下の話が載ってる。
銀武官の話がおもろい。

318: 日本@名無史さん
>銀武官の話がおもろい。
例えば?

319: 日本@名無史さん
大山が陸大に勤めてたとき、殿下が入学してきた。参謀旅行の時、殿下の手伝いみたいな
事をすることになった。殿下には金応善?大佐という御付武官がいたので、その人の後に
くっついて動いてた。それを見たある人が、大山に向かって「銀武官!」と叫んで、みんな
大爆笑になったという話。
その後、在郷軍人会か何かが、殿下に植樹を頼みに来た。在郷軍人のおっさんは、
みんなが銀武官と呼んでるので、それが本名だと思い込み、大山に向かって、
「銀武官」と呼びかけたところ、それを聞いた殿下が「この人は銀武官ではありません。
大山大尉です」とすごい剣幕で怒って、自分(大山)もすごい恐縮したとか。

323: 日本@名無史さん
>>319
御附武官金応善大佐の日韓併合以後の履歴(軍歴)ってわかります?
どんなことでもいいです・・・例えばいつ亡くなったとか

324: 日本@名無史さん
>>323
ちょっとわからんので、また調べときます。

殿下と金武官の話は、樋口季一郎中将の回想録でもちょっとでてくる。
オペラに興味のない武官をホテルに置いて、殿下夫妻と樋口だけで、
ワルシャワのオペラ座に「ロミオとジュリエット」を見に行ってたところ、
劇の途中に突然、ノーネクタイの金武官が飛び込んできたとか。

329: 日本@名無史さん
>>323
金応善陸軍少将
明治14年生まれ、昭和7年逝去

330: 323
>>329
ありがとうございます。
少将まで昇進さてれたんですね。

こちらで調べてわかったのは以下の通りです。

1881年4月29日生まれ。本貫は金化。
1902年12月日本の陸士に入学。
1904年2月日露戦争に従軍。3月12日歩兵参尉(日本の少尉に相当)。
1905年3月18日歩兵副尉。10月10日歩兵正尉。同日軍部副官。
1906年6月12日歩兵参領(日本の少佐に相当)。
1907年8月24日陪従武官府陪従武官(この時から李垠附だったようで)。
1908年3月17日東宮武官。

320: 日本@名無史さん
大山を殿下と間違えたってこと?

321: 日本@名無史さん
金武官にくっついてたから、銀武官。
殿下は、それを大山に対する侮辱だと思って、
代わりに怒ったとか?

322: 319
>>321
その通り。
ただ、大山自身は全然気にしてなかったんで、むしろ恐縮してしまった、と。


引用元: ・【悲劇の英親王李垠殿下と朝鮮貴族】







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