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1: カタカナ ◆y7BARHLwz6 投稿日:2010/09/17(金) 22:43:54
三国時代の武将たちはどういう武器でどういう方法で戦争してたかを
考察するスレです。

一騎打ちというのは無かったと思うんですが。どれくらいの人数で戦ったのかとか。
集団戦術などの規律はあったのか?とか騎兵隊などはあったのかなどを語りましょう。
マニアックな話題なのでなるべきわかりやすくおねがいしたいです。

三国無双とかマンガとかの影響でまるで日本の戦国時代と似たような感じに受け止められてますが
時代も全然ちがうし、風土も違うのでまったく別な感じだとは思うんですが。








4: カタカナ ◆y7BARHLwz6 投稿日:2010/09/17(金) 22:57:59
お、たてれたか。

正史とかだと戦争方法はほとんどかかれてないけど。
攻城兵器とかはあったみたいだし。あと水軍もある。

専門職になるから訓練された兵士がやってたんだろうけど。あの時代って
農民を徴兵してたと思うから、農民を訓練して陣形とか教えてたんだろうか?

11: 無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2010/09/18(土) 11:18:16
>>4
魏の兵戸制や呉の世兵制があったり、蜀では青羌を強制的に軍へ組み込んだりと
どこの国でも農民を徴発しないようにして、もしくは徴発しても農民を根こそぎ動員しないように気を使ってた
専門職化が進んでいたために軍規模を縮小し精兵を準備する傾向があったことは
アジア史の大家である故・宮崎市定先生が指摘されているところだな

6: 無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2010/09/18(土) 01:27:14
徴兵した農民は農繁期には畑にかえるのかね?

9: カタカナ ◆y7BARHLwz6 投稿日:2010/09/18(土) 08:23:38
>>6
中国の広さからすると一年ぐらいは戦争から帰ってこれなそうだけど。

矛とか槍とかあったみたいだけど。ああいういろんな種類があるって事は
持ち手の自由があったって事なんだろうな。やっぱ結局はバラバラで戦ってのかね。
けど孫子の兵法とかはあるから、どうなんかな。

後、俺が知ってるのでいえば当時は馬の鐙がなくてじか乗りだったらしいね。
馬にのっての一騎打ちなんてのは出来なかったんだろうな。

11: 無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2010/09/18(土) 11:18:16
>>9
どこで仕入れた知識かは知らんが、鐙なんざ無くても騎兵の殴り合いは存在してる可能性は特大
始皇帝の兵馬俑、劉邦の兵馬俑からともに騎射装備の軽騎兵と突撃装備の重騎兵が見つかっており
鐙はないものの馬に乗ったまま戦う兵士の存在はほぼ確定していると言って間違いない
ただ鐙無しで馬に乗れる人間で且つ馬上で武器を振り回せるような連中はそれ程数がいない
それは歩兵に対して騎兵は大体1/10~1/5くらいしか配備されてない事から考えても外れちゃいないだろう
だから騎兵ってのは当時、ある種の特殊技能だったと考えてよさげ

また史書では既に漢代から普通に騎兵で突撃をしていることが戦場の描写として存在するし
三国志でお馴染の呂布も騎兵突撃を繰り返している旨が正史に記載されてる
馬に乗っての一騎打ちは「騎乗技術」の側面からは存在を否定できない
否定できるのは当時の戦争文化が既にそのような一騎打ちを善しとしていなかった可能性の面から語るほうがよろしかろう

16: カタカナ ◆y7BARHLwz6 投稿日:2010/09/18(土) 15:20:55
へえ。なるほどね。

その騎兵ってのは将軍が乗るだけじゃなくて、一般兵ものって騎兵だけの部隊もあったのかな?
あったとしたらすごい進んでる感じするけど。

今、司馬遼太郎の「坂の上の雲」にほんには例外を除いて騎兵隊みたいのが明治までなかった。
みたいな事書かれてるんだよな。要因として日本には体格のいい馬がいなかったみたいのがあるんだけど。
中国は馬の質がよかったのかね。けどそれだとしたらもう少し早く日本に良い馬とかが
持ち込まれても良いと思うんだが。

17: 無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2010/09/18(土) 16:11:07
騎兵だけの軍団の存在を知ってたんだから、騎兵だけの部隊があっても
おかしくないし進んでとも限らないね。

日本に騎兵がなかったのは馬の質じゃなくて予算だろう。
農耕民地域で騎兵を作るには、馬を軍が用意しないといけない。馬を用
意できる豊かな領主は、回りに徒歩の小間使いが必要だから。

7: 無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2010/09/18(土) 02:39:08
精緻な技巧を凝らした剣や槍は無かったんだよな
すげー夢無くなる……(´・ω・`)

11: 無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2010/09/18(土) 11:18:16
>>7
そういうのは金属加工技術を見る限りでは存在してる可能性が高い
仮にあったとしてもあくまでも儀礼用の武器だとは思うがね
無いのは蛇矛だの青竜偃月刀だのであって、あれらは細かい細工技術云々じゃなくて
宋代以降にコークスの一般化によって夜勤技術が向上し重量を支える金属強度が飛躍的に増したお陰

8: 無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2010/09/18(土) 02:44:29
当時はシンプルな銅剣や槍が主流なのかな?
鉄などは位のある武将が持って、一般兵は銅ってことかな?

15: 無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2010/09/18(土) 15:11:56
三国時代は槍はあったのかな?
柄にソケット式の刃部分を付ける「矛」や「戈」「戟」しかなかったみたいに誰か言ってたが

20: カタカナ ◆y7BARHLwz6 投稿日:2010/09/18(土) 19:15:06
弩だっけ。弓とどっちが性能いいんだろう。

弩はなんか接着剤つかわなきゃいけないから高温多湿の日本では使い物にならず
日本では発展しなかった。ってのは聞いた事あるな。
中国ではどういう用途わけで弩と弓つかってたんだろ。

30: 無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2010/09/19(日) 22:01:40
>>20
弩…速射できるが装填に時間が掛かる。
弓…連射可能

って感じかな?
一気に決められないなら弩よりは弓の方が無難なんだと思う。

威力や命中率はどうなんだろうか……?

31: カタカナ ◆y7BARHLwz6 投稿日:2010/09/19(日) 22:05:25
あれそうなんだ。てっきり弩って飛距離がのびないのかと思ってた。

装填に時間かかるのか。素人でも使いやすい武器なのかと思ってたわ。

33: 無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2010/09/20(月) 13:26:59
>>31
素人でも使いやすいよ。弓は力を込めながら狙わなきゃいけないが、弩は力を
込めて装填した後、銃みたいに楽に持って狙いをつける。

34: 無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2010/09/20(月) 15:21:04
弩とひと口に言っても、弦を手で引く臂張、脚力で引く蹶張といろいろあるからな
前漢初期の宰相・申屠嘉なんかは蹶張の士から累進した人物として有名だし

弩は技術はさほど必要としないが弓よりはコスト高で速射性や機動性に欠けるし、
弓と比較しても一長一短って感じかね

36: 無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2010/09/21(火) 12:59:40
>>34
製造のための工業力が必要ってことを忘れない方がいいな

当時の弓よりは飛距離があって貫通力も高かったから防衛戦においてかなり強かったらしく
漢の王の一人が趣味で集めてた弩数百挺で数千の異民族を撃退したなんて話も残ってる

37: 無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2010/09/21(火) 14:08:38
機を作るのはやっぱり高度な技術が必要だよな。
強い張力に耐えながら精密に動く必要がある。

38: 無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2010/09/22(水) 00:26:43
弩はセットするのに手間がかかるらしいね
射程は長く、鎧でも貫く威力があるらしいが
野戦には向かなそうだな

39: 無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2010/09/22(水) 01:23:50
弩は野戦用の兵器だったものが防衛・攻城戦用に巨大化してくわけで
向かないわけがない

41: 無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2010/09/22(水) 18:27:59
間違いだぞ

野戦で敵の突破を防ぐ時、馬防柵や堀、土嚢などでバリゲート作って置いて弩で敵を射るってのが基本だし
攻めて行く時に使い難いってだけで野戦でも威力を発揮する武器

42: 無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2010/09/22(水) 19:35:56
界橋の戦いも野戦だしね
三国志で弩が活躍した一番重要な戦い

45: 無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2010/09/23(木) 18:26:18
弩は3段射ちみたいな方法で
連射できそうなんだけど。
そういう記録あるのかな?

47: 無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2010/09/23(木) 19:35:19
>>45
連弩ってしろものがあるじゃないか。
Wikiソースだけど諸葛亮の発明した元戎(げんじゅう)とかあるし
元戎を見た馬鈞は「まあ良くできてるが、五倍の性能に改造できる」とかいってるくらいだから
三国時代にも連弩があったと思う。

48: 無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2010/09/23(木) 19:49:48
連弩はいちおう戦国時代から存在していたようではある
尤も諸葛亮が運用した連弩にしろ射程距離は通常の弩よりも随分と短い様だが

110: 無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2010/10/05(火) 22:39:10
蜀末期の姜維なんかは、元戎を中心に奇襲戦法で活躍してたね。
段谷で大敗してからは、守り主体の戦法に変えたみたいだが・・・・・

111: 無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2010/10/05(火) 23:29:37
奇襲戦法かどうか、元戎中心かどうかなんてわからないんだが
何を根拠にそんな話になってんだ?

112: 無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2010/10/06(水) 03:51:29
>>111
魏氏春秋によると、姜維が待ち伏せで元戎を使っている。
諸葛亮が連弩部隊を数千規模で編成し、元戎を開発して実際に運用している点からも
蜀軍は火力主体の戦法だったんじゃないかね。

113: 無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2010/10/06(水) 13:12:02
君の言い様では戦国時代の孫ピンが奇襲でホウ涓を射殺してるところから
「孫ピンは弩部隊を中心とした奇襲戦法で活躍していた!」なんて話になってしまう
姜維の戦法が何か、なんてのはよくわからんから推測するしかないし
部隊構成がどんなもんか、というのもよくわからんから推測するしかない
一回の戦例にそういうものがあったとしても常時そうであるかという根拠にはならないのではないかな
誰の伝のどこの注釈で姜維が奇襲に元戎を用いてたって記事があるのかちょっとよくわからなかったし…
諸葛亮が元戎を開発したから蜀に配備されてるのはわかるんだが

114: 無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2010/10/06(水) 13:45:50
普通元戎は防御に使うもので、待ち伏せの状況にも有効だからうまく使って
それが記録に残った、ってことじゃないかね。

諸葛亮に連弩関連の話が多いのは>>112の言うように火力重視だった可能性も
否定はできないが、シナ人好みの「偉人=発明家」っていう発想かもしれない。

115: 無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2010/10/06(水) 14:59:04
元戎が実戦配備されていた場合、その性能からして連弩以上に有用性の高い火力だった事は推測出来る
諸葛亮の戦法は、基本的に足掛かりを作ってジワジワ進行するタイプ
姜維の戦法は、逆に自分から敵に接近する攻撃的なもの
両者の戦法に違いはあれど、元戎という弩以上の火力を配備していた蜀軍としては、これを如何にして
有効活用するかが重要だったと思われる

どんな強い火力兵器でも、正面から敵に撃っては効果は薄い
セオリーとしては、対騎兵
或いは、最初に敵陣を少し崩してから一斉射撃すれば、効果は飛躍的に上昇する
姜維の元戎運用に関しては、恐らく後者だと推測出来る
まず、歩兵などで突撃してから後方の火力で崩れた敵陣を一掃する戦法なら、個々で持ち運びも出来る
元戎は重宝したと思う
そして、この戦法の場合は、地の利を活かした奇襲戦法が常套だろう

116: 無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2010/10/06(水) 18:06:48
>>115
だがそれは推論でしかないだろ
断定的に「元戎を中心に奇襲戦法で活躍した」とは言えない
それに元戎がどういう形状の兵器でどういう運用をするものなのかもサッパリわからないじゃないか
個人の兵装であるか、備え付けの兵装であるのか、そういった事もわかってない
それで、どうして持ち運びして機動的に運用可能だったという結論になるのかよくわからない…
鉄製の矢の長さが20センチ前後ということ以外不明なんだからもう少し落ち着け

117: 無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2010/10/06(水) 21:21:31
>>116
さらに、10本同時(連続)発射。
持ち運びに関しては、北伐ルートからして大型化する事とは考え難い。
そもそも、連弩を改良する訳だから、その欠点が補われていて然るべき。
ただ、個人でも扱える武器と考えるのが妥当だろうけど、誰でも扱えたかどうかは分からない。
10本の矢を同時装填して発射するとなると、かなりのパワーが必要だったはず。
個人的には、10連射式の武器だったと思う・・・・・・

118: 無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2010/10/06(水) 22:32:59
同じ大きさの10本同時発射なら張力10倍にするか飛距離1/10にするかの2択しかないな

諸葛亮が陳倉を攻めた時大型の攻城兵器を持っていった事が注釈にある
北伐ルートは難路だが大きな数人掛りの兵器が持ち運べなかったということにはならないよ

119: 無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2010/10/07(木) 01:35:14
>>118
大型でもいいなら連弩でいいだろ・・・・・って話なんじゃないか?
それを改良したというなら、矢の長さから見ても小型化したと考えるのが妥当
張力10倍は厳しいので、飛距離を犠牲にしたんだろうと思う
元戎兵と別に普通の弩兵を確保しているのも、短距離攻撃と長距離攻撃で使い分けが
出来る様にしてたのではないかな

120: 無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2010/10/07(木) 02:59:46
>>119
何で連弩と元戎を分けるんだ?
正史本文では「損益連弩」とあって連弩を工夫したということが書かれてる
注釈の魏氏春秋で、「損益連弩、謂之元戎」という名前が出て、
こちらで具体的に一気に10本撃てる、鉄矢20cmとかそういう情報が出てるけど
あくまでも連弩の一種ということだよ

それから、連弩は別に連弩というだけでは大型であるか据置なのかとか一切わからない
大型もあれば携行可能なサイズのものもある
何でそういう謎の分類の仕方で大型なら連弩でいいとなるのか理屈がわからん

121: 無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2010/10/07(木) 13:10:49
連弩ってデカイ奴あったよね?
携帯できる小型のやつは連発式、デカイのは多発式
で、元戎は携帯できる多発式だったらしい
明時代の多発式連弩でも、せいぜい3本同時発射くらい(個人用の設置型)
倍以上の10本発射で個人携帯もできる元戎はスゴすぎる
こんなにスゴイもの作る連中が、まともな史料も残してないのが残念

124: 無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2010/10/07(木) 19:28:10
元戎が個人で携行可能な武器だったとしても1射10本の矢を放つようなものを個人で持ったら即座に矢が切れる
太さを直径0.5cmくらいとしたって20cmくらいの鉄の棒は一本約80g
10本で800g、これだけでもう1kg近い
100本で8kg弱にもなるが100本だと10回射撃したら終わり
1分1回しか射撃してなかったとしても10分しか戦えない火力とか何の役に立つんだよ

元戎はその火力故に個人じゃとてもその高い火力を維持できない事が容易に推測できるじゃないか
複数人で役割分担して使うタイプの武器だろ

126: 無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2010/10/09(土) 00:20:08
馬隆が諸葛亮の八陣図から偏箱車っていう荷車兼移動トーチカを作って涼州で大暴れしてたな
諸葛亮や姜維は元戎をこの偏箱車とセットで運用してたんではないかとJominian氏も考察してる
氏も矢の重量は考慮に入れてないけど、元戎を運用するならこのような荷物も載せられるものじゃないと重量的に不可能じゃないかな

元戎の性能からほぼ確実だと思われるのは、元戎は流矢製造機、面制圧の武器であって狙撃用ではないということかな
そう仮定した場合、元戎を使う兵士は大量の矢を保持せねばならない
以下この前提から想像される蜀の勝ちパターンその1

偏箱車に荷物を載せてこれを盾として用いつつ敵の射撃を防ぎ、
射程距離の短いと思われる元戎の有効射程まで進んでから敵歩兵や騎兵の前進を火力制圧
その後、神刀謹製の武器と諸葛亮考案の防具で身を固めた重装歩兵による突撃で〆
騎兵は遊撃と追撃に使用

会戦とかだとこんな感じかな?
防衛戦は馬隆みたいに鹿角くっ付けて簡単な陣地構築してそっから一方的に射撃だな

134: 無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2010/10/23(土) 01:14:38
晋書・陶璜伝を見てたら、以吳人愛蜀側竹弩(呉の人は蜀の竹製の弩を愛用した)って書かれてら。
弩の主成分は竹なのか。 成都→パンダ→笹多いの連想で蜀に竹林は結構ありそうだがどうなんだろ。

135: 無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2010/10/23(土) 01:28:57
適度に雨が降って暖かい場所なら竹なんてのはほっといたって育つ
いやむしろほっとくと害すらあるような凄まじい繁殖力を持った植物だしないわけがないとは思う
蜀の竹製の弩というのは面白いな

もしかすると諸葛亮の弩改良は竹にあるのかもしれない

138: Jominian ◆Henri9gNlM 投稿日:2010/10/28(木) 00:49:02
>>135
竹は軽くて剛性が高いので、弓弩の素材にはうってつけだと思うよ。
そもそも弓の素材として竹はポピュラーだしね。

140: 無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2010/10/28(木) 09:24:45
弓にはぴったりだと思うが弓に比べて運動エネルギーを大きく溜め込む弩だと
竹では弾性はともかく強度が足りないんじゃ?と思ったが
よく考えてみたら現代とは素材の弾性とか全く違うんだよな…

145: Jominian ◆Henri9gNlM 投稿日:2010/10/28(木) 23:12:07
>>140
竹の降伏応力は知らないので確かな事は言えないけれど、
竹はその径があまり大きくならないだろうし、
中空なので弓に使うとしても断面形状は限られる。
維管束の配置が理想的な積層構造をしているとは言え、
断面係数を大きくする事が難しいので、大型の機械には向かないと思う。

竹を使っているとすれば、携行可能なサイズの射撃武器だったと思うよ。

146: 無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2010/10/29(金) 00:30:09
>>145
孟宗竹は20cmを優に超える太さになる
その幹は日本の減価償却で耐久年数20年と設定されてて滅茶苦茶強い
温帯に一杯生えてるそうだから山がちな蜀でもモリモリ生えてそうじゃないか?

あと今まで知らなかったんだが孟宗竹の名前の由来になった孟宗さんって孫呉の人なんだな
こっちのが驚いた

147: 無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2010/10/29(金) 18:30:37
>>145
>中空なので弓に使うとしても断面形状は限られる
普通竹は割って板状にして使うと思うが……

148: Jominian ◆Henri9gNlM 投稿日:2010/10/30(土) 02:46:26
>>147
いや、それは分かってるよ。
当然円筒のまま使うわけは無い。だからこそ中空である事が問題になるかと。
幹の径が多少大きくても、弓として使う部分は径に比してかなり薄い外殻の部分になる。
その外殻も円周全体は使えないだろう。精々30度から45度分くらいだと思う。

面倒なので仮に長方形断面として考えても、高さも幅も大きく取れない上、
幅に比べて高さが小さくなるので、断面係数も小さくなって曲げ剛性も小さくなる。

床弩のような大型の矢を発射する機械に使うには、竹そのままを弩の翼には使えないだろう。
使うとしても複数の材料を、最低でも複数の竹材を組み合わせて使う必要があると思う。

149: 無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2010/10/30(土) 13:08:04
形状なんて削ったり組み合せたりすればいくらでも融通利くし
元戎を考える上で重要なのは矢の重量じゃないか?
一回の射撃で十矢発射とかいうのは誇張としても
それに近い数の矢を射出してるとしたら個人で携行するには矢がかさみ過ぎる
当時の技術で現代のボウガンで使うようなパイプ状の矢を記録に残ってるサイズで作成はできないと思うし
中身がしっかりと詰まった鉄矢だとすると相当嵩張る
この重量問題を解決しないことには本体ばっか小さくても運用は複数人で行わないとどうしようもなくなると思うんだが

151: 無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2010/10/31(日) 03:37:36
鋳造するだけならそりゃ技術的にはそう難易度の高いことじゃないとは思うがそれで量産できるのか?
矢を大量に消費する武器だし、いちいち鋳型作っちゃぶっ壊して矢を取り出すのは労力が掛かり過ぎるのでは
消耗品である矢にそこまで手をかけていられるものなのだろうか

152: 無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2010/11/01(月) 16:46:32
>>151
鋳型を壊す必要はない。日本の弥生時代の矢じりの鋳型を知らないだろうか。
no title

http://museum.city.fukuoka.jp/jf/2005/f_rekisi/img2/p2.jpg
こんな感じで一度に複数個の矢じりを鋳造でき(切り離して研磨する手間はか
かる)、鋳型も壊さない。

158: Jominian ◆Henri9gNlM 投稿日:2010/11/02(火) 23:10:43
>>151
鋳造で鉄製品を作るとすれば、当時なら当然砂型鋳造になる。
砂型鋳造なら砂型を壊すのは当たり前で、
これは中空のものを作ろうと、中実のものを作ろうと同じ。
形状が複雑化しても木型や土型が残っていれば、そこまで手間は掛からない。

問題は中空構造だと中子が必要になるという事だね。
石かなんかで中子が作れれば、中子を繰り返し使えるので大量生産可能だと思う。
当時にそんな技術があったのかは知らないけど。

159: 無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2010/11/02(火) 23:34:34
>>158
中子を使う作り方だと矢の重心を真ん中にするのに一手間かかるんじゃない
矢をばら撒く武器だって矢の重心狂ってたら殺傷力にも影響しないかね
半円形のもの二個作って溶接すれば重心の調整は簡単かもしれないが
手間が掛かり過ぎるように思える
鉄板折り曲げて円筒作るのも同様

やはり中空の構造を持った矢というのは非現実的では?

160: Jominian ◆Henri9gNlM 投稿日:2010/11/03(水) 00:24:11
>>159
主型との間にガイドとなるものがあるような構造にすれば、
問題が生じないような幾何公差に収まるように思えるが、作った事ないので何とも言えない。
んで、溶接は技術的に難しいだろうし、手作業による曲げ加工じゃ精度が不安定だろうね。

ただまぁ、自分で言っておいてなんだが、砂で作った中子なら崩せば良いが、
石だと抜かなきゃならないので、矢の構造自体を中子が抜けやすいものにしなければならないし、
石の表面を研磨する必要もあるだろうし、結構大変だな。

砂製の中子で作った場合の生産性を調べないと、個人的には何とも言えない。


ただ何れにせよ、元戎のサイズの問題に言及するならば、
矢の長さ八寸というのは大型の弩に使うものでは無いように思える。
矢の長さに比べて非常に大きなストロークを持たせるとは考えにくいので。

「一弩十矢倶発」というのをもとに考えると、案外、
八寸の矢が縦に軽く連結された構造になってて、
発射後に連結が解けて十本発射されたようになるってだけかもね。
そうなると矢の見かけの長さは1.84mなので、床弩に使ってても不思議じゃない。
50: 無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2010/09/23(木) 23:16:48
孫子の曹操注に三国時代の軍事運用について書いてあるって某サイトで見つけたので貼る。

軽戦車とは、馬4頭で引き、軽戦車1000台で1部隊だ。
重戦車は装甲があり、1台で騎馬1万に等しい防御力がある。
現在では、戦車1000台に、歩兵30000がつく。
戦車1台に、騎馬が10つく。
重戦車1台に、炊事係2人、衣装などの世話係1人、馬番2人。
つまり戦車1台に、非戦闘員5人と、歩兵10人がつく。
軍鼓や階閣を載せた巨大な戦車は、ウシに引かせる。 ウシを使うなら、馬番が不要だから、非戦闘員は3人でいい。

とあり、三国時代でも戦車が主要なものとわかる。これ読むまでてっきり歩兵と騎馬だけだと思ってた。

53: 無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2010/09/24(金) 01:40:04
>>50
面白いな

前から思ってたんだけど馬番みたいな従者は兵数にカウントされてるんだろうか?
カウントされてないって場合は軍隊の専門的な兵種というより私的な従者な何だろうか

55: 無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2010/09/24(金) 02:01:45
曹操注によれば、非戦闘員は兵数に入っていないっぽい。

日本の戦国時代だと馬番などは大抵はその武将の臣下(従者)ってわかるけど、
三国の時代だとどうなんだろ?

51: 無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2010/09/24(金) 01:25:13
三国時代とかの戦車ってどんなのか分かりづらいけど

たぶん日本の人力車を戦争用にしたような感じだよね。それほど有効そうには思えないんだよな。

52: 無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2010/09/24(金) 01:34:30
>>51
別に戦車の必要はないが
競馬場で競争馬が一団となって走ってくるコース上に自分が居ることを想像してみると良い



十分怖いです

54: 無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2010/09/24(金) 02:00:52
将含めた騎馬隊の戦法って、得物を構えて突撃だよね?
横山三国志とか時代劇みたいに、馬上で斬り合いなんてバランス悪くて無理だよね?

56: 無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2010/09/24(金) 02:17:38
>>54
鐙のない時代は、馬の腹を両足を締めてただけだから、下手な動きしたら即落馬だよなー
貴重な馬を与えられるんだから騎馬兵はエリートだろうけど、一般兵に馬上の斬り合いを求めるのは無茶だろう

というか、騎馬は斬り合う暇があったら、突撃するなりして一人でも轢き殺したほうが有益だな。

57: 無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2010/09/24(金) 03:27:37
>>54
当時の騎馬兵の一番の役目は
敵の歩兵の集団に突っ込んで行って
自分の後ろから追走してくる歩兵の突入口を広げるのが目的だって話を聞いた

騎馬同士の戦いもあったかもしれんが
相手を落馬させたら後は歩兵に任せて
とにかく騎乗して走り回ってた方が本来の役目のような気がする

59: 無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2010/09/24(金) 17:30:53
>>54
馬上で斬り合うのと獲物を構えての突撃、どっちが難しいと思ってるんだ?
突撃の方が難しいわけだが…

63: 無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2010/09/24(金) 21:21:55
そうか?馬上で獲物を片手で振り回したりしたら重心崩れまくりだぞ。それにあんまり力も入らなそうだし。
綱を放せば両手使えるが、そうすると足の締めだけでこれも落馬しそうだ。

たいして槍を構えての突撃は、脇と手の二点で固定できるし、
槍の後端に輪があってそれを肩にかけて保持率を高めた槍もある。

だいたい、馬のいいところは突破力と速度なのに斬り合いなんてしてたら
せっかくの持ち味生かしてないんじゃない?

まあ、敵陣を突破できず乱戦になったら、斬り合いになるだろうけど。

67: 無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2010/09/25(土) 01:26:42
>>63
当時そういう突撃用の槍はない
当時の馬上装備は戟でこれは馬上でぶん回したりして使う武器
騎兵突撃というのは基本的に戟を振り回しながらの突撃だよ
一応刺すための武器として矛が存在しているが、
矛は戦車や歩兵が使うもんだし騎兵突撃用の武器じゃない

西洋のチャージみたいな突撃は鐙前提の技術だぞ

68: 無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2010/09/25(土) 12:51:45
>>67
あ、そうなんだ。適当なこと書いてすまん。

じゃ、騎馬の役割は敵兵の殺傷じゃなくて陣形の撹乱が主目的なのかな。
となると異民族はともかく、漢人の騎馬部隊はおまけ的なもので主体は歩兵ってことか。
イメージかわるなぁ

69: 無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2010/09/25(土) 15:13:12
>>68
戟は駆けながら敵の身体のどこかに引っ掛けるだけで殺傷できるから、そう
卑下したもんでもないと思う。槍に体重のせてぶつかる突撃のイメージと違
って腕で振り回すだけだから、攻撃の反動も受けにくい。

61: 無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2010/09/24(金) 21:08:01
足のふんばりが利かないって事は馬の上で弓矢いることも無理か。
那須与一的なのもなかったってことかな。

カコウエンが弓の名人らしいけど遠くから射ってただけかな。

62: 無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2010/09/24(金) 21:17:01
いや、騎射は匈奴から取り入れて戦国時代に使っていた国があった。趙だっけか。
三国でも董卓とか、曹丕なんかが騎射の逸話がある。

ただ騎射部隊があったかどうかわからん。
ヒットアンドアウェイでチクチクできて戦術上非常に有効だろうけどしっかりやるには結構技量がいるかも。

64: 無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2010/09/24(金) 21:43:48
馬の足の奴がないって事は相当技術がいるんだろうから、将でもない奴が乗るとしたら結構な訓練が必要だよな。

兵隊とかって戦争がないときは訓練してたんだろうか。常備兵として雇ってたんだろうけど年収いくらぐらいだったんだろうな。馬に乗れるやつは今で言う戦車の免許持ってる奴扱いって感じか。

70: 無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2010/09/25(土) 16:54:18
武器の用途以前にさ。

現場ではどのように戦ってたんだろうな。
とりあえず500人対500人で平地でぶつかる場合さ。
大将はドレくらいの指示が出せるんだろう?

基本一対一で全員戦うのかね。

76: 無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2010/09/25(土) 19:40:55
>>70
『左伝』によると戦車一台に軽歩兵72人、重歩兵3人が従うので76人で一部隊とするらしい。
となると、だいたい歩兵が6部隊で456人(戦車含む)で残り45ぐらいが騎兵でいいか。

で、戦い方だけど『春秋左氏伝』には、戦車を前に押し立てて、その後に歩兵が従うとある。
ここからは完全に想像だけど、歩兵の五部隊は戦車に従って正面からぶつかり、
騎兵と歩兵一部隊が側面から撹乱して敵陣を崩すってのが基本になるのかな。

命令の伝達は、陣太鼓とか伝令兵を確実にして、歩兵の先頭の戦車がしっかり導けば統制のとれた軍になるだろう。きっと

79: 無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2010/09/25(土) 21:17:16
>>76
>戦い方だけど『春秋左氏伝』には、戦車を前に押し立てて、
>その後に歩兵が従うとある。

それって春秋初期の繻葛の戦いに鄭軍が用いた魚麗の陣じゃない?
戦車は基本的に歩兵を前面と側面に配して戦うもんだと思うんだが

つうか戦車は戦国時代には既に主戦力からは外れつつあるし、後漢末には
白馬の戦いでの顔良なんかそうだったみたいだし、戦車は指揮官クラスのみが

80: 無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2010/09/25(土) 21:40:08
戦車の戦い方は『李衛公問対』で紹介された左伝の話から拾ってきたが
「魚麗の陣」のことが言及されてるってことは特殊な例だから紹介されてた訳か。
戦車1台で騎馬1万に等しい防御力があるらしいから、歩兵の先駆けが任務と思ってた。

81: 無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2010/09/26(日) 00:16:06
そもそも騎兵ってなにがすごいんだろう?
馬ってすごい繊細な動物って聞くけどな。大きい音でびっくりしてしまうとか。

競馬の馬だってこけたら骨折、馬刺しにされてしまうらしいし。

87: 無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2010/09/26(日) 14:29:33
>>81
競走専用の馬と戦争用の馬を一緒にしちゃいかん。
大きい音に慣れるように、重いもの(鎧来た人)を乗せて動けるように訓練する。

109: 無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2010/10/05(火) 20:55:00
>>81
サラブレッドは野生では生きられない程に繊細で脆い、近親に継ぐ近親で造られた家畜。
当時のは北や西の草原を集団で疾走する野生馬たちで、
非常に頑丈で集団性も忍耐力も持久力もパワーもある。

82: 無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2010/09/26(日) 02:39:05

193: 無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2010/12/05(日) 05:48:17
>>82
商代が一番強そうだな

89: 無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2010/09/27(月) 18:24:43
この時代の武器すぐ錆びそう
切りつけたり突き刺したりするためじゃなくて撲殺みたいな感じだったんだろうか

109: 無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2010/10/05(火) 20:55:00
>>88
錆びた剣では葉っぱすら切るのも至難だが、人間を切るのは至って簡単。
要は薄い鉄板か細い棒なら人間は殺せる。
傘で刺されて殺される事件や割り箸が刺さって死ぬ事故があるぐらいにね。

引用元: ・三国時代の戦争方法考察スレ






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