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1: 無名武将@お腹せっぷく
酒井左衛門督忠次

本多中務大輔忠勝

榊原式部大輔康政

井伊兵部少輔直政

精強三河軍団の中核
個性的で戦国屈指の勇将揃いなのに、最終的勝者となったせいかイマイチ人気の無い彼らを語れ








2: 皇孫3
本多忠勝好き。

4: 無名武将@お腹せっぷく
おれは直政の赤備えかな。武田の朴李だけど・・・

5: 無名武将@お腹せっぷく
人気は
本多≧井伊>>榊原>酒井の順と思われる。

7: 無名武将@お腹せっぷく
なぜ酒井忠次は人気がないんだ?
鳶の巣山攻撃の大功労がなければ武田軍団は主力を維持したまま撤退して歴史が変わったかもしれないんだぞ?

29: 無名武将@お腹せっぷく
>>7
一般人は鳶の巣山攻撃を知らないと思われまする

9: 無名武将@お腹せっぷく
本多≧井伊>>榊原>酒井>>>>>>>その他家臣

だから別に酒井忠次が人気ない訳じゃない
とはいえ本多正信、本多重次、石川数正、鳥居元忠などに勝てるだろうか

12: 無名武将@お腹せっぷく
酒井忠次は例の信康に関する後世の創作があるから・・・

19: 無名武将@お腹せっぷく
本田忠勝が里見の押さえのために上総大多喜に入った
というのはなんかもったいない気がする。
ゲームのやりすぎで里見の評価が低いだけかな?(俺の脳内で)

20: 無名武将@お腹せっぷく
>19
北条家とやりあって滅んでないところをみると強いとおもいますよ
(2回ほどのされたみたいだけど)

21: 無名武将@お腹せっぷく
酒井が人気ないのは4代将軍家綱の御世に専横を振るった
下馬将軍 酒井雅楽頭の専横があったからじゃないか?
世継がいない家綱後に京から将軍を拵えて酒井幕府を
拵えようとまで画策したし。

23: 無名武将@お腹せっぷく
ただ、家康はこのように重臣の簒奪を見越していたのだろう。
幕臣に高禄は与えても莫大な領土は決して与えなかった。
だから家康死後、酒井の子孫である彼も決して簒奪に実力行使が
できなかった。
後世の田沼や水野や新井らも幕政を掌握すれどついに簒奪ができなかった。
かれらに私兵を可能にする領土があれば薩長以前に徳川は潰れて
いたろうな
もし酒井に100万石の兵があれば家綱で徳川政権はあぼーんし、
酒井家の幕府が出来ていただろう。

77: 無名武将@お腹せっぷく
>>74
徳川四天王は強すぎてネタにならない

78: 無名武将@お腹せっぷく
じゃネタを投下。
「もし、四天王が大坂の陣まで生きていたら?」(忠次は無理そうだが)
忠勝が生きていたら、毛利勝永の活躍はありえなかったし、
直政が生きていたら、八尾の戦いは起きなかっただろう。
こんな感じでどうでしょう?

79: 無名武将@お腹せっぷく
>>78
忠勝はともかく関ヶ原の次点でまだ40歳だった直政が参戦してれば
大坂の陣の豊臣方は史実以上に辛い戦いだったろうな
直孝も幕府初期の功臣としてはなかなかの名将なんだけどねー

84: 無名武将@お腹せっぷく
>1
犬って何?

85: 無名武将@お腹せっぷく
>>1
三河軍団は犬と揶揄されるほど忠誠心が強いとされていたから
四天王も秀吉の調略をはねつけてる(石川数正のような例もあるにはあるが)

87: 無名武将@お腹せっぷく
四天王スレだからわからん気もしないけど……
他の家臣団も挙がっていて、なんで大須賀康高の名が挙がってないんだ?

彼は本多や榊原が旗本程度の小身時代、多くの戦いで先陣を率いた家康の
信頼厚い名将だよ。
武功も多いし、少なくとも浜松~駿府時代に至るまでは酒井とならぶほどの
高級指揮官と思われ。

89: 無名武将@お腹せっぷく
>>87
大須賀って無子断絶したからじゃないの?
徳川四天王とくらべると豊臣の七本槍はいかにもチンピラの集まりって感じだね

90: 無名武将@お腹せっぷく
>>89
まあ、単なる成り上がりだからね。
結局主家を平気で裏切って、その結果勝手に自滅してるんだから
言葉も出ないわな。
やっぱり同じ家臣でも、先祖代々の家柄と格式ある方は責任感が
強く立派だけど、成り上がりはすぐに個人的感情や私利私欲に
囚われてダメだね。

99: 無名武将@お腹せっぷく
>>90
関ヶ原って豊臣家の尾張系家臣と近江系家臣の戦いと云う側面もある。
その辺考えないで主家が云々出自がどうこう言うのは考え物だろう。

93: 無名武将@お腹せっぷく
司馬遼の「関が原」で、家康が上杉征伐に出陣する前
鳥居元忠と二人で昔話を交わす所は男泣きする
あんな譜代家臣がゴロゴロいれば徳川が強いのは当然

95: 無名武将@お腹せっぷく
>>93
鳥居・大久保の評価が四天王に少し劣るのは上田の一件があるからかな?

96: 無名武将@お腹せっぷく
>>93
家康は伏見城が落城するとは考えていなかったので、鳥居元忠が
どのような人物だったかは判らない。甲州攻めの時、家康は馬場
美濃守の娘を側室にしようと、鳥居元忠に捜索を命じたが、鳥居
は見つからないと報告しておいて、ちゃっかり自分の物にしてし
まったから、あまり忠義な人ではなかったようだ。

97: 無名武将@お腹せっぷく
慶長五年(1600)、家康は元忠に伏見城の守りを命じ、会津征伐のため下向した。
これは、石田三成らの挙兵を誘発するためであったとも云われ、元忠もそれを承知
しており、「今生の御暇乞にこそ候」(『東照宮御実紀』)と別れを告げ、家康も落涙し
たと伝わっている。七月二十五日、伏見城は西軍の攻撃を受け、八月一日、落城。
元忠は玉砕した。享年、六十二歳。

144: 無名武将@お腹せっぷく
某所からの丸写しでスマソ
井伊直政が若い頃の話。徳川軍が武田軍と対峙していた時の事。
ある日、大久保忠世から宴に呼ばれた。豪勢な食事と酒を期待しながら直政が訪れると、
そこには先程の期待とは大きくかけ離れた如何にも不味そうな「芋汁鍋」が用意されていた。
年長の忠世の誘いを断る訳にも行かないので、とにかく口に運んでみたが見た目通りの味だった。
直正は恐る恐る「塩か醤油が有れば美味くなると思うのですが・・・」といった所、忠世は諭した。
「我々が率いる足軽らの部下達はこの芋汁にすらありつけず、振る舞えば喜んで食べるだろう。そんな部下達をいたわることを忘れない様にと今日はこのような宴を開いたのだ。今後ともこの芋汁の味を忘れるでないぞ」と。
直政は自らの器量を恥じ、よりいっそう部下を大切にするようになったそうだ。

146: 無名武将@お腹せっぷく
>>144
だが、それでも井伊直政の家臣の扱いが過酷なのは変わってない気も。


145: 無名武将@お腹せっぷく
なんか四天王の話が少ないので忠勝の武勇伝を・・・
・初の首級
初陣後の長沢の戦いで忠勝は叔父と共に出陣した。
叔父はまだ忠勝が首級を取ったことのないことを不憫に思い敵を組み伏せてこう言った。「忠勝!この者の首を取って手柄にせい!!」
しかしこの言葉に忠勝は憤然し、「人から貰った功名なぞ欲しくはない!!」といって敵中に単騎突撃した。
皆が心配するなか忠勝は三人の首を討ち取って帰ってきた。

・蜻蛉切の平八郎
一向宗の者が家康に刃を向けた三河一向一揆のときのこと。
忠勝は家康の為に自ら一向宗から浄土宗に改宗し、家康と共に一揆鎮圧の為出陣。
連戦にもかかわらず忠勝は怒涛の如く奮戦。一向宗のものたちは忠勝の姿を見ただけで恐れ逃げ帰り
いつしか忠勝は「蜻蛉切の平八郎」といわれた。時に齢16のことだった。

・三度返しの槍
一揆鎮圧の後、吉田城を攻める。ここでも先鋒の忠勝は奮戦し、3度も討ち入った結果吉田城は陥落。
逃げる今川の兵達は「本多が三度返しの槍」と言い、蜻蛉切を振り回して戦う忠勝を恐れたという。

153: 無名武将@お腹せっぷく
徳川四天王最強だろ。忠義、武勇、貢献全てにおいて他の大名の「○○四天王」を上回っている

154: 無名武将@お腹せっぷく
いや竜造寺四天王のが上だね。

158: 無名武将@お腹せっぷく
>>154
竜造寺四天王は忠義・功績以前に四人目はだれかハッキリしろ
徳川で四天王に次ぐ武将っていったら誰かな?俺は鳥居だと思う

159: 無名武将@お腹せっぷく
>>158
鳥居元忠?
あまり知られていないのか、関ヶ原の戦いに先立つ伏見城の攻城戦では、
内藤家長も城将として戦ってるな。彼は弓を得手とした猛者だったみたい。

四天王に次ぐといえば、石川数正、大須賀康高、本多正信、大久保忠世、
平岩親吉、あたりも自分は推したい。
別に武功に限定する必要もないんだし。

161: 158
>>159
俺も本多正信の功績は四天王に匹敵すると思うが彼を
四天王と同格に扱っちゃあ他の四人が我慢ならんだろう・・・
大久保兄弟も息子が改易されたときの扱いを考えるとあんまり厚遇されてない気が・・
信康の後見人だった平岩は家康にとっては煙たい存在だったかも
やっぱ五人目は娘婿の奥平あたりかなぁ

162: 無名武将@お腹せっぷく
>>161
いや、奥平はどう贔屓目に見ても五人目には入らないよ。
それだったら大須賀康高のほうが相応しいと思うよ。
歴戦の戦巧者で、戦功も家康からの信頼も十二分だし。

164: 無名武将@お腹せっぷく
鳥居元忠は関ヶ原の合戦の時に伏見城を守っていてそこに西軍十万の兵で
攻められて伏見城の兵はわずか1千7百の兵だった。伏見城は、五日で落城の 
きざしをみせた。そこで、家臣は元忠に自害をすすめたが元忠は、「主将たる
者は一人でも多くの敵兵を討って討ち死にするべきである」と言い、兵二百を
従えて城門から敵の真っ只中に突撃し見事、元忠以下二百の兵は、全員討ち死に
したのであった。

170: 無名武将@お腹せっぷく
榊原は地味っつーか数合わせのイメージがある
実力的には一段落したというか
7本槍の福島加藤に対する脇坂平野とかのイメージ

171: 無名武将@お腹せっぷく
>>170
しかし、戦歴は井伊よりも豊富でしょ。

172: 無名武将@お腹せっぷく
榊原は秀吉を激怒させた檄文書いて名を売ったからかも
まぁ織田の五重臣と違い、徳川四天王は酒井を除けば家康直下の武将として働いたことが多いわけで。独自の動きでどうこうというタイプじゃない

278: 無名武将@お腹せっぷく
>>172
> 榊原は秀吉を激怒させた檄文書いて名を売ったからかも

それは康政が書いたのではないのでは?
僧侶だろ?
康政に檄文など書けないだろう

279: 無名武将@お腹せっぷく
>>278
康政は達筆だったことで有名だぞ?

某所の文を引用
>元々達筆であった彼は(司馬遼太郎の「自分の名がやっとかける~」の下りは大ウソ)、
家康の右筆もどきのことをしていた。
さらに、この当時、大名間の連絡(外交)は相手大名ごとに担当家臣がおり、
それを通じて書状のやりとりがなされる。

173: 無名武将@お腹せっぷく
戦歴の豊富さで言うとこうか?

酒井>忠勝>榊原>井伊

174: 無名武将@お腹せっぷく
徳川家臣というと忠勝がよく取りざたされるが、実は酒井のほうが敗走させた敵の数が多いんだよな。

176: 無名武将@お腹せっぷく
この板には榊原を地味だと言う人たちをよく見かけるが
俺は中途採用の井伊よりも逸話が多い榊原のほうが地味だと感じたことがないな

177: 無名武将@お腹せっぷく
知名度がなぁ
井伊は井伊直弼とかのおかげで結構知名度高いし

190: 無名武将@お腹せっぷく
東海道で鳴らした俺たち三河武士は、北条征伐のあと関東に飛ばされたが、
朝鮮出兵に参加せずしこしこ田んぼ耕してる。しかし、田んぼでくすぶってるような俺たちじゃあない。
殿さえOKだしゃ運次第でなんでもやってのける命知らず、
不可能を可能にし、陽気な猿を粉砕する、俺たち徳川四天王!

俺は、酒井忠次。通称小平次。奇襲戦法と夜襲の名人。
俺のような若君見捨てた家康馬鹿でなければ百戦錬磨のつわものどものリーダーは務まらん。

俺は本多忠勝。通称平八郎。自慢の槍に、トンボはみんなイチコロさ。
鹿兜かぶって、鉄砲玉からミサイルまで、何でも無傷で生き残ってみせるぜ。

よおお待ちどう。俺様こそ榊原康政。通称小平太。
挑発文章家としての腕は天下一品!地味?出番少ない?だから何。

井伊直政。通称万千代。部下酷使の天才だ。
大政所でもブン殴ってみせらぁ。でも島津軍だけはかんべんな。

俺たちは、道理の通らぬ世の中に敢えて挑戦する、
頼りになる神出鬼没の 徳川四天王!

助けを借りたい時は、いつでも言ってくれ!

191: 無名武将@お腹せっぷく
本多・榊原・井伊は家康にとって人前でひけらかしたい家臣だったみたいね
やっぱ家康も250万石の大身になってまで本多重次みたいなの連れて回りたく
なかったんだろうなぁ

194: 無名武将@お腹せっぷく
井伊は大坂の陣にも参加できる年なので過労死はもったいなかったな
文武両道・眉目秀麗・家柄もよしと三拍子そろってるからね

195: 無名武将@お腹せっぷく
>>194
性格にやや問題があったらしいガナー

203: 無名武将@お腹せっぷく
本多忠勝は体に傷一つ無く配下思い(直政が怖くてこちらに流れてくる人も多かったとか)
井伊直政は体中が常に傷だらけで配下に厳しい(自分にも厳しかったらしいが)

正 反 対 だ な こ の 二 人 w

204: 無名武将@お腹せっぷく
でも出世したのは井伊の方だろ?
てか本当に忠勝って強かったのか?
傷一つ無いってのがあやしい。
配下を盾にして自分の周り固めてたんじゃないの?
単騎とか絶対迷信だし。

205: 無名武将@お腹せっぷく
忠勝はどうなんだろね。
まぁ家柄は微妙だけど、そんな中で出世したからには
かなり能力の高かった人物なんじゃないかな。
姉川で単身突っ込んだとか聞くけどウソっぽいね

225: 無名武将@お腹せっぷく
>>205
それを言うなら直政だろ
こいつだけ駿河譜代なのに四天王にまでなってんだから

229: 無名武将@お腹せっぷく
>>225
父親を今川に殺されて、他人の家で育てられた所が
幼少期の自分と重なったんじゃないかな、家康は。
まぁ、家柄や本人の才覚も大きいんだろうが。

206: 無名武将@お腹せっぷく
家康直轄軍の旗本先手を若年から勤め、徳川の重要な戦では必ず要所で武功を立てた忠勝が無能なわけない
まぁ確かに戦でかすり傷ひとつ負ったことないっていうのは信じがたいが、信長・秀吉にも認められたほどだからそんな伝説ができたんだろう

207: 無名武将@お腹せっぷく
204-205
嘘のようなことを現実にしたから歴史に残ったんじゃないか?

208: 無名武将@お腹せっぷく
>>207
歴史上の人物にいろんな逸話がつくのはよくある話。

212: 無名武将@お腹せっぷく
でも徳川四天王って使い捨ての道具扱いされた感じがするな
井伊はともかく、あとの3人は家康の一番苦しい時期を支え続けたのに石高はせいぜい10万石

219: 無名武将@お腹せっぷく
井伊は部下より先に先陣切って突撃してたところなんて
さすが徳川の突撃隊長だと感じ入らせられるが
撃たれて死んでは元も子もない。四天王で唯一の戦闘の後遺症での死亡だしな。
あれさえなければなと悔やまれる。

220: 無名武将@お腹せっぷく
>>219
直政は四天王の中では政治的手腕もあるほうだからまだ良いんじゃないか
いくら忠勝が強いと言っても一人で何百人も倒せるわけじゃないんだし
やはり人間戦闘だけ強くても駄目だろ

221: 無名武将@お腹せっぷく
>>220

たしかに本多忠勝は関ケ原以後活躍の場が激減したことにより引退してるな

224: 無名武将@お腹せっぷく
>>221
本多正信親子がいるから武功派は政治の場から一掃された。
大久保の改易なんてその際たるものだろうね。

222: 無名武将@お腹せっぷく
>>220
政治手腕ならばダントツで酒井だな。

223: 無名武将@お腹せっぷく
直政の話では、松平忠吉の名をあげる為なんだろうけど
関ケ原の抜け駆けは結構好きな話なんだけどなあ

227: 無名武将@お腹せっぷく
直政はいわゆる 「三河譜代」 ではなく、
家康が今川領を手に入れる前後に家臣団に加わった 「駿河譜代」 と区別される

258: 無名武将@お腹せっぷく
酒井家次
本多忠政・忠朝
榊原康勝
井伊直継・直孝
息子の代だと井伊の次男が頭二つ飛びぬけてるな

259: 無名武将@お腹せっぷく
どこが?

263: 無名武将@お腹せっぷく
>>259
大坂の陣で木村重成を討ち取った
十八万石から三十五万石に加増された。

264: 無名武将@お腹せっぷく
>>263
なんだそんだけのことか。

267: 無名武将@お腹せっぷく
>>264
大坂の陣ではへたれ揃いの徳川譜代二世武将の中では
結構よくやってる方だよ

265: 無名武将@お腹せっぷく
戦もそれくらいしか無かったしな
平和が一番じゃよ

355: 無名武将@お腹せっぷく
家康ってラッキーだよな。いい家臣が最初からついてきてるんだから

363: 無名武将@お腹せっぷく
信愛
為信
政実
信仲

364: 無名武将@お腹せっぷく
>>363
チームワークは全四天王のなかでも最悪だなw

引用元: ・【天下獲り】徳川四天王を語れ!【犬】