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1: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/16(木) 23:50:18 ID:Sjx15uCr0.net
劉備の息子達のネタならなんでも・・・
孫もOK!









3: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/17(金) 00:04:03 ID:noYmYyLJ0.net
趙雲が阿斗を救いだして、って話。
実は劉備は阿斗を捨てたかったんじゃないかな。

劉備の事だから、阿斗がガキの段階で、暗愚な人間って
判ったんだと思う。

趙雲も空気読めない香具師だな・・・





           などと適当に書いてみた。

5: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/17(金) 00:06:17 ID:SrOmvqvq0.net
オレ、昨日、チラシを捨てたら、
落ちましたよって、親切な人が拾ってくれたんだよ
まさか、捨てたと言えないから、礼を言ったけど

劉備はそんな心境だったのか

6: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/17(金) 00:06:53 ID:Qhi3lh660.net
まあ、基本的には子供に冷たい父親だからね。
劉封も別の意味で処分されたと聞くし・・・

・・・とレスしてみる。

7: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/17(金) 00:07:37 ID:w7XPfArC0.net
劉邦も子供を捨てようとしてなかったっけ?
劉備って劉邦を真似るように意識していたのかな?

25: 名無しさん@お腹い っぱい。 2006/11/18(土) 21:38:16 ID:Ke92jJfp0.net
たしか息子は、死んだ時の贈り名だっけ?あれが「廃帝」なんだよな?

26: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/18(土) 22:09:58 ID:NC46XSUW0.net
>>25
思公。(多分)

29: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/18(土) 23:27:19 ID:NC46XSUW0.net
劉禅が懐帝・・・思公と併せて2つの諡号があるということか・・・

そういえば、献帝も蜀漢から愍帝の諡号を贈られたと聞く。

30: 奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. 2006/11/19(日) 00:27:58 ID:vGPZK+4I0.net
病床の諸葛亮が撰んだとか言う諡号ね。

31: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/19(日) 00:34:04 ID:BN9QeWfIO.net
諡について誤解してる人がいるみたいだな

廃帝とか少帝ってのは通称としての呼び名であって正式名称じゃない
諡をもらえなかったから便宜的に呼ばれてるだけ

41: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/19(日) 01:40:10 ID:0zhUdeX00.net
実はな、劉諶についてのスレを立てたいと思ったことあるんだよ
劉備の子や孫で唯一好きなのが、劉諶

一途というか、やんちゃ坊主って感じでいいじゃん
劉禅とか他の兄弟に「諶、必死だな(プ」とか言われていそうなのも愛おしい
ゲームで、諶坊やの能力、エディタ使って高くしたくなっちゃうんだよな

貴重でしょ、劉家でこういう跳ねッかえりの存在は
劉 諶

劉 諶(りゅう しん/りゅうじん、? - 263年)は、三国時代の蜀(蜀漢)の皇族。後主劉禅の五男。

263年、魏が蜀漢に侵攻してきた際、成都の廟堂にて劉禅が光録大夫譙周の発言を受け入れて降伏しようとすると、劉諶は徹底抗戦を主張して反対したが容れられず、宮中からしめ出されてしまった。祖父の昭烈皇帝(劉備)の廟前で、己の首を刎ねて自害した。


42: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/19(日) 02:15:51 ID:bJdLV+VY0.net
劉諶って、どこか鬱を抱えているイメージがあるけど・・・

43: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/19(日) 02:19:53 ID:QktPeHmE0.net
そういや劉備の子孫って今も残っていたりするの?

44: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/19(日) 05:23:56 ID:sFcuo1h8O.net
劉理か劉永のどちらかの孫の劉玄が、晋の八王の乱の時だかに洛陽あたりから
成都あたりに逃げてきたってのはあるよね?
劉禅の子孫を始め、その他の劉備の子孫は皆殺しになったらしい。
劉玄の子孫はいたのか判らんけど。
もしいればその後、ある程度続いたかも知れないね。

53: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/24(金) 10:09:47 ID:wIt6CuLMO.net
劉禅は家臣次第で名君にも暗君にでもなる素養の持ち主であった。これは陳寿も『白絹の布のような人』と評されている
孔明の独裁政治を許したのも劉禅公の度量の広さであり
孔明もその器の大きさと人徳に先帝の姿を見出し一命を懸けて彼に仕えた


類い希な才能を持ちながら君主の嫉妬によって干されたり消したりされた名臣が居たことを考えると
孔明にとっては自分の才能を十分に発揮出来る、これ以上無い名君に仕えた事となる

54: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/24(金) 10:50:01 ID:Vy6E5V1C0.net
その対照的が曹丕だね。正真正銘の名君でありながら嫉妬心が強かった。
特に同腹の兄弟にしては苛酷だったと言うね。

55: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/24(金) 10:58:50 ID:Vy6E5V1C0.net
また、孫権も父・孫堅、兄・孫策の地盤を受け継いで、守成型を保ったのは立派。
但し、意外と積極性に欠け、戦下手で部下を処刑することは結構あった。
特に人口不足による倭方面に人口補強を失敗した部下を処刑した。

また、非常に酒好きで老公・張昭と衝突を繰り返したり、
自分の意向に逆らう虞翻を何度も処刑未遂するも、
部下の劉尚(劉繇の子)の諫言の繰り返しで、中断された。

孫権は非常に酒癖の悪い君主だったとか・・・

56: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/24(金) 11:25:03 ID:pKuMbgOU0.net
酒飲んで出した命令は無効だとか言っちゃう人だからな

57: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/24(金) 13:03:59 ID:+NV8XkVH0.net
3国の皇帝にもそれぞれ長所短所があるってことだね
確かに度量の広さは親父譲りだし、疑わないってのはいいよね
まあ某司馬の人とか乗っ取る奴もいるけどな

60: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/24(金) 22:13:07 ID:gBUjz7K60.net
劉封って何年生まれ?

62: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/24(金) 22:22:43 ID:Vy6E5V1C0.net
>>60
多分190年前後。

68: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/28(火) 09:54:09 ID:7s6xctnv0.net
>>62
意外と若いなw

84: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/12/20(水) 14:00:40 ID:BeCR7ECj0.net
強いて話題を吹っかけるなら・・・

劉封が鄧禹の末裔の可能性が大であること。
そもそも羅侯の寇氏ってのは、実は鄧氏(寇とは同音)の誤筆。

後漢の安帝によって、餓死した鄧隲(鄧禹)と鄧鳳父子の
子孫が高密侯から南陽の羅侯に降格されたのが史実。

ソースは後漢書。

・・・まあ、劉封は鄧芝の親戚でいいと思う。

86: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/03(水) 21:24:54 ID:t8MpmQBF0.net
>>84
そういうエピソードないから親戚にしても劉備と後漢王朝ぐらいの遠い親戚だろう

96: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/29(月) 10:02:31 ID:WNbuwy590.net
劉備は息子の誰でも良いからケイシュウに残すべきだった。
最も信頼してる関羽にケイシュウ防備を任せたわけだが、関羽を諌められる武将がケイシュウに
一人も居なかったのが悔やまれる(馬良やビホウでは関羽を諌められない)
北伐をする際にも公子が居るとなれば、より慎重にケイシュウの防備を高めて
呉に対する警戒もMAXに達しただろうし、場合によっては魏侵攻よりも
公子とケイシュウを守る事が第一義だと考えて無謀な北伐に参加せず
見事にケイシュウを守りきったかもしれない。

101: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/29(月) 17:50:50 ID:nEyRMMOZ0.net
>>96
劉禅も劉封も荊州に置いていってるよ。
でも劉禅は即位時に17歳で劉備が益州を入った時で7,8歳。
意味がないな。

97: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/29(月) 10:17:26 ID:WNbuwy590.net
劉備の息子って言っても劉邦と劉禅ぐらいしかおらんだろ
劉邦と関羽は仲悪いし劉禅はまだ幼いし

101: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/29(月) 17:50:50 ID:nEyRMMOZ0.net
>>97
劉封が関羽の樊城攻めの時に救援の兵を送らなかったのは事実のようであるが、それを以って荊州時代から仲が悪かったとは言えないと思うが?

98: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/29(月) 11:11:16 ID:s55Hi/Ew0.net
劉封は息子じゃなくて養子だからな
養子を公子にしても中々難しいだろう

99: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/29(月) 15:56:23 ID:WNbuwy590.net
公子じゃなかったら親族でもいいよ。嫁でもいい。
関羽を自重させる者、もしくは関羽が一目置かざる得ないものを一つは
ケイシュウに置いとくべきだったと思う。
それは価値が高ければ高いものほど良い。
または政略結婚を蜀主導で進めてケイシュウ防衛軍と南三群及び呉、上庸の間で
お互いが裏切れないように縁戚関係を結び出来得れば嫁とか養子の名義で
呉の重要人物をケイシュウか蜀に引き取れれば良かった。
呉から関羽へ政略結婚の申し出があったのが事実かどうか知らないが
呉から、そういう話がなくとも蜀主導で進めても良いくらいの話だった。

102: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/29(月) 18:49:30 ID:0Wb/qjMt0.net
>呉から関羽へ政略結婚の申し出

これが事実だとするとさ、その目的のひとつに、「劉備と関羽の離間」は
なかったのかなー、と思ったり。
もし関羽が独断で受けちゃったら、蜀の首脳陣は面白くないだろうし。

103: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/29(月) 20:12:27 ID:HGfyCAn/0.net
蜀と呉の同盟強化の為の婚姻なられっきとした外交政策なんだからまず劉備を通すだろ。

104: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/02/12(月) 20:41:44 ID:YGA0/NYA0.net
劉禅って長男?
105: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/02/12(月) 22:08:04 ID:7N8tepaf0.net
>>104
長男だよ
昔は居たみたいだけど殺されたんじゃないか?
捨てて逃げてるし

106: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/02/13(火) 09:45:12 ID:riLNgWNH0.net
劉備と劉禅、年離れすぎ

116: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/03/03(土) 22:15:38 ID:QqhT+slP0.net
結構年を取ってから産まれた子は特に可愛いものだと思うけどなあ。

117: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/03/03(土) 22:27:33 ID:2J2DZYcy0.net
劉禅と劉永は蜀滅亡まで生きてたが劉理だけは早めに(と言っても244年だけど)死んでるね。

118: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/03/04(日) 20:34:46 ID:MfAApgsm0.net
劉封は180年生まれでおk?

119: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/03/06(火) 20:14:38 ID:KGOv09U60.net
178年説有り

120: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/03/07(水) 01:40:33 ID:IOSLnpTJ0.net
http://ex21.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1173198755/l50
 
夢蜀【むしょく】

三国時代の蜀の後主、劉禅は後世に於いて無能な君主として描写されることが多い。
しかし、そうではないことを示す逸話をここに紹介する

魏に降伏した後、劉禅は蜀を懐かしむ素振りも示さず、酒宴に明け暮れる日々をすごしていた
かつて蜀の臣だった人々はこれを観て甚く悲しんだ

幼少の頃より劉禅の身の回りの世話をしていた宦官のという者が居た
邇杜は宦官にしては気性が激しく、正邪を弁えた人間だいう評判だったが
ある日、いつものように楽しそうに宮女の舞を見ていた劉禅を見かねた邇杜
「殿は蜀が恋しくないのですか」と言った
劉禅は聞こえない振りをした
すると邇杜は宮女を押しのけ、劉禅の目の前まで進み出て大声で怒鳴った
「あなたにとって蜀はなんなのですか!」
劉禅は目を逸らし、やはり何も答えなかった
ついに邇杜は劉禅の胸倉を掴み、涙をながして言うに
「あなたは毎日何もせず、踊りを見て酒を飲むばかり。一体何を考えてらっしゃるのか」

邇杜に向き直った劉禅の目には涙が浮かんでいた
そして彼は一言だけ、こう言ったという
「夢蜀。」と

「私は蜀の夢を見ない夜は一度たりとも無かった。」
劉禅の気持ちを察した邇杜は大いに恥じたという

この逸話はしかし劉禅が蜀を再興しようという野心があると思われる危険があったため、公には伝わっていない。
これ以降、日ごろ何もしていないが心の中に大志を抱くものを「夢蜀」と呼ぶようになった
最近では後半の意味が忘れられ、ただ単に何もしない人間をさすようになり、いまの「無職」になったという
 
                  『消された歴史・隠された真実』 李安庸

121: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/03/07(水) 09:41:48 ID:dup/CnSl0.net

(  ;ハ;)イイハナシアルー

122: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/03/08(木) 23:41:21 ID:miLE9hgI0.net
ワロタ

123: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/03/14(水) 19:51:06 ID:UCwntrup0.net
劉永って誰?

124: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/03/14(水) 19:59:35 ID:Fi/lBc8N0.net
>>123
劉禅の異母弟。

> 劉永字公壽、先主子、後主庶弟也。
> 章武元年六月、使司徒靖立永為魯王。
> 策曰
> 「小子永、受茲青土。朕承天序、繼統大業。遵脩稽古、建爾國家。封于東土、奄有龜蒙 、世為藩輔。
> 嗚呼、恭朕之詔 。惟彼魯邦、一變適道、風化存焉。人之好德、世茲懿美。
> 王其秉心率禮、綏爾士民、是饗是宜、其戒之哉」
> 建興八年、改封為甘陵王。初、永憎宦人黄皓、皓既信任用事、譖構永于後主、後主稍外永、至不得朝見者十餘年。
> 咸熙元年、永東遷洛陽、拜奉車都尉、封為郷侯。

以上、蜀志劉永伝。

125: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/03/19(月) 21:32:46 ID:Enm4Pjpq0.net
劉備の何歳下?

126: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/03/19(月) 22:17:17 ID:gwftGI8Y0.net
>>125
劉禅は46の時の子。
他は不明としか言いようがない。

128: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/03/20(火) 09:37:03 ID:VKQjBPOC0.net
46!もっと早く子供作れw

129: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/03/20(火) 20:54:27 ID:fPztzaoH0.net
徐州時代に子供がおったのでは?
張飛がうっかり酔っ払って呂布に乗っ取られたときに、
呂布が劉備の妻子と老母を保護させたって書いてあったと思ったが

130: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/03/20(火) 21:11:45 ID:DINIrIRh0.net
>>129
劉禅は新野時代に生まれてるから、それ以前のは相次ぐ敗走、生々流転の渦中で死んでったんだろうね。

131: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/03/20(火) 22:29:41 ID:8Y3cWrtg0.net
(  ;ハ;)カワイソウナハナシアルー

134: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/03/28(水) 00:18:41 ID:APewa02N0.net
劉禅には6人か7人子供いたんだよな
降伏にキレてクビ切った子供が有名だけど
皇太子はボンクラでとろとろしてるうちに殺されたんだよな
劉備の一族ってとことんダメだな
子孫は一人以外全部永嘉の乱で滅亡したし
もしかしたら劉禅は一族で劉備の次に処世術にたけてたのかも

135: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/03/28(水) 09:38:12 ID:6z0zdvyJ0.net
たしかに生き延びた分、どこかしら賢い部分もあったんだろうな。
死んじゃったら何もならないし

137: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/03/29(木) 22:26:50 ID:eA3EpRsP0.net
劉禅の場合、生きてても何もならない。

138: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/03/30(金) 09:33:39 ID:7/7nQX8/0.net
ただ道楽生活をすごすだけだもんな

139: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/03/30(金) 20:53:02 ID:RWXZ9YGh0.net
漢王朝の真の復興のためにはむしろ邪魔だったかな

140: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/04/02(月) 20:37:50 ID:4QMZDuqR0.net
劉封は名将?

141: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/04/03(火) 00:24:53 ID:pbRzy2Md0.net
よくて良将。

143: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/04/03(火) 01:36:24 ID:3AtpUj+u0.net
良将止まりだろう。
ただ人手の足りない蜀漢陣営では相対的に重要な部将の一人だった。

144: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/04/03(火) 09:26:42 ID:KsGrP8R80.net
しかし、なんであんなとこから養子取ったんだろう・・・・

145: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/04/04(水) 02:13:24 ID:0uxFM+xa0.net
劉備がヤクザの親分って考えればそれほど不思議でもない
養子取りまくりは階級が破壊された五代十国には顕著に顕れた傾向だし
当時は宦官が養子を取り始めた時期でもあった

147: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/04/04(水) 19:57:48 ID:wKJtNhKR0.net
劉封は羅侯の寇氏の末裔とあるが寇氏というのは間違いで鄧氏という説がある(中国語で同じ発音)
この鄧氏は後漢の建国の鄧禹元勲の子孫にあたる(鄧禹の子供が羅候に任じられている)
家柄としては十分すぎるし荊州にかなりの影響力を持ってた家だったから養子にしたんじゃないか?
鄧芝も鄧禹の子孫らしいが劉備に仕えたのはこの縁ではないかと

149: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/04/04(水) 22:29:35 ID:wOFgf+ApO.net
功臣表が残らない後漢では初期の羅侯と末期の羅侯が同じ氏かどうか分からないよ
魏書の武帝紀に出てくる合肥侯は記録は無いが堅鐔の子孫じゃなく劉氏じゃないか

151: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/04/07(土) 21:18:15 ID:709/P+6f0.net
張翼も張良の子孫で漢の三公の家柄だし蜀も何気に家柄いいのが集まってるんだよな

153: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/04/08(日) 09:45:08 ID:5xGTreOv0.net
>>151
本当ですか?
初めて聞いた

154: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/04/08(日) 12:14:14 ID:QkQtBcRi0.net
昔どっかで見ただけだからソースも探せないしそもそも中国人は先祖を捏造することが多いから(日本人もだが)
ただ三公は本当だからそれなりにいい家柄のはず

156: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/04/08(日) 16:13:44 ID:HNEf6eWQO.net
>>154
後漢書に書いてあるよ
まー怪しいのは同意だけど

155: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/04/08(日) 13:38:49 ID:zxoijmKC0.net
蜀って、貴族的な層が特をした王朝?損をした王朝?

156: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/04/08(日) 16:13:44 ID:HNEf6eWQO.net
>>155
あまり得したとは言えない
劉備に従った荊州の名家、有力豪族は土地を失ったり一族離散したりしてる
益州の豪族は荊州から来た連中に抑えられて全体的にはあまり良い目見てない

165: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/05/03(木) 11:27:50 ID:1eY13Fr40.net
劉永って印象薄いくぁ

181: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/05/21(月) 00:29:18 ID:ZMKU42Hp0.net
劉永は、董允死後台頭してきた黄皓を遠ざけるように劉禅に言上して、
逆に劉禅の怒りを買って以後十数年謁見が許されなかったんだよね。
皇弟ですらこうなってしまうんだから、
諸葛瞻・樊建あたりの末期内政トップ連中がいくら黄皓を嫌っていても、
実際にそれを除く方向に動けなかったのも仕方ないか。

183: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/05/21(月) 01:00:05 ID:49Wao8mNO.net
皇族が政治に口出すのを嫌うのはどこも同じ

184: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/05/21(月) 23:02:56 ID:L97AAhLk0.net
劉備の面影があったらしく、呉懿(伯父)、魏延、王平あたりはみな劉永を慕ってたそうだな。
三国志を扱ってる本によっちゃ、著者が「劉備の血はみな劉永にいってしまった」と書いてたりもする。
劉禅としちゃ、どうしてもコンプレックスが拭えない、出来の良すぎる弟だったんじゃないかね。

185: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/05/21(月) 23:26:37 ID:kEaC8OKD0.net
劉備の威風があったら、居候されてるものにとってはさぞかし迷惑だっただろうなぁ

196: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/05/26(土) 13:34:18 ID:Uggk3zZI0.net
よく劉禅の暗愚を示す司馬昭に蜀が懐かしくないか以下略だけど、
読み直すと司馬昭には家臣との会話も逐一盗聴されていた、
ってことじゃないか?ああする以外生きる道はなかったよ…

生き延びただけでも上等。少なくとも武田勝頼や豊臣秀頼よりまし。

198: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/05/26(土) 14:54:57 ID:W2Qc6IYC0.net
>>196
盗聴されていたなんて生易しいもんじゃなくて
その家臣が司馬昭のスパイだったんじゃないかな

208: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/06/12(火) 09:32:50 ID:b74erQtu0.net
劉封を処断しなければ・・・・

209: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/06/16(土) 00:08:22 ID:cZTG0UpU0.net
劉備は短気すぎ

210: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/06/21(木) 22:07:42 ID:6f0gLFk60.net
そうだね
まぁ親分みたいなもんだしね

212: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/06/23(土) 00:58:54 ID:K3biwmSG0.net
劉封の処刑は計画通りだろ。
養子を取ってから実子が生まれたんでやっかいになったんだよ。

216: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/06/25(月) 11:27:15 ID:CMLy03cq0.net
>>212
実子がいるのに養子を取ったんだろ

221: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/06/26(火) 21:58:21 ID:P2eNqHqZ0.net
>>216
それ演技の脚色だから。
実際は劉禅誕生の207年より前の髀肉の嘆をかこってた時に
劉備に跡継ぎがいないんで養子を迎えたというのが有力な説。
ちなみに当時の劉備は40を過ぎてた。

214: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/06/23(土) 19:24:27 ID:i2XLxcto0.net
劉封の子、劉林視点の三国志も見てみたいな。

215: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/06/24(日) 00:00:16 ID:K8VS7CkJ0.net
劉林は生き残れたのか

217: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/06/25(月) 19:34:05 ID:t+rJk4710.net
>>215
蜀滅亡後に河東に移されてるよ。

218: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/06/26(火) 10:40:10 ID:SCLUq7dH0.net
蜀滅亡まで生きてたのか 

219: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/06/26(火) 11:54:59 ID:XeHZN7k/0.net
劉備の場合何でか一族郎党が少なかったから、養子とってでも増やしたかったってとこかと
近世以降みたく概念的な忠義が今一つ信用できない時代のことだし、やっぱり血縁がいちばん信用できたわけで
赤の他人では重要な役目を任せることが難しかったんじゃないでしょうか

曹操なんざ曹一族に加えて夏侯一族がいたし、孫一族は地元豪族みたいなもんだからそうした血族に不足無かったけど
劉備の場合兄弟とか従兄弟がほとんどいないか、出てこない

引用元: ・【劉封】劉備の息子達【劉禅・劉永】




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