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1: 世界@名無史さん 投稿日:2009/03/29(日) 12:56:30
・彼らの起源はどこなのか。イタリア原住民、リディア人、アトランティス末裔、地底人…?
・エトルリア語の系統は何なのか。インド・ヨーロッパ語族、セム語族…?

皆さんの意見をお待ちしております。








エトルリア人

エトルリア人は、イタリア半島中部の先住民族。インド・ヨーロッパ語族に属さないエトルリア語を使用していた。エトルリア文化を築いたが、徐々に古代ローマ人と同化し消滅した。

初期のローマ人はエトルリアの高度な文化を模倣したとされ、ローマ建築に特徴的なアーチは元々、エトルリア文化の特徴であったといわれる。また、初期の王制ローマの王はエトルリア人であったとも言われ、異民族の王を追放することによってローマは初期の共和制に移行した。





3: 世界@名無史さん 投稿日:2009/03/29(日) 16:33:09
アナトリア半島から来たと言われている。
非印欧語族と言われている。
しかし、今のトスカナ地方の住民に他のイタリア人と人種的違和感なし。
さて、何だろう。

4: 世界@名無史さん 投稿日:2009/03/29(日) 17:55:22
>>3
アナトリア半島から来たってことは地中海人種ってことだろ
なら同じ地中海人種であるほかのイタリア人と人種的違和感がなくてもおかしくなくね?
(語族はイコール人種ではない)
しかもエトルリアがローマに征服されてから二千年以上経ってるんだから
当然ローマ人やら、その他の異民族と混血しただろうから
人種的違和感が無くて当たり前でしょ

5: 世界@名無史さん 投稿日:2009/03/29(日) 20:22:34
ま、少なくとも身体的特徴に関してとりたてて記述は残してないから
ガリア人やゲルマン人ほどには差異はなかったってことだろ、ラテン人との間に

つまり普通に南欧人ということ

6: 世界@名無史さん 投稿日:2009/03/29(日) 22:29:14
ローマ人も自称トロイア人の末裔だから
アナトリア発祥(という説もある)のエトルリア人とは実は大昔からご近所同士かもしれず

どっちにしろどっちに関する説も眉唾だから困る

9: 世界@名無史さん 投稿日:2009/03/30(月) 10:53:15
アナトリア発祥(リディア起源説)がトルコとトスカーナ地方の住民のDNA検査によって裏付けられたらしいが、
エトルリアは非印欧語族、リディアは印欧語族で、語族に関して矛盾が発生するという。

10: 世界@名無史さん 投稿日:2009/03/30(月) 11:09:27
>>9
小アジアに住んでいたのが印欧語族だけとは限らないよ

13: 世界@名無史さん 投稿日:2009/03/30(月) 11:32:07
>>10
小アジアに非印欧語族がいたというのであれば何という王朝か教えてほしい。

15: 世界@名無史さん 投稿日:2009/03/30(月) 11:52:03
>>13
そりゃ無理だ
エトルリア人が小アジア発祥だとして、
イタリアへ向かったのは少なくとも紀元前8~9世紀より以前、
その時代のアナトリアに住む民族の言語形態をあまさず解明なんてできない

33: 世界@名無史さん 投稿日:2009/03/30(月) 13:23:19
>>13
まずヒッタイト人侵入以前のプレ・ハッティと呼ばれる民族が非印欧語族
小アジア東部のウラルトゥ王国も非印欧語族
またトロイアも印欧語族のギリシア人以前から栄えていた

127: 世界@名無史さん 投稿日:2009/03/30(月) 15:54:44
>>33
>小アジア東部のウラルトゥ王国も非印欧語族

ウラルトゥはアルメニアの祖先で印欧語族では。違いますか?

128: 世界@名無史さん 投稿日:2009/03/30(月) 16:17:32
>>127
印欧語族のアルメニア人は後から来た民族らしい

129: 世界@名無史さん 投稿日:2009/03/30(月) 19:18:09
アルメニア人は、キンメリア人とウラルトゥ人が、融合したものではないだろうか?
アッシリアによるウラルトゥ王国滅亡後、スキタイによるキンメリア人黒海北岸
追放後に、ウラルトゥの地がアルメニアと呼ばれるようになったとされる。

130: 世界@名無史さん 投稿日:2009/03/30(月) 19:24:08
言語形態は不変じゃないことに留意すべきだ
もともと使っていた言語を捨てる場合もある

132: 世界@名無史さん 投稿日:2009/03/30(月) 20:59:03
>>9
リディア人は元来マイオニア人と呼ばれていたとされるが、スキタイ時代の
南ロシアアゾフ海岸にはマイオタイ族が住んでおり、アゾフ海はマイオタイ湖
と呼ばれていたとされる。

133: 1,9 投稿日:2009/03/30(月) 22:54:11
エトルリア人はエジプト碑文ではトゥルシア人と呼ばれた海の民の一派です。だからセム系だと証明できるはずですができないのは何故なのかが謎なところでしょう。
ヒッタイトは海の民によって滅んだのだから、そのなかにエトルリア人もいてアナトリアに定住し後にイタリアに移ったと考えられる線はないでしょうか?

>>132
マイオタイについて検索したのですが、ほとんど当たりませんでした。もっと一般的な呼称はありませんか?

138: 世界@名無史さん 投稿日:2009/03/31(火) 00:33:29
134: 世界@名無史さん 投稿日:2009/03/30(月) 22:58:45
>>133
>海の民の一派です。だからセム系だと証明できるはずですが

海の民はセム系じゃないでしょ

135: 世界@名無史さん 投稿日:2009/03/30(月) 23:19:52
フェニキア人が海の民の性質を受け継いでいることからして必ずしも無関係ではないと思いました。
エトルリア語はアルファベットを使用し、同盟関係にあった点も臭いですね。

136: 世界@名無史さん 投稿日:2009/03/30(月) 23:52:14
海の民のなかではトゥルシアは来歴がよく分からない部類に入るのかな

137: 世界@名無史さん 投稿日:2009/03/31(火) 00:17:08
海の民で最も有名なのは、印欧語族とされるペリシテ人でありますな。
ペリシテ人は、クレタ島からカナンへ移住してユダヤの隣国となったとされる。
ペリシテ人は、同じく鉄器を使用したとされるドーリア人と関連があると考えられる。
おそらく、ヴァンダル族が西ゴート族にスペインからカルタゴへ追い払われたように、
ペリシテ人はドーリア人にクレタ島からカナンへ追い払われたのであろうと想像される。

140: 世界@名無史さん 投稿日:2009/03/31(火) 01:02:46
>>135
フェニキアと関連深いのはペリシテ人とシェルデン人
トゥルシア(エトルリア)は暗黒時代にはあんまり交流ない
139: 世界@名無史さん 投稿日:2009/03/31(火) 00:39:01
アカイワシャもシケルもフィリスティもダヌナもルッカもエーゲ海域出身だから
まあ押し出し食らったんだろうくらいのことは想像つくが
トゥルシアとシェルデンとシェクレシュは何で東地中海まで出張ってくる必要があったん?

143: 世界@名無史さん 投稿日:2009/03/31(火) 02:11:06
>>139
トゥルシア=トゥルイサ(トロイヤ)ではないだろうか?

144: 世界@名無史さん 投稿日:2009/03/31(火) 10:05:37
ペリシテ人って印欧語族だったんですか?
パレスチナ人の祖先なのでセム系だとばかり。

145: 世界@名無史さん 投稿日:2009/03/31(火) 10:22:53
パレスチナの語源はペリシテ人だが
パレスチナ人というのはパレスチナに定着したアラブ人およびアラブ化したパレスチナの先住民(ユダヤ人、カナン人、ペリシテ人など)と考えたほうがいい
名前に惑わされてペリシテ人だけが祖先と考えるのは間違い

150: 世界@名無史さん 投稿日:2009/03/31(火) 19:37:00
エトルリアが小アジア起源であるのならば、
ヒッタイトを構成した諸民族の中にエトルリア語を解明できる手立てがあるかもしれない。
可能性があるのは印欧語ではないハッティ語とフルリ語か。

151: 世界@名無史さん 投稿日:2009/03/31(火) 19:41:04
関連の深い原ティレニアとかウンブリアとかオスクとの対比から
言語系統再考できないもんなんかね

152: 世界@名無史さん 投稿日:2009/03/31(火) 20:05:52
リディア語は印欧系だがエトルスキは非印欧語系
一方で遺伝子マーカーはエトルスキがアナトリア西部、まさにリディアの故地から来たことを示している
http://www.guardian.co.uk/world/2007/jun/18/italy.johnhooper

エトルスキがアナトリア出身なのが確実だとすると
位置的にはフルリ・ウラルトゥより原ハッティの方が可能性ありそうな気がするが・・・

154: 世界@名無史さん 投稿日:2009/03/31(火) 20:43:01
リディア語が印欧語でアナトリア外起源ならば、アナトリア西部に
原リディア人が移住した時に追い出された先住民が、エトルスキの
起源なのかもしれんですな。

155: 世界@名無史さん 投稿日:2009/03/31(火) 21:41:41
原ハッティも系統不明だそうですね。
膠着語とわかっているフルリ語よりかは可能性が高いということなのか。

158: 世界@名無史さん 投稿日:2009/03/31(火) 22:54:31
ラテン、ウンブリ、オスク、サムニウム等イタリア語族は、印欧語族内では
ケルト語族に近縁とされ、ケルト語族らと分裂してイタリア半島に南下した
とされる。リグリア人は先住民であったとされる。
イタリア語族とエトルリア人、いずれが先にイタリアに到達したのであろうか?

160: 世界@名無史さん 投稿日:2009/03/31(火) 23:04:03
>>158
エトルリアがローマの北に位置していることからラテン人が先に来ていたのだろう。
エトルリア人がトスカーナに先に来ていた場合、またいで南下すること不可能だ。

163: 世界@名無史さん 投稿日:2009/03/31(火) 23:55:40
>>160
アペニン山脈に沿って移動すれば、トスカナを避けてイタリア半島を南下する事が、可能みたい

120: 世界@名無史さん 投稿日:2009/03/30(月) 14:50:58
ローマの建国にエトルリア人が関わってた可能性は?

122: 世界@名無史さん 投稿日:2009/03/30(月) 14:52:36
>>120
微妙だがどちらかと言えばノー
ローマの形成には計り知れない影響を与えたけど、
初期ローマについて言えば文明度や性質が違いすぎる
これはギリシャ人についてもそうなんだけど、話を戻したくないからやめとく

162: 世界@名無史さん 投稿日:2009/03/31(火) 23:22:05
しかしあんな狭い半島にラテン系の10近い部族とエトルスキとひしめきあってよく数世紀間も混乱しなかったもんだな
もっと衝突しまくっててもおかしくなさそうなもんだが

164: 世界@名無史さん 投稿日:2009/04/01(水) 00:16:28
>>162
基本羊飼いのラテン人と、海と通商のエトルリアじゃ
利害もそんなにぶつからんのじゃないかね

165: 世界@名無史さん 投稿日:2009/04/01(水) 00:42:54
確かヘロドトスだったか誰だったか、結構有名な人がエトルリア人リディア起源説を
古代において既に唱えていた、と聞いたことがある。
その本によれば、かつてリディア王国が旱魃と飢饉に見舞われた時、王子の一人は
残ってリディア王国を継ぎ、もう一人の王子が国民の半分を引き連れ、地中海に
乗り出してエトルリアの地にたどり着いたと言う。
本当にそんなことがあったのかもしれない。
ローマの土木技術はエトルリア人から学んだものでしょう。実はオリエントの土木
技術(アーチ橋も含め)なんだろうな。

167: 世界@名無史さん 投稿日:2009/04/01(水) 01:34:09
エトルリアの偏執的にまで頑丈さを追求した建築様式は
ギリシャを含めオリエントには見いだせんぞ

171: 世界@名無史さん 投稿日:2009/04/01(水) 02:04:37
剣闘士を戦わせるのもエトルリア起源だとか

177: 世界@名無史さん 投稿日:2009/04/01(水) 10:15:45
ローマ人はエトルリアの文化を痕跡の残らないように破壊したというが、同じ仕打ちをカルタゴに対しても行っている。
海の民が何故嫌悪されていたのかが気になる。

178: 世界@名無史さん 投稿日:2009/04/01(水) 10:28:04
フェニキアって海の民なの?

179: 世界@名無史さん 投稿日:2009/04/01(水) 10:35:30
カナン人に海の民と混血したといわれている。
しかし一体どの部族がカナン人に航海技術をもたらしたのが謎なんだが。

180: 世界@名無史さん 投稿日:2009/04/01(水) 11:13:04
ゲルハルト・ヘルムの「フェニキア人に」
ヒッタイト人→トロイア人→エトルリア人

という説が載ってたんだがどうなの?

186: 世界@名無史さん 投稿日:2009/04/01(水) 19:28:11
>>180
ヒッタイト人といっても7カ国もの言語があった多民族国家だからなあ。
しかし海の民は、エトルリアとフェニキアは同盟だったし、どこと無く盗賊的でお互いに繋がりがあるような感じがする。

181: 世界@名無史さん 投稿日:2009/04/01(水) 12:10:52
>ローマ人はエトルリアの文化を痕跡の残らないように破壊したというが

誰が言った?

184: 世界@名無史さん 投稿日:2009/04/01(水) 14:52:26
似たようなことを袴田宗太郎が書いていたと思うな。
書名は忘れてしまったが。

185: 世界@名無史さん 投稿日:2009/04/01(水) 15:57:30
むしろ5分5分かヨンロクくらいの割合でエトルリアの文化はローマに浸透して残った感じが
べつに都市も破壊されたってわけじゃないし
住みづらいから放棄されたり発展しなかったり再開発でぶっ壊れたりはしてるけど

187: 世界@名無史さん 投稿日:2009/04/01(水) 19:31:08
ローマがエトルリアの痕跡を残さないように破壊したのって常識レベルの話じゃ?
だから謎の民と言われているわけだよね?
まあ、後のフェニキア人に対して行った憎悪に満ちた行為と同じとは言いがたいが。

189: 世界@名無史さん 投稿日:2009/04/01(水) 19:47:20
痕跡なんていくらでも残ってる
二千数百年も前に廃れた、しかも強烈なローマ文化に上書きされた文化の復元なんて
意図的な隠滅がなされなくとも困難なんだっつーの
カエサルをはじめいくらかの人間が関心をもって記録を残したガリアの風俗とか、
かき消しようもないほど強大でローマ人にも崇拝され影響を与えたギリシャ文化なんかは例外

215: 世界@名無史さん 投稿日:2009/09/27(日) 16:44:38
>>189
>二千数百年も前に廃れた、しかも強烈なローマ文化に上書きされた文化の復元なんて
>意図的な隠滅がなされなくとも困難なんだっつーの
>カエサルをはじめいくらかの人間が関心をもって記録を残したガリアの風俗とか、
>かき消しようもないほど強大でローマ人にも崇拝され影響を与えたギリシャ文化なんかは例外

こういうのは現代なら植民地主義といって非難されたのかな。
ちなみにギリシャ文化も、19世紀までのヨーロッパ人はローマのフィルターを
通して知っていたので、「エルギン・マーブル」も当初は評価されなかったという
いきさつがあるね。

190: 世界@名無史さん 投稿日:2009/04/01(水) 19:52:28
ラテン人もローマが現れずにどこかに征服されてたら謎の民になってたろうね

191: 世界@名無史さん 投稿日:2009/04/01(水) 22:24:05
謎と言っても全く謎というわけでもなく
起源があやふやなのはラテン人も同じ
繁栄して注目を浴びるより以前の少数部族の動向なんて、
自称に頼るしかないのは当然というもの
盛期にはフェニキアやギリシャの都市との交流(あるいは対立)の記録も
それなりにあるんだし、ローマとはほぼ有史以来の隣付き合い、そして併合

エトルリア語が解読できないことを除けばさほど謎とも思わんが

192: 世界@名無史さん 投稿日:2009/04/01(水) 22:35:50
そうそう、例えば同じイタリアの都市国家でローマに併合された
マグナグラエキアのブリンディシやターラントなんかは、
存在したことは明らかでもそこの人間や都市構造についてはわかりゃしないんだ
もちろんアテネやスパルタ起源の植民都市なんだが、遺跡もなにも
みんなローマ式に建て替えちゃってなんにも残ってないもんだから、
都市国家時代のことはローマ側とギリシャ側のわずかな記述を除けばさっぱりわからない

解読できる言語で記録が残されていてなおそんなもんだ
紀元前の古代をトレースするのは大変なこと
ギリシャローマは史料が多い上に大昔から大勢が研究してきたおかげで
ついこないだのように再現できているがな

193: 世界@名無史さん 投稿日:2009/04/02(木) 11:57:19
>>192
エトルリアの痕跡の消去は、もともとエトルリアの方が優れていたのに、
ローマの政策的なものであるという記述をどこかで読んだ気がしたんですがそうでもないのですね。

194: 世界@名無史さん 投稿日:2009/04/02(木) 12:16:00
王政末期のタルクィニスはじめエトルリア都市からの移住者がローマ王位についた時代を
エトルリアによるローマ支配とする史観では、かつての圧政を忘れないローマ人が
再度の支配を恐れてエトルリアを破壊したとするのも筋が通ってないわけでもないが

まあ、エトルリア系ローマ人とラテン系ローマ人が
支配被支配の関係にあったとする説自体、今では主流ではないな

195: 世界@名無史さん 投稿日:2009/04/07(火) 11:52:20
紀元前9~10世紀頃に、アナトリアを中心に中欧の気候が悪化したのは事実なんだよな
大ギリシャ圏造成の発端にもなったこの気候変動で
ゲルマニア、ガリア、ヒスパニア、ブリタニア、北イタリア等、
ギリシャ人やフェニキア人、一部有力原住民の勢力地域を除き
西欧のほぼ全域に、中欧に住むありとあらゆる民族部族が移住拡散していったという
西方の歴史はこの事件から始まったと言ってもいい
エトルリア人もこの流れに乗ってトスカーナに住み着いたんだろう

199: 世界@名無史さん 投稿日:2009/05/17(日) 13:19:24
ローマがエトルリアから吸収した物事と言えばこれだけあるな。

①王者の象徴ファスケスを公職者の付き人に持たせる。

②エトルリアの宗教行事だった剣闘士の決闘を真似て
コロッセオで奴隷同士に殺し合いさせる見世物にする。

③建築その他の技術でおんぶに抱っこだった時期がある。

④衣服を着て道具を使い火を用い言語を話す。

200: 世界@名無史さん 投稿日:2009/05/17(日) 14:47:13
> ④衣服を着て道具を使い火を用い言語を話す。

ローマ人はサルかよ。

201: 世界@名無史さん 投稿日:2009/05/17(日) 15:31:50
彫像や葬儀方式も

202: 世界@名無史さん 投稿日:2009/05/17(日) 22:16:28
ラテン人の小集団にすぎない原ローマ人に固有の特徴もアイデンティティもない
王政末のローマはラテン人の中心都市であると同時に、エトルリア人の有力都市でもあった
どちらがどちらからなにかを吸収したという視点が、そもそも適当ではない

209: 世界@名無史さん 投稿日:2009/08/29(土) 22:11:27
国勢調査(census)や
貯水池(cistern)は
エトルリア語からラテン語に入った借用語だそうな。

210: 名無しさん@そうだ選挙に行こう 投稿日:2009/08/30(日) 08:46:34
エトルリア人は金製品を身につけ、バルト海沿岸地域から琥珀を輸入し、碧玉や
紅玉髄のような原石を美しく加工した。
だが、こういった奢侈品をこよなく愛したためにエトルリアは没落したのだ、
と後世の保守主義者たちは批判したという。

フィレンツェの金細工やブロンズ製品の優秀さは、やはりエトルリア人の末裔
ゆえなのだろうか。

引用元: ・エトルリア人にまつわる謎







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