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1: 日本@名無史さん 投稿日:2005/07/22(金) 14:32:34
民主主義や法律に基づく政権移譲が確率された現代なら「テロ=悪」なんて
視点もありだろうとは思いますが、幕府による独裁体制(選挙すらない一党独裁みたいなもんか?)
が取れていた時代となると話は難しい。

そこで幕末における体制側(佐幕派)・反体制側(倒幕派)を問わず
当時のテロについて論じて頂ければと思いスレをたててみました。
ネガティブじゃない意見をどぞー。











18: 日本@名無史さん 投稿日:2005/07/24(日) 10:29:01
天皇は暗殺されたとしてもスペアがたくさんいるので全く意味なし

19: 日本@名無史さん 投稿日:2005/07/24(日) 11:45:21
>>18
コピーの域を越えて自己主張した孝明天皇に対する暗殺は意味があったのでは。

20: 1 投稿日:2005/07/24(日) 22:13:47
孝明天皇の死因は「出血性痘瘡」(原口清説)だったかと。

21: 日本@名無史さん 投稿日:2005/07/26(火) 23:39:36
>>20
それにしては、急死すぎる。

24: 1 投稿日:2005/07/28(木) 22:32:51
>>21
急死すぎるってのは
「一旦回復に向かったはずの様態が途端に悪くなった」
ってのを受けて「急死」って言ってるんだろうけど、実際のところは
様態が回復に向かったなんていう証拠はないみたい。

一応、典医の報告書には天皇の様態について一時「至極御静謐」とか「弥御順症」
みたいな表現もあるようだが、これは対外発表上の話で実際のところは
中山慶子(明治帝母)や公卿山科言成など、数人の人々が罹患以来の重症ぶりを伝えている。

んで、その罹患以来の症状がまんま疱瘡と同じだから毒殺説はありえないという論法。
話題性としては毒殺説に飛びつきたい輩も多そうだが、実際はこんなもんでしょう。

23: 日本@名無史さん 投稿日:2005/07/26(火) 23:53:11
孝明天皇の死こそ開国へ踏み切る必須条件だ。
彼が生きている限り日本の近代化は不可能。

26: 日本@名無史さん 投稿日:2005/07/28(木) 22:59:23
「孝明天皇紀」、「中山忠能日記」より、拾ってみる。
ちなみに、中山忠能とは、明治天皇の生母と言われている中山慶子(孝明天皇の妾)の父である。

慶応二年十二月十二日
 高熱を発し、苦痛を訴える。

十二月十五日
 手に一対の吹き出物が出来る。

十二月十六日
 吹き出物が顔にも出来る。一睡も出来ず、吐き気と下痢が激しい。

十二月十七日
 典医十五名は正式に疱瘡と発表、宮中にわかに騒がしくなる。

十二月十八日
 吹き出物が変色して落ち着く。睡眠もとれはじめた。京都守護職松平容保などがお見舞いに参内。

十二月十九日
 朝から食欲がでる。

十二月二十日
 食欲、便通も順調、吹き出物の経過も良好。

十二月二十一日
 天皇の機嫌が良くなる。吹き出物から膿が吹き出し始めてさらに楽になる。徳川慶喜もお見舞いに参 内。

十二月二十二日
 午前二時に葛湯一碗、唐きび団子三つ、さらに二時過ぎに唐きび団子五つ、十一時半にお粥一碗、正午には御大便少々、午後二時に唐きび団子七つ、五時にお粥一碗、八時過ぎにほしいい一碗、十二時前にお小水、そして午前一時前にお粥半碗と大根おろし少々。

食欲も排泄の方も順調に回復していることを記している。又、中山忠能の日記にも、すでに前日に「全て御順道との儀承り、恐悦に存じ上げ候」と書いている。

27: 日本@名無史さん 投稿日:2005/07/28(木) 23:00:30
十二月二十三日
 食欲ますます進み、吹き出物の膿も出てしまい乾燥しはじめた。

十二月二十四日
 この日も葛湯、お粥、ほしいいをとり、便通もあり、天皇の機嫌はますます良好。

ところがである。

十二月二十五日
 天皇の様態は前夜から急変、激しい嘔吐と下痢におそわれ、顔には紫の斑点が現れた。
 さらには「御九穴より御脱血」、七転八倒の苦しみのうちにその夜遅く亡くなった。

天皇はまだ三十六才、それまでは至極健康な壮年であった。

42: 1 投稿日:2005/07/30(土) 09:42:05
>>26
>「孝明天皇紀」、「中山忠能日記」より、拾ってみる。
同じ『孝明天皇紀』には公卿山科言成の日記も引用されているようで
そちらには『中山忠能日記』にも掲載されている御所発表の病状を否定したうえで
「御腫れ物多々」
「一昨日(12月19日)抔頗る御悩み、(中略)役人役人頗る心配」
という表記が見られます。


ほかに中山慶子も二十三日付の書簡(『中山忠能日記』掲載)で
「昨日(22日)より御頭御膿水出らせらる、但し少々御少いよし、
 それゆえ御胸中の御具合御不快(中略)一両日甚だ御大事と医師申すのよし」
と病状が予断を許さない旨を報じています。

43: 1 投稿日:2005/07/30(土) 09:50:59
こうなると「外部に向けて発表された情報」と「典医たちがもたらす情報」との
ドチラを信用するのかが問題。

「御九穴より御脱血」などの病状自体、疱瘡にも見られる症状なのでこの病状を
根拠に毒殺説は煽るのは不可能。

こうなると「毒殺を証明する根拠」が希薄になってくるわけですが
毒殺説をとられる方はそこら辺をどう理解してるんでしょう?

44: 日本@名無史さん 投稿日:2005/07/30(土) 16:00:22
>>43
疱瘡に乗じて毒殺が定説かと。

46: 日本@名無史さん 投稿日:2005/07/30(土) 16:17:49
>>44
疱瘡死に乗じて毒殺説を流布、が定説かと。

49: 1 投稿日:2005/07/30(土) 22:14:05
 >疱瘡に乗じて毒殺

孝明天皇の死が疱瘡の症状と変わらない以上「毒殺されたとする証拠」がないって話です。

「結果的に利益を得た討幕派が怪しい」って陰謀説ならありますけど
それは流石に証拠にもならないので、定説とは言えんでしょう。

50: 日本@名無史さん 投稿日:2005/07/30(土) 22:42:23
>>49
記録に残る孝明天皇の容態から、最初は疱瘡(痘瘡)、これから回復しかけたときの容態の急変は急性薬物中毒によるものとされています。
 
主治医、伊良子織部正光順の日記とメモを発見した曾孫にあたる医師、伊良子光孝氏の説です。

53: 1 投稿日:2005/07/31(日) 09:41:15
>>50
>容態の急変は急性薬物中毒によるものとされています。
 
だからその「容態の急変」自体真実なのかが解らない、ってことです。

天皇周辺がだす病状報告を信じるのか、典医周辺がもたらした病状を信じるのか、
で見解が変わってきちゃいますからね。


>伊良子織部正光順の日記とメモを発見した曾孫にあたる医師、伊良子光孝氏の説です。
 
この伊良子織部正光順の日記『天脈拝診日記』を私は未見なので、日記については何とも言えないんですが、原口説では光孝氏の説について

「この日記・メモ自体には、天皇の毒殺をうらづける明確な内容はみあたらない。光孝氏もも、天皇の死因はについては断定していないが、一応毒殺説と仮定した場合について種々論じたうえで、天皇の死因を(中略)急性毒物中毒によるものと推定している。」

といっています。

52: 日本@名無史さん 投稿日:2005/07/30(土) 23:03:15
>>43
>「御九穴より御脱血」などの病状自体、疱瘡にも見られる症状なのでこの病状を
>根拠に毒殺説は煽るのは不可能。


亜砒酸説があるよ。

54: 1 投稿日:2005/07/31(日) 09:48:43
>>52
>亜砒酸説があるよ

この砒素中毒(=亜砒酸中毒)のほかにも石見銀山との類似性を強調する見解はありますね。
砒素中毒にしろ、石見銀山による毒殺にせよ、その根拠としてあげる症状は
重症感染症の患者に共通することなので「毒殺の根拠」にはならないかと。

64: 日本@名無史さん 投稿日:2005/08/02(火) 02:21:43
>>54
天然痘は数日間の前駆期を経て発疹期にはいり2~3週間で完治する。
発疹期は「紅斑→丘疹→膿疱→結痂→落屑」と移行。

孝明天皇は、12月12日前後に発症(15日は公式発表日)、
その後の経過は極めて良好で、発症から10日目頃には、
「全て御順道との儀承り、恐悦に存じ上げ候」と記録されてる。
「吹き出物の膿も出てしまい乾燥しはじめた」状態から、
亡くなる前日(発症から約2週間)には天然痘が完治寸前の状態だった。
また、気管支肺炎などの吐血を伴う合併症の兆候も記録されていない。

この状態で突然激烈な発作を起こしたことは不可解としか言いようがない。

吐血、下血、全身ケイレン、意識混濁、紫斑…
これらは急性砒素中毒の症状と酷似。
粘膜からの出血も伴うため「御九穴より御脱血」も説明できる。

孝明天皇の最後の日の症状は明らかに急性砒素中毒症状でしょう。

66: 1 投稿日:2005/08/02(火) 08:41:42
>>64
>その後の経過は極めて良好で、発症から10日目頃には、
>「全て御順道との儀承り、恐悦に存じ上げ候」と記録されてる。
>「吹き出物の膿も出てしまい乾燥しはじめた」状態から、
>亡くなる前日(発症から約2週間)には天然痘が完治寸前の状態だった。

もう、どうどう巡りですね。この議論は。

66: 1 投稿日:2005/08/02(火) 08:41:42
とりあえずは>>43の上二行を参照。

やっぱ陵を掘り返し、検証でもしないと終わらんのでしょうかね。
この論争は。

47: 日本@名無史さん 投稿日:2005/07/30(土) 17:48:22
孝明天皇毒殺は発掘調査すれば明らかに?

48: 日本@名無史さん 投稿日:2005/07/30(土) 18:15:24
>>47
それができないから困っているのだが。

29: 日本@名無史さん 投稿日:2005/07/28(木) 23:59:44
孝明天皇が生きてたって幕府や倒幕方に何のメリットがあるんだ?
死んで困るのは会津中将ぐらいだし。

33: 日本@名無史さん 投稿日:2005/07/29(金) 12:59:25
>>29
子供の明治天皇をロボットにして倒幕をやり遂げた。
立派にメリットがあったとおもうぞ。

30: 日本@名無史さん 投稿日:2005/07/29(金) 00:47:24
孝明天皇の死によって窮地を脱したのは幕府側。
その後の慶喜の圧倒的優勢に対し
追い詰められた連中によって、討幕派が形成された。

つまり討幕派による暗殺というのは、本末転倒。

58: 日本@名無史さん 投稿日:2005/08/02(火) 01:22:29
条約履行を迫られた幕府にとって
1条約を履行できず主権放棄
2条約を履行して国家分裂
3孝明天皇を殺して危機回避
の選択肢しかなかった。

59: 日本@名無史さん 投稿日:2005/08/02(火) 01:27:37
まあ掘ってみればすぐ分かる。
なぜ岩倉や伊藤が天皇をタブーにしたか、その本当の理由もね。

62: 日本@名無史さん 投稿日:2005/08/02(火) 02:00:19
帝の死で最も助かったのは長州でしょ。
孝明天皇があと数年長生きしてたら長州は滅亡してた。
一会桑と孝明天皇は持ちつ持たれつの関係、つまり、
慶喜が窮すれば条約勅許だって出しちゃう関係だから、
わざわざ握ってる玉を殺す理由は無い。

67: 日本@名無史さん 投稿日:2005/08/02(火) 13:30:13
>>62
いや、頑固な攘夷馬鹿の孝明帝を殺せば、幼い帝を都合よく操れるのは幕府の方なんだが?
そう上宮中も慶喜のコネが効きまくっているしな。
孝明帝は開国を叫んでいた幕閣の官位を剥奪していたりする。小栗とか大喜びしただろうな。
一方で帝の死から倒幕にこぎ着けるまで1年近くも時間がある。

68: 日本@名無史さん 投稿日:2005/08/02(火) 17:24:42
>>67
で、操れたか。幼帝を実際に操ったのは誰だ、歴史をみろ。

72: 日本@名無史さん 投稿日:2005/08/02(火) 20:23:17
>>62
一会桑と攘夷派天皇は持ちつ持たれつでこれたのは
彼らが対外的に日本を代表する立場になかったからだろ。
しかし一橋は将軍になってしまったんだから、もうごまかし効かないよ。

73: 日本@名無史さん 投稿日:2005/08/02(火) 21:28:10
孝明天皇の毒殺については、医学的には決着がついたことである。

孝明天皇の主治医、伊良子織部正光順(おりべのかみみつおき)の当時の日記とメモが
光順の曾孫にあたる医師、伊良子光孝氏によって発見され、その中身が
昭和50年から52年にかけ、「滋賀県医師会報」に発表された。
『天脈拝診日記』と題された、日記とメモの解読報告である。

光孝氏は、記録に残る孝明天皇の容態から、最初は疱瘡(痘瘡)、これから回復しかけたときの
容態の急変は急性薬物中毒によるものと判断した。
さらに光孝氏は、痘瘡自体も人為的に感染させられたものと診て、こう記したという。
「この時点で暗殺を図る何者かが、『痘毒失敗』を知って、あくまで痘瘡によるご病死とするために、
痘瘡の全快前を狙ってさらに、今度は絶対心配のない猛毒を混入した、という推理がなりたつ」

伊良子光順の文書を整理した日本医史学会員・成沢邦正氏、
同・石井孝氏、さらに法医学者・西丸與一氏らは、その猛毒について、
砒素(亜砒酸)だと断定している。

当時の宮中では、医師が天皇に直接薬を服用させることはできなかった。
必ず、女官に渡して、女官から飲ませてもらうのだという。

前述石井孝氏は、女官たちの中で容疑者と目される者の名を、
つぎのように挙げている。

岩倉具視の実の妹、堀可紀子。
匂当内侍だった高野房子。
中御門経之の娘で典侍だった良子。

孝明天皇の死の最大の受益者は誰かということと、状況証拠から、黒幕は明らかである。

76: 日本@名無史さん 投稿日:2005/08/02(火) 22:30:16
事実を確認すると、

1.孝明天皇は毒殺された可能性が高い。
2.毒殺ではなく病死だとの反論もある。
3.真実は発掘調査をすれば簡単に判明する。
4.明治政府はこの問題をタブーとして封殺し今日に至る。
5.したがって真実は闇の中。

結局「病死」である証拠もどこにもないわけね?

83: 日本@名無史さん 投稿日:2005/08/03(水) 21:34:52
>>76
>結局「病死」である証拠もどこにもないわけね?

だからって「毒殺された可能性が高い」ってのも違うだろ。

80: 日本@名無史さん 投稿日:2005/08/03(水) 08:07:39
>岩倉具視の実の妹、堀河紀子

孝明天皇によって出入り禁止にされていたが。
孝明天皇は晩年は岩倉に近い連中は退けており、岩倉が宮中で工作するのは困難だった。
慶喜寄りの公卿が孝明天皇の回りを固めていた。

84: 日本@名無史さん 投稿日:2005/08/04(木) 03:46:25
可能性としては次の3パターン
1.討幕派による毒殺。
2.幕府による毒殺。
3.単なる病死。

当初から毒殺疑惑が広まってた問題だから、
2・3のケースであったなら、
明治政府は当然しかるべき調査をするでしょ。
そして仮に幕府の犯行と分かったら、
鬼の首を取ったように騒ぎ立てたはず。

しかし実際には明治政府は緘口令を敷いてこの問題を厳重に封印する。
これは1の毒殺犯が権力を握った場合に見られる行動。

状況証拠からすると「討幕派による毒殺の可能性が高い」という表現で、
問題ないと思う。

89: 日本@名無史さん 投稿日:2005/08/04(木) 21:38:48
>>84
>3のケースであったなら、明治政府は当然しかるべき調査をするでしょ。
 
ちょっと待て、3なら普通に調査せんだろw

87: 日本@名無史さん 投稿日:2005/08/04(木) 12:45:38
孝明天皇暗殺の風説は明治天皇をコントロールするためにばえらまかれたという説
はどうかな。明治天皇がいうことをきかないと、岩倉あたりが、そういえば先帝の最後
はおいたわし、などとつぶやくわけだ。

92: 日本@名無史さん 投稿日:2005/08/04(木) 22:34:54
維新後宮内省の主流は旧幕臣・水戸藩関係者が多数占めており、
孝明天皇暗殺が事実とすれば何らかの情報を獲得できただろうが、
今のところ何故だかそのような話は聞かない。

98: 日本@名無史さん 投稿日:2005/08/06(土) 18:36:49
薩長の顕官ども(幼帝の頭なでながら)「錦坊や、おとなしくワシらの言うこと聞くんだよ
そしたらお前さんをスターにしてやるさかい、聞かんかったら?そら・・・・・」

102: 日本@名無史さん 投稿日:2005/08/06(土) 22:23:18
>>98
大正天皇の狂、昭和天皇の腰砕けもそれで説明つくな。

99: 日本@名無史さん 投稿日:2005/08/06(土) 18:59:03
なぜ関西弁なのか?

100: 日本@名無史さん 投稿日:2005/08/06(土) 21:42:30
岩倉だからでしょ

103: 日本@名無史さん 投稿日:2005/08/06(土) 22:26:58
岩倉は公家ヤクザ。
生活は極貧で傘貼りや賭場経営でしのいでた。
倒幕の密勅には幕府に対する恨みつらみがこめられてる。

104: 日本@名無史さん 投稿日:2005/08/06(土) 22:29:44
佐々木克氏の「戊辰戦争」(中公新書)に孝明天皇は毒殺された
と、堂々と書いてあります。

107: 日本@名無史さん 投稿日:2005/08/07(日) 11:06:45
>>104
『幕末政治と薩摩藩』(吉川弘文館)の中で佐々木克氏は、
「孝明天皇が悪性の痘瘡で没した」(348頁)と述べております。

また、私が所持している『戊辰戦争』の22版には、
あとがきに追記があり、原口清氏の論文は説得力があるので、
自分が述べた毒殺説は誤りであったことを読者にお詫びすると言ってます。

108: 日本@名無史さん 投稿日:2005/08/07(日) 11:14:51
>>107
誤りの理由はなんとありますか。

115: 日本@名無史さん 投稿日:2005/08/08(月) 00:28:48
>>108
なぜ毒殺説を捨て病死説をとるのか詳細な説明はなし。

122: 日本@名無史さん 投稿日:2005/09/24(土) 18:20:40
孝明天皇の死を解明するのはタブー?
宮内庁が発掘調査認めればいいんだけど絶対無理だな。
仮に毒殺と断定されたら明治維新は陰謀で成り立った事に?

123: 日本@名無史さん 投稿日:2005/09/24(土) 18:25:10
なんだか毒殺説に固守しているが、石井の説かて現代の医者に
所見を見せただけだろ。
奈良本辰也はムチャクチャな事に「その史料は燃えました」
とうそぶいていたからなあ(苦笑


>>122
その話は中村明彦が唱えていたが、わざと出来ない事を
述べるのは小説家の手法だよ(w

131: 日本@名無史さん 投稿日:2005/11/17(木) 20:39:44
孝明天皇の死の最大の受益者は誰かということと、状況証拠から、黒幕は明らかである。

111: 日本@名無史さん 投稿日:2005/08/07(日) 12:57:20
孝明天皇暗殺は発掘調査すれば真実が分かる。宮内庁は発掘許可絶対に認めないだろうけど……闇は永遠に………

引用元: ・【体制側テロ・反体制側テロ】幕末のテロ





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