1: 日本@名無史さん
安房守、伊豆守、主計守、等々どっから決まるの?








8: 日本@名無史さん
室町時代
左馬頭は、足利氏の家督相続者が初めて任官する際に用いられるものとして
認識されており、そのために他家の大名が望むことも、叙任されることもなかった。
また右京大夫は細川氏の帯びる官で、他の者には決して許されなかった。
細川氏こそが足利将軍家を推戴する実質上の権力者であったという事実が、
官位制度にも反映していたということであろう。
それ以外の官は、金を持参してくる大名小名に見境なく授与されており、
まさに朝廷が行う一大セールのようでもある。

9: 日本@名無史さん
成る程、室町時代の状況はわかり申した。
んでは、戦国時代は?同じような状況なの?

12: 日本@名無史さん

ちなみに戦国時代は・・・
勝手に名乗っている奴が殆ど。
武田信玄など有力大名とその家臣の場合は将軍から正式に拝領していたが、
その場合は先祖になじみのある官位を受けることが多かった。

13: 日本@名無史さん
ふーん、戦国大名の官位ってなんか役得あったの?

14: 日本@名無史さん
戦国時代の官位は朝廷に献金をして買うものだが、
大名にとっては完全な名誉称号で1文の得にもならない
大名のステータスシンボルとしての価値だけ。
ちなみに銭30貫文が相場。

15: 日本@名無史さん
戦国武将で最期まで官位を辞退したのは
関ヶ原の前哨戦であった伏見城篭城で有名な鳥居元忠(家康家臣)。
秀吉が官位を与えようとしたが、「イラネ」と断った。
このように中には官位など欲しがらなかった武将も稀にいた。

17: 日本@名無史さん
信長の場合はどうよ?

18: 日本@名無史さん
>>17
上総介→・・・・→右大臣

最初は従五位下上総介(上総国の次官)。
上総、上野、常陸は親王が守(長官)に任官される為、介に任官。
実質、上総守に任官されたようなもの。
織田上総介信長。

途中は分らん。父親(信秀)は弾正忠だったから信長も任官されているかも。
でも、弾正忠は六位の官だから違うか。

最終的には正二位右大臣。死んだ時は前右大臣。
朝廷の下には付かない、との意味合いを込めて右大臣を辞任している。

19: 日本@名無史さん
上総介も弾正忠も自称だろ?

20: 日本@名無史さん
>>19
そうだった。上総介は自称だ。しかも最初は「上総守」と名乗って
>>17の理由で「上総介」に改めている。
駿河より東の国名を名乗ることで今川義元を牽制する目的があった
という説もある。

本来信長の系列は弾正忠→備後守を名乗っていた家系だそうだ。
そんな訳で弾正忠も名乗っていた。

その後は参議→権大納言→右大将→内大臣→正2位右大臣→太政大臣(追贈)

21: 日本@名無史さん
小栗が豊後守から上野介になってるように
親王任国の介は他の国の守より格上と見られていた

22: 日本@名無史さん
>>21
「他の国の守より」では説明不足
豊後は上国だから国守は従五位下相当。
上野は大国だからそもそも国のランク自体が上。
それに加えて,親王任国なので「介」が「守」に当たり,従五位上相当の官。

24: 日本@名無史さん
官途名が名字になっちゃった人と言えば

小弐氏,常陸大掾氏, ほかに思いつく??

104: うろ覚え
>>24
越後の城氏と鎌倉御家人の城(安達)氏

近世大名と官位については詳しいサイトがあるよ。
受領に関しては、前田家の場合、加賀守と肥後守・筑前守を名乗り
筑前守を名乗る優先順位は、筑前一国の大名黒田家よりも上。
諸侯の進める位階、官職をずら~と書いてあるとこ。

108: 日本@名無史さん
>>104

越後の城氏って、どこの城?
奈良時代の城かな。秋田城介みたいな。

109: 日本@名無史さん
>>108
まさしくそのとおり。
「城」は秋田城介の略。
戦国時代では織田信忠が秋田城介だね。

25: 日本@名無史さん
朝廷の官位じゃないけど、武家の役職としては留守氏かな。

26: 日本@名無史さん
千葉介とか上総介は自称?
それとも正式な官途?

32: 日本@名無史さん
>>26
千葉氏って確かに疑問だった。
千葉なんて国はないが,介は国司の官だし。
ググってみると

>千葉介常重
>千葉氏初代。父は平常兼。母は常陸大掾家の一族・鳥海三郎忠衡の女。
>官位は正六位上・下総権介、千葉庄検非違使所。通称は千葉介。

下総国千葉郡にあった荘園を鳥羽院に寄進して荘官になったらしいのだが,
「千葉庄の領主であり,かつ当国の権介である」の意なのかな??

次第に介が省略されて,千葉氏となっていくのだが。

33: 32
あー変な文章になった。

下総国千葉郡にあった土地を鳥羽院に寄進して,その荘園の荘官になった

と書くべきだった。

27: 日本@名無史さん
すいません、昔から疑問だったんで詳しい人いたら教えてほしいんですけど、
侍が勝手に官名なのる場合、どうやって決めてるの?
単純に高位のを選んだりカッコいい官名とったりしてたら、
だいたい皆が同じような名前になっちゃうよね?

28: 日本@名無史さん
>>27
勝手といっても基準があります。
鎌倉武士が多く任官した衛門尉や兵衛尉クラスとか。
せいぜい五位クラスとか。
先祖にいわれがあるとか。
現代でもそうでしょ?

41: 日本@名無史さん
>>1の「主計守」に礼儀として突っ込んでおきます

43: 日本@名無史さん
失敬、主計頭が正解ですね。

52: 日本@名無史さん
中村主水も自称ですか?

53: 日本@名無史さん
>>52
自称。
つーかそもそも官職じゃないじゃん。

55: 日本@名無史さん
主水正なら官名、主水ならただの通称。

56: 日本@名無史さん
早乙女主水介はどっちなんだろう

57: 日本@名無史さん
介は国司の次官なので、中央の官職名には使わない。
だから、単なる通称でしょう。

58: 日本@名無史さん
主水司の次官なら「主水佑」と書くはずだし
従五位下以上の位階を受けていないと官途名は名乗れないが
彼は無官のはず。

66: 日本@名無史さん
近世においては、越前守などの官途名は通称に過ぎません。
位階を与えられているかどうかがポイントです。

67: 日本@名無史さん
どなたか「佑」について詳細解説を希望

68: 日本@名無史さん
佑は三等官ですね。
近世においては、左衛門尉、左近将監、弾正忠など三等官の官途名を名乗ることもありますが
主水佑など司の三等官を見た記憶がないです。

ちなみに柳川藩立花家は代々左近将監を名乗りますが
四品、侍従に任ぜられる、家格の高い家柄です。

70: 日本@名無史さん
ほう、家柄で決まっちゃうの?

71: 日本@名無史さん
>>70
お書きになっていることの意味がよくわかりませんが。
ある家がある官途名(先祖ゆかりの場合が多い)を代々使うのはよくあることです。

72: 日本@名無史さん
江戸時代は家格がはっきりしてる。
当主は代々
はじめがなにで 極位がなにって決まってるでしょ。

73: 日本@名無史さん
位階がポイントと書いた私の書き方も正確ではないですが
>極位
これも正確ではないですね。
近世武家官位の序列は
太政大臣-左大臣-右大臣-内大臣-大納言-中納言-宰相(参議)-中将-少将-侍従-四品-諸大夫(従五位下)
となっており、位階と官職が混在しているところに特色があります。

76: 日本@名無史さん
大名旗本 代々当主官途名シリーズ1

初代 井伊直政 従四位下 兵部大輔
二代 井伊直勝 従四位下 兵部大輔
三代 井伊直孝 正四位上 左中将
四代 井伊直澄 従四位下 左少将 掃部頭
五代 井伊直興=直治=直該 正四位上 掃部頭 左中将
六代 井伊直通 従四位下 掃部頭 侍従
七代 井伊直恒 従四位下 掃部頭 侍従
八代(再) 井伊直興 正四位上 掃部頭 左中将
九代 井伊直惟 従四位下 左少将 掃部頭
十代 井伊直定 従五位下 掃部頭
十一代 井伊直※(示篇に是) 従五位下 掃部頭
十二代(再) 井伊直定 従五位下 掃部頭
十三代 井伊直幸 従四位下 掃部頭 侍従
十四代 井伊直中 従四位下 掃部頭 侍従
十五代 井伊直亮 従五位下 掃部頭
十六代 井伊直弼 従四位下 掃部頭 侍従
十七代 井伊直憲 従四位上 左近衛権中将

77: 日本@名無史さん
>>73に書いたように四品は侍従のひとつ下の序列になりますので
侍従以上に任ぜられた者については、位階を書く必要はないと思います。
なお『諸侯年表』によると
直通・直定は左少将、直惟・直幸・直中・直亮は左中将、直弼は権中将に任ぜられています。
また直憲も掃部頭を称しています。

80: 日本@名無史さん
大名旗本 代々当主官途名シリーズ2

常陸笠間藩
初代 浅野長重 従五位下 采女正
二代 浅野長直 従五位下 内匠頭

播磨赤穂藩
初代 浅野長直 従五位下 内匠頭
二代 浅野長友 従五位下 采女正
三代 浅野長矩 従五位下 内匠頭


続いてたら采女正・内匠頭交互になってたかなぁ

81: 日本@名無史さん
内匠頭って従五位上じゃなかった?

82: 日本@名無史さん
>>81
近世武家官位は律令制下の官位相当とは無関係です。

83: 日本@名無史さん
質問
> 官名は通称

そこは理解しました。
ところでその官名は,一応 申請→認可 の形をとるのですか。

たとえば
「うちは代々○○なので,
このたびの新当主も○○の名乗りをしたい」
という申請をするのですか。

92: 日本@名無史さん
>>83
藤田氏の論文を見てみました。
従五位下などの位階を授けられると
授けられた側は幕府に「○○守と名乗りたい」という改名の願書を老中に提出し
老中から許可が出されるという手順になっています。

96: 日本@名無史さん
>>92
なるほど一応許認可性なんですね。
それで名乗っちゃダメな国守なんかを申請すると
(まあ普通申請前に調べるとか,既に常識なんでしょうが)
上から不許可って言われるんですね。

名乗っちゃダメなのは例えば
武蔵守=将軍居住地だから

国持ち大名家の国はその大名に独占権がある。
薩摩守・大隈守=島津家以外はダメ
土佐守=山内家以外はダメ

大老になれる家も独占
雅楽頭=酒井家
掃部頭=井伊家

御三家だと
右衛門督=尾張家
常陸介=紀伊家

84: 日本@名無史さん
大名旗本 代々当主官途名シリーズ3

讃岐高松藩

初代 松平頼重 正三位 讃岐守 左近衛権少将
二代 松平頼常 従四位下 讃岐守 左近衛権少将
三代 松平頼豊 従四位下 讃岐守 左近衛権中将
四代 松平頼桓 従四位下 讃岐守 侍従
五代 松平頼恭 正三位 讃岐守 左近衛権中将
六代 松平頼真 従四位下 讃岐守 左近衛権中将
七代 松平頼起 従四位下 讃岐守 左近衛権中将
八代 松平頼儀 従四位上 讃岐守 左近衛権中将
九代 松平頼恕 従三位 讃岐守 左近衛権中将
十代 松平頼胤 正四位下 讃岐守 左近衛権中将
十一代 松平頼聡 従二位 讃岐守


歴代もれなく全員が封地である讃岐守の名乗り
「もれなく全員」の家というのは案外珍しい

91: 日本@名無史さん
大名旗本 代々当主官途名シリーズ4

三河 西大平藩

初代 大岡忠相 従五位下 越前守
二代 大岡忠宜 従五位下 越前守
三代 大岡忠恒 従五位下 越前守
四代 大岡忠與 従五位下 越前守
五代 大岡忠移 従五位下 越前守
六代 大岡忠愛 従五位下 越前守
七代 大岡忠敬 従五位下 越前守

七代全員大岡越前
(旗本の系図ってWEB上に見つからないもんだね。忠相以前がわからん)

99: 日本@名無史さん
大名旗本 代々当主官途名シリーズ5

安芸 広島藩

初代 浅野長晟 従四位下 但馬守 侍従
二代 浅野光晟 従四位下 安芸守 左少将
三代 浅野綱晟 従四位下 弾正大弼 侍従
四代 浅野綱長 従四位下 安芸守 侍従
五代 浅野吉長 従四位下 安芸守 左少将
六代 浅野宗恒 従四位下 安芸守 左少将
七代 浅野重晟 従四位下 安芸守 左少将
八代 浅野斉賢 従四位下 安芸守 侍従
九代 浅野斉粛 従四位下 安芸守 少将
十代 浅野慶熾 従四位下 安芸守 侍従
十一代 浅野長訓 従四位下 安芸守 侍従
十二代 浅野長勲 従四位下 安芸守 左近衛少将,正二位 権中納言


別に封地だからと遠慮しない例。
むしろこういうほうが普通。

103: 96=98=99=101
大名旗本 代々当主官途名シリーズ6

阿波 徳島藩

   蜂須賀家政 従五位下 阿波守
初代 蜂須賀至鎮 従四位下 阿波守
二代 蜂須賀忠英 従四位下 阿波守
三代 蜂須賀光隆 従四位下 阿波守 侍従
四代 蜂須賀綱通 従四位下 阿波守 侍従
五代 蜂須賀綱矩 従四位下 淡路守 侍従
六代 蜂須賀宗員 従四位下 淡路守 侍従
七代 蜂須賀宗英 従四位下 阿波守 侍従
八代 蜂須賀宗鎮 従四位下 阿波守 侍従
九代 蜂須賀至央 不詳
十代 蜂須賀重喜 従四位下 阿波守 侍従
十一代 蜂須賀治昭 従四位下 阿波守 侍従
十二代 蜂須賀斉昌 従四位下 阿波守 侍従
十三代 蜂須賀斉裕 従四位上 阿波守 参議
十四代 蜂須賀茂韶 従四位上 阿波守 侍従

もう一例
 
なんか同時書き込みしてどれが誰のレスだか

93: 日本@名無史さん
その○○守って封地と無関係でも良いのですよね?
なんでもあり何ですか?

94: 日本@名無史さん
>>93
むしろ封地と関係あったらマズイ。
幕府から認めてもらったんじゃなくて朝廷から認められた領地のようになってしまい気まずくなってしまうので
封地と関係ある官位は遠慮するのが常識だった。

95: 日本@名無史さん
>>94
近世武家官位制研究の第一人者である堀新氏は
領国支配の正当性の根拠とする官位の在地効果説を否定している。

97: 日本@名無史さん
効果のあるなしと関係なく幕府に対して遠慮するってことだよ。

100: 日本@名無史さん
>>97
すでに官位を授けられている者が別の受領名に改名する場合
全く朝廷は関与しないことを藤田覚氏が明らかにしている。
したがって位階はともかくとして
受領名を朝廷から与えられたという認識を
大名あるいは幕府が持っていたかどうかは疑問だ。
だから

>朝廷から認められた領地のようになってしまい気まずくなってしまう

こういうのはあり得ないことだと思う。

105: 日本@名無史さん
近世大名と官位については詳しいサイトがあるよ。
受領に関しては、前田家の場合、加賀守と肥後守・筑前守を名乗り
筑前守を名乗る優先順位は、筑前一国の大名黒田家よりも上。
諸侯の進める位階、官職をずら~と書いてあるとこ。

ちなみにソコに拠ると極官の序列は
将軍家>尾張・紀伊>水戸>前田>御三卿>尾張・紀伊の嫡子・喜連川>会津・島津・伊達>以下略

106: 日本@名無史さん
>>105
喜連川は無位、官名は自称のはず。

110: 日本@名無史さん
大名旗本 代々当主官途名シリーズ7

下野 喜連川藩

初代 喜連川国朝 右兵衛督
二代 喜連川頼氏 左馬頭
三代 喜連川尊信 右兵衛督
四代 喜連川昭氏 左兵衛督
五代 喜連川氏春 右兵衛督
六代 喜連川茂氏 左兵衛督
七代 喜連川氏連 右兵衛督
八代 喜連川恵氏 左兵衛督
九代 喜連川彭氏 左兵衛督
十代 喜連川煕氏 左馬頭
十一代 喜連川宜氏 左兵衛督
十二代 喜連川縄氏 左馬頭
十三代 喜連川聡氏 左馬頭


実高5千石で10万石格


>>106
江戸時代の大名では「自称」はありえないのでは。
92の内容からすれば,幕府公認の通称ということではないかと。

111: 日本@名無史さん
>>110
徳川実紀には喜連川氏に対する官位叙任の記事は一切出てきません。
したがって幕府が改名を許可したものではなく、自称なのです。

112: 日本@名無史さん
高家旗本とかってみんなそんな感じなの?

113: 日本@名無史さん
高家の官位はホンモノだろ?いちおう朝廷相手の仕事なんだから。

114: 日本@名無史さん
喜連川氏は、朝廷相手の仕事をしているわけではありません。
武鑑を見ると正徳期までは無位の高家として扱われており
享保期以降は10万石格の大名として扱われていますが、無位です。

115: 日本@名無史さん
なるほど。
無位の高家もあったのね・・・

116: 日本@名無史さん
(文政5(1822)年文政武鑑より)というのが検索ヒットした

高家
大沢右京大夫基之 従四位上侍従(高家肝煎) 3550石
戸田備後守氏倚 従四位上侍従(高家肝煎) 2000石
中条河内守信義 従四位上侍従(高家肝煎) 1000石
宮原弾状大弼義周 従四位下侍従 1140石
織田豊後守信順 従四位下侍従 700石
畠山飛騨守義宣 従五位下侍従 3100石
上杉中務大輔義長 従五位下侍従 1496石
由良播磨守貞陰 従五位下侍従 1000石
今川刑部大輔義用 従五位下侍従 1000石
横瀬駿河守貞征 従五位下侍従 1000石
前田信濃守長粲 従五位下侍従 1000石
大沢修理大夫基休 従五位下侍従 600石
武田左京大夫信典 従五位下侍従 500俵

表高家
畠山左衛門基利 5000石
織田主殿信味 2700石
織田大膳長孺 2000石
六角頼母 2000石
日野岩丸 1530石
京極采女高正 1500石
吉良中務義房 1425石
長沢大蔵資言 1400石
前田繁之助長晧 1400石
大友左京義智 1000石
土岐■之助 700石
有馬繁丸 500石
品川内記 300石

122: 日本@名無史さん
少弐氏や大友氏竜造寺となった大蔵氏ってなんなの?やはり大蔵大輔の役職名?を授かった名族だったのかな?

話題とまったくかけ離れるが・・・。おせ~て

124: 日本@名無史さん
>>122
大蔵氏とは自称中国系の帰化人で、秋月やら原田やらの御先祖さん。
少弐やら大友やら竜造寺は大蔵氏系ではない。

127: 日本@名無史さん
>>122
『古語拾遺』によると、大蔵の管理にあたった漢氏に「大蔵」と賜姓したのがはじまり。

128: 日本@名無史さん
国持大名とかの大大名の位階を見ても、親藩とか前田を覗けば
せいぜい従四位止まりだよね。
従四位の公家とゆーと、公家で言うと中の中から中の下くらいと思うけど
大大名であるかれらは、朝廷や公家からは位階が同等である中流公家並に
扱われていたのだろうか?それとも武家に公家とは違う基準が朝廷や公家社会
にはあったのでしょうか?

129: 日本@名無史さん
もちろん武家の官位は本来の官位の員数外ですが、基本的には同等です。

130: 日本@名無史さん
>>129
そうなんですか。仮に清華家とか大臣家の公家と御三家の藩主が同席するような
場面があったとしたら、御三家の藩主が下座についていたのですね。
ただ 清華家、大臣家の公家には尾張殿とか紀伊殿の上座につく勇気は
無さそうですが(笑)。

132: 日本@名無史さん
大名旗本 代々当主官途名シリーズ8

大和 小泉藩

初代 片桐貞隆 従五位下 主膳正
二代 片桐貞昌 従五位下 石見守
三代 片桐貞房 従五位下 主膳正
四代 片桐貞起 従五位下 石見守
五代 片桐貞音 従五位下 主膳正
六代 片桐貞芳 従五位下 石見守
七代 片桐貞彰 従五位下 主膳正
八代 片桐貞信 従五位下 石見守
九代 片桐貞中 従五位下 主膳正
十代 片桐貞照 従五位下 石見守
十一代 片桐貞利 なし
十二代 片桐貞篤 従五位下 主膳正


御存知片桐且元の弟片桐貞隆の系統
別段,家系交互相続というわけでもなく,
きれいに 石見⇔主膳 が交互です。

十一代はお目見え前に死亡とかなのかな(推測)

133: 日本@名無史さん
>>132
お目見えと官位叙任は全く別の問題です。

134: 日本@名無史さん
言葉も出来事もよく知らんのだ。すまんすまん。
まあ要するに当主として名乗りはあげたけど
その叙任を受ける前に死んだということでよろしいか。

ところで,
2つの家系が交互に相続してる家があったような気がするのだが
どこのどちらさんか御存知ありませんか。

135: 日本@名無史さん
>>134
通常は家を継ぐかなり以前にお目見えは済ませます。
そして家を継いだからといって、すぐに官位に叙任されるわけでもありません。

137: 日本@名無史さん
>>135
「こちらがうちの跡継ぎでございます」って感じでお目見えするわけなのね。
そういえば徳川吉宗が将軍綱吉にお目見えしたドラマを見た覚えがある。
家を継いでから叙任されるまでって,普通どれくらいの期間がかかるもんですか?

138: 日本@名無史さん
>>137
家督を継いでからの年数で決まるのではなく
だいたい元服する頃には官位に叙せられます。
したがって家督を継ぐ前にすでに叙任されていることもしばしばあります。

146: 日本@名無史さん
尾張藩の別家だった川田久保松平家の場合
元服すると御目見得になって松平姓を賜り
約2ヶ月後に位階と官位を貰ったそうだ

156: 日本@名無史さん
江戸以前、正式な任官の推挙は具体的な官名を挙げて頼むものなんですか?
また、位階や官職ごとに付け届けの金額は決まってたんですか?

157: 日本@名無史さん
>>156
時代ごとに違いますしケースバイケースですけど、
任官は志願者のほうから申し出るのが原則です。
付け届けについても必要な場合と不要な場合とがあります。
もともと不要なんですが、必要な場合の金額は決められていました
ちなみに戦国時代には天皇に銭30貫献上したそうです。

178: 日本@名無史さん
「武家の官位は、三家大中納言といえども、将軍家よりおおせつけられる。
その後、京都所司代へ位記口宣のことを頼み、頂戴する例である。だから、
位記口宣を持たずに、それぞれの官位を名乗ることになる。御三家の官位
は、上意にて任ぜられ、諸侯のそれは、老中列座、官位上意の趣を通達す
ることになる」(林董一「将軍の座」より再引)

朝廷から位記口宣を受ける前(形式論では私称にあたるのか?)でも、将
軍から与えられた時点で正当な官位として認められていたということのよ
うですね。
 
もっとも、「幕末の宮廷」あたりを読むと、公家は位記口宣などめった
に貰わなかった(貰うのに金がかかるから)とか、だから律儀に位記口宣
を出してもらう武家は上得意だったとかということのようですが。

引用元: ・官名ってどうやって決まるの?