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1: 世界@名無史さん
なかったのでたてました。








7: 世界@名無史さん
数百年間、膠着状態にあった戦線に異常発生!
諸王の王を名乗るアンコール朝を属国化し、我が世の春を謳歌していたアユタヤ朝に、ビルマ軍が侵攻する!

皆殺しにされるアユタヤ王家、徹底的に破壊される王都アユタヤとともに、シャムはまさにビルマの支配下に入ろうとしていた。

しかし、ビルマ軍によるアユタヤ殲滅のさなか、ただ1人シャム軍の一隊を率いて難を逃れた将軍がいた。その将軍の名は、タークシン。
当時まだ街の様相をなしていなかったバンコクに転進したタークシンは、機を図ってビルマ軍が占領するアユタヤに奇襲攻撃をしかけた!

9: 世界@名無史さん
タークシンの奇襲は成功!

アユタヤ殲滅によって油断していたビルマ軍は総崩れとなって、国境まで退却を余儀なくされた。

凱旋将軍としてアユタヤに入場したタークシン将軍だったが、彼はそこで愕然とした。
東洋のロンドンとも歌われた都アユタヤは、ビルマ軍によって完全に破壊し尽くされていたのだ。

焼かれた王宮、崩された仏塔、首を切り落とされた仏像群・・・。

"アユタヤは終わった・・・"
崩壊したアユタヤはもはや対ビルマ軍の拠点として機能しないと判断したタークシン将軍は、アユタヤを捨て、バンコクへ戻り、かの地をあらたなるシャムの本拠地とすることにした。

しかし、国境に退却したビルマ軍は、シャム国内への再侵攻の機会を常にさぐっているのだった・・・

10: 世界@名無史さん
現在のバンコク、トンブリー地区を拠点としたタークシンは、アユタヤ王家が断然したこともあり、部下たちの圧倒的な支持のもとに王に即位した。
これが世に言う、タークシン朝である。

一度退却したビルマ軍は、その後何度も国境を越えてシャム国内に侵入した。
しかし、タイ史上最高の軍事的天才と後に賞賛されることとなるタークシンは、巧みな用兵でもはやビルマ軍を王都に近づけることはなかった。

何度目かの国境侵犯以降、ビルマ軍はシャムへの進軍を止めるようになった。
度々の進軍が王朝の財政を疲弊させたためだろう。

ビルマ軍を退けたタークシンは、チャオプラヤ側のトンブリー側に、ワット・アルン、即ち暁の寺を建立した。

朝焼けの光を浴び、白く輝くワット・ワルンの仏塔を眺めることで、シャム人たちも、国が再び安定期に入ろうとしていることを悟っただろう。

滅亡の淵から、タイ人独立国家を守ったタークシンを、人々は大王と呼ぶようになった。

タークシンがそのまま"正常に"国王として君臨していれば、彼はタイ史上最高の名君と称えられ
たことだろう。

しかし、歴史は彼に皮肉な最期を用意したのだった・・・

12: 世界@名無史さん
皮肉なことに、タークシン大王は、混血児であった。
タイ人の独立を守った英雄タークシンであったが、彼の支持層は、華僑とイスラム教商人であった。
彼は自分を支持してくれた、多くの華僑やイスラム教徒たちを宮廷官僚として招聘した。

このことは、アユタヤ朝以来の伝統あるタイ人貴族たちの反発を呼んだという。

ここからは、タイ史の闇に属することになる。

タイ人貴族たちからの反発を受けるようになったタークシン大王は、突如"乱心"を起こしたという。
出家の身でもないのに、
「私は、阿羅漢(悟りを開いた人)の前段階まで達した」
と大言壮語し、国内の高僧を王宮に集め、
「私に例をつくせ!」
と命令したと伝えられている。

タイ人は仏教を厚く信仰している。
たとえ国王であろうとも、高僧に礼を尽くさせることは認められない。

ある高僧が王命を拒否したことを契機に、タークシンは集めた高僧5000人を鞭打ちの刑に処したと
いう。

タークシン王の右腕であったプッタヨートファチュラーロークがクーデターを起こしたのは、この時だった。彼は、タークシン王を幽閉した後、「乱心」を理由に彼を処刑、自らが王位についた。
彼こそが、今日ラーマ1世と言われる、現タイ王朝であるチャクリー朝の創始者である。

ラーマ1世即位の後、王朝は純タイ色を強めたという・・・

希代の英雄タークシンは、「乱心」を理由に部下に処刑されて、その生涯を終えた。
しかし、彼は本当に乱心したのだろうか?
タークシンの乱心、それは、混血児を王としていただくことを拒否した純タイ人有力者たちの謀略でなかったかという気もしてくる。

しかし、真相は闇の中だ。


今日、タイには王室不敬罪が存在し、王室を批判することは禁止されている。

424: 世界@名無史さん
トンブリ王朝のタークシンは「中国人」ていうけど
どこの中国人なんだろうね?
大理国の中国人なら結局タイ人じゃん。

それに江南の中国系言語でいちばん古いのは
黒タイ語ともいうし、むしろ中国人がタイ人の子孫?

425: 世界@名無史さん
>>424
タイの華僑の大半が広東省潮州の出身だと言われている。

427: 世界@名無史さん
>>425

潮州人の移入は18世紀以降だろ?

近世の移住以前の話ではどうなんだ?

428: 世界@名無史さん
乏しい史料からタイ諸族の南下の足跡を
たどるのはかなり難しい作業だろうな。

467: 世界@名無史さん
華僑もタイに代々いると、勤勉さなくしたりするらしいね。
おまけにマライ人と違って容貌も中国人に近い。

468: 世界@名無史さん
>>467
もともと潮州人だからね。
同じ華僑と言ってもちょっと違う。

労働観がどうこうと語っているのは主にワーカーのことだね。
資本家層は中国人そのもの。
タイは中国人に乗っ取られた国だから階級と人種がセットで違っている。

469: 世界@名無史さん
>>468
タイの場合、他の東南アジア諸国ほど華僑排斥が激しくなかったのは
なぜ?

470: 世界@名無史さん
>>469

なにをおっしゃるやら。
一時華僑排斥は激越だったよ。ビブン首相の頃なんかね。
いまでも原住民タイ人は「中国人は嫌いだ」と中国系タイ人を嫌ってたりする。
ただし、もともと王家が招聘した経緯もあるし、移民時期が古くタイの国民国家化以前に定着していたということが大きいんじゃないだろうか。
我らタイ人という意識が出来たときには既に中国人は普通に混じっていたから。

473: 世界@名無史さん
「東洋のユダヤ人」を書き華僑排斥の先頭に立った国王自身が
誰よりも中国人の血が濃かったのは歴史の皮肉

474: 世界@名無史さん
ユダヤ人の場合、同化しなかったのはユダヤ教という宗教のせい。
華僑にとって、ユダヤ教にあたるものは何なの?

477: 世界@名無史さん
>>474

血統意識だ。

そしてその究極は黄帝の子孫であるという所謂中華意識。

479: 世界@名無史さん
印僑と比べればぜんぜんタイに溶け込んでるよ

483: 世界@名無史さん
つーか華南一帯は元々南方系の血が強いんじゃ。
見てくれも東南アジアの連中と変わらない奴大勢いるし、
先祖はタイ人とかベトナムも多いだろ。
秦以下本格的に北方系が南下して混血するまでは
項羽とか孫子とか屈原とか中国史に残るいろんな人材生んでるわけだが、
外見は地黒で彫り深く身長低めな感じだったはず。
溶け込めてるのも先祖帰りというか、文化習俗が親近性あるから。

484: 世界@名無史さん
>>482

言語系統上もツングース系がまじった今の北京語よりタイ語のほうが古代の中国語の形質を残しているという説もあるね。

726: 世界@名無史さん
>>484
>ツングース系がまじった今の北京語よりタイ語のほうが
>古代の中国語の形質を残しているという説もあるね


つーか逆だろ。
広東語の基層に古タイ語の形質が残ってて
その上に古代の中国語が乗っかってる。

485: 世界@名無史さん
古代の「中国語」?

488: 世界@名無史さん
>485

江南系諸語のことと思われ

489: 世界@名無史さん
南詔や大理を建国したのはタイ系の民族?

490: 世界@名無史さん
そうです

501: 世界@名無史さん
>>490
大理国はたしかタイ系だったが、南詔は違ったような気がするがな。

502: 世界@名無史さん
南詔は「六詔」。大理は白族。

だけど「六詔」と白族(タイ系)の関係が良くわかない。

http://www.asia-photo.net/yunnan/yunnan.html

496: 世界@名無史さん
タイの外交が上手いって評判らしいですが、
具体的にはどの辺が上手いのですか?
実例での解説キボン

497: 世界@名無史さん
>>496
「イタリア」・・・・この一言でわかるだろ?

498: 世界@名無史さん
それじゃわからんだろ
18世紀に、東南アジアのほとんどが、
ヨーロッパの植民地になったにもかかわらず
タイはなっていない、
また第二次世界大戦のときも、
大戦中盤まで日本の同盟国だったが
終盤になって連合国につき戦勝国になった
などなど

517: 世界@名無史さん
カーストはないのですよね?

518: 世界@名無史さん
仏教国だから宗教的な身分制度は無いけど、階級社会としての差別はかなりあるよね

520: 世界@名無史さん
東北部のイサーン地方の出身者はバンコクなんかでは差別されるんやろ。

521: 世界@名無史さん
>>520
イサーンではタイの他の地方と違って、娘売りが少ないらしいね。
けっこう堅実な村が多いとか。

525: 世界@名無史さん
「タイは酢(スコータイ朝)で、アユ(アユタヤ朝)は焼いて(バーンコク朝)食え」

って覚えました。受験の時。

527: 世界@名無史さん
タイの王権・国王の神聖視は、
近代に入ってからかえって強くなったの?

528: 世界@名無史さん
そんなわけではない。
王室が敬愛されているのは現国王の人徳によるところが大きい。

529: 世界@名無史さん
立憲国の王様のあるべき姿を体言しているよね。
先進国でもない、資源大国でもない。さりとて近隣国とは歴史上何回も戦火を交えてる。
おまけにヨーロッパ列強にも抗して来た。とゆう歴史が王家のしたたかな政治手腕を
導きだしていると言えますな。

530: 世界@名無史さん
>>528

ミャンマー、カンボジアといった近隣国と比較すると、タイのプミポン国王の
賢さが際立ってしまう。

531: 世界@名無史さん
プミポン国王でぐぐってみると、
この国王様のエピソードいいものばかりだね

532: 世界@名無史さん
タイに行くと、どこの家にも(どこの店にも!)国王の肖像が飾ってあるよな。結構ビクーリした。

あとは、これまたどの家(店)にもある仏塔みたいな仏壇みたいなやつ。

541: 世界@名無史さん 
ところで、フランスももう居ないことだし、ラオスはタイに戻っていいんじゃない?

542: 世界@名無史さん
フランスがインドシナに来るのがあと50年遅れていたら、
ラオスとカンボジアはタイとベトナムの間で分割されて、
今頃は地図から消えてただろうとか言われてるな。

587: 世界@名無史さん
戦前からの独立国のくせに、なんで自力で工業化できなかったの?

588: 世界@名無史さん
やはりフランス、イギリスが妨害したからだろ!

589: 世界@名無史さん
工業化するための元手もないし、市場も未発達だし・・・

590: 世界@名無史さん
熱帯で農業効率が悪かったから。

591: 世界@名無史さん
タイは年中温暖な気候を利用して、米の三期作が可能だから、
世界有数の米の輸出国だったと思うがな。

598: 世界@名無史さん
まあ、南の国だからな
赤道に近ければ近いほど、経済的に遅れているんだっけ
その中では発展してるほうだと

600: 世界@名無史さん
外国からうまく投資を呼び込むのに成功した国が発展する、というだけのハナシだろ。

604: 世界@名無史さん
タイの南部って分離独立派でもいるの?

605: 世界@名無史さん
もともとマレーのスルタンから取り上げた土地だろ>南部

606: 世界@名無史さん
イギリスやフランスが進出してくるまでシャムは今のカンボジアや
ラオスやマレーシアの北部も属国や朝貢国にしてたからな。

676: 世界@名無史さん
タイ南部はイスラム教徒が多く、経済的にも豊か。
そのため風俗業に従事する人は少ない。
でも、いるけれど。

812: 世界@名無史さん
>>676
マレーシア歴史スレにも書いたが,現在タイ南部県となっているパタニ,ヤラー,ナラティワートは15世紀以来の「パタニ」というイスラーム大国。17世紀にはマレー半島中部の交易船センターだった。
日本にやってきた唐人船もバタニにたちよって,現地情報を日本にもたらしている。そのころから,すでにパタニはシャムに対して「独立」の戦いをやっている。

パタニが豊かだったのは19世紀半ばくらいまでで,その後はタイの辺境地域として経済的には華人系タイ人(代表がソンクラー)の資本にほとんど吸い上げられている。裕福なのは資本家と街の商人で,農村部のマレー系はまずしい。
 
4月28日の南タイでのムスリムの襲撃事件の背景には,長い分離独立派の活動と貧富の差という事情がある。南タイは1950年代、1970年代にもテロが頻発したが,日本で報道されていないだけ。
 
タイ=マレーシアの国境には,東北からの入植者と出稼ぎ者がおり,風俗業に従事する東北タイ出身者もいる。その客はほとんどマレーシア側から入ってくる。しかし,女性の中には南部で結婚してムスリムに改宗している例もある。

814: 世界@名無史さん
>>812
麻薬組織の手先になる若者も多いそうな。

789: 世界@名無史さん
タイってアジアで唯一、植民地や敗戦を経験してない国?

834: 世界@名無史さん
>>789

敗戦は何度も経験しています。
タイ国は何度もビルマに攻め込まれ、特にアユタヤ朝は惨い滅ぼされ方しました。
アユタヤ王朝

アユタヤ王朝(1351年 - 1767年)は現タイの中部アユタヤを中心に展開したタイ族による王朝。創設者はラーマーティボーディー1世(ウートーン王)。王統は一つではなく、隣国の征服や重臣の簒奪で、5つの王家にわかれる。

タイに起こった各時代の王朝同様、中国とインド、ヨーロッパ方面を結ぶ中間に位置する地の利を生かし、貿易が国の富として重要であった。
、1767年にはシンビューシンによって滅亡する。このときアユタヤの町は徹底的に破壊されていたため、ビルマ軍が退却した後、新たに王となったタークシンはアユタヤ再興をあきらめトンブリーへと遷都する。


781: 世界@名無史さん
タイのアユタヤ朝がビルマに残酷な滅ぼされ方した話があったが、現在のタイ、ミャンマー関係はどうなんだろうか?

「ミャンマーに謝罪と賠償を要求するニダ」みたいなことはないんだろうか?

815: 世界@名無史さん
アユタヤの仏塔群、ビルマの破壊のせいですっかり煤けているな。
往時はビルマパガン朝の仏塔のように輝いていたろうに。

816: 世界@名無史さん
>>815
アユタヤで地主の爺様の葬儀のときは、金箔の装丁の中、お芝居や演奏もしていた。
夜中やってたので一層きらびやかだった。

836: 世界@名無史さん
経済的には逆転したなービルマとタイは

840: 世界@名無史さん
>>836

タイが経済発展したのは中国商人をはじめ外国人に国を売ったから。
ビルマは民族意識が高いから単純な植民地化は拒否したのが逆転の真相。

847: 世界@名無史さん
>>840
陰謀史観ははやりませんぜ。
華僑が東南アジア経済の原動力の1勢力であるのは否定しないが外資や国内に居住する有力氏族や民族集団の投資を助長するのは国策として間違ってはいない。

871: 世界@名無史さん
そもそもタイ人の祖先からして、本来は雲南あたりに住んでいたタイ族だからね。

872: 世界@名無史さん
>>871
タイに紙・傘・笠・麺食をもたらしたのもこのルートでしたね。
そういや南下以前の低地タイの住人はクメール系でしたっけね。
小乗仏教に接したのは今の場所に来住してからのこと? 雲南ですでに帰依していたのかな。

873: 世界@名無史さん
え?麺食は近世に海から来た華僑が伝えたはずだよ。
仏教伝来は知らないが。

882: 世界@名無史さん
華僑というのはいずれ国に帰ることを前提とした呼び名。
根を下ろす人は華人という。

タイへの華人流入の歴史は古いが
清朝崩壊過程で量的に増大した。
とくに王家はライバル諸侯に力をつけさせないため
あえて外国人である中国人に商業を独占させた。
これが華人財閥の期限。

その結果事実上「国」を乗っ取られたわけだが、
バンコク市民の70%には中国人の血が流れていると言われ、
そうなってくると「平均的タイ人」は中国系ということになる。
だから中国系市民にもタイは自分の国という意識。

隣国マレーシアと対照的にタイの中国系市民の多くは
中国語を話せないし自分の名前さえ漢字で書けない。
まあ在日朝鮮人みたいなものだ。

それでも田舎では「中国人」嫌いの「生粋のタイ人」は多く、
バンコクの中国系市民を嫌っていたりする。

そんなにきれい事じゃ世界はわかんないね

883: 世界@名無史さん
現王朝のチャクリ朝を興したラーマ1世が遷都した現首都のバンコクももとは華僑街。
精神に異常を来してラーマ1世に処刑されたトンブリ朝の前国王のタークシンも父親は広東の潮州出身の中国人で母親がタイ人。

現王朝の家系にも中国系の血が色濃いのも公然の秘密。

901: 世界@名無史さん
タイ人は、雲南あたりの少数民族、タイ族の末裔だがタイの最大のライバルである隣国ミャンマーのビルマ族も九世紀頃雲南にあった国、南詔国の末裔なんだな。
ドキュンな支那人の末裔だから、お互い争いあったのか?

928: 世界@名無史さん
>>901

おいおい、彼らを中国人(漢人?)というならいまの漢人はなにものよ?

もともと中原あたりまで彼らの先祖が住んでいた。
それを追い出して居座ったのがいまの「中国人」。
どっちにしろ区別しないと話が混乱する。
それと現在の中国人=中華民族という概念は
孫文が清朝を引き継ぐために創作した民族だから
現在では中国共産党に支配されている民族くらいの意味しかない。
面倒でも漢人といわないと混乱する。
もっとも漢人自体も「民族」じゃないんだけどな・・・

902: 世界@名無史さん
タイはタイ族の国じゃないぞ!モン族の国だ!ドキュソタイ族&華人は出て行け!

903: 世界@名無史さん
モン族はビルマの海岸部じゃないのか?
ビルマ族のアノーヤター王がモン族を征服してパガン朝を興し、
同時に彼らから仏教を取り入れた。

907: 世界@名無史さん
パガン朝は元の侵攻で大混乱に陥り、結局滅びた。
パガン最後の王は俗に「タヨウピエー王」と呼ばれる。
直訳すれば「支那人から逃げた王」。

パガン王朝

パガン王朝(849–1287)は現在のミャンマーに存在した、ビルマ族最初の王朝である。ビルマ語による年代記(ビルマ語王統史)での雅称はアリー・マッダナ・プーラ(征敵の都)である。首都はパガン。


ナラティーハパテ

ナラティーハパテ(? - 1287年、在位1254年 - 1287年)は、パガン朝の第11代国王。

パガン朝期に寺院に奉納された碑文では正式な名であるナラティーハパテと表記されるが、17世紀末に編纂された年代記『出生票集王統史』には「モンゴルから逃げた王」という意味を持つタヨウピイェーという名で記されている。



908: 世界@名無史さん
マルコ・ポーロも見てたんかいな?

909: 世界@名無史さん
「東方見聞録」には、元の騎馬部隊とパガンの象部隊の戦闘の描写があったな。

910: 世界@名無史さん
騎馬部隊に勝てそうにも無いなw

911: 世界@名無史さん
タイとシャムの違いは?

912: 世界@名無史さん
タイはタイ人の自称で「平和」とかいう意味
シャムは周辺民族(クメール人?)の言葉で「野蛮人」の意。

914: 世界@名無史さん
失礼、タイは「自由人」の意味でしたな。

引用元: ・タイの歴史







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