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1: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/06/11(日) 22:01:41 ID:q8wDMrw0
願わくばSage進行でひっそりと語るべし

関連記事真田幸隆・昌幸・信繁・信幸を語るスレ








202: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/09/29(金) 21:25:44 ID:f5F7rVkU
幸村と信玄は会った事があるのかな?
あったとしても幸村は覚えてないだろうけど。

203: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/09/29(金) 21:38:24 ID:W2MFoydh
信玄が没したとき幸村は6歳だから年齢的に微妙。
それに父が側近とはいえ、外様の三男の次男坊に目通りを許すかな。

215: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/10/10(火) 22:52:53 ID:KbjV/7Eh
幸村は1570年生まれ説がある
理由は上杉に人質に出されるとき、元服前で
19歳で元服してないのはおかしいだろうということらしい
まだ弁丸を名乗ってたことを証明する書状があるそうな

229: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/11/12(日) 11:52:49 ID:JMXZp9lA
信綱も昌輝も長篠で討死してなかったら昌幸並に活躍してそうだ

230: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/11/12(日) 12:27:47 ID:mxlxWG5S
実際、信濃衆束ねたり、百足衆に名を連ねたりで、すでに才を発揮してたからな。

233: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/11/14(火) 02:27:03 ID:TCqlIFzs
実際は武勇ばかりの信繁より、
信之の方が苦労したんだろうなあ。

それでも憎みあってたわけじゃなく,
きちんと兄弟として情もあったようだし。
互いにやるべきことをやったんだろうなあ。

ただ、信之はもっと評価されてもいい存在だろうが。

235: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/11/14(火) 06:39:09 ID:ykcedjc+
>>233
真田親子兄弟の仲のよさはいいよなw

239: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/11/14(火) 10:33:09 ID:zLVlePrN
信之は充分評価されてると思うけどな
ゲームでも充分強い(というか妥当な能力値だし)
父と弟が過剰評価だから、兄も過剰評価しようってのは賛成しかねる

240: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/11/15(水) 00:47:33 ID:7wBB+ZSG
信之以降の真田氏の系図どなたか載せて下さい
養子が何代もあるみたいなんですけど、信之の血は繋がっているんでしょうか?

241: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/11/15(水) 01:31:39 ID:f3PhYmnU
>>240
ほい。明治時代まで残ってるということは現在まで残ってるんじゃないかな
http://ja.wikipedia.org/wiki/真田氏

こういう家系図はウィキにたくさんあるけど(徳川はじめ)書いた人は凄いわ。大変だったろう。

247: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/11/15(水) 12:17:12 ID:6ZOFRQwx
真田家って江戸時代は譜代大名で老中まで出してたのか!

248: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/11/15(水) 15:54:27 ID:zTsj+Yd0
譜代になれたのは、小松姫のお陰だな。
ただ老中になれたのは、当人が養子で将軍の曾孫だったからだろうね。
小松姫

小松姫(こまつひめ、天正元年(1573年) - 元和6年2月24日(1620年3月27日)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての女性。上田藩、のち松代藩の藩主・真田信之(信幸)の正室。徳川氏譜代家臣の本多忠勝の長女(第1子)で、母は側室の乙女。

各種史料を基にすると、上田合戦における真田の軍略に惚れ、また恐れた忠勝が真田家を取り込むため、家康に自らの娘を嫁がせることを提案。それに対して家康は、上田合戦後に面会した信之(当時は信幸)の器量に感じ入っており、自陣営の武将として取り込んでおきたいという思いがあったことから快諾、小松姫を自らの養子(一説には秀忠の養子)として、真田家へ嫁がせることとしたようである。


320: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/11/26(日) 17:21:23 ID:wtZonjcb
松代藩の第10代(最後)の藩主真田幸民って真田家の血入ってないよな
どう調べても信之とのつながりがない
http://www.weblio.jp/content/真田幸民

現在の真田家当主も幸民の子孫。つまり偽真田氏

328: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/11/27(月) 15:06:57 ID:a+RRFLx5
>>320
7代藩主幸専が彦根藩井伊氏からの養子、8代幸貫は松平定信の子
でのちに譜代扱いになり老中になる。

332: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/11/28(火) 13:52:49 ID:XeikZY8T
真田信之の子孫っていないの?
偽子孫が当主になっちゃってるし(´・ω・`)

333: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/11/28(火) 17:11:49 ID:4DkNXUeX
流石に直系数代のうちに嫁にいった娘の系統も辿っていけば、どこかしら残ってるでしょ。

334: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/11/29(水) 08:10:26 ID:fwFN5xFj
偽とか言ってるけど、そうやって継いでくれなければ真田家そのものが無くなっていたわけで

335: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/11/29(水) 08:15:14 ID:xP1Fhq5T
ならば真田の血を引く者が家を継ぐべきだった
そもそも信之の男系の子孫っていないのか?

338: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/11/29(水) 12:10:52 ID:qcjCczHi
>>335
江戸期の大名なんてみんなそんなもんだろ。
藩は会社みたいなもんなんだから後継者がいなくて藩が改易されるより
有力大名や幕閣の息のかかった後継者が来たほうがお家も安泰。

日本の文化じゃそう言うのは偽者とは言わんのよ。

336: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/11/29(水) 09:35:47 ID:IyqbrpXG
沼田藩とか勝手に馬鹿やって改易されてるんでしかたあるまい。
いわゆる末期養子じゃなく、藩主が健在のうちに
後継者として取った養子なんで、別に異常でもなんでもない。

337: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/11/29(水) 09:44:00 ID:IyqbrpXG
他には阿波の蜂須賀氏なんかがこのパターン。
上杉氏なんかも到底、謙信の子孫とは言いがたい血筋になってるし。

沼田藩が存続してればそちらからという可能性もあったろうけど。

342: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/12/01(金) 16:26:42 ID:Mt2EYQde
>>337
謙信の場合、血筋といっても実子はおろか結婚すらしていないんだから仕方が無い。
それでも長尾家の血筋はキチンと受け継がれてるよ。
養子とはいえ景勝は謙信の甥。
3代目米沢藩主が実子がない状態で急死した時も甥が継いでいる。
9代目藩主の鷹山は血縁者といってもかなり上杉の血が薄いので上杉家の人間とはいえないだろうけど、後を継いだ藩主は8代目藩主の実子だから上杉の血は受け継がれてる。
真田家よりは血筋は確かだよ。

339: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/11/29(水) 12:33:02 ID:fwFN5xFj
血筋より"お家"だからねぇ

347: 名無し議論スレにて投票方法審議中 投稿日:2006/12/02(土) 12:02:59 ID:2s5A5+CW
昔、信綱の野太刀を見たよ。
刃こぼれしてて、長篠の激戦を思うと目頭が熱くなった。

348: 名無し議論スレにて投票方法審議中 投稿日:2006/12/02(土) 14:11:04 ID:cdNnmszE
部下の兄弟が持ち帰ったあと、殉死した奴かな。
青江の太刀?

参考http://bunkazai-nagano.jp/modules/dbsearch/page0989.html


349: 名無し議論スレにて投票方法審議中 投稿日:2006/12/03(日) 20:15:10 ID:ZYVq2tCV
>>348
たぶんそれ。
宝物館じゃない所で特別展やってたもんで。刃渡りや由緒からして青江の太刀ですね。

血染めの陣羽織を見たい…

359: 名無し議論スレにて投票方法審議中 投稿日:2007/01/10(水) 19:05:23 ID:sAGdyM16
真田信繁、伊達政宗と同い年っていうのは有名な話だけど
鎮西一の猛将と言われた立花宗茂とも同い年らしい
まさに黄金世代だね

360: 名無し議論スレにて投票方法審議中 投稿日:2007/01/10(水) 19:10:08 ID:IQAjyjdo
松坂世代ならぬ、政宗世代か。

362: 名無し議論スレにて投票方法審議中 投稿日:2007/01/10(水) 22:06:03 ID:mbwucCyu
宗茂世代だろ



真面目に考えたら本能寺の変のすぐ前あたりに元服しとるから本能寺世代か

364: 名無し議論スレにて投票方法審議中 投稿日:2007/01/11(木) 07:00:48 ID:mbORCT1M
塙直之や武田信勝らもその三人と同い歳なんだよな。

365: 名無し議論スレにて投票方法審議中 投稿日:2007/01/11(木) 21:33:04 ID:Q2FxDCWF
信勝もかなり利発だったって話もあるし、
前の3人といい、確かに粒ぞろいな年かもしれん

370: 名無し議論スレにて投票方法審議中 投稿日:2007/02/02(金) 20:51:17 ID:KVfogldJ
想像はしていたけど、やはり殆ど話題にあがらない昌輝カワイソウ…

真田 昌輝

真田 昌輝(さなだ まさてる)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。甲斐武田家の家臣。

甲斐武田家の騎馬50騎持の侍大将。父は真田幸隆で次男。同母兄に信綱、同母弟に昌幸、信尹らがいる。武田二十四将にも数えられる。長篠合戦で奮戦するも戦死した。


391: 人間七七四年 投稿日:2007/02/27(火) 21:39:01 ID:Zgtp8/l7
>>370
松代長国寺の真田家墓所に、幸隆・信綱・昌幸3人一緒の供養碑があるけれど、そこに昌輝の名前はありませんでした。(涙)
長国寺には、幸村・大助親子の大きな供養碑もあります。

408: 人間七七四年 投稿日:2007/03/19(月) 03:26:34 ID:TNsw6VBf
信綱の息子には信興、信光といるらしいけど、なんで武藤家の養子になっていた
昌幸が家督継承したんだろう?

409: 人間七七四年 投稿日:2007/03/19(月) 04:43:06 ID:eOpmEouE
だって何歳だったのよ? 死んだ信綱だってまだ若いべ。長篠から武田は
下り坂だし。育ちきるまで待ってる余裕はあるまい。斜陽君主を戴く家臣
としては、例えば毛利家みたいに叔父が補佐して、、なんてケースとは
違いそうだがな。

410: 人間七七四年 投稿日:2007/03/19(月) 05:39:03 ID:ocEuzrAO
>>409
信綱が死んだのは満38歳。若いといえば若いけど、そこそこの年齢。
ちなみに信綱は幸隆が満24歳のときの子だし、信幸は昌幸が満19歳のときの子。
ってことで、信綱が死んだとき信興は元服していた可能性も高いと
思うんだけど、その辺りどうなんだろ?

411: 人間七七四年 投稿日:2007/03/19(月) 16:46:41 ID:hnLyum3L
ただ長篠終了時だと、昌幸より上の存在が健在だよね。父幸隆 君主勝頼。
勝頼と昌幸は相性悪くなかった気がしたから、勝頼あたりが指図したという
可能性はあるんじゃないだろうか。元々武藤を継いだのも信玄の命だし。

413: 人間七七四年 投稿日:2007/03/19(月) 21:31:02 ID:KvqKk4d0
信興と信光は正直な話、実在しているかどうかも怪しい。
滋野世紀・加沢記などの史料で信綱の娘が信幸の室(加沢記では勝頼の命で、という文がある)
になったという記述もある。
弟の信昌も加津野家に信玄の命で入れられたが、昌幸が本家を相続する時点で必要無いだろうに、
真田家に復姓している事実を見ると、そんなに重要なことでも無いと思われる>他家の相続

薀蓄スマソ。

415: 人間七七四年 投稿日:2007/03/20(火) 15:54:20 ID:CkylncpM
>>413
なるほど。実在しない可能性もあるのか。とはいえ、あの年齢だと嫡男はいそうなんだけどなぁ。
もしいなかったとしたら、それこそ信玄や勝頼が養子を入れるなりしているだろうし。

416: 人間七七四年 投稿日:2007/03/20(火) 21:34:03 ID:IWR2IOGB
415>というより、真田家自体の系譜も色々あやふやというか、ごちゃごちゃしてる・・・。
昌幸が家督を継いで大名化し、信綱・昌輝の子供達の系譜が抹消・改算されている感も否めない。
ここらへんは、研究家の方々が取り上げてくれるといいのにな。

しかし肝心の信綱・昌輝の史料が少なすぎるorz

417: 人間七七四年 投稿日:2007/03/20(火) 23:22:57 ID:fKnDuL+m
そら、残った血筋が徳川に仕えた信之だからなぁ。
徳川と戦ってた連中の名前は残りにくいだろう。
昌幸や幸村はまれなケースだからな。

423: 中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y 投稿日:2007/03/24(土) 20:23:31 ID:pv8uGSO7
真田信綱
通称:源太左衛門尉
生年:天文六年
没年:天正三年五月二十一日、長篠城にて戦死、享年39
追号:信綱寺殿大室道也大居士
葬地:小県郡横尾村大柏山信綱禅寺
父:真田幸隆
母:河原氏(丹波守藤原隆正妹)
室:於北(村上一門井上新左衛門養女高梨政頼妹・花翁妙栄大姉・天正八年二月十日薨)
子:与右衛門―五郎兵衛(松平昌家家中)―以後越前福井藩に伝承
子:女(信之室・信吉母)

真田昌輝
通称・別名:兵部丞・信輝
生年:
没年:天正三年五月二十一日、長篠城にて戦死
追号:風山良薫大禅定門
葬地:小県郡横尾村大柏山信綱禅寺
父:真田幸隆
母:信綱に同じ
室:
子:信武(五郎兵衛)―七之助―以後越前福井藩に伝承?

出典は「信綱寺殿御事蹟稿」

424: 九條殿@前関白 ◆1Ixlm5F0XU 投稿日:2007/03/24(土) 20:46:35 ID:pv8uGSO7
ところで信綱は家督継いでる
天正2年閏11月11日付「蓮華童子院宛所領安堵状」と
元亀4年(天正元年)12月22日付「河原綱家宛一字書出」と、信綱が残した書状が2通あるが
幸隆が死んですぐ家臣の河原又次郎に一字拝領の判物を発給してるから
すぐ継いだんだろ

ちなみに1574年は八月に改元してるが武田はそのまま元亀年号を使ってる
織田に対する明確な敵対表明だよな

425: 人間七七四年 投稿日:2007/03/25(日) 23:12:23 ID:WSQDwbpQ
御自蹟では、於北が内室という可能性も否定している。
於北は政頼の妹ではなく、娘。政頼の室も長尾氏なので違う。
高梨系図も真田家御自蹟稿しか現在は確認できない上に、近世の物なので
信憑性は無い上に、高梨の系図としても間違っている。
ついでに母・河原氏という史料は過去帖にしかないので、信憑性が低い。
あと昌輝の通称は、信憑性ヌキにすれば「越前真田系図」では徳次郎。

>>424
元亀元年に又次郎に綱の文字を与えている時点で、幸隆はまだ生きている。
・・・のだが、
>ちなみに1574年は八月に改元してるが武田はそのまま元亀年号を使ってる
織田に対する明確な敵対表明

というのは初めて知ったけどそうなの?

426: 九條殿@前関白 ◆1Ixlm5F0XU 投稿日:2007/03/26(月) 21:23:31 ID:GytKwYAA
>>425
流石真田ともなれば詳しい奴がいるなw
御事蹟稿の史料的価値について全くの門外なのだがこの間たまたま手に入れたので
検証無しに書き込んでみた

天正年号については、元亀四年七月二十一日に信長が元号勘文を奏上し
七月二十七日に天正改元の詔が発せられ
翌二十八日に改元された。永禄から元亀への改元の時も天正を奏上しているから
信長にとっては足掛け四年でようやく達成された意義のある元号なのよ
ということで「天正」は信長主体で実施された元号なので
武田は政治的意味合いで天正の使用を拒否しているわけ
それを踏まえた上で戦国遺文をみると中々面白いぞよ

449: 人間七七四年 投稿日:2007/04/04(水) 11:50:11 ID:awgGwEXz
信繁の側室に秀次の娘がいるけど、どういう経緯でなったんだ?
九度山時代に女子産んでるよね。

450: 人間七七四年 投稿日:2007/04/06(金) 00:19:12 ID:qlUQMtKb
>>449
隆清院ね
菊亭晴季の娘、一の台が産んだ姫といわれ、信繁の五女、お田の方、三男、
幸信の母とされる。

自分も気になって調べたことがあるが、資料が少なすぎてよくわからん。

ただ、一説によると、秀次自害→側妾斬首の一連の騒動の中で、三成、昌幸、
佐竹義宣、北の政所が、秀次の幼い姫(隆清院とその姉)の助命運動をしたとか

453: 人間七七四年 投稿日:2007/04/06(金) 11:37:56 ID:lmhlP0sF
>>450
山手殿が一の台の姉だとすれば、昌幸が助命嘆願したってのも頷けるけどね
彼女が菊亭の姫って説は近年信憑性が低いって言われてるけど。

454: 人間七七四年 投稿日:2007/04/06(金) 14:41:54 ID:+aLSp994
>>453
それが、この話、山手殿が菊亭の姫ではなく、三成の奥さんと姉妹
っていう説にたってる。

秀次の母、瑞龍院がまず助命嘆願し、北の政所が、せめて幼い姫だけでも
救うように三成に命じて、三成が仲のいい佐竹と、妻を通して義兄弟
にあたる昌幸を抱きこんで助命運動をした・・・・・・と、いう流れ。

逆に、この事件を利用して後の松代藩が、三成と真田が縁戚関係で
あることを隠すため、「山手殿、菊亭の姫説」を捏造したのではと・・・・・・

まぁ推測の域をでないけど

489: 人間七七四年 投稿日:2007/06/17(日) 08:44:17 ID:YLCD/vxY
司馬遼太郎の「関ヶ原」に出てくる昌幸がすげぇかっこよい。プライド高くて田舎もので偏屈ジジイ。
でもゲリラ戦の天才。挑発も天才的w
秀吉大好き家康大嫌い。行動原理は理も利も情も渾然一体。
他の作家の小説では「義の人」として描かれてるけど、どうなんでしょうね・・・
俺は俗っ気たっぷりでもお茶目で憎めない司馬遼太郎版が好きだ。

490: 人間七七四年 投稿日:2007/06/17(日) 17:14:02 ID:Nx3dVTGQ
でも真田ってだいぶ誇張されてるな
まぁ凄いことは認めるけど
島津みたいに一家ほとんど凄いからさらに凄く感じるわけで幸村だって昌幸のおかげであれだけ誇張されたと思うよ

491: 人間七七四年 投稿日:2007/06/17(日) 19:11:30 ID:Orijvwn8
地元では人気ないよ。武田に寝返って田畑を荒らしたし、松代藩になってからも良い領主じゃなかったみたい。ローカル番組で見た。

492: 人間七七四年 投稿日:2007/06/17(日) 19:35:12 ID:CXezSLTg
上田じゃ普通に人気だぞ、地元観光産業にとっては重要だからな。
昔のごたごたより今の利益、こればかりは戦国時代から変わらん世の習いさ。

493: 人間七七四年 投稿日:2007/06/18(月) 14:17:07 ID:szXJbyQ4
松代藩で悪政はないだろ
江戸時代中期における改革者として代表的な4人の一人なのに

496: 人間七七四年 投稿日:2007/06/19(火) 02:13:12 ID:8fI+ILGN
ただ、沼田藩は取り潰しになるほどの悪政をしたのは事実。
信之は子孫には恵まれなかったとマヂで思う。

499: 人間七七四年 投稿日:2007/06/19(火) 10:08:27 ID:UfbHKiZT
真田って伊達と親交あったの?
大坂の陣の時信繁の娘を匿ってるよね。

500: 人間七七四年 投稿日:2007/06/19(火) 10:20:53 ID:+HaCy9Qr
バリバリ…では無いにしろ、関係はある。
つーか、むしろ信之の子孫より保護された血脈の方が優秀だったんではないだろうか、とも思う。

502: 人間七七四年 投稿日:2007/06/19(火) 12:12:33 ID:uTwAHRpx
次男が片倉に入って伊達家臣に、三男が岩城氏(佐竹義宣の弟)の養子になってなかったっけ。
娘たちも片倉や岩城なんかの嫁になってる。
結構みんな恵まれてるのね。

506: 人間七七四年 投稿日:2007/06/21(木) 04:13:27 ID:Xpxmgukc
>>502
だよな。現体制である幕府から見りゃ、極悪謀反人だからなw
日本的風土からすると、睨まれたらヤダナとなりそうなのにね。

503: 人間七七四年 投稿日:2007/06/20(水) 18:15:08 ID:S34IqBZL
九度山時代になっていきなり子供が妻や妾にぽこぽこ生まれてるのがなんとも。
やりまくりだったんだね。

505: 人間七七四年 投稿日:2007/06/20(水) 18:54:40 ID:qGmY5HIB
やりまくりっていうか暇だったんだろうな。
これまでずっと戦とかしてたわけだし。

507: 人間七七四年 投稿日:2007/06/21(木) 07:36:10 ID:ijKxmJVC
しかし異常なペースで作ってるよ妻妾2人だけで
これは来るべき日の為綿密な子作り計画を練っていたのかもしれんな
その割に女ばかり続いてしまってるが

508: 人間七七四年 投稿日:2007/06/21(木) 19:35:33 ID:c1bsdyNc
仙台真田家に血が残った事を考えれば、
九度山での蟄居も無駄ではなかったな。

532: 人間七七四年 投稿日:2007/06/28(木) 19:56:41 ID:AQ+mduKv
真田幸村の三女の阿梅は
片倉景綱の息子の重長の後室。
阿梅を大坂の陣の折保護した重長
5年後に自分の側室にした。
阿梅は美人だったらしいw。

阿梅と共に保護されたのが大八。

533: 人間七七四年 投稿日:2007/06/28(木) 20:26:05 ID:R5vYROSy
阿梅って重長の正室にとても可愛がられて彼女たっての希望で
正室死んだあと、重長の側室じゃなくて正室になったんじゃなかったっけ

535: 人間七七四年 投稿日:2007/06/28(木) 22:03:46 ID:AQ+mduKv
>>533
そうだよ。
重長と阿梅はすごくラブラブだったらしいw。

537: 人間七七四年 投稿日:2007/06/29(金) 13:14:57 ID:WOyzj5MV
重長と阿梅、美男美女カップルなんだな。ウラヤマシス

引用元: ・真田幸隆・昌幸・信繁・信幸を語るスレ







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