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1: 世界@名無史さん 投稿日:2009/01/05(月) 20:42:47
イタリア王国(1861 - 1946)について語りましょう。


Avanti Savoia!







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サヴォイア家

サヴォイア家は、かつてイタリアのピエモンテとフランス及びフランス語圏スイスにまたがるサヴォワ一帯を支配していた辺境伯貴族であった家系。1713年、スペイン継承戦争の結果シチリア王国の王位を獲得、1720年にハプスブルク家とシチリア島、サルデーニャ島の交換を行い、サルデーニャ王国の王位を代わりに得た。イタリア統一運動時に核となり、統一後はイタリア王国の王家となった。



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イタリア王国

イタリア王国は、現在のイタリア共和国の前身となる王国。1861年に成立し、1946年に共和制へ移行した。

イタリア北西部とサルデーニャ島を領有していたサルデーニャ王国は、フランス帝国と結んでオーストリア帝国を破り、ヴェネト地方を除く北イタリアを統一した。続いてサルデーニャ王であったサヴォイア家のヴィットーリオ・エマヌエーレ2世は、ローマ以外の教皇領を併合して中部イタリアに領域を広げた。そして最後に両シチリア王国を滅ぼした英雄ジュゼッペ・ガリバルディが南イタリアを献上したことでイタリアの大部分を統合、かつてのナポレオンのようにヴェストファーレン条約によって廃止されていたイタリア王の称号を復活させ即位した。





2: 世界@名無史さん 投稿日:2009/01/05(月) 21:10:59
この時代にナピッツァが広まったらしいな

4: 世界@名無史さん 投稿日:2009/01/06(火) 11:38:10
Regno d'Italia建国の10年後、Deutsches Reichが建国された。

5: 世界@名無史さん 投稿日:2009/01/06(火) 18:59:21
サルデーニャ王国はドイツ統一の時のプロイセン王国みたいな役割だったの?

8: 世界@名無史さん 投稿日:2009/01/10(土) 20:37:58
>>5
プロイセン主導のドイツ帝国は国家の中に国家が在ったけど、
イタリアは教皇領すら併合したからな。

6: 世界@名無史さん 投稿日:2009/01/07(水) 19:49:56
【イタリア王国(サヴォイア朝)の歴代国王】

初代国王:ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世 (Vittorio Emanuele II, Vittorio Emanuele Maria Alberto Eugenio Ferdinando Tommaso di Savoia) 在位 1861年3月17日 - 1878年1月9日

第2代国王:ウンベルト1世 (Umberto I, Umberto Rainerio Carlo Emanuele Giovanni Maria Ferdinando Eugenio di Savoia) 在位 1878年1月9日 - 1900年7月29日

第3代国王:ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世 (Vittorio Emanuele III, Vittorio Emanuele Ferdinando Maria Gennaro di Savoia) 在位 1900年7月29日 - 1946年5月9日

第4代国王:ウンベルト2世 (Umberto II, Umberto Nicola Tommaso Giovanni Maria di Savoia) 在位 1946年5月9日 - 1946年6月12日

7: 世界@名無史さん 投稿日:2009/01/08(木) 21:20:32
サヴォイアじゃないイタリア王国もあったな。

19: 世界@名無史さん 投稿日:2009/01/11(日) 21:25:17
統一前のローマ教皇領って、実は圧制の暗黒国家だったらしいな。
『モンテ・クリスト伯』で公開処刑を準主役の青年が見物する場面があったが
教皇領の圧制ぶりを暗示しているのかな。

9: 世界@名無史さん 投稿日:2009/01/10(土) 20:48:49
大戦で、王政が終わった国と続いた国の違いは何だったのだろう。

10: 世界@名無史さん 投稿日:2009/01/10(土) 20:51:23
>>9
たいていは勝ったか負けたか

12: 世界@名無史さん 投稿日:2009/01/10(土) 21:10:03
タイも王制残っているじゃん

16: 世界@名無史さん 投稿日:2009/01/11(日) 03:34:42
>>12
タイは負けそうになったとたん日本裏切って戦勝国側に寝返ったので
おとがめなかった

13: 世界@名無史さん 投稿日:2009/01/10(土) 21:13:37
ブルガリアもWW1で負けたけど

14: 世界@名無史さん 投稿日:2009/01/10(土) 21:46:27
第二次大戦の王室の責任はなかったの?

20: 世界@名無史さん 投稿日:2009/01/11(日) 21:50:51
>>14

イタリア王国憲法を知らないから、ファシズムを承認した国王の
法的責任とかよく分からない。
王室から国民半数の民心が離反したのは
降伏後のドイツ軍侵攻の際に国王以下王室が南部へ逃亡してしまったのが大きいそうな。
ウンベルト皇太子は必死で逃亡に反対して
逃亡の最中でも車上で「これは恥辱ですぞ!」と言っていたそうだけど。

21: 世界@名無史さん 投稿日:2009/01/12(月) 16:09:35
オランダ王室も国外へ逃亡しなかったか?

22: 世界@名無史さん 投稿日:2009/01/12(月) 16:25:37
ドゥーチェに20年も独裁政治をやらせて、ナチと同盟まで結ばせた国王が、
土壇場で連合国に寝返って、あげくに国民を放り出したのでは民心は離反するだろう。

もともと民主国家で、ナチと戦ってたオランダやノルウェーとは事情がちがう。

23: 世界@名無史さん 投稿日:2009/01/12(月) 20:32:59
それでも王国廃止を決めた国民投票で半分未満も支持者がいたらしいね。

24: 世界@名無史さん 投稿日:2009/01/12(月) 21:02:56
カトリックの強い保守的な風土の南部イタリアでは王政支持が圧倒的だった。

しかし、出身地である旧サルデーニャ領を含む北部イタリアでは見捨てられ、
他人の国だった旧ナポリ王国領の南部イタリアで支持されたというのも皮肉だな。

29: 世界@名無史さん 投稿日:2009/01/19(月) 08:39:04
王国成立には、ガリバルディのような共和主義者の協力もあった
君主制の存続は、最初から国内外の情勢次第だったということでしょ

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ジュゼッペ・ガリバルディ

ジュゼッペ・ガリバルディ(1807年7月4日 - 1882年6月2日)は、イタリア統一運動を推進し、イタリア王国成立に貢献した軍事家である。イタリア統一を進めるため、多くの軍事行動を個人的に率いた。ヨーロッパと南米での功績から「二つの世界の英雄」とも呼ばれ、カヴール、マッツィーニと並ぶ「イタリア統一の三傑」の一人とされる。

1860年、千人隊(赤シャツ隊)を組織してシチリアの反乱を援助し両シチリア王国を滅ぼした。その後、征服地をサルデーニャ王ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世に献上してイタリア統一に大きく貢献した。その後は政治家となることなく、余生をカプレーラ島で送った。


25: 世界@名無史さん 投稿日:2009/01/12(月) 23:20:40
イタリア王国って興味深い国だな。
一応ウィキでは列強の一角となっていて
第一次大戦後には国際連盟の常任理事国になってる。
つまり五大国なわけでソ連・ドイツよりも格上。

でも戦争させりゃ列強末席の二重帝国とどっこいどっこい。
超弩級戦艦のヴィットリオ擁する海軍や当時先進的な王立空軍とか
それなりに見るべき点もある。

俺は断固イタリア王国を応援するぜ。
ただし建国から解体までムソリーニ以外の人物がマイナーすぎて涙

30: 世界@名無史さん 投稿日:2009/01/19(月) 11:42:06
>>25
建国の宰相カヴールとパリ講和会議で要求受け入れられず退席したオルランドが泣いた
あのイタリアで勝利の首相といわれてるぐらいの人なのに…<オルランド

31: 世界@名無史さん 投稿日:2009/01/19(月) 19:39:16
イギリスの代表に「泣き虫」とか言われてたよな・・・
イタリア(涙

44: 世界@名無史さん 投稿日:2009/03/02(月) 15:54:31
『カヴール』でググったらアフガーニスターンの『カーブル』についてのページばかりヒットする・・・

45: 世界@名無史さん 投稿日:2009/03/02(月) 16:59:01
カミッロ・カヴールでぐぐるんだ…(´・ω・`)

26: 世界@名無史さん 投稿日:2009/01/12(月) 23:23:54
日・米・英・仏・伊

これが世界を牛耳る真の列強。
その順位は当時の保有を許された戦艦比率から
5     米英
3     日
1.67   仏伊

と推定される。

27: 世界@名無史さん 投稿日:2009/01/12(月) 23:25:12
戦艦ヴィットリオVSプリンスオブウェールズ

これが見たかった!

34: 世界@名無史さん 投稿日:2009/02/03(火) 18:36:35
両シチリア王国
ロンバルド=ヴェネト王国
教皇領
フィウメ自由市

これらをサルデーニャ王国が併合していった。

40: 世界@名無史さん 投稿日:2009/02/08(日) 21:44:10
>>34
サヴォイ公国がサルデーニャ王国を併合して
位取りの高い併合先の名を名乗ったことも

35: 世界@名無史さん 投稿日:2009/02/04(水) 10:10:32
最初は4つくらいの王国による連邦国家みたいなのを考えてたらしいな。イタリア統一に関しては。

そう言えばフランス第二帝政期くらいから1次大戦前くらいまで、今のイスラム教徒みたいに、
テロリストといえばイタリア人、って感じだったらしいね。

36: 世界@名無史さん 投稿日:2009/02/04(水) 13:32:03
教皇を盟主にした「イタリア連邦」が当初の計画

37: 世界@名無史さん 投稿日:2009/02/04(水) 15:53:12
でも、教皇はイタリア人だけのモノではないしな。

38: 世界@名無史さん 投稿日:2009/02/08(日) 20:49:58
リソルジメント(Risorgimento)

39: 世界@名無史さん 投稿日:2009/02/08(日) 21:18:58
イタリアは連邦制に移行した方がいいかもしれん
地域ごとにバラバラなんだし

41: 世界@名無史さん 投稿日:2009/02/08(日) 23:32:22
>>39
既に自治州での地方分権は進んでいるでしょ

むしろ両院対等の議院内閣制という無茶を改めたほうがいい現行憲法

43: 世界@名無史さん 投稿日:2009/02/23(月) 16:41:35
両院対等はろくな事がないよなあ。戦前の衆議院と貴族院とか。

46: 世界@名無史さん 投稿日:2009/03/04(水) 09:13:21
あちこちの教皇領はともかく、バチカンってイタリア建国当時はフランス領だったんでしょ?
ちがいましたか
いつからバチカンはフランスと無関係になったんですか?誰か教えて下さい

48: 世界@名無史さん 投稿日:2009/04/06(月) 00:07:39
>>46
フランス領でなくて保護下では?

47: 世界@名無史さん 投稿日:2009/04/05(日) 20:33:42
ナポレオン3世の頃か

49: 世界@名無史さん 投稿日:2009/04/11(土) 15:27:49
普仏戦争に敗退した結果ということかな?
サヴォイ家がドサクサに取り込んだとも言える

そりゃそうとメヒコ反動皇帝をナポレオン三世はなぜハプスブルグから人選したんだろ?

51: 世界@名無史さん 投稿日:2009/04/11(土) 17:01:01
>>49
メキシコ人を統治するならカトリックがいいけど、ブルボンとかサボイアに力を持たれたら困るから

52: 世界@名無史さん 投稿日:2009/04/11(土) 17:55:29
>>51
なるほど しかしハプ家もサヴォイ家よりチョロいとは舐められたもんですね
まあマクシミリアンがやる気満々だったのも上乗せされるかも知れませんけど

53: 世界@名無史さん 投稿日:2009/04/11(土) 19:03:25
>>52
ライヒシュタット公(ナポレオン2世)とマクシミリアン大公の母親である
ゾフィー大公妃はとても仲が良くて、ゾフィー大公妃はライヒシュタット公を
弟か息子のように可愛がっていたらしい。

生まれてまもないフランツ・ヨーゼフ1世を抱きかかえている
ライヒシュタット公の絵画などもある。

50: 世界@名無史さん 投稿日:2009/04/11(土) 16:31:48
ナポレオン2世の隠し子、
つまりマクシミリアンは母后とローマ公の不義の子という説も

55: ウーゴ ◆eaYqa3SeLE 投稿日:2009/06/11(木) 00:56:02
イタリアのエリトリアってどんな統治してたのかお?

60: 世界@名無史さん 投稿日:2009/07/21(火) 02:23:01
>>55
イタリア人は残っていないけれど、イタリア人の血を引く者が結構多いという(現地妻とかで)。ウィキ英語による。

56: 世界@名無史さん 投稿日:2009/07/08(水) 20:59:19
エリトリアとエトルリアって紛らわしいな

57: 世界@名無史さん 投稿日:2009/07/15(水) 17:54:13
どっちもイタリアだよね

59: 世界@名無史さん 投稿日:2009/07/18(土) 15:37:03
>>57
エリトリアはアフリカです

61: 世界@名無史さん 投稿日:2009/09/08(火) 22:38:22
イタリア王国って首都がころころ変わってるね

62: 世界@名無史さん 投稿日:2009/09/09(水) 00:31:24
教皇がローマを明け渡すのを待ってたから。

63: 世界@名無史さん 投稿日:2009/09/09(水) 04:32:13
またまた
教皇はローマを明け渡すどころか
統一間もないイタリア王国に対し旧両シチリア王国のブルボン朝旧王国軍の残党や農民の反乱を扇動して
反乱を起こした匪賊に修道院や教会は食糧と資金を援助して南イタリアで10年余りも内戦状態になった
イタリアは独立戦争での戦死者数よりこの内戦での戦死者数の方が上回った

教皇がイタリア王国と和解するのはムッソリーニの時代

あと統一直後の教会国家を含むイタリアの都市人口の第一位はローマでなくナポリ
ローマがイタリア第一位の人口になるのは第一次世界大戦後

64: 世界@名無史さん 投稿日:2009/09/09(水) 15:57:03
やはりマキアヴェッリが書いたように、イタリアにとっては教皇庁がスイスへでも
行ってくれたほうがよかった。

71: 世界@名無史さん 投稿日:2010/03/08(月) 20:23:06
両シチリアまでもが領土に組み込まれたことと、現在ではその住民が独立志向をほぼ持っていないことが未だに謎

72: 世界@名無史さん 投稿日:2010/04/29(木) 18:07:38
ローマ帝国の末裔という意識が強いんだろうか?

73: 世界@名無史さん 投稿日:2010/05/02(日) 19:41:41
>>72
そりゃあるでしょ

74: 世界@名無史さん 投稿日:2010/07/31(土) 11:40:53
確かに、あれだけの国々を一気に潰して併合したのにサヴォイア政府や民族統一派に対する反抗運動とか聞かないな
イッてそうな感じのテロリスト無政府主義者なんかは盛んだったようだけどw
両シチリア王やパルマ公やトスカーナ大公や教皇庁やらが地元民衆からどう思われてたか気になるな


引用元: ・【サヴォイア朝】イタリア王国【Regno d'Italia】






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