51JS2H48J4L




1: 山犬 ◆R200HRTAe.
西洋やその他多くの地域において、人や物資を運ぶ手段として、あるいは戦争の道具
として、非常に重要な役割を果たしてきた馬車と、19世紀末以降、その馬車に取って
代わっていった、自動車の歴史に関するスレです。

古代メソポタミアで馬車が発明されて以来5000年。
アッシリアの戦車、ローマの駅伝制度、中央アジアのキャラバン、西部開拓時代の
幌馬車。ダイムラーのガソリンエンジンや、フォードのベルトコンベアによる生産、
ドイツ軍からパリを救ったマルヌのタクシー等々、技術史、文化史的な事柄だけでなく、
ちょっとした車に関する豆知識やエピソードなど、とにかく車に関することなら何でも
結構です。

ぜひぜひ、マターリと語りませう。








3: 世界@名無史さん
BMW=バイエルン自動車工業

7: 轣駕輜
馬車のメーカーにも現在の自動車のようなブランドはあったのかな。

>>3
バイエルン発動機会社(Bayerische Motoren Werke)
は元々航空機のエンジンを作る会社だったかと。

8: 山犬 ◆R200HRTAe.
>>7さん
その通りです。もともと、第一次大戦中に飛行機のエンジンを作る会社として
設立されて、その後バイクを作るようになりました。自動車を作るようになった
のはさらに後、1928年にアイゼナッハ自動車工場を買収した後です。
ちなみにドイツ軍の例の有名なサイドカーを作っていたのもBMWでしたね。

馬車のブランドに関しては、自動車の黎明期に自動車を生産し始めた会社は、
もともと馬車を生産していた会社が多かったので、ブランドというものも、あったの
ではないでしょうか。
とりあえず、高名な馬車の製作者というものは存在していましたし、馬車の形式に
その製作者の名前が冠される事もありました。
イギリスの辻馬車などで使われた、二人乗り無蓋馬車の「ハンサム」という形式が
ありましたが、これは製作者のジョセフ・ハンサムにちなんで命名されたものです。

51: 眠い人 ◆gQikaJHtf2
>>7
馬車のコーチビルダーから、自動車のボディ架装に転身した例があったかも知れ
ません。

異業種から、自動車に転身したのは、歯車メーカーのシトロエンを筆頭に色々あり
ますが、航空機メーカーからの転身組は、GermanyのHeinkelとかMesserschmittが
有名ですが、英国のBristolも1947年にBMWを生産することから自動車に参入し、
未だに独立系メーカーとして頑張ってますね。
他に、英国ではArmstrong-Siddley(Vickers系)とかが高級車メーカーとして孤軍
奮闘していました。

また、英国にはAlvisと言う会社がありました。
この会社は高級サルーンを作っていましたが、片や軍用トラックの大手メーカーでも
あります。

54: 山犬 ◆R200HRTAe.
>>眠い人さん
もともと馬車を作っていて、現在自動車メーカーとして残っている例と言うのは殆ど
無いでしょうね。細々とボディ架装をやっている所はあるでしょうけど。

あるいはピニンファリーナのようにデザインスタジオのような形で残っていたり、パーク
ウォードのように車名に残っている例などはありますね。
(まぁ、ピニンファリーナも、もともと自動車の架装を行うメーカーとして出発している
ので、本来の意味の「コーチビルダー」ではありませんね…)

眠い人さんの書込みにある、「ボディ架装」ということに関してちょっと補足説明させて
頂きます。自動車というのはもともと馬車から発達したものだというのは皆さんご存知
だと思いますが、馬車というのはシャシー(車台)とキャビンが別々になっていて、その
二つを組み合わせて作られていました。

初期の自動車も、このような馬車の作り方を踏襲しており、コーチビルダーは多くは、
ボディーの製造に特化し、ベンツやルノーといった自動車メーカーからシャシーを買い、
王侯貴族や大富豪向けに、豪華なキャビンをワンオフで製造したりしていました。
まぁ、自動車が大衆的なものとなり、またモノコックボディーが主流となってくると、
こうしたコーチビルダーが廃れて行ったのも無理からぬことと言えるかもしれません。

ちなみに、現在のようなモノコックボディーの車が量産車として作られ始めるのは
1930年代ごろからでしょうかね。

5: 山犬 ◆R200HRTAe.
とりあえず、どこから話を振ればいいのかわかりませんが。
ワゴン、クーペ、カート、バギー、コーチ、キャブ、バス、バン、ロードスター、カブリオレ、
等といった車種の分類や、リム、ワイヤハーネスなど今でも使われる自動車用語には、
馬車の用語をそのまま引き継いでいるものも多いですね。

ワゴンは四輪の荷馬車。クーペは一頭立てで二人乗りの四輪馬車。バンは箱型の
有蓋貨車。キャブは一頭立ての二輪馬車。カブリオレは、折り畳みの幌の付いた、
一頭立て二人乗りの二輪馬車、をそれぞれ意味していました。

世界でもっとも売れたオープン2シーターとして、ギネスブックにも載っている、マツダの
「ロードスター」という車がありますが、この「ロードスター」というのも馬車の用語で、
もともと、無蓋の2人乗り二輪馬車の事をさしていました。
カブリオレとほぼ同義ですが、現代では「ロードスター」は2シーターのオープンカーを
指すのに対して、カブリオレは2シーター、4シーターどちらにも使われる用語になって
いますね。

6: 山犬 ◆R200HRTAe.
ロードスターつながりでもう一つ。

ロードスターといえば、1936年に開発された「くろがね四起」という軍用車両が、
このロードスタータイプでしたね。空冷1400ccの4WDで、もともと満州で使う
事を目的に開発されましたが、太平洋戦争が始まって、陸軍が南方に進出すると
様々なトラブルが起こったため、水冷エンジンを積んだタイプも開発されました。
ちなみに、エンジンはドライサンプだったりします。

戦前に富士山の4合目や5合目まで登ったり、上野の石段を登ったりと、様々な
走破性のテストが行われ、なかなか優秀な結果を残し、約5000台が生産されましたが、
日本に現存しているのは、石川県小松市の日本自動車博物館にある1台だけです。

ちなみに、ドイツ軍で用いられたキューベルヴァーゲン・シュビムヴァーゲンの生産
台数は約7万台、アメリカのジープの生産台数は約60万台であったと記憶しています。
この数字からも、当時の日本の工業力やモータリゼーションの立ち遅れを読み取る事が
できますね。

余談ですが、自動車評論家の小林彰太郎氏が初めて運転した車が、このくろがね四起
だったそうです。

9: アマノウヅメ ◆2atuWPtiaQ
キュリー夫人のご亭主のピエール・キュリー教授は馬車に轢かれて亡くなった。
教科書には交通事故死と書いてあったが、交通事故には違いない。

11: 山犬 ◆R200HRTAe.
>>9
初めての自動車事故は、1771年にキュニョーが蒸気自動車を発明したときに
起こっていますね。フランスの役人が内緒で動かしているときに起こったそうです。
まぁ、自動車と自動車事故は切っても切れない関係だという事で。

ちなみに、このキュニョーの作った蒸気自動車は「ファルディエ」という名前で、
もともと大砲を運搬するために作られたものでした。前輪駆動で、大きさは全長7.25m、
幅2.19mで、重量は2800㎏、積載量・牽引力が5000㎏(結構すごいですね)、速度は
時速4キロほどだったそうです。

この「ファルディエ」は、蒸気自動車の開発を推進していたアンボワーズの失脚後は、
捨て置かれ、結局公試試験走行すらされませんでした。
まぁ、走らせるのも大変な手間がかかり、実用化はまだ遠かったでしょうが、フランス
政府のお偉いさんがもう少し自動車に興味を持って、改良を行っていれば、ナポレオン
時代の戦争の様子が、少しは変わっていたかなぁ、と思う事があります。

この「ファルディエ」は、今でもパリの国立工芸博物館に展示されているそうで、機会が
あったら見に行きたいなぁ。

21: 山犬 ◆R200HRTAe.
少し教科書的な説明になりますが、モータースポーツとル・マンの歴史
を少々。

自動車レースは、1894年にパリの新聞社が主催し、パリ・ルーアン間で行われたものが、
世界初であると言われています。21台の蒸気自動車とガソリン自動車がエントリーし、
126kmの距離を争われ、一番最初にゴールしたのはド・ディオン製の蒸気自動車、2位と
3位がプジョー製のガソリン自動車という結果でしたが、蒸気自動車は運転に二人必要で
あるという理由で、プジョーが繰上げで一位になりました。ちなみに、一位でゴールした
蒸気自動車の平均時速は18.7kmでした。

22: 山犬 ◆R200HRTAe.
自動車が発明されて間もない頃の初期のレースは、都市と都市の間を結ぶ都市間レース
がメインで、こうしたレースの多くは、当時世界一の自動車王国であったフランスの
首都パリを中心として開催されていました。これらのうち、主要なものを挙げると、

パリ・ボルドーレース    (1895年) パリ・マルセイユレース     (1896年)、
マルセイユ・ニース往復  (1897年) パリ・アムステルダムレース  (1898年)
フランス一周自動車レース(1896年) パリ・トゥルーズレース     (1900年)
パリ・ベルリン        (1901年) パリ・ウイーンレース      (1902年)
パリ・マドリード       (1903年) などです。

パリ・ボルドーレースに一位でゴールした、エミール・ルバッソールの運転するパナール・
ルバッソールの平均時速は24km程度でしたが、パリ・アムステルダムレースで優勝
したパナール・ルバッソールの平均時速は43km。パリ・マドリードレースでは、ついに
時速100kmを超えます。
パナール・ルバッソールというのは、レネ・パナールとエミール・ルバッソールによって
設立された世界初の自動車製造会社で、1898年に日本に初めて上陸した自動車が、
このパナール・ルバッソール製の車でした。ちなみに、エミール・ルバッソールはパリ・
マルセイユレースで事故を起こし、それがもとで亡くなっています。

1903年に開催されたパリ・マドリードレースは「死のレース」とも呼ばれ、見物人や
参加者の死亡事故が多発した為に、途中のボルドーで中止され、その後フランスでは
都市間レースは禁止されてしまいます。

23: 山犬 ◆R200HRTAe.
都市間レースが禁止された後、1906年の6月26日と27日の二日間に渡ってフランスの
ル・マンで、世界初のグランプリレースである「フランスGP」が開催されました。
11チーム、計32台が参加して、一般道をつないだ全長103kmのサーキットを一日6周
合計12周して争われ、フェレンツ・シスが運転するルノーが優勝しました。平均時速
は約101.kmでした。

ちなみに、優勝したこのルノーのエンジンは、排気量が13リッターもありました。なにぶん
ターボやDOHCなどの技術が存在しなかったため、馬力を稼ぐためには排気量を増やす
しか無かったんですね。(スーパーチャージャーはこのレース以前にルノーが特許をとって
いましたが、その後しばらく実用化されることはありませんでした。)

第一回ル・マン24時間耐久レースは、第一次大戦後の1923年5月26日・27日に開催
され、参加メーカーは18社でうち16社がフランスで、他にベントレーとベルギーのエ
クセルシオールで、台数は計35台でした。

参加資格が認められたのは30台以上生産された4人乗りの車で、修理に使用する工具も
車に搭載する事が義務付けられ、車の修理やガソリンの給油も、ドライバー自身が行わ
なければならないという規則が定められていました。
この第一回のル・マンで優勝したのはA・ラガシュとR・レオナールの乗るシュナール・
ワルケルで、走行距離は2209.5km、平均時速は約92kmです。ちなみに、1991年にマツダが
優勝した際の平均時速は205kmで、現在では210kmくらいですかね。

ちなみに、有名なル・マン式スタートが採用されたのは1925年の第三回からで、それ
以前はグリッドスタートでした。この1925年の大会からアメリカやイタリアのメーカー
も参加するようになり、以後国際レースとしての地位が高まっていき、現在に至ります。

27: 世界@名無史さん
>>23
スーパーチャージャーって、そんな昔からあったんだ。
ちょっと驚き。

38: 山犬 ◆R200HRTAe.
>>27さん
スーパー・チャージングに関しては、ゴットリープ・ダイムラーが1885年にすでに
取得していたんですが、全く手を付けられる事無くほったらかしにされていました。
初めてスーパーチャージャーを搭載した車を作ったのは、アメリカのチャドウィック・
オートモービルで、1907年の事だと言われています。

その後、イスパノ・スイザの設計者でもあるマルク・ビルキヒトをはじめ、様々な
技術者によって研究され、第一次大戦中にはダイムラー社によってスーパーチャー
ジャーを搭載した航空エンジンが製作されました。スーパーチャージャーを搭載した
初の市販車は、1921年のメルセデス・ベンツだそうです。

日本の皇室でも御料車として使われたグロッサー・メルセデスも、スーパーチャー
ジャー付でしたね。7.7リッター直列8気筒で、230馬力を発生する化け物です。
日本ではスーパーチャージャー付きの車っていうのは少ないですね。スバルのサンバー
位かな?これに関しても、次のマイナーチェンジで無くなるという噂がありますが。

40: 山犬 ◆R200HRTAe.
>>38
×ゴットリープ・ダイムラーが1885年にすでに取得していたんですが、
○ゴットリープ・ダイムラーが1885年にすでに特許を取得していたんですが、

ついでに、もう少し技術の話を。

ターボチャージャーに関しては、第一次大戦中からアメリカ軍が航空機エンジンに
搭載して実験を行い、主として航空機用に開発が進められました。
ターボが市販車に搭載されたのは、もっとずっと後、1962年のオールズ・モービルの
F85ジェットファイアが初で、故障が多発したために、わずか二年で生産中止になり
ました。ヨーロッパ車で初めてターボを積んだのは1974年のBMW2002ターボで、
同じ年にポルシェ930ターボも登場しています。

DOHCエンジンも、アイデア自体は自動車が開発されてすぐの頃から存在しており、
1912年のフランスGPでプジョー車に搭載されたのが最初です。

4WDやFF等の駆動方式や、ウィッシュボーンやストラット等の懸架方式、それに
ディスクブレーキやドラムブレーキ、オートマチック・トランスミッション、ワイパー
等、基本的な自動車に関する技術の殆どは、自動車が生まれて間もない頃にアイデア
が生まれています。

日本だと、100年の自動車の歴史の中で、その後半部分に自動車が大きく進化した
と言う印象を持つ人が多いのですが、実際には車は最初の50年に大きく進化したと
いうのが正しいと言えます。

63: 世界@名無史さん
さてちょっと長くなる。ウザかったら許して欲しい。
>>22で山犬氏が紹介された黎明期のレースの中でも、
1895年のパリ‐ボルドーは史上初の長距離レースとして名高い。
何しろ往復1000km以上、東京-京都往復ってな位だ。
このレースのレギュレーションは4座。
しかし、敢えて違反扱いになるのは承知で
自ら開発した2シーターでこのレースに参加した男がいた。
それがエミール・ルヴァッソール、当時53歳だった。
彼は親友ルネ・パナールと共に、木工会社
パナール・ルヴァッソール(PL)社を経営していた。
1888年、彼らの知人である弁護士のサラザンが、
ガソリン自動車の発明者ゴットリーヴ・ダイムラーから
フランスでのダイムラー・ガソリンエンジンの製造権を買った。
自動車用のみならず、定置動力や船舶・鉄道等、
考えられる応用範囲は広かった。ベンチャーの口としては悪くない。
サラザンは、PL社に実際のエンジン製造を依頼した。
が、エンジン生産計画が進められていた矢先、サラザンが急逝。
ここで乗り出したのがサラザンの未亡人、ルイーズだった。

64: 世界@名無史さん
行動派の彼女は自らドイツのダイムラー社へ乗り込み、
ダイムラー本人から、サラザン弁護士の取った製造権は
夫人たる自分に継承されている旨の了解を取ってきたのだ。
こうして、PLでのガソリンエンジン製造は頓挫を免れたが、
あろうことかルヴァッソールとルイーズが結婚してしまった。
……エンジンのパテントはルヴァッソールのものになった。
元々ルヴァッソールには発明の才能があった。
出来上がったガソリンエンジンを利用して、
1890年に後部エンジン式の自動車を試作したが走行不安定。
そこで思い付いたのがフロントエンジン方式だった。
早くも1891年にフロントにボンネットを備えたモデルを試作。
この元祖FRレイアウトは他社のRR式より安定性が高く、
以後数年間に渡ってPL社の主力モデルとなった。
一方で初期のプジョーにエンジン供給もしていて、
山犬氏ご紹介のパリ-ルーアンレース(1894)で活躍した
プジョーのエンジンは何れもPL製ダイムラーエンジンだった。

ルーアンレースで堂々1着だったのに1等賞をもらえなかった
蒸気自動車のド・ディオン伯爵は、いたくご立腹。
雪辱を期して自ら開催に奔走したのがパリ-ボルドーレースだ。
さてこのレースでの、ルヴァッソールのマシーン(!)、
パナール・ルヴァッソール「No.5」は、例のフロントエンジン車。
しかし、ダイムラーが新たに開発したV型2気筒エンジン
「フェニックス」(SV1200cc、5馬力)を搭載していた。
(多分、史上初の愛称付パワーユニットではあるまいか)
長距離レースだが、クルー交代の方法に制限はない。
途中に多数の交代要員を置くチームが大半だったが、
大型蒸気バスで参加のチームは、キッチンやトイレまで装備していた。
(これ、レースでしょ……すごく勘違いしている気がする)

65: 世界@名無史さん
スタート日の昼、ルヴァッソール組はパリを出発。
最高速度は30km/h(それでもレースではトップの速さだった)。
馬車並のぐにゃぐにゃな全楕円リーフサスに
2気筒エンジンの爆音と振動、革製の原始的クラッチ、
原始的変速機(ギアボックスではない。歯車は裸でホコリまみれ)、
ラジエーターでなく水の自然蒸発で冷却するので100km毎に給水、
屋根もウィンドシールドも、シートベルトもヘルメットもなく、
ハンドルは丸ではなくバータイプで、絶えず舵角修整しないと
直進できないシロモノ。しかもコースはほとんどが未舗装路。
激しい振動、騒音、ホコリに晒されながら、難行苦行の大爆走、
これなら自転車で走る方がまだ楽なくらいだ。
それでもルヴァッソールは怯まず走り続けた。
助手にハンドルを握らせたのは、低速になる上り坂だけだったらしい。
計画ではボルドーまでの中間点で、別のクルーに交代する予定だった。
しかし、深夜に交代場所に着いても誰もいない。
こんなに早く着くとは予想外で、ドライバーはホテルで寝ていたのだ。
ルヴァッソールは思い切りよく、さっさと出発してしまった。

66: 世界@名無史さん
馬車並の暗い石油ランプ頼りで夜道を激走、翌日昼にボルドー着。
チェックポイントのサインを済ませたルヴァッソールは、
ワインをちょっと飲んだくらいで
まともな休憩も取らず、すぐにパリへと出発した。
帰りの中間点では、さすがに交代のドライバーが待ち受けていた。
だがルヴァッソールは「俺が運転する」と言い張った。
そして助手だけ取り替え、構わず休みなく走り続けた……
パリ出発から48時間半後、ルヴァッソールのNo.5はパリに帰った。
2位以下に大差を付けての1着だった。
フェニックスエンジンもタフだったが、ルヴァッソールが鉄人過ぎた。
車を降りたルヴァッソールはゆで卵2個とブイヨンを平らげ、
元気な様子で、新聞記者のインタビューに答えたという。
「夜道のドライブは実に危険だ。夜間レースはすべきでない」
……48時間休まない53歳の方が、ずっと危険だと思う。

のちにルヴァッソールが、レースの事故が元で亡くなったのは、
山犬氏の書くとおり。だから危険だと言ったのに。

71: 山犬 ◆R200HRTAe.
>>63さん
大変面白い話を、どうもありがとうございました。
エミール・ルヴァッソールは、元祖車バカといった感じで、大好きな人物です。
レースで亡くなられてしまったのは残念ですが。

パリ・ボルドーレースに参加したパナール・ルバッソールは、やはり63さんの
仰られるように、FRレイアウトとエンジンフードの採用が特徴的ですね。
プジョーなど他社の車は、RRレイアウトの上エンジンむき出しで、砂埃の影響
をもろに受けるのに対し、砂埃を被りにくい構造のルバッソール車は、長い距離
を走ると差が大きく出たのでしょうね。

FRといっても、まだプロペラシャフトが採用される以前ですので、べベルギアで
回転方向を変えて中間軸に動力を伝え、そこからプーリーとチェーンによって
後輪を駆動させているという構造ですが、自転車の構造にやや近いです。

それにしても、パリ・ボルドーレースは全長1180kmの距離を争われたそうですが、
発明されてまだ10年しかたたないガソリン自動車が、よくまぁ走りきったものです。

ちなみにこのレースの結果、蒸気自動車にこだわっていたドゥ・ディオン・ブートン
伯爵もガソリン自動車の優位性を認め、その後数年間で2万基以上のエンジンを
生産し、モータリゼーションの進展に貢献しました。

96: 63
>>71でご説明いただいた初期のFRレイアウトについては、
後車軸が回転しない構造であることから、英国ではデッドアクスルと呼ばれています。
デッドアクスル式は、後車軸自体の構造は簡単なので、初期の自動車では普通でした。
パナールはもちろん、その後の自動車の祖型とも言われる1900年型メルセデスや
レースで常勝を誇った初期のモンスター・フィアットなども、デッドアクスル型です。
しかし、最終減速をチェーンに頼る構造は騒音や耐久性の面で難があり、
ホイールベース間床下にデフとドライブシャフトが通るので床が高くなる弱点もあって、
早くも1910年代に入る頃には廃れています。
これを独立サスのシステムとして近代に蘇らせたのが、ホンダのS500&600ですな。
確かにバネ下重量の軽さが魅力的な方式ですが、やはり特殊なものでしょうね。

72: 山犬 ◆R200HRTAe.
日本でも大正時代から好事家によって規模の小さなレースは行われていたそうですが、
本格的な自動車レースの開催は1963年の第一回日本グランプリが最初です。今でも
日本では、こうしたモータースポーツの人気や地位は、アメリカやヨーロッパにおける
それと比べると、かなり低いですね。

上に挙げたような自動車レースが、自動車の発展に与えた影響は絶大です。過酷な
条件のレースに参加して、様々な試行錯誤を繰り返し、そうすることによって自動車
の性能や信頼性といったものを向上させていくことができました。先進的な技術が、
まずレーシングカーに採用され、その後市販車に採用された例も数限りなくあります。

日本の場合は、完成された生産技術ごと西洋から輸入してしまったので、こうした
レースの伝統というものが希薄なのでしょうね。ですが、現在の日本は世界第二位の
自動車生産国であり、自動車産業は日本の主要産業なのですから、せめてWRCや
ル・マン位は、もう少し放送時間を延ばして欲しいものだと思います。

24: 世界@名無史さん
おまいら、車輪というものがいつ頃できたか
教えてつかあさい!

25: 世界@名無史さん
>>24
紀元前3世紀ごろ、秦王・政(始皇帝)の太后の愛人「ロウアイ」が
自らの巨大ティムポで廻して太后を喜ばしたのが始まりとされる。
彼はその功績により、始皇帝から「車裂きの刑」を賜った。

26: 世界@名無史さん
>>24
古代ガリアだかゲルマンだかの土着神が車輪だったりするよね。
無論コイツラいわゆる蛮族が発明したとはとても思えないけど。
信仰の対象足り得るモノだと思います。

37: 山犬 ◆R200HRTAe.
>>26さん
仏教でも、仏像が作られる以前には、仏陀を車輪で表現したりしていましたね。
車輪は輪廻を象徴する存在です。ちなみに、輪廻は英語では Wheel of life 
と言います。

28: 世界@名無史さん
>>24
たしかに今でも不思議なのは、コロがどうやって
軸と車輪を持つ乗り物にまで一気に飛躍したか、ですよね。
ゴロゴロ転がす丸太からどうやってあそこまで発想できたのやら?

37: 山犬 ◆R200HRTAe.
>>28さん
コロから車輪に変化したと主張する学者や、そりが変化したと主張する学者など、
色々な意見がありますね。最初の頃の車輪は、大きな木を輪切りにしたものを用い
ていたと考える学者もいますが、なにぶん資料が残っていないため、初期の車輪が
どのように生まれたかについては、結論は出ないかもしれません。

37: 山犬 ◆R200HRTAe.
>>24さん
紀元前3000年頃書かれたと思われるシュメールの絵に、車輪が描かれたもの
があるので、その頃には(あるいはそれ以前から)存在していた事は確かなようです。
紀元前2800年から2600頃になると、馬車を描いた絵も増え、それらの絵からは車輪が
2枚以上の板から作られていた事が読み取れます。

30: 世界@名無史さん
確か、インカ文明には車輪がなかったんだよね。

32: 世界@名無史さん
>>30
というよりむしろ、車輪があったのは世界で
ユーラシアと北アフリカだけ、ともいえますな

33: 世界@名無史さん
なぜ日本では車を使わずに
籠なんていう非効率的なものが使われたのだろう?

インカと違って日本人は車を知らなかったわけではない。
日本にも牛車とか山車とかがある。
それなのにわざわざ籠なんかが使われてたのは不思議だ。

34: 世界@名無史さん
坂道・悪路が多すぎて車輪よりも人力のほうが
結局早く進むからと思われ。

78: 眠い人 ◆gQikaJHtf2
板違いだけど、日本の戦前の話ですが、戦前は、黒地に白字でプレートが
交付されていました。
余談ながら、特殊車が白地に黒、後に青地に白、小型車がオレンジ地に黒で、
小型車のプレートは前面に無くても良かったそうです。
また、バス、タクシーなど営業車には、乗客に見えるところに第三のプレートを
表示する必要があったとか。

で、このプレートは世襲というか、持ち回りが可能だったりします。
他道府県の場合、そのプレートには県名が一文字目に書かれましたが、東京
市の場合、無記名で番号だけ書かれていました。

そのうち、1~100の番号はアンタッチャブルで、警官でも手を出しかねるもの
だったと言います。

ちなみに、「1」のナンバープレートは明治屋のトラックが常に所持していました。
これは、横浜でプレート無しで使われていましたが、内務省が自動車に番号を
付けることにしたと聞いて、真っ先に駆けつけたものだそうです。
しかし、残念ながら「1」は三越に取られ、「3」を貰い受けました。
ところが、三越は「3」が欲しかったので、「1」は目出度く明治屋の手に入った
そうです。

82: 山犬 ◆R200HRTAe.
>>78で書かれている明治屋は、この「1」のナンバープレートを、その後昭和30年
代まで宣伝に使っていたそうですね。東京でナンバーが義務付けられたのは明治
末の事でしたが、大正元年の東京の自動車登録台数は300台以下ですから、
所有者は大きな会社か、華族や大富豪などに限られていました。
警官が手出しできなかったのもむべなるかな、という感じですね。

現在のイタリアなどでも、警官はフェラーリが速度違反をしていても取り締まらない
というような話を聞いた事があります。フェラーリに乗っているのは貴族や大企業
の社長ばかりだからだそうです。(真偽の程は知りません)

自動車の規則という話しが出てきましたので、その点を少し。

自動車が出現すると、最初は各県ごとに規則が定められていましたが、大正8年に
内務省は自動車取締令を出し、初めて全国一律の自動車に関する規則が設けら
れ、自動車の定義、最高速度、構造装置などの他、免許制度も定められました。

それ以前は自動車を運転するのに試験を受ける必要は無かったのですが、これ
以降試験を受ける事が義務付けられ、合格者には写真付きの免許証が交付されました。

この免許制度も今とはだいぶ違い、有効期間の5年を過ぎると、試験を受けなお
さなければならず、また免許を取るためには車体検査証がなければなりません
でした。(つまり車を所有していなければ免許はもらえませんでした)

ちなみに、このとき定められた最高速度は14マイルです。

75: 世界@名無史さん
各国首脳の乗る車(馬車)についての歴史なんてのも御教示頂けると
嬉しいっす。
装備も同じ車種の市販車と違うだろうし。

79: 山犬 ◆R200HRTAe.
>>75さん
うーん、各国首脳の乗る車ですか。そういったVIPの乗る車は、自動車を生産
している国であれば、その国の最高級車をコーチビルダーに依頼して改造し、
使用してますね。暗殺などの危険を避けるため、詳しいスペックは明らかに
されていない事も多いです。

各国のリムジンに関しては、下記のページにいろいろ載ってます。
http://mitglied.lycos.de/albeyer/index.htm
※リンク入れ
 
上のUS limousines、German limousinesとかをクリックしてみてください。
アメリカの大統領ですと、伝統的にキャデラックが使用される事が多いですね。
ケネディ大統領はリンカーンでしたが。暗殺された時、1964年型のリンカーン・
コンチネンタルに乗っていたことはあまりに有名ですね。

小ブッシュもキャデラックに乗ってますね。これは、シボレーのサバーバン
をベースに作られているという話で、この事は上記のページにも書かれています。

他の国ですと、イギリス王室ではロールスロイスのファントムがエリザベス女王
のお気に入りですし、フランスのドゴール大統領はシトロエンDSに乗っていま
したね。

84: 眠い人 ◆gQikaJHtf2
さて、>>75氏のネタフリがあるので、漏れもVIPカーの話をちょこっと。

世界史板らしく、世界で最初に自動車なるものに乗った王族は、1893年、ドイツのバート・ホンブルクに於いて、チョコレート製造業者のガストン・メニエという人が所有していた、フランス製セルボレー蒸気自動車に同乗された、Prince Of Walesでした。
当時は内燃機関ではなく、蒸気機関も有力な動力源となっており、鉄道でもセルボレー式蒸気動車というのがあります。(客車の端に蒸気機関を載っけたと思いねえ。なお、実物は明治村に行けばあります)

さて、その当時、英国では自動車は馬車業者、馬匹業者の目の敵にされており、その圧力で、1865年に制定された、Red Flag Act、俗に言う赤旗法というのがありました。
これは、Road Locomotive(まぁ、当時は蒸気自動車ばかりなのでこの名称が使われていた訳ですが)を走行させる際には、3人のAttendantsを必要とし、1人は操向を、1人は罐焚きを担当し、最後の1人が、赤い旗(夜間はランプ)を振りながら、クルマの前を走るというものでした。
その速度は、市中で2mile(3.2km/h)、郊外で4mile(6.4km/h)に制限されています。
ちなみに、日本では市内電車に対して同種の法律があり、京都電鉄(N電)では、前に先触れの小僧が走って電車を先導しています。
当然、クルマと違って、制動が余り効かないですから、転けたら最後だったようです。

85: 眠い人 ◆gQikaJHtf2
余談はさておき、1896年、自動車専門誌The Autocarが、議会に対して自動車合法化の請願を行い、5月8日から3ヶ月間、ロンドンのImperial Instituteで自動車の展示会を開き、その前に国会議員、名士を集めて、自動車のDemonstrationを行いました。
この時に興味を示したのが、かのPrince Of Walesで、2月14日に、エヴェリン・エリスの運転するカンシュタット製Daimlerに試乗し、そのオーナーのF.R.シムズから説明を受けています。

こうした活動が功を奏し、1896年にEmancipation Act(解放法)が発効し、重量3トン以下のRoad Locomotiveは、3名のAttendantsは不要になり、制限速度は、12mile(19.3km/h)に緩和されました。
これを記念して、The Autocar誌は全頁赤インクで印刷した特別号を出し、11月14日にはロンドン~ブライトンまでのEmancipation Runが行われました。
これが、London to Brighton Runの始まりとなっています。

ちなみに、Prince Of Walesは1901年、Queen Victoriaの跡を継いで、EdwardVII世となっています。
で、この人は、1896年のカンシュタット製Daimlerをいたく気に入り、1899年に英国で生産を開始したDaimlerを買い上げ、王室御用達として使用しました。
と言う訳で、第二次大戦後まで英王室専用車と言えば、Rolls-Royceではなく、Daimlerがその任に就いていました。

86: 眠い人 ◆gQikaJHtf2
但し、最初に自動車を買った王族は、帝政ロシアのAlexandra皇后が最初。
1898年にフランスのド・ディートリッシュというクルマを買い入れています。
1901年には既にロシア皇室には、数台のクルマがあり、その面倒を見ていたのが、
フランス人の自動車技師、アドルフ・ケグレスでした。

しかし、ロシアは冬になると道路が凍り付き、走ることが出来ません。
ところが、皇帝は「雪原をクルマで走りたい」と言う要望を出したりしたからさぁ大変。
1902年、そのうちの1台の後輪をCaterpillarに改造し、最初の半装軌車として実用化
しました。
これは特許を取りましたが、後にケグレスはシトロエンにこの特許を譲り、有名な
シトロエン・ケグレスが生まれた訳です。

王族、皇族に限らず、影響力の大きい世俗権威としては、ローマ教皇があります。
最初に自動車の献上を受けたのは、ピウス10世で、1909年のこと。
クルマは当時最高級車だった、Italy製のイターラでした。
ところが、彼は頑として新技術を認めようとせず、それに乗ることを拒否、馬車を
死ぬまで使い続けたそうです。

日常的に自動車を使い続けた教皇は、ピウス12世で、以後、Fiat、キャデラックが
主に用いられています。

と、今日はここまで。

87: 75
日本語で車は車、自動車とまんまですが、Carの語源についてどうよ?
辞書パラパラ眺めながら素人的に石炭とか関係あるのかと推測しちゃい
まいしたが。

他、語源を紐解いてみるのも面白いかもです。
ドイツ語  der Kraftwagen:das Auto
ロシア語  koleso
イタリア語 automezzo (zの有声アルファベットが解らん)

あとは知らんです。 という事でネタ振りしときまつね。(笑

89: 眠い人 ◆gQikaJHtf2
>>87
Carの語源はラテン語だそうで、「(四輪の)荷馬車」から来た言葉だそうです。
ちなみに、automobileのautoはギリシャ語 autos=self から、mobileはラテン語 mobile 「動く」の意
から来た言葉だそうです。

さて、昨日の続き。

戦後のクルマ好き王族と言えば、Iran帝国皇帝のレザー・シャー・パハレヴィが有名です。
1959年のTorino Showで展示されたMaserati 5000GTの第一号車のオーナー(全部でこの
クルマは32台しか作られなかった)で、他にもMercedes Benz 300SLガルウイングなどの
Sports Carを多数所有していました。

戦前では、まず、Romaniaの王族はこういったクルマ好きの人々を輩出しており、Mihai I世
の摂政だった、Nikolasは、1933年のLe Mans24hに、自分でデザインしたボディを持つ、
デューセンバーグモデルJを駆って出場しています。
ちなみに、この時は規定より早く給油したので失格となったそうです。

それから、忘れてはならないのが、戦前Spain最後の王だったAlfonsoXIII世で、若いときには
自らハンドルを握るエンスージァストで、自国のHispano-Suizaには有形無形の援助を与え、
スイス生まれマルク・ビルキストが生み、1910年の最後のクプ・ド・ロトに上位を占めたHispano
のボワチュレットに、彼は自分の名、"AlfonsoXIII"を冠すことを許したのです。

88: 75
ちなみにモンゴル語では машин(machine)みたいで、
語源に歴史的背景などなく、文明の利器がまんまですね。
可笑しかったので書いてみますた。

91: 山犬 ◆R200HRTAe.
車好きの王族といえば、オーストリア皇太子フェルディナンドもそうですかね。
オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世が車を毛嫌いしていたのとは対照的に、
彼はフェルディナンド・ポルシェの開発した電気自動車、ローナー・ポルシェや、
グラーフ&シュティフトの車を愛用しています。

ローナー・ポルシェは1900年のパリ万博にも出品され、ガソリンの匂いや騒音
を嫌う人々に大評判を呼んだ車でした。1902年に行われたオーストリア軍の
大演習の際には、フェルディナンド・ポルシェの運転するローネル・ポルシェに
乗り、各地を移動するのに用いられました。
グラーフ&シュティフトはオーストリアの皇室御用達メーカーでしたが、今では
ドイツのトラック製造会社であるマンの子会社となり、バスやトラックを製造する
メーカーとして残っています。

>>眠い人さん
シトロエン・ケグレスといえば、1924年・25年のサハラ砂漠縦断や1931年・32年
のアジアの奥地探検に挑戦したエピソードが有名ですね。
半装軌車といえば、そのほとんどは軍用車として開発・使用され、戦争と密接な
関わりを持っていますので、眠い人さんの得意分野ですよね。というわけで、
半装軌車に関する面白いエピソードなどございましたら、ぜひご教示ください。

引用元: ・【馬車】 車の歴史 【自動車】







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