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1: 世界@名無史さん 投稿日:2011/11/04(金) 21:45:07.43
中世から近世にかけてのヨーロッパ経済について語るスレです
三圃式農業、商業ルネサンス、ギルド、定期市、北欧商業圏、地中海商業圏、
価格革命など、経済に関する話ならなんでもOKということで








2: 世界@名無史さん 投稿日:2011/11/05(土) 01:20:19.60
女性のギルドがあった。
女性だけのギルドもあった。

3: 世界@名無史さん 投稿日:2011/11/05(土) 09:10:12.66
大紡錘の女絹紡ぎ、小紡錘の女絹紡ぎ、絹リボン女工、絹ヴェール機織女工などは
女性の組合だったとか

4: 世界@名無史さん 投稿日:2011/11/05(土) 10:58:47.76
紡績は主に女性、製品加工は主に男性ってこと?

5: 世界@名無史さん 投稿日:2011/11/05(土) 15:29:41.06
フランスの場合、毛織物仕上げ工では女性が従事できる工程は枠張り後の
最終仕上げに限定されていたが、親方の寡婦が夫の職と徒弟を全体として
引き継いで営業することはできた。
ただし、その営業を継続することが可能なのは、彼女が寡婦である間、
および、彼女が徒弟であれ、賃職人であれ、この職の者と結婚した場合に限られ、
再婚相手がこの職の者でないときは、継続は認められなかった。

7: 世界@名無史さん 投稿日:2011/11/07(月) 19:45:56.00
欧州は17世紀に小寒冷期に入り農業生産が停滞
同時に新大陸からの安価な穀物が出回るようになり、
大農業国のポーランド・リトアニア共和国で大混乱が起こった(いわゆる大洪水時代)

ポーランド国王は景気浮揚を目指して王立鋳造所に命じ大規模な金融緩和を実施、
そのため1マルカが90ズゥオティから800ズウォティに大暴落
高率のインフレが発生し経済がさらに混乱し中欧に覇を唱えた大王国ポーランドは急速に衰退していく

日銀、読んでるか?
日本を潰したければ金融緩和だ

8: 世界@名無史さん 投稿日:2011/11/16(水) 08:42:05.68
あの悪名高いボラティーニ・クラウンか・・・

9: 世界@名無史さん 投稿日:2011/11/21(月) 19:58:46.47
疑問がある。
1.新大陸から小麦を運ぶコストは高くなかったのか?
2.農薬とかがないので、小麦がだめにならなかったのか?
3.そもそもそれまでのポーランドの小麦の輸出量は?

22: 世界@名無史さん 投稿日:2011/12/14(水) 15:19:59.36
>>9
1.航海術とインフラの整備で運賃はどんどん安くなった
2.ならなかった(ならないように工夫された)
3.ここが問題

3については、
ポーランドの輸出は絶対量はすごいけれども国内消費に比べて非常に少ない割合だったため
新大陸産の小麦輸入の影響はなかったはずだ、という議論があるが、本当に影響は軽微だったのだろうか?

たとえば現代日本の輸出はGDPの1割程度しかないわけだが、
外国製の競合品の価格低下は本当に日本経済へほとんど影響しないのか?
輸出は1割だとしても関連産業全体で見ると何割になるのか?ほとんどではないか?
ポーランドの当時の状況はこれと同じようなものだったのではないだろうか

10: 世界@名無史さん 投稿日:2011/11/21(月) 23:45:27.02
むしろジャガイモサツマイモトウモロコシの普及で小麦以外の主食が出てきて打撃を受けたんじゃないの?

11: 世界@名無史さん 投稿日:2011/11/22(火) 21:07:49.49
ヨーロッパの気候では、サツマイモが収穫できる地域はかなり限られてるんじゃない?

14: 世界@名無史さん 投稿日:2011/11/23(水) 01:18:51.77
バルト海や北海は穀物の海上輸送がかなり発達していたようだが
ポーランドのグダンスクの世界最大の木造クレーンは穀物の荷役用で、もともとはなんと13世紀に作られた
その後改良・改築されて16世紀に今の形になりそのまま
同じくグダンスクには一つの島が全部穀物倉庫として使われている通称「穀物島」がある

15: 世界@名無史さん 投稿日:2011/11/26(土) 12:56:52.54
ポーランドってなんでプロテスタント少ないの?
北方だし寒いし生真面目だしプロテスタントの方が性に合いそうな気がするのだが。

20: 世界@名無史さん 投稿日:2011/12/06(火) 00:27:00.68
>>15
16世紀終盤から盛んになったカウンターリフォーメーション(対抗宗教改革)とその当時の国際情勢のため
それでも17世紀ごろではまだポーランド貴族の2割程度がカルヴァン派プロテスタントだった
マックス・ヴェーバーが資本主義のもとだと言った宗派だな
一方プロテスタントはプロテスタントでもルター派は貴族層には少なかった
というのもマルチン・ルターの教えのなかに激しい反ユダヤ主義があり、
ポーランドでは13世紀以来法律により制度的なユダヤ人差別が禁止されていたから
ルター派は有権者たる貴族層には合わなかった(「カリシュの法令」でググれ)

62: 世界@名無史さん 投稿日:2013/04/07(日) 10:20:53.92
上の方の話になるが、ユダヤ人差別でも本質にはふたつあって、
ドイツのようにユダヤ人を血統的に考え人種のようなものと捉えて嫌う、つまり生まれで嫌うのと、
ポーランドのようにユダヤ人をとある社会思想を奉じる頑固な人々と考える、つまり行動で嫌うのと、
こういう違いがあるらしい。

ユダヤ人差別を「人種差別」として論じる場合はドイツ型の差別を指す
ポーランドは考えさえ頑固でなければいいよっていう寛容な部分があるため、
結局ユダヤ人も意固地にならず棄教してカトリックになってしまう傾向があり、
大半のポーランド人は実は先祖に1人以上のユダヤ人がいるらしい

16: 世界@名無史さん 投稿日:2011/11/26(土) 21:09:35.35
なんでドイツのジャガイモ野郎と同じ宗旨を信じないといかんのだ

24: 世界@名無史さん 投稿日:2011/12/15(木) 00:43:44.86
>>16
ドイツのじゃがいもはプロテスタントはプロテスタントだが、ヴェーバーの説ともまったく関係ないルター派だよ

40: 世界@名無史さん 投稿日:2012/12/30(日) 14:53:56.48
>>24
カルヴァン派の系統とルター派の系統の違いを教えてください。
また、ポーランドにはアイザック・ニュートンが心酔していた先進的なユニテリアン主義が創始されたようですが、それはどうしてですか?

45: 世界@名無史さん 投稿日:2013/01/02(水) 12:07:24.77
>>40
ポーランドにはその文化的な伝統として
合理的な思考の醸成をすんなりと行える風土が
古くからあったから。
長い間、宗教的にも民族的にも高度に寛容な社会だった。
パヴェウ・ヴウォトコヴィツの思想等が参考になる。
一橋大の山内学長の論説がネット上にある。

18: 世界@名無史さん 投稿日:2011/12/02(金) 22:26:57.85
都市や工業が発展せず、農業が多いからプロテスタントがはやらない。

26: 世界@名無史さん 投稿日:2011/12/15(木) 00:47:19.03
>>18
ポーランドは宗教的にリベラルな風土があって
宗教改革運動に対するお上の規制がほとんどなかったため
プロテスタントのほうも国内では過激化しなかったらしい
(ポーランドのフス派がボヘミアのフス派を助けるために
大義勇軍をボヘミアに送ったことはあるが、お上からのお咎めなし)

51: 世界@名無史さん 投稿日:2013/03/23(土) 04:01:00.79
江戸時代の小判みたいに金の含有量をどんどん減らす政策は採らなかったのだろうか?

52: 世界@名無史さん 投稿日:2013/03/23(土) 07:06:09.54
>>51
現代の不換紙幣にはほど遠いけど
ある程度幕府の信用で成り立ってたからね>金の含有量をどんどん減らす政策

53: 世界@名無史さん 投稿日:2013/03/24(日) 14:07:17.90
>>51
対モスクワ戦争(ポーランド・モスクワ戦争)後の戦費清算のため、
その後継のヴワディスワフ4世かヤン2世のときに、
クラウン金貨の金の含有量を意図的に下げて人為的なインフレを起こしている。

これでクラウン金貨の相場はグロシュ銀貨に対して900分の1にまでなった。

これで困ったのが中小零細の農家で、特にウクライナでひどく、
彼らの多くは離農してコサックとなり、トルコ領(主にクリミア汗国)に侵入して略奪。
ポーランド議会がトルコとの政治問題化を回避しようと、
クリミアでのコサックの略奪行為の取り締まりを強化したために、
フメリニツキー個人の土地争いを契機にコサックの大反乱が始まった。
これが世に名高いフメリニツキーの乱で、いわゆる大洪水時代の始まり。

これでポーランド・リトアニア共和国は急速に弱体化。

リフレなんて無暗にやっちゃだめだな。

54: 世界@名無史さん 投稿日:2013/03/24(日) 14:08:17.91
最初の一行目に、
「ポーランドのジグムント3世の起こした」と入れるのを忘れた

55: 世界@名無史さん 投稿日:2013/03/24(日) 14:11:02.81
日本でも高橋是清の無茶なリフレのせいで東北地方の小作人たちが窮乏化し、
男子は職業軍人(しかも薩長閥の時代で出世の見込みがほとんどない)に、
女子は「娘売ります」で娼婦になる時代となった

これが大日本帝国の破滅へとつながっていく

56: 世界@名無史さん 投稿日:2013/03/28(木) 00:38:11.98
>>55
オレも中学のころはそう思っていたよ。
だが多少なりと昭和の歴史に興味を持って本を読めば分かることだが、
実際には昭和に入ったころには薩長閥はほぼ一掃されていた。

なぜそういうことになったのか。
知りたければ「一夕会」や「バーデンバーデンの密約」を調べるといい。

59: 世界@名無史さん 投稿日:2013/04/06(土) 19:55:25.69
まあ高橋是清は最後は軍事費に関する対立で消されたようなものだからなあ

60: 世界@名無史さん 投稿日:2013/04/07(日) 10:09:09.55
>>59
下士官には東北の農家の次男坊以下という者が多かった。
彼らは実家に仕送りをしていたから、自分たちの給料や雇用の問題は自分たちの家族の問題にもなる。

高橋是清は
「まずリフレ、バブッたら出口政策で引き締め」
という単純極まりない愚策をやり、
リフレはいくらでもカネ撒けばできるんだから当然のことながら成功したものの、
出口政策をやったから下士官たちの所得や雇用の問題が起き、殺された。当然の報いだ。
19: 世界@名無史さん 投稿日:2011/12/05(月) 19:32:10.84
中世ヨーロッパの経済はキリスト教と密接に関わっている
十字軍による経済効果、テンプル氣志團の敷いた国際金融体制など
それらのシステムを台無しにしたのもまたキリスト教だが

27: 世界@名無史さん 投稿日:2011/12/23(金) 09:20:09.01
中世の羊毛を巡るフランドルとイングランドの関係が、
現代のレア・アースでもめる日本と中国みたいでワロタ

28: 世界@名無史さん 投稿日:2011/12/26(月) 21:14:05.13
理由が大きく違う。
政治的な理由で禁輸。

資源の価格つり上げのための輸出制限。

29: 世界@名無史さん 投稿日:2011/12/27(火) 00:43:48.90
価格吊り上げというかそろそろ中国でも法外なダンピングのような値段で輸出するには
採掘コストも環境コストもやばいんだよなぁ

30: 世界@名無史さん 投稿日:2011/12/27(火) 07:12:53.74
中世フランドルは、どうしてあんなに毛織物産業が盛んになったのだろうか
原産地イギリスに近かったからだとすると、そのイギリスの毛織物産業の発達が
遅れた理由が説明つかないし。職人の都合がついたからかしらね

31: 世界@名無史さん 投稿日:2012/01/06(金) 20:54:56.19
北と南のヨーロッパの貿易の中継地点で、輸出ルートが確保できていたから、
フランドル地域の消費+輸出先の消費分で市場が大きかったからじゃないの。

32: 世界@名無史さん 投稿日:2012/01/07(土) 11:43:30.50
元々フランドルは低地で河川が多く走り、しかも洪水が頻発したため
土壌の塩分濃度が高く、農業にはあまり適していなかった。
このため牧羊が盛んで、領主や修道院への納税も羊毛の現物納付が多かった。
つまり、フランドルは最初は原料生産も行っていた。

もちろん受け取った方は羊毛を加工して毛織物にするわけだが、
最初は自家消費程度だったのがそのうちに余所に輸出できるほどに生産が増大した。
>>31の指摘通り地の利がよかったのもあるし、その時点で技術や資本の蓄積も
余所より進んでいただろう。

その内にフランドルで得られる羊毛では賄いきれなくなり、イングランドから輸入するようになった。

34: 世界@名無史さん 投稿日:2012/02/07(火) 21:33:14.92
経済的には有利だが、国防は不利だよね。

37: 世界@名無史さん 投稿日:2012/10/06(土) 22:46:00.18
中世ヨーロッパで24時間営業をしていたのは製塩工場。

38: 世界@名無史さん 投稿日:2012/10/09(火) 22:44:48.38
ヨーロッパに限らないが、
日の出日の入りベースなので、夏の労働時間が長く、冬の労働時間が短い。
賃金も冬の方が安い。

41: 世界@名無史さん 投稿日:2012/12/31(月) 07:53:26.15
日本人には、
緯度の高いヨーロッパの「暗さ」
がイメージしにくいんだよね、
以外と、

44: 世界@名無史さん 投稿日:2012/12/31(月) 10:57:41.30
>>41
そもそもヨーロッパでもジブラルタルやパレルモとナルヴィクやロヴァミエミとでは世界が違う。

50: 世界@名無史さん 投稿日:2013/02/15(金) 02:01:31.66
>>41
暗さっていうか空の低さかな。住んで一番実感できるのは、当たり前だけど夏と冬の極端な昼間の長さの違いだよね。
今の季節は一日毎に日が長くなるのが実感できるから、イースターを祝う気持ちが本当に良くわかる。中世が宗教中心に回ってたのが実感できるよ。

42: 世界@名無史さん 投稿日:2012/12/31(月) 08:17:49.13
詩の翻訳で、日本人の「秋」のイメージとヨーロッパ人の「秋」
のイメージが違うから、意味の受け取り方が違う。

43: 世界@名無史さん 投稿日:2012/12/31(月) 08:39:20.59
中東の人の緑に対する感覚と
こっちの人間の緑に対する感覚の差もそうだよな

こっちだと野放図な植物って排除すべき対象だけど
あっちだと緑があるだけで御の字みたいな感覚らしいし


58: 世界@名無史さん 投稿日:2013/03/28(木) 19:27:45.35
ちょっと調べてるが下記がわからず教えて欲しい

・12世紀フランス辺りで、領地持ち騎士は60人村一個持ってるレベルですか?
・その場合戦時動員数はどれくらいでしたか?(戦国の200石単位とかあります?
・クロスボウ=プレートの価格で間違いないですか?
・十字軍敗戦で村消えたりしてます?

63: 世界@名無史さん 投稿日:2013/04/08(月) 20:23:12.64
>>58
騎士の動員数は基本は従者のみだと思うけど。

十字軍の廃村よりも、黒死病の廃村の方がはるかに有名。

65: 世界@名無史さん 投稿日:2013/04/12(金) 19:18:22.86
1166年のイングランドのラムジ修道院のカルタで、
5ハイドで1騎士封(3~11.5でも1騎士封)

66: 世界@名無史さん 投稿日:2013/04/15(月) 20:13:47.93
あるときの,フィリップ尊厳王の王軍1437のうち
騎士257,従士266,騎馬弓兵80,徒歩弓兵133,歩兵200,雑兵300,その他
だけど,騎士1に対して約1の従士以外,関係はないね。

67: 世界@名無史さん 投稿日:2013/04/21(日) 04:55:19.47
ラムジ修道院長が23名の騎士を記載。共同で王への奉仕のため
4騎士役を負担している。
名簿上23名登録、実際に戦場に行くのは4名らしい。

1242年、選出を巡り領主(修道院)裁判で、4人選出されたが、
1人は、本人の代わりに息子2人で代わりに派遣した。
他の3人は義務の遂行を拒否、国王裁判所で、同騎士役の遂行義務
を承認。
1245年、4人選出、1人は2人に代行させ、別の一人は二人の
従騎士に代行させる。
1257年、4人選出。院長は自腹で4名の騎士を追加して派遣。

代理2人でもいいらしい。誰が行くかで揉めまくる。

68: 世界@名無史さん 投稿日:2013/04/21(日) 05:07:08.17
ノーサンプトンシャのジェフリ・ライデルのカルタでは、
父のリチャード・バセットが184カルーキットと1ヴァーギットの
土地で、15騎士封。

ロンドン司教のカルタには、
グロスタ伯は、グロスタにおいて2騎士封を負う。
伯爵でも2騎士封しかない。

71: 世界@名無史さん 投稿日:2013/04/21(日) 12:32:01.78
>>68
解ってなくて言ってるんですが・・半分質問です。
公爵、侯爵、伯爵。
公爵の領土はsherで広い。侯爵は郡くらい。伯爵はもっと狭い。
それによって、雇える騎士の数も変わる。
英国の場合ですけど。

72: 世界@名無史さん 投稿日:2013/04/22(月) 02:34:51.02
>>71
自分の理解の範囲でだけど。
ノルマン朝以後限定で、
イングランドでは国王の直臣をバロンと呼び、その中で有力な人を
伯と呼んだ。
この時点では公、侯、子は存在しない。
公、侯、子は14世紀以後に徐々に創設されていった。
また14世紀以後に叙爵されていった爵位の場合(伯爵も男爵も)、
国王が勅許状によって与えるのは単に称号であって、決して土地を
与えるものではない。

またイングランドでは一つの州全体を治めるような貴族は存在しない。
例外的に王権州と呼ばれたチェスター(伯→公)、ランカスター(伯→公)、
ダラム司教はそれぞれの州の中で国王と同じ権力を行使することが
できた。

あくまでイングランド限定。

73: 世界@名無史さん 投稿日:2013/04/23(火) 23:56:12.99
マグナ・カルタでは、
・王様が騎士に与えた(承認した)土地
・王様がバロンに与えた(承認した)土地
・王様が伯に与えた(承認した)土地
の3つに分類される。

土地を相続するときに王様に相続上納金を支払わなければ成らず、
このときの上納金額の割合が騎士封が比例していると考えて、
1バロン領=13と1/3騎士封(エドワード1世の時代)
1バロン領=20騎士封
と考えた歴史家もいたが、今日でこれを主張する人はいない。

だが、バロンがどの程度の騎士封だったか分からないのでこのような
皮算用をしているということがうかがえる。

そもそも、バロンが王から20騎士封の土地を受け取っていれば、20騎士封となるが、
バロンが定数のような概念のない土地を受け取っていれば、バロンの裁量で、
20人の騎士に分配すれば、20騎士封、30人の騎士に分配すれば
30騎士封になるんじゃないかという気もする。
こうした定数的な概念を持っていたのかがよく分からん。

またラムジ修道院のように23名の騎士に対して4騎士封という構造が
一般的なのか例外なのかもよく分からん。

74: 世界@名無史さん 投稿日:2013/09/27(金) 04:27:50.54
the Cartae Baronum(1166)から、考えれば、定数なんかない。

王が土地をバロンに配る。
バロンはその土地の一部を何人か騎士たちに配る。
バロンが何人の騎士に配ったかは、王は把握していない。
そこで、1166年に、バロンが何人の騎士に配ったかなど、
アンケート(the Cartae Baronum)を実施している。
定数を決めて王がバロンに配っているなら、アンケートする必要すらない。

80: 世界@名無史さん 投稿日:2013/10/22(火) 10:47:54.75
フランドルという地名の場所が移動していったのは
どうしてですか?
宗教の関係で住民が移動したんでしょうか?

83: 世界@名無史さん 投稿日:2013/10/22(火) 17:29:54.55
>>80
フランドルに限らず、地名の場所は変動するものだけど。

84: 世界@名無史さん 投稿日:2013/10/22(火) 19:56:50.46
「フランス」なんて地名の移動酷いもんな

85: 世界@名無史さん 投稿日:2013/10/22(火) 20:43:40.31
ガリア→フランク→フランス?

86: 世界@名無史さん 投稿日:2013/10/22(火) 20:51:13.89
>>85
「フランク族の土地」というのがフランスの語源だけど
最初はフランス東北部からドイツの西北部に掛けてだったのが
ドイツはそのままフランケン地方として残ってるが

フランスはフランス島とか出来たり、全土に広がったりもうワケワカメ

87: 世界@名無史さん 投稿日:2013/10/23(水) 11:18:36.18
芸術が盛んという場所は経済状態がいい。
フランドル芸術という時に、フランドル音楽というのは
北フランス、フランドル絵画はベルギー。
音楽家を雇うのは、王様しかできないけど、絵を買うくらいは
商人でも出来る。

89: 世界@名無史さん 投稿日:2013/10/27(日) 11:35:37.05
>>87
>フランドル音楽というのは
>北フランス


フランドルのうち、いまフランス領になっている部分が
フランドル領になったのは、フランドル音楽うんぬんより
ずっと後だったような?

引用元: ・中世~近世ヨーロッパ経済史







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