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1: 無名武将@お腹せっぷく 2009/04/14(火) 20:31:31
信憑性はどうよ?
たしかにあれだけの死者を出したという大火の割には、魏の有名武将の死が全然出てこない。







4: 無名武将@お腹せっぷく 2009/04/14(火) 20:35:34
ショボくはない、曹操軍では大量の病死者が出たんで
相当に不衛生な地獄絵図が広がってたはず
ある意味、派手。

5: 無名武将@お腹せっぷく 2009/04/14(火) 20:37:06
呉書には大々的にどこそこで戦闘があったと書かれてるのに
魏書にはそっけなく疫病の為に撤退って感じで書かれてる所からすると
戦闘はあっただろうがさほど大規模ではなく成果もそれほどではなかっただろうと推測されておりますね

6: 無名武将@お腹せっぷく 2009/04/14(火) 20:38:39
でも、コウガイ達が突撃させた艦隊数十隻だけでは全てに燃え広がるまで時間もかかっただろうし、船を捨てて逃げれる猶予は充分あったと思うんだけどねぇ。

7: 無名武将@お腹せっぷく 2009/04/14(火) 20:41:59
少なくとも魏は呉を平定する気まんまんでいったのに完全に打ち破られた
というのは妄想でしょ
実際は呉もついでに併呑しようかと思ったけど思いのほか抵抗が激しく
自分の軍も不調だから今回は止めときますかね って感じだったと思う
あまりにも熱の入り用が違うからな 呉と魏では

10: ひょーりみ ◆e/dIJRgbGM 2009/04/14(火) 22:46:07
魏からすりゃどっちでもよかったが呉にとっては存亡を賭けた一大決戦だった
大げさにもなる

13: 無名武将@お腹せっぷく 2009/04/15(水) 00:24:31
当時の火力から言っても曹操軍十数万が一気に燃え尽きたってのは考えにくいしな
ガソリンや爆薬があるわけじゃ無しに。あってもせいぜい有機性の油で、風任せに頼るんだろ?

慣れない自然の要害に身動きを取るのに苦戦し、水上の小競り合いでもどうも成果が芳しくない、疫病も流行ってこりゃ戦いにならねーや、ってことで引き返した、
というのが実際のところではあると思う。

14: 無名武将@お腹せっぷく 2009/04/15(水) 00:46:49
ここまでの話をまとめると、龐統や周瑜って大した事ないことになるよね。

15: 無名武将@お腹せっぷく 2009/04/15(水) 01:05:11
周喩は合戦の実態がどうであれハナから降伏するつもりだった呉の滅亡を救ったわけだから、大手柄には違いないだろう

ホウトウは確かに微妙だが

16: 無名武将@お腹せっぷく 2009/04/15(水) 01:42:35
いつの時代も戦争ってのは政治の延長なんだ。実際の内容は不明のまま魏に圧勝という風評を史上に確立させた呉の成果は強かで確かなものだ。

18: 無名武将@お腹せっぷく 2009/04/15(水) 09:23:04
なんで呉の捏造と言う人がいても曹操の隠蔽と言う人がいないのか?

19: 無名武将@お腹せっぷく 2009/04/15(水) 12:09:32
>>18
いったい何を隠蔽したというのか?

20: 無名武将@お腹せっぷく 2009/04/15(水) 13:12:35
呉書にあるような大敗を隠蔽してるだろ

24: 無名武将@お腹せっぷく 2009/04/15(水) 14:33:29
赤壁の戦いの敗北で曹操が天下を統一する機会を失ったのは事実だろうが、
別に主だった将軍が戦死したという記述は無い。
しかも、その直後に銅雀台という大宮殿を建造し、華やかな建安文化の
基礎を築く。ところがそのような大々的な土木工事にも関わらず税金は
上がらず、国庫は安定していた。国が傾くどころかすぐに軍事行動を再開
している事から見ても、曹操や魏にとって人的にも財政的にも大きな敗北
では無かったのは間違いないだろう。
ただ単に、天下統一が遅れたに過ぎない。
にも関わらず赤壁の戦いが史上稀にみる大勝のように伝えられるのは曹操と
いう偉大な名将を後退させたという事実を政治的に宣伝し、士気を高めよう
という意図があったのだと思われる。
そして、それが『三国志演義』においてさらに誇張・歪曲されたと考える。

26: 無名武将@お腹せっぷく 2009/04/15(水) 15:28:42
仮に魏書が負け惜しみまじりの記述だったとしても、蜀書のほうにも大したことは書かれていない
蜀に関する記述は全体として三国の中で比較的簡素だが、今日言われるような史上稀なる大勝だったとしたならもうちょっと具体的な事がかかれるだろう。
赤壁で勝って、船を燃やしたと、本当にそれだけしか書かれていないのだから

また孫権の伝にも「曹操軍の死者の大半は病と餓えで亡くなった」と書かれている
つまり曹操の軍が大損害を被ったのは確かだとしても、それは戦によるものでなく、疫病によるものだったんだろう

28: 無名武将@お腹せっぷく 2009/04/15(水) 17:36:23
>>24・26
だとすると、天下を制する機会を失ったのは赤壁の敗北が原因でもなく、その撤退後に銅雀台建造などの
文化面に財政や国力を使い、道楽に進んでしまったのが原因ってことかねぇ?

31: 無名武将@お腹せっぷく 2009/04/15(水) 17:52:48
>>28
戦争しか頭にないのか。戦争以外の事は道楽かい?

32: 無名武将@お腹せっぷく 2009/04/15(水) 17:58:22
>>31
銅雀台を建てても天下取れないだろ。

36: 無名武将@お腹せっぷく 2009/04/15(水) 18:33:19
>>32
見失いがちだが国にとって天下取りなんてのは重要な事ではないよ
国の事を考えれば戦争なんてしないに越したことはない。
みなそれぞれ国民と領土をもった巨大な政治集団であって、陣取りゲームに興じてるわけじゃない
戦争と言うのはつまるところ政治の延長なんだ。やるメリットがあればやるし、なければやらない

自分の指導する国を栄えさせることが目的であって、戦争と言うのはそのための一つの手段に過ぎないわけ

29: 無名武将@お腹せっぷく 2009/04/15(水) 17:47:26
赤壁後も戦争ばかりしてた気がするんだが
馬超撃破、涼州奪取、五斗米道撃破、漢中争奪、合肥激戦などなど

35: 無名武将@お腹せっぷく 2009/04/15(水) 18:23:28
赤壁による曹操の痛手は実害よりは権威失墜だろう
わかりやすく言えば呉や劉障ら南方が独立の意思を強く持つようになったこと、一時的に反乱が頻発するようになったこと

また曹操が成人する以前から中原は大小の農民蜂起や飢饉などで疲弊しており、逆に江南にはそんな中原から逃げてきた人間が流れ込んできた
南と北の体力差が往年より縮まっていたとは言えるかもしれない

ただそれはあくまで二次的なものに過ぎないと思う

赤壁以後も関中方面やワイ水方面に積極的に軍事アプローチをかける経済的体力はあったが、荊州方面は手だてをうつことができずに利権を失っている。
これは赤壁の疫病が尾を引いて荊州方面の軍が弱体化していたからだろう。これによって以後容易に南に手を出すことはできなくなってしまった

さらに文帝の治世にも江凌を陥落寸前まで追い詰めるが、疫病により戦線が維持できなくなって撤退、
その後の出兵のときにも長江の凍結により身動きが取れず撤退した。
文帝は「天が長江で中華を二分しているのだから仕方がない」と嘆いたと言うが、
結局南伐が叶わなかったのは人為ではなく天意だったような気もする。

38: 無名武将@お腹せっぷく 2009/04/15(水) 21:44:27
>>35
北から南を攻める時は疫病で悩まされ続けたのに、晋になって西から南を攻めた時は疫病の話が出なかったよね。
当時、南から北に対して風土病の風でも流れてたのかな。

39: 無名武将@お腹せっぷく 2009/04/15(水) 21:54:50
>>38
西の人間は免疫持ってたのかも知れんね
それに現地の人間の病気の対処法の知識が入れば、だいぶ変わると思う
41: 無名武将@お腹せっぷく 2009/04/16(木) 02:15:34
秦も劉邦も江南へ侵攻してるのに、そんなメロメロになるほど疫病に悩まされた形跡はないんだよな
大体、全くの異郷ではなく同じ王朝の領土なのに、全く対処法も知られていなかったのだろうか

この時期に突如生まれた新たな病気か、そうでなければ信じがたいほどのレベルで曹操が準備不足だったのか、疫病が流行してたのに進軍を強行した曹操の自業自得だったのか

44: 無名武将@お腹せっぷく 2009/04/16(木) 16:13:42
>>41
当時、医学自体そんなに高いレベルの技術じゃなかった
病気の存在はわかってても効果的な治療法となるとまた話は別
病気のメカニズムなんてまるでわからなかったろうし
だから中原でも飢饉によって死体が放置されると疫病がはやり大量に人が死ぬという事態も起きている
そもそも当時はガチで病気は天の意思だとか悪いことした報いだとか思われていたところがあるみたいだし
黄巾党も病気になったのは悪いことした報いなのだから懺悔しましょうみたいなやり方で信仰を集めた

42: 無名武将@お腹せっぷく 2009/04/16(木) 12:05:10
もし疫病の事実がないなら、単に撤兵の口実だったか

ただ、時代的には傷寒論が成立した頃で、
つまり、当時、史上未曽有の疫病が大流行していた可能性もある

江南開発が飛躍的に進んだ時期でもあり、なんらかの因果関係はあったかもしれない

46: 無名武将@お腹せっぷく 2009/04/16(木) 18:20:00
古い時代に疫病が流行ったのって医学のレベルもあるけど
第一は衛生面での理由ってのがあると思う
飯を炊く水も下水も一緒くたで風呂も満足に入らないような生活習慣じゃそりゃ疫病も流行りまくるよ

48: 無名武将@お腹せっぷく 2009/04/16(木) 19:51:38
赤壁の戦いでの被害が仮に大したことはなかったとすると、
どうして調子に乗って江陵まで落としにかかる孫・劉連合軍に対して曹仁を孤立同然のまま放置し続け、江陵陥落を許した上に奪還にも行かないのか理解に苦しむ

これはつまり赤壁の戦いでの被害が相当なものだったということだろう
理由が火計によるのか劉備の追撃によるのか疫病によるのかはともかくとして

49: 無名武将@お腹せっぷく 2009/04/16(木) 19:56:25
いや、疫病が蔓延してる上に調子こいて追撃してくるからさっさと逃げただけだろ
疫病っていう大問題を簡単においとくなよw

50: 無名武将@お腹せっぷく 2009/04/16(木) 20:04:54
>>49
疫病も火計も追撃も、全部史書に書いてあることだよ
なんで疫病だけみたいに簡単に断定できるの?

57: 無名武将@お腹せっぷく 2009/04/16(木) 23:09:16
なぜ荊州の利権を手放したか、それに付いてはすでに>>35で出た
火計や水上の遭遇戦でそれほど甚大な被害が出るとは考えにくい、という話も既に出た
劉備の追撃でそれほどの大戦果をあげたなら蜀書に誰がどの軍を撃破したとか、どんな将を討ちとったとか、追撃戦の様子や状況とかがもっと詳細に載ってるはずだ

戦闘があったにせよなかったにせよ、疫病が主な要因とみてほぼ間違いないと思うが

60: 無名武将@お腹せっぷく 2009/04/16(木) 23:48:45
>>57
そもそも>>35について、長江以南に呉・蜀が陣取って以降の統一の困難さは同意するが、
なぜそうなる前の孫・劉連合が江陵に侵攻、征服して荊州南部を我が物とし、やがて仲間割れしつつもそれぞれ堅固な体制を築き上げるまで放置したか、の理由については曖昧にしか感じない
石井仁が言うように、関中平定は権威が失墜した曹操が強引にでも演じる必要があった「横綱相撲」であり、それは裏返すと荊州にリベンジかける体制も自信も曹操側にはまだなかったということになる
それだけ弱体化するほどの被害が赤壁で生じたのだと思う
疾病そのものは呉書でも周瑜の見立てによる勝てる理由に入っているから、疾病が当時の曹操軍を弱らせ、かなりの被害を出した事は間違いないだろう
だが、その後の曹操が荊州だけ黙殺して権威と軍事力の回復にいそしむ様子からは、病死者だけではない被害を戦闘でも出したからだと考えた方が辻褄が合う

蜀書にさほど記録されないのは、おそらく劉備による追い討ちはさほど効果を挙げなかったんだろう
実際に曹操に追いつかなかったと記録されているし
ただそれは、呉の戦果の存在を否定するものではないし、曹操が危機一髪だったことを否定するものでもない

魏書に戦死者等の記録が無いのは不思議でもなんでもない
列伝は大抵成功者の記録であって、途中で死んだ将のことなんて記録されるわけが無い
赤壁の時に合肥救援に行った記録が残る騎将張喜ですら全く記録が残っていないんだから
「記録されて無いから」は存在しなかった証拠ではない

曹操はこの戦で権威も実兵力もどちらも失い、他勢力に対する優位は変わらなくてもその差はかなり縮まった
なによりも江陵以南を維持・回復するすべを失ったことで三国鼎立を許してしまった
被害甚大でなかったら、カクが進言していたように荊州維持に切り替えることもできそうなものだが、それもままならなかったということが当時の曹操の状況をよく表してると思う

61: 無名武将@お腹せっぷく 2009/04/17(金) 01:06:03
孫権の伝にすら疫病の被害が甚大だったことが書かれてるし、
曹操も孫権に「疫病のせいで撤退したが、アレで周喩に虚名を馳せさせる結果になった」っていう手紙も出してるし

こんだけこれ見よがしに疫病だ疫病だ言われてるんだからそれが最大の原因であることはほぼ間違いないだろう

そんなグロッキー状態でガチンコの陸戦やったとは到底考えられない。曹操が退却すら満足に出来ないで疫病におかされた軍隊を戦わせるような愚将なら袁紹にも呂布にも勝ててないよ。つかそもそも劉備からは逃げ切れなかった筈。
水上戦に全力を傾け、なおかつその一戦で後々まで行動不能になる大敗北を喫したとはもっと考えられない。推定十五万とも二十万とも言われるが、五万足らずの兵力で身動きのとりにくい水上で一瞬で大兵力をごっそり削れるような火力も当時はない
そもそもそれほどの大兵力を水戦に投入したわけがないし。いくらなんでも不用意すぎる。
戦死者等の記述がないのは呉書も蜀書も変わらない

辻褄が合うと言うならば、不鮮明な史書から大戦の可能性を無理やり作ろうとするよりは、
単純にまともに荊州方面へ軍事行動が取れないほど疫病の被害が甚大だったと考えるほうが自然な気がするんだが

あくまで疫病を念頭に入れてあるが故の考え方だが、それほどの本格的な戦いにそんなメロメロな状態で臨むとは考えにくい
疫病で行動不能、戦にもボロ負け、と、そこまで後手後手に回り、なおかつ致命傷を負っていたなら、劉備から逃げ切れるわけがない
軍隊が全滅するようなこともなく退却に成功しているわけだから、大戦が起こる前に見切りをつけて撤兵したんだろう。
小手調べや様子見のような接触はあったかもしれないが、本格的な戦いに移行する前に北へ引き返したんだと思われる。


62: 無名武将@お腹せっぷく 2009/04/17(金) 01:19:12
>>60>>61
赤壁の規模が大きなものだったとするならば、
劉備は疫病、さらに歴史的な大敗北というダブルパンチをくらった瀕死の曹操軍に殆ど一矢も報いず取り逃がしたことになるからな
逃げおおせたということは曹操はかなり早くから行動を開始していたということで、
そんな規模の大きい戦をしている時間がなんてなかったんじゃないか
逆に言えば、そんな大規模な戦を行い、なおかつ大負けしておきながら、逃げる隙があったのかね?ってことだが
戦いがあったとしても、水上の遭遇戦とか、小競り合いとか、その程度のものだったんではないかと
少なくとも軍全体がぶつかるような戦いではなかったのは確かだろうな

70: 無名武将@お腹せっぷく 2009/04/17(金) 19:45:21
>>62
英雄記では曹操が討ち死に寸前のところまで劉備に追い詰められてるぞ
危うく難を逃れて有名な捨て台詞吐いてるしな
正史の各紀伝合わせて考えるなら曹操は大打撃を受けた事は間違いない
偽投降に騙されて呉の火攻めを受けたので、残った船を焼いて追手を防いだつもりが劉備に追い立てられて命からがらという感じだろうな

86: 無名武将@お腹せっぷく 2009/04/17(金) 22:24:46
>>70
討ち死に寸前?どんなだっけ。
その、火攻めを受け、船を燃やしたけど防ぎきれず劉備に追い詰められて命からがらという感じというが
どーやってその状況まで持っていったんだろう?そこらへんの事情がわからんから赤壁の戦闘で曹操が決定打を受けたか否かがわからんのだが

54: 無名武将@お腹せっぷく 2009/04/16(木) 20:24:26
疫病だけじゃなく、撤退理由に袁紹軍などの投降兵をまとめきれなかったっていうのは歴史の裏にある可能性は無いかね?

55: 無名武将@お腹せっぷく 2009/04/16(木) 20:40:52
>>54
袁紹の投降兵なら既に官渡でかなり殺しちゃったよ、曹操が
荊州の投降兵をまとめ切れなかったのはあり得るかもしれないな

58: 無名武将@お腹せっぷく 2009/04/16(木) 23:11:04
少なくとも疫病がきっかけで帰る事にしたのには間違いないと思う
その後の戦闘がどんぐらいだったかはいろいろ意見が別れるだろうが

63: 無名武将@お腹せっぷく 2009/04/17(金) 01:32:44
そもそも荊州の戦線離脱を赤壁の実的被害と絡め過ぎじゃないの?

反乱が起こったとか、中央での政策に追われてたとか、民心の安定と権威の回復とか、洪水かなんかで援軍経路が絶たれたとか

他にも考えられる理由はありそうなもんだが

70: 無名武将@お腹せっぷく 2009/04/17(金) 19:45:21
>>63
一族の重鎮が囲まれて落城寸前に陥るまで1年放置する程の理由なんぞないだろ
徐州の方から南下したがそれも敗戦の1年後

南部制圧に最も重要な江陵を落とされてまでやる必要のある事なんて何一つない
中原から荊州への経路で洪水の記録もない

86: 無名武将@お腹せっぷく 2009/04/17(金) 22:24:46
>>70
討ち死に寸前?どんなだっけ。
その、火攻めを受け、船を燃やしたけど防ぎきれず劉備に追い詰められて命からがらという感じというが
どーやってその状況まで持っていったんだろう?そこらへんの事情がわからんから赤壁の戦闘で曹操が決定打を受けたか否かがわからんのだが

77: 無名武将@お腹せっぷく 2009/04/17(金) 22:06:58
カク伝を見ればわかるように、最低でもカクは荊州南部(特に江陵)に楔を打ち込んでおけば呉はくみしやすいと理解していた
曹操がその進言を聞いても進軍したのは仕方ないにしろ、負けて以降も全く理解せずに江陵を放置したというのであれば、曹操に戦略眼が皆無であったといわざるを得ない
もちろん実際にはそういうわけではなく、赤壁での損害が大きくて江陵を助けにも行けない状態だったということだろう
蒋済伝によると合肥救援に使わされた将軍張喜の兵がやっと騎兵1000で、それすらも疾病に苦しんだそうだから
疾病で弱体化したところを呉に狙われた、というのが真相なのだろう

79: 無名武将@お腹せっぷく 2009/04/17(金) 22:08:58
曹操からすりゃ劉表があっさり降伏したからついでに呉もって思ったのに
呉は思いのほかやる気まんまんになったから
まあ兵力差もあるしちょっとやってみるか!
ぐらいにしか思ってなかったんじゃね?
んでいろいろ問題がでてきた(曹操からすりゃある程度想定内だったかも)からじゃもう帰るか!
ってなったのにこれがまた予想外の打撃を受けちゃったってぐらいだろ 実際は

82: 無名武将@お腹せっぷく 2009/04/17(金) 22:14:33
他のスレでも主張したことではあるが、疫病とは言うものの、栄養不良によって起こる病気や、
飢餓から免疫が弱ってちょっとした衛生面の不備によってかかる病気であった可能性が高いと思う。

曹操を完全に免責しようとして偶然の疫病を強調する人間も多いが、
風土病によるにしては、近隣に駐屯していたとみられる曹操、劉備、孫権三勢力の有名人物に被害がなさすぎる。
諸将に様々な風土病を避ける術があるなら北で郭嘉は死ななかったろうし、
呉の将も山越討伐で病の犠牲になったりはしないだろう。
また、避ける術があるならば兵に徹底させない理由がない。
つまり、苛烈な戦闘があったにしては将に被害が少ないが、同様に疫病にしては被害が将に及んでいない。
おそらく、曹操軍に兵站の不備があって、一定階級以上にしか食糧がまわらず、
一定階級未満の人間が飢餓や壊血病などの犠牲になったんじゃなかろうか。
そこを襲われればそりゃ潰走もするだろう。

賈クなどは兵站線が長すぎるところを危惧し、荊州をまず完全に抑えるべきと主張したんだろう。

84: 無名武将@お腹せっぷく 2009/04/17(金) 22:21:19
>>82
なるほど
それなら、曹操が疫病が出てもなお速やかに引き返さなかったことや、よく言われる「将が死んでいない」(これは「死者が記録に出てきてないから多いか少ないかもわからない」が正しいとは思うが)ことの理由が付く

赤壁では干戈を交えるという意味での戦闘はあまりなかったのだろう
その代わり、病死者や火による物資や兵卒の損耗、追撃での脱落者がハンパなかったんだろう
これでは確かに名のある将はいい意味でも悪い意味でも出番が無い

87: 無名武将@お腹せっぷく 2009/04/17(金) 22:28:20
>>84
そうなるとやっぱり戦いの規模はそう大きくなかったという結論になるだろう

89: 無名武将@お腹せっぷく 2009/04/17(金) 22:31:08
>>87
うん、戦いの規模、なら大きくなかったと思うよ
ただ、それをイコール大した被害じゃなかった、とするのは間違い
天下取りが数十年単位で延びてしまう大被害だった、が正解だと思う

92: 無名武将@お腹せっぷく 2009/04/17(金) 22:37:27
>>82
兵の間で病気がはやってるのにお偉いさんが隔離されず病気の移るようなとこにいるってのもおかしな話
典医もいるだろうし、上で衛生面の問題もあげられたが、そっちの方が本命な気がする
ただ食糧難をほのめかす記述もあるわけだから、そういう理由もあったんだろうね
どっちにしろ、被害と言うのは主に疫病であって、戦闘そのものは派手なものじゃなかったという当初の結論に戻るんじゃねーの?

97: 無名武将@お腹せっぷく 2009/04/17(金) 22:45:33
>>92
追撃戦だと兵卒の被害は多いに出るが高級軍人にはあまり被害が出ない
「将官の被害なし」という事で声高に戦闘の被害が少ないと主張するのは
記述に追撃があったと書かれてるのに無視していてよろしくない

100: 無名武将@お腹せっぷく 2009/04/17(金) 22:49:12
>>97
逆に言えば追撃があった=大被害と決めつけるのだっておかしいだろう
実被害がわからんのだから。曹操の言葉だという記述を信用すれば全滅しなかったということは確かだが

106: 無名武将@お腹せっぷく 2009/04/17(金) 22:59:32
>>100
いや山陽公載記には追撃の副次的なものになるけど甚大な死者出たって書いてある

もうこの時点で追撃による損害はあると見ていいはずだが

109: 無名武将@お腹せっぷく 2009/04/17(金) 23:02:58
>>106
副次的?

110: 無名武将@お腹せっぷく 2009/04/17(金) 23:05:29
>>109
追撃を恐れた曹操が泥濘を通れるように工事させた時、兵士には多数の死者が出たとある
追撃そのものによる被害ではないが、追撃を因として出た死者は果だろ

112: 無名武将@お腹せっぷく 2009/04/17(金) 23:06:47
>>110
それじゃあやっぱり戦闘による被害とは言えんだろ
土木による事故死だ

114: 無名武将@お腹せっぷく 2009/04/17(金) 23:11:02
>>112
だから追撃による副次的な死人と言ってるだろ
第一、その死人が最低のラインになるのであってそれが全てじゃないよ?

ちょっと火で退路ふさぐだけで全滅しそうになってるってことは
相当追い詰められてたってことなんだから、それまでの追撃でそれなりの被害が出てたって事になる

118: 無名武将@お腹せっぷく 2009/04/17(金) 23:17:16
>>114
曹操自身が言った言葉とされてるから、
客観的に見て本当にちょっと火でふさいだだけで全滅したほどだったのかはわからなくね?
ニュアンスの問題と言うものがある
どちらにしろ全滅するようなことはなかったのは確かだ。軍としての体は為していたということだろう
加えて言うなら「上手く逃げれて助かったよ」って意味の発言だから、やはり追いつかれずに逃げ切れたんじゃないか?

124: 無名武将@お腹せっぷく 2009/04/17(金) 23:40:47
>>118
甚大な死人出してまで道を作らせてそれが是となるってことは
実際、相当追い詰められた状況でないと許されないぞ

127: 無名武将@お腹せっぷく 2009/04/17(金) 23:47:09
>>124にも言えることだが、まず劉備が曹操に追いつけたかどうかをはっきりさせるべきじゃないか

128: 無名武将@お腹せっぷく 2009/04/17(金) 23:52:10
>>127
劉備が火を付けたが間に合わなかった、ってことは、追いつかれなかったんだろう
追いついたならそこまで必死こいて逃げる病気もちの軍を壊滅させられなかったのはおかしい

136: 無名武将@お腹せっぷく 2009/04/18(土) 00:08:13
>>135
逃がしたんなら結局追いついてないじゃねーか
戦闘と言う観点から考えれば戦闘による被害は大きくはなかったと言える
そこまで追い詰めたなら仕留めきれないのはおかしい。実戦経験の豊富な劉備がのど元まで詰め寄りながら逃がすというのも

137: 無名武将@お腹せっぷく 2009/04/18(土) 00:09:56
>>136
追い付いたから火を放てば全滅という状況になってるんだろ
放つのが遅かったから逃げられたけど

102: 無名武将@お腹せっぷく 2009/04/17(金) 22:53:51
ごめん、この空気で聞くのは悪いと思うんだけど
英雄記と山陽公載記の信憑性っていかほど?
正史は二十四史では評価が高いしそれなりに信用出来るんだろうが。誇大表現はともかく

108: 無名武将@お腹せっぷく 2009/04/17(金) 23:01:12
>>102
三国志の注釈だからそれなりに信憑性はある
正史や他の史書と競合した場合は検分する必要はあるけど
そうでなけりゃある程度無批判に信用していいでしょ

111: 無名武将@お腹せっぷく 2009/04/17(金) 23:05:31
>>108
山陽公載記って注を引いたハイショウシ自身がなんかすげー批判してた書物じゃなかったっけ?

105: 無名武将@お腹せっぷく 2009/04/17(金) 22:57:40
英雄記は王サンが書いたとされる書物
山陽公載記は裴松之的には評価は低い

115: 無名武将@お腹せっぷく 2009/04/17(金) 23:13:05
山陽公載記っていうか、書いた楽資って人を批難してるのな
彼の記述は穢雑にして空虚誤謬であり、こうした類はほとんど言いつくせないほどである、だっけ?

119: 無名武将@お腹せっぷく 2009/04/17(金) 23:18:50
その前に出典元の信憑性が疑わしいという意見も発生
まあ確かに曹マン伝なんかも手放しで信用出来るもんじゃないし

125: ◆hyde.6O83Q 2009/04/17(金) 23:45:04
郭嘉が病で死んだのは207年。
赤壁で曹操軍だけ疫病に悩まされたのは208年。
ちょうど1年しか経ってない。
もしかしたら、袁家を追い詰める時に黄砂からか何かの風土病が発生して曹操軍内では既に病が流行してたんじゃないかな?
劉表軍を降伏させた勢いで、病の流行を無視して呉を飲み込もうとしたけど
呉軍に船団を焼かれて、逃げることは出来たものの多くの艦隊を呉に奪われて
容易に赤壁などで水上戦が出来なくなったってことは無いのかな?
その後に戦があったという曹仁の話も水上戦じゃないでしょ。

130: 無名武将@お腹せっぷく 2009/04/17(金) 23:57:33
ていうか小麦の国からお米の国に行って数ヶ月経ったら、それだけで病気になってもおかしく無い。

132: 無名武将@お腹せっぷく 2009/04/18(土) 00:00:49
>>130
生魚や生水にだって中ったりするからなあ
食いもんや水が合わなかったら確かに病気する

131: 無名武将@お腹せっぷく 2009/04/18(土) 00:00:28
なんで?

134: 無名武将@お腹せっぷく 2009/04/18(土) 00:04:29
>>131
旅行地の生水は飲むな、とか言うように、体が慣れないもん吸収すると下痢やおう吐したり、ひどい時は腸炎や胃潰瘍になったりする

つーか、普通に中国の南方ってマラリアとか流行るみたいね
外国人や北のほうの人がビジネスに行ってかかるってのは、今でもあるらしい

150: 無名武将@お腹せっぷく 2009/04/18(土) 00:29:44
大きな損害って船の多くを失ったってことじゃない?

151: 無名武将@お腹せっぷく 2009/04/18(土) 00:31:16
だよな。江北は渡河手段を失った。
後は晋代に下るまでついに大船団を組織するに至らなかった。
伐採自体がとんでもない大事業ですから…

154: 無名武将@お腹せっぷく 2009/04/18(土) 00:34:01
ミッドウェーとレイテ沖が重なったくらいの物資的損失。
船を失った事そのものを大敗と書いても、全く問題無い。

引用元: ・  赤壁の戦いって実はショボかった説について  






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