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1: 飛びウメ
受験生に人気の平安時代の文章博士
雷神と合体して荒ぶる神となって祟ったという伝承
梅を愛したエピソード などなど、
菅公について語りましょう。








6: 山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM
意外なことに子沢山な方であったと言われておりますね。「尊卑分脈」では男子11
人、女子3人。「北野天神縁起」では男女23人という事になっている。

7: 日本@名無史さん
>>6
そのうち一人が加賀百万石前田家の御先祖ってことに「され」ますた。

8: 山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM
>>7
梅の紋だと大抵がそういう事になっているのでは?戦国武将で由緒正しいものは珍しい。

12: 日本@名無史さん
>>8
前田家が菅原道真を祖先に持ってきたのは徳川家への対抗意識からだと聞いた事ありますけど、
本当の所どうなんでしょう?

19: 日本@名無史さん
いまも,全国各地で行われている天神講.
その起源は古く平安時代から農村部にまで全国的なひろがりをみせていた.

詩文の神を慕い子供にお習字を勧める伝統的行事としても定着していたわけだが
例の天神縁起の地獄図入りの絵巻を神社から借りてきて,大衆の前で披露したりもしたのだ.

20: 山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM
「道賢上人冥途記」は純粋に好きです。
なお戦前に奥備後で行われた民俗調査によれば「テンジンとは雷を落とすものだが
ライジュウと違ってよく分からない」という回答が得られたそうですので、天神=
管公=学問神ということが民間にも知られるようになったのは比較的新しいことで
は無いかと。
ただ平賀源内の実家(讃岐)には天神を描いた掛け軸があったそうですね。

27: マサカド@ネオアズマ
>>20
民俗学的な角度からの天神信仰について考察ですか。
菅公についても天神についても、ほとんど無知なんでまた勉強してからきます。
天神は学問神であると一般に認識されるようになったのは、戦後になってからということがいえるんでしょうか?
ないですよね?

29: 山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM
>>27
地域によるでしょう。全国の農村・都市での天神信仰について調べないことには何とも言えない。
ところで「いえるんでしょうか?ないですよね?」という聞かれ方はややこしいのですが・・・どうでもいいか。

21: 日本@名無史さん
火雷天神そのものも
道真が死ぬ前から北野に祀られていたわけだし。
必ずしも天神=道真ではないんだよね。

道真や他の御霊メンバーの場合
神格化されてから作られたイメージが普及しすぎて
実像がよくわからん・・・

22: 日本@名無史さん
失脚したのは
どう考えても宇多vs醍醐の権力争いのとばっちりくらった結果なんだけどな。

時平に出世を嫉まれた……なんて説明はそろそろなんとかならんか。
皇国史観の時代は天皇のこと悪くいえなかったから仕方ないかもしれんが。

26: 日本@名無史さん
宇多帝-道真公の時代、受領の権限強化と税収の安定化のための諸々の政治改革
が行われた。それは延喜の帝の世にも引き継がれ延喜の荘園整理令などの政策が
実施される。

28: 日本@名無史さん
すいません、↓のスレサゲ保守しているものですが
佐々成政の悲劇
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1034534347/

139 :日本@名無史さん:03/03/04 14:40
    富山では男の子のいる家は子供の日には菅原道真の掛け軸を飾る慣習がある。
    これは前田家の祖、菅原氏を崇めさせるという前田家の政策の名残だそうな。
    逆にお膝元の石川県ではそのような風習はない。能登ではどうなんだろう?

140 :日本@名無史さん:03/03/05 02:53
    違うって。
    「前田様の御機嫌をうかがって」富山人が勝手にやってたこと。

    それも、富山人で前田(金沢)にコンプレックス持っていたのは本来
    旧・富山藩領の人間ぐらいのもんで。
    それを全県レベルに引き上げて、とにかく二言目には金沢金沢・・・


の139と140の正月の天神様の掛け軸の由来に関して
どなたか理解されている方、明確な答えをいただけないでしょうか?
ググって見たところ行われていた地域がどちらも違い(金沢、富山西部)、
ゆえにそのあとの論の信憑性が相当疑わしいので・・・

自前で調べろといわれるかも知れませんが
道真公に関しては自分そんなに詳しくないものでご教示お願いします。

・・・正直釣り目的の140の書き込みは不快かもしれませんが
それはそれ、疑問は疑問、日本史板住人の悲しいサガでございます。

34: 日本@名無史さん
>>28
私も知りません。
ただ、金沢では無いですね。
高岡などの地域では、正月や節句に菅公の掛け軸を床間に掛ける様です。
また天神様は、農耕や学問・習字の神様として有名です。
まあ学問の神になったのは、少なくとも江戸以降だと思いますが。
前田家では荒子時代から天神信仰をしていた様ですが、これはどちらかと
言うと殿様の真似をした感じでは?
また地元に有力家臣がいない地域の、真宗対策の可能性もあるかな?
掛け軸に限らず、木像を飾る場合もあった様ですね。
おそらく掛け軸は高価だったので、安価な木像を拝んだのでしょう。

ちなみに金沢では、トイレの下に天神様の土像を埋める風習がありました。
発掘で良く出るみたいですが、これは多分魔除けでしょうね。

30: 日本@名無史さん
曽根崎に「お初天神」なんてのがありますね.地元の人も
学問の神様じゃなくて心中の神様だと思ってるかな(w

31: 日本@名無史さん
寛平・延喜の時代の諸改革によって、来る摂関時代に続く国家体制(受領への権限集中、負名体制とか)ができたんだよね。その意味では一つの画期であっ
たわけだ。従来、道真公に関しては遣唐使廃止と大宰府左遷くらいしか言われ
ないけど、実は時代を変える諸改革を実行した偉大な政治家としての側面もあ
るわけで。

38: 日本は俳句の国
天神講そのものは平安末期ぐらいからあったわけだが,
やはり最初は怨霊神としての天神信仰だったのでしょうね.
大阪の天満祭で,お迎え舟に先導されて川渡御をするのは
元来,この’祭りが禊(みそぎ)で水でケガレを祓い去る祭なのだからですし.

   暑けれど裸身は見ず船祭   来山

118: 日本@名無史さん
>>38
>賓客を船で迎える

東南アジア各地の祭祀儀礼に同様の作法があるそうです。

119: 日本@名無史さん
>賓客を船で迎える

天皇即位儀礼にも同様のものがあるそうな

44: 日本@名無史さん
こちふかばにほひおこせよむめのはなあるじなきとてはるをわするな

45: ワクワク太郎
はるなわすれそ

だと思う。

46: 日本@名無史さん
>>45
『大鏡』では「春な忘れそ」、
『拾遺集』では「春を忘るな」となっているらしい。

47: 山野野衾 ◆F6mxNHihgE
「拾遺集」なら「忘るな」、「宝物集」、「十訓抄」なら「忘れそ」。
「田子の浦」の歌のようなものでしょう。あれも定家が手直ししたものがある。

23: 日本@名無史さん
このたびは ぬさもとりあへず。手向山
もみぢの錦 神のまにまに

49: 日本@名無史さん
ながれゆくわれはみくずとなりはてぬきみしがらみとなりてとどめよ

50: 山野野衾 ◆F6mxNHihgE
君が住む 宿のこずゑを ゆくゆくと かくるるまでも かへり見しはや

51: 日本@名無史さん
あまつほし みちもやどりもありながら
  そらにうきても おもほゆるかな

52: 日本@名無史さん
天の下
のがるる人のなければや
きてし濡衣
ひるよしもなき

54: 飛びウメ
そういえば、
大鏡に時平のおもろいエピソードが載ってる。

菅公の法案を却下しようともくろんでいたが、
菅公の気の利く部下がいて、
仰々しく法案を読み上げたその時、おもいきり屁をこいた。

時平は「笑い上戸」だったので、
腹がよじれる程大笑いして、
結局、菅公の法案を廃案に追い込むことができなかった、という。
めでたし、めでたし。

59: 日本@名取市さん
そういえば、全国で最も多いのが天神社、天満宮だって。
各地に「天神まつり」があるのかな?

60: 日本@名無史さん
>>59
稲荷や八幡の方が圧倒的に多いと思うが・・・

61: 日本@名無史さん
九州大宰府での晩年、
実際の道真公は「誠忠にして人を怨まず」だったといわれる。
澄み切った心境だったと考えられる。

逆に、彼の怨霊を畏れた京都の人々の心も
良心を呵責する善良な心をもっていた。

彼を怨霊と信じてその霊力にあやかろうと錯覚した歴史人物たちは、
ことごとく失脚している。

この事実からみて、大宰府での晩年の彼の心境は、
決して怨霊に変容するような精神状態ではなかったことが、
裏付けられると思う。

62: 日本@名無史さん
>彼を怨霊と信じてその霊力にあやかろうと錯覚した歴史人物たちは、
>ことごとく失脚している。

藤原忠平?

66: 日本@名指しさん
大宰府へ久しぶりに行ってきました。
大クスがすごく香りたかく、きれいで落ち着いた雰囲気でした。

地図を見て気がついたんですけど、
政庁からみてちょうど艮(丑寅)方向に位置するんですね。
ウシがそっちの方角へ挽いていったそうです。

71: 猛牛軍団
そういえば、
天神さんの原型はインド(ヒンドゥー)のシヴァ神らしい。

天満宮にウシさんがいるが、
インドでは神さまはみんな乗り物(ヴァーハナ)を持っていて
シヴァの神はウシに乗っているそうです。

天台宗や真言宗の寺院でみられる不動明王像
お不動さん(アキャラナータ)も、シヴァのことらしいです。

不動明王の化身の一つで西方を守り
悪夢を良い夢に変換してくれる大威徳明王(ヤーマンターカ)は
ウシに乗っています。

ということは、天神さん お不動さん ともに
ルーツはシヴァ神ということになります。

日本を含め、アジアって、いいね。

79: 日本@名無史さん
なぜか「色恋の神様」っていう側面もあるのよね。天神様って。

80: 日本@名無史さん
>>79
色恋ってのとは違うのだろうけど、菅公ってけっこう子沢山だったりする。

87: 日本@名無史さん
ずれた梅鉢に、バーヤ的魅力を感じますた。

ところで天台宗なんかでは、やっぱり今でも天神さんの本地は観音様なのかな?

91: 山野野衾 ◆F6mxNHihgE
>>87
たまに十一面観音さまの御真言を神前で唱えている人がいらっしゃいます。

104:日本@名無史さん  
怨霊のその後の展開

菅原道真公の「怨霊」は日本史上最大のもの、と言われています。

その祟りによって藤原時平やその一派が命を落とし、清涼殿の落雷の
ショックで醍醐天皇が亡くなるなどの事態が展開しますが、その後起
きた平将門の乱・藤原純友の乱も、道真公の怨霊が背景にあるとされ
ました。

107: 日本@名無史さん
そう言えば、時平の弟の忠平は宇多天皇の側近あがりで、道真とも遠い縁戚であったため、道真の関係者として時平が生きている間、ほとんど昇進できなかったらしい。
忠平の時代以後、道真の名誉回復が急速に進んだのは、時平への個人的怨念もあったようだ。

127: 日本@名無史さん
全国に天満宮、天神社が無数にある。人気者だったんだね。

129: 元伊丹市民
大宰府に左遷される途中に肘をついて休憩した場所には
後に臂岡天満宮と言う天神さんが作られた。

130: 日本@名無史さん
京から筑紫の道中には菅公ゆかりの天神社は多いですね。
うちの地元にも伝説が多く残っていて「腰掛け石」とかそんなのまであります。

133: 日本@名無史さん
しかし、ここまで有名な菅公。戦国時代では有名武将で菅や菅原
といった姓が見られないのはどういうわけなんでしょうか?
(前田利家公はこの際別として)
やはり「学問」の家だから武力が低いのか??
謎です・・・・・・

135: 日本@名無史さん
>>133
単に勢力的な問題では?
たまに橘姓の署名なんか見ると嬉しくなるw

137: 日本@名無史さん
>>133
前田が活躍してた頃、公家の菅原や大江は京都で
細々と暮らしていたらしいです。

明治天皇が祀らせたとかいう菅原和子は道真公の子孫でいいのかな?
彼女も怨霊となって化けて出たらしい…

139: 山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM
>>137
大江が北小路、菅原が桑原ほかでしたね。毛利はどうなります?

65: 日本@名無史さん
   ご
  ろ  @―@ー@\
 ご   /        @ 
ろ   @  ∧_∧  |    / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
    l   (´∀` )  @  <  うはは
    @  (つ  つ/    \_______
   ,,--\ ) ) )@
   ii ゙'゙' ゙'(_)_)-,,、   ぴ
    ゙i,,,´~^`   ,´~^゙'i   か
   //¨゙"''-i,,,,,,、 ,´~,"   っ
   \\ ド    ゙"''\\
   //  カ     / /
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引用元: ・●● 天満大自在天 菅原道真公 ●●




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