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1: 世界@名無史さん 2005/10/18(火) 22:04:34 0
現代を除く有史の朝鮮史
マターリお願いします
 








16: 世界@名無史さん 2005/10/28(金) 15:12:48 0 BE:237586278-#
ウリナラには日本でいう源氏物語みたいなのあるの?

17: 世界@名無史さん 2005/10/29(土) 00:05:02 0
韓国人は春香伝を源氏物語と同格だと自慢するけど、
読んで見ると、どこがやねんって思うよ。

18: 世界@名無史さん 2005/10/29(土) 05:26:19 0 BE:25456032-#
しゅんこうでん?
なにそれ?朝鮮の1970年代の文学ですか?確かその辺りが最古の筈ですけど・・・

19: 世界@名無史さん 2005/10/29(土) 05:33:25 0
http://www.hagi.or.jp/filmart/8th/films/chun.html

春香伝とは
春香伝は18世紀はじめに韓国でつくられ、パンソリによって伝承され、韓国古典の傑作として何度となく小説、映画、演劇などの題在となってきた。基本的に作者は未詳。
パンソリ

パンソリは、朝鮮の伝統的民俗芸能。19世紀に朝鮮で人気のあった音楽であり、口承文芸のひとつである。1人の歌い手(ソリックン )とプク(太鼓)の奏者(鼓手 コス)によって奏でられる物語性のある歌と打楽器の演奏である。パンソリのパンは、多くの人々が集まる場所を意味し、ソリは音を意味する。


25: 世界@名無史さん 2005/10/29(土) 15:08:04 0
中国や朝鮮半島で小説が低調だったのは、
論語の「子不語怪力乱神」などと、創作そのものを
否定・軽視する教義によるところが大きい。

29: 世界@名無史さん 2005/10/31(月) 13:07:15 0
>>25
これについて中国と朝鮮を同列に語るのは変すぎ。

26: 世界@名無史さん 2005/10/29(土) 17:45:50 0
朱子学の影響っていうけど、朱子学の影響があったのは支配階層だけじゃないの?
一般庶民に儒教の影響はあったろうが、普通、どこの国でも
物語をつくる力がなくなったりしないと思うけどな。
中国だって、物語はさまざまなものが作られ続けているわけで、
朝鮮半島でつくられないとしたら、それは別な理由があったんじゃないの。

27: 世界@名無史さん 2005/10/29(土) 20:20:37 0
確かに春香伝は、文学作品というよりは「文学作品の元ネタの物語」という感じ。
最初から特定の作者によって「文学」として書かれた源氏物語とは単純に比較できない。
李朝時代からの様々な漢文本・ハングル本の異本が伝わっている上、
「春陽伝」などのパチモンも多く、中には成春香と李夢龍の濡れ場ばかりを書き綴った
「ポルノ版春香伝」もあるとか。

28: 世界@名無史さん 2005/10/30(日) 10:49:47 0
四方田犬彦の本で書いてたけど、春香伝は日本でいうと忠臣蔵のようなポジションだとか。
実際70年代頃まで忠臣蔵映画はいわゆる「国民的映画」、正月に家族そろって観にいくようなものだったが
韓国でも春香伝映画が同じような役割を果たしてたそうだ。
それで、あまりに内容がベタすぎて最近は見向きもされなくなってしまったと。

31: 世界@名無史さん 2005/11/01(火) 01:41:45 0
中国には紅楼夢とか金瓶梅のような完成度高い文学作品あるけど、
韓国には本当に何もないのが致命的だな。

32: 世界@名無史さん 2005/11/01(火) 02:02:08 0
>>31
両班のハイカルチャーと被差別芸能民の無形文化財に
くっきり分離しちゃってる感じがする。
宗主国だと中間に講釈師とか出版があるんだけど。

33: 世界@名無史さん 2005/11/01(火) 12:20:31 0
両班が貴族の世襲だったのも影響があるのかな。
中国では、科挙に落ちた分厚いセカンドインテリグループが
あって、いろいろ文化活動とかに携わったみたいだけど、
そういう層が半島にはなかったんだろう。
兩班

兩班(りょうはん、〈ヤンバン・韓国〉、〈リャンバン・北朝鮮〉)は、高麗、李氏朝鮮王朝時代の官僚機構・支配機構を担った身分階級のこと。士大夫と言われる階層とこの身分とはほぼ同一である。李氏朝鮮王朝時代には、良民(両班、中人、常人)と賤民(奴婢、白丁)に分けられる身分階級の最上位に位置していた貴族階級に相当する。


35: 世界@名無史さん 2005/11/02(水) 18:11:38 0
>>33
でも北朝鮮ではパンソリがブルジョワ文化だといって否定されてるんだよな。

36: 世界@名無史さん 2005/11/02(水) 22:44:46 0
>>35

よくわからんけど、パンソリって放浪芸人とかが支えてたんだから、
担い手はブルジョアではなくて、楽しんだのが両班かな。
楽しんで=金を出してその文化を支えたと言えば、
両班がパンソリを支えたとは言えるか。
でも結局、朝鮮オリジナルの文字文化はないわけだ。

37: 世界@名無史さん 2005/11/03(木) 15:19:39 0
>>36
賎民が村祭とかで上演するものを両班が楽しんでよかったのかな

蔑視されてたハングルの読み物って誰が書いてたんだ?
両班が内職でもしてたのか?

38: 世界@名無史さん 2005/11/05(土) 12:01:09 0
洪吉童伝の作者は水滸伝を批判し、水滸伝以上の小説を
書いたと本人は思ってて、韓国人も自慢するけど、これのどこが
水滸伝を超えてるのだと呆れかえってしまいました。

40: 世界@名無史さん 2005/11/07(月) 14:36:14 0
洪吉童伝って、どんな話?

朝鮮史は、まったく門外漢で、まして文化面はぜんぜん知らない。

68: 世界@名無史さん 2005/12/26(月) 23:45:07 0
>>40
>洪吉童伝って、どんな話?

今更ですが、一応。

吉童(ギルトン)は大臣の子供だが、母親が奴婢のため貧乏生活で差別される。
彼は天気を操り、変身することができた。
ある日差別に我慢できず家出し、活貧党を結成。
金持ちから財産を奪い、貧民に与える。
国王は彼の逮捕を命じるが、神出鬼没な彼は捕まらない。
ついには理想の国を建設する。


43: 世界@名無史さん 2005/11/11(金) 23:32:45 0
今日のNHKニュースで名古屋の徳川美術館がやっている、
「源氏物語絵巻」復元模様を見てふと思った。
高麗・李朝期にも絵巻物ってあったんだろうか?
各王の肖像画はあるんだけど、そういう絵巻物のようなビジュアルな資料って
どのくらいあるんだろう?

44: 世界@名無史さん 2005/11/11(金) 23:58:17 0
王の行幸とか儀式図・宮闕図だとか
風俗画などはいろいろある。

55: 世界@名無史さん 2005/11/13(日) 23:06:13 0
大黒屋はサンクトペテルブルグへ赴き帝都の豪華絢爛さに驚いている。
そしてエカチェリーナ2世と謁見した。
万次郎はハワイからアメリカへ渡り、後にクーリッジ大統領から
「日米友好の先駆者」と称えられた。

鎖国化でも新進気鋭な庶民がいた事は素晴らしい。
韓国でもそーいう面白い話はないのかね。

65: 世界@名無史さん 2005/12/11(日) 01:30:38 0
>>55
16世紀頃に沖縄へ漂着した朝鮮人の日誌が残っているよね。
特に先島諸島の生活風俗を書き記した史料としては最古になる貴重なものらしいが
書名失念スマソ・・・

66: 世界@名無史さん 2005/12/11(日) 01:50:47 0
>>65

李朝実録な。

漂流民は最初与那国島に上陸し、そこで半年過した後に西表島、波照間島、
新城島、黒島、多良間島、伊良部島、宮古島、そして沖縄本島にたどり着き、
薩摩商人によって九州にわたり、博多から帰国した。

与那国島では田に牛を追い込んで泥を踏ませて耕し、稲が稔ると刈り取り前に厳重な物忌みをするとか、
一度刈り取り、切り株から芽生えた芽を育てて再度収穫するとか、口噛み酒を醸すとか、
牛や鶏の食用を禁じているとか、色々おもしろい記述がある。

東洋文庫の「おなり神の島」に、詳しい解説がある。

67: 世界@名無史さん 2005/12/25(日) 12:44:16 0
皆様、半島の物語と言うと普覚国師イルヨンの「三国遺事」があるぞ
物語にしてはけっこう古い部類だしね

70: 世界@名無史さん 2005/12/27(火) 00:03:41 0
実在の洪吉童は役人の冠帯をつけて強盗してたそうだが
やはり両班へのコンプレックスがあったのか

71: 世界@名無史さん 2006/01/02(月) 10:35:07 0
大韓航空の機内誌を見たら、出入国カードの記入例の氏名が洪吉童だった。
日本で石川五右衛門と書いてあるようなものかな。

74: 世界@名無史さん 2006/01/04(水) 10:52:42 0
洪吉童といえば最後は南海へ去るんだが、
それを根拠に八重山で中山王府に反抗したオヤケアカハチは
朝鮮人洪吉童であると韓国では信じられてる。
オヤケアカハチ

オヤケアカハチ(遠弥計赤蜂、於屋計赤蜂)は、沖縄県八重山諸島石垣島の大浜村(現在の石垣市大浜)を根拠地とした15世紀末の豪族である。

1500年、彼は島民の広範な支持[1]を背景に、琉球王府への八重山からの朝貢を断たしめたが、2月13日[2]からの中山軍3,000人との戦いに敗北し、討ち取られた。これを、オヤケアカハチの乱と言う。


77: 世界@名無史さん 2006/01/05(木) 23:17:31 0
「洪吉童伝」の著者許筠(ホキュン)自身も刑死していますね。
讒言による反逆罪で。
生きながら手足を切られて。

>>74
アカハチとつながるのは初耳。面白い。
100年くらい時代がずれていると思いますが。

75: 世界@名無史さん 2006/01/04(水) 21:15:40 0
史実では刑死したらしいけど

79: 世界@名無史さん 2006/01/06(金) 01:10:39 0
ttp://www.me-too.jp/news/s/okitime_n/details.html?no=150
※リンク切れ
 
延世大学(韓国)のヤン・コンスン教授によれば、
首里王府と対峙して1500年に討ち死にした八重山の英雄オヤケアカハチは、
韓国の義賊ホン・ギルトン(洪吉童)と同一人物だそうです。

80: 世界@名無史さん 2006/01/06(金) 01:30:07 0
そもそも、韓国人が隣国のそのまた最果ての島の土豪の存在を
詳しく知っていること自体が驚異なんだがw

81: 世界@名無史さん 2006/01/06(金) 02:08:36 0
いや、例の済州島の漂流民が八重山に漂着した話で、その地に興味があるのかもよ。

日本人だって、ロシアに漂流した大黒屋光太夫の話で、エカチェリーナ2世を知っている。

82: 世界@名無史さん 2006/01/06(金) 02:17:28 0
源為朝の鎮西神話みたいなもんかな
別の実在の人物と同一視するって点だとやっぱり義経=ジンギスカンというレベルだけど

88: 世界@名無史さん 2006/01/06(金) 22:41:08 0
洪吉童のモデルになった盗賊林巨正が処刑されたのが1582年。
「洪吉童伝」が書かれたのが1607年。
オヤケアカハチの乱が1500年。

時代が合わない。
それとも他にモデルがいるのか?

89: 世界@名無史さん 2006/01/07(土) 01:56:42 0
>>88
整合性を深く考えなかっただけっぽいな
所詮、物語だから

101: 世界@名無史さん 2006/02/20(月) 19:49:10 0
高麗がずっと続いてたら日本とにたような宗教事情になってたんだろうな。
朱子学もそんなにメジャーになってないだろうし。

108: 世界@名無史さん 2006/02/21(火) 00:17:25 0
>>101
政体も日本に似てたかもね。
12世紀の高麗は王や貴族が形骸化して武臣の崔氏が権力を握っていた。
日本の平家や源氏みたいなもんだから、崔幕府、李幕府になって
王王家(なんか変だ)が現代まで続いてたりして。


110: 世界@名無史さん 2006/02/21(火) 19:07:19 0
三別抄が健在だったら日本みたいな武家政権が樹立されたかも

三別抄

三別抄(さんべつしょう)は、高麗王朝の軍事組織。崔氏政権(武臣政権)において、林衍(イム・ヨン)ら時々の実権を握った者の私兵として、しばしば政敵の暗殺や現代でいう所のクーデターのための武力として用いられた。後に、高麗のモンゴル軍の襲撃に際しては事実上の国軍に発展したとも言われる。


111: 世界@名無史さん 2006/02/21(火) 19:21:56 0
三別抄はかっこいいな 朝鮮では珍しく

152: 世界@名無史さん 2006/04/15(土) 06:35:33 0
>>111
三別抄ってかっこいいか?
三別抄の乱を鎮圧した元軍の指揮官って元寇で日本に攻めてきたのとほぼ同じ
メンバーなんだけど、比較すると珍島・耽羅の三別抄よりも、対馬・壱岐の
武士の方が善戦しているんだよな。
兵船1000隻を擁していたという三別抄よりも、対馬80騎・壱岐100騎で武士の方が
はるかに人数が少ないのに・・・

113: 世界@名無史さん 2006/02/22(水) 09:36:24 0
武人たちは、決して一枚岩ではなかった。都の開城、そして江華島で、その身はあくまで
高麗王廷の高臣として権力を握ることになった武人は、その下に多くの競争者を抱えていた。
鎌倉の北条執政府のような、安定した武力統合体の上に立つ決定機関ではなかった。その
時々の武人最高権威者は、そのつど対モンゴル強硬路線を主張した。当然、各論のある王廷を
それで押し切り、沈黙させた。「国難」を強調することは、自分たちの指揮下での結束を
求めることでもあった。
杉山正明「モンゴル帝国の興亡」下巻p110

116: 世界@名無史さん 2006/02/22(水) 22:25:46 0
半島の歴史は、ここで大きくその歩みを、列島とは異なる方向に踏み出した。片や、列島の歴史の方は変わることなく、在地支配に立脚した私権の集合体として成長した武家政治の展開を主流とし続ける。
「地つき」の自生権力の発展と統合による歴史という点でいうならば、半島は、負の要素を色濃く
背負い込んだといわざるをえない。
杉山正明「モンゴル帝国の興亡」下巻p117

お杉も封建社会の方がよかったと思ってるらしい

117: 世界@名無史さん 2006/02/22(水) 23:01:37 0
両班は最悪だね。

120: 世界@名無史さん 2006/02/23(木) 11:19:32 0
>>117
平安時代の貴族も性質が悪いが
彼らは国風文化のパトロンだった
両班は自国の文化を育てることすらろくにしなかったな

122: 世界@名無史さん 2006/02/23(木) 11:50:14 0
両班は朝鮮を清以上の中華にしようとして、自国の文化を否定していたからな。

123: 世界@名無史さん 2006/02/23(木) 13:09:09 0
日本でも朱子学に嵌った大名ってロクなのがいない。
徳川光圀、池田光政。

124: 世界@名無史さん 2006/02/23(木) 13:18:20 0
>>123
黄門様ってそんな碌でもないことしてたっけ?
その後の水戸藩の連中はたしかにちょっとアレだが

126: 世界@名無史さん 2006/02/24(金) 00:37:10 0
>>124
>黄門様ってそんな碌でもないことしてたっけ?

朱子学的観点から名分を正した歴史書
『大日本史』の編纂のために水戸藩の財政を火の車にしたと聞いた。

144: 世界@名無史さん 2006/03/24(金) 05:51:02 0
結局は、朝鮮にとって中国の存在が大きすぎたんだろう。

145: 世界@名無史さん 2006/03/26(日) 12:30:37 0
華北と江南でわかれた南北朝のようならば…

167: 世界@名無史さん 2006/05/06(土) 01:02:30 0
李朝の陶器はすばらしい文化だと思うが、本国の人間はそれを破壊する傾向にあるらしい。

174: 世界@名無史さん 2006/05/15(月) 07:10:36 O
>>167
李朝の陶磁器は今でこそ
美術品だけど当時は単なる食器だ そりゃ現地じゃぞんざいに扱うよ

176: 世界@名無史さん 2006/05/15(月) 08:55:40 0
>>174 
日本人が渋いデザインの茶碗を好む傾向なのは、いまもって半島の人々の理解の外らしいよ。

178: 世界@名無史さん 2006/05/15(月) 11:21:14 0
>>174
陶器はそうだが、磁器は違うだろw
朝貢用の輸出品だろ、あれは?

171: 世界@名無史さん 2006/05/14(日) 19:41:00 0
秀吉が朝鮮出兵の際に全ての陶工を連れて帰った為に

朝鮮で陶磁器の技術が失われたと主張するが

仮に朝鮮全土の陶工を連れ帰るだけの大量輸送が可能であったとすれば

李舜臣が海上封鎖していなかった事の証拠となるわけだが?


177: 世界@名無史さん 2006/05/15(月) 09:05:55 0
>>171
朝鮮の役で陶工が根こそぎさらわれたという話はガセ。
日本(江戸幕府)と朝鮮王朝の国交が回復した後も、
陶磁器は倭館での対日貿易の商品に含まれていたというよ。
茶器として珍重されてるのも知られていて、輸出用に日本人受けする品を焼いたりしていた。

ただ、陶磁器というのはかつてはどこの国でも重要な商品と位置づけて、
政府が陶磁器生産を管理しつつ保護してたのに、朝鮮王朝ではなぜかそれをやらなかった。
朝鮮の陶磁器が廃れたというのは朝鮮政府が保護管理を怠ったせいだと思う。

184: 世界@名無史さん 2006/05/27(土) 22:43:38 0
彼らからすればわびさび=貧乏くさいというイメージなんでは?

185: 世界@名無史さん 2006/05/27(土) 22:45:39 0
朝鮮の王宮も寺院も滅茶苦茶派手だからね。

189: 世界@名無史さん 2006/05/28(日) 13:27:22 O
>>185
おしなべてアジアって派手だよな 朝鮮の原色派手派手もそうだしタイやミャンマーの金ぴか寺院や仏像。 いぶし銀みたいな渋い趣きの日本美は独特のもんあるぜ

204: 世界@名無史さん 2006/06/10(土) 16:11:35 0
李氏朝鮮王朝の監察官「暗行御史」
1892年に全羅道へ派遣されたのが最後だとか。
すげえ、もうじき日清戦争始まるじゃん。

暗行御史

暗行御史(あんこうぎょし)は、李氏朝鮮において、地方官の監察を秘密裏に行った国王直属の官吏である。

正規の地方行政監察制度の不備を補い、国王権力を強化するために設置されたが、政争に利用されることもあった。史書に初めてこの語が現れるのは1555年(明宗5年[要検証 ]、明:嘉靖34年)であるが、実質的に最初の暗行御史は1509年(中宗4年、明:正徳4年)であったと見られる。高宗時代の1892年まで存在した。



205: 世界@名無史さん 2006/06/10(土) 21:19:45 O
>>204
おお!朝鮮版水戸黄門か~ でも末期は地方官に賄賂じゃぶじゃぶで堕落しとったのぅ(笑)

208: 世界@名無史さん 2006/06/25(日) 11:37:16 O
印籠に相当するモノは
マペと言ったらしい

209: 世界@名無史さん 2006/06/25(日) 11:55:29 0
1892年といえば東学党運動が盛んになった時期だし、当然のこととして
暗行御史が派遣されていたろう。日本だって薩摩で私学校の生徒が不穏な
活動をしてるというので、警視庁から密偵を出して探索している。
別に特別なことでもない。

261: 世界@名無史さん 2006/06/30(金) 00:00:53 0
高麗は高度な文明国だったようだが。

263: 世界@名無史さん 2006/06/30(金) 18:16:08 0
李朝も世宗まではそこそこ繁栄してたような
それからが本当の地獄

265: 世界@名無史さん 2006/07/01(土) 07:39:48 0
高麗の場合、なにしろ隣りの超大国が文化の大爛熟期だったから、
それの恩恵によるものではないだろうか。
青磁はその典型例だと思う。

それと李朝の地獄は、根本的に朱子学が原因では。
まあ、それもお隣りの超大国の影響なんだけど。

266: 世界@名無史さん 2006/07/01(土) 08:45:42 0
元の支配期は火薬、綿花、大苑馬などが伝来した時期でもある。
綿花栽培法の入手はある種産業スパイみたいな感じだったが・・・

267: 世界@名無史さん 2006/07/05(水) 00:50:47 O
高麗なんて元にがちがちに支配されてたってイメージが強いんだが

271: 世界@名無史さん 2006/07/13(木) 23:53:01 O
朝鮮って歴史の捏造が度を過ぎてる あれはひど過ぎ

283: 世界@名無史さん 2006/07/22(土) 23:49:56 0
>>271
韓国には誇れる独自の歴史、文化はほとんどないに等しい。
だから今になって挽回しようとしている。

285: 世界@名無史さん 2006/07/23(日) 00:18:50 0
>>283
朝鮮の民間工芸品に美的価値を認めた柳宗理の立場はどうなるんだ。(笑
誇れるというのがどういう意味か不明だが(自慢できる程度?)、
独自の歴史も文化もない国など本質的にありえないし、朝鮮にもそれは当てはまる。
さらに古代時代のことが割と詳細に記録に残り、陶器の製造技術など当時としては
最先端のものがあった。これだけでも、東アジア世界にしては珍しい。

ただ、中世世界から近世的世界、更に近代化への道のりを歩まなかった
というだけの話。これは日本と中国を除く全てのアジア諸国に共通する現象
で、別に韓国だけが特別という訳でもない。

んで、このスレ的にはその中世を語りましょうという流れだと思うのだが・・・
中世の話ができる人は少ないようだな。俺も含めて。

で、ネタとしてだが村井章介氏の書いた「中世倭人伝」というのを読んだんだけど、
これは面白かったぞ。倭人居留地と朝鮮政府との関係がつぶさに書かれており、
当時の日本の辺境と朝鮮の海洋民との関わりがかなり詳細に書かれている。

他に読んだことのある人がいれば、感想なぞ希望。

277: 世界@名無史さん 2006/07/15(土) 04:37:42 0
朝鮮の歴史文物で唯一高く評価できると思うのは
高麗八万大蔵経だと思う。
これは人間の愚かな営み、歴史の限界の中で見せる人間のエネルギー
を普遍的に伝えてくれる意味でも貴重と思う。

ところで秀吉がすべて焼き払い奪い尽くしたといわれる中にあって、
また李朝期の仏教迫害の中にあって、これが現存に至る事が出来たのは
何故なんですか。何かエピソードあったら教えていただけませんか。


Korea-Haeinsa-Tripitaka_Koreana-01


高麗八萬大蔵経

高麗八萬大蔵経(こうらいはちまんだいぞうきょう)は、大韓民国の伽耶山海印寺に保存されている仏教聖典が書かれた木版から刷られた経典またはその版木のこと。「大正新脩大蔵経」の底本となったことでも知られる。

大蔵経は、経典の総結集で一切経とも呼ばれる。経・律・論の三蔵とその注釈から成り立っている。高麗八萬大蔵経は、縦が約24cm・横が約70cm・厚さが約4cmの白樺でできた版木、81,258枚からなる。そのために八萬大蔵経とよばれるようになった。

1011年(高麗顕宗2年)に契丹が高麗に攻め込んできた。国家防衛を祈願するために、蜀版の開宝大蔵経(971年~983年)をもとに最初の大蔵経の製作が始まったといわれている。その後、契丹は退却した。版木は大邱の符仁寺に移された。

1236年(高麗高宗20年)にモンゴルが高麗に侵攻。符仁寺にあった版木は戦災で焼失した。江華島に避難していた高宗が再び、大蔵経の製作を指示した。巨済島や南海から白樺(桜とする資料あり)の材木を運びこみ、15年の歳月をかけて八万枚以上もの版木を彫り上げた。これが、現在に伝わる高麗八萬大蔵経である。


307: 世界@名無史さん 2006/07/23(日) 22:03:58 0
李朝時代には虎が漢城に侵入したり、釜山や全羅道の辺りにも
虎が数多くいたらしいけど、今はどうなってんの?

308: 世界@名無史さん 2006/07/23(日) 23:06:18 0
私は動物の生態に興味があります。
朝鮮半島にはどんな動物が生息してるんですか?
李朝の歴史書になんか書いてありますか?

331: 世界@名無史さん 2006/07/25(火) 20:18:18 0
>>308
ソウルや平壌の市街地にまで虎・豹が侵入して大騒ぎになった事が
度々あったらしい。

335: 世界@名無史さん 2006/07/25(火) 23:29:12 0
>>308
残念ながら、現在の韓国には虎はいないようだ。
朝鮮半島は森林資源の枯渇が激しかったそうだから、すむ場所が徐々に
無くなっていったのだろう。李朝時代の民画ではよく出てくる題材だけど、
実際にはどのくらいいたんだろう?
今の黄河周辺は数千年前は森林地帯だったが、有史以来の人間の活動と
気候変動で今みたいな半砂漠地帯になってしまった。韓国も地続きだし、
同じような理由によるものと推測。
実は、江戸時代の日本の里山も森林資源の過剰消費でかなり荒れていた
そうな。

348: 世界@名無史さん 2006/07/26(水) 11:50:01 0
>>335
韓国側の野生のトラは1930年代に慶州辺りで狩られたのが最後みたい。
総督府は危険な猛獣なので駆除する方針だったらしいけど
当時まだ希少動物の保護なんて概念あまりなかったから仕方ないか。

若い世代としか付き合いがないけど、檀君について聞いたら
普通の人はクマから生まれた話の流れで
ただの物語だと思ってると言ってた。
本気にしてる人なんかほとんどいないとさ。

韓国人って良くも悪くもいい加減だけど、そのせいか
日本以上に強烈な建前文化みたいなものが(プライベート以外だけどw)ある。
だから逆にいい加減な歴史観が生き残ってるのかもね。

311: 世界@名無史さん 2006/07/24(月) 01:00:33 O
38度線の休戦ラインに
虎いるってさ
 政治的な関係で詳しい調査は無理らしいが

313: 世界@名無史さん 2006/07/24(月) 01:39:31 0
>>311
本当ですか?警備兵の目撃談でもあるんでしょうか?
北側だと食料にされそうな・・・・

314: 世界@名無史さん 2006/07/24(月) 02:02:13 O
>>313
まさに韓国側の警備兵談
いや地雷とかあるし近づけば停戦違反で撃たれる場所だから食うわけにも…

316: 世界@名無史さん 2006/07/24(月) 06:56:20 0
以下、虎が地雷を踏む確率について議論しよう

328: 世界@名無史さん 2006/07/25(火) 19:55:32 O
確か朝鮮トラは北に少し残ってるとかいないとか……
そして 北朝鮮の農民はトラの皮を中国に打っているとか。
南側には残ってるのかな

330: 世界@名無史さん 2006/07/25(火) 20:13:02 0
南側の虎はもう絶望的?日本統治時代の駆除で絶滅したとも
言われてるけど、朝鮮戦争後の密猟が原因との説もあるみたい。


339: 世界@名無史さん 2006/07/26(水) 00:14:37 O
>>330
俺の知るかぎり南に虎はいない。38度線で目撃例があるが確認できない状態
 北側は情報が少なくてわからんがいるって話は聞かないな

引用元: 高麗・李朝スレ その3






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