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1: 世界@名無史さん 2015/10/24(土) 17:23:03.38 0
撤退戦は難しい。

手取川の戦いのように撤退後に先が見える撤退戦ばかりではない。先が見えない撤退戦はつらい。そんな撤退戦をある程度成功させ、事態をソフトランディングさせた事例を挙げてみよう。








3: 世界@名無史さん 2015/10/24(土) 21:08:32.11 0
インパールから終戦間際のタイまで逃げた兵士はすごい逃避行だよね。
よく頑張ったって感じだ。英国軍も手抜きしてた訳でもないのに。

13: 世界@名無史さん 2015/10/27(火) 16:58:01.74 0
インパールの撤退は地図もなく道もないところだったが
力尽きた日本兵の死骸を辿って行ったら辿りつけた

って旧映像の世紀だったっけ。なんかのドキュメンタリーかな

4: 世界@名無史さん 2015/10/24(土) 21:19:51.10 0
世界史で有名な撤退戦といえば、クセノフォンかダイナモ作戦ですかね

200px-Xenophon


クセノポン

クセノポン(紀元前427年?-紀元前355年?)は、古代ギリシアの軍人、哲学者、著述家。アテナイの騎士階級の出身。

クセノポンは若いころ、ペルシア王アルタクセルクセス2世の弟キュロスが兄王を打倒すべく雇ったギリシア傭兵に参加した(紀元前401年~紀元前399年)。傭兵として参加した東征も、キュロスの戦死によって失敗に終わる。しかし、雇用主と指揮官の死去によってペルシア帝国の真ん中に放り出された傭兵部隊をまとめ、激しい攻撃や自然の猛威を防ぎながらも敵中を脱することができたのは、クセノポンの名采配あってこそだった。




French_troop_rescue_ship


ダイナモ作戦

ダイナモ作戦(ダイナモさくせん、Operation Dynamo)は、第二次世界大戦のダンケルクの戦いにおいて、1940年5月26日から6月4日にかけて行われた、連合軍の大規模撤退作戦のイギリス側コードネームである。

9日間に、860隻の船舶が急遽手配され、331,226名の兵(イギリス軍192,226名、フランス軍139,000名)をフランスのダンケルクから救出した。この“ダンケルクの小さな船たち”(Little Ships of Dunkirk)には、様々な貨物船、漁船、遊覧船および王立救命艇協会の救命艇など、民間の船が緊急徴用され、兵を浜から沖で待つ大型船(主に大型の駆逐艦)へ運んだ。この“小さな船たちの奇跡”はイギリス国民の心に深く刻まれ、大いに士気を高揚することとなったが、実際には兵の80%以上が港の防波堤から42隻の駆逐艦その他大型船に乗り込み撤退していた。


5: 世界@名無史さん 2015/10/24(土) 21:22:27.09 0
ナポレオン戦争のクトゥーゾフ将軍ですよ
Kutuzov1


ミハイル・クトゥーゾフ

ミハイル・イラリオーノヴィチ・ゴレニーシチェフ=クトゥーゾフ公爵(1745年9月16日〈ユリウス暦9月5日〉 - 1813年4月28日〈ユリウス暦4月16日〉)は、帝政ロシア時代の軍人。

ナポレオンのロシア遠征(1812年)が始まると、総司令官ミハイル・バルクライ・ド・トーリの焦土作戦・退却作戦に批判が高まり、8月20日、世論に推されるかたちで、67歳となったクトゥーゾフが後任の総司令官に就任した

クトゥーゾフの着任後、露仏両軍はロシア中部、モスクワの西112キロメートルのボロジノ(モスクワ州)で激突した。8月26日の大戦闘では両軍ともに甚大な被害を出した。損失は、ナポレオン軍2万5,000人、ロシア軍7万人であった。

その後クトゥーゾフは、バルクライと同様に退却を強行、聖都モスクワの明け渡し策に出た。クトゥーゾフはこのとき「モスクワを失ってもロシアを失うわけではない。しかし軍隊が全滅すれば、モスクワとロシアが滅びる」と述べ、周囲を説得している。この作戦は、モスクワを放棄し、ひたすらフランス軍の自滅を待つというもので、これにより27万5,000人のモスクワ市民の疎開が始まった。11万のナポレオン軍は、人口わずか1万人ほどとなったモスクワに無血入城を果たしたが、市内各所には火がかけられ、全モスクワの3分の2が廃墟と化した。

クトゥーゾフは南方からモスクワを包囲して、ナポレオン軍の糧道を断った。35日間のモスクワ滞在では、冬の到来により周囲より孤立し、また、深刻な食糧難に陥り、さらに、モスクワ市外からのロシア軍の絶え間ない攻撃に苦しんだ。

根負けしたナポレオンが、ついに退却を始めると、クトゥーゾフは執拗な追撃戦を敢行し、フランス軍の撃退に成功した。ロシア軍のみならず農民パルチザンが追い打ちをかけ、ナポレオンがロシア領内を出たときには敗残兵3万をのこすのみとなっていた。


6: 世界@名無史さん 2015/10/24(土) 22:56:05.39 0
日露戦争も実はロシア側は撤退戦を行っていた。
でも、奉天戦で日本は国力を使い果たしたから、撤退戦につきあうことができなくなった。

なんつーか、不幸中の幸いというか…

7: 世界@名無史さん 2015/10/26(月) 20:52:11.95 0
モスクワを落とされても大丈夫だ!
ベーリングに逃げるまでは追いつめられることはない!

8: 世界@名無史さん 2015/10/26(月) 22:37:17.39 0
ロシアは大量の犠牲を出しながら、撤退戦を行ってきたからなw

日本人にはその感覚がどうしてもつかめない。

9: 世界@名無史さん 2015/10/27(火) 00:12:19.38 0
撤退しても松代だしな

11: 世界@名無史さん 2015/10/27(火) 02:46:07.03 0
日本人ならレイテや硫黄島や沖縄みたいに全軍玉砕だよな

12: 世界@名無史さん 2015/10/27(火) 15:34:21.35 0
撤退戦の模範は、ケッセルリンク指揮下のWW2のイタリア戦線だろう?
イタリア戦線のドイツ軍は、ほとんど最後まで軍隊組織を維持していたからな。

15: 世界@名無史さん 2015/10/28(水) 17:33:42.60 0
小西行長が何度も死にそうになってたけどな

16: 世界@名無史さん 2016/02/13(土) 17:52:53.81 0
キスカ島も「戦」と言っていいよね?

キスカ島撤退作戦

キスカ島撤退作戦(キスカとうてったいさくせん)は、1943年(昭和18年)7月29日に行われた日本軍の北部太平洋アリューシャン列島にあるキスカ島からの守備隊撤収作戦のことである。キスカ島を包囲していた連合軍に全く気づかれず日本軍が無傷で守備隊全員の撤収に成功したことから「奇跡の作戦」と呼ばれる。


18: 世界@名無史さん 2016/02/13(土) 20:17:04.20 0
>>16
あれは所謂撤退戦とは状況が違うな。
おそろしく緻密な作戦行動で敵前から生贄を?っ攫っていった感じ。
最低でも撤退が行われてることに気がつかないと戦闘も起きないし。

20: 世界@名無史さん 2016/03/12(土) 22:29:22.94 0
>>18
戦闘つうか戦死者は出てるな、雨の同士討ちで100人くらい死んでる。

戦死者の比率で言ったら太平洋戦争史上最大の勝利かもしれんw

19: 世界@名無史さん 2016/02/14(日) 02:45:20.62 0
レコンキスタでイベリア半島からゆっくり撤退するイスラム勢も素敵だ。

14: 世界@名無史さん 2015/10/27(火) 20:51:31.23 0
秀吉死後の朝鮮撤退戦ってどうだったの。
スムーズに行った印象あるんだが

21: 世界@名無史さん 2016/03/12(土) 22:53:05.55 0
>>14
李舜臣の最後の攻撃も撤退戦の中で行われたんだっけ。
これで、もう朝鮮半島再攻撃の芽は完全になくなった。

22: 世界@名無史さん 2016/03/12(土) 23:03:48.33 0
秀吉死んだ時点で再攻撃も有るまいに。
帰師は追わずの真反対をやって戦死した馬鹿

24: 世界@名無史さん 2016/03/13(日) 00:32:02.62 0
李は対中国へのパフォーマンスも考えて追撃やったぽいけどな

当事者としてはまぁどれもありだったがやんなくて良かった戦いではある

36: 世界@名無史さん 2016/03/13(日) 11:46:27.54 0
撤退する相手に追い打ちをかけるのは、戦争のセオリーだろ?
それを否定するなどどんな間抜けだ?

37: 世界@名無史さん 2016/03/13(日) 11:53:27.33 0
帰師は遏(とど)むることなかれ

がセオリーだよ物知らず

38: 世界@名無史さん 2016/03/13(日) 12:21:32.51 0
>帰師は遏(とど)むることなかれ

それを実践して正解だった実例があるとでもいうのかな。
ナポレオンがロシア戦役で撤退するとき、クトゥーゾフ将軍はそれを追撃し壊滅させたが、それでも追撃が手ぬるいと批判された。退く敵を追ってさらに出血させることこそが戦争のセオリー。
君がすがっている古文書のフレーズは、実際の役に立っていない。

40: 世界@名無史さん 2016/03/13(日) 12:38:49.39 0
潰走してる敵を追撃するのは当然だが、組織的に後退してる敵を追撃すると大体失敗する。
敵戦力の見極めが重要。
反撃余力を残して後退する部隊は精鋭に十分な抗戦能力を与えて会敵位置に配置するから。

44: 世界@名無史さん 2016/03/13(日) 13:04:40.95 0
ただし撤退する日本軍に対して大きな戦力の優位があるわけじゃないから、俺だったら危なかったらそこそこ手を抜いて、戦いを挑んだという実績作りで止めておくだろう。
戦死するまで戦った李舜臣は、そこは真面目人間だったんだろうな。

45: 世界@名無史さん 2016/03/13(日) 13:12:07.34 0
挙句の果てに自分はおろか、明軍の副将まで死に追いやったと

無能な働き者って言葉を考えた人もうまいことを言う

46: 世界@名無史さん 2016/03/13(日) 14:03:28.76 0
目的としては正しいんじゃないの?
だって、次の日本の指導者が攻めてくる可能性はやはり否定はできないのだから。

ましてや、明が清に攻められてた頃に南方から朝鮮半島に再度攻められたら防ぎようがないかも。

47: 世界@名無史さん 2016/03/13(日) 14:22:30.96 0
あと攻め込んできた軍を、みすみす見逃して帰したのでは感情的にも収まらないだろうな。

たとえば中国軍が日本に攻め込んできて、国土の半分以上を戦場にし荒らしまわったとする。
ある日、中国軍が急な事情で本国へ撤兵を始めて、それを追撃しようという話が出ている席で、ところで「帰師は遏むるなかれ(ドヤァ)」なんて言い出す奴が居たら、よってたかって袋叩きにされるだろうw

49: 世界@名無史さん 2016/03/13(日) 15:31:40.17 0
軍事的政治的に意味があるから重要
追撃は勝って、相手が弱ってる状況ならいいが小西軍は撤退の理由は劣勢であるからというより君主の死なんで敵兵は十分強い状況

追撃は控えたほうがベターでしょう

感情論で行動した今の韓国は慰安婦問題で大損したじゃないか日本の威信も下がったが日本から憎悪され安全保障上の味方である米日と関係が悪化

50: 世界@名無史さん 2016/03/13(日) 16:32:20.42 0
ウィキペディア日本語版の露梁海戦に載っているように、日本側の損害が概数500隻中の200隻なら、李舜臣の十分な成功と言えるだろうな。
朝鮮では活躍した軍人は報われないことが多いから、良い死に場所を得たとも言える。

51: 世界@名無史さん 2016/03/13(日) 17:10:29.32 0
これか
『宣祖実録』「日本船百隻捕捉、二百隻焼破、斬首五百、捕虜百八十余、溺者数知れず」
これだけやって大将がやられないなんて不審がれよと思ったら捕らえたことにしたんだなw

>降倭のうち、特に重要とされたは「平秀政」と「平正成」と呼ばれる人物

誰だよこれw


76: 世界@名無史さん 2016/05/26(木) 06:41:44.56 0
陸上でも水上でも島津隊相手に追撃はしたくねーな
釣りの伏せこえーよ

78: 世界@名無史さん 2016/05/27(金) 08:05:09.00 0
>>76
その島津軍も岡城攻防戦では逆に釣り野伏に引っかかってひどい目にあってたりするんだけどね。

79: 世界@名無史さん 2016/05/29(日) 00:06:57.55 0
岡城攻防戦ってほぼ防衛側が有利の籠城戦じゃないか
島津の釣り野伏の大半は身の防ぐ術がない野戦でやってるのよ
しかもそれで成功率がやたらと高いという

80: 世界@名無史さん 2016/05/30(月) 14:12:41.00 0
岡城攻防戦の中でも特に島津軍が大損害を出した滑瀬橋の戦いや鬼ヵ城の戦いはいずれも野戦なんだけど。
つか、島津軍3万7千に対して大友軍わずかに1500という物量の差を無視するな。

82: 世界@名無史さん 2016/05/30(月) 20:25:03.84 0
カエサルも釣り野伏っぽい戦い方してたな
アリシアとかファルサルスとか

83: 世界@名無史さん 2016/05/30(月) 22:17:36.48 0
野戦でつるのと野戦築城をした攻城戦を戦略的に強いるのはちがうんでね?

引用元: ・撤退戦!




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